2018/05/10 - 2018/05/24
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jijidarumaさん
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≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。
(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)
①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。
⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども
番外編・フランケンの春、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が見られる町や村を巡った。
⑥5月13日フランケン・スイス地方の古城群:人気の古城ホテル ラーベン(カラス)シュタイン城に2泊
⑦5月14日フランケン・スイス地方の古城群:100mの高さの岩壁に立つ古城エグロフシュタイン城の姿は絵画的な美しさである。
写真は美しいエグロフシュタイン城。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5月14日(月): 晴れ 、 24℃、 96km
ラーベンシュタイン城出発9:35 ->L? 11km Burg Pottensteinポッテンシュタイン城 ->L? 9 km Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城 ->L? 13km Ruine Baernfelsベルンフェルス城趾(Obertrubach) ->L? 8km Ruine Leienfelsライエンフェルス城趾 (Obertrubach)->L? 10 km Burgruine Wolfsbergヴォルフスベルク城趾(Obertrubach)-> L? 5km Burg Egloffsteinエグロフシュタイン城 ->L? 20km Muggendorf・Hotel Feilerホテル ファイラー ->L? 20km ラーベンシュタイン城に16:30に到着。
写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ -
*6:30起床。朝食はラーベンシュタイン城内レストランの調理器具の入れ替えの為、城の敷地内にあるGutsschenkeグートシェンケという丸天井のレストランで食べることになっていた。
2009年の春、昼時のグートシェンケではドイツ人たちは太陽の下で、Biergartenビアガーデンに座り、ソーセージを食べながら一杯飲んでいた。
私共は強い光を避けて、グートシェンケの円天井の下で二人だけの食事をした。
写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:朝食 -
9年経っても円天井のレストランは相変わらず暗かったが、そこにドイツの朝食の品々が並び、朝食の席は奥にある明るい場所に設けられており、そこに希望の品を取って移動するのだ。
写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:朝食 -
もう半分の席が埋まり、昨夜からの滞在客が食事をしていた。
8:00~8:45、いつもよりゆっくりした朝食をして城内に戻った。
写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:朝食 -
今日は全く人影が無く、古城ホテルの石橋上も気楽に写真が撮れる。
写真はラーベンシュタイン城:城内への石橋上で -
テラスに出て、そこから傍の部屋に入ると、昨日は結婚式披露があったようだ。
写真はラーベンシュタイン城:テラス -
昨日の結婚式披露の部屋の飾りもそのままに置かれて、これから小母さんたちが掃除をするようだ。
写真はラーベンシュタイン城:昨日の結婚式披露の部屋 -
写真はラーベンシュタイン城:昨日の結婚式披露の部屋
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写真はラーベンシュタイン城:武器の間のカラス
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写真はラーベンシュタイン城:武器の間
-
写真はラーベンシュタイン城:武器の間に珍しい武器があった。
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<Die Burgenstrasse古城街道 ・Fraenkische Schweizの古城群②>
Burg Pottensteinポッテンシュタイン城 、
Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城(ワ-グナーが『パルジファル』の聖杯城のモデルとしたことで知られる)、
Burg Egloffsteinエグロフシュタイン城 、
Burgruine Wolfsbergヴォルフスベルク城趾(Obertrubach)、
Ruine Baernfelsベルンフェルス城趾(Obertrubach) 、
Ruine Leienfelsライエンフェルス城趾 (Obertrubach)、
Ruine Stierbergシュティアーベルク城趾(Veldensteiner Forst) 、
Ruine Wildenfelsヴィルデンフェルス城趾(Veldensteiner Forst)。
写真はラーベンシュタイン城:武器の間に入る扉に甲冑が立つ。 -
今日はエグロフシュタイン城など古城群の再訪、ベルンフェルス城趾なども巡る予定だ。
ラーベンシュタイン城を9:35に出発し、まずは聖エリザベートの所縁の城、11km先の岩壁上のBurg Pottensteinポッテンシュタイン城に行ってみる。
写真はFraenkische Schweizフランケン・スイス・Map -
イチオシ
<Burg Pottenstein古城ホテル ポッテンシュテイン城>
9:55~10:10
D-91278 Pottenstein 、Burg Pottenstein
http://www.burgpottenstein.de/
聖エリザベートが来訪したと云うポッテンシュテイン城を表側から望む。
ここにはFerienwohnung休暇用宿泊施設がある。
給油所の近くから坂道を上ると、岩山(城郭)の裏手にでた。城門前に駐車可能な小さな場所はあったが、他に駐車場があるのかと、散歩中のご夫婦にお聞きすると、親切にも城門前に誘って、先ほど見た駐車場所を示してくれた。
写真はBurg Pottensteinポッテンシュタイン城:2009年4月 -
2009円4月21日にこの城を訪れた。その時の旅行記には:
ポッテンシュタイン城は門が閉まっていて、残念だが入れないようだ。HPで知った聖エリザベートが来訪したと云う、この城内を見たいものでした。
ポッテンシュタイン城は同じ名前の町の頭上に聳え立っている。上マインとペグニッツ地域における南東への備えとして、10世紀の頃、初めて築城されたらしい。
800年にわたるバンベルグ司教・領主の支配の後、現在は1918年から、Freiherr von Wintzingerodeヴィンテインガーローデ男爵の個人所有の城になっている。
城内博物館には歴史的な古文書、武器、肉筆複写機の3つを中心に展示されている。
写真はBurg Pottensteinポッテンシュタイン城:2009年4月 -
この城の本丸には1228年に聖エリザベート(チューリンゲン方伯妃)が滞在した事を記念したエリザベートの間があり、騎士の間、赤のサロン、天守閣の残部などが見られる。
陶磁器、ガラス、郷土の品などが飾られているのだと云う。
・・・・・
写真は2009年4月、ポッテンシュテイン城:聖女エリザベートの部屋 -
2009年の春は城門前まで行ったが、閉まっていた。今日は城下町をゆっくり走り、時々駐車しては高々と見える古城を写した。
写真はBurg Pottensteinポッテンシュタイン城:裏手からの -
イチオシ
当時、Burg Egloffsteinエグロフシュタイン城主が私共に話してくれたが、ポッテンシュタイン城を支える岩盤が徐々に崩壊するリスクが出てきているとの事だった。
幸いにも下から見る限り、そのような感じは見られなかった。
写真はBurg Pottensteinポッテンシュタイン城: -
写真はBurg Pottensteinポッテンシュタイン城:
-
次は9 km先の Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城に向かう。
ほぼ500kmを走破し、給油メモリは半分になり、そろそろ給油と思っていたら、見覚えのあるRaimundライムント・ガソリンスタンドが目に入った。
ディーゼル27.16L@1.309=Euro35.55(4,738円)、以前は現金払い、今回はVISA払いもOKだった。
市庁舎傍の駐車場に入れる。少し余裕の時間を設定し、10:44~12:19(95分)Euro1.1と駐車料金も安い。
写真はBurg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城:町の観光図 -
<Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン>
10:44~12:00
当地ゲースヴァインシュタインはDie Wallfahrtskirche巡礼教会、ゲースヴァインシュタイン城と城内博物館が見所である。
写真はBurg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城:聖杯城をふもとから望む -
イチオシ
<Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城> (10:40~11:20)
D-291327 Goessweinstein 、Burgstrasse 30
http://www.burg-goessweinstein.de
ゲースヴァインシュタイン城は丘の上に見える。赤と白の旗が風にはためいている。小さな塔のある、小ぶりな城だ。丘の上の城には徒歩で行くしかないと、土産物屋のお婆さんがお教えてくれた。
ゲースヴァインシュタイン城はRichard Wagnerリヒャルト・ワーグナーが、『Parsifalパルジファル』のGralsburg聖杯城のインスピレーションを得たのが、この丘の上のゲースヴァインシュタイン城だと云われている。つまりモデルとなった。
『Parsifalパルジファル』はワーグナーが作曲した最後のオペラ。中世(10世紀ごろ)スペインのモンサルヴァート城及びクリングゾルの魔の城を舞台にしたもので、初演は1882年7月26日、バイロイトの祝祭歌劇場である。
写真はBurg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城:聖杯城 -
聖杯伝説(せいはいでんせつ)は、一般に聖杯を追い求める騎士物語であり、中世西ヨーロッパにキリスト教的背景をもって出来上がったとされている。世俗的な騎士道文学の中で、各地に広まったものだが、キリスト教教義の一部となったことは無い。
この城は11世紀の築城だが、16世紀のドイツ農民戦争で焼けおち、17世紀に再建された。19世紀末にネオ・ゴシック様式の今日の姿になった。
山道を登り、城への上り口に切符売場があり、男の人がいた。入場料とガイドブックでEuro 5.1を支払う。
写真は2009年4月、Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城:礼拝堂 -
城内博物館はガイドブックに従い番号順に歩く。
①眺望ポイント。谷まで150mの高さだと言う、ここはさすがに素晴らしい眺望である。周辺は緑一色、所々に赤い屋根の家が見える。町の方には先ほどの巡礼教会の二つの塔が他の家並みを圧して立っている。
②小さな礼拝堂には中世の色濃い聖壇がある。聖母子が右に聖フロリアン(火と雷を防ぐ神)、左に聖ゲオルゲ(ドラゴン退治の勇者)を従えた、今まで見た事のない図であった。
この聖壇はリーメンシュナイダーの手によるもの、もしくはその弟子の作品だとも書かれているが、良く分からない。
③城の入口近くに40mの深いZisterne水槽があるが、雨水を貯めたものだ。
④通路には甲冑、銃器、砲が並ぶ。
写真は2009年4月、Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城:城内博物館の通路 -
⑤Kemenateケメナーテ・暖炉の間(婦人の間)は半円アーチ様式の窓、色彩豊かな天井画、壁画、暖炉、台所器具、糸巻き機、家具、ベッドがある。
⑥Steintreppe石の階段には様々な武器・甲冑・鎖帷子が収集・陳列されていた。
写真は2009年4月、Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城:石の階段 -
写真は2009年4月、Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城:巡礼教会の二本の尖塔が見える
-
*2009年4月、この日、市庁舎の駐車場に車を入れたら、土産物屋のお婆さんが「そこは庁舎への訪問者だけだと注意されて、お店の横に停めたら」と言ってくれた。帰途、御礼の気もあって、お店で孫たちにと、小さな指さしを2つ購入(Euro 6.2)した。
今回は聖杯城には登らず、写真を撮っただけ。
土産物屋に立ち寄って尋ねたら、「お婆さんはもう93歳で老人ホームに入った」と70代の娘さん(ヴュルツブルクから引っ越して店を継承)が言う。
2009年の事情を話し、もう覚えていないだろうが、「お元気でと伝えてほしい」と言うと喜んでくれた。
ついでに孫娘の為に猫の玩具を土産に買った(Euro6.5)。
・・・・・
写真は2009年4月、Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城:周辺は森だ。 -
<Die Wallfahrtskirche巡礼教会>
10:50~~11:00
Basilika Goessweinstein
D-291327 Goessweinstein 、Balthasar-Neumann-Str.
教会に入ったが、今回は撮影禁止になっていたので、絵葉書2枚(Euro0.8)で代用した。
写真はGoessweinsteinゲースヴァインシュタイン:ノイマン作のバシリカ教会 -
2009円4月21日(10:10~11:20)にこの地を訪れたので、その時の旅行記を書く。
城下の著名な巡礼教会にはノイマン作バジリカが見所(10:10~~10:30)。
Johann Balthasar Neumannヨハン・バルタザール・ノイマン(1687~1753年)作のバシリカ教会は聖三位一体教会である。
ノイマンはバンベルグ大司教領主の命により、38年の月日をかけて、1739年に完成した。きらびやかな聖壇、丸天井、天井の壁画、パイプオルガンは、それは見事なものだ。
写真はGoessweinsteinゲースヴァインシュタイン:2009年4月、ノイマン作のバシリカ教会と聖壇 -
ノイマンはヴュルツブルクの砲兵隊大佐であったが、バロック及びロココ様式の建築家として名高い。彼によって、南ドイツの建築物は、あるいはドイツ・カトリックのバロック建築はその頂点を築いたと云われている。
その本領は、特に階段室や礼拝堂といった巨大なインテリアの創作に発揮されている。
写真はGoessweinsteinゲースヴァインシュタイン:2009年4月、ノイマン作のバシリカ教会と聖壇 -
過去に見た作品と場所は次の通り。
① ヴュルツブルクの司教宮殿(レジデンツ):ヴェルサイユ宮殿をモデルにイタリア=フランス・バロック様式で1720年から1744年に建設された。有名な階段室を持つ建築は国際的な芸術家を集め、ヴュルツブルク・ロココの最高傑作を作り上げている。
② Bruehlブリュール・世界遺産Schloss Augustusburg(階段室、1740年 ? 1746年)
③ Bruchsalブルッフザール・Schloss Bruchsalバロック宮殿(階段室、1731年頃)
④ ゲースヴァインシュタインの聖三位一体巡礼教会(1730年から1739年)
写真はGoessweinsteinゲースヴァインシュタイン:2009年4月、ノイマン作のバシリカ教会とパイプオルガン -
<お茶:Baeckerei Wirthパン屋のヴィルトにて>
D-291327 Goessweinstein 、Pezoldstrasse21
11:10~11:35 Euro7(938円)
Granini Orangeオレンジジュース0.25L(Euro1.6)、Humpen(ビールジョッキの意味だがここではちょっと大きめのカップ) Kaffeeコーヒー(Euro2.1)と、見た目で選んだ菓子パンのApfeltascheアップル バッグの意味だが折りパイ生地でリンゴを包んで、表面に模様をつけて焼いた菓子(Euro1.3)、Quark Golatsche(Kolatsche)クアーク(クリームチーズ)入りパン(リンゴ、プディング入りも:Euro1.4)。
ともかく美味い、安い。
写真はGoessweinsteinゲースヴァインシュタイン:パン屋のヴィルト -
あまりやらない街歩きで、私にしては珍しいのだが、軒先に並ぶ衣類の中で目に入ったJackeジャケットを1着購入した(Euro29.9=4,007円)。
店内の商品も見たが、家内には思うようなものが無かった。
写真はGoessweinsteinゲースヴァインシュタイン:バシリカ教会に向かう道 -
12時、ゲースヴァインシュタインを出て、次からは城址を訪ねていく。
最初のRuine Baernfelsベルンフェルス城趾はなんか奇妙な岩があると思いつつも通り過ぎてしまった。
ここではナビがうまくいかなかったので、数km行ってから地図を見直して戻った。
写真はObertrubachオーバートルバッハ一帯には奇岩も多い -
写真はObertrubachオーバートルバッハ一帯には奇岩も多い
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イチオシ
教会の駐車場に入ったが、急に冷たい風が吹き、黒雲が湧き、ポツリポツリと落ちてきた。
城址は駐車場から徒歩400mほどだが、50m歩き出したものの、傘が無く雨に濡れたくないなと、遠くから写真を1枚撮っただけにしだ。
(12:30~12:45)
<Ruine Baernfelsベルンフェルス城趾(Obertrubachオーバートルバッハ)>
D- 91286 Obertrubach 、Baernfels-Dorfstrasse 32
1995年に設定されたNaturpark Fränkische Schweiz-Veldensteiner Forstフランケンのスイスとフェルデンシュタイナー・フォルスト自然公園にある。
中世後期、1330年頃に515mの高台にKonrad Hans und Ulrich von Egloffsteinコンラット・ハンスとウルリッヒ・エグロフシュタインにより築城された。
Landgrafen von Leuchtenbergロイヒテンベルク・ヘッセン方伯に対抗するための出城であったようだ。
農民戦争(1525年)で罹災し、再建されることが無かった。その後も一帯はエグロフシュタイン家系が支配し、現在もエグロフシュタイン家が所有している。
写真は高々とした岩壁上のベルンフェルス城趾 -
次のRuine Leienfelsライエンフェルス城趾(Obertrubachオーバートルバッハ)は8kmと近いが、自然公園にあるというだけに、狭い村道が続く。
村内で家の敷地に間違って入ってしまい、住人に謝ることに。そのフレンドリーな住人に聞くと、この裏山にあると教えてくれた。
彼も駐車場を尋ねた幼児と遊ぶ母親も何故、こんな村の城址に東洋人が来たのか不思議であったろうが、皆さん親切でした。
坂道を少し登って平場になると、木々の中に城壁、城門らしきものが見えてきた。ライエンフェルス城址に漸くたどり着いたのだ。
写真はRuine Leienfelsライエンフェルス城趾 (Obertrubachオーバートルバッハ):城門らしきもの -
<Ruine Leienfelsライエンフェルス城趾 (Obertrubachオーバートルバッハ)>
D-91278 Pottenstein 、Leienfels
フランケンのスイスとフェルデンシュタイナー・フォルスト自然公園にある。
ライエンフェルス城は14世紀の初めごろ、590mの高台にSeibot I. von Egloffsteinザイボット1世・エグロフシュタインにより築城された。
当時の強力なBischof von Bambergバンベルクの司教領主に対抗して建てたと云う。
農民戦争(1525年)、第二次辺境伯戦争(1553年)、30 年戦争(1618~48年)で度々罹災し、城の修復がなされることが無かった。
写真はRuine Leienfelsライエンフェルス城趾 (Obertrubachオーバートルバッハ):本丸の周囲は絶壁 -
上述のベルンフェルス城趾と似たような経歴の城だが、平場は奥に広く、一の丸と本丸を繋ぐあたりは切り込みが見られ、
以前は橋があったように思われた城郭であった。本丸の周囲は絶壁で深い谷になっていた。城砦祭りが行われる時もあるようだ。
写真はRuine Leienfelsライエンフェルス城趾 (Obertrubachオーバートルバッハ):一の丸と本丸を繋ぐあたり -
Burgruine Wolfsbergヴォルフスベルク城趾(Obertrubach)はBurg Egloffsteinエグロフシュタイン城に向かう途中、5km手前にある。道を走りながら右手の丘の上に見えた。
道路際から高台の城址を写した。
写真はBurgruine Wolfsbergヴォルフスベルク城趾(Obertrubachオーバートルバッハ):道路際から高台の城址を望む -
<Burgruine Wolfsbergヴォルフスベルク城趾(Obertrubachオーバートルバッハ)>
D-91286 Obertrubach 、Wolfsberg
フランケンのスイスとフェルデンシュタイナー・フォルスト自然公園にある。
ヴォルフスベルク城は1150 年頃、436mの高台にヴォルフスベルクの騎士により築城された。
その後、エグロフシュタイン家が所有する時期もあったが、30年戦争で壊滅し、再建されなかった。
写真はBurgruine Wolfsbergヴォルフスベルク城趾(Obertrubachオーバートルバッハ):城址からエグロフシュタイン城に向かう道路を見下す -
今日の最後は2009年春に2泊したBurg Egloffsteinエグロフシュタイン城である。遠くからも目立つ古城は青空に映えて、素晴らしい。
Burg Pottensteinポッテンシュタイン城 、Burg Goessweinsteinゲースヴァインシュタイン城と同じように下から遠望した。
写真はBurg Egloffstein・Wappenエグロフシュタイン城の紋章 -
<Burg Egloffsteinエグロフシュタイン城>
D-91349 Egloffstein 、Rittergasse 80b
http://www.burg-egloffstein.de/
2009年春に古城ホテル・Ferienwohnung(休暇用施設1&2階)に2泊した。
Trubachtalトゥルバッハ谷に臨み、100mの高さの岩壁に立つ古城Egloffsteinエグロフシュタイン城の姿は絵画的な美しさである。
この城は9世紀に築城したEgiloffエグロフという騎士がEgloffsteinエグロフシュタインと名付けたとされている。
写真はBurg Egloffsteinエグロフシュタイン城:古城は青空に映えて、素晴らしい。 -
イチオシ
11世紀にはこの辺りを支配する騎士・領主の居城となるが、しばしば城は破壊されたと云う。30年戦争では特に大きな被害を受けたが、再建されている。1750年にはプロテスタントの教会も古城の横に創建されて、今に残っている。
代々の伯爵家の中でも、Julieユリエ伯妃は画家としてもその名を残し、1816年~29年まで、ワイマールに滞在し、かのゲーテとも親交を深めたとある。その後、ミュンヘンに至り、バイエルン王ルートヴィヒ1世や王妃の肖像画を描いたと伝えられている。
現在も貴族の後裔によって、城は所有され、城内には博物館が併設されている。
写真はBurg Egloffsteinエグロフシュタイン城:古城は青空に映えて、素晴らしい。 -
<お茶:Cafe Muehlカフェ ミュール(水車)(Baeckerei Konditorei Wirth)にて>
D-91349 Egloffstein 、Talstrasse10a
14:00~14:30 Euro8(1,072円)
写真は2009年4月21日、エグロフシュタイン城下のカフェ ミュール(水車) -
2009年春に宿泊したエグロフシュタイン城は食事が無く、朝食をここで食べたことがある。今日も良い天気で店も繁盛していた。
家内はApfelkuchenリンゴケーキ(Euro2.3)にダージリンの紅茶(Euro2.1)、私は砂糖をまぶしたパン(Euro0.7)とHumpen Kaffeeコーヒー(Euro2.3)を注文した。
もっとも油断大敵で、ちょっと怪しいと思っていたら急なシャワーに見舞われた。テント下のお客も慌てて室内に入り込んだ。
写真は2018年5月14日、エグロフシュタイン城下のカフェ ミュール(水車) -
イチオシ
今の城主は70歳である。貴族階級に見られる長身で、年齢以上に頑健な体は軍人だった過去を窺い知ることができる。25年の軍務の間、外国を含めて、転勤続きの生活だったと言う。退役と共に漸く、故郷に戻ってきたのだと言っていた。
ともかく、古城の維持は大変な様子であった。城主夫人は目下、旅行中の由で会えなかったが、息子と娘がいて、孫も3人である。城主の素晴らしい家具の置かれた居間に通された時に家族の写真を拝見して分かった。
写真は2009年4月、エグロフシュタイン城の城主の住居 -
Jaegerhaus (城内の狩猟館)にもFerienwohnungが2部屋あり、そこに宿泊すると思っていたのだが、多分、管理上もあってか、城主の住む棟並びの部屋を提供された。
芝生のテラスに面した1階には良くできた素晴らしい居間と自炊用の台所があり、2階には梁がむき出しとなった寝室があり、バイエルン風の家具や、がっちりしたダブルベッドが置かれていた。隣にはモダンな浴室、書庫などがあるメゾネットタイプのものです。
誠に各部屋は色彩のセンスも良く、広々としたもので、普段は家族の帰省時に使うものを提供されたと思われた。城に到着と共に、城主自ら、親切に部屋を隅から隅まで、案内・説明して頂いて、大変恐縮した。
写真は2009年4月、エグロフシュタイン城の宿泊棟 -
写真は2009年4月、エグロフシュタイン城の宿泊棟:2階の寝室
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写真は2009年4月、エグロフシュタイン城の宿泊棟:2階の寝室
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写真は2009年4月、エグロフシュタイン城の宿泊棟:1階の素晴らしい居間
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写真は2009年4月、エグロフシュタイン城の宿泊棟:1階の廊下
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写真は2009年4月、エグロフシュタイン城の宿泊棟:1階の自炊用の台所
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写真は2009年4月、エグロフシュタイン城の城郭前に駐車
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エグロフシュタイン城から20kmでMuggendorf・Wiesenttalムッゲンドルフ・ヴィーゼンタルにあるHotel Feilerホテル ファイラーに15:10到着した。
2月には予約済みだったHotel Feilerホテル ファイラーが閉業してしまった知らせは、お気に入りのホテル(1泊予定)であっただけに大変残念でした。
写真はMuggendorf・Hotel Feilerホテル ファイラー -
ラーベンシュタイン城に戻る道筋でもあり、ちょっと立ち寄ってみた。
確かにホテルには2018年4月3日からの閉業の張り紙が貼ってあり、人気もない。ただ外観は下の写真のようにいまだ美しかった。
写真はMuggendorf・Hotel Feilerホテル ファイラー -
イチオシ
写真はMuggendorf・Hotel Feilerホテル ファイラー
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写真は2009年4月、Muggendorf・Hotel Feilerホテル ファイラー:夕食に訪ねた。
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写真は2009年4月、Muggendorf・Hotel Feilerホテル ファイラー:夕食のレストラン
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写真は2009年4月、Muggendorf・Hotel Feilerホテル ファイラー:夕食のレストラン
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ここからラーベンシュタイン城に20km、 16:30に到着。
書類の整理し、休憩をとった。
写真は2009年4月、古城街道の看板 -
<夕食:Burg Rabensteinラーベンシュタイン城のGutsschenkeグートシェンケにて。>
18:00~19:45 メニューから3品を選んだ。(Euro50=6,664円)
グートシェンケは普通の時期はホテル宿泊客の朝食や夕食には利用されない。
予約メールで2泊目は月曜日で城内レストランの厨房機器の取り換えで休みになり、敷地内のシェンケ(郷土料理を提供するレストラン)でカルテスエッセン(5月10日の夕食のように冷たい食事)を利用して頂くと言われていた。
(もっとも近くの暖かい料理を出すレストランの紹介も可と言っていたが)
写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:やはり暗い -
可笑しかった(嬉しかった)ことに、泊まってみたら、暖かい普通料理のメニューが提供された。
当日、ドイツ人のセミナーがあり、研修組が10人ほど、私共の他に夕食をしていましたから、ホテルも採算にのると判断し、暖かい料理に替えたのでしょう。
飲み物の注文はフランケンのリースリング0.25LX2(Euro9・・・昨夜とは半額の値段!)、お水0.5L(Still:Euro2.6)。
写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:フランケンのリースリング -
料理はメニューから3品を選んだ。
①スープ:私はシュパーゲルのクリームスープ(Euro3.9)、
家内はフランケン風ビールスープ(フランケンの古典的なスープで、味付けにビールを入れる:Euro3)、いずれもクルトン入り、
②メイン:私は豚肉フィレのメダリオン、バルサミコソース(Euro11.9)、
家内はお魚料理、魚三種(川魚ではなかったが)のソテイ、ジャガイモ、カラフルな野菜、クロイター(ハーブ)ソース(Euro13.9)、
③デザート:Kugel Eisクーゲル アイス(私は球2つ、家内は1つ:Euro3)。
写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:私はシュパーゲルのクリームスープ -
写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:家内はフランケン風ビールスープ
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写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:家内はお魚三種(?)のソテイ
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写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:私は豚肉フィレのメダリオン
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写真はラーベンシュタイン城:Gutsschenkeグートシェンケ:デザートはアイス(私は球2つ、家内は1つ)
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2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
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この旅行記へのコメント (4)
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- Rolleiguyさん 2018/07/15 13:56:27
- お城巡り
- jijidarumaさん
暑い日が続いています。沢山のお城を紹介してくださり、楽しく拝見しました。
昔のままに保存されている城は勿論魅力的ですが、城門や城壁しか残っていない
城址も昔を想像して楽しむことが出来ますね。大昔、Wolfsteinという城址を訪れたことがありますが、ここでどんな日々が送られたのだろうと思うと、城址の石のひとつひとつが愛おしくなりました。城巡りは、やはり事前勉強しておいた方が断然楽しめますね。続きを楽しみにしています。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2018/07/15 17:14:21
- Re: お城巡り
- Rolleiguyさん、
お暑いですね。
この暑さが続く中、ご興味をお持ちいただいて、感謝です。
コメント、ご投票といつもながらありがとうございました。
さて、ドイツ好きでも、古城好きの方は少ないかもしれませんが、
<大昔、Wolfsteinという城址を訪れたことがありますが>
とある城址はBurgruine Wolfsteinでしょうか?早速、
Neumarkt in der Oberpfalzの東近郊にあるのを地図で見付けました。
1150年築城、城址ながら22mの天守閣はいまだ登ることができると
あります。俯瞰写真もみましたが、中々のものでした。
実はこの後の旅で、Neumarkt in der Oberpfalzの南方にある
Berchingの城塞都市、西方のRothの宮殿などを回っていく予定です。
城巡りは確かに事前に知識を入れとかないと、漠然としたままで
帰ることになりますね。次回は Oberpfalzに向かいます。
どうぞ宜しく。
jijidaruma
- Rolleiguyさん からの返信 2018/07/15 20:51:49
- Re: お城巡り
- jijidarumaさん
私が訪れたWolfsteinはNeumarktのではなく、Kaiserslauternの近くにある
Burg Alt-Wolfsteinです。当時マンハイムに2か月ほど研修に行き、週末に
地図で見つけたこの城を訪れたものです。誰もいない城址でしばし古に思いを馳せました。その後村のレストランに行ったところ、片腕の中年男性から日本から来たのか、第2次世界大戦ではドイツと一緒に戦ったのだねと言われ、握手されました。多分戦傷を受けて片腕を失くした人だったのでしょう。今のドイツは
日本に格別の思いを抱いてはいませんが、当時はまだ戦後20年ちょっとだったので、かつての同盟国としての親近感を抱く人は少なくなかったのでしょう。
その翌日に、jijidarumaさんも昨年そばまで行かれたBad Duerkheimの古城を見学しましたが、観光客が一杯で静かに古を思う雰囲気はありませんでした。
城址になってしまっていると「滅び」という観念に直結することもあってか、
源氏よりも平家に惹かれる日本人の気質からは、やはり受ける印象に大きな違いがあるように思います。尤も歴史を一面からしか愛でないのはもったいないですね。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2018/07/15 23:50:07
- Re: お城巡り
- Rolleiguyさん、
再度のコメット恐縮です。
WolfsteinはNeumarktのBurgruine Wolfsteinではなかった由、
少し早とちりしました。
あらためてBurg Alt-Wolfsteinを拝見。なるほど城址らしい城址
の姿も良く、20mの高さの5角形した天守閣は珍しいですね。
赤髭王(バルバロッサ)の名前も出て来る歴史も興味深いもの
でした。
さて、日独、かつての同盟国としての親近感を持つ世代は
もう亡くなられているのでしょう。
最近は慰安婦の件でからまれることもあったり、
若い世代に東洋人(日本人との区別できない)蔑視感を感じた
こともありましたね。
それではまた。
jijidaruma
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