2018/05/10 - 2018/05/24
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jijidarumaさん
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≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。
(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)
①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。
⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども
番外編・フランケンの春、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が見られる町や村を巡った。
⑥5月13日フランケン・スイス地方の古城群:人気の古城ホテル ラーベン(カラス)シュタイン城に2泊
⑦5月14日フランケン・スイス地方の古城群:100mの高さの岩壁に立つ古城エグロフシュタイン城の姿は絵画的な美しさである。
⑧5月15日懐かしの古城ホテル ヴェルンベルク城とアザム兄弟の作品が見られるミッシェルフェルト修道院
番外編・伝説:アッシジの聖フランシスコがグッビオの町を狼から救った話
⑨5月15日この旅一番のグルメレストラン・白樺の館(カワセミ)にて
⑩5月16日レーゲンスブルクの名物焼きソーセージとダンプヌーデルン
番外編・三十年戦争の逸話:フォルヒハイムの“Mauerscheisser” (壁のような糞をする奴!)
⑪5月17日:ナポレオンが置き忘れた旅行カバンが見られるドナウ観光船に乗る。
⑫5月17日:ローゼンブルク城の上空を舞う鷹たちの飛翔がすごい
⑬5月17日:40代の頃、家族で一泊した懐かしの古城ホテル エッガースベルク城
⑭5月18日:要塞都市ベルヒングと古城ホテル アルンスベルク城
⑮5月18日:要塞都市バイルングリースの旧市街、整然とした家並み、市城壁、塔を歩いてみるのは楽しい。
⑯5月19日:宗教都市アイヒシュテットと聖ウィリバルド・聖ウィニバルド・聖ヴァルブルガの3兄妹
⑰5月19日:英雄の城パッペンハイム城とローマ軍団の宝物が発掘された要塞都市ヴァイセンブルク
⑱5月20日:アンスバッハ辺境伯ゲオルクの建てたラティボー宮殿、ランガウの王冠と称されたアーベンベルク城
⑲5月20日:リヒテナウ要塞とブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯のレジデンツ
⑳5月20日:これぞドイツの古城ホテル コルムベルク城
21・5月21日:初めてローテンブルクの歴史祭り(時代祭り)を見る。
写真はローテンブルクの歴史祭り(時代祭り)のフィナーレ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5月21日(月): 晴れ、 24℃、 67km
古城ホテル コルムベルク出発9:50 ->L? 28km Schloss Schllingsfuerstシリングスフュルスト宮殿 ->L? 16km Rothenburgローテンブルク ->L? 23km コルムベルク・Burg Hotel Colmberg・古城ホテル コルムベルクには19:55到着。
写真はNatuarpark Frankenhoeheフランケン高地自然公園・Map -
*ドイツの起床は日本と違っていつも早い。起床6時半、朝食8:15~9:00。
朝食のレストランは前と異なり、ロビー・レセプションの隣の部屋を改装して朝食の間を作ったらしい。予想以上に宿泊客も多く、けっこうなことである。
写真は古城ホテル コルムベルクの朝食ブルク ホテル コルンベルク ホテル
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こちらは昨夜写真に撮ったロビーの暖炉のある所ですが、こんな風に用意もある。
写真は古城ホテル コルムベルクの朝食 -
写真は古城ホテル コルムベルク:昨夜のレストラン“Zur Remise”ツール・レミーゼ
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写真は古城ホテル コルムベルク:エレベーターを利用したので少し遠回りになり、暗い廊下も通ります。
-
イチオシ
起床は早かったが、結局、古城ホテル コルムベルク出発は9:50と遅くなった。
コルムベルク城の遠景を道路際から撮って、古城に相応しい眺めに満足した。
このまま予定のRothenburgローテンブルクに向かえば良かったが、偶々目にした道路端の看板にSchloss Schllingsfuerstシリングスフュルスト宮殿と出ていて、急に左折しそこに向かう。
写真は古城ホテル コルムベルクの遠望・・・好ましい景観だ。 -
写真はWappen_von_Schllingsfuerstシリングスフュルストの紋章・・・フランケンの紋章の地に上(銀色)下(黒色)二頭のライオンをあしらっている。
-
従ってここは事前調査無しというわけだ。
コルムベルクから寄り道しながらの距離は28kmで、Schloss Schllingsfuerstシリングスフュルスト宮殿らしき広場に出た。
しかし、日本に帰ってみた見た村のHPでは水堀のある立派な佇まいの城だったから、広場からもっと奥に行くべきだったようだ。
ともあれ、かつての*Jaegerイェーガー(猟兵)部隊兵舎がレストランになっていた高台から、ホーエンローエに属する美しいシリングスフュルストの村を望んだ。
写真はSchllingsfuerstシリングスフュルストの村 -
*Feldjaegerフェルトイェーガー(野戦猟兵)はドイツ軍が歴史的に使用してきた兵科の名称である。
1631年、ヘッセン=カッセルで編成された猟兵部隊の名称として初めて使用され、以後プロイセン王国やハノーファー選帝侯国でもこの名称を用いた部隊が結成された。
こうした猟兵部隊はいわゆる軽歩兵として活動し、主力たる戦列歩兵の側面援護の他に偵察兵、散兵、狙撃兵などの役割を果たした。これに所属する猟兵は猟師や木こりなどからの志願者で、銃器は各々で優れたものを調達していた。(Wiki参照)
写真はSchllingsfuerstシリングスフュルスト:高台にあるレストラン -
写真はSchllingsfuerstシリングスフュルスト:かつてのイェーガー部隊の事だろう。
1792年には、後のフランス部隊(1831年)の母体となったイェーガー(猟兵)部隊が創設された。 -
<Schloss Schllingsfuerstシリングスフュルスト宮殿>
D-91583 Schllingsfuerst 、Am Wall 14
http://www.schillingsfuerst.de/
10:17~10:40
アンスバッハ郡に属する村は人口2,800人、フランケンヘーエ自然公園内に位置する。
1000年に、シリングスフュルストの名前は初めて文献に記されている。Burgbernheimer Wildbannurkundeブルクベルンハイムの御猟場記録に "Xillingesfirst"の名が記されている。
1300年からシリングスフュルスト城は*Haus Hohenloheホーエンローエ家の所領となった。
*Hohenloheホーエンローエ家 はかつてドイツのバイエルン州の北・フランケン一帯を治めた領主一門である。その一族の支配地域はコッヒャー川、タウバー川、ヤークスト川沿いの地域に広がっている。ホーエンローエ(ヴァイカースハイム)家は12世紀から18世紀に至るまで、本拠にしていたのはSchloss Weikersheimヴァイカースハイム城である。
ロマンチック街道上で知られるヴァイカースハイムの町には、今も小規模ながら、美しい城と庭園の姿を残している。1234年にLangenburgランゲンブルク、1250年にOehringenエーリンゲンを獲得、更に後(1300年以降)にはWaldenburgヴァルデンブルクやNeuensteinノイエンシュタインと領土を広げている。ホーエンローエ家の最大の宮殿と称される、Schloss Kirchbergキルヒベルク城がある。
一族からはドイツ騎士団長やプロイセンの軍人・政治家などを輩出している。
だが、この城は1316年にバイエルン公ルートヴィヒによって破壊された。再建された城も1525年のドイツ農民戦争で焼け落ちた。
よくよくツイていない城なのか、さらに3度目に築かれた城も、三十年戦争により1632年に破壊された。
写真はSchloss Schllingsfuerstシリングスフュルスト城(再建後の1656年) -
シリングスフュルスト宮殿はFuerst Karl Albrechtカール・アルブレヒト侯爵統治下の1753年から1793年に、計画的な入植政策により初めての大きな発展を見た。
1792年には、後のフランス部隊(1831年)の母体となったイェーガー(猟兵)部隊が創設された。
バイエルン王国およびヴュルテンベルク王国の創設により、ホーエンローエ・ヴァルデンブルク・シリングスフュルスト侯爵領は廃止され、シリングスフュルストはバイエルン王国に帰属した。
ホーエンローエ・シリングスフュルスト侯爵のバロックの宮殿はシリングスフュルストの村の目印である。
フランケンヘーエの山上に登れば、広く一帯を見渡せる。
写真はSchloss Schllingsfuerstシリングスフュルスト城:ドイツ人画家Friedrich_Trostフリードリヒ・ツロスト(1844~1922)、1922 年以前の作品 -
現在、宮殿博物館や庭園を有し、それらは小さなシリングスフュルスト侯爵家の王宮の全盛期を示している。
宮殿博物館では毎日、ガイド付きツアーがあるが、今日月曜は閉館日なので、いずれにせよ、宮殿内の見学は無理だったが。
・・・・・
写真はSchloss Schllingsfuerstシリングスフュルスト宮殿はこんな感じらしい。 -
シリングスフュルストからも北東に向かって、距離16kmを走る。
2012年以来、6年ぶりにまたRothenburgローテンブルクを訪問する。
<ローテンブルク市内観光と“歴史祭り”の最終日>
(11:00~19:30)
このフランケン地方に残る“中世の宝石”と称されるローテンブルグは人口12千人と小さな町である。
旧市街の周辺をぐるりと高い城壁が囲み、3つの門、北と南に2つの稜堡を持った町の姿は西の谷となるタウバー川から80m上の町を見上げると、それは見事な城塞都市である。この景観をドイツ人は“縁なし帽子のとんがり“と呼ぶと云うが、なんとなくわかる気がする。
ローテンブルグには二つの中心がある。一つはマルクト広場を中心とする市庁舎、有名な“見事な一気飲み”が行われる市参事会館などである。
もう一つは美しい庭園・教会がある場所、Burggarten城塞公園である。この町の基礎となったホーエンシュタウフェン王家の帝国城塞があった所だ。ここからの景観は素晴らしいのだ。
写真はWappen_von_Rothenburg_ob_der_Tauberローテンブルク・オプ・デア・タウバーの紋章 -
<Rothenburg ob der Tauberローテンブルク・オプ・デア・タウバー>
http://www.rothenburg.de/
元々、コルムベルクから西に一直線、21kmの近距離にあるローテンブルグに寄る予定にしていた。
来てみると、相変わらず観光客も多く、さらに車も多かった。ローテンブルクを訪問する際はいつもねらい目の北のクリンゲン門の駐車場P5に行ってみても、ここですらスペースが無く何度か駐車場内をウロウロせざるを得なかった。
幸い徐行している時に丁度出る車が有って、漸く駐車(駐車時間の目安が計算できないので、駐車の自動券売機で一日分を選択し、Euro5.5を払った)ができた。
写真はRothenburgローテンブルク:クリンゲン門の駐車場P5 -
こうした混雑時はとかく車の接触事故が起きるもので、家族連れの一台がカップルの車に一寸追突してしまい、後部に傷を作っていた。
この日は後で知ったのだが、“ローテンブルグの歴史祭り=時代祭り”の最終日で、いつも以上の人出があったようだ。
写真はRothenburgローテンブルク:接触事故の駐車場 -
古城街道は、この“活きている中世都市””ロマンチック街道の宝石箱“ローテンブルクでロマンチック街道と交差するが、私にとって最もドイツ的魅力を感じさせる二つの街道の接点がローテンブルグなのです。
このローテンブルグはロマンチック街道にある城塞都市の一つだけに、駐在中(30歳及び40歳代)の休暇の行き帰りにライン川巡りと同じように度々訪れた。
ただ、泊まったことはなかった。その後、長い年月が経って、定年後のドイツ感傷旅行に行くようになると、2008年にはクリスマス市を楽しむ為に旧市街内のホテルに宿泊もした。
翌2009年4月には今回と同じ素晴らしい古城ホテル コルムベルク城に宿泊して、ローテンブルクを訪ねることもあった。
最後に来たのは2012年5月だからもう6年前だ。
それでも今日の様な“ローテンブルグの歴史祭り”といった催しに出会う事は初めてである。
写真はRothenburgローテンブルク:クリンゲン門と右に聖ヴォルフガンク教会
Klingenbasteiクリンゲン稜堡;
1400年頃のKlingentorクリンゲン門とSt.Wolfgangskirche聖ヴォルフガング教会(羊飼い信仰会が1493年建立したので、羊飼い教会の名で呼ばれる。後期ゴシック様式)があり、教会は防御用の回廊を持つ要塞兼教会になっている。
全体が北を守る稜堡として、南口のシュピタール稜堡と同じ役目をしている。 -
クリンゲン門の駐車場P5から聖ヴォルフガンク教会経由で、旧市街に入ると、何やら騒がしい、中世の兵士の格好をした集団がガストホフの前で歌を歌っている。
おやおや、これはツイていた。ローテンブルクはお祭りのようだ。
その季節、季節にある催しはやはり良いものです。
今年は新旧キリスト教徒の争い・30年戦争の催しを2つの町で2度見る機会になりました。ローテンブルクは事前の調べから漏れていました。
だからツイていたと思ったものです。
写真はRothenburgローテンブルク:歴史祭りの兵士たち・・・ガストホフどに挨拶に回っている様子だが・・・歌を歌うのも寄進集めの御礼か。 -
ローテンブルクの町の歴史:
960年、タウバー渓谷地区に最初の集落の出現。
1142年、ホーエンシュタウフェン家の国王コンラート三世によって、帝国城塞が築城。
1274年、国王ルドルフ・フォン・パプスブルグによる、帝国自由都市の承認。
1525年、農民戦争では反乱軍と同盟。町の衰退が始まる。
1544年、宗教改革の影響。
1618~48年、三十年戦争では、≪新教派のこの町≫は何度も旧教派によって占領される。
1631年、有名な“見事な一気飲み・マイスタートルンク”が行われ、町が救われる。
1802年、バイエルン王国の治世下に入る。
この町は第二次大戦の被災で旧市街の40%を失ったが、昔のままに再建されている。
写真はRothenburgローテンブルク:双頭の鷲(Doppeladlerドッペル・アドラー ) の看板 -
この町一番のHotel Eisenhut古城ホテル アイゼンフットまで行き、戻って市参事会館(仕掛け時計1910年)に向かった。
写真はRothenburgローテンブルク:Hotel Eisenhut古城ホテル アイゼンフット
≪Hotel Eisenhut古城ホテル アイゼンフート≫
D-91541 Rothenburg o.d.Tauber 、Herrengasse3‐5/7
Tel:+49 (0)9861-7050 、Fax:-70545
http://www.eisenhut.com
この町一番の歴史ある古城ホテル アイゼンフート(鉄兜)は鉄兜がホテルの入口にぶら下がっている。マルクト広場傍にあり、目印ともなる鉄兜はかつて、この地で1876年、ワイン酒場を開いていたゲオルク・アイゼンフートの名に因んだものだ。全78室。
15~6世紀の貴族の館を改造したホテル内は中々重厚な佇まいで、趣のあるものだった。
レセプションからして、重々しい色合いで、立派な天井が目に入る。奥に入ると、サロンがあり、メインレストランがあり、ローテンブルクの逸話マイスタートルンクの場面の絵が掲げられていた。 -
市参事会館の仕掛け時計が正午に始まるからだ。
仕掛け時計の“Meistertrunkマイスタートゥルンク(見事な一気飲み)”を見るためである。旧教派のティリー将軍に町(新教派)が占領された時に、『3.25Lのワイン(何故3.25Lなのかは?だ)が注がれた大杯を飲み干したら、町を赦免する』と将軍が約束したそうで、新教派の旧市長ヌッシュが、見事に飲みほして、ローテンブルグを救ったと云う故事にまつわるものだ。(*後述)
尚、毎日、仕掛け時計(1910年製)がマイスタートルンク“見事な一気飲み”をスタートさせる。その時間は11時・12時・13時・14時・15時である。
写真はローテンブルク:歴史祭り・市参事会館の窓が開き、仕掛け時計が開始だ。 -
パンフレットを合成したものだが、上の左はフィナーレ時に行進、右は市役所内での演劇の場面。
(上部左の場面は5月18日攻囲されたローテンブルク、右に5月19日占領されたローテンブルクと書かれている。つまり祭りの予定案内)
下はホテル アイゼンフットのレストランにかかがられたマイスタートルンク “見事な一気飲み”の名場面。
写真はローテンブルク:歴史祭り・マイスタートルンク “見事な一気飲み” -
イチオシ
さて、市参事会館の左右の窓が開き、左のティリー将軍、右は旧市長ヌッシュの人形が出てきて、大杯を飲み干す場面を演じる。
ほんの5分ぐらいの時間だが何度見ても楽しい。
この時間になるといつの間にか、マルクト広場は人でいっぱいになる。
写真はローテンブルク:歴史祭り・市参事会館(仕掛け時計1910年) -
イチオシ
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレの写真だが、本日の主役たちは右の人物がティリー将軍、左は旧市長ヌッシュだろう。いずれも貫禄のある方々である。
ローテンブルグ:市庁舎は町の中心、何処に行くにもここを起点して、行動するのがベストだ。 by jijidarumaさんローテンブルク市庁舎 建造物
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ざっとローテンブルグの観光案内をすると、駐車場から城壁をくぐって町中に入ると、Schrannenplatzシュランネン広場(市場)に出る。まっすぐ行けば、マルクト広場だ。“Meistertrunk見事な一気飲み”目当てに日本人ツアー客や様々な国の観光客が多い。
東の市門のGalgentorガルゲン塔、Rathaus市庁舎(13世紀)、Ratstrinkstube市参事会館(仕掛け時計1910年・Meistertrunk見事な一気飲み)、高い鐘塔、Georgsbrunen聖ゲオルゲの泉などはマルクト広場周辺にある。
Schmiedgasse鍛冶屋通りを南にそのまま行くと、この町で最も絵になる、有名な場所に至る。Ploenleinプレーンライン(意味はラテン語で小さな場所)だ。
写真はローテンブルク:歴史祭り・市庁舎前 -
最も防御に力を入れた南口にはSpitalbasteiシュピタール稜堡(17世紀、2つのZwinger城塔、7つの門)がある。ここから左手に城壁に沿った、坂道を下って行くと、視界が開けてくる。遠く、帝国城塞(今はBurggarten城塞公園)があった所が見える。葡萄畑がタウバー川に面した斜面に出来ていた。
タウバー川の清流にかかるDoppelbruecke二重橋(14世紀)や教会、村落がたいへん絵になる形で見ることができる。城塞公園からは、城塞都市の違った風景も見え、Topplerschlosschenトップラー別荘(1388年実力者トップラー市長の別邸)と称される奇妙な建物も、城塞公園のテラスから見下ろせた。
写真はローテンブルク:歴史祭り・さっきの兵士たちがこちらにも -
町の東になるHandwerkerhaus職人の家(1270年、11の部屋で展示)、Roederbogenアーチ形の門・Markusturmマルクス塔(1200年ごろ)、Gerlachschmiedeゲルラッハ鍛冶屋(この木組建築の美しい切妻の家は、今ではレストラン!昔と様変わりの綺麗な小屋になった)、Roedertorレーダー門(14世紀の税関と門番小屋)、そして東の市門のGalgentorガルゲン塔に戻って来た。
・・・・・
写真はローテンブルクの木組みのホテル -
ここに来ると中華が食べたくなって、いつものレストランLotus(蓮花楼)で昼食にした。
食事が終わり、レストランを出てWeisserTurm白の塔に向かう道を木組みの家並みを見ながら歩いていると、この美しい家を写真に撮っていた背の高い外人が日本語で「美しい木組みの家ですね!」と言われたので、びっくりして振り返ってしまった。
写真はローテンブルク:歴史祭り・ローテンブルクの木組みの家とWeisserTurm白の塔に向かう道 -
ちょっと日本語で会話していると、彼の奥様らしい方が来られて、お互いが紹介しあったのです。帰国後、Fさんあてのメールで以下のような事を書いて送った。
「私たちがローテンブルクの街角であなた方に偶然お会いしたのは、驚きでした。
この出会いはとても驚きで、ドイツ語で言うとUeberraschungイーバーラシュング(驚き、ビックリ)、あるいはWunderブンダー(不思議、奇跡)でしたね。
英語では surpriseサプライズやmiracleミラクルでしょうか。
日本に帰って、こんな事があるのだと、二人で話した所です」と。
写真はローテンブルク:歴史祭り・「美しい木組みの家」 -
XXX
彼らはアメリカ、カルフォルニアに住むFさんご夫妻(奥様は70歳、福岡出身のKさん、ご主人は73歳のGさんで英国系と思われる。お二人はKさんが23歳の時に結婚し、かつて軍属としてKaiserslauternカイザースラウテルンの米軍基地に2年ほど居たことがあると言う。日本の上智大で英語を教えたこともある由で、娘さん二人は47歳と45歳で我が家の娘たちの1歳下である。
お孫さんは女ばかり3人だとか。
毎年ヨーロッパを旅行し、ドイツは4年ぶりだと言う。ミュンヘンからレーゲンスブルク、ヴュルツブルクなどに泊まり、今日はHarburgハールブルクの古城ホテルに予約を入れてあると聞き、以前に私共も2泊した古城ホテルだと申上げ、話も盛り上がった。
写真はローテンブルク:歴史祭り・通りがかりの本日の出演者たちにお願いして、写真を撮ってもらった。皆さん、とても心優しい。 -
イチオシ
Kさんのお父上は厳しい方で、彼女はそれに反発し、埼玉の短大に進学した。アメリカに行きたい気持ちがあった所為か、どういう経緯で結婚されたか迄は聞いていないが、ともかくも米国人と結婚し、米国に住むことになったのだ。
子共時代、内気だったKさんは、今はアメリカ人的な明るい、開放的な性格になって良くしゃべると言われていた。
「もし貴方方がお邪魔でなければ、お嫌でなければ御一緒させて頂けませんか?」とKさんは気をつかって、おっしゃった。私共もオープンに、日本語、英語、そしてドイツ語混じりながら、年来の知己のようにおしゃべりしながらローテンブルクの町を観光し、ホテル アイゼンフットでお茶、そして地獄亭の夕食までも御一緒する事になった。
御別れの際にはお互いに、またドイツの町でお会い出来れば嬉しいと、当然のように、住所やメールアドレスを交換した。
帰国後、Fさんご夫妻から写真の送付があり、こちらからも当日の写真はもちろん、一緒に見たローテンブルクの歴史祭りや、マイスタートルンク “見事な一気飲み”、聖ヤコブ教会のリーメンシュナイダー作品“聖血の祭壇”についての私の小文も送った。
旅の面白い所だ。
XXX
写真はローテンブルク:歴史祭り・鷹匠と鷹 -
写真はローテンブルク:歴史祭り・愉快な鷹匠と
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写真はローテンブルク:歴史祭り・ご機嫌な鷹匠と鷹、もう一枚
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参考:≪30年戦争(1618~48年)とは?≫
100年前のルターの宗教改革に始まった、新旧キリスト教徒の対立が17世紀に入るとドイツ国内では争いが先鋭化した。
新旧キリスト教徒の宗教戦争は1618年パプスブルグ家がボヘミア(現チェコ)の新教徒を弾圧した事に端を発する。
旧教派のオーストリア/スペイン・パプスブルグ家と新教派のフランス・ブルボン王家が政治的・現実的観点から、ドイツ国内の其々に荷担し、更に新教派に当時の最盛を誇ったスウェーデン王が介入するなど、国際紛争になった。
この戦争は新教派優勢で終わり、1648年北ドイツのMuensterミュンスター・Osnabrueckオスナーブリュックで66カ国によりヴェストファーレン条約が調印された。
この間に全ドイツの人口は3分の2に減少し、ドイツの国土は荒廃したという。
この事でドイツは300もの小国家が分立する。このためドイツは絶対王政・中央集権のフランスなどに200年の遅れを生じたとされている。
写真はローテンブルク:歴史祭り・Fさんご夫妻とマルクト広場で -
写真はローテンブルク:歴史祭り・中世のマーケット(職人市、有料)、閑散としていたが。
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写真はローテンブルク:歴史祭り・市庁舎前でFさんと・・・ちょうど内部で祭りの劇が催されているようで、「*チケットがあるか」とこの門番に聞かれた。
*市民歴史劇マイスタートゥルンクは市庁舎内の皇帝広間にて(有料) -
写真はローテンブルク:歴史祭り・市庁舎前でKさんと
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中世の市をちょっぴり覗いて、ローテンブルクではここを見ないと言って、聖ヤコブ教会のリーメンシュナイダー作品“Heilige Blut Altar聖血の祭壇”(1500年頃)を案内した。
米国人にその凄さを感じてもらえたか?心もとないが。
写真はローテンブルク:聖ヤコブ教会のリーメンシュナイダー作品“Heilige Blut Altar聖血の祭壇”聖ヤコブ教会 寺院・教会
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St.Jakobs-Kirche聖ヤコブ教会(1311~1485年);
Klingengasseクリンゲン横町を真直ぐ行くと、リーメンシュナイダー作品がある聖ヤコブ教会である。2009年、2012年に訪れたが、又見る事にした。
イエスの血=聖遺物が十字軍によりローテンブルクにもたらされて、この聖遺物を飾る祭壇をリーメンシュナイダーが依頼された。教会の2階に“Heilige Blut Altar聖血の祭壇”(1500年頃)がある。
祭壇中央に“最後の晩餐”の図、左に“イエスのエルサレム入城”、右に“オリーブ山の場面”が彫られている。
テーマがテーマだけに、ヘルゴット教会の作品とは違い、華麗さはない。
写真はローテンブルク:聖ヤコブ教会のリーメンシュナイダー作品“聖血の祭壇” -
写真はローテンブルク:聖ヤコブ教会
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写真はローテンブルク:聖ヤコブ教会
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お茶の後はお二人をBurgtorブルク門を通り、帝国城塞(今はBurggarten城塞公園)に案内した。
この公園内も大勢の観光客が回遊していたが、タウバー川の清流にかかるDoppelbruecke二重橋(14世紀)や教会、村落の景観は気に入ってもらえたようだ。
写真はローテンブルク:帝国城塞(今はBurggarten城塞公園)のBurgtorブルク門(城塞門)ローテンブルク:城塞公園からの眺望は左右に広がる城塞都市の違った風景、眼下に美しい景観がある。 by jijidarumaさんブルク公園 広場・公園
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写真はローテンブルク:城塞公園からは、城塞都市の左側の風景も見える。
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イチオシ
写真はローテンブルク:タウバー川の二重橋あたりから見上げる町の景観をドイツ人は“縁なし帽子のとんがり“と呼ぶと云う。
城塞公園からは、城塞都市の好ましい風景も見える。 -
写真はローテンブルク:帝国城塞(今はBurggarten城塞公園)から見る二重橋(14世紀)や教会、村落の景観
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写真はローテンブルク:城塞公園からは葡萄畑も、城塞都市の違った風景である。
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写真はローテンブルク:歴史祭り・Schmiedgasse鍛冶屋通りを南にそのまま行く。いつも賑わっている。
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写真はローテンブルク:歴史祭り・Ploenleinプレーンライン(意味はラテン語で小さな場所)、この先を行くと南口にはSpitalbasteiシュピタール稜堡がある。
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マルクト広場に戻り、Fさんが駐車時間を延長するために、いったん戻るとの事で、我々3人は17時のレストラン地獄亭に2人から4人に増えたが、予約が問題ないかと確認に行った。休憩中のスタッフには気の毒だったが、呼び鈴を押すと2階から声がかかった。
事情を説明すると、OKとの事で安心してマルクト広場までまた戻る。
予約時間まで土産物を購入するなどして過ごす。
ローテンブルクで土産購入:
①Bernhard Friese
D-91541 Rothenburg o.d.T. Gruener Markt7
フランケン製の木工細工品`2.5X10=25(3,328円)、
②Bunte Truhe
D-91541 Rothenburg o.d.T. Obere Schmiedgasse4
錫の人形2個Euro9.9(Fさんに)、10.9(孫)、24.9ミニチュア陶磁器セット(孫娘に)Euro45.7(6,084円)
③聖ゲオルゲの泉からHofbronneng通りに入って直ぐ左手にあるSchneeball雪球6ケEuro16(2,144円)などを購入した。
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレの準備に入ったようだ。 -
≪三十年戦争の逸話:ローテンブルクの歴史祭り劇Meistertrunk“見事な一気飲み”≫
ローテンブルクの『Meistertrunkマイスタートゥルンク歴史祭り』
https://www.youtube.com/watch?v=lrwGRZWh-dM
http://euro.typepad.jp/blog/2018/04/der_meistertrunk.html
≪伝説:Meistertrunkマイスタートルンク “見事な一気飲み”≫
時は中世から近世に入り、新旧の宗教戦争である三十年戦争(1618~1648年)の頃。
舞台は新教派の町ローテンブルクを旧教派の皇帝軍が攻囲戦を行った。
主役は皇帝軍・旧教派Graf von Tillyティリー伯・将軍と新教派の旧市長Nuschヌッシュ。
特にローテンブルクにとっては町の救世主、英雄と呼ばれたヌッシュ。
三十年戦争のさなかの1631年、ローテンブルクは旧教派の皇帝軍・ティリー将軍と彼の率いる6万人の兵に攻撃されました。
ローテンブルクは抵抗することができず、このままでは町は破壊、焼き払われ、抵抗した市民の運命も危ういということになりました。
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレは各出演者たちの行進だ。ローテンブルクは“見事な一気飲み”という“歴史祭り”で 一色になる。幸せなローテンブルクの大団円となる行進を楽しんだ by jijidarumaさんマイスタートルンクの祭り 祭り・イベント
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白旗を掲げたローテンブルクの人々はやってきた皇帝軍のティリー将軍の気持ちを鎮める為に、ワインがなみなみと入った“選帝侯の大ジョッキ”と称された大きなマグカップ(3.25リットル・・何故3.25リットルなのかは?だが)を差し出しました。
そのワインを見た将軍は『もし、このワインを一気に飲み干せる者がいるならば、この町を破壊するのは止めよう!そしてまた、お前たちの命も助けてやる!』と云ったそうです。
年老いた旧市長ヌッシュはそれを聞くと、私が飲んで見せましょうと、将軍の前に進み出て、ワインがなみなみと入った大きなマグカップを受け取り、一気に飲み干したそうだ。
一気に飲み干せる事は絶対に無理と思っていた将軍はこれには驚き、約束通りに町や市民を許したと、伝えられています。
・・・・・
この逸話は、ローテンブルクの市参事会館の仕掛け時計にも再現されています。
付け加えると、ティリー将軍はローテンブルクにやってきた事実はないそうですが(苦笑)・・・。
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレで負傷者たちの行進 -
イチオシ
その逸話を再現し、時代衣装のパレードを行って町の解放を祝うのがこのお祭りです。
当時の衣装を身にまとった市民たち700 人以上、馬が130頭も参加し、往時の歴史的な様々なシーンが見られる。まさにそこは中世ドイツの世界!城壁に囲まれた中世の町並みを残すローテンブルク。
町は年に2回行われるローテンブルク歴史祭りのとき、中世へとタイムスリップします。
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ・・・5月21日、幸せなローテンブルクの大団円となる行進(皇帝軍パプスブルグ家を象徴する双頭の鷲) -
毎年初夏(フィングステン聖霊降臨祭)に催されるローテンブルクの祭Meistertrunk(マイスタートルンク)は、2018年は5/18~21の開催です。
◆ドイツ・ローテンブルクの Der Meistertrunk『マイスタートゥルンク歴史祭り』 =Pfingstsonntag毎年キリスト教の聖霊降臨祭の日曜日に行なわれるため、毎年開催日が変わり、今年は2018年5月18日(金)~21日(月)に開催されました =
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ -
Pfingstsonntag聖霊降臨祭の日曜日の前後、ローテンブルクは“時代祭り”で一色になる。
情報提供:ドイツ観光局http://www.meistertrunk.de/
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ -
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ
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以下は『マイスタートゥルンク歴史祭り』の其々の日の表題、
FREITAG 金 :Die belagerte Stadt攻囲されたローテンブルク
SAMSTAG 土 :Die besetzte Stadt占領されたローテンブルク
SONNTAG 日 :Die gerettete Stadt救われたローテンブルク
MONTAG 月 :Die glueckliche Stadt幸せなローテンブルク
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ・・・この日は月曜日ですから、Die glueckliche Stadt幸せなローテンブルクがテーマです。つまり解放された町と市民が主役。 -
私共が訪れた5月21日(月) Die glueckliche Stadt幸せのローテンブルクの日程は
9:00~
仮装行列参加者による10:30~11:00, 13:30~ 16:00~ 21:00~
10.00 Uhr: Begruessung der ,,Landhege“ am Marktplatz
10時、国土(町)の保全の挨拶、マルクト広場にて
10.30 Uhr: Historischer Handwerker- und Händlermarkt Grüner Markt und Kirchplatz
10時半、職人市(Historischer Handwerker- Haendlermarkt)ヤコブ教会付近にて、有料
12.30 Uhr: Das Historische Festspiel ,,Der Meistertrunk“ im Kaisersaal/Rathaus
12時半、市民歴史劇マイスタートゥルンクは市庁舎内の皇帝広間にて(有料)
(市庁舎内はこの為、一般の方は入場禁止だった)
14.00 Uhr: Historisches Feldlager & Buergerfest am Festplatz & Feldlager am Galgentor/Roederbastei ? Eintritt frei!
14時、中世の野外宿営(Historisches Feldlager)はガルゲン門の外、入場無料
18.30 Uhr: Einzug der Festspielgruppen zum Marktplatz
18時半、三十年戦争の仮装行列(Historischer Heereszug)マルクト広場に至るまで
19.00 Uhr: Tillys Abschied & Verabschiedung der Festspielgruppen am Marktplatz
19時、ティリー将軍による戦争終焉宣言(Tilly's Abschied)マルクト広場にて
(私共が食事を終えて、マルクト広場に戻った頃で、祭りは最高潮になったあたりを見たことになる)
(2018年5月31日)
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写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ・・・新教派のスウェーデン軍(ローテンブルクの救援軍)の行進 -
イチオシ
写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ・・・中世祭りは当時の衣装を身にまとった市民たち700 人以上の出演(新教派のスウェーデン軍と旗)
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写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ・・・籠城した市民たち
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写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ
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写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ
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写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレでティリー将軍と子供たち、ティリー将軍による戦争終焉宣言(Tilly's Abschied)マルクト広場にて
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写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ
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写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレ
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写真はローテンブルク:歴史祭り・フィナーレで右のティリー将軍、左は旧市長ヌッシュだろう。
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写真はローテンブルク:歴史祭り・5月21日(月)幸せのローテンブルクのフィナーレで将軍と市長と共に。
右のティリー将軍、左は旧市長ヌッシュだろう。無理やり入った感があるが、良い記念になった。
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次章は食事編です。
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