2020/02/21 - 2020/02/23
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ウェンディさん
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この旅行記のスケジュール
2020/02/23
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高千穂を朝早くに出て、日向へと向かう。 道なりに走っていると高速道路へと誘導されるので注意!
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国道10号線へ通りて馬ケ背へ。 柱状節理日本一と言われる絶景はその言葉に間違いはなかった。
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馬ヶ背の遊歩道はぐるっと一周コース。細島灯台経由で駐車場へ。
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クルスの海は馬の背から車で5分。確かに見ごたえある景色だけれど、鐘を設置している時点で興醒め感満載。
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柱状節理の崖に建立された大御神社。海と岩、そしてシックな社が醸し出す独特の雰囲気は、日本唯一!
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龍宮がある日向鵜戸神社。 干潮時に訪れれば、天に昇る白竜の姿が現れる
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ランチは道の駅つの(都農)で、宮崎B級グルメの地鶏の炭火焼き。柚子胡椒との相性抜群で美味しい!
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宮崎空港のカフェ・カンナで、宮崎スイーツの日向夏のケーキを食べながら飛行機待ち♪
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この旅行記スケジュールを元に
今から遥か昔の、縄文時代と言われていた頃。
そこは八百万の神の思想も生まれる前の世界で、人々は自然の中に神を見出し、暮らしていました。
まだ稲が大陸から伝わっていなかった前期縄文時代には耕作という概念は存在せず、人々は海で魚や海藻を採取し、山で小動物や木の実を獲る生活を送っていました。
天気が崩れ、嵐が続き、海や山が荒れると何日も海や山に狩りには行けず、栄養不足による体調不良で命を落とす者もいました。
そんな彼らがある日、海辺で見つけた洞窟。
見た目は何の変哲もない海蝕窟でしたが、実はそこは龍神の棲み処。
一定条件が揃う日時、その洞窟には天へと翔昇る輝く龍神が現れます。
最初にその龍神の姿を見た縄文人は、さぞ驚いたことでしょう。
古代中国の文化から日本に龍が伝来したのは弥生時代と言われていて、縄文時代には龍のシンボルの概念は日本には存在しませんでした。
それなのに縄文時代の人々は、海蝕窟に現れた輝く光の筋を天翔ける龍と認識し、龍神として崇めたという不思議。
古事記に登場する国津神の神々も、そのモチーフは龍。
龍はもしかして伝説上の生き物ではなく、太古の昔には存在していた目に見えぬ神だったのかもしれません。
☆古事記を巡る宮崎旅
旅行記-1:本当はアダルトな古事記:https://4travel.jp/travelogue/11616411
旅行記-2:実はエグい古事記:https://4travel.jp/travelogue/11617927
旅行記-3:モアイを肴に時間旅行:https://4travel.jp/travelogue/11620618
旅行記-4:朱の鳥居を翔ける龍神:https://4travel.jp/travelogue/11622560
番外編:京薫る美々津☆レトロ散歩:https://4travel.jp/travelogue/11630623
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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古事記に触発され、旅した宮崎。
旅の下調べは、もちろん古事記に縁のある土地について。
古事記、日本書紀の解説書を読み解き、現在の地名との関連を調べ旅に出ました。
しかし、旅には想定外がつきもの。
現地入りしてからもなんだかんだと調べる内に、宮崎にはGeo Loverが涎を垂らして喜びそうな地形がゴロゴロあることを知ってしまいました。
そしてその中には、龍宮伝説にまつわる龍宮岩窟があることも…。
その龍宮があるのは古事記にも縁がある場所ですが、龍宮岩窟の歴史は古事記以上に古く、その信仰が始まったのは縄文時代。
入り江の奥にひっそりと奉られる龍宮岩窟。
果たして、そこに現在も龍が眠るのか。
朱色の鳥居から天上へと駆け上る竜神の姿を求め、宮崎の海岸線を走りました。 -
イチオシ
宮崎でGeo Site(ジオサイト)といえば、誰もが思いつくのは高千穂峡。
アマテラス(天照大御神)の孫であるニニギ(邇邇芸命)が天孫降臨で降りたった場所が高千穂であり、高千穂峡の切り立つ岩の景色が、その伝説に更に真実味を加えている。高千穂峡 自然・景勝地
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高千穂峡の不思議な岩の絶景だが、これらの岩の造形には名前があり、その名も“柱状節理”。
六角形や五角形の柱の形をした柱状節理が作られるのはアツアツのマグマの中で、ドロドロに溶けだした灼熱のマグマが冷やされ、固まった柱形の岩が柱状節理だ。
では、高千穂の柱状節理も地球の内部で煮えたぎるマグマからできたのだろうか。
実は高千穂の柱状節理の誕生場所は地球の内部ではなく、地球の表面だ。
高千穂峡の柱状節理は、高温の火砕流が地表で冷えるときにできた溶結凝灰岩で、今から数十万年前に始まった阿蘇山の噴火で流れ込んだ火砕流の最後の姿を留めている。
でも、阿蘇山があるのは熊本県で、高千穂峡は宮崎県。
両者の間の距離は50㎞もあるのに、阿蘇山の火砕流が高千穂まで流れて来ただなんてあり得たのか。 -
阿蘇山の現在の標高は1592mだが、その噴火口にある現存するカルデラのサイズは長径(長い方の直径)で約25kmと巨大。
そのカルデラの大きさから、数十万年前の火山の噴火と共に吹っ飛んだ阿蘇山の元々の山頂の高さを算出すると、噴火前の阿蘇山は標高10000mに達していたのではないかと推測され、これは現在の世界最標高のエベレスト山(8848m)をはるかに超える標高となる。
もし、大昔の阿蘇山が噴火していなければ今頃、日本には世界一高い阿蘇山があり、その山を登頂しようと各国のクライマーが殺到し登山ポーターという職業が高給を稼ぐメジャーな職種となっていたのかもしれないと想像できるが、上には上がいるものでインドネシアにある世界最大級カルデラのDanau Tobaはその長径が阿蘇の4倍の約100㎞。
その山頂の高さを算出すると阿蘇山の遥か上を行くので、どう転んでも阿蘇山世界一説はあり得ない。
とはいえ、巨大な山域を持つ阿蘇山だからこそ、阿蘇山から50kmも離れた高千穂まで火砕流を流すことも、お茶の子さいさいだったに違いない。 -
高千穂峡の柱状節理は私たちに太古に起きた大地の活動の壮大さ、力強さを教えてくれたのだが、し・か・し…
高千穂峡の柱状節理が日本一ではないことを、私はこの旅を通して知ってしまった。
では、No.1の柱状節理はどこに存在するのか?
それは、阿蘇の噴火で流れ出した火砕流が最後に流れ着いた“馬ケ背”だ。馬ヶ背 自然・景勝地
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看板によると、馬ケ背の柱状節理は断崖に沿って聳える70mの柱状節理の柱が並ぶ絶景ということだが、私は馬ケ背の地名を現地入りするまで知らなく、ガイドブックの片隅にあった記事で知っただけ。
だから、あまり期待せずに訪れたのだが… -
駐車場に車を止めて5分歩いた先に広がるその景色に、久しぶりに感動した。
高千穂の景色は今まで何回もブログやTV番組で目にしていたが、馬ケ背の海へと流れ込む柱状節理の絶景は、日本ではないみたい! -
遊歩道から海面をのぞき込むと、柱状節理の六角形や五角形の断面がまるで鉛筆のお尻を並べたみたい。
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訪れた時間帯がちょうど満潮から干潮へと変わる潮のタイミングだったので、目の前の海ではどんどん潮位が下がり柱状節理の柱が海上に姿を現すスペクタルな光景。
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高千穂は山の中、馬ケ背は海の柱状節理なので単純比較はできないが、規模的に見たら馬ケ背の方が断然ダイナミック。
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馬ケ背の遊歩道は、岬の先に馬の背のように細く伸び、
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その遊歩道の眼下には、波が削り取った柱状節理の岩の不思議な景観が広がっていた。
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2018年に訪れたイエローストーンN.P.の近くのマンモス・レイクスにあるDevils Postpile(デビルズ ポストパイル)の巨大な柱状節理↓にも感動したが、馬の背だって引けを取らない。
https://4travel.jp/travelogue/11394960 -
イチオシ
この日は天気がいまいちで、空は雨粒を含んだ鉛色。
映える色合いではないが、柱状節理の美しさに天気は関係ない。 -
ただ、冬に馬ケ背を訪れる場合は、寒いってことだけには注意して。
宮崎は関東に比べたら圧倒的に暖かかったが、海に突き出した馬ケ背は別。
強い海風が吹き抜けるこの場所では、ダウンコートに手袋を着用していなければ1時間も柱状節理を眺めるなんてできない。 -
馬ケ背のある岬は駐車場から1周できる遊歩道で、看板には英語、中国語、韓国語が併記されていた。
昨今、交通看板ではハングル文字併記は普通となったが観光案内では珍しいと思ったら、韓国⇔九州はフェリーの便もよく、韓国で流行っているオルレ(田舎道を楽しむハイキングみたいな遊び)を楽しみに九州へとくる韓国の人たちも多いそうで、九州では観光案内看板でのハングル併記は当たり前となっているらしい。 -
馬ケ背の細島灯台を経由して駐車場へと戻る。
岬を1周するコースは、歩いて20分。
基本的には全面が舗装されているバリアフリーの道なので、車いすでも行けなくはないが坂道があるので、そこは注意かな。日向岬(細島灯台) 自然・景勝地
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細島灯台は特に見どころはないが、高台からは先ほどまでいた馬ケ背の展望台や、その先の島までが一望でき、水平線が丸くカーブし、地球が球形であることを実感。
そして、個人的な見え方だが、
私には左前方の三角島の頂の緑が馬の頭からたてがみに、その先の部分が海に鼻先を突っ込んで水を飲む馬の姿のように見え、これが、本当の馬の背中ね…と感じられた。 -
阿蘇火山が作った柱状節理はまだまだあり、馬ケ背から車で5分の場所には、こんな地形の柱状節理があり、クルスの海と呼ばれている。
九州でクルスと言えば、ピン!とくるのは隠れキリスタン。
さては、このあたりに隠れキリスタンの里でもあったのかと思いきや、残念。
そんな歴史的なネーミングではなく、もっと現代的で“映え”を狙った感じかな。 -
写真は展望台にあった航空写真で、この入り江を空から眺めたもの。
柱状節理の巨大な岩が波の浸食作用により東西200m、南北220mに渡り十字型に裂け、その地形が十字架のようだからクルス(十字架)の海と呼ばれているそうだ。
そして、このクルスの海は願いが叶う海ともいわれていて、十字架部分の左にある小さな岩島が口の形をしていて口と十で漢字の“叶”に見えるところからきている。 -
言葉遊びから来た呼び名“クルスの海”だが、まぁ、願いが叶うというのは、浪漫はあるのかもね。
クルスの海 自然・景勝地
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馬の背やクルスの海がある高台は結構な断崖で、クルスを眺める展望台から下は急斜面の崖なので、写真撮影時にスマホなどを落とさないように注意が必要。
落としたら、まず取りに降りることはできない。 -
クルスの海や馬の背があるのは高千穂から車で1時間強の日向の海岸にある細島地区の小さな岬。
高千穂から高速道をそのまま走っていると絶対に行くことはできないポイントなので、日向のあたりは国道10号線がお勧め! -
クルスの海の展望台には、“願いが叶うクルスの鐘”なるものがあり鐘を鳴らしながら願いを唱えると叶うとか…。
“願いが叶うクルスの鐘”は結婚式の前撮り写真にも使われる人気スポットだそうだが15年前に作られたといわれるこの鐘、本当にクルスの海の絶景に必要だったのだろうか。
日本のそこら中にある“●●の恋人の鐘”みたいな雰囲気で、せっかくの絶景を損ねている気がするは私だけかな。 -
このクルスの海のある日向岬の近くには民家はあまりないのだが、どうやらここには主のネコがいるようで、人が岬へとやってくると、なにか頂戴!とおねだり。
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イチオシ
このあたりは海釣りの人も多くいるので、彼らから釣果のおこぼれをもらっているのか毛並みもよく、人懐っこいネコだった。
でも、私が何も持ってないと両手を空にして見せると、途端に興味を失った顔。
ネコはその顔を見ているだけで何を考えているのか丸わかりだ。 -
今から数十万年前に阿蘇山の噴火で流れていた火砕流が作りだした絶景はまだまだ終わりではなく、次のターゲットは半島の付け根にある大御(おおみ)神社。
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大御神社の祭神はアマテラス(天照大御神)で、アマテラスの孫のニニギ(邇邇芸命)が高千穂に天孫降臨した際の地方視察で立ち寄った地に建立された神社で、ニニギは大海原を眺めてアマテラスの名において平安を祈願したといわれている。
また、そのアマテラスの子孫である神武天皇がこの地で大鯨を退治し、その矛を神社に収めたことからこのあたりの地名が“ほこ島”と呼ばれるようになり、歴史の中で“ほそ(細)島”へと名前を変えていったとの話も大御神社には残されている。 -
神社は昭和13年に建て替えられ、その建材には高千穂地方の神社の境内木(杉材)が使われ、アマテラスに縁であることが建物からもわかる寺社なのだが、私がこの大御神社へ来た理由は、古事記とはなんの関係もない!
私が注目したのは、この風景。 -
海に突き出す柱状節理の岩の上に沿うように建てられたこの社。
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イチオシ
こんな柱状節理萌えの神社なんて、他では目にすることはできない。
V字型に千木を突き出す神明造りに被さる木造銅板葺の切妻屋根と、波に洗われて鋭角な角が浮きだつ柱状節理の妙なるコラボレーション!
これは、日本以外の他の国では絶対に見ることができない景色であり、岩と神社の対比がかっこよすぎる。大御神社 寺・神社・教会
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大御神社の境内の海岸線には“さざれ石”もある。
さざれ石とは“君が代”の歌詞にもある“細石”と同じ石で、最初は小さな石ころであった小石が石に含まれるカルシウムや石灰をゆっくりと溶かしだし、その接着成分を用いて周囲の小石と結合し、最終的には巨石に成長した石のことだ。
“君が代”の歌詞にある“細石のいわおとなりて”の文言が、“小さな石が大きな巌(岩)となるまでの時間”という悠久の時を表しているのは有名な話。
でも、私は小5の授業で君が代の歌詞の意味を漢字を用いて教わるまで、その意味を“細石の岩音なりて(細石が打ち寄せる波でガラガラ海底で音を立てる様子)”だと思いこんでいた。
私にとっては“細石の岩音なりて”は笑い話だが、最近の小学校では“君が代”の歌詞の意味を教えていないのか子供たちはその意味を知らないようだ(あくまでも身近なリサーチなので、全国的にかどうかは知らないが…)。
“君が代”は美しい日本語の響きが並ぶ和文なので、その言葉の1つ1つが持つ意味を学習しておいて損はないと思う。
注連縄が掛けられている写真の石も巨大なさざれ石で、これが神社建立の由来ともなったニニギが立った神座(カミクラ)であるとのことだが、神社のHPによると、宮司さんが「この立派なさざれ石がニニギが降り立ったといわれる石に違いない!」と確信して“神座”と命名した石だとのこと。
もしかしたら、神がかり的なことが起きて宮司さんが“この岩だ!”と直感した可能性もあるので何とも言えないが、この石の上にニニギが本当に立ったかどうかは怪しい部分が多い。 -
また、そのさざれ石のすぐ真下には、水窟がありその中には大きな球形の玉石が沈んでいる。
この球は龍玉(ドラゴンボール)と呼ばれ、縄文時代からの遺跡の1つで、縄文人は螺旋状に岩窟の内側を削り、その中に命の源である角のない球形の石(龍玉)を入れて清らかな水を注ぎ、子孫繁栄を祈願したということだ。
縄文遺跡という点は周囲から出土している遺物から疑いのないところだが、子孫繁栄の祈願というのはその根拠はどこにあるのか?と若干首をかしげたくもなる。
しかし、ちょっと興味を惹かれるのが、縄文時代の人々がなぜに龍玉を納める石窟を平らな面に磨き上げずに、わざわざ岩の内側に螺旋模様の切り込みを入れたのかという点。
DNAやRNAの螺旋構造は生命(遺伝子)の源。
縄文人が本能的に螺旋構造が命の根源に関わると直感していたとするならば、人間の潜在的な力は底知れない。 -
さて、話はGeoにもどり、大御神社境内の海岸線の更に凄い部分を紹介したい。
それは写真の赤と緑に色分けされたポールが立つ部分で、そこには↓のように書かれている。
赤:火砕流による柱状岩
緑:さざれ石
この海岸線では、数十万年前の阿蘇山の火砕流から作られた柱状節理と、礫岩が固まりさざれ石となった岩の境界線を見て、その上に立って、触ることができる。 -
前の写真では岩に近すぎて岩の違いがよく分からなかったので、少し離れてさざれ石側に立ち海岸線を見ると、ポールの向こう側にある柱状の細長い岩の層との差は歴然。
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遠景で眺めると、大御神社が柱状節理の上にあることも、さらによく分かる。
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私達が大御神社を訪れたのは干潮がマックスの時間帯。
だから、満潮の時には海水の下となる海岸線も露出していて歩き放題。
せっかくだから波が引いた砂浜を歩いてみることに。 -
満潮時には波の下になる部分がむき出しになり、かなり荒々しい光景だが、これもまた一興。
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せっかくなので、満潮時にはアクセスできない柱状節理の上にも上ってみようという相棒のお誘い。
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そういう楽しいお誘いならば喜んでお供します♪
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イチオシ
押し寄せた火砕流が作り出した柱状節理の岩の上から眺める海辺の神社の風景は、絶景哉!
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斜めに伸びる柱状節理は、阿蘇山の噴火による火砕流が押し寄せ柱状節理となった後に、この地で大きな地殻変動があった証拠だが、この姿だってこれからの地球時間の経過とともに変化していく。
現代に生きる私たちから見れば、アマテラスの時代(神武天皇の誕生がB.C.660年から700年と計算されている)は、とてつもなく遠い先祖の生きていた時代。
しかし、柱状節理の永い柱生からすれば、アマテラスの誕生はつい最近の出来事。
10万年ほど昔からこの地に存在するこの柱状節理の岩の視点で見たら、今の一瞬の景色を見て喜ぶ私たちは“けったいな存在”なのだろうな…なんて海から聳える柱状節理の岩を見ながら思ってしまった。 -
アマテラスを祭神とする大御神社の境内の中には、もう一つ更に古い歴史を持つ宮があり、その名は鵜戸神社。
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鵜戸神社は別名で龍宮とも呼ばれているが、こちらは浦島太郎の昔話に出てくる乙姫様の暮らす竜宮とは全く別物の竜宮でその歴史は浦島太郎よりも更に古い。
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竜宮があるのは大御神社の本殿から5分ほど歩いた林の中。
林の中の荒れた道を下っていくと現れるのが、 -
波が岩に穿った大きな龍宮(海蝕窟)で、干潮時には洞窟の中へと入ることができる。
龍宮のサイズは高さ20m、幅8m、奥行40mで、それなりに広い。 -
この洞窟が竜宮と呼ばれ始めたのは今から5000年ほど昔の縄文時代のころから。
鳥居をくぐり、洞窟の奥へと進む。 -
すると、鳥居の向こうに見えている洞窟の入り口の形がゆっくりと変化していく。
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イチオシ
ある一定のポイントに立ち、洞窟の入り口を振り返るとそこに現れるのは、
朱の鳥居から天へと昇る龍の姿。
仄暗い洞窟の中に浮かぶ上がる光り輝くドラゴンの姿。
縄文の人々はこの姿に恐れおののき、この洞窟を龍神洞窟として祭ったそうだ。
しかし歴史書によると、古代中国の文化から日本に龍が伝来したのは弥生時代で、縄文時代に日本にいた縄文人は龍という概念を知らなかった筈。
それなのに縄文時代の彼らは、海蝕窟に現れた輝く光の筋を天翔ける龍と認識し、龍神として崇めたという不思議。
古事記に登場する国津神の神々も、そのモチーフは龍。
龍はもしかして伝説上の生き物ではなく、太古の昔には存在していた目に見えぬ神だったのかもしれない。日向鵜戸神社 寺・神社・教会
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Geoを廻る宮崎旅の最後は、宮崎のB級グルメと南国スイーツの紹介を。
日向のグルメと言えば、宮崎の地鶏を使った炭火焼きで、その特徴は柚子胡椒をたっぷりとつけて食べること。
B級グルメとは言うものの、地鶏の炭火焼きのそのお味は美味。
九州の鶏は本州鶏よりもずっと旨いと九州出身の友人が常々口にしていたが、私も道の駅都農(つの)で鶏の炭火焼きを食し、その意見に同感。
鶏本来のうまみがそのまま味として伝わってしまう炭火焼き定食は、そのお値段(1000円弱)からは考えられないほど鶏の味が生きていた。道の駅 つの 道の駅
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スイーツは、宮崎空港のカフェ・カンナで食べた日向夏のケーキ。
宮崎を訪れた時期が冬だったので、宮崎特産の生マンゴーは季節外ということで早々に諦めて、あえて季節ものの日向夏のケーキ(ドリンクセットで740円)を攻めてみた。
空港のカフェだがケーキそのものは宮崎観光ホテルのシェフが手掛ける季節限定ケーキで、旅先でしか食べることのできないレア品。
夏ミカン独特の爽やかな風味を損なわないような控えめの甘さのケーキで、甘すぎるものが苦手な私でも美味しくいただくことができた。カフェ カンナ グルメ・レストラン
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古事記をめぐる宮崎旅。
アマテラスの世界を巡るはずが、脱線しつくして1995年に時間旅行へ行ってしまったり、Geologyの世界へと入り込んだりと、相棒もあきれ果ててはいたが、それが旅。
事前にプランニングしていた通りに旅の駒を進めるのでは、旅に発見がなくなってしまう。
行きと帰りの飛行機に間に合えば、途中はどんなふうにアレンジしたってOKなのが、個人旅の醍醐味。
興味があるものを見つけたら、とことん突き詰めるのも面白いし、そこから派生するものを探すのだって楽しい。
旅は巡り合い。
同じところを同じ時期に旅をしても、そこで待っているのは違う出会い。
今回の旅だって、天岩戸神社の宮司さんの話を聞いていなかったら、その先の風景を見た時の感じ方はまた別なものとなり、旅行記の視点も変わっていたかもしれない。
次に訪れる九州。
いつになるかは今のコロナの現状では予定も立てられないが、素敵な出会い、そしてGeoが待ち受けていることは間違いないと確信している。
前の旅行記↓ 3:モアイを肴に時間旅行
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2020/05/12 20:09:47
- 知的な旅行記
- ウエンディさん こんばんは
非常に知的な旅行記で大変勉強になりました。
パソコンが壊れてしまってタブレットで書いています。
慣れないのでこのへんで
pedaru
- ウェンディさん からの返信 2020/05/12 21:17:44
- RE: 知的な旅行記
- pedaruさん こんばんは。
PCが不調とのこと、それは痛手ですね。
昨今、PCは調べものをするにはなくてはならない存在。
使えないとなると不便ですよね。
我が家も以前に某メーカーのPC(T社)が2台続けて購入後1.1年目にハードが壊れた時には参りました。あと1か月早く壊れていればメーカー保証期限内だったので、1年以上経過したらハードが壊れるようにCrushタイマーがついているのかと疑ったくらいです.
それまでは信頼していたメーカーでしたが、我が家ではそのメーカの信頼は失墜。
以降は、どんなに安くともそのメーカーの家電を購入することはなくなりました。
今回の宮崎旅行記は知的は“ちてき”でも、その漢字は“痴的”かもしれません。
地質を愛する私の柱状節理への気持ちを、恋文のように旅行記の中に隠し味として詰め込みました。
古事記の足跡を巡る旅が最初の目的でしたが、あまりにも阿蘇山が作り出した柱状節理地形が素晴らしくって、それを語りたく、書いた旅行記です。
ウェンディ
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