2023/03/09 - 2023/03/09
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Bachさん
3月の月一京町散歩は1200年昔の「平安京」にあった碁盤の目の通りをたどる「平安京散歩」第1弾です。先月から阪急旅行社がオンライン旅行と称して「京の町・平安京さんぽ~大路小路を歩く」という企画を始めたので、早速これに乗っかかりバーチャルでなくリアルに歩いて見ることにします。
平安京は794年中国・唐の長安をモデルにした「条坊制」(じょうぼうせい)と呼ばれる東西の「条」と南北の「坊」という通りで区切られた碁盤の目のようなカタチをしていますが、途中で応仁の乱や秀吉の聚楽第、家康の二条城など1200年の歴史を経て変わった部分もあるものの、大部分はそのまま残っており、特にその歴史の詰まった通り名を見ながら歩くのも京都観光の魅力の一つです。
碁盤の目は東西4.5km、南北5.2kmの大きさで、ウォーキングにはちょうどお手頃のコースになっており、特に東西の一条大路から九条大路は分かりやすい通りなので、まずは「一条大路」から開始することにします。
「一条大路」は平安京最北にあたり洛中と洛外の境界とされた通りで、今回は西の妙心寺前から東の烏丸通りまで直線で3.5km、散歩コースで9.0kmを歩き、途中には平安京の中枢となる「大内裏」や、秀吉の「聚楽第」などの遺構や現在の京都御所との位置関係など初めての発見もあって、椿や桜の季節には少し早かったものの最後に「一条戻り橋」の河津桜(表紙写真)を見ることが出来て、今後の「九条大路」までの「平安京さんぽ」の楽しみを十分に期待させるウォーキングでした。
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散歩ルート:嵐電北野白梅町~1.0km妙心寺北門~1.0km地蔵院(椿寺)~170m成願寺(桜)~大将軍商店街・妖怪ストリート~大将軍八神社)~400m宥清寺(ゆうせいじ)~120m長五郎餅本舗~650m(2.4km)浄福寺~智恵光院~聚楽第跡~黒田如水邸跡~千利休屋敷址~1.1km(3.5km)晴明神社~一条戻橋~本田味噌本店~0.8km(4.4km)虎屋菓寮一条店~3.0km河原町三条 合計9.0kmのウォーキング
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「平安京」は東西4.5km、南北5,2kmで、一条大路と二条大路の間に「大内裏」(だいだいり)と「内裏」(だいり)があるが、10年以上も続いた応仁の乱で跡形も残っていない *「内裏」は天皇が住む宮殿(皇居、御所)で東西200m、南北300m、「大内裏」は内裏と周囲の官庁を築地で囲んだ区域で東西1.2km、南北1.4km
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現在の地図に俯瞰すると、一条通と二条通間にある「大内裏」の二条大路側の「朱雀門」から九条大路の「羅城門」までが「朱雀大路」で現在の千本通、「大内裏」の中の「内裏」が鎌倉時代に現在の「京都御所」がある烏丸通側に移り、明治になって荒廃したが明治10年から整備され昭和22年には国民公園として開放された(東西254m、南北453m)
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「平安京」は「条坊制」(じょうぼうせい)と呼ばれる東西の「条」と南北の「坊」という通りで区切られた碁盤の目のようなカタチをしていて、東西に13本の大路と26本の小路、南北に11本の大路と22本の小路があり、江戸時代の頃からこれを数え歌で覚えるのが京都人の証になっていて、いろんなバージョンがある
*京の数え歌(東西)
一条戻り橋、二条の生薬(きぐすり)屋、三条酒屋に(みすや針:縫い針)、四条の芝居(南座)、五条の橋弁慶に、六条の本願寺(数珠や町)、七条の米相場に(お芋掘りorそば屋)に八条のお百姓(竹の子堀、九条東寺の塔(おねぎ)、十条羅生門
*京の通り唄(東西):一条がないのは御所があるから?
まるたけえびすにおしおいけ:丸(太町)竹(屋町)夷(川)二(条)押(小路)御池/あねさんろっかくたこにしき:姉(小路)三(条)六角蛸(薬師)錦(小路)/しあやぶったかまつまんごじょう:四(条)綾(小路)仏(光寺)高(辻)松(原)万(寿寺)五条)/せったちゃらちゃらうおんたな:雪駄(屋町;現・楊梅通)ちゃら(鍵屋町)ちゃら(銭屋町)魚の棚(六条通の別名)/ろくじょうさんてつとおりすぎ:六条三哲(現・塩小路)通りすぎ/しちじょうこえればはちくじょう:七条越えれば 八九条/じゅうじょうとうじでとどめさす:十条東寺で とどめさす)
*京の通り戯れ歌(東西)
坊さん頭は(丸太町)、つるっとすべって(竹屋町)、水の流れは(夷川)、(二条)で買うた生薬を、ただでやるのは惜し(押小路)、(御池)で出逢うた姉さんに(姉小路・三条)、六銭もろて蛸買うて(六角・蛸薬師)、錦で落としてしかられて(錦小路・四条)、綾まったけど仏々と(綾小路・仏光寺)、高がしれてる松どしたろ;まどす・弁償したろ(高辻・松原) -
まずは、嵐電・北野白梅町近くのモーニングセットが自慢の喫茶店で腹ごなし
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「妙心寺北門」
室町時代の1342年花園天皇の勅願により創建、3,400の寺院を持つ臨済宗妙心寺派の大本山で日本最大の禅寺、徹底した組織運営で巨大寺院になったため「算盤面」(そろばんづら)と言われる
*大徳寺の茶面(ちゃづら)、南禅寺の武家面(ぶけづら)、相国寺の声明面(しょうみょうづら)、建仁寺の学問面(がくもんづら)、東福寺の伽藍面(がらんづら) -
広大な敷地に塔頭の数46は全国一で、東福寺25や大徳寺22、南禅寺12などと比べてもとび抜けて多く、その中でも「退蔵院」「桂春院」「大心院」「東林院」「大法院」など美しく有名な庭園が多い!
*http://shokyoto-kyoto.seesaa.net/ -
妙心寺北門前の「亀屋重久」
享和二年(1802年)創業、妙心寺内だけでなく、仁和寺、神護寺でも御用達 -
「馬代一条」(ばだい)交差点
馬代通(ばだいどおり)は、平安時代と同じ名で呼ばれる数少ない通りの1つで、馬の治療や馬の売買が行われていたか? -
「衣笠繊維研究所」
後で分かったことだが、この建物は「衣笠会館」といって明治後期の赤煉瓦住宅建築で京都の繊維産業を支えた象徴であり、歴史的遺産として高く評価され国登録有形文化財として一般公開されている -
大将軍商店街「妖怪ストリート」
西大路通りから中立売通りまで「大将軍八神社」前を通る一条通りの商店街が、捨てられた古い道具が妖怪になってこの辺りを出没したという平安時代からの伝説に基づき、町おこしのために「妖怪ストリート」と名付けて各種イベントをして盛り上げている -
「花屋の妖怪」
毎年10月の大将軍八神社の例祭(天門祭)前夜に、妖怪仮装行列や妖怪フリーマーケット「モノノケ市」など開催し賑わっているが、25体ほどあった妖怪も最近は12体ほどに半減し、ここでも高齢化や後継者不足による店じまいに見舞われているらしく、何とか継続して欲しい -
「コロッケ屋の妖怪」
妖怪は室町時代の御伽草子「百鬼夜行絵巻」に見られる「付喪神」(つくもがみ)と呼ばれる精霊で、人々が使用した道具は100年経つと精霊を得て妖怪になり町中を練り歩く -
「妖怪会館」
妖怪の解説などが展示されており、大将軍商店街通りは昔から妖怪たちが行列した「百鬼夜行」(ひゃっきやぎょう)の通り道であることが解説されている *平安時代の話、大掃除の後で都中の古道具が捨てられました、捨てられた古道具たちは集まって話し合いをします、「我々は長年ご奉公してきたというのに、感謝されないだけでなく、道端に捨てられ何と恨めしいことよ。こうなったら妖怪に変化して人間たちに仕返しをしてやろう」、そして節分の夜、百年以上生きた古道具たちはたちまち大変身、この妖怪に変化した古道具は自由気ままに振る舞い妖怪として生まれ変われたことに感謝しました、そして自分たちを妖怪にしてくれた神様に感謝を捧げるため祭礼行列を行い、一条通を西から東へと大行進します、これを「百鬼夜行」といいます -
「金魚屋の妖怪」
大将軍八神社で妖怪フリーマーケットが年に数回開催され、妖怪関連商品を売買する人々が全国から集まるという -
「薬屋の妖怪」
幽霊と妖怪の違いは、幽霊は死んだ人の霊、妖怪は人以外の動物や物から変化したもので奇怪現象や非日常的な存在 -
「パン屋の妖怪」
妖怪は、矛をかついだ青鬼、御幣を振りまわす赤鬼、沓(くつ)、琴、琵琶、鳥兜、笙、扇などの怪物、おはぐろをつけている女、おかめのような化物、鍋、釜、鉢、弓、五徳など様々 -
「魚屋の妖怪」
現代の妖怪「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪は199体! -
「地蔵院」:通称「つばき寺」
奈良時代726年に行基が聖武天皇の勅願により創建、平安時代に衣笠山麓に移されたが、室町時代に焼失したものを足利義満が金閣寺建立の余材を使って再建、さらに豊臣秀吉の命によって現在地に移された -
京都には「地蔵院」が2つあり、苔寺近くの地蔵院は「竹の寺」、大将軍の地蔵院は「椿寺」
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「五色八重散椿」(ごしきやえちりつばき)
北野大茶会のとき宿となったご縁で豊臣秀吉が寄進した、この椿は朝鮮出兵の際加藤清正が持ち帰ったというもの、当時の木は枯れ現在は樹齢120年の二世で、1本の木に濃淡様々な色合いの花が見られるれ、正岡子規の「椿寺の椿の花は散りてこそ」、速水御舟の屏風絵「名樹散椿」がある -
境内には枝垂桜もあり、椿と桜のコラボを期待したが、見頃は3月下旬~4月中旬らしい
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正面に地蔵堂があり、「鍬形地蔵」の名で信仰されている
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「鍬形地蔵」(くわがたじぞう)
この辺りに住む農民が自分の田んぼに水を強引に取り入れているのを僧から注意されたのに怒って鍬でその僧の顔を殴りつけ頬から血が流れ出たが、僧は少しも怒らなかったので深く懺悔の念にかられ、それからは村人とも仲良くなったと言われ、この僧の頬に鍬の傷跡があるので「鍬形地蔵」と称したという -
「散り椿」とも呼ばれ、椿は花が丸ごと落ちるが、これは椿の中では珍しく花弁が一枚ずつ散る *椿と山茶花の違いは、開花が10~12月山茶花、12~4月椿、花が平たく咲き、葉が小さくギザギザがあり毛があるのが山茶花、花がカップ状に咲き、葉が大きくギザギザがなく毛がないのが椿、花がバラバラに散るのが山茶花、丸ごと散るのが椿、但し「寒椿」は山茶花と椿の交配種で開花時期が早く花びらが一枚ずつ散るのでプロでも見分けは難しいらしい
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「成願寺」(じょうがんじ)
平安時代、菅原道真の死後「北野天満宮七保」(きたのしちほ)のひとつとして創建され、江戸時代から三井家の祈願所として三井家の庇護の下にある -
紅枝垂れ桜が美しい隠れスポット
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「大将軍八神社」(だいしょうぐんはちじんじゃ)
平安京造営の794年、桓武天皇が王城鎮護のために陰陽道によって大内裏(御所)の北西にあたる方角に厄災を除ける八将神の一柱として星神大将軍を祀る「大将軍堂」が創建され、江戸時代になって祭神の大将軍が素戔嗚尊(牛頭天王)と習合し、祭神も素戔嗚尊になった -
平安京は、風水や陰陽道などに基づいた町造りをしており、大将軍八神社はこれに則り平安京の「方除け」のために造られた、大将軍とは大陸伝来の陰陽道の方位神の一人・星神で、平安京に造られた東西南北4か所の大将軍社の中で「北西」に位置する「天門」と呼ばれ、北東の「鬼門」と同様に怨霊や災いは「天門」から入ってくると信じられている
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「北極星と八角の石柱」のモニュメント
大将軍神と関わりのある北極星と八卦(はっけ)の石碑で、「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」(けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん)の八文字が刻まれている、これらはそれぞれ「天・沢・火・雷・風・水・山・地」を象徴する -
「大将軍八神社」本殿
大将軍は建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神で、昔から天皇家や貴族達は何かを始める際にはまず陰陽師にそこが大将軍のいる方位にあたらないかどうかを調べてもらっていたといい、神社の多くは歴史の変遷に従い創建当初とは別の場所に移されるが、ここは神社の位置そのものに意味があったので場所は変わってない -
本殿の脇には「招霊の木」(おがたまのき)
神事になくてはならない「榊」(さかき)の木で、年中緑の葉を繁らせ強い生命力の象徴となっている -
本殿の裏手には「一願成就の大杉神社」
この地に古くからある地主神社で、一つだけ願いを叶えてくれる -
本殿の裏に発見!「船の碇」(いかり)
碇は縁起物として厄除けなどの願いを込めて神社に収められたとか -
「大将軍像」と「方徳殿」(ほうとくでん)
方徳殿には陰陽道に関係のある平安時代の80体の大将軍神像(重文)や陰陽師安倍晴明の「古天文暦道資料」に江戸時代天球儀もある、これだけ多数の古神像が一神社にまとまって伝来する例は他になく超貴重だが、拝観は5月1日~5日、11月1日~5日のみ -
「大金神神社、歳徳神社」の二社
大金神(だいこんじん)は凶方の神さま、歳徳神(としとくじん)は吉方の神さまで相反する吉と凶が並べて祀られている?? -
「命婦神社・厳島神社・猿田彦神社」の三社、さらに隣には「恵比寿神社・稲荷神社・天満宮・長者神社・金毘羅神社」の五社もあるから便利!
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「宥清寺」(ゆうせいじ)
鎌倉時代の1308年に日蓮聖人の弟子によって開かれ、京都で日蓮門下最初の寺院で最古の日蓮上人像がある、江戸時代に妙蓮寺の末寺となり、戦後には法華宗から分離した本門佛立宗の唯一の根本道場・大本山となった -
修復なったばかりの立派な本堂には日蓮自らが開眼したと伝えらる重要文化財の宗祖日蓮の木像が安置されている、本堂前の枝垂れ桜は立派!
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日蓮上人銅像と納骨堂
本堂前の紅枝垂れとソメイヨシノだけでなく正門前にもきれいな桜が咲き、隠れた桜の名所 -
「宥清寺」のイブキとクスノキは「区民の誇りの木」に指定されている
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「長五郎本舗」
創業1587年、豊臣秀吉が開いた北野大茶湯に献上され気に入った秀吉が製作者の名前を元に「長五郎餅」と命名した、なめらかなこし餡を羽二重餅でくるんだ北野の天神さんの名物 -
中立売七本松の商店街一角にある広場に歴史の跡を発見!
「宮本武蔵、吉岡一門決闘の地」
1604年、宮本武蔵が,吉岡又七郎一門と決闘したと伝わる一乗寺下り松跡地 -
「出雲阿国・歌舞伎発祥の地」
歌舞伎発祥の地は京都南座と言われるが、出雲の巫女だった阿国は四条河原より先に北野天満宮のこの地で「かぶき踊り」を披露したのが始まり -
「安嘉門旧跡蹟蹟」(あんかもん)
平安京大内裏の外郭十二門のひとつで、諸国よりの貢物、献上品の搬入口として一条通七本松交差点界隈(北野商店街の中央)にあったと推測されている、橘逸勢(たちばなのはやなり)は平安時代三筆の一人で嵯峨天皇の命により門の扁額を書いた、空海は応天門というのは平安神宮にある応天門扁額は空海筆ということ -
「北野チンチン電車」
日本で初めての路面電車が開通した京都で、博覧会に合わせて1895年伏見線(京都駅~中書島)、岡崎線に続き1900年京都駅から四条堀川、中立売を経由し北野天満宮へ至る北野線が開通し、1978年廃止されるまで電車が通る北野商店街も発展した
*京都で初めて電車が走ったのは、1895年博覧会と琵琶湖疎水による日本初の水力発電があったからで、この二つは京都の近代化・産業化に大きく貢献した、運行当初は毎月1日と15日は疏水の水路に生えた藻を刈るため運休したり、疎水の流れが止まると電車は運休した -
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「浄福寺」(じょうふくじ)参道
平安初期、御所の北東に鬼門除けとして建立された -
「浄福寺」南門
天台宗の寺として京都二十五大寺の一つに数えられていたが、室町時代から浄土宗を兼ねるようになり、今は知恩院の末寺となっている -
「浄福寺」本堂
日本最古の違法建築の寺として知られ、2つの建物からなる珍しい様式で、江戸8代将軍吉宗によって奥行きが制限されていたため、南の礼堂と北の仏殿を繋いで本堂とし外観は二つの建物、内部は一続きの大広間にして、役人の目を逃れたとされる -
「庫裏」(くり)と「釈迦堂」
1867年幕末に西郷隆盛が薩摩藩700人を引き連れて入京した際、既存の屋敷だけでは収容しきれず浄福寺の本堂や客間に宿泊した(御所まで1.5km20分) -
「浄福寺」東門
朱塗りの門から通称「赤門」と呼ばれ、1788年「天明の大火」の際に鞍馬から舞い降りてきた天狗が門横のクロガネモチの木に降り立って巨大なうちわであおいで火を消したといわれ、入って右手の「護法堂」に火災から寺を守ってくれた天狗を「護法大権現」として祀っている -
クロガネモチは樹齢300年、この赤門は秀吉がつくった聚楽第の一部分ではないかという説もある *聚楽第の遺構は伏見城や大徳寺の唐門、西本願寺の飛雲閣、妙覚寺の大門、妙心寺の玄関など数多くあると言われる
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「智恵光院」(ちえこういん)
1294年五摂家の一つ鷹司家(たかつかさかけ)の始祖が知恩院8世如空(にょくう)を開基に一族の菩提寺を建立したのを創始とし、本尊阿弥陀如来像は快慶作、地蔵堂にある六臂地蔵像は小野篁作
*寺と院の違いは? お寺の正式名称は「山号・院号・寺号」で呼ばれこれが長いから通称で呼ぶようになった。ただ、「院号」はもともと皇族が門跡(住職)となっている寺院で、後には大きな寺の中の居住施設の塔頭や末寺も院と呼び、他にも「堂」「庵」「閣」などある、「堂」は寺院の敷地内にある阿弥陀堂や御影堂、金堂など、「庵」は小さな寺院や尼僧が暮らす建物、「閣」は蔵書や仏像を収める建物 -
「六臂地蔵」(ろっぴじぞう)は、平安時代の小野篁(おののたかむら)作の、六道全てを救う6本の腕(腎)を持つ珍しい像で、六地蔵巡りと同じ功徳があるといわれている *六地蔵巡りは8月22日、23日に6寺の地蔵尊を巡るもので、平安時代に都で疫病が流行した際に後白河天皇が都の出入り口に6体の地蔵尊を祀るように平清盛に命じ鎮めたといわれる、六道は「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」、現在の六地蔵は、伏見六地蔵(奈良街道)、鳥羽地蔵(西国街道)、桂地蔵(丹波街道)、常盤地蔵(周山街道)、鞍馬口地蔵(若狭街道)、山科地蔵(東海道)
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「聚楽第跡」
聚楽第(じゅらくだい)は長生不老の楽しみを聚(あつ)めるの意、秀吉が大内裏の跡地に政庁・邸宅として1587年(50才の時)に大阪城から移り住んだ城郭で、1591年甥の秀次に関白と聚楽第を譲ったが、実子の秀頼が生まれると1595年秀次を追放し聚楽第も破壊した -
東西600m、南北700mで二条城より大きく、一条通からこの中立売通の「聚楽第本丸西濠跡」までの300m程が本丸になる
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平安京の一条大路は幅30mあり賀茂祭の祭列が通ったことが栄華物語や枕草子に描かれている、源氏物語ではこの祭列に参加する光源氏を一目見ようと六条御息所(ろくじょうのみやすどころ:未亡人の愛人)と葵上(あおいのうえ:妻)が鉢合わせ葵上が「愛人のくせに」と車を強引に押しのけその後両者の対決が激しくなったというエピソードがある
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「黒田如水邸宅跡」(くろだじょすい)
秀吉は天下統一を進める中で聚楽第を建設し多くの大名がその周辺に移り住んだ、軍師・黒田官兵衛の邸宅跡は官兵衛の出家後の名前にちなむ「如水町」(にょすいちょう)や旧姓をとった「小寺町」などの町名が残り、近くの会津上杉家の重臣・初代米沢藩主「上杉景勝邸宅跡」(うえすぎかげかつ)は弾正少弼(だんじょうしょうひつ)と呼ばれることから弾正町(だんじょうちょう)と呼ばれる(弾正台は太政官制に基づく治安維持を担当する官庁の役職) -
「晴明神社」(せいめいじんじゃ)「一の鳥居」
堀川通側の「一の鳥居」から参道に入って本殿のある「二の鳥居」に向かう -
「晴明神社」
平安時代の天文陰陽博士(てんもんおんみょうはかせ)安倍晴明(あべのせいめい)を祀り、1005年晴明の死後一条天皇が創立、清明は朱雀から一条天皇まで六代に仕え天文学で星を見て宮中の変革、吉凶を判断する天文博士の陰陽師として宮中に仕え多くの功績をたてた *陰陽師(おんみようじ)とは、陰陽五行思想(万物は木・土・水・火・金から成り立つ)に基づいた陰陽道を駆使し自然の変化から人間世界の吉凶を占う国家公務員として認定された占い師 -
「一の鳥居」の扁額は全国でも珍しい神紋の「晴明桔梗」(せいめいききょう)になっており、至る所にこのシンボルマークである「五芒星」(ごぼうせい)が掲げられている、「晴明桔梗」は陰陽道の「五芒星」が桔梗に似ていることから安倍晴明がデザインした祈祷呪符(きとうじゅふ:文字や符号が記されたお札)で、五芒星の5つの要素の相克(そうこく:木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つ)を表しており、この魔除けのお札にお祈りすれば様々な災いから身を守り、病気や怪我が治る
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「二の鳥居」に行くまでに「一条戻橋」のミニチュアや陰陽を表す「日月柱」(にちげつちゅう)、土産物販売の「桔梗庵」などが並ぶ
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「旧・一条戻橋」
近くの堀川に架かる「一条戻橋」が平成7年に架け替えられた際先代の橋の欄干を使って境内に再現した -
「式神石像」
式神とは陰陽師が使う人の目には見えない精霊で、晴明公の奥さんが怖がっていたので近くの橋の下に封じ込めた、この間式神が橋を渡る人の占いをしていた -
「二の鳥居」と「四神門」(しじんもん)
当時晴明公のお住まいは門がひとりでに開閉したそうで現在もそれにちなみ電動扉、今回はクローズのままだったが、境内には「晴明井」や「厄除桃」など晴明の霊力が宿るパワースポットがある -
「陰陽博士・安倍晴明公居館之跡」
「晴明神社」は安倍晴明(921~2005)の屋敷跡に建てられた -
「千利休居士聚楽屋敷跡」(せんのりきゅうこじじゅらくやしきあと)
千利休(1522~1591)の屋敷もここにあったとされ、武者小路千家家元が石碑を奉納し、石碑の文字は家元千宗守筆で「千利休宗易居士が聚楽屋敷を構え茶事を催し 茶湯に用いたとされる井戸が現存する」とある -
「一条戻橋」( いちじょうもどりばし)
平安京造営時に架けられその後何度も架け直されたが橋の位置は平安京当時と同じでこの橋が洛中と洛外を分ける橋でもあった -
平安時代の漢学者の葬列がこの橋を通った際父の死を聞いて急ぎ帰ってきた息子が棺にすがって祈ると生き返ったという話から「 戻橋 」呼ばれるようになった
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京都から旅に出る旅人は“ 京都に無事に戻ってくることを願って橋を渡ってから旅に向かい、第2次世界大戦中の際も無事に戦地から戻ってくることを願って渡った、逆に嫁入り前の女性は実家に戻ってはいけないとしてこの橋に近づかなかったり、嫁入りや葬式の列はこの橋を渡らないのが習わしとなっている
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早咲きの河津桜は京都一と言われている
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「小野小町双紙洗水遺跡」(おののこまちさうしあらいのみず)
平安時代の歌人・六歌仙の一人小野小町が大友黒主と歌合せで起こった草紙洗いの逸話で草紙を洗った池があった所で、一条通と交わる通りを小町通という *宮中の歌合で小野小町と対戦した大友黒主が小町の歌が盗作であると訴え証拠となる「万葉集の草子」を突きつけたが、怪しんだ小町が池の水を注ぐと改ざんの跡が現れ企みが露呈したという話 -
「本田味噌本店」( ほんだみそほんてん)
1830年創業、伝統の味を今に伝える西京味噌の老舗で今でも京料理の老舗で得意先が多い -
「虎屋菓寮」( とらやかりょう)
室町時代創業、和菓子の老舗で1628年後陽成天皇(ごようぜい)に和菓子をけんじょうしてから皇室御用達になり、明治になって皇室と一緒に東京に移った、赤坂本店含め東京5、京都2、神奈川、静岡、パリ1店舗、工場は東京、御殿場、京都2ヵ所 -
烏丸通・京都御苑前で終点だが、平安京の時は今の寺町通までが一条大路だった
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「京都御苑」は昭和22年には国民公園として開放された(東西254m、南北453m)
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京都御苑の向かい側には平安京の建都に貢献した和気清麻呂公(わけのきよまろこう)を祀る「護王神社」(ごおうじんじゃ)もある
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帰りは既に暗くなっていたが、三条河原町の「からふね屋珈琲本店」で休憩
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1972年(昭和47年)創業で140種類のパフェが有名
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フルーツフレンチトーストを注文
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2024/03/16~
今出川・北大路・北野
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月一京町散歩(4月)平安京南北散歩「大宮通」
2024/04/12~
今出川・北大路・北野
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月一京町散歩(5月)平安京南北散歩「千本通」前半
2024/05/04~
今出川・北大路・北野
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月一京町散歩(6月)平安京南北散歩「千本通」後半・鳥羽街道
2024/06/05~
伏見
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月一京町散歩(7月)平安京南北散歩「新町通」
2024/07/03~
二条・烏丸・河原町
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夏の京都「川床料理」と「みたらし祭」で暑気払い
2024/07/26~
二条・烏丸・河原町
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月一京町散歩(8月)平安京南北散歩「麩屋町通」
2024/08/24~
二条・烏丸・河原町
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月一京町散歩(9月)平安京南北散歩「高倉小路」
2024/09/12~
二条・烏丸・河原町
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月一京町散歩(9月)京の夏の終わり旅「祇園閣」と「長楽館」
2024/09/19~
東山・祇園・北白川
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月一京町散歩(10月)平安京南北散歩「油小路」(油小路通)
2024/10/11~
今出川・北大路・北野
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月一京町散歩(11月)平安京南北散歩「小川通」と「天使突抜通」(東中筋通)
2024/11/03~
二条・烏丸・河原町
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月一京町散歩(11月)紅葉の嵐山を人力車散歩
2024/11/20~
嵐山・嵯峨野・太秦・桂
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月一京町散歩(12月~1月)平安京南北散歩「御前通」で紅葉と初詣
2024/12/05~
今出川・北大路・北野
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新年蛇年の京都「初詣」と初庭園「對龍山荘」に初喰いの「わらじや」
2025/01/16~
東山・祇園・北白川
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「京の冬の旅」特別公開・「西来院」と「祇園甲部歌舞練場」の庭園
2025/02/13~
東山・祇園・北白川
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