2020/02/21 - 2020/02/23
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ウェンディさん
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ひとりの少女が謎多き不思議な彫像の存在を知ったのは、
今から40年以上も昔の話。
夕陽に染まる絶海の孤島に浮かび上がる
彫りの深い横顔の影
彼女は憂いを帯びたそのシルエットに恋をした。
そして、月日は流れ、
私は旅に出た。
絶海の孤島で永久の瞬を生きる
あの日のモアイに会う旅に・・・。
☆古事記を巡る宮崎旅
旅行記-1:本当はアダルトな古事記:https://4travel.jp/travelogue/11616411
旅行記-2:実はエグい古事記:https://4travel.jp/travelogue/11617927
旅行記-3:モアイを肴に時間旅行:https://4travel.jp/travelogue/11620618
旅行記-4:朱の鳥居を駆ける龍神:https://4travel.jp/travelogue/11622560
番外編:京薫る美々津☆レトロ散歩:https://4travel.jp/travelogue/11630623
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
-
今から25年前、1995年12月に私が降り立ったのは、Isla de Pascua。
日本から24時間以上をかけ到着した南米大陸から、更に飛行機で5時間。
周囲には海以外には何も無い、ポリネシア地域からも遠く離れた太平洋のど真ん中にある絶海の小さな島だ。
なんで、そんな辺鄙なところにある島に行ったのかって?
だって、そこには、会いたかった彼がいるから。
Isla de Pascuaはスペイン語表記の島の名前で、英語に変換するとEaster Island、日本語にすればイースター島となる。
私が旅先としてイースター島を選んだ理由は、モアイ。
子供の頃の愛読書であった「世界の七不思議」で取り上げられていた“謎多き石像モアイ”に会いたかったから。
彼に会いたい!
たった、それだけの理由、
でも、ソレは幼い頃からの夢で
その夢を叶えに、地球の反対側にあるこの島へとやってきた。
(写真:1995年12月イースター島の空港にて)マタベリ国際空港 (IPC) 空港
-
1995年は私にとって人生のターニング・ポイントとなった年で、出会って3ヶ月のヒトをとりあえずの伴侶と決め、社会的契約である結婚の儀を行った年だった。
当時の一般常識では新婚旅行といえば結婚式の直後に行くのが普通だったのだが、どうやら私たちの場合はそんなところは現在も昔も変わらず一般路線からは外れていて、新婚旅行へと行くことができたのは入籍と式の9ヶ月後。
業務都合で新婚旅行を延期したので、少しだけ職場に我が儘を聞いて貰い、旅の期間はお正月休暇と有給休暇を含めての19日間と社会人としてはチョイ長めに設定し、彼の希望の旅先であったパタゴニアのカラファテ、フィッツ・ロイとパイネ、そして私の行きたかったイースター島を旅先に選び旅程を組んだ。
(写真:1995年Cerro Torre/フィッツ・ロイにて)セロ トーレ 山・渓谷
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1995年当時はパソコンがまだまだ高級品で、職場備品としても3台しかなく、職員が交代でPCを使っていた時代。
現在みたく各家庭においてインターネットでサクサク簡単検索できる時代ではなく、海外の旅先の観光情報は図書館の本か在日大使館へと出向いて観光情報を調べるくらいが関の山。
私は相棒から教えて貰うまで、フィッツ・ロイやパイネなんていう地名も知らなかったし、当時マイナーであったそれらの地域の情報は個人経営の秘境系旅行会社の案内に小さくあるくらいで、旅の前に十分な情報収集なんてできなかった。
(写真:1995年 パイネ国立公園にて) -
イチオシ
だからこそ、初めての訪れた南米、アルゼンチンとチリで目の前に広がった雄大な自然は私を魅了し、虜にした。
(写真:1995年 パイネ国立公園にて)トーレス デル パイネ国立公園 国立公園
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その一方で、初めての南米への旅は、英語さえある程度できれば世界は何処だって旅できると信じ切っていた私をコテンパンに打ちのめした。
南米の共通語は基本スペイン語(ブラジルのみポルトガル語)で、観光ホテルですら英語を話せるスタッフは少なく、ちょっとしたお願いをしたくとも一苦労。
英語が少しくらいできたって、何の役にも立ちやしない。
レストランでオレンジ・ジュースが飲みたくてもOrangeの単語もJuiceの単語も通じないし、町中で道を聞くこともトイレの場所を教えてもらうことすらできなかった。
1995年の南米での苦い経験があるからこそ、今の私のスペイン語学習がある。
(写真:1995年 パイネ国立公園にて) -
イースター島のイースターとはEaster Eggで有名なキリスト教の復活祭を指す英語に由来し、18世紀に中南米を植民地化するべく海路を調査していたオランダ海軍提督が島を発見した日が復活祭(Easter)であったから、提督はこの島をEaster Islandと名付けた。
(写真:1995年 イースター島にて) -
しかし、現地ガイドが教えてくれたここでの島の呼び名はRapa Nui(ラパ・ヌイ)。
ラパ・ヌイとはポリネシア語で“先端”を意味し遠い昔にポリネシア民族が長い航海の末辿り着いた“先端の島”を意味しているのだが、実はこの言葉“ラパ・ヌイ”の単語の歴史は浅く、語源は近代ポリネシア語。
比較的最近の200年前頃から使われているということで、真の意味では“ラパ・ヌイ”もまた、昔から伝わる島の本当の名ではない。
(写真:1995年 イースター島にて )ラパ ヌイ 国立公園 国立公園
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実はラパ・ヌイと呼ばれるこの島の本当の名前を知る者は、今はもう誰も居ない。
ラパ・ヌイでは7,8世紀頃から原住民が暮らしていたと言われていて、その頃の島の王族や神官が使っていた文字が神聖絵文字“ロンゴロンゴ”文字。
ロンゴロンゴ文字は世界中でこの島にしかない特徴を持ち、他のどの文化圏、ポリネシア文化圏にも存在しない。
(写真:1995年 イースター島にて) -
ロンゴロンゴ文字は木板に彫られて利用されていたのだが、侵略者(征服者)である欧州人に焚書を強制され燃やされてしまい、欧州人の侵略以降、島の独自の文字、言葉、文化は急速に失われ、私たちが島を訪れた1995年にはこの島の真の名を知るものは誰も残っては居なかった。
(写真:土産屋で購入した、古代文字ロンゴロンゴが彫られた木版と赤石を載せたモアイ像) -
そんなラパ・ヌイで私たちが過ごしたのは4泊5日で、最初の2日間は島の観光ツアーに参加し、残りの2日間は徒歩で島の中を歩いたり、ホテルでジープを借りて島の中を探検して過ごした。
(写真:1995年 イースター島にて) -
滞在中にガイドさんからは、目から鱗の事実を沢山教えて貰った。
高さ4m、重量20トンの石像モアイはどのように作られ、海岸まで運ばれたのか。
赤い帽子(髪)のモアイは何者なのか。
なぜ、モアイを作ったラパ・ヌイの文化は突如消滅し、その人たちは何処へと消えてしまったのか。
(写真:1995年 イースター島にて)アフ・ナウ・ナウ 建造物
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現在ならばインターネットで事前学習できるような事すら、1995年には現地に行かなければ知ることができなかった。
日本にいては知る事のできない事実、聞くことにより胸が苦しくなるような昔話は英語での説明が苦にならないほどに興味深く、ガイドは様々な事を教えてくれた。
モアイ以外でも、島に残る文化についても驚愕の事実がたくさんあり、その1つが奇跡の石組み。
奇跡の石組みとは、ペルーのインカの石組みと同じような石組石垣のことで、精密に組み合わされた石垣がラパ・ヌイにはある。
書物を全て燃やされてしまった島には歴史文書が残されていないので時代の正確さは欠けるとのことだったが、欧州人がやってきて南米を植民地化する前の時代(まだ石を垂直に切り出す鋼の刃物が南米へと入っていなかった時代)に、この写真の石垣の石組みが作られたそうだ。
ラパ・ヌイがあるのは南米大陸から3700kmも離れた海の中。
500年以上昔に、どのようにしてインカの石組みの技術がこの地に到達したのかは分かっていないとのことだった。
(写真:1995年 イースター島にて) -
そして、ラパ・ヌイには地球の臍と言われる石もあった。
海岸沿いにあるその石は本当に球形で、現地ではヒーリング・スポットとして島民が訪れる場所。
多分、海の波が偶然作った造形だとは予想できるが、その完璧なフォルムは古代の島民が神がもたらしたモノとして崇めたとしても納得は行く。
(写真:1995年 イースター島にて)テ ピト クラ 建造物
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25年前に相棒と共に訪れた絶海の孤島であるラパ・ヌイ(イースター島)。
アルゼンチンとチリにまたがるパタゴニアの大地もそのスケールに圧倒されたが、ラパ・ヌイも想像していた以上に興味を惹かれるポイントが沢山あった。ラノ ララク 建造物
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イチオシ
そんなラパ・ヌイのモアイが、日本にもあるという噂を知ったのは数年前。
あったとしても、どうせレプリカのハリボテの貧弱なモアイでしょ!
そう思っていたのだが、訪れた友人の話を聞くと、モアイ像がある施設はなかなか面白い場所(モアイ像だけではなく思想的にも)で、モアイも本格的なので機会があるならば一度行ってみるのもアリなのでは?と、どの友人も口を揃えて言う。
そこまで彼らが言うならば、宮崎の古事記探訪旅ついでにモアイに会いに行っちゃいましょ♪ -
友人達が絶賛するモアイ像があるのは宮崎県にあるサンメッセ日南。
日本国内には、福岡、香川、北海道、姫路などにモアイのレプリカ像があるそうだが、そのうちの何カ所かを訪れた友人のイチオシがサンメッセ日南だ。
しかし、どうして日本の九州にモアイ像?
14000km以上も離れているラパ・ヌイ(イースター島)と日本。
その二つを結ぶモノは一体何なのか。
私もソレが疑問だったので、旅の前に現代のMagical BoxであるPCを使っての情報収集。
でも、そこから得られたキーワードは「一燈園」で、およそチリの世界遺産であるラパ・ヌイとは関連のなさそうな単語だった。 -
「一燈園」は宗教的思想を掲げた団体の1つであり、共同生活を主とした活動を行っているらしく、どうやらモアイ像があるサンメッセ日南の母体が、その「一燈園」だとのこと。
実は、この「一燈園」とラパ・ヌイには太い繋がりがあるそうだ。
(写真:サンメッセ日南のパワースポット的場所・・・) -
1995年に私が訪れたラパ・ヌイ(イースター島)。
島にはモアイが1000体近くあり、そのうちの何体かがこの年に日本の協力により修復され、昔の姿へと戻ったと言う話を聞いた。
ガイドによると日本の会社が、モアイ復旧資金と機材を提供してくれたとのことだった。
日本がモアイの復旧に貢献したことは私も報道で知っていたのだが、1995年当時のモアイ復興事業と2020年の私の宮崎旅が25年を経て綱がるとは、当時は全く想像していなかった。
(写真:1995年 イースター島にて 倒れたままのモアイ) -
日本の一企業がモアイ復興のお手伝いをするきっかけとなったのが、現在も続く長寿TV番組の“世界不思議発見”。
1988年放送の番組で、イースター島に残るモアイ像の多くが200年近くも倒れたままの状態であることが紹介され、ソレを知った徹子さんが呟いたのが「大きなクレーンがあればモアイを元の姿に立てることができるのに・・・日本の企業ならばできるのではないかしら」という言葉。
たまたま、その時に放送を見ていた男性がクレーン会社の社員で、彼は徹子さんの言葉に「これは自分に課せられた使命だ」と会社の社長に直談判。
ダメ元で相談したはずなのに、クレーン会社;(株)タダノの社長は「日本の底力を世界に紹介するチャンスだ!」とモアイ予算を1億8千万をポンと出し、やって見ろと背中を押してくれたそうだ。 -
チリと日本の考古学の専門家と相談しながら予算と期間を考え、アフ・トンガリキの15体の倒れたモアイの修復・立ち上げを行うことにし、日本から巨大なクレーンと石の専門家の石工も引き連れてイースター島へ渡った。
現地人にクレーンの使い方を教えて3年後の1995年の5月、地面に倒れていたアフ・トンガリキのモアイが台座の上に立ち上がり、その年の12月にイースター島は「ラパ・ヌイ国立公園」としてユネスコ世界遺産に登録された。
(写真:1995年 イースター島にて アフ・トンガリキのモアイ)アフ トンガリキ 建造物
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そしてここからがイースター島と日南のモアイ像を繋ぐ接点となる部分。
モアイの修復を手がけた(株)タダノの社長はサンメッセ日南の母体である一燈園と縁があり、更にイースター島の村長の推薦もあり、サンメッセ日南にモアイ像が設置されることになったということだ。 -
イチオシ
サンメッセ日南の等身大のモアイだが、その制作のための石はさすがに世界遺産のイースター島からは取り寄せることはできなく、本物のモアイと同じ材質の石材である凝灰岩を福島県白川村から取り寄せ、モアイの彫像が行われた。
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更に完全コピー復刻像ということで、日本でモアイ像を彫る石工には、実際にイースター島まで修復に出向き、現地での石の修復を担当した石工の左野勝司氏が担当することになったそうだ。
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宗教団体とモアイ像が関連していると書くと、宇宙パワーとか超能力系の怪しい何かとか、とんでも系のSFなどの不可思議なモノを絡めた新興宗教を連想しがちだが、一燈園はそのようなモノとは関係のない団体で、純粋な思想団体らしい。
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個人的に新興宗教というと、1995年の3月に起きた地下鉄サリン事件が一番印象強く残っている。
日本社会に大きな影響を与え、特異な宗教や妄信的な思想の恐ろしさを我々に実感させた事件であった地下鉄サリン事件だが、実は、私もあのときの事件に巻き込まれたひとりだ。
しかし、巻き込まれたといっても直接の被害ではない。
当時、私が所属する分析機関があったのは東京都の某所で、ラボの裏には東京都の救急指定病院があり、事件があった当日の昼過ぎ、病院からのSOSで職場のラボでも緊急分析が行われた。
病院には次々に重病者が運ばれてくるが、症状を引き起こしている原因物質が何であるのかが分からなく、救急を担当する医師も解毒剤の何が適切なのかが分からない。
だから、患者の血液を分析して何でもいいから含まれているモノを調べて欲しいと依頼があった。
通常、私たちのラボではこのような依頼は受けないのだが、人命がかかった非常事態ならばそこは全面協力。
私もGCを使い処理された血液を分析したが、毒物の代謝物となる様な物質は見つからず、結局、役に立つことはなかったが、あの日以来、信仰宗教という単語を聞くと、どうしても構えてしまう自分がいる。
だから、今回のモアイ像があるサンメッセ日南も宗教団体が母体と知ったときには、少しだけ行くのを躊躇してしまった -
サンメッセ日南の海沿いに佇むモアイ像
これらのモアイ像は(株)タダノが修復をしたアフ・トンガリキの17体のモアイ像ではなく、敢えて別の場所のモアイを復元したそうだ。 -
日南に復元されたモアイはイースター島のアフ・アキビのモアイをモデルとしている。
アフ・アキビのモアイはイースター島の中でも特殊なモアイで、ほとんどのモアイが島の内陸部を向いて立てられていたのに、アフ・アキビのモアイだけは島の外側を向き、海を見据えるように立てられている。サンメッセ日南 テーマパーク
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ガイドの話によると(あくまでも一説では)「モアイは墓標である」とされていて、島の内陸部を向いて居るモアイは、島民の生活を見守る祖先の霊で、島の外を向いているモアイは島の外からやって来る侵略者を威嚇するための祖先の霊魂だということ。
だからこの島は、内も外も祖先の霊に護られているとの話だった。 -
海方向を見つめるモアイ像がモデルとなった日南の復元モアイなのだが、何故か日南の復元モアイ像はイースター島の本物とは逆方向の陸地を向いて立っている。
何故にモアイの顔の方向がイースター島とは異なるのか。
良い風に考えれば、モアイの人外パワーで日南を(日本を)護っているともいえる。
その一方で商業的見地にたった考察をすると、復元モアイの顔を海の方向を見る形で設置すると、モアイの顔がサンメッセ側からは見えなくなり、せっかくのモアイを見下ろす地形が台無しとなってしまう。
だから、現地のイースター島とは異なる設置方法とはなるが、敢えてモアイの顔を内陸に向けてインスタ映えを狙った・・・と邪推することもできるが、その心を知っているのは、モアイだけだろう。 -
モアイは近くから見ても迫力があるが、サンメッセ日南のモアイは高台から見下ろす風景も、面白い。
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イチオシ
高台から眺めると、モアイと共に目に入ってくるのがカラフルな人物像。
彼らはいったい何者? -
説明文によると、どうやらヴィワイアン像と呼ばれる現代芸術だそうだが、なんだか微妙に宗教色がちらつくようにも感じ、私にはちょっと理解できない芸術だった。
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モアイと海を見下ろす景色。
この景色を眺めていて、イースター島でガイドから教えて貰った不思議な鳥人伝説を思い出したので、モアイ編の最後として紹介したいと思う。
イースター島には頭が鳥、体が人間の鳥人神“タンガタマヌ”が島の守護神であるとする伝説が残されている。
(写真:古代絵文字ロンゴロンゴ木板に彫られた鳥人神の姿;お土産用のレプリカ) -
鳥人神“タンガタマヌ”の姿は、島内の洞窟に古代壁画としても残されていて、実際にその壁画を見てきたが、鳥人というよりは鳥そのもので、鷺のような足の長い鳥の絵だと個人的には思った。
(写真:1995年 イースター島にて)アナ カイ タンガタ 洞穴・鍾乳洞
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鳥人神のイメージは木彫りの像としても伝えられており、その木彫りはお土産にもなっていて、ついつい買ってしまったが、今、購入してきたモノを見返してみると、やはり鳥人というよりは、タダの鳥型の木彫り・・・としか言いようが無いが、変に擬人化していないところが、島に残る伝説そのままなのかもしれない。
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その昔、イースター島には部族がいくつかあり、実はモアイもその部族の力を誇示するためにどんどん大きなモノが作られるようになったとも言われている。
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イースター島の部族はいわゆる武闘派で、いったん部族間で喧嘩が起きてしまうと、殺し合いまで発展する惨事になってしまうため、諍いをなくすために利用されたのが島に古くから伝わる鳥人神伝説だ。
毎年の年初めに、各部族の代表者が50m以上の高さのある崖(写真)の上から海に飛び込み、2km先に見える軍艦鳥の生息地の島まで泳ぎ、最初に鳥の卵を割らずに泳いで持ち帰った勇者が、その年の島の長となるというシステムを作ったそうだ。
通常、断崖絶壁から海へと飛び込んだ場合、そのまま落下のショックで気を失ったり死んでしまう人が多い。
また軍艦鳥の島までの海路も非常に海が荒れている海域で、薙いでいる時でも泳ぐのは難しい場所。
そんなエリアを危険な崖から飛び降りて更に泳いで無事に島まで行き還ってこられたならば、それは鳥人神の加護があってこその話。
無事に卵を抱えて島から戻って来られた最初の勇者は、その年の権力者となり、政治・宗教などを取り仕切る祭司の役割を果たしたということで、イースター島におけるこの風習は200年程度続いていたらしい。
余談となるが、複数人の勇者が軍艦鳥の卵を無事に持ち帰る事ができてしまった年の場合、1位以外の勇者がどうなるか・・・だが、鳥人神“タンガタマヌ”の古代壁画が描かれた洞窟で、1位の勇者の為の食事となった(食人が行われていた)とのこと・・・だ。
(写真:1995年 イースター島にて オロンゴ岬)オロンゴ儀式村 散歩・街歩き
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鳥人伝説が残る崖はオロンゴ岬で、火山の噴火口が沼となったラノカウ展望台からもそれほど遠くはない。
(写真:1995年 イースター島にて ラノカウ展望台)ラノカウ展望台 滝・河川・湖
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そんなイースター島(ラパ・ヌイ)を旅したのは、もう25年も前の話。
東洋人の私たちに興味津々で片言の英語で話しかけてきてくれた島の男の子も、今はもうお父さんとなり、両親が経営するお土産屋さんを継いでいるのだろう。
でも、きっとモアイだけはあのときと変わらぬ姿で、島の内外を見つめ、静かに立っているに違いない。 -
今回訪れたサンメッセ日南のモアイだが、確かに見所としては面白いとは思う。
でも、やはり、私はイースター島で墓標として敬われているモアイはこんな風(写真参照)に変なジンクスをつけて遊んではいけないと思う。
日本人はジンクスとか験担ぎとか大好きで、神社の神様でも、道ばたの木でも意味を持たせたがるが、モアイに恋愛運、仕事運、金運・・・とかって、やっぱり変だよ。
いかにも商業的な、こんな馬鹿げた案内看板は、見たくはなかったというのが正直な感想だ。 -
さて、この旅行記で紹介する宮崎の風景はモアイ像だけではない。
日南のちょっと不思議な奇岩の絶景も紹介したい。
日南から宮崎市へ至る道路沿いには不思議な造形が広がる海岸線があり、私たちも通り道としてドライブをし、その絶景を楽しんだ。 -
都井岬から宮崎市を結ぶこのラインは“日南フェニックス・ロード”と呼ばれ、その中でもイチオシの絶景海岸線が堀切峠のあたり。
堀切峠には道の駅フェニックスがあり、その駐車場に車を止めて展望台から眺める風景;特に干潮時がお勧めだ。堀切峠 自然・景勝地
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堀切峠から干潮時の海を見下ろすと、海岸線に見えるのは南国の白い砂浜と青い海ではなく、荒々しくギザギザとした見たことのない不思議な地形。
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これは宮崎の海岸独特の特殊地形で、数万年昔に砂岩と泥岩が交互に堆積してできた“隆起波食台”から作られている。
“隆起波食台”では石の層によって堅さが異なるため、長い年月をかけて打ち寄せる海波が軟らかい部分を削り取ってできたギザギザ地形がまるで巨大な洗濯板のように見え、鬼の洗濯板と呼ばれている。 -
この鬼の洗濯板の海岸線だが、干潮時には海岸線まで下りて実際に歩いて“隆起波食台”の様子を観察することができる。
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その下り途中の道で、不思議な植物、本州ではまず見ることのない植物を見つけた。
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イチオシ
遠目には大きな花びらに見える赤い部分は萼で、白い部分は何だろう???
小さな黄色のが、花だ。 -
その花もよく見ると、蘭や食虫植物に似た雰囲気。
南国の花は鮮やかで素敵だが、あまりミクロな視点で見るモノではないのかもしれない。 -
海岸線へと続く階段道を下りること約5分で、海辺へと到着。
満潮時には波打ち際となる場所も、海水がひいて見事に鬼の洗濯板が露出していた。 -
鬼の洗濯板のギザの部分をアップしてみると、波が削った荒々しい断面と断面、そして岩の表面にはころころとした浅い穴。
まるでポットホール(甌穴)のような穴か開いていた。
波が開けた穴にしては妙な形だと考え、小さな浅い穴に近づくと、この穴を作ったヤツラを発見 -
岩に浅い穴を開ける原因となった1つは、この小さな貝達だろう。
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イチオシ
原理は河川で見られるポットホールと同じで、潮の干満差で波が寄せ返すときに、このような貝が岩の窪みでコロコロと転がり、貝生の何万倍もの永い時間をかけてこれらの穴を広げていったに違いない。
鬼の洗濯板 自然・景勝地
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鬼の洗濯板の風景は火山と海岸線がある宮崎ならではの風景で、なかなか他の地域では目にすることができない。
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私たちが鬼の洗濯板に滞在していたのは、ちょうど満潮と干潮が入れ替わる時間帯。
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洗濯板の上でぼうっと景色を眺めていたら、波の音が近くなってビックリ。
ほんの数分の間にさっきまで彼方の洗濯板の端にいた波が、ゆっくりとこちらに近づいてきていた。 -
冬に訪れた宮崎の古事記伝説を巡る旅は、Worm Holeを抜けたTime Trip。
サンメッセ日南へも立ち寄ったことで、千切れかけていた記憶の糸が混沌の中からたぐり寄せられ、幼き頃の私と再びまみえ、25年前に歩いたイースター島の記憶の回路が繋がり、もうとうの昔に忘れていた新婚の頃の想い出も少しだけ取り戻すことができた。
26年前に、人生の偶然で相棒に出会えてなければ、自然を巡る旅の面白さ、自分でプロデュースする旅の自由奔放さや素晴らしさに気がつけない25年を過ごしていた可能性だってある。
ホント、人生は何があるか分からないルーレットだ。
そして、今回、昔を思い出しながら回想文を綴っていて、私にとって1995年は激動の年であったことを改めて実感した。
あの時から25年を経た2020年。
今年もまた激動の年で、新型コロナウイルスによる激震が世界を襲っている。
果たして更に25年後の2045年に何があるやら・・・。
2045年にも、こんな風に旅行記を綴る事のできる穏やかな時を過ごせていたら良いなと思うのだが、そのためには、まずは現在のコロナの荒波を乗り越えなくては!
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この旅行記へのコメント (6)
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- らびたんさん 2020/05/05 16:51:41
- 若かりし頃のウェンディさん
- ウェンディさん、こんにちは。
今でこそ「交際0日婚」なんて増えてきましたが、1995年当時はまだそんなこともなかったと思いますし、思い切りましたよね。
個人的には、結婚なんてギャンブル、交際期間が短かろうと長かろうと自分を信じて駒を進めるしかないので、ひっかかる点がないなら交際期間なんて短いほうがいいと考えています。
しかもイースター島・・・日本から最も遠いかもしれない場所を選ぶなんて、ますますウェンディさんのこと好きになっちゃいましたよ。
宮崎には近いうちに行こうと思っていたので、サンメッセや鬼の洗濯板は漠然と見ていたものの、こいつは恋愛運だとか書かれているのがっかりしました・・・・日本人の中でもそういう非科学的なものを冷たい目で見ている私は、苦手です。。
もちろんカラファテ、チャルテン、フィッツロイ、パイネも将来的な計画にあるのですが、いったいいつになったら実現するのか、もしかしたらもう不可能な世界になってしまうのか、まったくわからなくなってしまいました。
通勤時間が節約できるこういうときこそ語学の時間に・・・はかどらないのです。
忙しいときのほうがあらゆる方面に活力が沸くんですよねー不思議なことに!
らびたん
- ウェンディさん からの返信 2020/05/05 22:13:14
- RE: 若かりし頃のウェンディさん
- らびたんさん こんにちは。
緊急事態宣言は予想通り延長となり、今月末までと言うことですが果たしてそこで終わるのか・・・、なんとか収束してほしいです。
らびたんさんのお仕事は、在宅でしょうか。
私は週4日勤務の超早朝出勤体制となりましたが、未だに通勤からは解放されていません。
“結婚はギャンブル”は同感です。
相手がその先の10年後、20年後にどう変わっていくか分かりませんし、せいぜい相手の両親を観察して未来を予想できるくらいですね。
人生はそこそこの時間があるので、ReプランニングもReセットもヤル気になればできます♪
宮崎は歴史的観点、Geo的観点(特に柱状節理Loverには)面白い土地でした。
しかし、観光地で散見された後付けされたパワースポットには興ざめ。
私自身も自然由来ではないパワーポイント、ヒーリングスポット、ましてや恋愛系のパワスポなんて一切信じないタイプなので、モアイの○○運の解説は鼻で笑ってしまいましたが、あんな解説看板を立てて、イースター島のモアイ本来が持つ意味を辱めていると言うことをあの宗教団体さんは気がつかないのでしょうかね・・・。
世界的なコロナがいつ収束するのかわからない今、このGWのプランは勿論全キャンセルでしたし、夏の予定も多分実行不可能でしょう。
冬だってどうなるかは予測不能・・・で、なんだかつまらないですところですが、私はスペイン語の復習を始めました。
ここ1年半、仕事が忙しすぎて勉強をサボっていた分を取り戻すべく、自宅でインターネット回線を使って受講し、更に衝立を買いPC周りにMy勉強ブースを確保。
このGWもひたすら1日4時間学習かな。
せっかくのノープランのお休み、無駄にしたらもったいないですからね♪
ウェンディ
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- ねもさん 2020/05/04 13:36:29
- お久しぶりです
- ウェンディさん いつもご投票ありがとうございます。
だいぶ前に要望したような気がするパタゴニアの画像ありがとうございます。うれしい(^_^)
もう少しで定年退職なので、訪ねてみたいと思っています。
「出会って3ヶ月のヒトをとりあえずの伴侶と決め……」←きっとお互い何か惹かれるものがあったと推測します。
私たちも、それまで気配すらなかったのに、あっという間に結婚したので、周りからかなり驚かれました。私たちは強烈に惹かれたというより、ここで手を打たないと一生結婚できないとお互い思った?(笑)
- ウェンディさん からの返信 2020/05/04 17:12:25
- RE: お久しぶりです
- ねもさん こんにちは。
ちょっと異色な25年の歳月を遡る旅行記を読んでいただき、ありがとうございます。
パタゴニアの写真はデジタルではないので、微妙な部分がありますが、そこは雰囲気と言うことで・・・。
25年前はスペイン語が全くできなかった私は、現地で自分がやりたいことも相手に旨く伝えることができずに、パイネの塔を目指して歩いたトレッキングも結局中途半端に終わってしまいました。
いつかリベンジでもう一度行きたいと思っています。
ねもさんも是非、お仕事を卒業したらパタゴニア旅を楽しんでくださいね。
個人的にはチャルテン村のトレッキングもお勧めです(目の前にフィッツロイやセロトーレがそびえる絶景でした)。
私が結婚を決めるまで3ヶ月。
20代前半にしては早かったと思いますが、今思えば、お互いに変わり者同士で、同じ匂いを嗅ぎ取ったのかもしれません。
私の持論は「結婚は勢いですべし!悩んだり、迷っているとそのタイミングが分からなくなる。失敗しても自分の責任だし、やり直しはいつだってOK!!! 何事も経験だ♪」です。
さて、コロナが世間を騒がし、私も仕事以外ではひたすらSTAY HOME。
夏旅の予定はありますが、搭乗予定の飛行機が飛ぶのかすら分からない、その国が私たちを受け入れてくれるのか、いや、その前に世界的にコロナが収束するのか分からない現状。
なるようにしかならないと・・・状況に身を任せています。
でも、飛行機が飛ばないならできれば振り替え可能なバウチャーではなく返金してくれないかな、なんて虫のいいことを考えていますが、航空会社も経営が危うくなってきている昨今、どうなることやら・・・。
世の中が早く落ち着いて、山にハイキングに行ける日常が戻ってくる日が待ち遠しいです。
ウェンディ
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- tabinakanotaekoさん 2020/05/04 07:02:37
- 素晴らしい!素晴らしい!
- ウェンディさん、
素晴らしく読み応えのある旅行記でした。長々と感想を書きたいのですが、それはもっと読み込み、年表みたいなのを自分なりに作って見てからでないとと思いました。取り敢えず、素晴らしい!と連呼したかったのです。
taeko
- ウェンディさん からの返信 2020/05/04 16:54:15
- RE: 素晴らしい!素晴らしい!
- taekoさん こんにちは。
相棒と共に旅した宮崎。
もともとの旅のコンセプトは古事記の地、日本古来の神々がおわす地を巡る旅だったのですが、ついでに立ち寄ったサンメッセ日南で複製されたモアイを見た途端、まるで今まで封印されていたモノが蘇る的な感じで25年前の記憶が次々と浮かび上がり、できあがったのが今回の旅行記です。
1995年当時の写真は押し入れの中から引っ張り出してきた印画紙写真からおこしたので、鮮明度は悪いのですが、まだ観光地化される前の素朴なイースター島の雰囲気やパタゴニアの大自然の様子が少しでも伝わると嬉しいです。
過去の旅だと思っていた25年前の南米への新婚旅行が、その25年後の宮崎旅と接点を持つ・・・とは、旅の縁は不思議なモノですね。
ウェンディ
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