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4月の月一京町散歩は1200年昔の「平安京」にあった碁盤の目の通りをたどる「平安京散歩」の第2回目「二条通」です。<br />「二条通」は、平安京の大内裏の南を東西に走り、宮中と世間を隔絶するために東西では最も広い幅50m、南北の朱雀大路84mに次ぐ広さで、南禅寺近くの白川に架かる岡崎橋から二条城正面の堀川通までの3.3km、更に千本通・出世稲荷神社跡までが旧二条通りで合計4.4km、更にこれより西も旧二条通が続き、蚕の社から広隆寺まで続く3.6kmは参詣道として聖徳太子が通ったとされ「太子道」と呼ばれますが、今回は千本通・出世稲荷神社跡から二条大橋までの3.2kmを歩きます。<br />二條大橋から岡崎橋までは京都市内の文化施設が多く集まりますが、この辺りは平安後期の院政期に天皇や中宮の発願で「六勝寺」(ろくしょうじ)という「勝」の字がつく6つのお寺が建てられ院政の拠点となったところで、動物園内にある法勝寺跡石標辺りが「二条大路」の東端になっています。<br />「二条通」は二条城の前のメインストリートとして幕府公認の薬屋など多くの商家が並び、江戸時代には高瀬舟の起点として材木商などで繁栄を極めたものの、現代では三条、四条の方へ賑やかさが移り閑静なストリートとして存在感を保っている感じですが、どの通りも平安期から栄枯盛衰の歴史をくぐってきているのを見るのが楽しい京町散歩です。<br /><br />

月一京町散歩(4月)平安京散歩「二条大路」

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2023/04/20 - 2023/04/20

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旅行記グループ 月一平安京散歩

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4月の月一京町散歩は1200年昔の「平安京」にあった碁盤の目の通りをたどる「平安京散歩」の第2回目「二条通」です。
「二条通」は、平安京の大内裏の南を東西に走り、宮中と世間を隔絶するために東西では最も広い幅50m、南北の朱雀大路84mに次ぐ広さで、南禅寺近くの白川に架かる岡崎橋から二条城正面の堀川通までの3.3km、更に千本通・出世稲荷神社跡までが旧二条通りで合計4.4km、更にこれより西も旧二条通が続き、蚕の社から広隆寺まで続く3.6kmは参詣道として聖徳太子が通ったとされ「太子道」と呼ばれますが、今回は千本通・出世稲荷神社跡から二条大橋までの3.2kmを歩きます。
二條大橋から岡崎橋までは京都市内の文化施設が多く集まりますが、この辺りは平安後期の院政期に天皇や中宮の発願で「六勝寺」(ろくしょうじ)という「勝」の字がつく6つのお寺が建てられ院政の拠点となったところで、動物園内にある法勝寺跡石標辺りが「二条大路」の東端になっています。
「二条通」は二条城の前のメインストリートとして幕府公認の薬屋など多くの商家が並び、江戸時代には高瀬舟の起点として材木商などで繁栄を極めたものの、現代では三条、四条の方へ賑やかさが移り閑静なストリートとして存在感を保っている感じですが、どの通りも平安期から栄枯盛衰の歴史をくぐってきているのを見るのが楽しい京町散歩です。

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  • 「一条通」の次は、♪♪薬屋が多い「二条の生薬(きぐすり)屋」、水の流れは(夷川)、(二条)で買うた生薬を、ただでやるのは惜し(押小路)♪♪と謡われる「二条通」<br />

    「一条通」の次は、♪♪薬屋が多い「二条の生薬(きぐすり)屋」、水の流れは(夷川)、(二条)で買うた生薬を、ただでやるのは惜し(押小路)♪♪と謡われる「二条通」

  • 散歩ルート:出世稲荷神社跡(千本旧二条)~1.1km二条城~(堀川通)~橋本佐内寓居跡~ミツイキョウト(京都国際ホテル)~京乃雪~三井越後屋京都本店記念庭園~山村寿芳堂~1.8km薬祖神祠(やくそじんし)~(烏丸通り)~わやくや千坂漢方薬局(ちさかかんぽう)~松栄道薫習館~堀九来堂~二条柳町(遊郭)~村上開新堂~香雪軒~島津製作所創業記念館~リッツカールトン京都(ホテルフジタ)~3.2km二条大橋(~細見美術館~みやこメッセ~ロームシアター京都~京セラ美術館~京都市動物園~4.4km岡崎橋)

    散歩ルート:出世稲荷神社跡(千本旧二条)~1.1km二条城~(堀川通)~橋本佐内寓居跡~ミツイキョウト(京都国際ホテル)~京乃雪~三井越後屋京都本店記念庭園~山村寿芳堂~1.8km薬祖神祠(やくそじんし)~(烏丸通り)~わやくや千坂漢方薬局(ちさかかんぽう)~松栄道薫習館~堀九来堂~二条柳町(遊郭)~村上開新堂~香雪軒~島津製作所創業記念館~リッツカールトン京都(ホテルフジタ)~3.2km二条大橋(~細見美術館~みやこメッセ~ロームシアター京都~京セラ美術館~京都市動物園~4.4km岡崎橋)

  • まずは烏丸六角の漁師めし「雑魚や」でランチ

    まずは烏丸六角の漁師めし「雑魚や」でランチ

  • 人気メニューは中央市場で当日仕入れた魚を贅沢に盛った「贅沢めし」で、まぐろやいろんな海鮮が混ぜ合わさった海鮮丼と、日替わりの魚の唐揚げや焼き魚、煮魚に茶碗蒸し、豆腐、サラダ、おばんざいなど7品がワンプレートにのっており最後に残ったご飯に足りなかったらご飯を追加して鯛茶漬けで〆るというアイデア丼

    人気メニューは中央市場で当日仕入れた魚を贅沢に盛った「贅沢めし」で、まぐろやいろんな海鮮が混ぜ合わさった海鮮丼と、日替わりの魚の唐揚げや焼き魚、煮魚に茶碗蒸し、豆腐、サラダ、おばんざいなど7品がワンプレートにのっており最後に残ったご飯に足りなかったらご飯を追加して鯛茶漬けで〆るというアイデア丼

  • 基本は7品で1,000円だが、これにアジを1品+300円を加えた「より贅沢めし」を注文、さらに+300で「まじ贅沢めし」になり、海鮮好きにはたまらん!

    基本は7品で1,000円だが、これにアジを1品+300円を加えた「より贅沢めし」を注文、さらに+300で「まじ贅沢めし」になり、海鮮好きにはたまらん!

  • 最後に鯛の切り身を付けた鯛茶漬けにして食べられるので、もっと若かったら大満足!美食家には少し物足りないか?

    最後に鯛の切り身を付けた鯛茶漬けにして食べられるので、もっと若かったら大満足!美食家には少し物足りないか?

  • 平安時代の「二条大路」は大内裏跡地に秀吉の聚楽第が出来、その後家康の二条城造営で堀川通から西が寸断されてしまったので、旧「二条通」になる「千本旧二条」からスタート!

    平安時代の「二条大路」は大内裏跡地に秀吉の聚楽第が出来、その後家康の二条城造営で堀川通から西が寸断されてしまったので、旧「二条通」になる「千本旧二条」からスタート!

  • 「千本旧二条」のバス停は元は「出世稲荷神社跡」という名前で、聚楽第造営の際に稲荷神社を勧請し秀吉の立身出世に因んで命名され、その後千本通りに移り、最近2012年老朽化により大原に移転し跡地はマンションになっている

    「千本旧二条」のバス停は元は「出世稲荷神社跡」という名前で、聚楽第造営の際に稲荷神社を勧請し秀吉の立身出世に因んで命名され、その後千本通りに移り、最近2012年老朽化により大原に移転し跡地はマンションになっている

  • 千本通りから旧二条通りを東へ行くと二条城「西門」に突き当たる

    千本通りから旧二条通りを東へ行くと二条城「西門」に突き当たる

  • 二条城の西の通りは「美福通」という通りで、丸太町通から三条通まで

    二条城の西の通りは「美福通」という通りで、丸太町通から三条通まで

  • 「西門」は二条城の通用門で、大政奉還を発表したとき徳川慶喜がこの西門から城外に出たという、大火で周辺の櫓門等が焼失し外堀にかかる木橋も失われ今ではこの西門だけが残る、門の上の土塀と石垣に囲まれることから「埋門」(うずみもん)と呼ばれ、柱の上にしか屋根はなく、この門を突破されても正面の櫓門で敵を攻撃するために屋根が邪魔にならないようにしているという

    「西門」は二条城の通用門で、大政奉還を発表したとき徳川慶喜がこの西門から城外に出たという、大火で周辺の櫓門等が焼失し外堀にかかる木橋も失われ今ではこの西門だけが残る、門の上の土塀と石垣に囲まれることから「埋門」(うずみもん)と呼ばれ、柱の上にしか屋根はなく、この門を突破されても正面の櫓門で敵を攻撃するために屋根が邪魔にならないようにしているという

  • 二条中学校の前に「平安京民部省跡」の説明板がある、平安京の政庁、主税寮、主計寮があったというところで、主計(しゅけい)は中央財政、主税(しゅぜい)は地方財政を管理する、全国の戸籍管理なども行ったというからこの頃からすでに国家のカタチが出来ている!

    二条中学校の前に「平安京民部省跡」の説明板がある、平安京の政庁、主税寮、主計寮があったというところで、主計(しゅけい)は中央財政、主税(しゅぜい)は地方財政を管理する、全国の戸籍管理なども行ったというからこの頃からすでに国家のカタチが出来ている!

  • 「美福通り」から「竹屋町通り」を右折

    「美福通り」から「竹屋町通り」を右折

  • 二条城を裏側から見るのは初めてなので景色が新鮮!<br />緊急避難所の案内板だが、よく見ると二条城への入り口は外堀にかかる2つの橋だけで、正面の東大手門と北大手門しかない

    二条城を裏側から見るのは初めてなので景色が新鮮!
    緊急避難所の案内板だが、よく見ると二条城への入り口は外堀にかかる2つの橋だけで、正面の東大手門と北大手門しかない

  • 平安時代には二条城がある場所には、平安京大内裏の一部と神泉苑、冷泉院があった、その広大さに驚く!

    平安時代には二条城がある場所には、平安京大内裏の一部と神泉苑、冷泉院があった、その広大さに驚く!

  • 石垣には「刻印」があり、工事をした大名の家紋を刻み持ち場を示している、60種類あるというから60の大名が関わっているというが、今ではどこの大名か分らん

    石垣には「刻印」があり、工事をした大名の家紋を刻み持ち場を示している、60種類あるというから60の大名が関わっているというが、今ではどこの大名か分らん

  • 外堀石垣の説明をしており、石垣の安定性を高めるために「裏込め」(うらごめ)という石垣の後ろに小さい石を詰め込み、中に入った雨水を流すようにしているのが発掘調査で分かった

    外堀石垣の説明をしており、石垣の安定性を高めるために「裏込め」(うらごめ)という石垣の後ろに小さい石を詰め込み、中に入った雨水を流すようにしているのが発掘調査で分かった

  • 水草が増えて大変らしいが、魚が泳いで長閑な散策路になっている

    水草が増えて大変らしいが、魚が泳いで長閑な散策路になっている

  • 「冷然院跡」(れいぜいいん):嵯峨天皇が離宮として造営し、譲位後は御院(御所)として使われ、その後も歴代の上皇がここに居住した。平安時代の堀川流域には高陽院・二条院・堀川院など王公貴族の邸宅があり冷泉院もその一つ

    「冷然院跡」(れいぜいいん):嵯峨天皇が離宮として造営し、譲位後は御院(御所)として使われ、その後も歴代の上皇がここに居住した。平安時代の堀川流域には高陽院・二条院・堀川院など王公貴族の邸宅があり冷泉院もその一つ

  • 当初は「冷然院」だったが、火災にあってから「然」は火に通じることから「冷泉院」になったという、ちなみに「冷泉家」は藤原定家を祖先に持つ鎌倉歌学の三宗家の一つ(他に二条家、京極家)で、冷泉小路に面した家に住んだことから家名になった

    当初は「冷然院」だったが、火災にあってから「然」は火に通じることから「冷泉院」になったという、ちなみに「冷泉家」は藤原定家を祖先に持つ鎌倉歌学の三宗家の一つ(他に二条家、京極家)で、冷泉小路に面した家に住んだことから家名になった

  • ホテルかと思ったら、創価学会 京都国際文化会館だった、恐るべし創価学会

    ホテルかと思ったら、創価学会 京都国際文化会館だった、恐るべし創価学会

  • 「夷川橋」(えびすがわ):堀川に架かるこの橋から鴨川までが「夷川通」、平安京の「冷泉小路」(れいぜいこうじ)にあたり、古くは鴨川にこの橋があって平安神宮あたりまでつながっていたが、鴨川氾濫で分断された後、鴨川から平安神宮前を通る琵琶湖疎水沿いは「冷泉通」という名前が残っている<br />

    「夷川橋」(えびすがわ):堀川に架かるこの橋から鴨川までが「夷川通」、平安京の「冷泉小路」(れいぜいこうじ)にあたり、古くは鴨川にこの橋があって平安神宮あたりまでつながっていたが、鴨川氾濫で分断された後、鴨川から平安神宮前を通る琵琶湖疎水沿いは「冷泉通」という名前が残っている

  • 「二条橋」:堀川に架かるこの橋から南禅寺近くの白川に架かる岡崎橋までが「二条通」、千本通・出世稲荷神社跡までは「旧二条通り」

    「二条橋」:堀川に架かるこの橋から南禅寺近くの白川に架かる岡崎橋までが「二条通」、千本通・出世稲荷神社跡までは「旧二条通り」

  • 「堀川」:堀川は平安京造営時に運河として主に木材の運搬に使われ、二条城の築城時には外堀としての役割を担い、二条橋から竹屋橋にかけての石垣は築城時に築かれた、その後水流はなくなったが、現在は琵琶湖疎水分線から引き入れて紫明通から南下する水流を復活させてさわやかな散歩道に整備されている

    「堀川」:堀川は平安京造営時に運河として主に木材の運搬に使われ、二条城の築城時には外堀としての役割を担い、二条橋から竹屋橋にかけての石垣は築城時に築かれた、その後水流はなくなったが、現在は琵琶湖疎水分線から引き入れて紫明通から南下する水流を復活させてさわやかな散歩道に整備されている

  • 「堀川通り」:京都の中央を走る道幅50mの市内最大の幹線道路を挟んで、手前の堀川に架かる二条橋から二条城を見る<br />*二条城が二条大路を寸断する位置に築かれたのは、朱雀門正面に天守閣を構えて家康が二条大路を自分にとっての「朱雀大路」にし、朝廷と諸大名に徳川の権威を見せつけるためという見方もある

    「堀川通り」:京都の中央を走る道幅50mの市内最大の幹線道路を挟んで、手前の堀川に架かる二条橋から二条城を見る
    *二条城が二条大路を寸断する位置に築かれたのは、朱雀門正面に天守閣を構えて家康が二条大路を自分にとっての「朱雀大路」にし、朝廷と諸大名に徳川の権威を見せつけるためという見方もある

  • 二条橋の袂に「橋本佐内寓居跡」(はしもとさない):幕末の福井藩士でこの地にあった福井藩邸に居住した、将軍継嗣問題(けいし)で罪に問われ1859安政の大獄で処刑された;幕末13代将軍の継嗣をめぐり薩摩・福井藩の一橋慶喜派と紀州派が対立し、大老になった彦根藩主・井伊直弼は家茂(いえもち)にし反対派を弾圧したが桜田門外の変で暗殺され、その後慶喜(よしのぶ)は1867年二条城で15代将軍に就き大政奉還、王政復古の大号令へと続く

    二条橋の袂に「橋本佐内寓居跡」(はしもとさない):幕末の福井藩士でこの地にあった福井藩邸に居住した、将軍継嗣問題(けいし)で罪に問われ1859安政の大獄で処刑された;幕末13代将軍の継嗣をめぐり薩摩・福井藩の一橋慶喜派と紀州派が対立し、大老になった彦根藩主・井伊直弼は家茂(いえもち)にし反対派を弾圧したが桜田門外の変で暗殺され、その後慶喜(よしのぶ)は1867年二条城で15代将軍に就き大政奉還、王政復古の大号令へと続く

  • 「ミツイキョウト」(旧京都国際ホテル):藤田観光が閉店の後、三井不動産が2020年開業、三井家の邸宅跡地で三井家の1703年創建の梶井宮門を入口にし、邸宅を再現した部屋もある、マリオットと提携した5つ星ホテル

    「ミツイキョウト」(旧京都国際ホテル):藤田観光が閉店の後、三井不動産が2020年開業、三井家の邸宅跡地で三井家の1703年創建の梶井宮門を入口にし、邸宅を再現した部屋もある、マリオットと提携した5つ星ホテル

  • 「梶井宮門」(かじいみやもん):かつて三井総領家が所有した歴史ある門で、梶井宮御殿(現在の大原三千院)の門として造営されその後移設された

    「梶井宮門」(かじいみやもん):かつて三井総領家が所有した歴史ある門で、梶井宮御殿(現在の大原三千院)の門として造営されその後移設された

  • 「二條若狭屋」:明治期に江戸時代から続く総本家若狭屋で工芸菓子を学び独立した京菓子司

    「二條若狭屋」:明治期に江戸時代から続く総本家若狭屋で工芸菓子を学び独立した京菓子司

  • レトロな街灯が良く似合う

    レトロな街灯が良く似合う

  • 「三井越後屋京都本店記念庭園」:三井家の家祖となる三井高利が晩年を京都で過ごした地に、三井不動産が三井京都創業の地として記念庭園を築き保存伝承しているが、ちょっとショボイ

    「三井越後屋京都本店記念庭園」:三井家の家祖となる三井高利が晩年を京都で過ごした地に、三井不動産が三井京都創業の地として記念庭園を築き保存伝承しているが、ちょっとショボイ

  • 三井高利は、松坂の豪商から江戸に越後屋呉服店を開くと同時に、呉服店として成功するためには京都に呉服物の仕入れ拠点をおく必要があるとし京都にも店を出し、京都と江戸それぞれの店を息子たちに任せ高利は京都で指揮をとったという

    三井高利は、松坂の豪商から江戸に越後屋呉服店を開くと同時に、呉服店として成功するためには京都に呉服物の仕入れ拠点をおく必要があるとし京都にも店を出し、京都と江戸それぞれの店を息子たちに任せ高利は京都で指揮をとったという

  • 「山村寿芳堂」(やまむらじゅほうどう):平安時代創業の「瑞星」(ずいせい)本家の老舗薬局、「瑞星」は血液循環を整え動悸、疲労、二日酔いに効く和漢の生薬製剤で京都では家庭常備薬、隣は「薬祖神祠」

    「山村寿芳堂」(やまむらじゅほうどう):平安時代創業の「瑞星」(ずいせい)本家の老舗薬局、「瑞星」は血液循環を整え動悸、疲労、二日酔いに効く和漢の生薬製剤で京都では家庭常備薬、隣は「薬祖神祠」

  • 「薬祖神祠」(やくそじんし):薬の神様を祀る神社で、1858年医療医薬品事業の繫盛を願って創建、二条通は江戸幕府公認の薬の街で、薬祖神祠を中心におよそ100軒の薬問屋が軒を連ねていた

    「薬祖神祠」(やくそじんし):薬の神様を祀る神社で、1858年医療医薬品事業の繫盛を願って創建、二条通は江戸幕府公認の薬の街で、薬祖神祠を中心におよそ100軒の薬問屋が軒を連ねていた

  • 「二條薬業会館」:昭和11年(1936)建築で、この辺り50軒ほどの薬屋関連の協同組合

    「二條薬業会館」:昭和11年(1936)建築で、この辺り50軒ほどの薬屋関連の協同組合

  • 「わやくや千坂漢方薬局」(ちさかかんぽう):明治4年(1871)創業で、北大路魯山人が明治26年10-13才まで丁稚奉公していたという

    「わやくや千坂漢方薬局」(ちさかかんぽう):明治4年(1871)創業で、北大路魯山人が明治26年10-13才まで丁稚奉公していたという

  • 「二條和漢薬」:かつて和薬や漢方薬の店が軒を連ねたこの界隈は今でも医薬品関連の店が多い

    「二條和漢薬」:かつて和薬や漢方薬の店が軒を連ねたこの界隈は今でも医薬品関連の店が多い

  • 「松栄道薫習館」(くんしゅうかん):江戸時代1705年創業のお香専門店

    「松栄道薫習館」(くんしゅうかん):江戸時代1705年創業のお香専門店

  • 2018年新設した「香りのミュージアム」にはお線香作りの見学ができる香房もある

    2018年新設した「香りのミュージアム」にはお線香作りの見学ができる香房もある

  • お線香は、植物性の沈香(じんこう)、桂皮(けいひ)、白檀(びゃくだん)、甘松(かんしょ)、龍脳(りゅうのう)、動物性の麝香(じゃこう)、龍涎香(りゅうぜんこう)、液体のラベンダー、スズラン、バイオレット、ローズ等の原材料と香料を調合して作成する

    お線香は、植物性の沈香(じんこう)、桂皮(けいひ)、白檀(びゃくだん)、甘松(かんしょ)、龍脳(りゅうのう)、動物性の麝香(じゃこう)、龍涎香(りゅうぜんこう)、液体のラベンダー、スズラン、バイオレット、ローズ等の原材料と香料を調合して作成する

  • 「堀九来堂」 (ほりきゅうらいどう):明治28年(1895)創業で、和菓子・洋菓子・パンなど、製菓の製造機器を作り、販売する老舗の会社

    「堀九来堂」 (ほりきゅうらいどう):明治28年(1895)創業で、和菓子・洋菓子・パンなど、製菓の製造機器を作り、販売する老舗の会社

  • らしくない床屋さんがあったので思わず立ち止まる!床屋「宙」(そら):HPを見ると3代目店主で、理容師資格・美容師資格、いけばな嵯峨御流師範、総合整髪7,200円とある

    らしくない床屋さんがあったので思わず立ち止まる!床屋「宙」(そら):HPを見ると3代目店主で、理容師資格・美容師資格、いけばな嵯峨御流師範、総合整髪7,200円とある

  • 二条柳馬場東あたりに秀吉公認の二条柳町という遊郭があったというので、跡地を探したが見つからず、二条城造営で移転しさらに島原に移転したという。代わりに「京都ハリストス正教会」を発見、ビザンチン・ロシア様式の最古の本格的木造聖堂として注目

    二条柳馬場東あたりに秀吉公認の二条柳町という遊郭があったというので、跡地を探したが見つからず、二条城造営で移転しさらに島原に移転したという。代わりに「京都ハリストス正教会」を発見、ビザンチン・ロシア様式の最古の本格的木造聖堂として注目

  • 少し進むと「寺町通り」にぶつかり、右折してなだらかに左折するという変形の通りになっている!不思議に思い調べると、かつて市電が走っており、岡崎方面から寺町通りを回って丸太町通り方面に通っていて、その名残で緩やかにカーブしているらしい

    少し進むと「寺町通り」にぶつかり、右折してなだらかに左折するという変形の通りになっている!不思議に思い調べると、かつて市電が走っており、岡崎方面から寺町通りを回って丸太町通り方面に通っていて、その名残で緩やかにカーブしているらしい

  • 正面にあるのが「村上開新堂」で、明治40年(1907)創業。日本で洋菓子の草分け的存在と知られる老舗洋菓子店、奈良時代から宮中に奉仕し明治になってからも東京で宮内省に仕え明治7年東京村上開進堂を創業、そのころ生まれた息子が京都に開店して今4代目、カフェもあるというので楽しみにしていたが去年から休業中で残念!

    正面にあるのが「村上開新堂」で、明治40年(1907)創業。日本で洋菓子の草分け的存在と知られる老舗洋菓子店、奈良時代から宮中に奉仕し明治になってからも東京で宮内省に仕え明治7年東京村上開進堂を創業、そのころ生まれた息子が京都に開店して今4代目、カフェもあるというので楽しみにしていたが去年から休業中で残念!

  • 河原町通を超えたところにある「香雪軒」(こうせつけん):江戸時代創業の筆のお店で、武者小路実篤や富岡鉄斎、谷崎潤一郎なども通っていて直筆の書がある

    河原町通を超えたところにある「香雪軒」(こうせつけん):江戸時代創業の筆のお店で、武者小路実篤や富岡鉄斎、谷崎潤一郎なども通っていて直筆の書がある

  • 「島津製作所創業記念館」:島津製作所の初代と二代が居住しこの地で多くの実験・発明を行った創業の地で、居住した町家形式のステンドグラスもある和洋折衷の木造二階建建物の他、「島津」の名を高めた、国産のX線発生装置や、国内最古の顕微鏡などが展示されている

    「島津製作所創業記念館」:島津製作所の初代と二代が居住しこの地で多くの実験・発明を行った創業の地で、居住した町家形式のステンドグラスもある和洋折衷の木造二階建建物の他、「島津」の名を高めた、国産のX線発生装置や、国内最古の顕微鏡などが展示されている

  • ノーベル賞科学者の田中 耕一を輩出した企業として有名で、「丸に十の字」の社章にしているのは、創業者の島津源蔵は薩摩の島津家と血縁があるわけではなく、創業者の祖先が秀吉の時代に島津義弘から家紋と「島津」の姓を与えられたことからだという

    ノーベル賞科学者の田中 耕一を輩出した企業として有名で、「丸に十の字」の社章にしているのは、創業者の島津源蔵は薩摩の島津家と血縁があるわけではなく、創業者の祖先が秀吉の時代に島津義弘から家紋と「島津」の姓を与えられたことからだという

  • 「高瀬川一之舟入」:高瀬川は1611年角倉了以が開いた運河で、ここを起点として鴨川から伏見まで通行する高瀬舟の船入り、船回しの船溜所になっており、川底が浅いので船底が平たい高瀬舟が最盛期で百数十艘上下し、木屋町筋には材木屋をはじめ多くの問屋が立ち並んで賑わった

    「高瀬川一之舟入」:高瀬川は1611年角倉了以が開いた運河で、ここを起点として鴨川から伏見まで通行する高瀬舟の船入り、船回しの船溜所になっており、川底が浅いので船底が平たい高瀬舟が最盛期で百数十艘上下し、木屋町筋には材木屋をはじめ多くの問屋が立ち並んで賑わった

  • 「高瀬川」は日本各地で使用されていた「高瀬舟」から命名され、二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」から取り入れ木屋町通沿いに南下し十条通で鴨川に合流する、かつては更に伏見港から宇治川、淀川まで通じていたが、現在は鴨川以南は東高瀬川と呼ばれつながっていない

    「高瀬川」は日本各地で使用されていた「高瀬舟」から命名され、二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」から取り入れ木屋町通沿いに南下し十条通で鴨川に合流する、かつては更に伏見港から宇治川、淀川まで通じていたが、現在は鴨川以南は東高瀬川と呼ばれつながっていない

  • 「がんこ 高瀬川二条苑」:高瀬川の取水口となっているので「高瀬川源流庭苑」とも呼ばれており、1611年角倉了以がその源流に別邸を建設、明治になって1891年山縣有朋が長州の自邸「無鄰菴」から「第二無鄰菴」にしたが翌年には売却(岡崎に第三無鄰菴こと現在の「無鄰菴」を造営)、その後日本銀行総裁や近江商人らの手に渡り、1995年「がんこ高瀬川二条苑」となる。広大な日本庭園が魅力で、江戸時代の小堀遠州作庭の茶室、明治時代の小川治兵衛作庭(改修)の回遊池泉庭園、さまざまな種類の石や30基の灯籠、明治時代の建物など日本料理以外の魅力たっぷりで、何度でも行きたいところ!<br />

    「がんこ 高瀬川二条苑」:高瀬川の取水口となっているので「高瀬川源流庭苑」とも呼ばれており、1611年角倉了以がその源流に別邸を建設、明治になって1891年山縣有朋が長州の自邸「無鄰菴」から「第二無鄰菴」にしたが翌年には売却(岡崎に第三無鄰菴こと現在の「無鄰菴」を造営)、その後日本銀行総裁や近江商人らの手に渡り、1995年「がんこ高瀬川二条苑」となる。広大な日本庭園が魅力で、江戸時代の小堀遠州作庭の茶室、明治時代の小川治兵衛作庭(改修)の回遊池泉庭園、さまざまな種類の石や30基の灯籠、明治時代の建物など日本料理以外の魅力たっぷりで、何度でも行きたいところ!

  • 「リッツカールトン京都」(旧ホテルフジタ):二条通には二つの高級ホテルがあり、二条大橋に2014年マリオット系列を展開する積水ハウスが最高級ブランド「リッツカールトン」(4階+地下3階134室、都市開発に強い大林組)、二条城前に「ミツイキョウト」(旧京都国際ホテル)2020年三井不動産がマリオットと提携(4階+地下1階161室、神社仏閣に強い清水建設)

    「リッツカールトン京都」(旧ホテルフジタ):二条通には二つの高級ホテルがあり、二条大橋に2014年マリオット系列を展開する積水ハウスが最高級ブランド「リッツカールトン」(4階+地下3階134室、都市開発に強い大林組)、二条城前に「ミツイキョウト」(旧京都国際ホテル)2020年三井不動産がマリオットと提携(4階+地下1階161室、神社仏閣に強い清水建設)

  • 「二條大橋」:江戸時代からあったようで1864年禁門の変(蛤御門の変)で桂小五郎が乞食の姿で二条大橋の下に潜み幾松が握り飯を橋の上から落として届けたという桂小五郎と幾松の恋物語の舞台、明治になって1871年博覧会会場の岡崎と京都駅を結ぶ市電専用橋を併設、大正時代1913年新設されたが、昭和になって1935年の大洪水で流され1943年に現在の橋が架けられた、自然景観に合わせた重厚な自然石を使用し低い欄干で北山、東山が見渡せる、擬宝珠や照明を持たないシンプルなデザイン

    「二條大橋」:江戸時代からあったようで1864年禁門の変(蛤御門の変)で桂小五郎が乞食の姿で二条大橋の下に潜み幾松が握り飯を橋の上から落として届けたという桂小五郎と幾松の恋物語の舞台、明治になって1871年博覧会会場の岡崎と京都駅を結ぶ市電専用橋を併設、大正時代1913年新設されたが、昭和になって1935年の大洪水で流され1943年に現在の橋が架けられた、自然景観に合わせた重厚な自然石を使用し低い欄干で北山、東山が見渡せる、擬宝珠や照明を持たないシンプルなデザイン

  • 二条大橋の下流で高瀬川へ分流する「みそそぎ川」(禊川)は、賀茂大橋下流で鴨川から分かれ鴨川と並行して流れ、また五条大橋付近で鴨川に合流する、納涼床はこの川の上に開かれるが、もともと「みそそぎ川」は大正時代から納涼床の営業を行う茶屋の要望により造られた<br />

    二条大橋の下流で高瀬川へ分流する「みそそぎ川」(禊川)は、賀茂大橋下流で鴨川から分かれ鴨川と並行して流れ、また五条大橋付近で鴨川に合流する、納涼床はこの川の上に開かれるが、もともと「みそそぎ川」は大正時代から納涼床の営業を行う茶屋の要望により造られた

  • 「二條大橋」から「岡崎橋」までの間には京都の文化施設がたくさん固まっているが、特に目を引くのは「みやこメッセ」(京都市勧業館)前の造形物、これは「朱鳥舞」(しゅちょうまい)という彫刻家・清水久兵衛の作品で、アルミニウム合金製、他にも一目でわかる作品が京都市内のあちこちにあり、京都駅「朱甲舞」(しゅこうまい)、京都文化博物館「朱装」(しゅそう)、京セラ美術館「朱態」(しゅたい)、京阪三条駅「朱甲面」(しゅこうめん)、京都新聞ビル「寿冠」(じゅかん)、京都テレサ「祭甲」(まつりかぶと)、石清水八幡宮「湧峯塔」(ゆうほうとう)、新京都センタービル「こねくしょん」、五条坂の電灯など<br />

    「二條大橋」から「岡崎橋」までの間には京都の文化施設がたくさん固まっているが、特に目を引くのは「みやこメッセ」(京都市勧業館)前の造形物、これは「朱鳥舞」(しゅちょうまい)という彫刻家・清水久兵衛の作品で、アルミニウム合金製、他にも一目でわかる作品が京都市内のあちこちにあり、京都駅「朱甲舞」(しゅこうまい)、京都文化博物館「朱装」(しゅそう)、京セラ美術館「朱態」(しゅたい)、京阪三条駅「朱甲面」(しゅこうめん)、京都新聞ビル「寿冠」(じゅかん)、京都テレサ「祭甲」(まつりかぶと)、石清水八幡宮「湧峯塔」(ゆうほうとう)、新京都センタービル「こねくしょん」、五条坂の電灯など

  • 帰りは寺町通りに戻って堺町三条の「イノダコーヒ」へ:昭和15年創業の老舗喫茶店で、少々お高めだがビジネスではよく使ったのでお久しぶり、画家だった創業者のこだわりがつまった歴史と風格を感じる絵画や調度品があり、建物は格子窓や暖簾が特徴的な町家風のたたずまいで、「本館」と創業当時の店舗を再現した「旧館」とレトロな内装の「メモリアル館」がある *京都では昔から「コーヒー」でなく「コーヒ」が正しい

    帰りは寺町通りに戻って堺町三条の「イノダコーヒ」へ:昭和15年創業の老舗喫茶店で、少々お高めだがビジネスではよく使ったのでお久しぶり、画家だった創業者のこだわりがつまった歴史と風格を感じる絵画や調度品があり、建物は格子窓や暖簾が特徴的な町家風のたたずまいで、「本館」と創業当時の店舗を再現した「旧館」とレトロな内装の「メモリアル館」がある *京都では昔から「コーヒー」でなく「コーヒ」が正しい

  • 古風な外観に比べ、店内はレトロな洋館イメージで、メモリアル館は、貿易商・焙煎家・芸術家でもあった創業者の猪田(イノダ)七郎氏によるコレクションが数多く展示されている

    古風な外観に比べ、店内はレトロな洋館イメージで、メモリアル館は、貿易商・焙煎家・芸術家でもあった創業者の猪田(イノダ)七郎氏によるコレクションが数多く展示されている

  • 自社の焙煎工場とケーキ工場を有し、ケーキ店も併設

    自社の焙煎工場とケーキ工場を有し、ケーキ店も併設

  • 「アラビアの真珠」(200g1,400円)が有名で、モカをベースにした深焙りブレンド、またコーヒーは始めからフレッシュミルクと砂糖が入っているのがイノダ流で、注文の際入れていいかどうか聞かれる、これはかつて会話に夢中になってコーヒーが冷めてしまいミルクと砂糖が混ざらなくなってしまったのがきっかけだという

    「アラビアの真珠」(200g1,400円)が有名で、モカをベースにした深焙りブレンド、またコーヒーは始めからフレッシュミルクと砂糖が入っているのがイノダ流で、注文の際入れていいかどうか聞かれる、これはかつて会話に夢中になってコーヒーが冷めてしまいミルクと砂糖が混ざらなくなってしまったのがきっかけだという

  • 中庭にはガーデンテラスもある

    中庭にはガーデンテラスもある

  • コーヒーだけでなく食事やスイーツメニューも充実、フルーツサンド900円、コーヒー650円を注文

    コーヒーだけでなく食事やスイーツメニューも充実、フルーツサンド900円、コーヒー650円を注文

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