2018/05/10 - 2018/05/24
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jijidarumaさん
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≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。
(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)
①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。
⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども
番外編・フランケンの春、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が見られる町や村を巡った。
⑥5月13日フランケン・スイス地方の古城群:人気の古城ホテル ラーベン(カラス)シュタイン城に2泊
⑦5月14日フランケン・スイス地方の古城群:100mの高さの岩壁に立つ古城エグロフシュタイン城の姿は絵画的な美しさである。
⑧5月15日懐かしの古城ホテル ヴェルンベルク城とアザム兄弟の作品が見られるミッシェルフェルト修道院
番外編・伝説:アッシジの聖フランシスコがグッビオの町を狼から救った話
⑨5月15日この旅一番のグルメレストラン・白樺の館(カワセミ)にて
⑩5月16日レーゲンスブルクの名物焼きソーセージとダンプヌーデルン
番外編・三十年戦争の逸話:フォルヒハイムの“Mauerscheisser” (壁のような糞をする奴!)
⑪5月17日:ナポレオンが置き忘れた旅行カバンが見られるドナウ観光船に乗る。
写真はKolster Weltenburg am Donauベルテンブルガー僧院とドナウドゥルヒブルッフ渓谷
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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今日はAltmuehltalアルトミュールタール(渓谷)を走る。
ケールハイム・ベフライウングスハレ解放記念堂、宮廷詩人=吟遊詩人(ミンネゼンガー)などのKodex(Codexコデックス)写本で知られる古城、城址、鷹匠によるショー、懐かしい古城ホテルと様々で楽しみな一日である。
写真はAltmuehltalアルトミュールタール(渓谷)の地図 -
5月17日(木): 午前中曇り時々小雨、午後より晴れ 、17℃、 85km
ベルテンブルガー僧院 出発8:45 ->L? 9km ケールハイム・ドナウ観光船(往復) ->L? 3kmベフライウングスハレ解放記念堂 ->L? 10km Essing・Burgruine Randeckランデック城址 ->L? 10km Riedenburg ・Burg Prunnプルン城 ->L? 14km Burg Rosenburg ローゼンブルク城(鷹ショー) ->L? 4km Schlosshotel Eggersberg古城ホテル エッガースベルク城 ->L? 35km Beilingries・Romntik Hotel Der Millippデア ミリップに17:10に到着。
写真はベルテンブルガー僧院で頂いたクッキー -
【Altmuehlアルトミュール川とAltmuehltalアルトミュールタール(渓谷)】
Naturpark Altmuehltalアルトミュールタール自然公園は、ドイツ・バイエルン州の自然公園。規模は2,962 km?。インゴルシュタットのすぐ北側にあり、アルトミュール川によって東西に分けられている。ドイツの自然公園中4番目の規模を誇り、自然公園内にはゾルンホーフェン石灰岩の石切場が点在し、始祖鳥を始めジュラ紀の動植物の化石が数多く発掘されている。
Altmuehlアルトミュール川はドナウ川の支流にあたり、長さは230kmである。Ansbachアンスバッハ の近くグンツェンハウゼンに水源を持ち、主に南東に向けてゆっくり流れる。Altmuehlseeアルトミュールゼー湖に入りこんでから、フランケンのアルプ地方のGunzenhausenグンゼンハウゼン、Eichstaettアイヒシュテット、Beilngriesバイルングリースを過ぎたDietfurtディートフルトで*マイン・ドナウ運河に合流し、自然豊かな、美しいアルトミュール渓谷自然公園(Riedenburgリーデンブルクの辺りも古城、修道院が多い)を過ぎて、Kelheim ケールハイムで本流のドナウ川に注ぐ。
写真は絵葉書:ベルテンブルガー僧院とドナウドゥルヒブルッフ渓谷、バイエルン王ルートヴィヒ1世とケールハイムのベフライウングスハレ解放記念堂及びドナウシュタウフ・ヴァルハラ神殿 -
*はやいもので、今日から行程も折り返してフランクフルトに徐々に向かうことになる。
昨夜は溜まった資料を整理し、早めに寝た、その分、今日は起床も6時と早い。
今日の観光は目的地も多いから止む無いのだが。
写真はベルテンブルガー僧院・プレーラーツアー(聖職者の館)での朝食 -
朝食の場所はベルテンブルガー僧院のシェンケ(夕食を食べた)ではなく、土産物店の左手にあるPraelaturプレーラーツアー(聖職者の館とも呼べばよいのか)に用意されていた。
十分満足できた朝食も7:15~7:45に早々と済ませた。
写真はベルテンブルガー僧院・プレーラーツアー(聖職者の館)での朝食 -
写真はベルテンブルガー僧院・プレーラーツアー(聖職者の館)での朝食所
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写真はベルテンブルガー僧院・ゲストハウスの3階No.210号室は中央の窓
ヴェルテンブルク修道院 寺院・教会
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ベルテンブルガー僧院を8:45に出発し、昨日は見送ったケールハイム・ドナウ観光船に乗るのだ。
Kelheimケールハイム(人口16千人)はかつてのHaus Wittelsbachヴィッテルスバッハ公爵家(後のバイエルン王家)の領地であり、その旧市街は小さいが、中世の城塞都市を形作り、その一部がDonautorドナウ門、 Mittertor中の門、 Altmuehltorアルトミュールといった名の市門として残る。旧市庁舎(1598年)、Weisses Brauhaus(白ビールまたは小麦ビールの醸造所1607年)などもある。
船着き場に向かう道際に立つSchleiferturm 円型塔(Roemerturmローマの塔とも称される。1474~1486年に建設)を横に見て船着き場に着いた。
小雨模様なのが残念だが。
ケールハイム・ドナウ観光船は予定の便9:30の船「Kelheimケールハイム号」が準備万端で待っていた。
なんだかんだと、もう3回目の乗船だが、昨日“天の啓示”という吉兆にも拘らず、残念ながら今は小雨模様で霧もかかり、高台のベフライウングスハレ解放記念堂もかすんで見える。
写真はケールハイム・ドナウ観光船の船着き場・Kelheimケールハイム号 -
駐車時間(行ってすぐ帰る往復時間)をチケット売り場で聞くと、2時間でOKという(駐車料金は9:17~11:17の2時間でEuro1.25と安い)。
次の便にはドイツ人の団体客が大勢乗船していたが。停船中の僚船にはMaximilianⅡマクシミリアン2世号、Ludwig der Kelheimerケールハイムのルートヴィヒ号などが見えた。
ケールハイム とベルテンブルガー僧院間で、最も川幅80mと狭まるDonaudurchbruchドナウドゥルヒブルッフという渓谷を通っていくが、ドナウ川は距離5.5 km、川幅約 400mと云う。
因みに1925年から観光船の就航が行われ、当時から両岸の岩、岩壁にメルヘンチックな思いを持った人々は、様々な名前を付けた。
写真はケールハイム・ドナウ観光船:ドナウの船旅の案内図ドナウドゥルヒブルッフ 山・渓谷
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ベフライウングスハレ解放記念堂もうっすらと見えるぐらいだ。
乗船したケールハイム号は全長49.9m、横幅10.1m、2015年進水。
レストラン200席、上甲板には300席が備えられている。
写真はケールハイム・ドナウ観光船:Kelheimケールハイム号の上甲板で -
<Donaudurchbruchドナウドゥルヒブルッフ・ドナウ観光船(往復)>
観光船はドナウ船着場からケールハイム とベルテンブルガー僧院間のドナウ川を往復する就航である。
流れを上流にさかのぼる往きの時間は45分、帰りは下りで逆に早いから半分の20分である。
片道料金はEuro6.5、往復Euro 11.5X2=23と少し値上がりした。
夏季シーズンは4月29日~10月8日、
ケールハイム発:9:30、10:00、10:30・・・・・・15:00、15:45、16:30、17:30
僧院発:10:30、11:00、11:30、12:00・・・・・16:00、16:45、17:30、18:30
写真はケールハイム・ドナウ観光船:ケールハイムのルートヴィヒ号を横に見て、ドナウの船旅は9:30出発です。 -
行きは数人の乗客と、ベルテンブルガー僧院に10:20に到着し、帰りはやはり数人の乗客と(中には自転車を持ち込む人も)、10:30に出発し、10:57にケールハイムに戻った。
さて、航行中は船内アナウンスに従い、左右に出て来る奇岩、名所を見るべく忙しく船の左右に移動しながら見ている。さすがに上部甲板には上がるお客はいない。
ガラス越しに撮っているので、少々写真には光が入るのが残念だった。
短い峡谷には左右に見所があり、其々番号を付けて、簡単に説明を記した。
(赤丸番号は上流に向かって左側にある)
写真はケールハイム・ドナウ観光船:ケールハイムのルートヴィヒ号 -
①Franziskaner-und Michelskirchフランチスカ・ミッシェル教会:
ミッシェル教会は1393年に建てられた。尖塔は2度も高さをアップしたと云う。
フランスのモン・サン・ミシェル大天使ミカエルをドイツ的にはミッシェルという。
フランチスカ(アッシジの聖フランチェスコ)教会は1461年にHerzoege Johannes und Siegesmundバイエルン・ミュンヘン公国のヨハン4世とジギスムント(公爵)兄弟が教皇の許可を受けて、古いミッシェル教会の建物を壊した。
ケールハイムの市民の多くもそれを要望し、フランチスカ教会を正方形に新しく改築したと云う。
ミッシェル教会はその古い部分を一部残しているようだが、大部分はフランチスカ教会となっているため、二つの名を称した教会名になっているようだ。
写真はドナウの船旅:フランチスカ・ミッシェル教会 -
②Befreiunghalleベフライウングスハレ解放記念堂:
ナポレオン支配からドイツが解放されたことを記念して、バイエルン王ルートヴィヒ1世により1842年から1863年にかけて建てられた巨大な円形の建物。
ここでは見えないが。
③Wiesenkreuz草原の十字架:不詳
写真はドナウの船旅: -
④Raeuberfelsen盗賊の岩壁:
かつて活躍した?ドナウ川の盗賊の名を付けた岩壁
写真はドナウの船旅: -
イチオシ
Napoleons Reisekofferナポレオンの旅行鞄などと称される面白い岩も緑の中に見え、ナポレオンがロシアから敗走した時に慌てて旅行鞄を忘れたものと、歴史に便乗したような名前もある。
ついでに猿の岩とかいう岩壁もある。どれなのかこちらは分かり難いが・・・。
写真はドナウの船旅:これがナポレオンが置き忘れた旅行カバン! -
⑤Einsiedelei Kloesterl隠者の住まい(人里離れたところにある僧院):
14世紀のフランチスカ教会派の隠者の庵が見えてきた。現在は見た目にも立派な建物もいくつか存在する。
だが、パンフレットの説明では「Felsenkirch ohne Dach屋根のない岩壁教会」という言葉がある。
そこに描かれたフレスコ画は当時のままをよく残しているそうだ。
それに、岩壁の洞窟風な場所に聖人像が立っている。アッシジの聖フランチェスコの像であろうか。
写真はドナウの船旅:屋根のない岩壁教会 -
イチオシ
写真はドナウの船旅:屋根のない岩壁教会と聖人像
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写真はSchifffahrt-Weltenburger-Enge-Donaudurchbruch-Altmuehltalドナウの船旅:ケールハイム とベルテンブルガー僧院間で、最も川幅80mと狭まるDonaudurchbruchドナウドゥルヒブルッフという渓谷を通っていく
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⑥Peter und Paulペーターとパウル:
岩壁が突き出た様な二つの岩だ。St. Peter 聖ペーターとSt.Paul聖パウロのことか。
写真はドナウの船旅: -
イチオシ
⑦Hohler Stein聖なる岩:
Bienenhaus蜂の家とも言うらしい、ここにはドナウ川の大洪水の印が残ると云う。1999年のプフィングステン (Pfingsten=聖霊降臨祭) の時に5mの高さにまで来たと云う。その黒々とした跡が見られるらしい。
写真はドナウの船旅:ドナウ川の大洪水の印が残る聖なる岩 -
写真はドナウの船旅:
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写真はドナウの船旅:
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写真はドナウの船旅:
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イチオシ
写真はドナウの船旅:
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⑧steinerne Kanzel:岩の説教壇
かつてドナウ川の右岸沿いに塩を背負った馬を従えて行き、岩壁に至ると、川船の船頭が綱を利用して、壁沿いに伝って横切ったと云われている。
この塩は貿易品としてインゴルシュタットやウルムまで運ばれたそうだ。
写真はドナウの船旅:岩の説教壇 -
⑨Versteinerte Jungfrau石なった乙女:
freistehende Felsen自由に立っている岩壁は石なった乙女と言われているが、その背景は不詳である。
⑩Eidechseトカゲ:ドナウ川はヴォルガ川に次いでヨーロッパで2番目に長い川2,850kmで、狭い区間のこの辺は源泉から430km、合流点まで2,418.2mの地点であると、川岸に緑の印があるそうだ。
⑪Drei feindliche Brueder敵対する3兄弟:
水中にある岩の球体はお互いに近寄ることが無いから、この名が付いたとか。
⑫Roemerfelsenローマの岩壁:
105mの高い岩壁で6mも突き出ている(オーバーハング:岩壁の面が垂直を超えて傾斜している状態を指す)。何故、ローマの岸壁と称されているのは、ここの岩壁を左から右に渡る吊り橋を架けたと云う話が残っているからだ。以前、ここの岩壁を登る人を見た。
写真はドナウの船旅: -
⑬Lange Wand長い(岩)壁:
このあたりが峡谷の一番狭いと云われる地点で、川幅は80m、深さは20mもあると云う。
ここで後ろを振り返ると川幅の狭まり具合がよく分かる。
ドナウを行き来するKahnfuehrer川船の船頭が船の前進に利用するため、65の鉄輪を打ったそうだ。
写真はドナウの船旅:長い岩壁 -
また、右の岸壁にボヘミア(プラハ)の司祭であり、水の守護神St.Nepomukネポムクの聖ヨハネ(聖ヤン・ネポムツキーともいう。水難からの庇護者として船員や橋の守護聖人)の像が立っているのが見える。
写真はドナウの船旅:水の守護神ネポムクの聖ヨハネの像 -
イチオシ
写真はドナウの船旅:水の守護神ネポムクの聖ヨハネの像・拡大
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イチオシ
写真はドナウの船旅:峡谷の一番狭いと云われる地点を振り返ってみる
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写真はドナウの船旅:
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イチオシ
⑭Schffsanlegestelle Weltenburg終点ベルテンブルガー僧院の停泊地:僧院の400m手前に停泊地がある。ここで乗船、下船が行われる。
写真はドナウの船旅:終点ベルテンブルガー僧院も見えた -
帰りの船内でココアを飲む(@Euro2.9x2=5.8+0.2=6)。
ついでに言えば、これから訪ねる予定のEssingエッシング(ランデック城址・シュラーロッホ鍾乳洞)とか、Riedenburgリーデンブルク(プルン城・ローゼンブルク城の鷹ショー・古城ホテル エッガースベルク城などの方向に流れるアルトミュールタール沿いを就航する船もあるので、半日の時間さえ許せば、ゆったり優雅な船旅ができる。
もう旧聞に属する話だが、夏季シーズンの到来を祝い、4月30日の夜(19:30~24:00)、船上でのダンスパーティや花火の鑑賞、3品の料理の提供といった企画があったようだ。
写真はドナウの船旅:10:30に出発し、ベルテンブルガー僧院から折り返した -
写真はドナウの船旅:峡谷の一番狭いと云われる地点を振り返ってみる
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写真はドナウの船旅:
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写真はドナウの船旅:
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写真はドナウの船旅:僚船のMaximilianⅡマクシミリアン2世号が行く。
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写真はドナウの船旅:
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写真はドナウの船旅:
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ナポレオン支配からドイツが解放されたことを記念して、バイエルン王ルートヴィヒ1世により1842年から1863年にかけて建てられた巨大な円形の建物、Befreiunghalleベフライウングスハレ解放記念堂が見えてきた。
もう直ぐ復路も終点になる。
写真はドナウの船旅:次に訪れるベフライウングスハレ解放記念堂 -
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:1900年頃
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ケールハイムの船着場からBefreiunghalleベフライウングスハレ解放記念堂には3kmと近い。高台まで坂道を上る。
広い駐車場(最長4時間、一回あたりEuro2.5)があった。
船着き場からはミニトレインLudwigsbahnルートヴィヒ・バーン(10:40から一時間ごとに最終17:40、解放堂まで20分:往復Euro7)で登ってくることも出来る。
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:町から来たミニトレインLudwigsbahnルートヴィヒ・バーン。 -
<Kelheimケールハイム・Befreiunghalleベフライウングスハレ解放記念堂>
11:15~12:15 入場券Euro3.5x2=7
レーゲンスブルクの南西、ケールハイムの町から少し離れたドナウ川に面した高台Michelsbergミッシェルスベルクに、ナポレオン支配からドイツが解放されたことを記念し、ドイツ統一を祈った巨大な円形の建物がある。
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:正面入り口解放記念堂 建造物
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この巨大な解放記念堂はバイエルン王ルートヴィヒ1世の命により1838年から1863年にかけて建てられたもので、1863年10月18日に、つまり*「Voelkerschlacht bei Leipzig諸国民の戦い・ライプツィヒの戦い」に勝利した50周年の日に解放記念堂の落成式を行ったという。
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:大きなもの -
ドナウシュタウフ・ヴァルハラ神殿ほど高い感じはなかったが・・・。
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:ケールハイムの町やドナウ川を望め -
イチオシ
解放記念堂の外壁にはドイツ民族を表す18体の女神像が立ち、大理石のホールには34体の勝利の女神像が配置され、その間にドイツ民族の記憶に残るライプツィヒの戦、ワーテルローの戦い・・・といった大きな戦いの名前が記されたメダルが掲示されていた。
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:美しい堂内 -
45mのドーム内は美しい彩りの天井(Glaslaterneガラス ランタン)が特筆されるもの。
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:ガラス ランタン -
*<諸国民の戦い・ライプツィヒの戦い(1813年10月16日 - 10月19日)>
ナポレオン戦争における最大規模の戦闘で“諸国民の戦い”とも呼ばれる。
ライプツィヒ(当時のザクセン王国領)で、ナポレオン1世麾下のフランス・ワルシャワ公国・ライン同盟諸邦軍19万と、プロイセン・ロシア帝国・オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万の間で戦いが行われた。
3日間の激戦の末、圧倒的な兵力差の前にフランス軍は敗北した。フランス軍は4万以上の死傷者を出し、一方の連合軍も5万以上の死傷者を出した。
この戦いの結果、フランス帝国のライン川以東での覇権は終焉を迎え、ナポレオンのドイツ支配が終わった。同時にライン同盟*は崩壊し、多くのドイツ諸邦が連合軍に加入することになる。この事は皇帝ナポレオンの退位の契機になった。
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:1813年10月諸国民の戦い・ライプツィヒの戦い -
*Rheinbundライン同盟は1806~1813年の7年間、ドイツ(当時の神聖ローマ帝国)にフランス皇帝ナポレオン1世の圧力により成立した国家連合である。
ナポレオンは1806年7月25日、神聖ローマ帝国内のドイツ諸侯を神聖ローマ帝国から離脱させ、フランスと同盟を組ませました。ナポレオンの敗退とともに解体した。
ライン同盟の主たる構成国にはバイエルン王国(兵3万人)、ヴュルテンベルク王国(兵1.2万人)、ザクセン王国(兵2万人)、ヴェストファーレン王国(兵2.5万人)、バーデン大公国(兵8千人)、ヘッセン・ダルムシュタット大公国(兵4千人)、その他ヴュルツブルク大公国、マインツ大司教領など兵4千人である。 (2011.08.18.編集)
写真はライプツィヒの「諸国民の戦い記念碑」 -
2011年05月にかつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡った。旧東独のライプツィヒには巨大なVoelkerschlachtdenkmal Leipzigライプツィヒ諸国民戦争記念碑が建てられていて、その凄さに驚いたことがある。
ヨーロッパ連合軍がナポレオンに勝った1813年の決定的な勝利を記念するもので、土台にある像は多くのドイツの戦争の際に守護聖人とされた大天使ミヒャエルです。
栄誉の殿堂のドーム天井の巨大な面には324個のほとんど実物大の騎士像が描かれている。当時のドイツにとって、ナポレオンに勝利した事が如何に大きかったかを具現したものだ。
この諸国民戦争記念碑はライプツィヒの象徴として有名であると同時にドイツで最も大きい国立記念碑である。死と自由のための巨大な殿堂は高さ91mで、旧ナポレオン司令塔からそれほど遠くない所にある。1858年から1913年にかけて建築家ブルーノ・シュミッツによって建設された。
・・・・・
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:ワーテルローの戦い
*ワーテルローの戦いとは、1815年6月18日、ベルギーのワーテルロー近郊においてイギリス・オランダをはじめとする連合軍およびプロイセン軍と、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍との間で行われた一連の戦闘を指す名称である。フランス軍が敗北し、ナポレオン戦争最後の戦いとなった。 -
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:
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写真はベフライウングスハレ解放記念堂:34体の勝利の女神像、人間の姿と比べるとやはり大きい。
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写真はベフライウングスハレ解放記念堂:ケールハイムの町やドナウ川を望む
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写真はベフライウングスハレ解放記念堂:さっきまで航行したドナウ川
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その高台からケールハイムの町やドナウ川を望め、曇天ながら素晴らしい景観を楽しみ、先ほど乗ったドナウ観光船がドナウ川を下ってくるのが見えた。
写真はベフライウングスハレ解放記念堂:ドナウ観光船が下ってくる -
ケールハイムの町を離れ、10km先のEssingエッシングに向かう。
Burgruine Randeckランデック城址はエッシング村の山上にあった。
写真はEssingエッシング:山上のランデック城址 -
<EssingエッシングのBurgruine Randeckランデック城址>
12:15~12:40 入場券Euro2X2=4
ケールハイムの町からAltmuehltalアルトミュールタール沿いに西に走ると、人口1000人のエッシング村の岩壁上に、外壁もまだしっかりしたランデック城址が残る。
近くのガストハウスの駐車場に断りを入れて停めた。そこから歩いて1分、深い堀をまたぐ橋があり、その向こうに扉のある簡単な城門がある。管理人(現在、エッシング村の所有)もいない城址なので、入場料は自主的に箱に投函して、城内に入る。
写真はランデック城址 -
ランデック城は10世紀の頃、バイエルン国王Arnulf I.アルヌルフ1世が騎馬民族のマジャール人(ハンガリー)の侵攻に備えて、最初にこの地に築城したとされている。その後、30年戦争でスウェーデン軍の攻略を受けて落城した。
現在、海抜490mの高台に立つランデック城址には36mの天守閣(腹を空かした塔と称する)が中心に高々と立っていた。
塔には登る気はなく、Hof廷内を巡ると9つのStuben居間、8つのKammern寝室、3つの台所、聖ゲオルクのBurgkapelle礼拝堂、Keller地下室、Schoepfbrunnen釣瓶井戸などが、かつての姿を良く残していた。
写真はランデック城址:木彫りの騎士像 -
イチオシ
城址のはずれから、アルトミュールタールにかかる“Holzbruecke木橋”も遠望できた。
写真はランデック城址:眼下にアルトミュールタールと木橋が望める -
写真はランデック城: 1644年Merian 作
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参考:Hoele Grosses Schulerlochシュラーロッホ鍾乳洞(写真)
D-93343 Essing 、Oberau 2
http://schulerloch.de/
見学時間:3月24日から11月4日まで、毎日10時~16時 -
*Der Main-Donau-Kanalマイン・ドナウ運河
マイン・ドナウ運河がドイツ南部バイエルン州に建設されたことで北海からライン川、マイン川、この運河を経てドナウ川、黒海へと通じる国際航路が使用できるようになった。
8世紀の頃から計画があったが、実質的な工事が始まったのは、はるかに遅い1921年である。戦争による中断などがあり、1960年から両河川間の運河本体の開削工事が開始され、完成は1992年となった。運河は北のバンベルクの町でマイン川より別れ、エルランゲン・ニュルンベルクの町を経て、ドナウ川に繋がる。運河の全長は約171km。マイン川方向の標高差は175.1m、ドナウ川方向では67.8mもあり、通航用の多数の関門が運河に設けられている。(閘門式運河。閘門式は水位を2~3mあげて、船舶を上流へ航行可能とさせる)
写真はLudwigskanal-Karteマイン・ドナウ運河はルートヴィヒ運河もしくは古い運河とも称する。 -
Altmuehltalアルトミュールタール一帯と近郊にはランデック城址を初めに、Burg Prunnプルン城、Schloss Rosenburgローゼンブルク城、Schlosshotel Eggersberg古城ホテル エッガースベルク城、Schloss Arnsberg古城ホテル アルンスベルク城、Schloss Hirschbergヒルシュベルク城、Willibaldsburgウィリバルドスブルク城、Burg Pappenheimパッペンハイム城、ローマ軍団の砦Kastell Biricianaカステル ビリシアナ、Hohenzollernfestung Wuelzburgホーエンツォレルン家の要塞ヴュルツブルク、Deutschordensschloss Ellingenドイツ騎士団のエリンゲン城などの様々な古城群がある。
実際に多すぎて、全てを見る事が出来なかったものの、古城好きにはこれらを調べるだけでも楽しかった。
写真はランデック城址から見た景色と似ているが、こちらはBurg Prunnプルン城から見た景色 -
写真はBurg Prunnプルン城:断崖絶壁上に立っているのがよく分かる。
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<Burg Prunnプルン城>
12:57~14:00 入場券Euro5X2=10、+チップ2
D-93339 Riedenburg - Prunn 、Schlossprunn 1
https://www.naturpark-altmuehltal.de/sehenswertes/burg_prunn-626/
プルン村の裏手の坂道を登ると、古城を下に見る位置にある駐車場についた。
城内見学:3月1日~10月31日、ガイド付きで毎日9時から17時まで行われているが、丁度13時のガイド案内にドイツ人数人とともに入れてもらえた。
城郭から眼下にケールハイムに向かう観光船を遠望したが、ここも城内撮影は禁止だった。
写真はBurg Prunnプルン城:本丸と橋、稜堡・・・ブルン城の城郭には橋を渡っていく -
45分のガイドツアーは手元に写した写真が無いため記憶に残るものが少なく、値段の割に総じて中身に乏しい思いがした。
ともあれ、この古城の姿の良さは一番価値があると思う。とりわけ絵画的なアルトミュールタールや、街道から見上げるブルン城は格別である。
写真はBurg Prunnプルン城 -
2012年、ブルン城の大改装後に、城の歴史とニーベルンゲンの歌に表現された城主や家族の様々な面(狩猟、衣服、法、馬上試合、祭り)とを関連付けた展示回路を新たに作った。
展示されていた甲冑、武器の説明が一番分かりやすかった。
写真はBurg Prunn プルン城:断崖絶壁上の小型城郭の縄張り図 -
写真はBurg Prunn プルン城:台所
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ルネサンス様式のブルン城本丸はアルトミュールタールに向かって立つ高さ70mの岩壁上にあり、北側の二の丸とは20mの幅、9mの深さの堀を作り、防御態勢を保っている。
13世紀に建てられたロマネスク様式の天守閣は直径6m、31mの高さがあり、この地方の中世最盛期の重々しい姿を残していると云う。
15世紀初めの領主の部屋には多くの壁画が残っている。
写真はBurg Prunn プルン城:展示場 -
写真はBurg Prunnプルン城:15世紀初めの領主の部屋の消えかかった壁画
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<ブルン城の歴史>
ブルン城の最初の城主は1037年の文書に言及されているWernherus de Prunneベルンヘルス・ド・プルーネが知られている。
1147 年Herren von Laaber und Fraunberger ラーバー・フラウンベルガ―の騎士領主は度々城郭の改築を行い、後期ゴシック様式で天守閣やパレスの保存に勤めた。
1288年にはHerzog Ludwig II. von Bayernバイエルン公ルートヴィヒ2世に売却され、同時に封土領地としてWernherr von Praiteneckプライテンエックに与えられた。
1646年、陸軍元帥Georg von Truckmillerゲオルゲ・トルックミラーが取得し、改修に勤めた。その後も城主は頻繁に代わり、1672年にはインゴルシュタットのイエズス会が取得した時は城内教会を魅力的なバロック様式の装飾で改装したそうである。
写真はBurg Prunnプルン城の俯瞰 -
1823年より再び、Haus Wittelsbachヴィッテルスバッハ家の居城となり、1827年、バイエルン王ルートヴィヒ1世はロマン派の時代に歴史的な記念碑であるブルン城の保存運動を推進した。
第二次大戦後の1946年、プルン城はバイエルン州のものとなり、2007 ~2010年にかけて大修理を行った。
写真はBurg Prunnプルン城 -
写真はBurg Prunn プルン城:1600年頃
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また、ブルン城で特筆されているのは1330年に中高地ドイツ語で書かれた叙事詩『Nibelungenliedニーベルンゲンの歌』の手書き「Prunner Kodexブルンの古写本」(オリジナルはバイエルン州図書館にある)が見つかったことだ。
写真はPrunner Kodexブルンの古写本 -
ニーベルンゲンの歌の元になった「ジークフリートの物語」は北欧神話のシグルズの物語と起源を同じくし、後半の「クリームヒルトの物語」は12世紀にドナウ川流域で作られたとされるブルグント族の滅亡をうたった叙事詩に由来すると考えられている。
『ニーベルンゲンの歌』は他の詩篇などとの関わりから1200年から1205年頃に成立したと考えられているが、作者については高い教養をもった人物だろうということしか分っていない。
以下は参考までにKodex写本のマネッセ写本から、画像をピックアップした。
写真はCodex_Manesseマネッセ写本:Heinrich_VI__(HRR)神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世 -
マネッセ写本 (Codex Manesse) は、中世盛期におけるドイツの代表的な140人の宮廷詩人(ミンネゼンガー)の詩歌(恋愛歌曲)を収録したコデックス彩飾写本。最も総合的に収集された中世の詩集として、また各宮廷詩人を描いた美しい挿絵(細密画)で知られている。大ハイデルベルク歌謡写本とも。
チューリッヒのマネッセ家の注文により、主要部分が完成した1304年から補足が付けられた1340年頃の間に作成されたと考えられている。ゴットフリート・ケラーは"ハドラウブ" (1878)の中で、編纂者はミンネゼンガーの一人であるヨハネス・ハドラウブだと推測している(Wiki抜粋)。
写真はCodex_Manesseマネッセ写本:著名な宮廷詩人(ミンネゼンガー=吟遊詩人)Wolfram_von_Eschenbachヴォルフラム・エッシェンバッハの騎士 -
写真はCodex_Manesseマネッセ写本:Burggraf_von_Riedenburgリーデンブルク城伯
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写真はCodex_Manesseマネッセ写本: Schenk von Limpurgシェンク・リンプルクの騎士
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写真はCodex_Manesseマネッセ写本:Saengerkrieg auf der Wartburgヴァルトブルク城の歌合戦
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写真はCodex_Manesseマネッセ写本:Graf Friedrich_von_Leiningenフリードリヒ・ライニンゲ伯
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写真はCodex_Manesseマネッセ写本_Ulrich_von_Liechtensteinウルリヒ・リヒテンシュタインの騎士
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