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【思い出の旅】第11弾は、青春18きっぷで訪れた白河の古城と猪苗代の旅。<br />2006年の夏の終わり、青春18きっぷを消化するため、ふらり福島へと向かった。とりあえず、郡山市内に宿を取り、初日は白河で小峰城跡を訪ねる。翌日は、飯坂温泉か土湯温泉辺りへ行こうかと考えていたが、当日の朝、ふと気が変わり、磐越西線で猪苗代へと向かうことにした。<br /><br />(2026.08.29投稿)

【思い出の旅】白河の古城とふらり訪れた猪苗代

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2006/08/26 - 2006/08/27

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旅猫

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【思い出の旅】第11弾は、青春18きっぷで訪れた白河の古城と猪苗代の旅。
2006年の夏の終わり、青春18きっぷを消化するため、ふらり福島へと向かった。とりあえず、郡山市内に宿を取り、初日は白河で小峰城跡を訪ねる。翌日は、飯坂温泉か土湯温泉辺りへ行こうかと考えていたが、当日の朝、ふと気が変わり、磐越西線で猪苗代へと向かうことにした。

(2026.08.29投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 大宮駅を10時56分に出る東北本線の快速列車に乗車し、終点の宇都宮駅で黒磯行に乗り換えた。黒磯駅からは、13時33分発の普通列車に乗り白河駅へと向かう。

    大宮駅を10時56分に出る東北本線の快速列車に乗車し、終点の宇都宮駅で黒磯行に乗り換えた。黒磯駅からは、13時33分発の普通列車に乗り白河駅へと向かう。

  • そして、白河駅には14時に着いた。白河駅の駅舎は、大正10年(1921)に建設されたもので、小豆色の屋根が美しい瀟洒な洋風建築であった。

    そして、白河駅には14時に着いた。白河駅の駅舎は、大正10年(1921)に建設されたもので、小豆色の屋根が美しい瀟洒な洋風建築であった。

  • 目指す小峰城跡は、駅前の通りを渡った向かい側にあった。小峰城は、石垣が美しい城として名が知れているが、東日本の城らしく、土塁の部分もある。僅かに濠も残っていた。

    目指す小峰城跡は、駅前の通りを渡った向かい側にあった。小峰城は、石垣が美しい城として名が知れているが、東日本の城らしく、土塁の部分もある。僅かに濠も残っていた。

    小峰城 名所・史跡

  • その土塁の東側には、立派な石垣が続いていた。小峰城は、二之丸と本丸の間に帯曲輪や竹之丸などがあるため、石垣が複雑な形をしている。<br />※写真右端の月見櫓跡の石垣は、2011年の東日本大震災により崩落し、その後修復されています。

    その土塁の東側には、立派な石垣が続いていた。小峰城は、二之丸と本丸の間に帯曲輪や竹之丸などがあるため、石垣が複雑な形をしている。
    ※写真右端の月見櫓跡の石垣は、2011年の東日本大震災により崩落し、その後修復されています。

  • 二之丸跡には、白河集古苑と言う小峰城の歴史に関する資料館が建っていた。その入口には、大手門の礎石が保存されていた。<br />※白河集古苑は改装され、平成31年(2019)4月に小峰城歴史館として開館しています。

    二之丸跡には、白河集古苑と言う小峰城の歴史に関する資料館が建っていた。その入口には、大手門の礎石が保存されていた。
    ※白河集古苑は改装され、平成31年(2019)4月に小峰城歴史館として開館しています。

    小峰城歴史館 名所・史跡

  • 本丸へは、清水門跡から入る。その奥には、本丸の高石垣が見えていた。<br />※本丸高石垣は、2011年の東日本大震災により崩落し、その後修復されています。

    本丸へは、清水門跡から入る。その奥には、本丸の高石垣が見えていた。
    ※本丸高石垣は、2011年の東日本大震災により崩落し、その後修復されています。

  • 清水門跡から入ると、左手に桜門の枡形跡がある。本丸へは、この門から入るのが近いのだが、こちらは搦手なので、竹之丸を通り、大手である前御門へと向かうことにした。

    清水門跡から入ると、左手に桜門の枡形跡がある。本丸へは、この門から入るのが近いのだが、こちらは搦手なので、竹之丸を通り、大手である前御門へと向かうことにした。

  • 帯曲輪を通り、竹之丸へと向かう。途中、二之丸跡と白河の街が望めた。

    帯曲輪を通り、竹之丸へと向かう。途中、二之丸跡と白河の街が望めた。

  • 竹之丸跡まで来ると、本丸の正門である前御門と三重御櫓が見えてきた。三重御櫓は、実質的に天守の役割を持った建物であったが、戊辰戦争で焼失し、平成3年(1991)に木造で復元されたものである。前御門も、同様に木造で平成6年(1994)に復元されている。小峰城跡で、最も絵になる場所であった。

    竹之丸跡まで来ると、本丸の正門である前御門と三重御櫓が見えてきた。三重御櫓は、実質的に天守の役割を持った建物であったが、戊辰戦争で焼失し、平成3年(1991)に木造で復元されたものである。前御門も、同様に木造で平成6年(1994)に復元されている。小峰城跡で、最も絵になる場所であった。

  • 本丸跡に入り、三重御櫓を見学する。復元の際、戊辰戦争の激戦地であった松並稲荷山の杉を使ったため、一部の部材に弾痕を観ることが出来る。

    本丸跡に入り、三重御櫓を見学する。復元の際、戊辰戦争の激戦地であった松並稲荷山の杉を使ったため、一部の部材に弾痕を観ることが出来る。

  • その三重御櫓の脇には、『おとめ桜』と呼ばれる桜の樹があった。説明板によると、江戸時代、本丸石垣が何度も崩れたことから、人柱を立てることになり、その日最初に訪れた者とすることにしたが、藩士の娘がたまたま通りかかり、人柱とされたそうだ。後に、その娘を哀れんで桜を植え、いつしか『おとめ桜』と呼ばれるそうになったそうだ。その桜は戊辰戦争で焼けてしまったため、現在のものは二代目である。

    その三重御櫓の脇には、『おとめ桜』と呼ばれる桜の樹があった。説明板によると、江戸時代、本丸石垣が何度も崩れたことから、人柱を立てることになり、その日最初に訪れた者とすることにしたが、藩士の娘がたまたま通りかかり、人柱とされたそうだ。後に、その娘を哀れんで桜を植え、いつしか『おとめ桜』と呼ばれるそうになったそうだ。その桜は戊辰戦争で焼けてしまったため、現在のものは二代目である。

  • 白河駅へと戻り、16時発の仙台行普通列車に乗り、今宵の宿がある郡山駅へと向かう。そして、郡山駅には16時37分に到着。駅構内にあった蕎麦屋でいか天蕎麦を食べてから、宿へと向かった。宿の近くには、代官小路と言う道があり、その辺りに二本松藩の代官所があったそうだ。

    白河駅へと戻り、16時発の仙台行普通列車に乗り、今宵の宿がある郡山駅へと向かう。そして、郡山駅には16時37分に到着。駅構内にあった蕎麦屋でいか天蕎麦を食べてから、宿へと向かった。宿の近くには、代官小路と言う道があり、その辺りに二本松藩の代官所があったそうだ。

  • 翌朝、8時38分発の福島行普通列車に乗り込んだ。予定では、福島駅から飯坂温泉か、土湯温泉へ行こうと考えていたのだが、車内に座って外を眺めていると、隣に、喜多方行の快速列車が入ってきた。見ているうちに、ふと磐越西線に乗るのも良いと考え、急遽、乗り換えることにした。

    翌朝、8時38分発の福島行普通列車に乗り込んだ。予定では、福島駅から飯坂温泉か、土湯温泉へ行こうと考えていたのだが、車内に座って外を眺めていると、隣に、喜多方行の快速列車が入ってきた。見ているうちに、ふと磐越西線に乗るのも良いと考え、急遽、乗り換えることにした。

  • 8時31分に出た列車は、郡山の市街地を北西へと走って行く。そして、15分ほどで磐梯熱海駅に到着した。磐梯熱海は訪れたことが無かったので、とりあえず、ここで降りてみることにする。

    8時31分に出た列車は、郡山の市街地を北西へと走って行く。そして、15分ほどで磐梯熱海駅に到着した。磐梯熱海は訪れたことが無かったので、とりあえず、ここで降りてみることにする。

  • 駅のすぐ近くに、熱海ゆけむり緑地と言う小さな公園があった。そこを通り抜けていくと、小さな池と緑のある和風の公園であった。磐梯熱海は、名前の通り、温泉があるのだが、その温泉街は、駅近くと少し離れた場所に分かれていた。

    駅のすぐ近くに、熱海ゆけむり緑地と言う小さな公園があった。そこを通り抜けていくと、小さな池と緑のある和風の公園であった。磐梯熱海は、名前の通り、温泉があるのだが、その温泉街は、駅近くと少し離れた場所に分かれていた。

  • そして、15分ほど歩くと、温泉街に入った。温泉街は、五百川沿いに続いているが、五百川と言う変わった川の名は、京の都から数えて五百本目の川だからだそうだ。その川を渡ると、対岸に源泉神社があったので参拝することにした。温泉は、近代的な温泉街だったこともあり、今回は立ち寄らずに駅へと戻った。

    そして、15分ほど歩くと、温泉街に入った。温泉街は、五百川沿いに続いているが、五百川と言う変わった川の名は、京の都から数えて五百本目の川だからだそうだ。その川を渡ると、対岸に源泉神社があったので参拝することにした。温泉は、近代的な温泉街だったこともあり、今回は立ち寄らずに駅へと戻った。

  • 10時発の会津若松行快速列車に乗車。次はどこに寄ろうかと考えた結果、次の停車駅である猪苗代駅で降りることにした。地図を観ると、野口英世記念館の近くに地ビール館があるようなので、行ってみることにする。駅前からバスに乗り、記念館前バス停で下車。記念館の斜向かいにあった地ビール館に入り、レストランで早速麦酒を頂く。

    10時発の会津若松行快速列車に乗車。次はどこに寄ろうかと考えた結果、次の停車駅である猪苗代駅で降りることにした。地図を観ると、野口英世記念館の近くに地ビール館があるようなので、行ってみることにする。駅前からバスに乗り、記念館前バス停で下車。記念館の斜向かいにあった地ビール館に入り、レストランで早速麦酒を頂く。

    猪苗代地ビール館 グルメ・レストラン

  • 窓際の席からは、色付き始めた田んぼと、雲に隠れた磐梯山が望めた。優し気な風景を眺めながらの麦酒は、とても美味しい。

    窓際の席からは、色付き始めた田んぼと、雲に隠れた磐梯山が望めた。優し気な風景を眺めながらの麦酒は、とても美味しい。

  • 食事は、ハーブチキンのグリルを注文した。少し小さかったのが残念だったが、味は麦酒によく合い、美味しかった。

    食事は、ハーブチキンのグリルを注文した。少し小さかったのが残念だったが、味は麦酒によく合い、美味しかった。

  • 麦酒は、最初にピルスナーを飲み、次はヴァイツェンとした。軽めの味わいが、暑い夏にはちょうど良かった。

    麦酒は、最初にピルスナーを飲み、次はヴァイツェンとした。軽めの味わいが、暑い夏にはちょうど良かった。

  • 地麦酒を堪能した後、外に出ると魅力的な匂いが漂って来た。その元へと向かうと、やはりソーセージが焼かれていた。大好物なので、迷わず1本購入。熱々で、また麦酒が飲みたくなってしまった。<br />

    地麦酒を堪能した後、外に出ると魅力的な匂いが漂って来た。その元へと向かうと、やはりソーセージが焼かれていた。大好物なので、迷わず1本購入。熱々で、また麦酒が飲みたくなってしまった。

  • 地ビール館を後にして、猪苗代駅へバスで戻る。野口英世記念館は、子供の頃に訪れているので、今回は寄らなかった。しかし、大人になってから改めて見学すれば、また違っていたであろうと、後で少々悔やんだ。

    地ビール館を後にして、猪苗代駅へバスで戻る。野口英世記念館は、子供の頃に訪れているので、今回は寄らなかった。しかし、大人になってから改めて見学すれば、また違っていたであろうと、後で少々悔やんだ。

  • 駅へ戻ると、何やら騒がしい。駅員さんに尋ねると、蒸気機関車がやって来るとのことである。『SLばんえつ物語号』が有名だが、これは別の列車であった。偶然の出会いで得した気分である。

    駅へ戻ると、何やら騒がしい。駅員さんに尋ねると、蒸気機関車がやって来るとのことである。『SLばんえつ物語号』が有名だが、これは別の列車であった。偶然の出会いで得した気分である。

  • まだ時間が早いので、地図に乗っていた亀ヶ城跡を訪れることにした。駅の北側にある会津バスのバスターミナルから、バスで向かうことにする。かなり大きなバスターミナルで、個人的には好きな場所である。<br />※現在、会津バス猪苗代営業所は廃止されています。

    まだ時間が早いので、地図に乗っていた亀ヶ城跡を訪れることにした。駅の北側にある会津バスのバスターミナルから、バスで向かうことにする。かなり大きなバスターミナルで、個人的には好きな場所である。
    ※現在、会津バス猪苗代営業所は廃止されています。

  • バスは、7分で亀ヶ城入口バス停に着いた。降り立った街なみは、亀ヶ城の城下町だった場所である。<br />※現在、街並みは大きく変わり、バス停のあった美容室も、帰りのバスを待った美容室前の長椅子も、今はありません。

    バスは、7分で亀ヶ城入口バス停に着いた。降り立った街なみは、亀ヶ城の城下町だった場所である。
    ※現在、街並みは大きく変わり、バス停のあった美容室も、帰りのバスを待った美容室前の長椅子も、今はありません。

  • バス通りから、住宅街の中へと入って行くと、道が途中で筋違いとなっている場所があった。そこが、亀ヶ城の大手門があった場所で、近くには石碑も建っていた。

    バス通りから、住宅街の中へと入って行くと、道が途中で筋違いとなっている場所があった。そこが、亀ヶ城の大手門があった場所で、近くには石碑も建っていた。

  • 石碑の先には、入り込んでみたくなるような路地もある。城下町の名残りのようだった。

    石碑の先には、入り込んでみたくなるような路地もある。城下町の名残りのようだった。

  • さらに進むと、亀ヶ城公園に出た。大手口枡形跡には、多門櫓の野面積みの石垣が残っている。亀ヶ城は、三浦氏の末裔である猪苗代氏代々の居城であり、江戸時代には会津藩の防衛上の拠点であったが、戊辰戦争の際、新政府軍の攻撃で落城している。

    さらに進むと、亀ヶ城公園に出た。大手口枡形跡には、多門櫓の野面積みの石垣が残っている。亀ヶ城は、三浦氏の末裔である猪苗代氏代々の居城であり、江戸時代には会津藩の防衛上の拠点であったが、戊辰戦争の際、新政府軍の攻撃で落城している。

    亀ヶ城跡 名所・史跡

  • 大手道を登って行くと、道が二手に分かれている。左手に続く石段が大手道で、奥に本丸の石垣が見えている。本丸は後回しとして、右手の道を登って行く。

    大手道を登って行くと、道が二手に分かれている。左手に続く石段が大手道で、奥に本丸の石垣が見えている。本丸は後回しとして、右手の道を登って行く。

  • 土塁に囲まれた細い道を進むと、平坦な場所が現れた。そこが北郭の跡であった。今は、小さな公園となっていた。

    土塁に囲まれた細い道を進むと、平坦な場所が現れた。そこが北郭の跡であった。今は、小さな公園となっていた。

  • その先で、細い道が下っていた。その奥に見えていたのは、猪苗代氏代々の隠居城と云われる鶴峯城跡であった。近世城郭への改修を受けていないため、戦国末期の城の構造を色濃く残しているそうである。

    その先で、細い道が下っていた。その奥に見えていたのは、猪苗代氏代々の隠居城と云われる鶴峯城跡であった。近世城郭への改修を受けていないため、戦国末期の城の構造を色濃く残しているそうである。

  • さらに歩いて行くと、帯郭(西郭)が現れた。立派な土塁が残り、城跡らしい雰囲気が感じられる。

    さらに歩いて行くと、帯郭(西郭)が現れた。立派な土塁が残り、城跡らしい雰囲気が感じられる。

  • 反対側には、本丸の高い土塁が続いている。この高さと勾配だと、重い甲冑を着て登るのは難しいだろう。

    反対側には、本丸の高い土塁が続いている。この高さと勾配だと、重い甲冑を着て登るのは難しいだろう。

  • その先にも広い場所があり、そこが南郭であった。思いのほか単純な構造で、さほど広くはない。戦国期ならいざ知らず、戊辰の頃では、ひとたまりも無かったことだろう。

    その先にも広い場所があり、そこが南郭であった。思いのほか単純な構造で、さほど広くはない。戦国期ならいざ知らず、戊辰の頃では、ひとたまりも無かったことだろう。

  • 南郭の手前に、二之郭へと登る搦手口があった。大手道は整備されて階段になってしまっているが。こちらは当時のまま残っているようだ。

    南郭の手前に、二之郭へと登る搦手口があった。大手道は整備されて階段になってしまっているが。こちらは当時のまま残っているようだ。

  • 本丸南側にある二之郭には、野口英世博士の像がおかれていた。博士は、子供の頃、この城跡で遊んでいたらしい。

    本丸南側にある二之郭には、野口英世博士の像がおかれていた。博士は、子供の頃、この城跡で遊んでいたらしい。

  • 二之郭と本丸を隔てる黒門跡から本丸へと入る。この辺りは、戊辰戦争後に破壊されたため、石垣はほとんど残っていない。

    二之郭と本丸を隔てる黒門跡から本丸へと入る。この辺りは、戊辰戦争後に破壊されたため、石垣はほとんど残っていない。

  • 本丸跡は、思ったよりも広々としていた。そこからは、磐梯山の姿を間近に眺めることが出来るはずなのだが、生憎の空模様で、拝むことが出来なかった。

    本丸跡は、思ったよりも広々としていた。そこからは、磐梯山の姿を間近に眺めることが出来るはずなのだが、生憎の空模様で、拝むことが出来なかった。

  • 本丸の一角からは、二之郭の櫓門跡の石垣が望めた。石段を下れば大手口に出る。時間が迫ってきたので、今回はこの辺で切り上げることにする。桜や紅葉の季節は美しいらしく、鶴峯城跡も観てみたいので、いずれまた訪れたいと思う。その時には、磐梯山の雄姿も見てみたいものである。

    本丸の一角からは、二之郭の櫓門跡の石垣が望めた。石段を下れば大手口に出る。時間が迫ってきたので、今回はこの辺で切り上げることにする。桜や紅葉の季節は美しいらしく、鶴峯城跡も観てみたいので、いずれまた訪れたいと思う。その時には、磐梯山の雄姿も見てみたいものである。

  • バス停へ戻り、猪苗代駅前のバスターミナルへと戻る。それにしても、このバスターミナルは、かつて、かなり立派なバスターミナルだったのだろう。今は、乗客も疎らで、発着するバスも少ない。寂しいものである。<br />※現在、会津バス猪苗代営業所は廃止されています。

    バス停へ戻り、猪苗代駅前のバスターミナルへと戻る。それにしても、このバスターミナルは、かつて、かなり立派なバスターミナルだったのだろう。今は、乗客も疎らで、発着するバスも少ない。寂しいものである。
    ※現在、会津バス猪苗代営業所は廃止されています。

  • 14時40分発の郡山行の快速列車で猪苗代を後にした。郡山駅からは、15時46分発の黒磯行普通列車に乗車し、黒磯駅に向かう。そして、17時24分発の上野行臨時快速『フェアウェイ』に乗り換え、この旅を終える。<br />※快速『フェアウェイ』は、現在廃止されています。

    14時40分発の郡山行の快速列車で猪苗代を後にした。郡山駅からは、15時46分発の黒磯行普通列車に乗車し、黒磯駅に向かう。そして、17時24分発の上野行臨時快速『フェアウェイ』に乗り換え、この旅を終える。
    ※快速『フェアウェイ』は、現在廃止されています。

  • 車内で、郡山駅での乗り換え時間に買い込んできた駅弁『安積のとりめし』を、夕飯代わりに食べる。初めて食べたが、他のとりめしには無い、白くてふわふわしたものが入っている。白身を利用したものらしいが、これが個人的には駄目であった。夏の週末、一泊二日で訪れた福島の旅。二日目に予定が大きく変わったおかげで、美味しい麦酒と小さな古城に出会うことが出来た。<br />(2020.08.31投稿)

    車内で、郡山駅での乗り換え時間に買い込んできた駅弁『安積のとりめし』を、夕飯代わりに食べる。初めて食べたが、他のとりめしには無い、白くてふわふわしたものが入っている。白身を利用したものらしいが、これが個人的には駄目であった。夏の週末、一泊二日で訪れた福島の旅。二日目に予定が大きく変わったおかげで、美味しい麦酒と小さな古城に出会うことが出来た。
    (2020.08.31投稿)

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