2018/05/10 - 2018/05/24
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≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。
(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)
①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。
⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども
番外編・フランケンの春、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が見られる町や村を巡った。
⑥5月13日フランケン・スイス地方の古城群:人気の古城ホテル ラーベン(カラス)シュタイン城に2泊
⑦5月14日フランケン・スイス地方の古城群:100mの高さの岩壁に立つ古城エグロフシュタイン城の姿は絵画的な美しさである。
⑧5月15日懐かしの古城ホテル ヴェルンベルク城とアザム兄弟の作品が見られるミッシェルフェルト修道院
番外編・伝説:アッシジの聖フランシスコがグッビオの町を狼から救った話
⑨5月15日この旅一番のグルメレストラン・白樺の館(カワセミ)にて
⑩5月16日レーゲンスブルクの名物焼きソーセージとダンプヌーデルン
番外編・三十年戦争の逸話:フォルヒハイムの“Mauerscheisser” (壁のような糞をする奴!)
⑪5月17日:ナポレオンが置き忘れた旅行カバンが見られるドナウ観光船に乗る。
⑫5月17日:ローゼンブルク城の上空を舞う鷹たちの飛翔がすごい
⑬5月17日:40代の頃、家族で一泊した懐かしの古城ホテル エッガースベルク城
⑭5月18日:要塞都市ベルヒングと古城ホテル アルンスベルク城
⑮5月18日:要塞都市バイルングリースの旧市街、整然とした家並み、市城壁、塔を歩いてみるのは楽しい。
⑯5月19日:宗教都市アイヒシュテットと聖ウィリバルド・聖ウィニバルド・聖ヴァルブルガの3兄妹
⑰5月19日:英雄の城パッペンハイム城とローマ軍団の宝物が発掘された要塞都市ヴァイセンブルク
⑱5月20日:アンスバッハ辺境伯ゲオルクの建てたラティボー宮殿、ランガウの王冠と称されたアーベンベルク城
⑲5月20日:リヒテナウ要塞とブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯のレジデンツ
写真はブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯のレジデンツ前で
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月20日(日): 晴後曇り、 22℃、 83km
Abenbergアベンベルグ・Hotel Burg Abenberg 古城ホテルアベンベルグ ->L? 27km Lichtenauリヒテナウ・Festung Lichtenauリヒテナウ要塞 ->L? 9km Ansbachアンスバッハ・Markgraefliche Residenz宮殿 ->B13 ・L? 19km Colmbergコルムベルク・Burg Hotel Colmberg・古城ホテル コルムベルクには16:53到着。
写真はBurgenstrasse古城街道の図 -
*この地も2009年の旅で訪問を見送ったという心残りがあった。
Ansbachアンスバッハの手前にある町Lichtenauリヒテナウの
Festung Lichtenauリヒテナウ要塞がそれである。
Burg Abenberg アベンベルグ城から27km走って、要塞傍の駐車場に
着いたのは13:20でした。
写真はLichtenauリヒテナウの紋章:基部は赤、銀、青の横縞で、その上部は左右に二分割される。向かって左は金地で、中央の分割線で半分に切られた、赤い爪や嘴をもつ黒い鷲。向かって右は赤と銀の斜め帯で5分割。 -
リヒテナウ(1246年に初めて文献に登場する)は、アンスバッハから約10km東、フレンキシェ・レーツァト川沿いに位置する。
五角形の防御壁がリヒテナウ旧市街中心部を取り囲んでいたから、要塞都市でもあったが、リヒテナウはニュルンベルク城の防衛前線基地として築かれたもので、その構造はニュルンベルクと似ている。
リヒテナウは1406年から1806年まで400年間、帝国自由都市ニュルンベルクの領土であった。
写真はFestung Lichtenauリヒテナウ要塞_Merian_1648年の図・・・
これを見ると五角形の防御壁がリヒテナウ旧市街中心部を
取り囲んでいたのが分かる。 -
写真はLichtenau_(MFR)_Merian_リヒテナウ要塞1725年頃の縄張り図
-
<Lichtenauリヒテナウ:Festung Lichtenauリヒテナウ要塞>
D-91586 Lichtenau 、Von-Heydeck-Strasse 3
http://www.markt-lichtenau.de/
13:20~13:55 入場無料。
広い要塞に散歩中の老人夫婦と私共だけが自由見学です。
歴史:
リヒテナウ要塞はニュルンベルク城主がミッテルフランケンのリヒテナウに作った旧軍事施設である。要塞は中世においては堀を巡らした水城でした。
1406年、ニュルンベルクはFriedrich II. von Heideckフリードリヒ2世・ハイデックからリヒテナウの町と城を購入した。
リヒテナウの町と城は帝国自由都市ニュルンベルクの戦術的な前哨基地であり、Markgraf von Brandenburg-Ansbachブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯との武力による勢力争いの渦中で、拡大と破壊を繰り返した。
30年戦争(1630年まで続いた戦いで)中に、旧教派の帝国軍の侵攻を受け、リヒテナウ要塞は大きな被害を受けた。
1688年、最後に大きな被害を受けたのはフランスの太陽王Ludwig XIV.ルイ14世旗下の仏軍の攻撃によるものでした。
1806 年、リヒテナウはニュルンベルクやフランケン地方と同じように、バイエルン王国のものとなり、リヒテナウ要塞はバイエルン王国の刑務所として使用された。
・・・・・
写真はLichtenauリヒテナウ要塞:現在の俯瞰 -
リヒテナウ要塞は中世の水城に由来する。
第二次辺境伯戦争の時代、1553年にこの城は破壊された。ニュルンベルク市はここに全く新しい防衛施設を建設した。この建設は1600年頃にまで及んだ。
リヒテナウ要塞はルネサンス建築の傑作であるが、軍事施設としてはやがて時代遅れなものとなり、攻城砲による攻撃に対抗できるものではなくなっていった。
写真はLichtenauリヒテナウ要塞:周囲を囲む空堀はかつて水堀であった。 -
写真はLichtenauリヒテナウ要塞:要塞の案内板
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写真はLichtenauリヒテナウ要塞:二重の堀の様子が見える。
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写真はLichtenauリヒテナウ要塞:城塞傍の駐車場に車を停めた。
-
リヒテナウ要塞はルネサンス文化が輝いた時代の記念碑的な建造物である。
その要塞の改装も終わり、城内、城壁の外観の見学は可能なので、歩いて回った。
写真はLichtenauリヒテナウ要塞:
高い天守(見張り塔)が二つ建ち、
各稜堡を結びながら、二階の兵舎が備えられていた。
城壁上の回廊は広く、兵隊たちが素早く動ける。
多人数の防衛陣を敷くことができたのだろう。 -
写真はLichtenauリヒテナウ要塞:ドイツの各地に見られる屋根
-
写真はLichtenauリヒテナウ要塞:鹿でしょうか。
-
イチオシ
規模も大きい要塞も、役目をとうの昔に終えた要塞と言う感じで、残念でした。
現在はニュルンベルクの公文書館、地区の展示会として利用されている。
また、毎年7月にはBurgfest城祭りが催されているそうだ。
写真はLichtenauリヒテナウ要塞:地上階、左にニュルンベルクの公文書館がある。 -
写真はLichtenauリヒテナウ要塞:Nordfassade北側のファザード
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写真はLichtenauリヒテナウ要塞:入口の紋章、1406年~1806年の間、帝国自由都市ニュルンベルクの領土だった事を示す。
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写真はLichtenauリヒテナウ要塞:城内
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予定通りの行程が進み、本日最後の見学地はAnsbachアンスバッハのMarkgraefliche Residenzブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯のレジデンツ(宮殿)である。
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス正面マルクグラーフェン城 城・宮殿
-
写真はAnsbach・Wappenアンスバッハの紋章・・・
「緑地の上に銀色の斜め波を描き、 3 匹の青い魚が泳いでいる」
魚が泳ぐのは近くを流れるライン川の支流、11kmの長さのOnolzbachオーノルツバッハ川(後にアンスバッハ川と改名) -
<Ansbachアンスバッハ>
14:10~16:30
http://www3.ansbach.eu/
“バロック都市の宝石”と謳われる町は二度目の訪問である。人口4万人の小都市はバッハ音楽祭りとロココ演劇の町としても、知られている。2018年の「Rokoko Festspieleロココ演劇祭り」は6月29日~7月3日に開かれる。
写真はAnsbachアンスバッハ:Rokoko-Festspieleロココ祝祭演劇の仮装 -
イチオシ
ホーエンツォレルン家の城下町で、かつてのMarkgraefliche Residenzブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯の宮殿がある。
レジデンツ前の通りに駐車場が空いていたので、ありがたいことに無料で駐車できた。
2009年の旧市街観光では、1981年作のKaspar Hauserカスパー・ハウザー像、Herrider Torヘリーデナー塔(Glockenspiel鐘)、Rathaus市庁舎(ルター広場に面した壁には各時代の支配者の紋章がある。Ansbachアンスバッハを中心に、左にWuerzburgヴュルツブルク、Hohenzollernホーエンツォレルン、右にPreussenプロイセン、Bayernバイエルン)、バロック様式のSt.Gumbertus聖グンベルトゥス教会(11世紀、白鳥の騎士礼拝堂、見事なパイプオルガン)、Orangerie im Hofgarten王宮庭園のオランジェリーなどを見た。
今回は前回見学出来なかった辺境伯の宮殿が最初だ。宮殿見学後、少し旧市街を歩いた。前回訪問時よりも、町全体がきれいになった感じがした。
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:鉄(木)馬 -
<Markgraefliche Schloss・Residenz辺境伯の宮殿>
D-91522 Ansbach 、Promenade 27
14:10~16:00
入場券シニアEuro7(938円)+絵葉書5枚Euro3.5(737円)
ガイド付き見学は14時が少し前に出たので、実際のガイドは15時からの1時間になった。
その間、時間つぶしながら、Gotische Halleゴシック・ホールで立派なレジデンツの陶磁器作品を見た。
宮殿内は残念ながら撮影は不可となっていた。また、宮殿の40%を改装中との事であった。それでも見るべきところは多い。
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス前:鉄(木)馬 -
1400年頃、交差ヴォールト構造を持つゴシックホールが造られた。
ゴシックホールにはアンスバッハのかつての工房で製作されたファイアンス焼きやその他の陶磁器の膨大なコレクションが展示されている。
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス05.20.Ansbach_ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯のレジデンツ:Gotische Halleゴシックホール -
<アンスバッハのファイアンス焼き磁器>
1709年に辺境伯ヴィルヘルム・フリードリヒが発した特権により1710年から磁器生産が始まった。
当初は(1725年頃まで)はルーアン焼き風の青と白のデザインであったが、その後緑や黄色が使えるようになり色彩が広がった。J.G.Ch.ポップにより、中国磁器の青磁のコピーが作られ、アンスバッハを有名にした。
こうした青磁や、レリーフを施しサクラの花や鳥を細密に描いた作品群は特に高価な者として珍重された。
この磁器生産は、1806/07年から1839年の間、中断していたが再開された。
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Gotische Halleゴシックホール・Ansbacher Fayencen und Porzellaneアンスバッハのファイアンス焼き磁器 -
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Gotische Halleゴシックホール・ファイアンス焼きの磁器
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Gotische Halleゴシックホール・ファイアンス焼きの磁器
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Gotische Halleゴシックホール・ファイアンス焼きの磁器
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Gotische Halleゴシックホール・ファイアンス焼きの磁器
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イチオシ
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Gotische Halleゴシックホール・ファイアンス焼きの磁器
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Gotische Halleゴシックホール・ファイアンス焼きの磁器
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ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯のレジデンツ(宮殿)は中世の館を拡張したものである。
1400年頃、交差ヴォールト構造を持つゴシック・ホールが造られた。
1705年から1730年の増改築により、現在の状態となった。内装は、1734年から1745年に、建築家レオポルド・レッティによって整えられた。
保存状態は、最後のブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯の辞任により、プロイセンに明け渡された時のままである。
この城館には、それ以後領主が住むことはなく、居住者による近代化の要請に応えることがなかったためである。
写真は18世紀のAnsbachアンスバッハのレジデンス図 -
現在、ここにはSpiegelkabinett鏡の間、そしてFliesensaalタイルの間、Audienzzimmer謁見の間、Festsaal祝典の間、その他に二十を超す豪華なロココ様式の部屋、陶磁器博物館がある。
中でも一見の価値があるものは「Festsaal祝典の間」のカルロ・カルローネによる天井のフレスコ画、ロココの絵画Galerieギャラリー、旧辺境伯ギャラリーの絵画、鏡の間のマイセン磁器コレクションであり、アンスバッハのかつての工房で製作されたFayencen und Porzellaneファイアンス焼きやその他の陶磁器の膨大なコレクションなどだろう。
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Fliesensaalタイルの広間 -
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Fliesensaalタイルの広間
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アンスバッハの歴史:
アンスバッハは1221年に初めて文献で言及されるが、それ以前の748年に、ベネディクト会の修道院が創設されて、次第に町を形作った。
780年から数百年間はヴュルツブルクの領主司教に支配され、1331年にホーエンツォレルン家の統治下に入り、1791年、最後のブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯が統治権をプロイセンに譲渡するまで、その支配が続いた。
その後、1806年バイエルン王国領となる。
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Galerie旧辺境伯の絵画ギャラリー -
写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Galerie旧辺境伯の絵画ギャラリー
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Galerie旧辺境伯の絵画ギャラリー
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Spiegelkabinett鏡の間にマイセン磁器コレクションなどがある。
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Audienzzimmer謁見の間
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Audienzzimmer謁見の間
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Festsaal祝典の間
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Festsaal祝典の間
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Festsaal祝典の間
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写真はAnsbachアンスバッハのレジデンス:Festsaal祝典の間の天井フレスコ画
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イチオシ
宮殿見学後、少し旧市街を歩いた。前回訪問時よりも、町全体がきれいになった感じがした。
アンスバッハのRathaus市庁舎で5つの紋章を見る。
ルター広場に面した壁には各時代の支配者の紋章があり、Ansbachアンスバッハを中心に、左にWuerzburgヴュルツブルク、Hohenzollernホーエンツォレルン、右にPreussenプロイセン、Bayernバイエルンの名だたる支配者の紋章がある。
写真はAnsbachアンスバッハ:Rathaus市庁舎に見られる支配者の紋章観光案内所(アンスバッハ) 散歩・街歩き
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バッハ広場にはお役所の建物に、金色に輝くゲオルグ伯の泉がある。
写真はAnsbachアンスバッハ:2009年Stadthaus役所、金色に輝くゲオルグ伯の泉 -
写真はAnsbachアンスバッハ:Stadthaus役所、金色に輝くゲオルグ伯の泉
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写真はAnsbachアンスバッハ:?Markgraf-Friedrich-Wilhelm-Brunnen (Ansbach)“金色に輝くフリードリヒ・ヴィルヘルム辺境伯の泉
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写真はAnsbachアンスバッハ:Herrider Torヘリーデナー門塔(Glockenspiel鐘が鳴る)
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Orangerie im Hofgarten王宮庭園のオランジェリー:
16世紀初めのレオンハルト・フックスの本草誌に初めてその記述が見える。
1723年から1730年にバロック庭園として拡張が成された。
第二次世界大戦により手ひどく破壊されたが、17世紀から18世紀頃の様式により再生された。
薬用植物の植わった薬草園や、鉢植えの植物を越年させるための温室がある。
写真はAnsbachアンスバッハ:Orangerie im Hofgarten王宮庭園のオランジェリー -
参考:
Kaspar Hauser Museumカスパー・ハウザー&辺境伯博物館
D-91522 Ansbach 、Kaspar Hauser Platz1
開館期間:5月~9月、月~日の10:00~17:00
謎の人物カスパー・ハウザーとブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯との2部門の博物館が2000年より開館された。
カスパー・ハウザー(1812年4月30日~1833年12月17日)が1831年~33年の2年間、アンスバッハに滞在し、宮廷庭園で、謎の人物のまま、殺害されている。
写真はAnsbachアンスバッハ:2009年Orangerie im Hofgarten王宮庭園のオランジェリー -
イチオシ
今もって素性の不明な野生児は1828年3月26日、ニュルンベルクの町で保護されるまで、長期に渡り牢獄に閉じ込められていたと推測されている。
バイエルン国王が賞金を付けて、その素性を探させたが、分からなかった。保護後にアンスバッハの法律学者フォイエルバッハが引き取って、教育を施したので、言葉を話せるようになり、その生い立ちを語り出すようになったが、その全てが明らかになる前に暗殺されてしまった。
(殆ど口を利くこともできなかった、16歳くらいの少年がある日、ニュルンベルクの町で発見される。気付いた人が彼に訊ねたが言葉が話せず、しかたなく、その人は彼を警察に連れて行った。そこで紙と鉛筆を渡された彼は「Kaspar Hauserカスパー・ハウザー」 という名前を書いて見せたと云う)
カスパーの存命中から、彼の出自について、様々な風評があった。
彼はバーデン大公家の世継であり、世継問題の事情により、その誕生以来、死産の子どもと取替え、隠匿されていたものと云った風評である。
当時の国王が賞金を懸け、1981年に銅像まで建ててしまったくらい、当時はセンセーショナルな出来事であったのでしょう。
・・・・・
写真はAnsbachアンスバッハ:2009年、1981年作のKaspar Hauserカスパー・ハウザー像(長じてからの像と野生児時代の像)も見た。
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この旅行記へのコメント (2)
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- rinnmamaさん 2018/10/28 16:30:33
- レジデンス・・見ごたえありますね。
- jijidarumaさん、こんにちは
ドイツドライブ旅、楽しませて頂いております。
毎日の運転のお疲れは出ないのでしょうか?
相当の距離の運転移動・観光と精力的で驚きます(ドイツに慣れていらっしゃるとは言え)
今回は私が立ち寄ったヴュルツブルクの統治下にも置かれた場所なのですね!
各地に要塞・レジデンツが残っているのに、ドイツ通のjijidarumaさんは各地の建物に精通為さっていらっしゃって、素晴らしいですね。
私のように見てきただけでは無くて、知識に基づく訪問は楽しいでしょうね~
アンスバッハ辺境伯のレジデンツは撮影可能なのですね。
最近はレジデンツは撮影不可が多いのですが・・・
タイルの部屋を見てみたいです^^
それと、ファイアンス焼き。初めて知りましたが素朴な雰囲気で素敵ですね。
日暮れも早まり夕刻の散歩は肌寒くなってまいりました。
ご自愛くださいませ。
rinnmama
- jijidarumaさん からの返信 2018/10/28 22:43:30
- Re: レジデンス・・見ごたえありますね。
- rinnmamaさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
今年のドイツの旅は行程を凡そ1,200km と試算していましたが、結果は工事による迂回路の多い道を走ったこと、現地で行き先変更をした事などで、総走行距離1,527km と327kmも多く走っています。一日平均117km走った事になります。確かに走り、観光するわけで、70代半ばの私も疲れますから、夕食にお酒を飲むと、すぐ寝てしまいます。若い頃はこんな事が無かったのですけど。
10月に国内の旅で山形を往復しましたが、5日間で987kmを走りました。
それに比べると一日平均走行距離はドイツは半分です。
距離はともかく、レンタカーで狭い田舎を巡るドイツの旅は慣れている所為か、私にはあまりストレスもなく、良いものですよ。
今年は何やら、再訪やら、訪問を見送った場所を思い出しては巡っているような旅ですね。かつて調べたものは旅行記に残しているので、同じような地域を巡るときはまずそこから見て行きます。
アンスバッハ辺境伯のレジデンツは撮影不可でしたよ。
最近は必要性も無さそうなのに撮影不可が多いので残念です。昔はノイシュヴァンシュタイン城でも撮影OKで、何処も同じようなものでした。
アンスバッハ辺境伯のレジデンツもファイアンス焼きのあったGotische Halleゴシック・ホールは撮影OKでした。掲載したSpiegelkabinett鏡の間、Fliesensaalタイルの間、Audienzzimmer謁見の間、Festsaal祝典の間などの写真はかつて自由であった写真が探せばいくらでもありますので、そこから借用したものです。それが無いと旅行記も画竜点睛を欠くことになりますので、出来るだけ旅に出る前に写真集も作ってしまいます。
古城や要塞のスタイルは似た建物も多く、何度も訪ねるうちに、そこにあるべき部屋も予想しやすくなりますね。
来週は寒くなりそうです。山形に行く前に例年に比べて早めに庭木の剪定を全て済ませたたら、気候の動きに感じたのか、サルスベリがまた新芽を出しました。驚きましたが、来年の花が心配になりました。
頑張りすぎて、腰痛の原因になったようです。年を考えぬと(笑)。
jijidaruma
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旅行記グループ 2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
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