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【思い出の旅】第11弾は、青春18きっぷで訪れた白河の古城と猪苗代の旅。<br />(2020.08.31投稿)<br />2006年の夏の終わり、残りの青春18きっぷを消化するために、ふらりと福島へと向かった。<br />とりあえず、郡山市内に宿を取り、初日は白河で小峰城跡を訪ねた。<br />翌日は、飯坂温泉か土湯温泉辺りへ行こうかと考えていたが、当日の朝、ふと気が変わり、磐越西線で猪苗代へと向かうことにした。

【思い出の旅】白河の古城とふらり訪れた猪苗代

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2006/08/26 - 2006/08/27

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旅猫

旅猫さん

【思い出の旅】第11弾は、青春18きっぷで訪れた白河の古城と猪苗代の旅。
(2020.08.31投稿)
2006年の夏の終わり、残りの青春18きっぷを消化するために、ふらりと福島へと向かった。
とりあえず、郡山市内に宿を取り、初日は白河で小峰城跡を訪ねた。
翌日は、飯坂温泉か土湯温泉辺りへ行こうかと考えていたが、当日の朝、ふと気が変わり、磐越西線で猪苗代へと向かうことにした。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 大宮駅を10時56分発の東北本線の快速列車に乗車し、終点の宇都宮駅で黒磯行に乗り換えた。<br />黒磯駅からは、13時33分発の普通列車で白河駅へと向かった。

    大宮駅を10時56分発の東北本線の快速列車に乗車し、終点の宇都宮駅で黒磯行に乗り換えた。
    黒磯駅からは、13時33分発の普通列車で白河駅へと向かった。

    黒磯駅

  • そして、白河駅には14時ちょうどに到着。<br />白河駅の駅舎は、大正10年(1921)に建設されたもので、小豆色の屋根が特徴的な瀟洒な洋風建築だった。

    そして、白河駅には14時ちょうどに到着。
    白河駅の駅舎は、大正10年(1921)に建設されたもので、小豆色の屋根が特徴的な瀟洒な洋風建築だった。

    白河駅

  • 目指す小峰城跡は、駅前を走る通りを渡った向かい側にあった。<br />小峰城は、石垣が美しい城として名が知れているが、東日本の城らしく、土塁の部分もあり、僅かに濠も残っていた。

    目指す小峰城跡は、駅前を走る通りを渡った向かい側にあった。
    小峰城は、石垣が美しい城として名が知れているが、東日本の城らしく、土塁の部分もあり、僅かに濠も残っていた。

    小峰城 名所・史跡

  • その土塁の東側には、立派な石垣が続いていた。<br />小峰城は二之丸と本丸の間に帯曲輪や竹之丸などがあるため、石垣が複雑な形をしている。<br /><br />※写真右端の月見櫓跡の石垣は、2011年の東日本大震災により崩落し、その後修復されています。

    その土塁の東側には、立派な石垣が続いていた。
    小峰城は二之丸と本丸の間に帯曲輪や竹之丸などがあるため、石垣が複雑な形をしている。

    ※写真右端の月見櫓跡の石垣は、2011年の東日本大震災により崩落し、その後修復されています。

  • 二之丸跡には、白河集古苑と言う小峰城の歴史に関する資料館が建っていた。<br />その入口には、大手門の礎石が保存されていた。<br /><br />※白河集古苑は改装され、平成31年(2019)4月に小峰城歴史館として開館しています。

    二之丸跡には、白河集古苑と言う小峰城の歴史に関する資料館が建っていた。
    その入口には、大手門の礎石が保存されていた。

    ※白河集古苑は改装され、平成31年(2019)4月に小峰城歴史館として開館しています。

    小峰城歴史館 名所・史跡

  • 本丸へは、清水門跡から入る。<br />その奥には、本丸の高石垣が見えていた。<br /><br />※本丸高石垣は、2011年の東日本大震災により崩落し、その後修復されています。

    本丸へは、清水門跡から入る。
    その奥には、本丸の高石垣が見えていた。

    ※本丸高石垣は、2011年の東日本大震災により崩落し、その後修復されています。

  • 清水門跡から入ると、左手に桜門の枡形跡がある。<br />本丸へは、この門から入るのが近いのだが、こちらは搦手なので、竹之丸を通り、大手である前御門へと向かうことにした。

    清水門跡から入ると、左手に桜門の枡形跡がある。
    本丸へは、この門から入るのが近いのだが、こちらは搦手なので、竹之丸を通り、大手である前御門へと向かうことにした。

  • 帯曲輪を通り、竹之丸へと向かう。<br />途中からは、二之丸跡と白河の街が望めた。

    帯曲輪を通り、竹之丸へと向かう。
    途中からは、二之丸跡と白河の街が望めた。

  • 竹之丸跡まで来ると、本丸の正門である前御門と三重御櫓が見えてきた。<br />三重御櫓は、実質的に天守の役割を持った建物だったが、戊辰戦争で焼失し、平成3年(1991)に木造で復元されたもの。<br />前御門も、同様に木造で平成6年(1994)に復元されている。<br />小峰城跡で、最も絵になる場所だった。

    竹之丸跡まで来ると、本丸の正門である前御門と三重御櫓が見えてきた。
    三重御櫓は、実質的に天守の役割を持った建物だったが、戊辰戦争で焼失し、平成3年(1991)に木造で復元されたもの。
    前御門も、同様に木造で平成6年(1994)に復元されている。
    小峰城跡で、最も絵になる場所だった。

  • 本丸跡に入り、三重御櫓を見学。<br />復元の際、戊辰戦争の激戦地であった松並稲荷山の杉を使ったため、一部の部材に弾痕を観ることが出来た。

    本丸跡に入り、三重御櫓を見学。
    復元の際、戊辰戦争の激戦地であった松並稲荷山の杉を使ったため、一部の部材に弾痕を観ることが出来た。

  • その三重御櫓の脇には、『おとめ桜』と呼ばれる桜の樹があった。<br />説明板によると、江戸時代、本丸石垣が何度も崩れたことから、人柱を立てることになり、その日最初に訪れた者とすることにしたが、藩士の娘がたまたま通りかかり、人柱とされたとのこと。<br />後に、その娘を哀れんで桜を植え、いつしか『おとめ桜』と呼ばれるそうになったそうだ。<br />その桜は戊辰戦争で焼けてしまったため、現在のものは二代目である。

    その三重御櫓の脇には、『おとめ桜』と呼ばれる桜の樹があった。
    説明板によると、江戸時代、本丸石垣が何度も崩れたことから、人柱を立てることになり、その日最初に訪れた者とすることにしたが、藩士の娘がたまたま通りかかり、人柱とされたとのこと。
    後に、その娘を哀れんで桜を植え、いつしか『おとめ桜』と呼ばれるそうになったそうだ。
    その桜は戊辰戦争で焼けてしまったため、現在のものは二代目である。

  • 小峰城跡から白河駅へと戻り、16時ちょうど発の仙台行普通列車に乗り、今宵の宿がある郡山駅へと向かう。<br />そして、郡山駅には16時37分に到着。<br />駅構内にあった蕎麦屋でいか天蕎麦を食べてから、宿へと向かった。<br />宿の近くには、代官小路と言う道があり、その辺りに二本松藩の代官所があったそうだ。

    小峰城跡から白河駅へと戻り、16時ちょうど発の仙台行普通列車に乗り、今宵の宿がある郡山駅へと向かう。
    そして、郡山駅には16時37分に到着。
    駅構内にあった蕎麦屋でいか天蕎麦を食べてから、宿へと向かった。
    宿の近くには、代官小路と言う道があり、その辺りに二本松藩の代官所があったそうだ。

  • 翌朝、郡山駅から、8時38分発の福島行普通列車に乗り込んだ。<br />予定では、福島駅から飯坂温泉か、土湯温泉へ行こうと考えていたのだが、座席に座って外を眺めていると、隣に、喜多方行の快速列車が入ってきた。<br />眺めているうちに、ふと磐越西線に乗るのも良いと考え、急遽、乗り換えることにした。

    翌朝、郡山駅から、8時38分発の福島行普通列車に乗り込んだ。
    予定では、福島駅から飯坂温泉か、土湯温泉へ行こうと考えていたのだが、座席に座って外を眺めていると、隣に、喜多方行の快速列車が入ってきた。
    眺めているうちに、ふと磐越西線に乗るのも良いと考え、急遽、乗り換えることにした。

    郡山駅

  • 列車は、8時31分に発車し、郡山の市街地を北西へと走って行く。<br />そして、15分ほどで磐梯熱海駅に到着した。<br />磐梯熱海は来たことが無かったので、とりあえず、ここで降りてみることにする。

    列車は、8時31分に発車し、郡山の市街地を北西へと走って行く。
    そして、15分ほどで磐梯熱海駅に到着した。
    磐梯熱海は来たことが無かったので、とりあえず、ここで降りてみることにする。

    磐梯熱海駅

  • 駅のすぐ近くに、熱海ゆけむり緑地と言う小さな公園があったので、その中を通り抜けていく。<br />そこは、小さな池と緑のある、和風の公園だった。<br />磐梯熱海は、名前の通り、温泉がある。<br />その温泉街は、駅近くと少し離れた場所に分かれていた。

    駅のすぐ近くに、熱海ゆけむり緑地と言う小さな公園があったので、その中を通り抜けていく。
    そこは、小さな池と緑のある、和風の公園だった。
    磐梯熱海は、名前の通り、温泉がある。
    その温泉街は、駅近くと少し離れた場所に分かれていた。

  • 15分ほど歩くと、温泉街に入った。<br />街は五百川沿いに続いているが、五百川と言う変わった川の名は、京の都から数えて五百本目の川だからだそうだ。<br />その川を渡ると、対岸に源泉神社があったので参拝することにした。<br />思いの外、近代的な温泉街だったので、今回は立ち寄らずに駅へと戻った。

    15分ほど歩くと、温泉街に入った。
    街は五百川沿いに続いているが、五百川と言う変わった川の名は、京の都から数えて五百本目の川だからだそうだ。
    その川を渡ると、対岸に源泉神社があったので参拝することにした。
    思いの外、近代的な温泉街だったので、今回は立ち寄らずに駅へと戻った。

  • 磐梯熱海駅に戻り、10時発の会津若松行快速列車に乗車。<br />次はどこに寄ろうかと考えた結果、次の停車駅である猪苗代駅で降りてみることにした。<br />地図を観ると、野口英世記念館の近くに地ビール館があるようなので、行ってみることにする。<br />駅前からバスに乗り、記念館前バス停で下車。<br />記念館の斜向かいにあった地ビール館に入り、レストランで早速麦酒を頂いた。

    磐梯熱海駅に戻り、10時発の会津若松行快速列車に乗車。
    次はどこに寄ろうかと考えた結果、次の停車駅である猪苗代駅で降りてみることにした。
    地図を観ると、野口英世記念館の近くに地ビール館があるようなので、行ってみることにする。
    駅前からバスに乗り、記念館前バス停で下車。
    記念館の斜向かいにあった地ビール館に入り、レストランで早速麦酒を頂いた。

    猪苗代地ビール館 グルメ・レストラン

  • 窓際の席からは、色づき始めた田んぼと、雲に隠れた磐梯山が望めた。<br />優し気な風景の中、麦酒で一息つくのは最高だ。

    窓際の席からは、色づき始めた田んぼと、雲に隠れた磐梯山が望めた。
    優し気な風景の中、麦酒で一息つくのは最高だ。

  • 食事は、ハーブチキンのグリルを注文。<br />少し小さかったのが残念だったが、味は麦酒に合っていた。

    食事は、ハーブチキンのグリルを注文。
    少し小さかったのが残念だったが、味は麦酒に合っていた。

  • 最初に飲んだピルスナーの次に頼んだのは、ヴァイツェン。<br />軽めの味わいが、暑い夏にちょうど良かった。

    最初に飲んだピルスナーの次に頼んだのは、ヴァイツェン。
    軽めの味わいが、暑い夏にちょうど良かった。

  • 地ビールを堪能した後、外に出ると魅力的な匂いが漂って来た。<br />その元へと向かうと、やはりソーセージが焼かれていた。<br />大好物なので、迷わず1本購入。<br />熱々で、また麦酒が飲みたくなってしまった。<br />

    地ビールを堪能した後、外に出ると魅力的な匂いが漂って来た。
    その元へと向かうと、やはりソーセージが焼かれていた。
    大好物なので、迷わず1本購入。
    熱々で、また麦酒が飲みたくなってしまった。

  • 猪苗代地ビール館を後にして、猪苗代駅へバスで戻る。<br />野口英世記念館は、子供の頃に訪れているので、今回は寄らなかった。

    猪苗代地ビール館を後にして、猪苗代駅へバスで戻る。
    野口英世記念館は、子供の頃に訪れているので、今回は寄らなかった。

  • 駅へ戻ると、何やら騒がしい。<br />駅員さんに尋ねると、蒸気機関車がやってくるとのこと。<br />『SLばんえつ物語号』が有名だが、これは別の列車だった。<br />偶然の出会いで得した気分だ。

    駅へ戻ると、何やら騒がしい。
    駅員さんに尋ねると、蒸気機関車がやってくるとのこと。
    『SLばんえつ物語号』が有名だが、これは別の列車だった。
    偶然の出会いで得した気分だ。

    猪苗代駅

  • まだ帰るには早いので、地図に乗っていた亀ヶ城跡を訪れることにした。<br />駅の北側にある会津バスのバスターミナルから、バスで向かうことにする。<br />かなり大きなバスターミナルで、個人的に好きな場所だ。<br /><br />※現在、会津バス猪苗代営業所は廃止されています。

    まだ帰るには早いので、地図に乗っていた亀ヶ城跡を訪れることにした。
    駅の北側にある会津バスのバスターミナルから、バスで向かうことにする。
    かなり大きなバスターミナルで、個人的に好きな場所だ。

    ※現在、会津バス猪苗代営業所は廃止されています。

  • バスは、7分で亀ヶ城入口バス停に着いた。<br />降り立った街なみは、亀ヶ城の城下町だった場所だ。<br /><br />※現在、街並みは大きく変わり、バス停のあった美容室も、帰りのバスを待った美容室前の長椅子も今はありません。

    バスは、7分で亀ヶ城入口バス停に着いた。
    降り立った街なみは、亀ヶ城の城下町だった場所だ。

    ※現在、街並みは大きく変わり、バス停のあった美容室も、帰りのバスを待った美容室前の長椅子も今はありません。

  • バス通りから、住宅街の中へと入って行くと、道が途中で筋違いとなっている場所があった。<br />そこが、亀ヶ城の大手門があった場所で、近くには石碑も建っていた。

    バス通りから、住宅街の中へと入って行くと、道が途中で筋違いとなっている場所があった。
    そこが、亀ヶ城の大手門があった場所で、近くには石碑も建っていた。

  • 石碑の先には、入り込んでみたくなるような路地もある。<br />城下町の名残りのようだった。

    石碑の先には、入り込んでみたくなるような路地もある。
    城下町の名残りのようだった。

  • さらに進むと、亀ヶ城公園に出た。<br />大手口枡形跡には、多門櫓の野面積みの石垣が残っている。<br />亀ヶ城は、三浦氏の末裔である猪苗代氏代々の居城であり、江戸時代には会津藩の防衛上の拠点であったが、戊辰戦争の際、新政府軍の攻撃で落城している。

    さらに進むと、亀ヶ城公園に出た。
    大手口枡形跡には、多門櫓の野面積みの石垣が残っている。
    亀ヶ城は、三浦氏の末裔である猪苗代氏代々の居城であり、江戸時代には会津藩の防衛上の拠点であったが、戊辰戦争の際、新政府軍の攻撃で落城している。

    亀ヶ城跡 名所・史跡

  • 大手道を登って行くと、道は二手に分かれている。<br />左手の石段が大手道で、奥に本丸の石垣が見えていた。<br />本丸は後回しとして、右手の道を登って行く。

    大手道を登って行くと、道は二手に分かれている。
    左手の石段が大手道で、奥に本丸の石垣が見えていた。
    本丸は後回しとして、右手の道を登って行く。

  • 土塁に囲まれた細い道を進むと平坦な場所が現れた。<br />そこが北郭の跡だった。<br />今は、小さな公園となっている。

    土塁に囲まれた細い道を進むと平坦な場所が現れた。
    そこが北郭の跡だった。
    今は、小さな公園となっている。

  • その先で、細い道が下っていた。<br />奥に見えていたのは、猪苗代氏代々の隠居城と云われる鶴峯城跡だ。<br />近世城郭への改修を受けていないため、戦国末期の城の構造を色濃く残しているそうだ。

    その先で、細い道が下っていた。
    奥に見えていたのは、猪苗代氏代々の隠居城と云われる鶴峯城跡だ。
    近世城郭への改修を受けていないため、戦国末期の城の構造を色濃く残しているそうだ。

  • さらに歩いて行くと、帯郭(西郭)が現れた。<br />立派な土塁が残り、城跡らしい雰囲気が感じられる。

    さらに歩いて行くと、帯郭(西郭)が現れた。
    立派な土塁が残り、城跡らしい雰囲気が感じられる。

  • 反対側には、本丸の高い土塁が続いている。<br />この高さと勾配だと、重い甲冑を着て登るのは難しいだろう。

    反対側には、本丸の高い土塁が続いている。
    この高さと勾配だと、重い甲冑を着て登るのは難しいだろう。

  • その先にも広い場所があり、そこが南郭だった。<br />思いの外単純な構造で、さほど広くはない。<br />戦国期ならいざ知らず、戊辰の頃ではひとたまりも無かったことだろう。

    その先にも広い場所があり、そこが南郭だった。
    思いの外単純な構造で、さほど広くはない。
    戦国期ならいざ知らず、戊辰の頃ではひとたまりも無かったことだろう。

  • 南郭の手前に、二之郭へと登る搦手口があった。<br />大手道は整備されて階段になってしまっているが。こちらは当時のまま残っているようだ。

    南郭の手前に、二之郭へと登る搦手口があった。
    大手道は整備されて階段になってしまっているが。こちらは当時のまま残っているようだ。

  • 本丸の南側にある二之郭には、野口英世博士の像がおかれていた。<br />博士は、子供の頃、この城跡で遊んでいたらしい。

    本丸の南側にある二之郭には、野口英世博士の像がおかれていた。
    博士は、子供の頃、この城跡で遊んでいたらしい。

  • 二之郭と本丸を隔てる黒門跡から本丸へと入る。<br />この辺りは、戊辰戦争後に破壊されたため、石垣はほとんど残っていない。

    二之郭と本丸を隔てる黒門跡から本丸へと入る。
    この辺りは、戊辰戦争後に破壊されたため、石垣はほとんど残っていない。

  • 本丸跡は、思ったよりも広々としていた。<br />この城一番の絶景が眺められる場所なのだが、生憎の空模様で、磐梯山の雄姿は拝むことが出来なかった。

    本丸跡は、思ったよりも広々としていた。
    この城一番の絶景が眺められる場所なのだが、生憎の空模様で、磐梯山の雄姿は拝むことが出来なかった。

  • 本丸からは、二之郭の櫓門跡の石垣が望めた。<br />石段を下れば大手口に出る。<br />時間が迫ってきたので、今回はこの辺で切り上げることにする。<br />桜や紅葉の季節は美しいらしく、磐梯山も眺めてみたいし、鶴峯城跡も観てみたいので、いずれまた訪れたいと思う。

    本丸からは、二之郭の櫓門跡の石垣が望めた。
    石段を下れば大手口に出る。
    時間が迫ってきたので、今回はこの辺で切り上げることにする。
    桜や紅葉の季節は美しいらしく、磐梯山も眺めてみたいし、鶴峯城跡も観てみたいので、いずれまた訪れたいと思う。

  • バス停へ戻り、猪苗代駅前のバスターミナルへと戻る。<br />それにしても、往時は立派なバスターミナルだったのだろう。<br />今は、乗客も疎らで、発着するバスも少ない。

    バス停へ戻り、猪苗代駅前のバスターミナルへと戻る。
    それにしても、往時は立派なバスターミナルだったのだろう。
    今は、乗客も疎らで、発着するバスも少ない。

  • 14時40分発の郡山行の快速列車で猪苗代を後にした。<br />郡山駅からは、15時46分発の黒磯行普通列車に乗車し、終点の黒磯駅で、17時24分発の上野行臨時快速『フェアウェイ』に乗り換え大宮駅へと戻る。

    14時40分発の郡山行の快速列車で猪苗代を後にした。
    郡山駅からは、15時46分発の黒磯行普通列車に乗車し、終点の黒磯駅で、17時24分発の上野行臨時快速『フェアウェイ』に乗り換え大宮駅へと戻る。

  • 車内で、郡山駅での乗り換え時間で買い込んできた駅弁『安積のとりめし』を夕飯代わりに食べる。<br />初めて食べたが、他のとりめしには無い、白くてふわふあしたものが入っている。<br />白身を利用したものらしいが、これがいまひとつだった。<br /><br />夏の週末、一泊二日で訪れた福島の旅。<br />二日目に予定が大きく変わったおかげで、美味しい麦酒と渋い古城に出会うことが出来た。<br />久しぶりに、古城を堪能した旅となった。

    車内で、郡山駅での乗り換え時間で買い込んできた駅弁『安積のとりめし』を夕飯代わりに食べる。
    初めて食べたが、他のとりめしには無い、白くてふわふあしたものが入っている。
    白身を利用したものらしいが、これがいまひとつだった。

    夏の週末、一泊二日で訪れた福島の旅。
    二日目に予定が大きく変わったおかげで、美味しい麦酒と渋い古城に出会うことが出来た。
    久しぶりに、古城を堪能した旅となった。

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