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かねてから行きたいと思っていた都ホテルの「葵殿庭園・佳水園庭園」に行ってきました。さらに午後からは毎月21日に行われる東寺の「弘法市」の日だったので、骨とう品を探しに久しぶりに覗いてみました。<br />庭園を見るのは殆ど寺社や城郭、武家屋敷、豪商屋敷ですが、今回見たかった庭園はホテルの中にあるので見れるかどうか不安だったが、さすが高級ホテル、丁寧に対応してもらい自由に鑑賞出来て、今度は宿泊してみようという気になります。おかげで近代庭園の先駆者と言われる七代目小川治兵衛(植治)とその息子・八代目小川白楊の晩年の遺作ともなる2つの庭園と、この名庭園が何故ここにあるのかの疑問が明治の「吉水園」から続く都ホテルの変遷とともに解明され、気分スッキリで大満足です。<br />また、当日は毎月21日の「弘法市」(弘法さん)の日にあたり、かねてから骨とう品を探していたこともあって寄ってみましたが、残念ながら午後からが雨模様で早めに店じまいするところが多く、十分な探索をすることが出来なかったので、あらためて「終い弘法」か「初弘法」に行きたいと思います。<br />今回も、なかなか行けないホテル内で明治大正時代の小川治兵衛親子の名庭を見て、明治37年創業の老舗大衆食堂でランチし、平安遷都時から脈々と続いている東寺の「弘法市」に寄って、京都の歴史は深い!と感じた1日でした。<br /><br />

月一京都散歩(9月)ウェスティン都ホテル「葵殿庭園・佳水園庭園」~東寺「弘法市」

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2023/09/21 - 2023/09/21

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Bach

Bachさん

かねてから行きたいと思っていた都ホテルの「葵殿庭園・佳水園庭園」に行ってきました。さらに午後からは毎月21日に行われる東寺の「弘法市」の日だったので、骨とう品を探しに久しぶりに覗いてみました。
庭園を見るのは殆ど寺社や城郭、武家屋敷、豪商屋敷ですが、今回見たかった庭園はホテルの中にあるので見れるかどうか不安だったが、さすが高級ホテル、丁寧に対応してもらい自由に鑑賞出来て、今度は宿泊してみようという気になります。おかげで近代庭園の先駆者と言われる七代目小川治兵衛(植治)とその息子・八代目小川白楊の晩年の遺作ともなる2つの庭園と、この名庭園が何故ここにあるのかの疑問が明治の「吉水園」から続く都ホテルの変遷とともに解明され、気分スッキリで大満足です。
また、当日は毎月21日の「弘法市」(弘法さん)の日にあたり、かねてから骨とう品を探していたこともあって寄ってみましたが、残念ながら午後からが雨模様で早めに店じまいするところが多く、十分な探索をすることが出来なかったので、あらためて「終い弘法」か「初弘法」に行きたいと思います。
今回も、なかなか行けないホテル内で明治大正時代の小川治兵衛親子の名庭を見て、明治37年創業の老舗大衆食堂でランチし、平安遷都時から脈々と続いている東寺の「弘法市」に寄って、京都の歴史は深い!と感じた1日でした。

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  • 散歩コース:地下鉄蹴上駅~9:30徒歩200m5分「ウェスティン都ホテル」~1.6km30分11:30三条駅ランチ~地下鉄京都駅~14:00徒歩1km20分「東寺」

    散歩コース:地下鉄蹴上駅~9:30徒歩200m5分「ウェスティン都ホテル」~1.6km30分11:30三条駅ランチ~地下鉄京都駅~14:00徒歩1km20分「東寺」

  • 蹴上(けあげ)の「ウェスティン都ホテル京都」に到着、「都ホテル」は近鉄系の都ホテルグループ発祥地で、京都の伝統と格式ある迎賓館としての位置づけだったので、結婚式に選ぶケースも多く、はるか昔に会社の部下の結婚式に来て以来の来訪だったが、最近のリニューアルで大きく変貌していた

    蹴上(けあげ)の「ウェスティン都ホテル京都」に到着、「都ホテル」は近鉄系の都ホテルグループ発祥地で、京都の伝統と格式ある迎賓館としての位置づけだったので、結婚式に選ぶケースも多く、はるか昔に会社の部下の結婚式に来て以来の来訪だったが、最近のリニューアルで大きく変貌していた

  • ティーラウンジに行くと朝食中の外国人宿泊客でいっぱい<br />「ウェスティン都ホテル京都」は、琵琶湖疏水着工で明治天皇を迎えた明治23年(1890)に豪商・西村仁兵衛らによって保養遊園地「吉水園」(よしみずえん)として開業し、その10年後に洋式のホテル「都ホテル」となり、1960年に村野藤吾設計による現在の本館が完成、1966年にウェスティンホテルズと業務提携し2002年現在の名前に変更 *「ウェスティン」はマリオットブランドの一つで、リッツカールトン、セントレジス、ラグジュアリーの最高級に次ぐマリオット、シェラトンと並ぶブランド

    ティーラウンジに行くと朝食中の外国人宿泊客でいっぱい
    「ウェスティン都ホテル京都」は、琵琶湖疏水着工で明治天皇を迎えた明治23年(1890)に豪商・西村仁兵衛らによって保養遊園地「吉水園」(よしみずえん)として開業し、その10年後に洋式のホテル「都ホテル」となり、1960年に村野藤吾設計による現在の本館が完成、1966年にウェスティンホテルズと業務提携し2002年現在の名前に変更 *「ウェスティン」はマリオットブランドの一つで、リッツカールトン、セントレジス、ラグジュアリーの最高級に次ぐマリオット、シェラトンと並ぶブランド

  • 事前に庭園を見たいことを確認し、レストランで最も安いコーヒーを頂いてから7階の庭園に案内される、コーヒー代1,900円! ちなみに宿泊して庭園を見るためには10万円~

    事前に庭園を見たいことを確認し、レストランで最も安いコーヒーを頂いてから7階の庭園に案内される、コーヒー代1,900円! ちなみに宿泊して庭園を見るためには10万円~

  • 「佳水園」(かすいえん)庭園は7階にある、こんなところに名庭園が隠れてあるとは、ビックリ! <br />

    「佳水園」(かすいえん)庭園は7階にある、こんなところに名庭園が隠れてあるとは、ビックリ! 

  • エレベータで7階に上がり案内に従って進み、ドアを開けて屋外に出て「佳水園」に入り、2つの庭園を見て「野鳥の森」へ、中腹まで登って引き返し、「可楽庵」を周る散策路を下り「葵殿」へ、庭園を巡ってホテル内に入るとココは5階、又エレベーターで7階に戻って先程スルーした「屋上庭園」へ

    エレベータで7階に上がり案内に従って進み、ドアを開けて屋外に出て「佳水園」に入り、2つの庭園を見て「野鳥の森」へ、中腹まで登って引き返し、「可楽庵」を周る散策路を下り「葵殿」へ、庭園を巡ってホテル内に入るとココは5階、又エレベーターで7階に戻って先程スルーした「屋上庭園」へ

  • 突き当り右方向が「佳水園」、左方向が「葵殿庭園」<br />7階にある「佳水園」からここに戻り、左方向に5階までの散策路を下ると「葵殿庭園」がある<br />

    突き当り右方向が「佳水園」、左方向が「葵殿庭園」
    7階にある「佳水園」からここに戻り、左方向に5階までの散策路を下ると「葵殿庭園」がある

  • 「佳水園」渡り廊下

    「佳水園」渡り廊下

  • 「モルガンお雪さんゆかりの灯篭」<br />「たびたび滞在した記念として1905年いただいた灯篭」と書いてある  *「モルガンお雪さん」とは、明治37年(1904)世界三大財閥の大富豪モルガン一族と結婚し「日本のシンデレラ」と呼ばれた女性で、 本名・加藤ゆき(1881-1963年81歳没)、14歳で芸妓となり明治34年当時30歳のジョージ・デニソン・モルガンと出会い当時4万円(8億円相当)という見受け金で引き取られ結婚、34歳のとき夫が44歳で死去し莫大な資産を得、フランスで悠々自適の生活を送るが、第二次世界大戦勃発前に昭和13年帰国、軍政下で財産を差し押さえられたが戦後遺産相続権を回復、71歳で夫を追ってキリスト教の洗礼を受けカトリック信者として遺産の殆どを衣笠の教会に寄附しひっそりと暮らし昭和38年81歳で死去、山科の伏見稲荷の奥宮とされる「折上稲荷神社」(おりがみいなりじんじゃ)は「働く女性の守り神」として厚く信仰され、祇園で働いていたお雪も熱心な信者の一人だったことから「玉の輿神社」として女性起業家や女性タレントらに人気、「玉の輿神社」は徳川五代将軍綱吉の母桂昌院の「お玉さん」がすぐ近くの八百屋で生まれ、大出世してから復興させた「今宮神社」と、お墓のある「善峯寺」が発祥

    「モルガンお雪さんゆかりの灯篭」
    「たびたび滞在した記念として1905年いただいた灯篭」と書いてある  *「モルガンお雪さん」とは、明治37年(1904)世界三大財閥の大富豪モルガン一族と結婚し「日本のシンデレラ」と呼ばれた女性で、 本名・加藤ゆき(1881-1963年81歳没)、14歳で芸妓となり明治34年当時30歳のジョージ・デニソン・モルガンと出会い当時4万円(8億円相当)という見受け金で引き取られ結婚、34歳のとき夫が44歳で死去し莫大な資産を得、フランスで悠々自適の生活を送るが、第二次世界大戦勃発前に昭和13年帰国、軍政下で財産を差し押さえられたが戦後遺産相続権を回復、71歳で夫を追ってキリスト教の洗礼を受けカトリック信者として遺産の殆どを衣笠の教会に寄附しひっそりと暮らし昭和38年81歳で死去、山科の伏見稲荷の奥宮とされる「折上稲荷神社」(おりがみいなりじんじゃ)は「働く女性の守り神」として厚く信仰され、祇園で働いていたお雪も熱心な信者の一人だったことから「玉の輿神社」として女性起業家や女性タレントらに人気、「玉の輿神社」は徳川五代将軍綱吉の母桂昌院の「お玉さん」がすぐ近くの八百屋で生まれ、大出世してから復興させた「今宮神社」と、お墓のある「善峯寺」が発祥

  • 「葵殿の鬼瓦」<br />大正4年(1915)に建てられた主食堂「葵殿」(あおいでん)の屋根に使われていたもので、平成2年(1990)の東館建設に伴いこの地に保存した、「葵殿」は東館内に宴会場として当時の姿そのままに再建されている、と書いてある

    「葵殿の鬼瓦」
    大正4年(1915)に建てられた主食堂「葵殿」(あおいでん)の屋根に使われていたもので、平成2年(1990)の東館建設に伴いこの地に保存した、「葵殿」は東館内に宴会場として当時の姿そのままに再建されている、と書いてある

  • 「佳水園」(かすいえん)正門<br />「佳水園」は、大正期の総理大臣・清浦奎吾(きようらけいご1850-1942)の別荘「喜寿庵」(きじゅあん)として1926年建立、死後に都ホテルに寄贈され、1959年この敷地に昭和を代表する建築家・村野藤吾(むらのとうご)によって宿泊施設として新たに建立、さらに最近2020年リニューアルされた *この別荘の地を推薦された都ホテル元社長・藤村義朗とのご縁があったらしい<br />

    「佳水園」(かすいえん)正門
    「佳水園」は、大正期の総理大臣・清浦奎吾(きようらけいご1850-1942)の別荘「喜寿庵」(きじゅあん)として1926年建立、死後に都ホテルに寄贈され、1959年この敷地に昭和を代表する建築家・村野藤吾(むらのとうご)によって宿泊施設として新たに建立、さらに最近2020年リニューアルされた *この別荘の地を推薦された都ホテル元社長・藤村義朗とのご縁があったらしい

  •  「佳水園」は、「ホテルの中の和風旅館」で、正面からは見えないホテルの奥の高低差のある崖っぷちに造られた数寄屋風建物で、京都市街を一望できる大自然の中に、庭を囲んで天然温泉の檜の風呂や木の香りがさわやかな部屋が12室あり、ホテルと旅館の両方の魅力を併せ持ち、当時の「吉水園」を復元しているという *正門の佳水園のサインは醍醐寺の座主による揮毫という<br />

    「佳水園」は、「ホテルの中の和風旅館」で、正面からは見えないホテルの奥の高低差のある崖っぷちに造られた数寄屋風建物で、京都市街を一望できる大自然の中に、庭を囲んで天然温泉の檜の風呂や木の香りがさわやかな部屋が12室あり、ホテルと旅館の両方の魅力を併せ持ち、当時の「吉水園」を復元しているという *正門の佳水園のサインは醍醐寺の座主による揮毫という

  • 「佳水園」に入ると右側に自然の岩盤を活かした「池泉庭園」と、突き当り左側に白砂と苔の「枯山水庭園」がある<br />

    「佳水園」に入ると右側に自然の岩盤を活かした「池泉庭園」と、突き当り左側に白砂と苔の「枯山水庭園」がある

  • 「池泉庭園」は、大正期の総理大臣・清浦奎吾の別荘「喜寿庵」庭園として、7代目小川治兵衛の長男・白楊(はくよう)により大正14年(1925年)に作庭された、自然の岩盤をそのまま活かし、そこに生えていた松などもそのままにして、琵琶湖疏水の水を引き入れ崖の上から水を流して見事な滝流れを作っている

    「池泉庭園」は、大正期の総理大臣・清浦奎吾の別荘「喜寿庵」庭園として、7代目小川治兵衛の長男・白楊(はくよう)により大正14年(1925年)に作庭された、自然の岩盤をそのまま活かし、そこに生えていた松などもそのままにして、琵琶湖疏水の水を引き入れ崖の上から水を流して見事な滝流れを作っている

  • 白楊はこの「喜寿庵」の庭の完成後間もなく1926年44歳の若さで亡くなり、父の7代目小川治兵衛(植治)も、「葵殿庭園」を明治37年、大正4年、昭和8年の3度にわたり作庭し、庭の完成直前の1933年73歳で亡くなったため、この都ホテルの2つの庭園は、植治父子2人の遺作となり極めて貴重

    白楊はこの「喜寿庵」の庭の完成後間もなく1926年44歳の若さで亡くなり、父の7代目小川治兵衛(植治)も、「葵殿庭園」を明治37年、大正4年、昭和8年の3度にわたり作庭し、庭の完成直前の1933年73歳で亡くなったため、この都ホテルの2つの庭園は、植治父子2人の遺作となり極めて貴重

  • 「小川治兵衛」は、江戸時代中期から続く日本庭園の庭師で、特に七代目 小川治兵衛が国の名勝とされる庭園を多く残し近代庭園の先駆者と言われている *初代1751-1763、7代目源之助・植治(1860~1933)、8代目保太郎・白楊(1882~1926)、現在は11代目雅史(1942~)、7代目の代表作はこの岡崎・南禅寺界隈に多数あり、平安神宮神苑、円山公園、山県有朋邸・無鄰庵(むりんあん)、並河靖之邸・七宝念舘(なみかわやすゆき)、何有荘(かいうそう)、碧南荘(へきうんそう)、市田弥一郎邸・對龍山荘(たいりゅうさんそう)など

    「小川治兵衛」は、江戸時代中期から続く日本庭園の庭師で、特に七代目 小川治兵衛が国の名勝とされる庭園を多く残し近代庭園の先駆者と言われている *初代1751-1763、7代目源之助・植治(1860~1933)、8代目保太郎・白楊(1882~1926)、現在は11代目雅史(1942~)、7代目の代表作はこの岡崎・南禅寺界隈に多数あり、平安神宮神苑、円山公園、山県有朋邸・無鄰庵(むりんあん)、並河靖之邸・七宝念舘(なみかわやすゆき)、何有荘(かいうそう)、碧南荘(へきうんそう)、市田弥一郎邸・對龍山荘(たいりゅうさんそう)など

  • 天然の岩盤に滝石組を造り、琵琶湖疎水から引き入れた滝流れのある庭園がビルの7階にあるというのは、ココしかない!

    天然の岩盤に滝石組を造り、琵琶湖疎水から引き入れた滝流れのある庭園がビルの7階にあるというのは、ココしかない!

  • 「枯山水庭園」は、昭和を代表する建築家の村野藤吾(むらの とうご)が「喜寿庵」(きじゅあん)を宿泊施設として昭和34年(1959年)に和風旅館「佳水園」を建立する際に部屋のどこからでも見える中庭として作った、不覚にも予備知識もなく行ったので分からなかったが、白砂の中にある苔の島は「円と瓢箪」が描かれており、「佳水園」のシンボルとなる瓢箪(ひょうたん)を取り入れて「醍醐寺三宝院の庭」を模して造られているという *「村野藤吾」(1891-1984)は、日本建築家協会会長も務めた昭和を代表する建築家、佐賀県生まれで八幡製鉄所に入ったが、早稲田で建築を学び、大阪を拠点にモダニズム建築の作品を多く残した、広島世界平和記念聖堂、日生劇場、大阪新歌舞伎座、日本生命日比谷ビル、宝塚カトリック教会、兵庫県立近代美術館、箱根プリンスホテル、新高輪プリンスホテルなど

    「枯山水庭園」は、昭和を代表する建築家の村野藤吾(むらの とうご)が「喜寿庵」(きじゅあん)を宿泊施設として昭和34年(1959年)に和風旅館「佳水園」を建立する際に部屋のどこからでも見える中庭として作った、不覚にも予備知識もなく行ったので分からなかったが、白砂の中にある苔の島は「円と瓢箪」が描かれており、「佳水園」のシンボルとなる瓢箪(ひょうたん)を取り入れて「醍醐寺三宝院の庭」を模して造られているという *「村野藤吾」(1891-1984)は、日本建築家協会会長も務めた昭和を代表する建築家、佐賀県生まれで八幡製鉄所に入ったが、早稲田で建築を学び、大阪を拠点にモダニズム建築の作品を多く残した、広島世界平和記念聖堂、日生劇場、大阪新歌舞伎座、日本生命日比谷ビル、宝塚カトリック教会、兵庫県立近代美術館、箱根プリンスホテル、新高輪プリンスホテルなど

  • 素晴らしいのは、右手に見える小川白楊の池泉庭園をそのまま取り込み、岸壁から流れる琵琶湖からの水をお酒に見立て、「円」のお猪口と「瓢箪」の徳利でうけるというデザインになっているという、池泉庭園と枯山水庭園を融合した見事な庭園で、説明を受けないと分からない! 

    素晴らしいのは、右手に見える小川白楊の池泉庭園をそのまま取り込み、岸壁から流れる琵琶湖からの水をお酒に見立て、「円」のお猪口と「瓢箪」の徳利でうけるというデザインになっているという、池泉庭園と枯山水庭園を融合した見事な庭園で、説明を受けないと分からない! 

  • 「野鳥の森・探鳥路」<br />佳水園のさらに奥の裏山・華頂山一帯にバードウォッチングや森林浴が楽しめる散策コースがあり、お稲荷さん「御百稲荷」や見晴台もある

    「野鳥の森・探鳥路」
    佳水園のさらに奥の裏山・華頂山一帯にバードウォッチングや森林浴が楽しめる散策コースがあり、お稲荷さん「御百稲荷」や見晴台もある

  • 途中の木々の隙間から平安神宮の鳥居

    途中の木々の隙間から平安神宮の鳥居

  • 途中まで上がったが、雨も降ってきたので中腹で引返す

    途中まで上がったが、雨も降ってきたので中腹で引返す

  • 鳥居の手前にあった「地蔵菩薩」(都のお地蔵さん)<br />平安末期京都への出入り口は7つの「京の七口」があり、この付近はその一つ東海道の入り口で粟田口と呼ばれ、出入りを守るお地蔵さんが安置されていた、このホテルの敷地内は東海道が通っておりたくさんのお地蔵さんが見つかったので、お客さんと従業員の平穏安全を願ってここにお祀りしている、と書いてある<br />

    鳥居の手前にあった「地蔵菩薩」(都のお地蔵さん)
    平安末期京都への出入り口は7つの「京の七口」があり、この付近はその一つ東海道の入り口で粟田口と呼ばれ、出入りを守るお地蔵さんが安置されていた、このホテルの敷地内は東海道が通っておりたくさんのお地蔵さんが見つかったので、お客さんと従業員の平穏安全を願ってここにお祀りしている、と書いてある

  • 佳水園の正門手前の入り口を入ると、

    佳水園の正門手前の入り口を入ると、

  • 「御百稲荷」がこの地にあった頃、使われていた御神水の井戸

    「御百稲荷」がこの地にあった頃、使われていた御神水の井戸

  • 「御百稲荷元鎮座の地」<br />元はこの地にあって、旧東海道を往来する人々の崇敬を集めていた「御百稲荷」は、駐留軍接収中に山の中腹に移された、と書いてある

    「御百稲荷元鎮座の地」
    元はこの地にあって、旧東海道を往来する人々の崇敬を集めていた「御百稲荷」は、駐留軍接収中に山の中腹に移された、と書いてある

  • 元に戻って茶室「可楽庵」方面へ

    元に戻って茶室「可楽庵」方面へ

  • アップダウンのある散策路を進む

    アップダウンのある散策路を進む

  • この辺りの石段にも庭園としての気遣いがあり美しい

    この辺りの石段にも庭園としての気遣いがあり美しい

  • 「葵殿庭園」は、裏山の華頂山の斜面に元々あったモミジやアセビ、シダ類の自然を活かし、滋賀県から運んだ守山石や多様な灯篭を多数配置している<br />

    「葵殿庭園」は、裏山の華頂山の斜面に元々あったモミジやアセビ、シダ類の自然を活かし、滋賀県から運んだ守山石や多様な灯篭を多数配置している

  • やっと「葵殿庭園」の案内板

    やっと「葵殿庭園」の案内板

  • 休憩して、さらに進むと「葵殿庭園」へ導かれる

    休憩して、さらに進むと「葵殿庭園」へ導かれる

  • 茶室「可楽庵」(からくあん)<br />1グループ5名、50,000円で「茶道」を楽しめる

    茶室「可楽庵」(からくあん)
    1グループ5名、50,000円で「茶道」を楽しめる

  • 「葵殿庭園」は、先ほどの「喜寿庵庭園」を造った「小川白楊」の父・七代目「小川治兵衛(植治)」が「葵殿」が建てられる以前の明治37年(1904)に最初の作庭を行い、「葵殿」が建てられた大正4年(1915)に改修され、更に昭和8年(1933)に「可楽庵」が造営された時に再び改修された、植治は直前まで作庭を続けたが完成を待たず亡くなった、文字通り最後の作品

    「葵殿庭園」は、先ほどの「喜寿庵庭園」を造った「小川白楊」の父・七代目「小川治兵衛(植治)」が「葵殿」が建てられる以前の明治37年(1904)に最初の作庭を行い、「葵殿」が建てられた大正4年(1915)に改修され、更に昭和8年(1933)に「可楽庵」が造営された時に再び改修された、植治は直前まで作庭を続けたが完成を待たず亡くなった、文字通り最後の作品

  • 散策路に出てくる多様な「灯篭」が楽しい!<br />「八角形埋け込み灯籠」(いけこみ):灯籠の基礎がなく柱を埋め込んでいる<br />

    散策路に出てくる多様な「灯篭」が楽しい!
    「八角形埋け込み灯籠」(いけこみ):灯籠の基礎がなく柱を埋め込んでいる

  • 「鎌倉時代風石灯篭」<br />灯籠は仏教の伝来とともに中国から伝わり、奈良時代には寺社の献灯として使われ、平安時代以降、灯火具として宮中や貴族の邸宅、神社などで使われ、江戸時代には庭園や庶民の家の庭にも観賞用の石灯籠が置かれるようになる、その後室内用は行灯(あんどん)、携帯用は提灯と分化した

    「鎌倉時代風石灯篭」
    灯籠は仏教の伝来とともに中国から伝わり、奈良時代には寺社の献灯として使われ、平安時代以降、灯火具として宮中や貴族の邸宅、神社などで使われ、江戸時代には庭園や庶民の家の庭にも観賞用の石灯籠が置かれるようになる、その後室内用は行灯(あんどん)、携帯用は提灯と分化した

  • 「石抱きの椎の木」 

    「石抱きの椎の木」 

  • 「椎の木の大木」樹齢不明

    「椎の木の大木」樹齢不明

  • 「雲井の滝」へ

    「雲井の滝」へ

  • 「石幢型石灯篭」(せきどうがた):火袋に仏像が刻まれている

    「石幢型石灯篭」(せきどうがた):火袋に仏像が刻まれている

  • 「小川治兵衛(植治)の庭」<br />「庭園デザインの特徴は、東山の自然との融合を心掛けながら琵琶湖疎水の水を用いて躍動的な滝の流れを表現したことにある、流れを飛石で渡る「沢飛び」の手法や、琵琶湖西側から疎水船で効率的に運ばれてきた縞模様の美しい守山石(比良石)、あるいは石橋や石灯篭などが効果的に配置されていることにご注目ください」と書いてある、守山石や高い木のモミジ、低い木のサツキツツジなどは他の京都の庭園でもよく使われており「植治様式」

    「小川治兵衛(植治)の庭」
    「庭園デザインの特徴は、東山の自然との融合を心掛けながら琵琶湖疎水の水を用いて躍動的な滝の流れを表現したことにある、流れを飛石で渡る「沢飛び」の手法や、琵琶湖西側から疎水船で効率的に運ばれてきた縞模様の美しい守山石(比良石)、あるいは石橋や石灯篭などが効果的に配置されていることにご注目ください」と書いてある、守山石や高い木のモミジ、低い木のサツキツツジなどは他の京都の庭園でもよく使われており「植治様式」

  • 「雲井の滝」:別荘「喜寿庵」の持ち主で元総理大臣の清浦奎吾命名<br />「滝を見上げると、その名の通り空から滝水が落下してくるような錯覚に陥る」と書いている、琵琶湖から運ばれた縞模様の守山石(比良石)を使い、琵琶湖疎水から引き入れた水を使った三段落としの滝石組は、小川治兵衛最晩年の傑作

    「雲井の滝」:別荘「喜寿庵」の持ち主で元総理大臣の清浦奎吾命名
    「滝を見上げると、その名の通り空から滝水が落下してくるような錯覚に陥る」と書いている、琵琶湖から運ばれた縞模様の守山石(比良石)を使い、琵琶湖疎水から引き入れた水を使った三段落としの滝石組は、小川治兵衛最晩年の傑作

  • この「埋め込み型灯篭」も、錆っぽく、苔っぽい色が周りに溶け込んで見事!

    この「埋め込み型灯篭」も、錆っぽく、苔っぽい色が周りに溶け込んで見事!

  • 「童橋」(わらべばし)<br />2枚の切石を噛み合わている、橋に小さい凹みがあるのは子供がままごとで草餅をついた跡、と書いている

    「童橋」(わらべばし)
    2枚の切石を噛み合わている、橋に小さい凹みがあるのは子供がままごとで草餅をついた跡、と書いている

  • この辺から「葵殿」に近づく

    この辺から「葵殿」に近づく

  • 「滝見の石」

    「滝見の石」

  • 「滝の鏡石」<br />滝石組の中央にはは斜めに走る曲線が見事な巨石があり、これを「鏡石」又は「水落石」(みずおちいし)ともいう、この石の表面の肌合や立て方によって水の落ち方が決まる重要な石で、琵琶湖疎水船で運ばれた植治好みの「守山石」を使っているという

    「滝の鏡石」
    滝石組の中央にはは斜めに走る曲線が見事な巨石があり、これを「鏡石」又は「水落石」(みずおちいし)ともいう、この石の表面の肌合や立て方によって水の落ち方が決まる重要な石で、琵琶湖疎水船で運ばれた植治好みの「守山石」を使っているという

  • これも「置き灯篭」の一つだと思うが、周りに溶け込んでいるのが素晴らしい!

    これも「置き灯篭」の一つだと思うが、周りに溶け込んでいるのが素晴らしい!

  • 「三光燈籠」(さんこうとうろう)<br />「三光灯籠」とは舟着場に置いて舟の乗降で足元を照らす燈篭で、日と三日月の火窓と別側には星型の火窓がある、これは桂離宮の茶室「笑意軒」(しょういけん)の船着き場に置かれており極めてレアな貴重品

    「三光燈籠」(さんこうとうろう)
    「三光灯籠」とは舟着場に置いて舟の乗降で足元を照らす燈篭で、日と三日月の火窓と別側には星型の火窓がある、これは桂離宮の茶室「笑意軒」(しょういけん)の船着き場に置かれており極めてレアな貴重品

  • ここにも灯篭が、と思ったら、

    ここにも灯篭が、と思ったら、

  • 「流れ蹲踞」(つくばい)<br />水が流れてくる中央の大きな丸い石が手や口を清める水を張った「手水鉢」(ちょうずばち)で、右手の丸石が「湯桶石」(ゆとういし)と呼ばれる茶室で使う湯桶を置く石、これらをまとめて「蹲踞」と呼ぶ、一般的に「蹲踞」は茶室に置かれている背の低い「手水鉢」

    「流れ蹲踞」(つくばい)
    水が流れてくる中央の大きな丸い石が手や口を清める水を張った「手水鉢」(ちょうずばち)で、右手の丸石が「湯桶石」(ゆとういし)と呼ばれる茶室で使う湯桶を置く石、これらをまとめて「蹲踞」と呼ぶ、一般的に「蹲踞」は茶室に置かれている背の低い「手水鉢」

  • 左手が「葵殿」

    左手が「葵殿」

  • 「葵殿」への入り口に灯篭と、面白い「手水鉢」がある

    「葵殿」への入り口に灯篭と、面白い「手水鉢」がある

  • 「四方仏手水鉢」(しほうぶつちょうずばち)<br />石塔の塔身を転用したもので、四面に仏体が刻まれている ところから、四方仏の蹲踞と呼ばれている、茶人の間では露地に四方仏の手水鉢を置くことが大変愛好された

    「四方仏手水鉢」(しほうぶつちょうずばち)
    石塔の塔身を転用したもので、四面に仏体が刻まれている ところから、四方仏の蹲踞と呼ばれている、茶人の間では露地に四方仏の手水鉢を置くことが大変愛好された

  • 「葵殿」の出入口から庭園を振り返ると、大小の色々な自然石を使った石敷きの路地風の延段(通路)が美しい<br />

    「葵殿」の出入口から庭園を振り返ると、大小の色々な自然石を使った石敷きの路地風の延段(通路)が美しい

  • 「葵殿」の5階から再び7階へ上り「屋上庭園」へ進む

    「葵殿」の5階から再び7階へ上り「屋上庭園」へ進む

  • まっすぐ進むとチャペルで、右側が「屋上庭園」

    まっすぐ進むとチャペルで、右側が「屋上庭園」

  • 突き当りの「チャペル」、手前に控室や打ち合わせ室などの部屋がある

    突き当りの「チャペル」、手前に控室や打ち合わせ室などの部屋がある

  • 途中の橋を渡って「屋上庭園」へ

    途中の橋を渡って「屋上庭園」へ

  • 「屋上庭園」は7階の高さに四季折々の草花が植えられている<br /><br /><br /><br />

    「屋上庭園」は7階の高さに四季折々の草花が植えられている



  • 専属の庭師さんが5名ほどいると聞いたが、この維持費も入った宿泊料になると、コーヒー1杯1,900円も納得か?

    専属の庭師さんが5名ほどいると聞いたが、この維持費も入った宿泊料になると、コーヒー1杯1,900円も納得か?

  • 全部に名札がついているので勉強になる

    全部に名札がついているので勉強になる

  • 蹴上の東山中腹にあるビル7階で、おそらく標高160mほどから比叡山を望む京都市内の眺望が広がる、正面に平安神宮の鳥居、その右手に金戒光明寺の文殊塔が見える

    蹴上の東山中腹にあるビル7階で、おそらく標高160mほどから比叡山を望む京都市内の眺望が広がる、正面に平安神宮の鳥居、その右手に金戒光明寺の文殊塔が見える

  • 反対側には今見てきた「佳水園」

    反対側には今見てきた「佳水園」

  • ホテルを出て三条駅まで歩いてランチ、11:30開店5分前に来たが既に並んでいた! 人気店「篠田屋」は、明治37年創業、今年で119年目を迎える老舗大衆食堂で、4代目ご夫婦とお母さんの3人でやっているらしい

    ホテルを出て三条駅まで歩いてランチ、11:30開店5分前に来たが既に並んでいた! 人気店「篠田屋」は、明治37年創業、今年で119年目を迎える老舗大衆食堂で、4代目ご夫婦とお母さんの3人でやっているらしい

  • 並んで待っていた人ですぐに満席、ガイドブックを見たのか外国人観光客もいた

    並んで待っていた人ですぐに満席、ガイドブックを見たのか外国人観光客もいた

  • 名物はここでしか味わえない「皿盛」(さらもり)<br />カツカレーのように見えるが、カレールーでなくカレーうどんの餡かけ出汁をかける、裏メニューが名物になったらしい

    名物はここでしか味わえない「皿盛」(さらもり)
    カツカレーのように見えるが、カレールーでなくカレーうどんの餡かけ出汁をかける、裏メニューが名物になったらしい

  • ココの名物は「皿盛」ともう一つ昔ながらの「中華そば」<br />隣の常連さんらしき人が「中華そば」と「カレーうどん」を食べていて、美味しそうだったので、「中華そば」を追加注文

    ココの名物は「皿盛」ともう一つ昔ながらの「中華そば」
    隣の常連さんらしき人が「中華そば」と「カレーうどん」を食べていて、美味しそうだったので、「中華そば」を追加注文

  • 「東寺」へ移動し、東門から入る<br />「東寺」への入り口は、北総門、北大門、南大門、東門(慶賀門)、西門と弘法市の時のみ開く南門西側の穴門

    「東寺」へ移動し、東門から入る
    「東寺」への入り口は、北総門、北大門、南大門、東門(慶賀門)、西門と弘法市の時のみ開く南門西側の穴門

  • 「東寺・弘法市」(こうぼういち)<br />毎月21日に開催される東寺の「弘法市」は、毎月25日開催の北野天満宮「天神市」と並ぶ京の二大門前市で、境内に骨董品や古着、植木、漬物、干物、餅、甘納豆などありとあらゆる種類の露店が1,200店以上並び、特に1月21日の「初弘法」と12月21日の「終い弘法」は一段と盛り上がる、誰でも出店可能なフリーマーケットとは違い基本的にプロが出店しており、固定店舗を持つ近辺の店と全国の市を渡り歩く店とがある

    「東寺・弘法市」(こうぼういち)
    毎月21日に開催される東寺の「弘法市」は、毎月25日開催の北野天満宮「天神市」と並ぶ京の二大門前市で、境内に骨董品や古着、植木、漬物、干物、餅、甘納豆などありとあらゆる種類の露店が1,200店以上並び、特に1月21日の「初弘法」と12月21日の「終い弘法」は一段と盛り上がる、誰でも出店可能なフリーマーケットとは違い基本的にプロが出店しており、固定店舗を持つ近辺の店と全国の市を渡り歩く店とがある

  • 「弘法市」(弘法さん)の歴史<br />真言宗の開祖で東寺を拠点として発展させた弘法大師・空海が835年3月21日入定(にゅうじょう:死亡)した後、1240年から毎月の命日21日に御影供(みえく)という法要が行われ多くの人々が参詣に訪れるようになり、参拝者のために「一銭一服」のための茶屋が店を開くようになったのが起源で、江戸時代になると茶店だけでなく様々な商品を扱う露店が出るようになり賑やかな弘法市へと発展していき、明治以降も弘法大師信仰のみでなく市場を目当てに多くの人が毎月21日に集まるようになり、戦前の最盛期には物販や飲食だけでなく芝居小屋や大道芸などの露店も含め1,000店を超える露店が出るようになった

    「弘法市」(弘法さん)の歴史
    真言宗の開祖で東寺を拠点として発展させた弘法大師・空海が835年3月21日入定(にゅうじょう:死亡)した後、1240年から毎月の命日21日に御影供(みえく)という法要が行われ多くの人々が参詣に訪れるようになり、参拝者のために「一銭一服」のための茶屋が店を開くようになったのが起源で、江戸時代になると茶店だけでなく様々な商品を扱う露店が出るようになり賑やかな弘法市へと発展していき、明治以降も弘法大師信仰のみでなく市場を目当てに多くの人が毎月21日に集まるようになり、戦前の最盛期には物販や飲食だけでなく芝居小屋や大道芸などの露店も含め1,000店を超える露店が出るようになった

  • 「弘法市」の露店は、入り口慶賀門の西側から食堂(じきどう)、講堂、金堂、南大門、北大門から北総門の通りなど境内一円と、さらに南大門から出た九条通り沿いなど全て有料区域以外に所せましと並ぶ、特に骨董品店が集中的に並ぶのは金堂周りで比較的価格帯が高めの店が多いが、これらの配置は全て「東寺出店運営委員会」が管理しているという

    「弘法市」の露店は、入り口慶賀門の西側から食堂(じきどう)、講堂、金堂、南大門、北大門から北総門の通りなど境内一円と、さらに南大門から出た九条通り沿いなど全て有料区域以外に所せましと並ぶ、特に骨董品店が集中的に並ぶのは金堂周りで比較的価格帯が高めの店が多いが、これらの配置は全て「東寺出店運営委員会」が管理しているという

  • 東寺で最も大きい「南大門」の前にも<br />「南大門」は、1601年豊臣秀頼により京の大仏の「方広寺」に組み込まれていた「三十三間堂」の西大門として建てられた八脚門を、明治28年(1895)に移築したもので、幅18m高さ13mは東寺で最も大きく、九条通りを走るといい目印になる

    東寺で最も大きい「南大門」の前にも
    「南大門」は、1601年豊臣秀頼により京の大仏の「方広寺」に組み込まれていた「三十三間堂」の西大門として建てられた八脚門を、明治28年(1895)に移築したもので、幅18m高さ13mは東寺で最も大きく、九条通りを走るといい目印になる

  • 「東寺」(とうじ)世界遺産<br />平安遷都(794年)時、平安京の正門・羅城門の東西に「東寺」と「西寺」を左京と右京を守る王城鎮護のため、さらに東国と西国を守る国家鎮護のために官立寺院として創建され、20数年後の823年桓武天皇の後の嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜(かし)され真言密教の根本道場として栄え、現存する唯一の平安京の遺構、京都のシンボルとなっている「五重塔」は、高さ55mで木造塔として日本一の高さを誇る *京都の4大「五重塔」は、東寺55m、八坂の塔(法観寺)46m、醍醐寺38m、仁和寺36m

    「東寺」(とうじ)世界遺産
    平安遷都(794年)時、平安京の正門・羅城門の東西に「東寺」と「西寺」を左京と右京を守る王城鎮護のため、さらに東国と西国を守る国家鎮護のために官立寺院として創建され、20数年後の823年桓武天皇の後の嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜(かし)され真言密教の根本道場として栄え、現存する唯一の平安京の遺構、京都のシンボルとなっている「五重塔」は、高さ55mで木造塔として日本一の高さを誇る *京都の4大「五重塔」は、東寺55m、八坂の塔(法観寺)46m、醍醐寺38m、仁和寺36m

  • いきなり「巳は身を助け守る」白蛇天龍

    いきなり「巳は身を助け守る」白蛇天龍

  • 午後から雨予報ということもあり店舗数は少なめで、早くもたたみかけている店も多い

    午後から雨予報ということもあり店舗数は少なめで、早くもたたみかけている店も多い

  • どこに行っても外国人が多い

    どこに行っても外国人が多い

  • お目当ての骨董店はいつもだったら300店くらいあるらしいが、今日は少ない

    お目当ての骨董店はいつもだったら300店くらいあるらしいが、今日は少ない

  • じっくり見たら掘り出し物がありそうな気がする

    じっくり見たら掘り出し物がありそうな気がする

  • 民芸品も

    民芸品も

  • 帰りはいつもの「スタバ」で休憩

    帰りはいつもの「スタバ」で休憩

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