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≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫<br />2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間<br /><br />目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。<br />(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)<br /><br />①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる<br />②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ<br />③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行<br />④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。<br />⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども<br />番外編・フランケンの春、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が見られる町や村を巡った。<br />⑥5月13日フランケン・スイス地方の古城群:人気の古城ホテル ラーベン(カラス)シュタイン城に2泊<br />⑦5月14日フランケン・スイス地方の古城群:100mの高さの岩壁に立つ古城エグロフシュタイン城の姿は絵画的な美しさである。<br />⑧5月15日懐かしの古城ホテル ヴェルンベルク城とアザム兄弟の作品が見られるミッシェルフェルト修道院<br />番外編・伝説:アッシジの聖フランシスコがグッビオの町を狼から救った話<br />⑨5月15日この旅一番のグルメレストラン・白樺の館(カワセミ)にて<br />⑩5月16日レーゲンスブルクの名物焼きソーセージとダンプヌーデルン<br />番外編・三十年戦争の逸話:フォルヒハイムの“Mauerscheisser” (壁のような糞をする奴!)<br />⑪5月17日:ナポレオンが置き忘れた旅行カバンが見られるドナウ観光船に乗る。<br />⑫5月17日:ローゼンブルク城の上空を舞う鷹たちの飛翔がすごい<br />⑬5月17日:40代の頃、家族で一泊した懐かしの古城ホテル エッガースベルク城 <br />⑭5月18日:要塞都市ベルヒングと古城ホテル アルンスベルク城<br />⑮5月18日:要塞都市バイルングリースの旧市街、整然とした家並み、市城壁、塔を歩いてみるのは楽しい。<br />⑯5月19日:宗教都市アイヒシュテットと聖ウィリバルド・聖ウィニバルド・聖ヴァルブルガの3兄妹<br /><br />写真はアイヒシュテット:聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)<br /><br />

2018年ドイツの春:⑯宗教都市アイヒシュテットと聖ウィリバルド・聖ウィニバルド・聖ヴァルブルガの3兄妹

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2018/05/10 - 2018/05/24

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jijidaruma

jijidarumaさん

≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。
(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)

①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。
⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども
番外編・フランケンの春、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が見られる町や村を巡った。
⑥5月13日フランケン・スイス地方の古城群:人気の古城ホテル ラーベン(カラス)シュタイン城に2泊
⑦5月14日フランケン・スイス地方の古城群:100mの高さの岩壁に立つ古城エグロフシュタイン城の姿は絵画的な美しさである。
⑧5月15日懐かしの古城ホテル ヴェルンベルク城とアザム兄弟の作品が見られるミッシェルフェルト修道院
番外編・伝説:アッシジの聖フランシスコがグッビオの町を狼から救った話
⑨5月15日この旅一番のグルメレストラン・白樺の館(カワセミ)にて
⑩5月16日レーゲンスブルクの名物焼きソーセージとダンプヌーデルン
番外編・三十年戦争の逸話:フォルヒハイムの“Mauerscheisser” (壁のような糞をする奴!)
⑪5月17日:ナポレオンが置き忘れた旅行カバンが見られるドナウ観光船に乗る。
⑫5月17日:ローゼンブルク城の上空を舞う鷹たちの飛翔がすごい
⑬5月17日:40代の頃、家族で一泊した懐かしの古城ホテル エッガースベルク城 
⑭5月18日:要塞都市ベルヒングと古城ホテル アルンスベルク城
⑮5月18日:要塞都市バイルングリースの旧市街、整然とした家並み、市城壁、塔を歩いてみるのは楽しい。
⑯5月19日:宗教都市アイヒシュテットと聖ウィリバルド・聖ウィニバルド・聖ヴァルブルガの3兄妹

写真はアイヒシュテット:聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配
  • 5月19日(土): 晴れ、夕立あり、 19℃、 122km<br /><br />Beilingriesバイルングリース出発8:45 ->(Kipfenberg-Arnsbergキプフェンベルク・アルンスベルク)->L? 32km Eichstaettアイヒシュテット ->L? 45km Burg Pappenheimパッペンハイム城 ->L? ・B13 16km  Weissenburgヴァイセンブルクin Bayern ->L?  7km Ellingenエリンゲン ->L?  18km Heideck ・Hotel Schloss Kreuthホテル シュロス クロイトに17:10に到着。村のレストラン往復4km。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:Altmuehlアルトミュールの地図

    5月19日(土): 晴れ、夕立あり、 19℃、 122km

    Beilingriesバイルングリース出発8:45 ->(Kipfenberg-Arnsbergキプフェンベルク・アルンスベルク)->L? 32km Eichstaettアイヒシュテット ->L? 45km Burg Pappenheimパッペンハイム城 ->L? ・B13 16km  Weissenburgヴァイセンブルクin Bayern ->L?  7km Ellingenエリンゲン ->L?  18km Heideck ・Hotel Schloss Kreuthホテル シュロス クロイトに17:10に到着。村のレストラン往復4km。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:Altmuehlアルトミュールの地図

  • *起床6時、朝食7:35~8:00。8時半チェックアウトした。<br />朝方は12.5℃と肌寒い。<br /><br />バイルングリースの町はなかなか豊かな町だと思った。<br /><br />嫌な思いを振り切って先に進む。<br /><br />写真はホテルでの朝食

    *起床6時、朝食7:35~8:00。8時半チェックアウトした。
    朝方は12.5℃と肌寒い。

    バイルングリースの町はなかなか豊かな町だと思った。

    嫌な思いを振り切って先に進む。

    写真はホテルでの朝食

  • アルトミュール川に沿ったKipfenberg-Arnsbergキプフェンベルク・アルンスベルクには、町の頭上に立派な古城キプフェンベルク城が見える。<br /><br />町中を通過しながら、昨日はアルンスベルク城と見間違えたが、二つの城はどちらもアイヒシュテット侯爵司教の支配下にあったと云う。道端の小母さんに聞いてみると、「キプフェンベルク城はつぶれてしまったよ」と言っていた。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテットの紋章・・・アイヒどんぐりの木がシンボル

    アルトミュール川に沿ったKipfenberg-Arnsbergキプフェンベルク・アルンスベルクには、町の頭上に立派な古城キプフェンベルク城が見える。

    町中を通過しながら、昨日はアルンスベルク城と見間違えたが、二つの城はどちらもアイヒシュテット侯爵司教の支配下にあったと云う。道端の小母さんに聞いてみると、「キプフェンベルク城はつぶれてしまったよ」と言っていた。

    写真はEichstaettアイヒシュテットの紋章・・・アイヒどんぐりの木がシンボル

  • アルトミュール川に沿って発展したアイヒシュテット侯爵司教の町、宗教都市Eichstaettアイヒシュテットには30分で着いた。<br /><br /><Eichstaettアイヒシュテット>  9:15~12:20<br />https://www.eichstaett.de/<br /><br />バイエルン州のほぼ中央に位置し、アイヒシュテット市内をアルトミュール川が流れる。人口13,000人。ゾルンホーフェン石灰岩の産出地で、始祖鳥標本のうちベルリン標本とゾルンホーフェン標本が当地で発見されている。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット_Map旧市街図<br />

    アルトミュール川に沿って発展したアイヒシュテット侯爵司教の町、宗教都市Eichstaettアイヒシュテットには30分で着いた。

    <Eichstaettアイヒシュテット>  9:15~12:20
    https://www.eichstaett.de/

    バイエルン州のほぼ中央に位置し、アイヒシュテット市内をアルトミュール川が流れる。人口13,000人。ゾルンホーフェン石灰岩の産出地で、始祖鳥標本のうちベルリン標本とゾルンホーフェン標本が当地で発見されている。

    写真はEichstaettアイヒシュテット_Map旧市街図

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:町の案内図

    写真はEichstaettアイヒシュテット:町の案内図

  • 大聖堂近くの駐車場が空いていたので、そこに停め(余裕を見た2時間Euro2)、アイヒシュテット大聖堂に入った。丁度、5人の神父さんたちが聖歌を歌い、祈りをあげていたので、終わるまで遠慮した。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:Dom大聖堂

    大聖堂近くの駐車場が空いていたので、そこに停め(余裕を見た2時間Euro2)、アイヒシュテット大聖堂に入った。丁度、5人の神父さんたちが聖歌を歌い、祈りをあげていたので、終わるまで遠慮した。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:Dom大聖堂

  • <①Eichstaetter Domアイヒシュテット大聖堂 > <br />9:25~10:30<br />D-85072 Eichstaett   、Domplatz<br />http://www.bistum-eichstaett.de/start/<br /><br />8 世紀頃に聖ウィリバルドを祭る最初の石造りの教会が建てられた。<br />現在の大聖堂は元来後期ゴシック様式のもので、その後の1718 年にバロック様式で西側のファザードがが付け加えられて完成したものである。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・回廊

    <①Eichstaetter Domアイヒシュテット大聖堂 > 
    9:25~10:30
    D-85072 Eichstaett  、Domplatz
    http://www.bistum-eichstaett.de/start/

    8 世紀頃に聖ウィリバルドを祭る最初の石造りの教会が建てられた。
    現在の大聖堂は元来後期ゴシック様式のもので、その後の1718 年にバロック様式で西側のファザードがが付け加えられて完成したものである。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・回廊

  • そして、大聖堂に回廊と立派な双翼の霊安室が付属した一大建築はバイエルン州における重要な中世の建造物となっている。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Bischofs Martin von Schaumberg (1560?90) 司教マルテイン・シャウムべルクの碑

    そして、大聖堂に回廊と立派な双翼の霊安室が付属した一大建築はバイエルン州における重要な中世の建造物となっている。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Bischofs Martin von Schaumberg (1560?90) 司教マルテイン・シャウムべルクの碑

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内東・1480年頃の作で木彫りの主聖壇

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内東・1480年頃の作で木彫りの主聖壇

  • 回廊から、まず東のHochaltar主聖壇に1480年頃の作で木彫りの聖壇には5人の姿が彫られているが、中央にMariaマリア様(聖堂の守護人)とキリスト、左に Willibald聖ウィリバルド、Vater Richard彼らの父・聖リチャード・ウェセックス(イングランドの七王国の一つ)、右にWalburga聖ヴァルブルガ、Wunibald聖ウィニバルドである。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・1480年頃の作で木彫りの主聖壇

    イチオシ

    回廊から、まず東のHochaltar主聖壇に1480年頃の作で木彫りの聖壇には5人の姿が彫られているが、中央にMariaマリア様(聖堂の守護人)とキリスト、左に Willibald聖ウィリバルド、Vater Richard彼らの父・聖リチャード・ウェセックス(イングランドの七王国の一つ)、右にWalburga聖ヴァルブルガ、Wunibald聖ウィニバルドである。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・1480年頃の作で木彫りの主聖壇

  • 【聖ウィリバルド・聖ウィニバルド・聖ヴァルブルガの3兄妹のキリスト教の布教について】<br /><br />741年、St.Willibald (von Eichstaett)聖ウィリバルドが、アイヒシュテットの地にローマ帝国の教区を設置した。908年に特許を受けた。<br />1802年の帝国代表者会議主要決議まで神聖ローマ帝国の支配を受けた。<br />1806年、バイエルン王国の一部になった。1817年、マクシミリアン1世 (バイエルン王)は義理の息子であるウジェーヌ・ド・ボアルネにアイヒシュテットを与え、1821年に新たに教区を設置した。<br /><br />ゲルマンでキリスト教の宣教に身をささげていたSt.Bonifatius聖ボニファティウスと教皇グレコリウス3世の要請を受け、ゲルマン人への宣教のため、St.Richard von Wessex聖リチャード・ウェセックス(イングランドの七王国の一つ)の娘St.Walburga聖ヴァルブルガは738年に兄St.Wunibald聖ウィニバルドと共にゲルマンに渡りました。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・1480年頃の作で木彫りの主聖壇

    【聖ウィリバルド・聖ウィニバルド・聖ヴァルブルガの3兄妹のキリスト教の布教について】

    741年、St.Willibald (von Eichstaett)聖ウィリバルドが、アイヒシュテットの地にローマ帝国の教区を設置した。908年に特許を受けた。
    1802年の帝国代表者会議主要決議まで神聖ローマ帝国の支配を受けた。
    1806年、バイエルン王国の一部になった。1817年、マクシミリアン1世 (バイエルン王)は義理の息子であるウジェーヌ・ド・ボアルネにアイヒシュテットを与え、1821年に新たに教区を設置した。

    ゲルマンでキリスト教の宣教に身をささげていたSt.Bonifatius聖ボニファティウスと教皇グレコリウス3世の要請を受け、ゲルマン人への宣教のため、St.Richard von Wessex聖リチャード・ウェセックス(イングランドの七王国の一つ)の娘St.Walburga聖ヴァルブルガは738年に兄St.Wunibald聖ウィニバルドと共にゲルマンに渡りました。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・1480年頃の作で木彫りの主聖壇

  • ヴァルブルガはフランクフルトの修道院で医術を学び、その知識を使って多くの人を助けたと云われている。後に、ローマにいた兄St.Willibald聖ウィリバルドも741年からボニファティウスに協力するためゲルマンに渡り、アイヒシュタットの司教に任命されます。<br /><br />こうして兄妹たちは協力して、751年にヴュルテンベルクのハイデンハイムに修道院を設立(男子と女子の2つ)し、キリスト教の宣教に生涯を捧げました。<br />聖ヴァルブルガはハイデンハイム女子修道院長となり、兄が亡くなった後は男子と女子両方の修道院長として人々を導いた。<br /><br />亡くなったのは779年年2月25日。ハイデンハイムに埋葬された彼女のお墓からは油が滲み出ていて、それを塗ると病気が治ったという奇跡が伝承されている。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内

    ヴァルブルガはフランクフルトの修道院で医術を学び、その知識を使って多くの人を助けたと云われている。後に、ローマにいた兄St.Willibald聖ウィリバルドも741年からボニファティウスに協力するためゲルマンに渡り、アイヒシュタットの司教に任命されます。

    こうして兄妹たちは協力して、751年にヴュルテンベルクのハイデンハイムに修道院を設立(男子と女子の2つ)し、キリスト教の宣教に生涯を捧げました。
    聖ヴァルブルガはハイデンハイム女子修道院長となり、兄が亡くなった後は男子と女子両方の修道院長として人々を導いた。

    亡くなったのは779年年2月25日。ハイデンハイムに埋葬された彼女のお墓からは油が滲み出ていて、それを塗ると病気が治ったという奇跡が伝承されている。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内

  • 順次目に付いたものは美しいBuchenhueller Madonna木彫りのマドンナ像(1430年)である。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Buchenhueller Madonna木彫りのマドンナ像(1430年)

    イチオシ

    順次目に付いたものは美しいBuchenhueller Madonna木彫りのマドンナ像(1430年)である。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Buchenhueller Madonna木彫りのマドンナ像(1430年)

  • Pappenheimer Altarパッペンハイマー聖壇は1497年、聖堂の参事会員であったKaspar Marschall von Pappenheimカスパー・マーシャル・パッペンハイムが、聖地への巡礼から無事に帰国した御礼に、この祭壇を寄贈した。<br /><br />祭壇は単一のジュラ石灰岩で作られた11 mの高さのもの。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・パッペンハイマー聖壇

    Pappenheimer Altarパッペンハイマー聖壇は1497年、聖堂の参事会員であったKaspar Marschall von Pappenheimカスパー・マーシャル・パッペンハイムが、聖地への巡礼から無事に帰国した御礼に、この祭壇を寄贈した。

    祭壇は単一のジュラ石灰岩で作られた11 mの高さのもの。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・パッペンハイマー聖壇

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・説教壇

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・説教壇

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・20世紀と新しいパイプオルガン

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・20世紀と新しいパイプオルガン

  • 聖堂の西にはジュラ石灰岩で作られた聖ウィリバルド(1514年)の見事な人物像を表した聖壇がある。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖ウィリバルドの聖壇(西)

    聖堂の西にはジュラ石灰岩で作られた聖ウィリバルド(1514年)の見事な人物像を表した聖壇がある。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖ウィリバルドの聖壇(西)

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内

  • その奥に司教座開設1000年を感謝してジュラ大理石で作られた聖ウィリバルド(1745年)の豪華な聖壇がある。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖ウィリバルドの豪華な聖壇<br />

    その奥に司教座開設1000年を感謝してジュラ大理石で作られた聖ウィリバルド(1745年)の豪華な聖壇がある。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖ウィリバルドの豪華な聖壇

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖母マリアの昇天とSt.Willibald聖ウィリバルド

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖母マリアの昇天とSt.Willibald聖ウィリバルド

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖母マリアの昇天とSt.Willibald聖ウィリバルド

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖母マリアの昇天とSt.Willibald聖ウィリバルド

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖ウィリバルドの豪華な聖壇<br />

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・聖ウィリバルドの豪華な聖壇

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所、Weltgerichtsfenster最後の審判の窓Hans Holbeinハンス・ホルバイン作1505年頃

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所、Weltgerichtsfenster最後の審判の窓Hans Holbeinハンス・ホルバイン作1505年頃

  • そして東の出口近くに、南ドイツで最も美しいと云われるMortuarium死者たちの場所(1510年)がある。<br /><br />ここには司教たちや聖堂関係者の領主貴族たちが埋葬された。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所

    そして東の出口近くに、南ドイツで最も美しいと云われるMortuarium死者たちの場所(1510年)がある。

    ここには司教たちや聖堂関係者の領主貴族たちが埋葬された。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所には見事な天井と支える石柱がある。

    イチオシ

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所には見事な天井と支える石柱がある。

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所・・・司教たちや聖堂関係者の領主貴族たちが埋葬された。<br />

    写真はEichstaettアイヒシュテット:大聖堂内・Mortuarium死者たちの場所・・・司教たちや聖堂関係者の領主貴族たちが埋葬された。

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:ドーム広場

    写真はEichstaettアイヒシュテット:ドーム広場

  • ・・・・・<br /><br />10時半にドームから高台のウィリバルドスブルク城に向かう。上った城郭は広く、駐車も楽々だった。結婚用の写真を撮影するカップルがいて、あちこちでポーズを取っていた。<br /><br /><②Willibaldsburgウィリバルドスブルク城><br />D-85072 Eichstaett 、Burgstrasse 19<br />https://www.eichstaett.de/poi/willibaldsburg-1761/ <br />10:40~11:50   Euro3.5(シニア)X2=7<br /><br />ここでは家内はシニア料金の適用されずに、私共は同じ年だよと言って、シニア料金にしてもらった。小さい日本人女性は若く見られます。<br />開館期間:4月1日から9月30日、火~日・祭日の9時から18時までとなっている。<br /><br />ウィリバルドスブルク城郭は1355年 Bischof Berthold Burggraf von Zollernツォレルン城伯の司教ベルトルトによって建てられ、1725年までアイヒシュテット侯爵司教座が置かれた。ウィリバルドスブルク城は代々の司教により強大なものになっていった。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:Willibaldsburgウィリバルドスブルク城

    ・・・・・

    10時半にドームから高台のウィリバルドスブルク城に向かう。上った城郭は広く、駐車も楽々だった。結婚用の写真を撮影するカップルがいて、あちこちでポーズを取っていた。

    <②Willibaldsburgウィリバルドスブルク城>
    D-85072 Eichstaett 、Burgstrasse 19
    https://www.eichstaett.de/poi/willibaldsburg-1761/
    10:40~11:50   Euro3.5(シニア)X2=7

    ここでは家内はシニア料金の適用されずに、私共は同じ年だよと言って、シニア料金にしてもらった。小さい日本人女性は若く見られます。
    開館期間:4月1日から9月30日、火~日・祭日の9時から18時までとなっている。

    ウィリバルドスブルク城郭は1355年 Bischof Berthold Burggraf von Zollernツォレルン城伯の司教ベルトルトによって建てられ、1725年までアイヒシュテット侯爵司教座が置かれた。ウィリバルドスブルク城は代々の司教により強大なものになっていった。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:Willibaldsburgウィリバルドスブルク城

  • 17 世紀には宮殿に改装され、30年戦争中の1633 年、スウェーデン人によって城は取られたが、同じ年に奪還した。<br /><br />420mの城郭には長い城壁や稜堡、武器庫が備えられ、63mの城門ホールと力強い 2 つの塔ファサードを持つ「Gemmingenbauゲミンゲン建物(Bischof Conrad v. Gemmingenゲミンゲンのコンラット司教の名を採ったと思われる)は保存も良く残っている。<br /><br />写真はWillibaldsburgウィリバルドスブルク城から望む景色

    17 世紀には宮殿に改装され、30年戦争中の1633 年、スウェーデン人によって城は取られたが、同じ年に奪還した。

    420mの城郭には長い城壁や稜堡、武器庫が備えられ、63mの城門ホールと力強い 2 つの塔ファサードを持つ「Gemmingenbauゲミンゲン建物(Bischof Conrad v. Gemmingenゲミンゲンのコンラット司教の名を採ったと思われる)は保存も良く残っている。

    写真はWillibaldsburgウィリバルドスブルク城から望む景色

  • 1962年にバイエルン州のものになり、ゲミンゲン建物の北翼には1976 年開設の「Jura-Museumジュラ博物館」があり、Solnhofen Plattenkalkゾルンホーフェンの石灰岩の化石・Archaeopteryxアーケオプテリクス(始祖鳥)、Compsognathusコンプソグナトゥス(小型肉食恐竜)、大型の魚類、それに何故かバハマの熱帯魚の水槽などが見られた。<br /><br />写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:始祖鳥(しそちょう)の化石

    1962年にバイエルン州のものになり、ゲミンゲン建物の北翼には1976 年開設の「Jura-Museumジュラ博物館」があり、Solnhofen Plattenkalkゾルンホーフェンの石灰岩の化石・Archaeopteryxアーケオプテリクス(始祖鳥)、Compsognathusコンプソグナトゥス(小型肉食恐竜)、大型の魚類、それに何故かバハマの熱帯魚の水槽などが見られた。

    写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:始祖鳥(しそちょう)の化石

  • 写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:始祖鳥(しそちょう)の化石

    写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:始祖鳥(しそちょう)の化石

  • 写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:始祖鳥(しそちょう)・小型肉食恐竜の化石

    写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:始祖鳥(しそちょう)・小型肉食恐竜の化石

  • 写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:始祖鳥(しそちょう)・恐竜・爬虫類の化石

    写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:始祖鳥(しそちょう)・恐竜・爬虫類の化石

  • 写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:鳥類の模型?

    写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:鳥類の模型?

  • 写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:大きな魚類の化石

    イチオシ

    写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:大きな魚類の化石

  • 写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:大きな魚類もしくはワニの化石か

    写真はウィリバルドスブルク城・ジュラ博物館:大きな魚類もしくはワニの化石か

  • 南翼には1980年開設の「Museum fuer Vor- und Fruehgeschichte先史時代博物館(石器時代から前期中世時代)」がある。<br /><br />展示は特に大きなMammute マンモスの骨格が目立つ。古石器時代の手斧の石、紀元前4万年ころの穴熊の頭蓋骨も。アイヒシュタットの東にあるかつてのローマ軍団(Limesリーメス国境防御線)のKastell Pfuenzプフュンツ砦(Vetonianaヴェトニアーナ砦)で発掘された古代ローマの食器、筆記具、女性の顔の像、500 以上の色付けされた錫の人形、ローマの兵士の格好をした、大きな人形など。<br />最後の部屋には7世紀、後期メロヴィング朝の貴族の夫婦の墓が見られた。<br /><br />写真はウィリバルドスブルク城・先史時代博物館:マンモスの骨格

    南翼には1980年開設の「Museum fuer Vor- und Fruehgeschichte先史時代博物館(石器時代から前期中世時代)」がある。

    展示は特に大きなMammute マンモスの骨格が目立つ。古石器時代の手斧の石、紀元前4万年ころの穴熊の頭蓋骨も。アイヒシュタットの東にあるかつてのローマ軍団(Limesリーメス国境防御線)のKastell Pfuenzプフュンツ砦(Vetonianaヴェトニアーナ砦)で発掘された古代ローマの食器、筆記具、女性の顔の像、500 以上の色付けされた錫の人形、ローマの兵士の格好をした、大きな人形など。
    最後の部屋には7世紀、後期メロヴィング朝の貴族の夫婦の墓が見られた。

    写真はウィリバルドスブルク城・先史時代博物館:マンモスの骨格

  • 写真はウィリバルドスブルク城・先史時代博物館:ローマ軍団の兵士

    写真はウィリバルドスブルク城・先史時代博物館:ローマ軍団の兵士

  • 写真はウィリバルドスブルク城・先史時代博物館:ローマ軍団の砦Kastell Pfuenzプフュンツ砦の模型

    写真はウィリバルドスブルク城・先史時代博物館:ローマ軍団の砦Kastell Pfuenzプフュンツ砦の模型

  • そして建物の地下にあったBurgbrunnen城内井戸は幅3.25m、深さ76.5mですから、中々の規模だった。<br /><br />1998 年には、いわゆる「Bastionsgarten要塞植物園」が広々とした二つの稜堡上に作られた(見なかったが)。  <br /><br />*チケット売り場のショップでお土産に花柄の小物入れを10セットEuro5.9X10=59(7,908円)購入した。<br /><br />・・・・・<br />写真はウィリバルドスブルク城:城内井戸は深さ76.5mと深々とした井戸

    そして建物の地下にあったBurgbrunnen城内井戸は幅3.25m、深さ76.5mですから、中々の規模だった。

    1998 年には、いわゆる「Bastionsgarten要塞植物園」が広々とした二つの稜堡上に作られた(見なかったが)。  

    *チケット売り場のショップでお土産に花柄の小物入れを10セットEuro5.9X10=59(7,908円)購入した。

    ・・・・・
    写真はウィリバルドスブルク城:城内井戸は深さ76.5mと深々とした井戸

  • 写真はEichstaett:次の町に向かう際に撮ったウィリバルドスブルク城の遠望

    写真はEichstaett:次の町に向かう際に撮ったウィリバルドスブルク城の遠望

  • 写真はEichstaettアイヒシュテット:Kloster_St__Walburg聖ヴァルブルガ僧院、1794年の絵から見ても規模も大きい。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:Kloster_St__Walburg聖ヴァルブルガ僧院、1794年の絵から見ても規模も大きい。

  • ・・・・・<br /><br />ドームの後、ここに先に来たかったのだ。<br />道が工事中で旧市街経由ではいけなかったので、ウィリバルドスブルク城に登ってみた。町を遠望すれば、聖ヴァルブルガ僧院の分かりやすい建物が対岸の山際に見えた。<br /><br />写真はEichstaettアイヒシュテット:聖ヴァルブルガ僧院の遠望

    ・・・・・

    ドームの後、ここに先に来たかったのだ。
    道が工事中で旧市街経由ではいけなかったので、ウィリバルドスブルク城に登ってみた。町を遠望すれば、聖ヴァルブルガ僧院の分かりやすい建物が対岸の山際に見えた。

    写真はEichstaettアイヒシュテット:聖ヴァルブルガ僧院の遠望

  • 僧院から大勢のバイク野郎が出てきたのにビックリ。<br /><br />ウィリバルドスブルク城から3km先の僧院に至ると、横木バーが降りていて庭内に入れない。幸い僧院関係者が出てきて、開けてくれた。<br />帰りは車が近づくと横木バーが自動的に上がるから、ゆっくり見て行ってくださいと。<br /><br />写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガ像

    僧院から大勢のバイク野郎が出てきたのにビックリ。

    ウィリバルドスブルク城から3km先の僧院に至ると、横木バーが降りていて庭内に入れない。幸い僧院関係者が出てきて、開けてくれた。
    帰りは車が近づくと横木バーが自動的に上がるから、ゆっくり見て行ってくださいと。

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガ像

  • 写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガ像

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガ像

  • ③Kloster Sankt Walburg聖ヴァルブルガ僧院・修道院教会<br />D-85072 Eichstaett 、Walburgiberg 6<br />https://www.abtei-st-walburg.de/startseite/<br />11:55~12:20   Euro2(ご挨拶のお祈り代)<br /><br />写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)

    ③Kloster Sankt Walburg聖ヴァルブルガ僧院・修道院教会
    D-85072 Eichstaett 、Walburgiberg 6
    https://www.abtei-st-walburg.de/startseite/
    11:55~12:20   Euro2(ご挨拶のお祈り代)

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)

  • アイヒシュテットのHeiligen Walburga聖ヴァルブルガ僧院に聖ヴァルブルガの墓がある。<br /><br />779年に死去した聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)は死後100年して、870年から879年にBischof Otgar von Eichstaett アイヒシュテットの司教オトガーにより、聖ヴァルブルガの兄妹たちが建てたHeidenheimハイデンハイムの修道院から現在の地に移送された。<br /><br />写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)

    イチオシ

    アイヒシュテットのHeiligen Walburga聖ヴァルブルガ僧院に聖ヴァルブルガの墓がある。

    779年に死去した聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)は死後100年して、870年から879年にBischof Otgar von Eichstaett アイヒシュテットの司教オトガーにより、聖ヴァルブルガの兄妹たちが建てたHeidenheimハイデンハイムの修道院から現在の地に移送された。

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)

  • その後まもなくして、ヴァルブルガは聖人の名前を得たと云う。<br />この地は中世以来、現在に至るまで人々の尊宗を受けてきたもので、バロック様式の修道院と教区教会聖ヴァルブルガは1629 年から1631年にかけてMartin Barbieriマルティン・ バルビエリにより中世の基礎の上に建設されたものである。<br /><br />更に、1746年、Benedikt Ettlベネディクト・エッツルがバロック様式の塔を付け加えた。 <br /><br />写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓の説明書

    その後まもなくして、ヴァルブルガは聖人の名前を得たと云う。
    この地は中世以来、現在に至るまで人々の尊宗を受けてきたもので、バロック様式の修道院と教区教会聖ヴァルブルガは1629 年から1631年にかけてMartin Barbieriマルティン・ バルビエリにより中世の基礎の上に建設されたものである。

    更に、1746年、Benedikt Ettlベネディクト・エッツルがバロック様式の塔を付け加えた。

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓の説明書

  • 前述した如く、聖女ヴァルブルガは710年にウェセックス(イングランドの七王国の1つ)で生まれた。彼女は聖ボニファティウスの姪で、言い伝えによると、サクソン人の王子・聖リチャードの娘だという。<br /><br />彼女は兄弟たちとともにドイツのフランケンに旅し、ヴァルブルガはそこで尼僧となって兄ウィリバルドの創設したKloster Heidenheimハイデンハイム修道院に入った。<br /><br />写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓

    前述した如く、聖女ヴァルブルガは710年にウェセックス(イングランドの七王国の1つ)で生まれた。彼女は聖ボニファティウスの姪で、言い伝えによると、サクソン人の王子・聖リチャードの娘だという。

    彼女は兄弟たちとともにドイツのフランケンに旅し、ヴァルブルガはそこで尼僧となって兄ウィリバルドの創設したKloster Heidenheimハイデンハイム修道院に入った。

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓

  • 聖ヴァルブルガは779年2月25日に亡くなり、その日は今も伝統的な聖人暦では聖名祝日として暦に残る。<br />ドイツのメーデー、春の始まりとされる5月1日は彼女の聖遺物がアイヒシュテットに移された日であるとも、第106代 ローマ教皇ハドリアヌス2世によって列聖された日であるとも云われる。<br /><br />このため、例えば、フィンランドやスウェーデンの典礼暦では5月1日に彼女の名前が載っているのである。<br /><br />写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓

    聖ヴァルブルガは779年2月25日に亡くなり、その日は今も伝統的な聖人暦では聖名祝日として暦に残る。
    ドイツのメーデー、春の始まりとされる5月1日は彼女の聖遺物がアイヒシュテットに移された日であるとも、第106代 ローマ教皇ハドリアヌス2世によって列聖された日であるとも云われる。

    このため、例えば、フィンランドやスウェーデンの典礼暦では5月1日に彼女の名前が載っているのである。

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓

  • ともあれ、「聖遺物の間」に架けられた、足を治した奇跡の絵、救いを求めた人々の感謝の「絵馬札」の数々を見ると、聖女ヴァルブルガ信仰が尋常ではないことが分かる。<br /><br />写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓に手向けられた数々の「絵馬札」のようなもので聖ヴァルブルガに対する信仰を示した絵札が壁面いっぱいに見られる

    ともあれ、「聖遺物の間」に架けられた、足を治した奇跡の絵、救いを求めた人々の感謝の「絵馬札」の数々を見ると、聖女ヴァルブルガ信仰が尋常ではないことが分かる。

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓に手向けられた数々の「絵馬札」のようなもので聖ヴァルブルガに対する信仰を示した絵札が壁面いっぱいに見られる

  • 写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)

    イチオシ

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの聖遺物(聖骨)

  • 写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓に手向けられた数々の「絵馬札」のようなもの

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓に手向けられた数々の「絵馬札」のようなもの

  • 写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓に手向けられた数々の「絵馬札」のようなもの・・・身体の不自由分を奇跡に寄って治したお礼を表現したものも見られた。

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓に手向けられた数々の「絵馬札」のようなもの・・・身体の不自由分を奇跡に寄って治したお礼を表現したものも見られた。

  • 写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓に手向けられた数々の「絵馬札」のようなもの

    写真はアイヒシュテット・聖ヴァルブルガ僧院内:聖ヴァルブルガの墓に手向けられた数々の「絵馬札」のようなもの

  • 写真はアイヒシュテット・ドーム近くのMarktplatzマルクト広場には Willibaldsbrunnen 聖ウィリバルド像の泉(1695年)が立っている。

    写真はアイヒシュテット・ドーム近くのMarktplatzマルクト広場には Willibaldsbrunnen 聖ウィリバルド像の泉(1695年)が立っている。

  • 写真はアイヒシュテット・Eichstaett_Am_Graben_21に埋め込まれたユダヤ人犠牲者の氏名でしょう(Stolpersteine_Haenleinヘンライン一家がここに住み、迫害された証・・・上海や英国に逃げた者もいたようだが、宗教都市と言えども犠牲者がいた)

    写真はアイヒシュテット・Eichstaett_Am_Graben_21に埋め込まれたユダヤ人犠牲者の氏名でしょう(Stolpersteine_Haenleinヘンライン一家がここに住み、迫害された証・・・上海や英国に逃げた者もいたようだが、宗教都市と言えども犠牲者がいた)

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この旅行記へのコメント (2)

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  • Rolleiguyさん 2018/09/23 15:47:58
    アイヒシュテット
    jijidarumaさん
    これは充実した旅行記になりましたね。 町の美しさだけでなく、歴史的にも大変興味深いところだと思いました。早速、先日購入したドイツ案内書を繰ってみたら、バイエルンの項目にアイヒシュテットが出ていました。それによると、大半の訪問者はヴァルブルガなどではなく、アルトミュールタールの自然が目的だとありました。ドイツ人にとっても歴史は過去のことで古すぎて、余り興味を持てないのでしょうか。周辺には有名観光地が一杯ある場所ですが、こうした小さな、しかし魅力的な街を訪問して、古い歴史に思いを馳せるのは素敵ですね。是非いちど足を運んでみたいものです。
    Rolleiguy

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2018/09/23 18:58:21
    Re: アイヒシュテット
    Rolleiguyさん、
    こんばんは。
    いつもありがとうございます。

    御気に入って頂いたようで、嬉しいです。
    確かにドイツ人の多くが宗教心に薄れてきている現在、アルトミュールタール
    の自然が第一の観光目的であることもうなずけます。それほど、この一帯は
    風光明媚で、穏やかなアルトミュール、運河の流れに古城・城址も数多く、
    洞窟、鷹匠のショー、観光的には十分に満足させられる地域です。

    Aralの古い観光本にはアイヒシュテットに関して、ウィリバルドスブルク城、
    Dom大聖堂、領主司教のレジデンスの3点の簡単な説明はあるものの、
    驚くことに聖ヴァルブルガ僧院・修道院教会の事は書かれていません。
    アイヒシュテットのWikiから聖ヴァルブルガ僧院の事を辿りました。
    ドイツ人(ゲルマン)のキリスト教帰依に英国から来独し、その一生を
    この地にささげた、歴史的な事績はもう少し知られていても良いのでは
    と思いました。

    アイヒシュテットから北西に50km程行った所に聖ヴァルブルガの兄妹
    たちが建てたKloster Heidenheim (Mittelfranken)があります。
    人口2500人の小さな村に寄っていませんけど。

    次章は"Schrammhans「シュラム(傷跡がある)ハンス」"と異名で
    呼ばれたハインリヒ・パッペンハイム伯のBurg Pappenheim
    パッペンハイム城や、要塞都市Weissenburgヴァイセンブルクです。
    jijidaruma

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