2023/11/24 - 2023/11/24
173位(同エリア747件中)
杏仁豆腐さん
11月の暖かな秋の日。
佐倉を散策しました。
佐倉順天堂記念館・旧堀田邸・佐倉武家屋敷・麻賀多神社と回りましたが、このルートは2回目です。
11月も終わりに近づく日でしたが、歩くと汗ばむ暖かさでした。
☆2009年の佐倉散策
4月の佐倉散策☆玉家(たまや)で鰻重☆2009/04/18
https://4travel.jp/travelogue/10328013
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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京成佐倉駅から歩いて佐倉高校前を通過。
長嶋茂雄の出身校として有名です。藤木直人、杉野遥亮も卒業生です。 -
松林寺に来ました。佐倉城を築城した佐倉藩主、土井利勝が建立した寺です。
本堂です。
県指定有形文化財(建造物)です。 -
松林寺にある土井利勝父母夫人供養塔。左から順に父(土井利昌)、母、正室になります。
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三谷家住宅。佐倉市登録有形文化財。
江戸時代からの呉服太物を扱う老舗として佐倉に唯一残っている商家だそうです。 -
妙経寺
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佐倉順天堂記念館に来ました。
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佐倉順天堂は藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が天保14年(1843)に開いた蘭医学の塾兼診療所です。西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出しました。
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現在は、安政5年(1858)に建てられた建物の一部が残っています。
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解体新書(複製)
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当時の治療代がわかります。
高度な外科手術が行われていました。 -
当時は「西の長崎、東の佐倉」と言われ、後に2代目堂主となる佐藤尚中をはじめ、日本近代医学をリードする多くの人材を輩出しました。
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1975年に「旧佐倉順天堂」として県指定文化財(史跡)に指定されました。その後、1985年から「佐倉順天堂記念館」として一般公開されるようになり、当時の順天堂で用いられていた医学書や医療器具など、数々の貴重な資料が見られます。
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佐藤泰然胸像
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佐倉順天堂記念館から旧堀田邸(さくら庭園)に来ました。
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旧堀田邸は、明治時代、佐倉市街に隣接する高台に建造された最後の佐倉藩主・堀田正倫(まさとも)の邸宅です。
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1910年には後の大正天皇である東宮殿下の来訪に伴い、主屋に湯殿が増築されました。
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NHK「大奥 シーズン2」のロケ地です。
福士蒼汰、古川雄大、愛希れいか、瀧内公美が撮影に臨み、佐倉の名君・堀田正睦公が活躍する幕末の時代を撮影しました。 -
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「天倫の桜」 -
現在は邸宅部分の玄関棟・座敷棟・居間棟・書斎棟・湯殿および土蔵、門番所の7棟が国の重要文化財です。
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正倫やその家族たちが普段過ごした居間棟の部屋には、明治を代表する画家のひとりである跡見花蹊(あとみかけい)によって描かれた天袋・地袋があります。
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「楽」の掛け軸がある部屋は、旧堀田邸の中でも最も広い広間がある座敷棟です。ここで主人の正倫がお客と会ったりしました。
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庭園に面した廊下
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訪れる人も少なく、ゆっくりと見学ができます。
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旧堀田正倫庭園 (さくら庭園)に出ます。
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鹿島台地縁辺部に位置し、広い芝生地を中心とし、対岸の台地を借景とした意匠・構成で、明治期の庭園の特質をよく表しています。
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旧堀田正倫庭園は、国の名勝に指定されています。
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庭園から見た旧堀田邸
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紅葉も見られます。
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茅門の奥には、茶室があります。
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見事な色合いです。
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旧堀田邸から川瀬屋に来ました。
こちらで昼食です。 -
江戸時代天保元年創業で、190年以上の歴史を持つ蕎麦屋です。
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牡蠣天せいろをいただきました。
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佐倉武家屋敷に向かいます。
くらやみ坂を歩きます。武家屋敷と武家屋敷の間にある坂道で昼間でもちっとょ暗いです。 -
旧河原家住宅
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旧河原家住宅は、佐倉に残されている武家屋敷の中では最も古いもので、18世紀後半~19世紀前半の建築と考えられています。
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風呂場
風呂桶は後から置かれたものです。 -
1989年に解体した上で移築復原整備が行われ、この時に失われていた接客部分が、1845年の「河原喜右衛門江屋敷相渡帳」などの調査結果に基づいて復元されました。
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当時の武家の生活が垣間見られます。
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旧但馬家住宅です。
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武家屋敷の中でも、この旧但馬家住宅だけは他所からの移築ではなく、元々当
地に残されてきた屋敷なので、建物だけでなく庭園や植栽など全体の屋敷構えも当時のままに、武家屋敷の雰囲気を良く残しています。 -
但馬家はこの屋敷に明治になってから移り住んだそうで、幕末までのこの屋の主は槍術師範であった井口家でした。家禄は150石と佐倉藩の中では代表的な中級家臣だったようで、建物の様式にも禄高による特徴が見られるそうです。
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佐倉藩士が使用していた当世具足。
復元したものです。 -
旧武居家住宅
江戸時代後期に建てられた佐倉藩士の住宅。表向と生活空間を二列に分けた平面が特徴的です。 -
壁の断面を見ることができます。
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座敷には長押を付けないなど簡素な造りで、佐倉藩の中級藩士の住宅遺構として貴重です。
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貝塚武男家 借家庭跡
貝塚武男はレイテ海戦時の空母瑞鶴の艦長で、沈む艦と共に戦死した人だそうです。 -
裏庭には、佐倉藩の武家屋敷地独特の植栽景観が再現されています。
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佐倉藩士使用井戸
旧佐倉藩士が使用していた素掘りの深井戸です。 -
武家屋敷を出ました。
修静居跡 (しゅうせいきょ あと)
明治時代の道徳家、旧佐倉藩士西村茂樹は、明治5年(1872年)に佐倉城外68番屋敷に寄留し、書室を「修静居」と名付けました。 茂樹はここで『校正萬國史略』41巻を編さんしました。 -
ひよどり坂に来ました。
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武家屋敷通りに隣接した古径で、江戸時代からほとんど変わらない美しい竹林に囲まれています。
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ひよどり坂の下に来ました。
タイムスリップしたかのような古径です。 -
成徳書院跡
1792年に創立した藩校である佐倉学問所で、1836年に成徳書院と改め、現在地に移転したそうです。 -
西村勝三翁の像
西村勝三は佐倉藩支藩の佐野藩附家老の三男として 1836 年に江戸で生まれました。 1856 年に脱藩して横浜で貿易に従事。1869 年に大村益次郎から軍靴の国産化を打診されて伊勢勝製靴場を設立。後に起こした桜組 (社名は佐倉藩に因む) の製靴部門が現在に続く靴製造会社のリーガル、製革部門はニッピのそれぞれの源流となりました。 -
佐倉ピンクのポスト
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佐倉藩総鎮守 麻賀多神社に来ました。
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旧佐倉藩の総鎮守で、古くから「まかたさま」と人々に親しまれています。
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疱瘡神社(なで恵比寿)
御神像を直に撫でることにより、そのお力を戴けます。 -
佐倉市立美術館の「カフェ ブォナ ジョルナータ」でひと休みです。
地卵プリンをいただきました。 -
大人のカフェモカ
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蔵六餅本舗 木村屋
創業は明治15年。銀座木村屋の第二号店として、佐倉の歩兵第57連隊に非常食やパンを納める御用商人として創業しました。
蔵六餅は、佐倉藩主 堀田家に家宝として伝わる、おめでたい亀甲模様の石「蔵六石」にちなんだ餅入り最中です。 -
大津屋のピーナッツでドライピーナッツみそを購入。
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落花生も購入。
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ヤマニ味噌
創業明治二十年 -
2種類の味噌を購入。
お土産もいろいろ買い、帰宅しました。
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