
2018/05/10 - 2018/05/24
26位(同エリア239件中)
関連タグ
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記376冊
- クチコミ398件
- Q&A回答96件
- 357,106アクセス
- フォロワー73人
≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。
(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)
①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。
⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども
写真は出くわした30年戦争時のツワモノども
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
<フレンキッシェ・シュヴァイツの古城群>
フォルヒハイムとフレンキッシェ・シュヴァイツ地域はヨーロッパのロマンチックな観光街道・古城街道に属し、古くから、岩山を利用した要害堅固な城が築かれて、中世にはフレンキッシェ・シュヴァイツ地域においては170を数える、様々な城郭があったが、現在でも居住し、あるいは居住が可能である、古城は39も残っている。
その内、24の古城は絶壁の上に聳え、しばしば絵画的なジュラ山地上に、岩山の上に君臨している。それらの城はフレンキッシェ・シュヴァイツの風景の中に、最も大きく、魅力的な宝石として、点在している。
以下の15の城が見学可である。:
Burg Feuerstein フォイヤーシュタイン城、Ruine Neideckナイデック城趾 、Schloss Greifensteinグライフェンシュタイン城(シュタウフェンベルク家の城)、Schloss Unteraufsessウンターアウフゼス城、 Burg Waischenfeldヴァイシェンフェルト城 、Burg Rabeneckラーベネック城 、Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城(ワ-グナーが『パルジファル』の聖杯城のモデルとしたことで知られる)、Burg Egloffsteinエグロフシュタイン城 、Burg Rabensteinラーベンシュタイン城 、Burg Pottensteinポッテンシュタイン城 、Burgruine Wolfsbergヴォルフスベルク城趾(Obertrubach) 、Ruine Baernfelsベルンフェルス城趾(Obertrubach) 、Ruine Leienfelsライエンフェルス城趾 (Obertrubach)、Ruine Stierbergシュティアーベルク城趾(Veldensteiner Forst) 、Ruine Wildenfelsヴィルデンフェルス城趾(Veldensteiner Forst)。
写真はBerg-Gasthof Hoetzeleinベルク・ガストホフ ヘルツェラインからの眺望 -
古城はホテルやFerienwohnungフェーリエンボーヌング (休暇用に設備された住居で、基本的に食事はなく、自炊である。)に転用されている所もあって、古城ホテル好きには実に嬉しい地域だ。
昔の面影を残す古城群はEgloffsteinエグロッフシュタイン城(Ferienwohnung・博物館)、Ruine “Streitburgシュトライトブルク”“Neideckナイデック”城址、Schloss Greifensteinグライフェンシュタイン城(博物館)、Schloss Ober-Unteraufsessアウフゼス上城・下城(Ferienwohnung・博物館・教会)、Burg Waischenfeldヴァイシェンフェルト城(木組み建築の家のある町)、Burg Rabeneckラーベネック城(礼拝堂)、Burg Pottensteinポッテンシュタイン城(Ferienwohnung・博物館・聖エリザベート、Teufelshoehle 鍾乳洞 )、Burg Rabensteinラーベンシュタイン城(ホテル・博物館)、Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城(博物館・巡礼教会‐ノイマン作バジリカ・ワーグナーの聖杯城)などがあり、是非訪れてみたい。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインからの眺望 -
その他にもバンベルク近くのMemmelsdorfメンメルスドルフにSchloss Seehofゼーホフ城(オランジェリー、礼拝堂、公園と噴水)やForchheimフォルヒハイムにあるKaiserpfalz-Die Pfalz(王宮博物館;フォルヒハイムは古い王都であり、『フレンキシェ・シュヴァイツの表門』を称している。又、アドベントの時期に市庁舎に掲げられる『世界で最も美しいアドベントカレンダー』でも知られている。『皇帝の宮廷』は実際には14世紀の領主司教の城である)がある。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインのご注意! -
イチオシ
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインからの眺望・・少し明るさが出てきた
-
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインの子供用のコーナー
-
*起床6時半。朝食8:00~8:30は昨日と違うレストランに行く。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:Bauernstubeお百姓の間の朝食 -
隣はなかなか見栄えの良い暖炉の間もあった。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:Ofenstube暖炉の間、 -
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:Bauernstubeお百姓の間
-
5月 13日 (日): 晴れの日が続く、 26.5℃、 96km
ベルク・ガストホフ ヘルツェライン出発9:10 ->L? 10km Kunreuthクンロイト->L? 9km Kirchehrenbachキルヒエーレンバッハ ・Walberlaヴァルベルラの丘 ->L? ・B470(Ebermannstadtエバーマンシュタット)・L? 28km Aufsess・Schloss Unteraufsessウンターアウフゼス城(博物館と教会)->L? 2km Schloss Oberaufsessオーバーアウフゼス城 ->L? 14km Waischenfeld・Burg Waischenfeldヴァイシェンフェルト城 ->L? 11km Burg Rabeneckラーベネック城 ->L? 12km Tuechersfeldツェシェルフェルト(Pottenstein)(岩山と郷土博物館) ->L? 10km Burg Rabensteinラーベンシュタイン城に15:50に到着。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:Bauernstubeお百姓の間 -
ベルク・ガストホフ ヘルツェライン9:10に出発し、山から下りてクンロイトのSchloss Kunreuthクンロイト城を見に立ち寄った。
朝から20.5℃の気温となるが、風は涼しい。
写真はSchloss Kunreuth_かつての水城
<Die Burgenstrasse古城街道 ・Fraenkische Schweizの古城群②>
Schloss Kunreuthクンロイト城、Schloss Wiesenthauヴィーゼンタウ城、Schloss Unteraufsessウンターアウフゼス城、Schloss Oberaufsessオーバーアウフゼス城、Burg Waischenfeldヴァイシェンフェルト城 、Burg Rabeneckラーベネック城 、Burg Rabensteinラーベンシュタイン城 。 -
<Schloss Kunreuthクンロイト城> 9:30~9:35
現在は私有地のようで門は閉ざされたままのクンロイト城はかつて水城であった。
城の裏手に部分的な堀が残り、14世紀にBurg Egloffsteinエグロフシュタイン城主により建設された水城の名残がある。
1412年以降、バンベルク司教のレーエン(封土)となっている。
1553年の第二次辺境伯戦争では、ブランデンブルク・クルムバッハ辺境伯アルブレヒト・アルキビアデスによって城も村も教会も破壊されてしまった。
1845年までエグロフシュタイン男爵あるいは伯の世襲領主権が存続していた為、紋章も似たものを利用している。
写真はSchloss Kunreuth_城の裏手にはかつての水城を示す堀がある -
昨日の後半からナビが順調となる。クンロイト城から9km先のKirchehrenbachキルヒエーレンバッハ・Walberlaヴァルベルラの丘を目指す。
写真はWalberlaヴァルベルラの丘の看板 -
<Ehrenbuergエーレンビュルク・Walberlaヴァルベルラの丘> 9:40~9:55
このテーブル型の丘を公式には<Ehrenbuergエーレンビュルク>と言い、Walberlaヴァルベルラの丘(514m)とRodensteinローデンシュタイン(532 m)の丘からなる。
1360年の文献にこの丘上にあるWalburgiskapelleヴァルブルギス礼拝堂が初めて言及されている。エーレンビュルク全体をヴァルベルラと呼ぶのはこのヴァルブルギス礼拝堂の名前から来たと思われる。
また、この文献ではHeidenheimハイデンハイムのHeiligen Walburga聖女ヴァルブルガの日(4月30日)に開催される年の市についても触れている。
この市場は現在でも千人以上の人を集める市である。(尚、聖女ヴァルブルガについてはEichstaettアイヒシュテットの僧院の所で詳細を後述した)
・・・・・
その麓の駐車場に車を停めて、案内板を見ると、一帯は自然保護地域に指定されていて、関係者以外はここから上は徒歩で行く事が指示されていた。
という事で、登頂は断念した。
写真はWalberlaヴァルベルラの丘の遠望 -
Ebermannstadtエバーマンシュタットの近郊Kirchehrenbachキルヒエーレンバッハ地区には盛大なビール祭り(5月の第1日曜日)が行われるテーブル型の山塊Walberlaヴァルベルラの丘があって、近郊から大勢の人が集まると云う。
https://www.walberla.de/
写真はWalberlaヴァルベルラの丘の祭 -
9:55ヴァルベルラの丘を離れ、B470に入る。Ebermannstadtエバーマンシュタットを通過し、28km走って10:30、 懐かしのAufsessアウフゼス・Schloss Unteraufsessウンターアウフゼス城に至った。
写真はAufsessアウフゼス家の紋章 -
何と城内は人気が無い。2009年に訪問した古城ホテル、博物館などのガイド役のお婆さんの家も、小さい城(緊急避難塔)も柵やチェーンで人の侵入を拒んでいた。
唯一、村人が必要とする教会だけが自由に入れるようになっていた。 2009年は“はるか昔”なのだ。
(以下は2009年春の記録と写真を合わせ載せた)
写真はSchloss Unteraufsessウンターアウフゼス城 ・昔の城の城景 -
<Schloss Unteraufsessウンターアウフゼス城> 10:30~10:55
D-91347 Aufsess 、Am Weiher 79
http://schloss-unteraufsess.de/
ウンターアウフゼス城はアウフゼスの名門貴族の居城として名高い。
1114年に初めて城と名付けて以来、居城としてきた。この頃から、一族の力は強大になり、その他の地域にも支配力を延ばし、大きな地域を治める事となる。
この城は歴史的には1327年に初めて文献に出てくる。1436年、フス教徒の乱や1525年の農民戦争でも、城の一部に損害を被った。更に30年戦争では1633年クロアチア軍により、被害を被ったとある。
この事もあってか、Friedrichフリードリヒと Karl Heinrichカール・ハインリヒ兄弟により、ウンターアウフゼス城に向かい合う所に防御の為に、Schloss Oberaufsessオーバーアウフゼス城が築かれ、二つの城は現在もアウフゼス家の居城(男爵)となっている。
写真はウンターアウフゼス城 ・2018年春城門 -
ウンターアウフゼス城から下を見たら、ビール工場が見えた。
世界で最も醸造所密度の高い市町村はギネスブックによれば、アウフゼスである。この村には約1,500人の村民に対して、4つのビール醸造所があると云うからビックリだ!!
写真はウンターアウフゼス城:2009年4月小ぎれいだった城内 -
<城内見学(2009年に訪問)>
ウンターアウフゼス城は左手に高い塔が立ち、中庭には教会、城館は二つの塔が付いたもので、白壁と茶色の屋根の建物、黄色で窓の枠取りをしてある。
周辺は城壁に囲まれた小さな城であった。
城に行ってみると、誰もいない。ホテルの部屋と思しき所は枕などを干しているが、人は見かけない。やむなく開いていた教会を覗いてみる。
たまたまトリアーから来られた老夫婦に博物館見学について聞いてみると、14時からと門の掲示板にあったと言う。それなら、20分待てばよい。中庭のベンチに座っていると、年配の女性、と言っても私共と変わらないが、庭に面した建物から出てきた。“見学でしたら、5人以上でないとダメ”と言う。
そうこうしていると、先ほどの老夫婦が戻ってきた。遠来のお客4人ではどうかという話になり、幸いなことにガイド案内がOKとなった。
写真はウンターアウフゼス城:2009年4月教会と緊急避難塔 -
左手の小高い場所に立つ塔(ガイドさんは小さな城と称した)は敵の襲来を受けた際に、城主家族が逃げ込む防御施設であったとか・・・。
当時はロープ梯子を使用し、高さ10mに出入り口を開けて、利用したと云う。とても怖くて登ることができないと思うのは現代人の所為か?!
トリアーの老人は心臓の病持ちなのか?遠慮したが、塔には後年になって、木の階段が付けられ、これを楽々と登り、塔内に入った。
中には逃げ込みようの隠し部屋、寝室、トイレ、宗教者が勉学したという部屋などがあった。
写真はウンターアウフゼス城:2009年4月緊急避難塔 -
写真はSchloss Unteraufsessウンターアウフゼス城:2018年春、教会と今は登れない緊急避難塔
-
大きな幾つもの鍵を持参した、先ほどの女性ガイドさんはまず、城館内の礼拝堂に入る。丁寧な説明がスタートする。この礼拝堂は城主の為のもので、カトリックだそうだ。
写真はウンターアウフゼス城:2018年春、教会内の聖壇 -
写真はウンターアウフゼス城:2018年春、教会内のパイプオルガンとアウフゼス家の紋章が見える
-
写真は2018年春、白のライラック?
-
イチオシ
写真は2018年春、白のライラック?
-
写真は2018年春、草も伸びてしまったウンターアウフゼス城内
-
古いパイプオルガンがあり、左右の扉には宗教画が描かれて、右手の下にある紐を引っ張りながら、鍵盤を弾くと音が出るのだと言う。(Eisenachアイゼナッハのバッハの生家で同じようなオルガンを弾いたのを見た事があるが、ここのはもっと古そうだ。)
写真はウンターアウフゼス城:2009年4月城内ガイド・ガイド役の小母さんとオルガン -
イチオシ
古い洗礼台にはキリストの洗礼が刻まれていた。その横の聖壇の絵柄には天国(天使に手を取られた)と地獄(獄卒の鬼に押される)に分けられている裸の人間の図があり、地獄行きの人間には太った男や僧侶が描かれていた。
当時の人たちの思惑や考えが見えて面白い。
写真はウンターアウフゼス城:2009年4月城内ガイド -
礼拝堂の壁にはそのバラがデザインされたWappen紋章(後述参照)を中心にして、様々な一族の紋章で覆われている。
この城主一族は大きな広がりを婚姻で作ったようです。パプスブルグ家の女帝テレジアの婚姻政策に似たようなものです。
13の町を支配し、53の城を所有したという。
隣室も見事な水牛の角?をかざした紋章などがあり、棺が一つ置かれていた。この棺も何か意味があったはずだが、思い出せない。
<Das Wappen derer von Aufsess:アウフゼス家の紋章>
11世紀からの古い言い伝えに依ると、アウフゼスの騎士が、騎士の馬上試合に勝利し、意気揚々と勝利の楯を持って、女性の桟敷席下を騎馬で通過しようとした。これを見ている女性たちは勝利への祝福の声をあげた。そして、ある女性が持っていたバラの花を騎士の掲げる楯の上に投げかけたと云う。
以来、アウフゼスの騎士は自らの紋章の中に一つのバラを描きいれたと云われている。
写真はウンターアウフゼス城:2009年4月城内ガイド -
更に階段を上がると、城館に付いた1つの塔に入った。ここは全く光のない深い監獄で、囚人には水とパンだけを差し入れたのだと・・・。
一度外に出て、城館内の階段を上がり、暖炉や一族の肖像画などが掲げられた部屋・Ahnensaal祖先の間などを巡る。
城主はここから直ぐのSchloss Oberaufsessオーバーアウフゼス城に居住しているらしい。そちらの見学は不可だとか。
(尚、古城ホテル・Ferienwohnungの設備はある)
写真はウンターアウフゼス城:2009年4月城内ガイド・Ahnensaal祖先の間 -
写真はウンターアウフゼス城:2009年4月城内ガイド・Ahnensaal祖先の間
-
フランケンのスイス地方の城の内、二つの古城では驚くことに、その城の築城者の子孫が今なお、その城に居住している事である。
一つはSchloss Aufsessアウフゼスの城主(男爵)であり、1114年に初めてSchloss Unteraufsessウンターアウフゼス城と名付けて以来、居城としてきた。
もう一つはBurg Egloffsteinエグロフシュタイン城主(男爵)である。こちらも1179年以前にエグロフシュタイン城を築き、800年を超える、長い歴史が過ぎる間、城を所有し、且つ居住してきた。
この二つの古城は今、Aufsesstalアウフゼス谷の、そして Trubachtalトルバッハ谷の美しい“真珠”と謳われている。
・・・・・
写真は2018年春、下のビール工場から見上げたウンターアウフゼス城 -
<Schloss Oberaufsessオーバーアウフゼス城> 11:05~11:15
D-191347 Aufsess 、Oberaufsess1
10:55にこちらはどうなっているのかと、2km 先のSchloss Oberaufsessオーバーアウフゼス城まで行ってみた。
村内の道を高台に上がると、こちらも城内は大きな犬が番をしているほか、全く人気が無く、門も閉じられていた。高台から見る村は明るい。
写真はオーバーアウフゼス城を遠望する -
写真はSchloss_Oberaufsessオーバーアウフゼス城
-
Webで検索した限りでは、古城ホテル・Ferienwohnung休暇施設の設備はあるようなので、一時はホテル候補にしたが、Ferienwohnung休暇施設を一日でも利用すると、掃除料金がEuro30~50がかかるので、短期使用はコスト高になるのでやめてしまった。
写真はオーバーアウフゼス城内をのぞくと宿泊施設らしき建物が見える -
写真はSchloss-Oberaufsess-luftbildオーバーアウフゼス城の俯瞰
-
写真はオーバーアウフゼス城下の村の景観
-
上下のアウフゼス城から14kmとヴァイシェンフェルト城は近い。
写真はヴァイシェンフェルトの紋章 -
次も2009年4月に訪問した古城ホテルだ。記憶に残る Burg Waischenfeldヴァイシェンフェルト城はやはりホテルが無くなっていた。
ホテルだった建物は残り、軽食用のレストラン・シェンケ、展示場や結婚式場的な機能は残しているように見えた。
写真はBurg Waischenfeldヴァイシェンフェルト城:2009年4月城門 -
イチオシ
<Burg Waischenfeldヴァイシェンフェルト城> 11:30~12:00
D-91344 Waischenfeld 、Schlossberg 20
http://www.burg-waischenfeld.de/
城内見学(2009年4月に訪問):
Burg Waischenfeldヴァイシェンフェルト城は町の西の100mの高さの岩壁上にある。
城壁から離れて、“Steinerne Beutel石袋"ともよばれる13mの面白い円塔が立つ。
1122年にその起源がある。Waischenfeldヴァイシェンフェルトの一門の最後となるUlrichウルリッヒの死後、1216年、Eberhard III. von Greifensteinエバーハルト・グライフェンシュタイン3世により治められる。
1600年頃には古城は穀倉になってしまう。
1889年には完全に取り壊されてしまう。
写真はヴァイシェンフェルト城:2009年4月、石袋と呼ばれる13mの円塔 -
岩壁上まで行って恐々と城下町をのぞいた。
今は外壁と塔が一部残り、城内には後から建てた建物があり、ホテルやレストランなどがあるようだ。
(尚、2018年の旅で古城ホテルは無くなっていたのに気付いた。ここでも古城ホテルが無くなった事実に古城ホテル好きとしては少々びっくりだ。)
写真はヴァイシェンフェルトの町:2018年春 -
一番高い所に登って、周囲を望んだ。確かに、その昔の城郭は岩壁の上に建てられたようで、城郭一帯は岩盤の上にある。
尚、ヴァイシェンフェルトの町は700年以上の歴史がある。
写真はヴァイシェンフェルトの町:2018年春 -
ヴァイシェンフェルト城を出て、ヴィーゼント川沿いの道を走り、向い側の丘陵にも露出した岩山を横に見ながら、11km 行くと左手の高台にBurg Rabeneckラーベネック城の姿が見える。
丁度、お昼も過ぎた時刻、以前も立ち寄ったホテルが見えたので、車を駐車場に入れて、丁度空いたテラス席に座った。
中のレストランもお客さんが多く繁盛している。
ラーベネック城の麓にあるテラスからはレグニッツ川(マイン川左岸の支流)の支流であるヴィーゼント川を下るカヌーも楽し気に見える。
写真はWaldpension Rabeneckバルトペンション・ラーベネックとヴィーゼント川、Burg Rabeneckラーベネック城 -
2009年の春はテラスに座りながら、リンゴのケーキとコーヒーでお茶の時間を持ち、典型的なフランケン・スイス地方の光景を楽しんだのだ。今年も軽食又はお茶と考えていたが、時間的に昼食となった。
写真はバルトペンション・ラーベネック(以前の名はGasthof Rabeneckガストホフ・ラーベネック)前で、きれいに改装されていた。 -
写真は2018年春、典型的なフランケン・スイス地方の光景
-
写真は2009年4月、典型的なフランケン・スイス地方の光景、
座った席と一月早い春で光景も違っている。 -
<昼食:Waldpension Rabeneckバルトペンション・ラーベネックのテラスで>
(以前の名はGasthof Rabeneckガストホフ・ラーベネック)
D-91344 Waischenfeld 、Rabeneck 27
http://www.waldpension-rabeneck.de/index.php
12:20~13:30 Euro24(3,216円)
注文は0.5Lの水(Still:Euro2)と、美味くて、しかも安いバターベースのシュパーゲル料理(Euro10.5x2=21)を頼んだ。
写真はバルトペンション・ラーベネックのテラスとメニュー -
写真はバルトペンション・ラーベネックのテラス
-
ホテルの壁に揺れていたWetterstation測候所(写真)も以前と変わらぬ位置にあった。
板に石が吊るされて、上の板には次のように面白い言葉が、石が動く=>風あり、石に湿気あり=>雨、石が見にくい=>霧が出た・・・などと書かれていた。
写真はバルトペンション・ラーベネック:石のWetterstation測候所です。 -
写真はバルトペンション・ラーベネックの駐車場にて・・・
予約した車よりも格上を提供されて有りがたかった。
ナビは最初戸惑ったが、慣れると便利だった。 -
イチオシ
<Burg Rabeneckラーベネック城>
D-91344 Waischenfeld 、Rabeneck 22
http://www.burg-rabeneck.com/
https://www.youtube.com/watch?v=0KM5LdpLMLI
https://www.youtube.com/watch?v=iiApIgYUa1Y
ホテルの予約で問い合わせたが反応が悪く、今回も山上のラーベネック城に登らず、路傍からの写真だけにとどめた。
ラーベネック城は遠望からの写真が良いようだ。
見学時間:日、祭日の11時~18時OK。
写真は山上のラーベネック城 -
この城は13世紀の半ばに、初めて築城された。以来、城の所有者は幾度となく変わり、14世紀にラーベンシュタイン城主がここも所有した。
それもあってか、城門にカラスの紋章がある。14世紀末にはバンベルグの司教領主がここを治め、50mの岩壁上に礼拝堂を持つ城郭を作った。
18世紀に至るまで、バンベルグの司教領主とラーベンシュタイン城主、シェーンボルン伯爵など、所有者として登場する。
1830年、バイエルンLudwig ルートヴィヒ1世が古城の修復を行ったとある。
1975年Norman Schillerノルマン・シラー氏の購入により、現在も古城は維持されて、見学も可能である。
(尚、古城ホテル・Ferienwohnung休暇施設は全3室である)
写真は山上のラーベネック城の拡大版 -
写真はBurg Rabeneckラーベネック城_1834年の絵・・・バイエルンLudwig ルートヴィヒ1世が古城の修復したころだろう。
-
次は是非訪れてみたい博物館です。
2009年には同じ道を辿ったが、前を通り過ぎてしまった。
大変印象的な岩山とフランケンの郷土博物館が設けられている。
写真はFraenkische Schweiz Museum Tuechersfeld俯瞰・・・左から来て右の道の際に車を停めた。博物館は中央の岩山の下 -
<Fraenkische Schweiz Museum Tuechersfeldフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト(Pottensteinポッテンシュタイン)>
14:00~15:30
D-91278 Pottenstein 、Am Museum 5
https://fraenkische-schweiz-museum.de/
開館:火~日(月曜休館)10時~17時、入場料Euro4(家内は母の日で無料)。郷土博物館内は40室以上の様々な展示がある。
最初はガイド付きと思って待っていたが、先に出たガイド一行がなかなか戻らないので止む無く、自由行動にした。
写真はツェシェルフェルト(Pottensteinポッテンシュタイン)の岩山 -
写真はツェシェルフェルト(Pottensteinポッテンシュタイン)の岩山・・・多分名前も付いているのでしょう。
-
まずスタートは
①地上階で、魚の珍しい化石、非常に保存状態の良いワニの化石、アンモナイトなどの海の生き物の展示。
②考古学関係、約 70,000 年前、旧石器時代のネアンデルタール人、ゲルマン人、ローマ人、中世時代などの変遷。
写真は2009年4月、印象的な岩山とフランケンの郷土博物館を見上げて、そのまま通り過ぎた。 -
③農業は何世紀にもわたって、フレンキシェ・シュヴァイツの人々の主な職業だった。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルトの展示:魚の珍しい化石 -
④19 ~20 世紀におけるフレンキシェ ・ シュヴァイツの農民の生活。
⑤民族衣装。
⑥人々の信仰。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルトの展示:魚の珍しい化石 -
⑦シナゴーグではユダヤ教、フレンキシェ・シュヴァイツのユダヤ人、律法、祈りの部屋。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルトの展示:旧石器時代のネアンデルタール人? -
⑧手工芸品、冬の間、特に副業として手作りした。
⑨芸術作品にはグラフィックや 19 世紀の絵画のコレクションが豊富で、ギャラリーに展示された20 世紀の有名な印象派の画家Curt Herrmannクルト・ハーマン、自然派の画家Albert Lammアルバート・ラムは地域で長年にわたり活躍した。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルトの展示:オランダ・フランドルの画家Sebastian Vranckx セバスチャン・ヴランクスの絵「 Pluenderung略奪」Wommelgem (ウォンメルヘムはベルギーのアントウェルペン州)in 1589 (ca. 1615-1620制作)・・・新旧キリスト教徒の闘いはむごい。
この絵のあたりで、先行していたガイド一行に追いついた。30年戦争ということで、説明を丁寧にしていたから、先に進んでいなかったのだろう。 -
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルトの展示:新旧キリスト教徒の闘いを錫の人形で表現した。
-
*30年戦争(1618~48年)とは?
100年前のマルチン・ルターの宗教改革に始まった、新旧キリスト教徒の対立が17世紀に入るとドイツ国内では争いが先鋭化した。
新旧キリスト教徒の宗教戦争は1618年パプスブルグ家がボヘミア(現チェコ)の新教徒を弾圧した事に端を発する。
旧教派のオーストリア/スペイン・パプスブルグ家と新教派のフランス・ブルボン王家が政治的・現実的観点から、ドイツ国内の其々に荷担し、更に新教派に当時最強を誇ったスウェーデン王が介入するなど、国際紛争になった。
この戦争は新教派優勢で終わり、1648年北ドイツのMuensterミュンスター・Osnabrueckオスナーブリュックで66カ国によりヴェストファリア条約が調印された。
この間に全ドイツの人口は3分の2に減少し、国土は荒廃したという。この事でドイツは300もの小国家が分立する。
このためドイツは絶対王政・中央集権のフランスなどに200年の遅れを生じたとされている。
反面では全ドイツの国民文化の均等な広がりを育み、自由・自治の都市を形つくったともいえる。
・・・・
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルトの展示:新旧キリスト教徒の闘いを錫の人形で表現した。 -
⑩特別展は30年戦争についてであった。
詳細な展示は其々、戦争の行程図、戦争の主人公(諸侯・将軍たち)、地域とその担い手、農民の生活、市民の生活、傭兵達、財政の悪化、略奪と苦難、包囲攻撃との戦い、人々の健康と栄養、平和への憧れと和平交渉といったテーマで纏められていた。
ドイツに最も大きな影響を与えた30年戦争(1618~48年)の開戦から400年の年にあたる今年は「Soeldner、Schrecken、 Seuchen。 Franken & Boehmen im Dreissigjaehrigen Krieg傭兵、戦慄、伝染病。30 年戦争におけるフランケン・ボヘミア(現チェコ)」と題した催しを、2018年3月24日から9月23日まで半年間の間、実施されている。
写真はFraenkische Schweiz Museum Tuechersfeldフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:パンフレットの表紙「傭兵、戦慄、伝染病。30 年戦争におけるフランケン・ボヘミア(現チェコ)」 -
<Auf den Spuren der Musketiere銃隊士の足跡>
フランケン・スイスの郷土博物館でたまたま銃隊士の演武デモンストレーションが行われました。
後でパンフレットを見ると、5月13日はその日に当たっていました。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・リーダー格の方に家内は兜をかぶせてもらい、剣をこう持ってと指導される。 -
実はガイドなしで各展示を見て中庭に出て見ると、男女の市民が30年戦争当時の衣装を着け、中には戦闘で怪我をした設定なのでしょうか、顔面を赤い色で血のように化粧して迫力ある格好です。
リーダー格に話かけると、家内に兜をかぶせ、刀を握らせてくれました。それが上の写真です。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・本番前でのんびりムードの村人たち。 -
イチオシ
親切な村人たちにお礼を言って、門から出ると、休憩から戻る屈強の4人に出くわしました。
彼らの写真を撮らせてもらうと、「まだこれから、本格ショーが始まるから見て行きなさい」と見た目の怖さとは違って、フレンドリーに勧めてくれた。
一緒に戻ってリーダー格に笑われたが、実に楽しい、興味深い再入場となった。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・帰ろうとしたら、コワモテの勇士達にまだ本番はこれからと引き留められた。 -
銃士隊はまず小さい砲を引き出し、もちろん空砲だが、大きな音と白煙を上げて撃って見せた。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・銃士隊の火砲が轟音を響かせ、白煙を上げて撃たれた。 -
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・銃士隊の火砲にもう一度と、火薬を充填する。見守る銃士。
-
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・火砲に点火、轟音とともに白煙が上がる。耳が痛い!
-
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・どうよ!火砲の威力はこんな小さなものでもすごいものだぜと・・・自慢げに。
-
周辺で見ていた子供たちに耳をふさげと言っていたが、その音に抱っこされていた赤ちゃんが大声で泣き出した。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・砲火の音に泣き出した赤ちゃん。リーダーが赤ちゃんをあやすが、緊張の顔をしたままの赤ちゃんでした。この後、銃火の音にまた泣き出しました。 -
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・リーダー格のコワモテの小父さんが親切に銃の扱いを説明し、観客に「握って見ますか」と聞く。
-
イチオシ
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・銃士隊のリーダー格二人が催しや銃の扱いを説明。
-
見物客が増えてくると、サービスで何度か小さい砲を撃った。
そのうち銃士隊が1列に並び、鉄砲を斜めに向けて一斉射撃を行った。
これも大きな音で辺りは反射音、白煙に包まれる。見物客から拍手も起こり、銃士隊は皆さん得意げで、気分良さそう。
休憩を取りながら、見物客に銃の仕組みを教えたりしていた。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催しし・・・銃士隊並べ、弾込め、火縄点火用意! -
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催しし・・・銃士隊並べ。
-
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・銃士隊並べ、撃ち方用意、耳をふさぐ観衆。
-
イチオシ
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催し・・・
撃て! -
リーダー格に再びお礼のご挨拶して、本日の宿に向かうことにした。
写真はフランケン・スイス博物館ツェシェルフェルト:30年戦争の催しし・・・
銃士隊二列に並べ、撃ち方用意、撃て! -
銃士隊のショーに満足し、ツェシェルフェルトを15:30出発。
今夜の宿は10km先の人気の古城ホテル Burg Rabensteinラーベン(カラス)シュタイン城である。
写真はTuechersfeld-Felsenツェシェルフェルトの岩壁:Judenhofユダヤ人の屋敷
この旅行記のタグ
関連タグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
-
前の旅行記
2018年ドイツの春:④フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかり...
2018/05/10~
その他の観光地
-
次の旅行記
2018年ドイツの春:⑥フランケン・スイス地方の古城群:人気の古城ホテル ラーベン(カラス)シュタイン城に2...
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:①シュペッサート地方・選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:②ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:③リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:④フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかり...
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑥フランケン・スイス地方の古城群:人気の古城ホテル ラーベン(カラス)シュタイン城に2...
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑦フランケン・スイス地方の古城群:100mの高さの岩壁に立つ古城エグロフシュタイン城の...
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑧懐かしの古城ホテル ヴェルンベルク城とアザム兄弟の作品が見られるミッシェルフェルト修...
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑨この旅一番のグルメレストラン・白樺の館(カワセミ)にて
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑩レーゲンスブルクの名物・焼きソーセージとダンプヌーデルン
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑪ナポレオンが置き忘れた旅行カバンが見られるドナウ観光船に乗る。
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑫ローゼンブルク城の上空を舞う鷹たちの飛翔がすごい
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑬40代の頃、家族で一泊した懐かしの古城ホテル エッガースベルク城
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑭要塞都市ベルヒングと古城ホテル アルンスベルク城
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑮要塞都市バイルングリースの旧市街、整然とした家並み、市城壁、塔を歩いてみるのは楽しい...
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑯宗教都市アイヒシュテットと聖ウィリバルド・聖ウィニバルド・聖ヴァルブルガの3兄妹
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑰英雄の城パッペンハイム城とローマ軍団の宝物が発掘された要塞都市ヴァイセンブルク
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:⑱アンスバッハ辺境伯ゲオルクの建てたラティボー宮殿、ランガウの王冠と称されたアーベンベ...
2018/05/10~
古城街道周辺
-
2018年ドイツの春:⑲リヒテナウ要塞とブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯のレジデンツ
2018/05/10~
古城街道周辺
-
2018年ドイツの春:21初めてローテンブルクの歴史祭り(時代祭り)を見る。
2018/05/10~
古城街道周辺
-
2018年ドイツの春:22ローテンブルクの食事編・夕食は地獄亭で頂く。
2018/05/10~
古城街道周辺
-
2018年ドイツの春:23フランケンワインのボックスボイテル街道を行く。
2018/05/10~
古城街道周辺
-
2018年ドイツの春:24ヴュルツブルクでシュパーゲル料理の食べおさめ
2018/05/10~
ヴュルツブルク
-
2018年ドイツの春:25 フランクフルト近郊、タウヌスの古城めぐり
2018/05/10~
その他の観光地
-
2018年ドイツの春:26 フランクフルト空港からお土産を持って帰国です。
2018/05/10~
フランクフルト
-
2018年ドイツの春:⑳これぞドイツの古城ホテル コルムベルク城
2018/10/10~
古城街道周辺
旅行記グループをもっと見る
その他の観光地(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
0
80