2024/08/24 - 2024/08/24
1295位(同エリア4353件中)
Bachさん
平安京南北散歩の7回目は「麩屋町通」です。
8月は連日35℃越えで暑すぎて長い距離を歩けそうにもないので、出来るだけ短い距離の通りを探しますが、平安京の南北大路は東西に比べても長い通りが多く、短い通りは殆ど秀吉の都市改造で出来た通りになります。
その中でも平安京の短い小路を探して、今回は平安京東端の「東京極大路」(寺町通)一本隣の「富小路」(とみのこうじ)を歩くことにしますが、「富小路通」というのは、京都御苑に「富小路口」という入り口があり、そこから始まっている通りが「富小路通」になっていて、平安京時代にあった「富小路」は現在「麩屋町通」(ふやちょうどおり)と呼ばれているという、ややこしいことになっています。これは「五条大路」が「松原通」になったのと同様、秀吉が造った通りが混在して何らかの手違いがあったと思われますが、「平安京」の800年後に「秀吉版平安京」になり、その300年後に「明治維新版平安京」になって、戦後からまた現在の姿になるまでの変遷がいろいろ残っていて、いちいちこれはいつの時代のものか、歴史を探りながら歩いていくのも、また楽しみの一つになります。
今回は短い通りで、見るべきものは少ないかなと思いましたが、さにあらず、江戸時代からの賑やかだった面影を残す「三大老舗旅館」や、様々な「町家の活用事例」に加えて、番組小学校と言われた「小学校の活用事例」、さらに都が東京に移った「明治維新からの復興」を狙って、京都市民が自ら作った教育制度についても詳しく知ることが出来て、大変有意義な酷暑の中でのウォーキングでした。
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「麩屋町通」は、丸太町通から五条通まで直線距離で2.5km、平安京では染殿・京極殿や河原院など貴族の邸宅が連なっていたが、秀吉の「都市改造」で、隣の通りが「富小路通」になり、何故かこの通りは「麩屋町通」となった、麩や豆腐を扱う店が多かったとされるが、白山神社があることから「白山通」とも呼ばれる、当初は丸太町通から北へ下立売通まであったが、御所の拡張で消滅し、代わりに出来た「新麩屋町通」という通りが鴨川東にある
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(神宮丸太町駅)11:00~女紅場址~河原町通、寺町通、御幸町通、麩屋町通、富小路通~0.7km京都御苑「富小路口」(富小路休憩所)~0.1km宮川屋根工業「檜皮葺屋弥兵衛」~0.1km肉専科「はふう本店」~京の野菜処「叶屋」~大福寺~(二条通)~(押小路通)~0.2km「白山神社」~(御池通)~0.2km「柊屋旅館」~0.1km「俵屋旅館」~0.1km(2km)12:00「晦庵河道屋」~「点邑」~(三条通)~0.1km福井朝日堂~「炭屋旅館」~白竹堂~(六角通)~0.3km「革島医院」~(錦小路通)~「川端滝三郎商店」~千枚漬「大藤」~「権太呂本店」~(四条通)~井上清七薬房~(高辻通)~0.5km学校歴史博物館~0.4km(2km)14:00ジャパニーズアイス桜花~0.6km祇園四条駅
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11:00京阪「神宮丸太町」駅スタート
川端通りから鴨川に架かる「丸太町橋」を渡り、「丸太町通」を京都御苑方面に進む、「丸太町通」(まるたまちどおり)はかつて材木商が多かったことに由来し、永観堂前の鹿ヶ谷通から嵐山嵯峨釈迦堂まで -
「丸太町橋」(まるたまちばし)
「丸太町通」に、上流の「荒神橋」と下流の「二条大橋」の間に架けられている橋で、かつての木橋が度々流され、1913年(大正2年)市電の敷設と丸太町通の拡張工事が行われ鉄橋が架けられ、1976年(昭和51年)市電が廃止され、現在の橋は1991年(平成3年)に架け替えられた、中間のバルコニーが特徴 -
今回の「麩屋町通」とは関係ないが、前から気になっていた建物が「丸太町橋」袂にあるので、その前を通ると、これは「旧京都中央電話局」の建物で、大正12年(1923)に建築されたもの、そして、橋の袂には以前も聞いたことのある「女紅場(にょこうば)址」という石標がある
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「旧京都中央電話局上分局」(ちゅうおうでんわきょくかみぶんきょく)
かつてこの地に旧九条家の別邸「河原町邸(河原殿)」があった所で、大正12年に東京・大阪中央郵便局も手掛けた吉田鉄郎の設計で建築され、昭和34年に廃局されたが、昭和57年に構造補強が行われ現在も使われている、現存するRC造電話局舎の中で最も古い建物とされ、特異な外観とドイツ民家風の内部に往時の姿が残されて登録有形文化財に登録されている -
「女紅場址」(にょこうば)
市内散策をしていると時々目にする「女紅場」(にょこうば)の石標が出てきたので調べてみると、明治5年(1877)に設置された日本最初の女学校になる「新英学校女紅場」で、明治初期に沢山作られた女子教育機関の内、この石標は女子に高等教育を施す学校で、後に寺町通に移転して明治34年京都府立第一高等女学校、昭和23年に現鴨沂(おうき)高校となり、昔は京都大学への進学率全国一で、卒業生に山本富士子、団令子、加茂さくら、田宮二郎、森光子、沢田研二などいるが、さらに調べると、「女紅」とは女性の裁縫・手芸などの手仕事のことで、京都で新設された「女紅場」が、学校教育制度が整備される1870年代まで、中等教育機関や初等教育機関、貧窮者のための教育、遊廓の女性のための教育など、対象も内容もさまざまな教育が「女紅場」の名の下で行われ、現在も祗園、先斗町の芸事の研修所になっている「八坂女紅場」として残っている -
現在この建物には、食品スーパー「フレスコ」と、スポーツ倶楽部「コナミ」がテナントとして入っている
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「京都中央信用金庫」丸太町支店
寺町通手前に近代建築っぽい建物が目につくが、これは五条でも七条でも見た同様なモダン建築で、「京都中央信用金庫」という共通項があり、何かありそうと思って調べてみると、この建物は旧第一銀行丸太町支店で、五条は旧村井銀行、七条は旧不動貯金銀行を継承し、「京都中央信用金庫」は地元金融機関として京都の芸術文化の振興と継承を経営方針とし、戦前の古い銀行店舗を大切に使い、京都府庁前に「中信美術館」まで創って運営しており、ここでも歴史継承の京都市民の心意気を見た! -
「寺町通」(てらまちどおり)
平安京の最東端にあたる「東京極大路」が、豊臣秀吉の洛中改造により東の防衛線とした御土居沿いに京都中の寺院を強制的に集めて通りを作り「寺町通」と名付けたもので、平安時代は洛中と鴨川の境界とされた -
「御幸町通」(ごこまちどおり)
秀吉の洛中改造で新設された通りで、秀吉が伏見から御所に参内する時に使ったことから命名され、丸太町通から南は五条通まで2.5km -
「麩屋町通」(ふやちょうどおり)
平安京の「富小路」(とみのこうじ)で、平安京では最東端の東京極大路(寺町通)と東洞院大路の間に、「富小路」「万里小路」(柳馬場通)「高倉小路」という小路があり、秀吉の洛中改造で、それぞれの間に「御幸町通」「富小路通」「堺町通」「間之町通」(あいのまちどおり)が出来て、何故か平安京の「富小路」は「麩屋町通」と名前が変わった -
「富小路通」(とみのこうじどおり)
秀吉の洛中改造で新設された時に、平安京の富小路の隣であったため、何故か「富小路通」と命名され、平安京の富小路は「麩屋町通」とされた、丸太町通から南は六条通まで2.8km、入り口建物は京都地方裁判所 -
「京都御苑」富小路口
京都御苑の入り口の一つで、九条邸跡庭園「拾翠亭」(しゅうすいてい)のある「堺町御門」の並びに、門のない入り口がある -
「京都御苑 案内図」
入るとすぐの所に富小路広場と休憩所、ゲートボール場やテニスコートなどある、御苑内で一番広いグラウンドで、1881年~1897年までは京都博覧会という常設の博覧会が行われていた -
向かい側に行列の出来る店があった
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蕎麦屋「花もも」
二八そばが人気で、11:00開店前から並ぶらしい -
「麩屋町通」(ふやちょうどおり)
五条通から北向き一方通行の道路幅4mくらいの狭い道路で、通り名は、二条辺りに豆腐屋や麩屋、麺屋が多かったからと言われるが、現在はその姿はない、通りは丸太町通りから更に北へ伸びていたが、御所の拡張により取り込まれて消滅し、その代替地として、鴨川東に「新麩屋町通」が造られた、また南側も正式には五条通から先の七条通まで続く -
ギャラリー「吼獅堂」(こうしどう)
名前に惹かれる、中国現代画家 陳無忌の絵画を展示している画廊で、カフェもある素敵な店 -
ベーカリー「Dough」(ドウ)
閉まっているが、ハード系パンが人気のパン屋さんらしい -
宮川屋根工業「檜皮葺屋弥兵衛」
江戸時代1712年創業から、社寺の屋根を葺いている檜皮葺師(ひわだぶきし)の会社で、社寺の檜皮屋根の葺き替えサイクル35~40年の仕事を代々引き継いで実施し、今の社長は11代目、茅(かや)や藁(わら)に比べて檜皮(ひわだ)は高くつくので、殆ど宮殿や神殿、仏寺などが対象で、檜皮葺(ひわだぶき)と杮葺(こけらぶき)を専門にしている非常に貴重な会社で、事業を継承していくのは大変だと思うが、職人さんは一時3人しかいなかったのが最近では11人で頑張っているらしい -
北野天満宮や京都御苑、清水寺など、数々の国宝や重要文化財の建物を修復してきており、最近の入札実績が出ていたので見ると、2023年石清水八幡宮1,680万円、東本願寺6,600万円、2022年地主神社11,700万円、21021年平野神社8,550万円、東本願寺7,500万円など錚々たる顔ぶれに驚く
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向かい側にはなにやら人だかりがあるので見ると「地蔵盆」!
「地蔵盆」は「京都をつなぐ無形文化遺産」に認定された京都の夏の風物詩で、毎年8月中・下旬に行われる、京都の伝統行事として脈々と受け継がれてきた文化で、町内安全や子どもたちの健全育成を願い、子供たちだけでなく大人も全員で参加する年に一度のコミュニティイベントになっている -
船魚町「地蔵盆」
浄慶寺ご回向(えこう)・数珠まわし、おやつ(お菓子セット、ドーナツ&ジュース、かき氷、たこせん、ビンゴゲーム、福引など *浄慶寺(じょうきょうじ)は近くの御幸町通にあるお寺 -
「回向」(えこう) とは、お経やお念仏の功徳(くどく) をご先祖さまや亡くなられた方のために「回し向け」することで、「数珠まわし」は、念仏を唱和しながら数珠を繰ると多数の人々の功徳が集まって大きくなる
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コーヒースタンド「ブレンド京都」
看板が出てないが、中を覗くとコーヒーを煎れてるようでお客さんも入っている、コーヒー豆にこだわった頑固なコーヒーショップみたいで、豆を選んで煎れてもらう方式で750円~1,500円するというから、ちょっと入りにくい -
ゆば工房「半升」
京都の料亭などでも用いられる逸品で、午前中には売り切れるという -
ここでも「地蔵盆」
「地蔵盆」は京都発祥とされ、近畿地方を中心に北陸や信州の一部の地域でも行われるが、これは平安時代に遡り、六道珍皇寺の井戸から夜な夜な冥途へ行った小野篁(おののたかむら)が、地獄で苦しむ人々を救っているお地蔵さんの姿を見て感銘を受け、六地蔵を彫ったことから地蔵盆に繋がり、京都には町中お地蔵さんが多く、祇園祭から大文字の送り火が終わると、祠からお地蔵さんを取り出し「地蔵盆」で暑い夏の終わりを惜しみ、秋の到来を期待する風習になったという -
笹谷町「地蔵盆」
お子様お参り~数珠回し~おやつ、赤飯などのお配り~福引~水遊び~おやつ~輪投げ -
肉専科「はふう本店」
ここにも行列が、肉屋が始めた洋食屋で、ビフカツがお勧めだが、ランチで3,000円はいいお値段 -
ファッションアクセサリー「ウケンムケン」
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(夷川通)
寺町通と烏丸通の間に「夷川会」という商店街が続く -
建具ふすま「万新」
夷川通は建具屋や家具屋が多い -
ホテル「RESI STAY PALACE GATE」
町家を再生した庭園付三ツ星ホテル -
骨董店「吉岡」
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京の野菜処「叶屋」
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「桜井唐木本店」
座敷机を中心に和室用家具調度品や昔懐かしい古い家具なども販売している、「唐木(とうぼく)製品」とは東南アジアから輸入されている熱帯産の銘木の総称で、黒檀(コクタン)紫檀(シタン)花梨(カリン)など -
和食「夷川燕楽」(えんらく)
家具屋さんを改造して作ったお店、おでんが美味しい、(HPより)居酒屋でもなく、料亭でも割烹でもない料理屋で「舞妓さんコース」もある、1人1時間半44,000円 -
「京薬膳なつめ」
本格的な香辛料を使用した薬膳火鍋6,000円~ -
「喜承庵」(きしょうあん)
町家の中庭もあるホテル -
天台宗「大福寺」
平安時代に大和国から遷された、本尊の薬師如来は聖徳太子作と言われ京都12薬師の一つ、「大福」という名前から商売繁盛を祈願して商家の出納帳に寺の宝印を授与する習わしがあり「大福帳」の由来となっている -
この辺りは蔵もある立派な町家が続く
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ホテル「京の温所」(きょうのおんどころ)
株式会社「ワコール」がプロデュースする町家を再生した1棟貸し(定員8名)の3つ星ホテルで、他にも西陣、釜座二条、御幸町夷川、御所西、丸太町、竹屋町で展開している、京都創業の「ワコール」は、「京都の街並みを次世代に残したい」という思いから、京町家保全・活用することによる地域共生を目的とした事業を2018年からスタートし、住み手がなく手付かずとなった町家を、10年~15年で借り、リノベーションして宿泊施設で運営し、活用後そのままの状態で返す、ホテル運営は三菱地所グループのロイヤルパークホテルズと提携し、今後もインバウンド拡大から更なる拡大を狙っているという、ここでも又地元企業の京都愛を発見して頼もしい! -
ギャラリー「六々堂」
初代当主が高台寺塔頭「圓徳院」で「高台寺焼窯」を開窯し、その後産寧坂で清水焼の窯元を続け、平成になってこの地に移転し京都在住の伝統工芸作家(主に陶芸作家)の作品を展示 -
ハンコ「小泉湖南堂」
明治創業で現在4代目社長のハンコ屋さんで、印章の伝統を守り続けながら、新しい時代にも即した商売を続けている苦労が垣間見える、HPを見て感心したのは、「通常の印鑑と電子印鑑のセット販売」で、朱肉で押印したものをデジタル化したUSBをセットにしているので、手で押したかのようなアナログ的な見た目になる、他にもサインがそのままハンコになるなどインバウンド需要などにも挑戦して、日本の伝統を守る姿勢に感銘! -
ディスプレーを見ただけで、店主のセンスが垣間見れる
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(二条通)
東山方面を向く -
「ふや町映画タウン」
昔ながらのレンタルビデオ店だが、DVDもBDもなくVHSしかない、VHSでしか見れない作品が8000本ほどある極めてオタク的な店、良くもこういう店が存続しているなと感心するが、調べるとこの店主は、TSUTAYAやGEOなどが撤退して残った在庫を買い取り2002年に開店、以後20年近く存続しているのも驚異だが、常に経営危機に直面し、いつなくなるかも分からないという、何とか頑張って欲しいが、こういうものこそ家賃の要らないネット店舗にして全国に発信したらどうだろうかと思う -
さかな「波波」
天然活魚料理を売りにする魚居酒屋さんだが、コース10,000円~と良いお値段で、インバウンド相手の日本料理店な感じ -
「おふく園」
江戸時代創業の「ほうじ茶の祖」をルーツにもつ日本茶専門店で、 店内の日本茶喫茶でお茶体験が出来る -
エステサロン「Carara」
町家の中で非常に目立つこの建物は、英国の音楽家エドワードエルガーゆかりの地にある旧王立図書館をもとに、外構もエルガーの旧居の外構をモデルに設計されたとの標識があり、特にエルガーとの関わりはないようだが、町家だけでない京都の楽しみもある -
「かざりや 鐐」(りょう)
「鐐」は良質の銀・しろがねで、町家で金属製品を製造販売し、彫金の教室もある -
日本料理「ほん田」
ミシュランビブグルマン(リーズナブルでコストパフォーマンスが良い)の店 *「ビバグルマン」は、3つ星には入らないが次点という訳ではなく、価格帯と規模的な面か?カウンターのみや路地裏の店などが入る、日本のミシュラン数388店に対してビブグルマンは340店 -
「白山神社」(はくさんじんじゃ)
町家とマンションの中にあり、平安末期に加賀白山の僧徒が平家の武士たちの乱暴狼藉に対して、京都に3基の神輿で押し寄せ、神輿を捨てて帰郷してしまい、そのまま野ざらしになった神輿を祀ったのが起源という -
「白山神社」は、江戸中期に後桜町天皇の歯痛が、白山神社の神箸と神塩で治ったことから、歯痛の御利益があるということで歯科医のお参りが多い
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「ホテルリソルトリニティ京都」
全国20施設を展開している3つ星ホテル、本社千葉 -
「湯波半老舗」(ゆばはん)
江戸時代1716年創業のゆば専門店、創業以来受け継がれた石臼挽き製法で、今でも井戸水を使って作られる、芳醇な大豆の香りと汲み上げゆばが人気 *豆乳を温めて「生ゆば」「さしみゆば」、手でつまみ上げて「汲み上げゆば」、串で引き上げて「引き上げゆば」、乾燥して「干しゆば」、豆乳ににがりや凝固剤を入れたのが豆腐、また「湯波半」の屋号は「湯波」の字になっているが、京都の店は「湯葉」を使っているところが多く、モノの本によると、引き上げる際に一重にするか二重にするかで厚みが変わり、一重が「京都の湯葉」で、二重が「日光の湯波」とあるので、この屋号の経緯は分からん -
京町家の「むくり屋根」
塗り壁、格子窓、虫籠窓、ばったり床几(しょうぎ)に加え、京町家の「むくり屋根」は、屋根がなだらかな丸みをおびており、棟から軒までの長さを大きくして、水量が多い軒先の勾配を緩やかにしている、商家や公家屋敷、数寄屋建築などに多い -
(御池通)
神泉苑に通じる通りで、川端通から太秦に至る京都のメイン通り -
「柊屋旅館」(ひいらぎや)
幕末の1818年創業、初代庄五郎が運送業、海産物商を始め、二代目が1861年旅館を開業、下鴨神社の比良木神社に帰依し境内の柊になぞらえ「柊家」とし、幕末の志士や、明治時代からの貴族や皇族、川端康成や三島由紀夫など墨客にも愛された -
「川端康成」寄稿文(HPより)
京のしぐれのころ、また梅雨どきにも、柊家に座って雨を見たり聞いたりしていると、なつかしい日本の静けさがある。私の家内なども柊家の清潔な槇の木目の湯船をよくなつかしがる。私は旅が好きだし、宿屋で書物をする慣はしたが、柊家ほど思い出の多い宿はない。京の名所や古美術なども、この宿を根にして見歩いた。浦上玉堂の「凍雲篩雪図」を入手したのも、この宿でめぐりあってだ。政治家や財界人ばかりではなく、画家や学者や文学者にも、昔から親しまれた宿として、柊家は古都の一つの象徴であろう。私は京阪のほかの宿で泊まった後でも柊家へ落ちつきにゆき、中国九州の旅の行き帰りにも柊家に寄って休む。玄関に入ると「来者如帰」(来る者帰るが如し)の額が目につくが、私にはさうである。 -
「俵屋旅館」
江戸時代1704年創業、島根浜田の呉服問屋が京都で商いを始め、浜田藩士たちをもてなし、公家、大名や現代においては国内外の貴賓客をもてなしてきた、時代に合わせて毎年手を加え、全18室のうち3室にはベッドを取り入れたりしているが、昭和初期の外塀や玄関、中坪の空間は絶対に手を入れないという心意気が素晴らしい! -
「姉小路界隈築建築協定区域」
京都市では「市街地景観整備条例」に基づき、地域の景観づくりに主体的に取り組む組織を「地域景観づくり協議会」として認定し、16団体が存在する -
「総本家河道屋」(かわみちや)
江戸時代元禄年間1688年より菓子と蕎麦を商い、明治になって蕎麦づくりの技法に南蛮菓子の手法を取り入れて「蕎麦ほうる」(ほうるはオランダ語でPoleとBoloから)が開発され、茶事接客等や贈答用の京名菓として愛されており、同じ店舗内で蕎麦店も営んでいたが、現在は近くの「晦庵河道屋」で営業している -
「晦庵河道屋」(みそかあん かわみちや)
「総本家河道屋」の14代目当主が1922年(昭和7年)開業、茶も嗜む粋人だったことから数寄屋建築の構を造り、門構えも建物内も庭のある座敷があって、格式高く、デビッド・ボウイや黒澤明監督もお気に入りだったというから、今日のランチは是非ここで食べたいという意気込みで歩いてきた -
「臨時休業」の張り紙
「芳香炉」といううどんすきの蕎麦版は名物で2人前9,500円するが、それ以外は他の店と変わらず、ざるそば1,000円、鴨なんば1,450円など、是非またチャレンジしたい -
「点邑」(てんゆう)
すぐ隣に「俵屋旅館」が始めた天ぷら屋「点邑」があった! -
門構えも素晴らしく格式高そう!
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値段もそれなりで、ランチ3,000円~は、ちとお高いと思ったが、暑いし、お腹も空いていたので思い切って入店!
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突き当りに中庭とお座敷
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2階のカウンター席に、先客が3名ほど
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飲み物はお水を頼むと、器がお洒落!
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3,000円の天丼はお洒落!
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食べ終わって持ってきてくれた「つまようじ」もお洒落!
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席を立つと、外国人観光客が2人入ってきた
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「俵屋旅館」に泊まったような気分で店を出る
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「紙司柿本」(かみじかきもと)
江戸時代の竹問屋から1845年創業の和紙専門店、京都の黒谷和紙や丹後和紙をはじめさまざまな産地の和紙を販売するだけでなく、紙の断裁や名刺印刷、別注品の制作など幅広い要望に応え、文具や水引、折り紙など和小物なども販売 -
喫茶「さらさ麩屋町パウサ」
「さらさ」は、散策していると良く見かける喫茶店で現在6店舗を経営、特に鞍馬口通りで見つけた「さらさ西陣」は、築93年の銭湯をリノベーションし、唐破風の建物にマジョリカタイル、番台もあるノスタルジック満載の喫茶店で映画やドラマのロケ地にもなった人気店 -
「福井朝日堂」
明治25年創業の、和紙工芸品製造販売店で、寺社仏閣の入山券や名所旧跡の絵葉書を始め、浮世絵版画等京都の「雅の世界」を和風クリスマスカードや和紙工芸品などにして海外展開もしている -
(三条通)
手前に「弁慶石」、正面に三条名店街のアーケードが見える -
「炭屋旅館」(すみやりょかん)
1912年(大正元年)創業の麩屋町通に並ぶ京都の3大老舗旅館の一つ、元々刀の鍔(つば)や襖の引手を商う鋳物屋で、趣味の多かった先々代が、お茶や焼き物、謡曲で知り合った友人を招いて茶会を開き、遠方から来る人を泊めるうちに宿屋となり、後を継いだ先代も裏千家の茶人で、二代にわたり「茶の湯の宿」をつくりあげ、今でも毎月7日と17日に茶室で接待をしているという -
「炭屋旅館」の入り口は質素で中に入ってみないと分からないが、吉井勇の歌碑があり、「京に来て うれしとおもふ しずかなる 利休ごのみの宿の一夜を」とあるように、路地や複数の茶室があり、佗び寂びを満喫できるというが、この3大老舗旅館に泊まれる日はくるのだろうか
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「CHOUCHOU」(シュシュ)
町家だけど「美容院」らしい、仏語でお気に入り -
染殿「きん興」
江戸時代享保2年(1717)創業のきものお手入れ専門店、看板に「悉皆屋」(しっかいや)とあるが、(全て残らず)という意味で、着物のお手入れや寸法直しなど全てを請け負う業者のことだという -
京都らしい駐車場「ケーズパーク」
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喫茶店「麩屋柳緑」(ふやりょくちゃ)
南山城のお茶を使ったカフェ -
「白竹堂」(はくちくどう)
江戸時代享保3年(1718)創業の扇子屋さんで、西本願寺前に寺院用扇子の店を開業してから、明治以降は一般用、贈答用の京扇子を製造販売するようになった -
「白竹堂」の屋号は、富岡鉄斎から贈られたという
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「三木半旅館」(みきはんりょかん)
江戸時代天保年間創業の大型二つ星旅館で、グループ団体、修学旅行向き、正面は寺町京極商店街 -
(六角通)「生祥公園」(せいしょうこうえん)
「生祥小学校」のあったこの学区は、三条から四条通、寺町から富小路、柳馬場エリアにあたり、秀吉の洛中改造以後、寺院街への参拝客や東海道を旅する人々のための旅館や商店街が軒を並べ、商人・職人・文化人のまちとして発展してきて、現在も京都有数の商業地として賑わいを見せている(中京区町づくり推進瓦版より) -
「かづら清老舗」(かづらせい)六角店
江戸時代慶応元年(1865)創業、女性の髪まわりの小物の製造販売を行い、五島列島の「純粋椿油」を使ったオリジナルの化粧品やヘアケア商品が人気、本店は祇園 -
喫茶店「Miss Daisy」
イングリッシュティールーム -
八文字屋自笑翁邸跡(はちもんじやじしょうおうていあと)
江戸時代、八文字屋という草紙屋(本屋)を営んだ八文字屋自笑(はちもんじやじしょう)の邸宅があり、当時の本屋は印刷(木版刷)、製本(和綴)も手掛けていた、日本の出版業界は江戸時代の初め頃に京都で始まり、江戸、大阪でも盛んになっていくが明治になるまでは京都が日本一の出版都市だった。最初は仏書、儒書、俳諧書だったが、劇書や噺本(はなしほん)になり、歌舞伎の筋書きを読み物にした絵入り狂言本や大衆小説を手掛け、浮世草子「八文字屋本」と呼ばれるようになり、これが明治以降の文芸につながっていったという(案内板より) -
「革島医院」(かわしまいいん)
昭和11年(1936)「革島外科病院」が住宅兼病院として建てた木造3階建てのドイツ洋館で、3代目さんが医院として使いながら、1999年歴史的意匠建造物、2005年登録有形文化財に指定され、2011年に閉院したが、今でも住まいながら維持管理しているという -
「革島医院」初代院長は留学したドイツの城郭を参考にして、自ら図面を引き、半年30回程書き直して素案を描き、設計・施工を「京都あめりか屋」に依頼し完成した、「あめりか屋」はアメリカからツー・バイ・フォー工法のバンガロー風住宅を輸入し、アメリカの影響を受けた日本初の住宅専門会社で、軽井沢で政財界の別荘建築も多く手がけ、京都では同志社大学新島会館、富岡鉄斎、武田五一なども手掛けている、外観は全体に覆われた蔦ばかりが目立つが、赤褐色のフランス瓦の屋根と銅板葺の円錐形屋根を載せた円筒形塔屋が特徴的で、内部は非公開なので見れないが、記事によると、中庭を挟み南側に病院、北側に住宅があり、円窓など曲線が多用され内装は船室が想定されていたという、町家とはまた違う工夫がいろいろありそうで楽しい
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左:1999年11月京都市歴史的意匠建造物、右:2005年11月国登録有形文化財
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毎年1回くらいは特別公開があるらしいので是非見てみたい
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喫茶店「MICASADECO & CAFE」
京町家で庭を見ながらパンケーキを食べられる -
創作料理「omo cafe」(オモカフェ)
京町家でワインとフレンチも食べられる -
(錦小路通)
新京極通の錦天満宮正面から壬生川通まで、平安時代は御所に出入りする際に具足(鎧と兜)を外す場所で、また具足(家具や調度品)を売る店が並んでいたことから「具足小路」(ぐそくこうじ)と呼ばれ、その後「錦小路」に改められたという -
「錦市場」
寺町通と高倉通間400mの「錦市場」は、今日もあいかわらず外国人観光客でごったがえして、食べ歩きストリートと化しているのは頂けない -
「川端滝三郎商店」(かわばたたきさぶろう)
明治45年(1912)から日用雑貨品の問屋として創業した「カワタキ」が営むキッチンショップ(本社南区久世)で、包丁・はさみ・まな板 など、京都近郊で活動する作家の日用品や道具を並べている -
千枚漬本家「大藤」(だいとう)本店
慶応元年(1865)京都御所の料理方であった大黒屋藤三郎が、旬の聖護院かぶらを使った浅漬けを考案し、宮中で評判となり民衆の間でも「千枚漬け」と呼ばれて人気となったことから、「大藤」と屋号を定め創業し、「千枚漬け発祥の店」となった -
「権太呂」本店(ごんたろ)
明治43年(1910)創業の蕎麦屋、本格的な数寄屋造りの建物で高価そうだが、そば、うどん、丼は1,000円~、名物「権太呂なべ」(うどんすき)は5,000円~ -
(四条通)
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古美術店「遊古堂」、中古レコード「宝盤堂」は看板のみか?
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海鮮酒場 「あんじ」
外国人観光客が入って行った -
寿司酒場「オニハソト」
外国人観光客のグループが入っている -
「清風日扇上人旧宅」(せいふうにっせんしょうにん)
幕末の僧侶で日蓮上人の教えを受け継いだ「本門佛立宗」(ぶつりゅうしゅう)の開祖「長松清風(ながまつ せいふう)日扇上人(にっせんしょうにん)の邸宅で、現在「長松寺」(ちょうしょうじ)になっている -
「新鮮激安市場」
バーベキューも出来る地元の市場、本社向日市で業務スーパーも併せ18店舗展開 -
「井上清七薬房」(いのうえせいひちやくぼう)
「町家」は職住一体の建物だが、これほど立派な看板は見たことがない! 虫籠窓(むしこまど)に、卯建(うだつ)とも見える大きな屋根付きの看板と、魔除けの鍾馗(しょうき)とも見える虎の頭のような彫り物のバランスが素晴らしく、看板には「御めあらひ薬」(御目洗薬)と書いている(らしい?) -
「井上清七薬房」は江戸時代から300年続く家庭薬の老舗で、玄関入り口に「井上」の商標と、「井上目薬」「株式會社 井上清七薬房」の表札がある、「御目洗薬」(おめあらいぐすり)は「井上目洗薬」とも呼ばれる京都の伝統薬で、ハマグリの殻に入った練り薬として、ただれ目、かすみ目、やに目、充血などに効果があり、近年まで存在した目薬らしいが、この会社も含めて現在どうなっているのか不明
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通りの真向かいに「京都市学校歴史博物館」があった
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裏側の「御幸町通」(ごこまちどおり)の正門に廻ってください、とあるのでそちらに行くことにする
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少し進むと(高辻通)
「高辻通」(たかつじどおり)は鴨川から桂川辺りの梅津街道まで -
「麩屋町通」はここから先、「五条通」まで約500m続くが、左折して「御幸町通」に入り、「学校歴史博物館」正門へ進む
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「京都市学校歴史博物館」正門
明治維新以降に京都市が力を入れてきた教育の歴史について展示している博物館を、平成10年(1998)に閉校した「開智小学校」の跡地に開設した -
開智小学校の「正門」は、高麗門形式で明治34年築、大正7年築の白川石を使った「石塀」と共に国の登録有形文化財に指定されている
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「京都こども市会宣言」石碑
平成10年に京都市自治100周年事業として「京都こども市会」が開催され、代表72名がこども議員となって取り組みの総まとめとして「心がふれあう町、美しく輝く町、産業発展する町、世界に誇る文化の町、自然と共に生きる町」を宣言した -
玄関は明治2年開校の「成徳小学校」(高辻通にある)の講堂玄関を移築したもので、京都市現存最古の学校建築物
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博物館は1階の「常設展示」と、2、3階の「企画展示」がある
「常設展」では、1.幕末の学校 2.小学校と市民の情熱 3.町組会所兼小学校 4.明治時代の教育 5.教科書の部屋 6.文明開化と学校教育 7.伝統産業と学校教育 8.幼稚園の魁 9.大正・昭和初期の京都の教育 10.戦時中の教育 11.戦後の教育 12.学校給食のあゆみ 13.近代京都の木造校舎のコーナーがあり、今回の思いがけない訪問で、大変興味深かった -
幕末の「寄合」(教育の大変革をめざした人達)
幕末から明治維新にかけて衰退の危機にさらされていた京都では、「琵琶湖疎水」と「発電・上水・市電の三大事業」と共に「教育」が重視され、寺子屋の先生であった西谷淇水(にしたにきすい・良圃)が新しい時代にふさわしい学区制小学校を作りたいと考え、日本画家・森寛斎、鳩居堂当主・熊谷直孝らと共に建言したことに始まり、初代府知事・長谷信篤、二代目府知事・槇村正直が、寺子屋に代わる新しい教育施設を「町組ごとに創設する」計画を立て、さらにその施設を町組会所としても使用することで、建設の費用は住民が負担するという仕組みを作り、竈の数だけ寄付金を集める「カマド金」で資金を集め、明治2年(1869)日本最初の学区制小学校64校を開設し、各町組に「番号を付した」ことから「番組(ばんぐみ)小学校と呼ばれ、この後明治5年に明治政府は学校制度創設を行った -
「町組会所兼小学校」
「番組小学校」は教育を行う場だけでなく「町組の会所」をも兼ねており、区役所や警察署、消防署、保健所などの役割も果たしていて、望火楼に時を告げる「太鼓」や火事を知らせる「半鐘」、「火消しのまと」などもあった *「町組」(ちょうぐみ)とは、地域の自治組織で、16世紀初め頃に形成され、明治になり再編され現在の学区の原型となった -
「昔の教科書」
設立当時の「論語」や明治37年(1904)に誕生した「国定教科書」、昭和20(1945)年連合軍占領下に使用された「墨塗り教科書」など、明治から昭和までの各時代の教科書が見れる -
「文明開化と学校教育」
文明開化と共にさまざまな新しい教材や教具がとりいれられ、地域住民に寄贈された初期の国産「燭台付風琴(オルガン)」や、当時家10軒ほど建てられるほど高額な輸入ピアノなど展示している -
「島津製作所・島津源蔵の理化学機器」
明治政府が殖産興業と富国強兵を進めるため、西欧の知識や技術と最新の教育機器を導入することに力を注ぐ中で、当時佛具製造の店を継いでいた島津源蔵は、教育理化学機器を製造販売する島津製作所を興し、写真右の二代目・島津源蔵は、写真左のドイツ人化学者・ワグネルの指導のもと多くの実験器具を作り、これが学校教育にとりいれられ、科学理科教育の振興に大きな役割を果たしたという、ここで思いがけず、島津製作所の偉大さに触れることになって感動! -
「学校給食」
明治時代から既にあったらしいが、戦後は児童の栄養不足改善になり、脱脂粉乳から牛乳、パン食からコメ食、クジラ肉から鶏肉、豚肉など、時代の変遷が分かる -
二階へ上がる階段も昔のままで懐かしいノスタルジック!
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「開智教育資料室」
この地にあった「開智小学校」の資料が展示されている -
「番組小学校」跡地
町歩きをしていると小学校が次々に統合廃校され、その跡地が様々に活用されているのに遭遇する、大宮通の淳風小学校はスタートアップ企業、烏丸通の龍池小学校は京都国際マンガミュージアム、室町通の明倫小は京都芸術センター、四条通の弥栄中は漢字ミュージアム、高瀬川沿いの立誠小学校はゲートホテルなど、今後も官民問わず、上手な活用を進めて欲しい! -
「番組小学校と女紅場」
避暑のつもりで入った「学校歴史博物館」だったが、今回は奇しくも「女紅場」(にょこうば)に始まり、「番組小学校」で終わり、京都の歴史をよく表す痕跡として非常に興味深かった、「町組」をベースにした「番組小学校」は明治5年に制定された国の「学校制度」に先んじて作られたが、女子の就学率は著しく低く、これを補助する位置づけで明治6年に「女紅場」が開設されている、それも読み書き算盤や裁縫・手芸などから、島原や祇園等に設けられた芸娼妓のための職業指導所としての教育や、貧民救済のための授産所的なものまで広がり、現代に至るまでの我が国の教育制度の裏表が垣間見れて面白かった -
「ジャパニーズアイス櫻花」
帰りは京阪「祇園四条駅」までの途中にあるアイスクリーム屋さんへ -
東京の恵比寿店が最近関西進出して来たらしく、「白くま」があると聞いて立ち寄った
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鹿児島の「白くま」とは違うものだが、今年初で最後のかき氷なので、暑気払いにはちょうど良い!
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直線距離では4kmほどだったが、終われば15,000歩のウォーキングになっていて、疲れた!
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