2018/05/10 - 2018/05/24
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≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。
(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)
①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。
写真はSchloss Greifensteinグライフェンシュタイン城の遠望
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
*5:30の目覚め、6:30に起床。
朝食前に誰もいないテラスで気分よく、明るい光景を写真に撮る。
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):テラスにて -
イチオシ
5月 12日 (土): 晴れ 、 23℃、 187km
ホテル・レストラン鳥の城出発9:40 ->L? 7km Hallburgハールブルク城->L? 7km (Schwarzzachシュバルツザッハ)->B22 16km(Prichsenstadtプリッヒゼンシュタット)->L? 28km (Burgebrachブルゲブラッハ)->L? 7km Pommersfeldenポンメルスフェルデン->L? 10km(Hoechstadt-Ostヘッヘシュタット・オスト) ->B470 23km (Forchheimフォルヒハイム)->B470(Ebermannstadtエバーマンシュタット)・L? 29km Heiligenstadtハイリゲンシュタット・Schloss Greifensteinグライフェンシュタイン城 ->L?・B470 15km(Ebermannstadtエバーマンシュタット)->B470・L? 34km Schloss Wiesenthau古城ホテル ヴィーゼンタウ城 ->L? 11km Berg-Gasthof Hoetzeleinベルク・ガストホフ ヘルツェラインには17:10着。
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):テラスからマイン川と葡萄畑を見る。 -
そのテラスから下の葡萄畑や散策路となっている道に降りた。
2009年4月は春も早く、少し寒かった記憶があるが、今朝は陽光も強い。マイン川流域の蛇行を示す看板も変わらず、見上げるとホテルのテラスに咲くマロニエの赤い花が目立つ。
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城) -
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):マイン川流域の蛇行を示す看板
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写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):散策路から下は急斜面の葡萄畑になっている
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写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):中央にホテル棟、左手にマロニエの赤い花
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写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):どこかで見た様な花も。これ「すずめのえんどう」でした。
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朝食は昨夜のレストランで8:15~8:45、いつも30分で終わってしまう。
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):朝食 -
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):フランケンワインの独特の瓶ボックスボイテルが並ぶレストラン
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フランケンワインの独特の瓶ボックスボイテルが並ぶレストランから出て、フォーゲルスブルグの教会(かつてこの地にカロリンガー王朝の宮廷ができ、フルダの僧院に譲渡された歴史がある)を見に行く。
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):フォーゲルスブルグの教会 -
予想以上にモダンな教会内に一寸驚く。昨日訪れたデッテルバッハの教区教会聖アウグスティヌスのようだ。
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):フォーゲルスブルグの教会は実にシンプルだ。 -
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):フォーゲルスブルグの教会にあるモダンな窓ガラス
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レセプションでお願いして、私共の部屋の下に見えた中庭を見せて頂く。セミナー参加者が休憩時、あるいはパーティ時に使用できるようになっていた。
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):中庭 -
ホテル フォーゲルスブルクを出発しようと荷物を車に積んでいたら、昨日の夕方にレストラン内で声をかけてきた老婆がまた寄って来た。老婆はチェコの出身でヒトラーの「チェコ侵攻」(1939年)の話をしていた。「第二次世界大戦後におけるドイツ人追放」でこの地に来たのだろうか?多分、身寄りも少なく、友人もいない寂しさを紛らわすように話かけていた。
写真はホテル・レストラン フォーゲルスブルク(鳥の城):中庭 -
9:40鳥の城を出発する。既に温度は15℃を上まわった。フォーゲルスブルグから見ると、のっぺりした対岸のNordheimノルドハイムの西方向に位置するのがSchloss Hallburgハルブルグ城である。
写真は火事後のハルブルグ城は再建工事の様子が無い -
昨日は「Maria im Rosenkranzローゼンクランツのマリア像」を見たくて、ここは後回しにした。
今日はフランケンの古城群を訪ねる前にちょっと立ち寄ってみようと思った。
写真はハルブルグ城のテラスから見る葡萄畑 -
7km先、所謂インゼル(半島)の高台にあるSchloss Hallburgハルブルグ城に行ってみると、城は2009年当時と同じように葡萄畑に囲まれていた。
写真はハルブルグ城のテラスで -
こんなニュースを見ていたから、気になっていた。
2016年のフィングステンの月曜日(5月16日)に台所から出火した大火により罹災した。
現在修復中というが、あまり手を付けた様子がなく、長期間の修復が要するものと思われた。立て看板を見ると、保険会社の所有となっているようだ。
写真はハルブルグ城の駐車場・・・奥はワインの販売所だったが -
イチオシ
(2009年4月の旅行記に以下のようにある)
<Schloss Hallburgハルブルグ城> 9:50~10:05
D-97332 Volkach 、Schloss Hallburg Nr. 5
Im Herzen der Mainschleifeマインシュライフェの中心にあるハルブルグ城はその昔はケルト人の砦があったという。凡そ1000年の歴史のある塔。Grafen von Schoenbornシェーンボルン伯の領地であったと云われている。
カスターニアン(マロニエ)の大木の連なる並木道を通って、高台に上がると数台の車が駐車している。
ワインレストランとロマンチックな庭園があり、あたり一帯は広いブドウ畑である。そこから作ったワインの直売所も狩猟の館に置かれていた。夏シーズンの夕べには、ジャズのフェスティバルが庭園で行われるのだという。
マイン川の眺めは木々が成長したことで良く見えなかったのが心残りで、晴れた日に一帯の風景を見てみたかった。
写真はハルブルグ城を見上げて -
≪Oberfrankenオーバーフランケン地方≫
オーバーフランケンはバイエルン州の北東部に位置する地域で、バイエルン州に7つある行政管区の一つ。ザクセン州、テューリンゲン州、ウンターフランケン行政管区、ミッテルフランケン行政管区およびオーバープファルツ行政管区と境界を接する。また、チェコとの国境にも接している。
オーバーフランケンにはヨーロッパで三番目の規模を持つ工業地域がある。ドイツでも重要な繊維産業、ドイツのセラミック産業(家庭用陶磁器、業務用陶磁器、技術用セラミック)、ドイツの布張り・革張り家具の中心地となっている。
・・・・・
写真はフランケンのスイス地方のMap -
短い滞在でハールブルク城を出る。ナビはA3を利用せず、B22を選択したので、それに沿って走った。Schwarzzachシュバルツザッハ、Prichsenstadtプリッヒゼンシュタット、Burgebrachブルゲブラッハと過ぎると、何やら見た風景に気付いた。
オーバーフランケンで知られたPommersfeldenポンメルスフェルデンのSchloss Weissensteinヴァイセンシュタイン宮殿(白い宮殿)である。
写真はSchloss Weissensteinヴァイセンシュタイン宮殿(白い宮殿) -
今回、宮殿の中庭に入ると、既に古城ホテルもレストランも無かった。
宮殿のHPによると、改装の為とあるが、手入れも行き届かいない様子に昔日の感がある。この日はただ通りかかったもので、一寸のぞいて見たが、宮殿の見物客はそれなりにあった。
ヴァイセンシュタイン宮殿はマインツ選帝侯やバンベルクの大司教であったLothar Franz von Schoenbornローター・フランツ・シェーンボルン伯が建てたもので、1711年から18年にかけて建造され、300年の歴史をもったバロック様式の夏の宮殿である。
この宮殿の主は比類なき芸術の愛好家・パトロンとして、今日に見ることのできるバロック様式の宮殿・公園や城内の室内・装飾などに、素晴らしいものを残している。伯爵が私的に蒐集した芸術作品はルーベンス・ヴァン‐ダイク、イタリアの画家たちを中心に多岐にわたり、その展示するギャラリーは大きなものである。その他には正面の階段、アポロの天井画、ルネッサンスの部屋、ロココの部屋、大理石の部屋など、見るべきものは多い。
お煎餅で休憩(11:20~11:50)をとった。
写真はSchloss Weissensteinヴァイセンシュタイン宮殿(白い宮殿) -
写真はヴァイセンシュタイン宮殿(白い宮殿)・俯瞰
左中央にレストラン棟、中央凹んだ建物はホテル棟、上のコの字型の建物が宮殿(美術館・博物館) -
(2009年4月19日(日)に1泊)
<Schlosshotel Pommersfelden古城ホテル ポンメルスフェルデン>
D-96178 Pommelsfelden 、Schloss Weissenstein 1
http://www.schoenborn.de/weissenstein.html
65号室(3階・Marstall) Euro 82 ;全70室・?星。
バンベルクから南下し、Pommersfeldenポンメルスフェルデンに夕方に到着した。村外れにその雄大な宮殿Schloss Weissensteinヴァイセンシュタイン宮殿(白い宮殿)の姿が出現した。
この時、1泊したSchlosshotel Pommersfelden古城ホテル ポンメルスフェルデンはヴァイセンシュタイン宮殿のMarstall厩舎や管理棟などを30年前にモダンなホテルに改装したもので、宮殿に対面した大きな建物でした。
ヴァイセンシュタイン宮殿(白い宮殿)はBambergバンベルクより南に20km、Nuernbergニュルンベルクから北に50km。Wuerzburgヴュルツブルクから東に80kmの距離にある。
現在は美術館・博物館(4月~10月、毎日10時から17時まで開館)となっている。ワインの醸造なども行っていて、18日に訪れたVolkachのSchloss Hallbergも同系列である。
・・・・・
写真はSchloss Weissensteinヴァイセンシュタイン宮殿(白い宮殿)・・・かつてのホテル棟 -
イチオシ
ポンメルスフェルデンから、Hoechstadt-Ostヘッヘシュタットを通り、B470に入ると、 Forchheimフォルヒハイムになる。フランケンのスイス地方の西の玄関口・1200年の歴史を誇るForchheimフォルヒハイムの町は古い王都であり、「フレンキシェ・シュヴァイツの表門」を称している。見るべき所も多いのだが、今日は通過するだけだ。
フォルヒハイムを抜けると走る車も少なく、Ebermannstadtエバーマンシュタット、Heiligenstadtハイリゲンシュタットと気楽に走る。Schloss Greifensteinグライフェンシュタイン城には一時間ほどで着いた。
前にも写真を撮った製材場から今回も撮ってみたが、ドイツの英雄グラーフ・クラウス・シェンク・シュタウフェンベルク伯爵の叔父の古城が青空に映えて見えた。さて、ここはフランケンのスイス地方になる。
写真は途中の製材所から写したグライフェンシュタイン城 -
<Fraenkische Schweizフランケン・スイス地方>
フレンキッシェ・シュヴァイツは南がNuernbergニュルンベルク・西にBambergバンベルク・東はBayreuthバイロイト・そして北のマイン川上流の渓谷の間にある、緑豊かな、美しい高原地帯である。
文字通り「フランケン地方のスイス」と呼ばれ、低い山の連なる丘陵(標高300mから600mほどの山や丘陵が連なる地域)には時には切り立った断崖をもった岩山や渓谷も多く、起伏に富んだ地形になっているので、スイスに重ね合わせてこう呼んでいる。
ザクジシェ・シュヴァイツ、メルキシェ・シュヴァイツ、メクレンブルギシェ・シュヴァイツ、ホルシュタイニシェ・シュヴァイツなど、「Schweiz シュヴァイツ(スイス)」は19世紀のドイツの人々が、山、谷、岩に富んだ場所に対して好んで用いたと云う。
この風景を好んだドイツ人は「ドイツ魂の隠れ家」と呼び、当時から保養の地としてきた。またニュルンベルク、バンベルク、バイロイトと古都に囲まれ、歴史的価値のある古城を有した美しい町々が点在している。
この地域の典型的なビールはDunkels Bierドゥンケル・ビール(麦芽を煙で燻して作る)である。フレンキッシェ・シュヴァイツには約70のビール醸造所があり、世界で最も醸造所密度が高い地域と言われている。
因みに世界で最も醸造所密度の高い市町村として、ギネスブックにAufsessアウフゼス(明日訪れる予定だ)が挙げられている。約1,500人の村民に対して、4つの醸造所がある。
写真はグライフェンシュタイン城見学の子供たち -
≪Die Burgenstrasseブルゲンシュトラッセ・古城街道≫
ドイツの観光街道の一つ、古城街道は創設以来の60周年を2014年3月に迎えた。
中世からの歴史あふれる城はそれぞれの古城・館・宮殿がその魅力的な風景を現在も保っている。興味深い古城街道の道標が立つ道は行程凡そ1000kmで、マンハイムからチェコのプラハまで変化に富んでいる街道である。
この街道はNeckartalネッカー渓谷をネッカー川に沿って進み、Odenwaldオーデンの森を過ぎ、Hohenloherlandホーエンローハーラント平野や起伏のあるFrankenhoeheフランケン高原を通り、そしてFraenkische Schweizフレンキシェ・シュヴァイツから、フランケン地方の北端へと続いている。さらにFichtelgebirgeフィヒテル山地、チェコのKaiserwaldカイザーヴァルトと変化に富んだ風景を縫って進む。
写真はグライフェンシュタイン城の城門前で -
過去に何度も訪れたネッカー渓谷沿いには多くの中世からの魅力的な城や館がある。即ち、ハイデルベルクの城、ホルンベルク城やグッテンベルク城がとりわけネッカー川沿いの城として知られている。其の他にもエーベルバッハ城、ヒルシュホルン城、エスリンガー城、シュトルツェネック城、ミンネブルク城、レムゼック城、ヴァイラー城、ディルスベルク城、ノイブルク城、ハインスハイム城、ホークハイム城、リーベンシュタイン城、ツヴィンゲンブルク城と数々の城が流域に残り、観光客を迎えている。
また、Romantisches Frankenロマンチック・フランケンと称される地域には代表的な中世の町ローテンブルク、アンスバッハ宮殿、1000年の歴史をもつアーベンベルク城、ロートのラーティボア城、ニュルンベルクのカイザーベルク城を見ることができる。
そして訪れるFraenkische Schweizフレンキッシェ・シュヴァイツ地域には数々の古城が残る。それはエグロフシュタイン城、ゲースヴァインシュタイン城、ラーベンシュタイン城、ポッテンシュタイン城、アゥフゼース上・下城、グライフェンシュタイン城などである。
更にはバンベルクのレジデンス、コーブルクの大要塞、カレンベルク宮殿、クローナハのローゼンべルク要塞、クルムバッハのプラッセンブルク城、バイロイトの宮殿があり、興趣ある古城街道が整備されている。
・・・・・
写真はグライフェンシュタイン城の本丸に向かう -
<Die Burgenstrasse古城街道 ・Fraenkische Schweizの古城群①>
ForchheimフォルヒハイムのKaiserpfalz-Die Pfalz皇帝の宮廷・王宮博物館、
Schloss Wiesenthau古城ホテル ヴィーゼンタウ城、
Burg Feuerstein フォイヤーシュタイン城(現在YHになっている)、
Ruine Neideckナイデック城趾、
Schloss Greifensteinグライフェンシュタイン城
写真はグライフェンシュタイン城:17世紀のSchlosskapelle城内礼拝堂 -
<Schloss Greifensteinグライフェンシュタイン城> 13:15~15:00
D- 91332 Heiligenstadt i.OFr. 、Schloss Greifenstein 2a
http://schloss-greifenstein.de/
城内見学:5月1日~10月31日は毎日、午前(9時~11時15分)、午後(13時半~16時45分)、ガイド付き約45分、Euro5.5X2=11、ガイドにチップEuro2、トイレ代Euro1。
レストラン:Burgklauseブルククラウゼがある。
2009年の春に訪れたが、改装中で入れなかった。今日は再訪である。
大木となったLindenallee リンデンアレー、菩提樹の素晴らしい道が長々と続き、この道をまっすぐに行くと城門に至る。
この300年を越える歴史を持つGrafen von Stauffenbergシュタウフェンベルク伯爵家の城は、現在も城主家族が住んでいる。
写真はグライフェンシュタイン城:Waffenkammer武器の間 -
城の起源ははっきりしない。1172年、城と共にSchluesselbergeシュルッセルベルガー系のEberhard de Grifensteinエバーハルト・ド・グリフェンシュタインの名前が最初に文献に記されている。
16世紀に農民戦争で破壊されたが、再建された。城は最も場所の良い、岩壁上に建てられているが、バンベルグの司教領主に帰属した際、城は荒れ果てていたと云う。バンベルク司教領主Marquard Sebastian Schenk von Stauffenbergマルクヴァルト・ゼバスティアン・シェンク・フォン・シュタウフェンベルクは1691年グライフェンシュタイン城の大修理を3年で行い、バロック様式の城にした。
以来、シュタウフェンベルク家の城として、今日に至っている。
写真はSchloss Greifensteinグライフェンシュタイン城:狩猟の獲物が飾られた廊下 -
城へは石橋があり、堀は深い。石橋を渡ると頑丈な城門が遮っている。
今日は先生方に引率された小学生の団体30名ぐらいの見学もあり、賑やかであった。幸い到着すると直ぐに13:30のガイド見学に10名ぐらいのドイツ人と共に入る事になった。
タバコ好きと思われるお婆さんのガイドは城内に掲げた絵に似ていたから、一族の者なのだろう。その声はガラガラ声で説明もよく分からない。城内は残念ながら撮影禁止で、もう見て回った順番も定かでないが、城内などを見て回ることができた。
大広間には家系を示す紋章と共に、世に知られるほど大変な数が収集された武器類は雑然と展示されていて、中には見たことのない武器もあった。
クラウス・シェンケ・フォン・シュタウフェンベルグ大佐の胸像もあった。17世紀の城内礼拝堂、中庭には92mの深い井戸(1691年)、ここではコップの水を井戸に投げ入れて水音をきかせた。
塔内の螺旋階段を上がり2階に行くと、狩猟の獲物が並ぶ廊下がすごい。祖先の間と思われる部屋には歴代の城主たちの死亡年を表記し、各自の使用した紋章が掲げられ、その家系の長い歴史を見せつけられた。
城主の執務室、さらには5500冊の古書がある図書室には驚かされた。
写真はグライフェンシュタイン城:ドイツの英雄クラウス・シェンケ・フォン・シュタウフェンベルグ大佐の胸像 -
イチオシ
ここのHP(2009年当時に)を読んでいると、von dort stammte uebrigens der Hitler-Attentaeter Graf Schenke von Stauffenbergとあった。
訳してみると、「ついでの話だが、ここの一門からヒトラー暗殺未遂者のClaus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵(グライフェンシュタイン城主の甥にあたる)が出ている」・・・と書かれていた。
日本でも上映された、ハリウッド映画【Valkyrie(英語)ワルキューレ】の主人公・ドイツ軍大佐クラウス・フォン・シュタウフェンベルグの名前である。
映画の題名はトム・クルーズが演じたクラウス・シェンケ・フォン・シュタウフェンベルグ大佐が第二次大戦末期、ヒトラー暗殺未遂事件の実行者の一人となった歴史的実話に基づいたものである。この事については旅行記でも何度か書いてきた。
写真はグライフェンシュタイン城:大木となったLindenallee リンデンアレー、菩提樹の素晴らしい道・・・真っすぐ行くと城になる。 -
HPの後書きにはグライフェンシュタイン城は「博物館ではない」という共通の理解のもとで、1000年という長い歴史を生きてきた証人としての姿や、フランケンのスイスの古城、風光明媚でロマンチックな城郭をお見せしているものだと書かれていた。わざわざ書く所がドイツ人だなと思った。
写真は2009年4月に撮ったグライフェンシュタイン城からみたLindenallee リンデンアレー(菩提樹の道)・・・まだ芽吹きしてから間もない感じだ -
15:00、グライフェンシュタイン城を走り出て、元来た道を戻る。
これも2月には予約済みだったHotel Feilerホテル ファイラー閉業の影響だ。つまり、ここから近いMuggendorf/Wiesenttalムッゲンドルフ・ヴィーゼンタルのHotel Restaurant Feilerホテル&レストラン ファイラーがなんと倒産したと言う。お気に入りのホテル(1泊)が急な閉業となり、慌てました。
Booking.comで予約していたのですが、偶々夕食の予約をしていなかったので、その旨伝えると閉業との連絡あり!日も迫っての5月2日から、代替えホテル探しになりました。5月12日という日で目的地近隣を探しましたが、依頼の度に予約不可の回答が続きました。こんな旅は珍しい。
5月の気候の良い時期はドイツも旅行する方々も多いようで、漸く7つ目の依頼で予約が取れました。
ということで、行程の変更となったから、同じ道を何度か走らざるを得ない事となった。Booking.comも閉業の事実を把握していなかったのも問題で、ファイラーの予約はまだ生きている形だったのでややこしくならぬように、直ぐに取り消した。
写真はグライフェンシュタイン城の秋景色・俯瞰 -
イチオシ
エバーマンシュタットを過ぎ、フォルヒハイムの手前で左折して、高原地帯に上がっていく。意外にナビが上手くいかず、目的地が見つからない。少し時間がかかったが、何とかSchloss Wiesenthau古城ホテル ヴィーゼンタウ城の看板を見つけて、城内に入った。
城内は結婚式のパーティがあって、スタッフ達も多忙の様子だ。着飾った人たちが歓談しているので、城内を見て回るのもスタッフにOKをもらって見た。
写真はSchloss Wiesenthau古城ホテル ヴィーゼンタウ城の正面 -
<Schloss Wiesenthau古城ホテル ヴィーゼンタウ城>
D-91369 Wiesenthau 、Schlossplatz 1
http://www.schloss-wiesenthau.de/
3星・全12室。フォルヒハイムから数km、フランケン・スイス地方の真中にある小さな古城ホテル ヴィーゼンタウ城は絵画的に美しい丘陵に囲まれた草原と牧草地の麓に立っている。
人口1700人の村はWalberlaヴァルベルラの丘(514m)近くに位置する。
写真は古城ホテル ヴィーゼンタウ城の中庭 -
かつてのヴィーゼンタウ城は1379年に初めて築城された。
Husittenkriegeフス戦争の1430年、Bauernkrieg農民戦争の1525年の二度にわたり、城は徹底的に破壊された。
その後、Freiherrn von und zu Wiesenthauヴィーゼンタウ男爵が再建し、ルネサンス様式の城館となった。
この城の城主は1814年にその一族が死に絶えるまで続いた。
1985 年から 1992 年までかけて、修復を行い、現在の古城ホテルに生まれ変わった。
写真は古城ホテル ヴィーゼンタウ城の中庭 -
写真は古城ホテル ヴィーゼンタウ城の城内
-
<お茶:古城ホテル ヴィーゼンタウ城のレストランで>
16:10~16:50 Euro18(2,412円)
珍しい抹茶入りチーズケーキ、コーヒーを注文し、この地域にある日本料理店に4ヶ月勤務した事があると言うスタッフと雑談しながら、お茶をした。
彼が作ったと言う日本語メニューは良くできていたが、多分抹茶入りチーズケーキにも関与したのだろう。(まー、普通のチーズケーキの方が良かった!)
今回、ホテル&レストラン ファイラーが閉業したと知り、急遽問い合わせしたが、ヴィーゼンタウ城は結婚式の客で全室予約が入っていたようだ。
私の様な古城ホテル好きは別としても、日本人が宿泊することがあるのだろうか?
日本語メニューが生きるのを祈ろう。
写真は古城ホテル ヴィーゼンタウ城のレストランで -
本時の宿泊先はここから11km南に走る。Regensbergレーゲンスベルクの高台にあるリゾート風Berg-Gasthof Hoetzeleinベルク・ガストホフ ヘルツェラインには17:10到着。
嬉しいことにホテルのオーナー自身が出迎えた事だ。彼にトランクを運んでいただいたので、チップを用意したら、私オーナーだからとやんわり固辞された。
写真はレーゲンスベルクの高台に立つBerg-Gasthof Hoetzeleinベルク・ガストホフ ヘルツェライン -
案内された部屋はベランダ付きで、素晴らし景観が眼下に見える。ホテル ファイラーでトラブって、やむなくこちらに来た事を簡単に忘れさせてくれた。
18時から20分ほど夕立があり、一気に涼しくなった。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン -
<③2018年5月12日(土)1泊
Berg-Gasthof Hoetzeleinベルク・ガストホフ ヘルツェライン>
D-91358 Kunreuth 、Regensberg 10
TEL: 49(0)9199-8090
https://www.berg-gasthof.de/ info@berg-gasthof.de
3星・全31室。3階204号はバルコニー付き、お値段は地域性もあるのかEuro106+Kurtax10=116とリーズナブルなもの(朝食込み、15,520円:Booking.com経由支払い済み、尚、Booking.comの予約では「宿泊料金の決済はBooking.comが代行し、現地で夕食などオプションを利用する場合はカードまたは現金でお支払いください」との事だ)。
水はガス入りの0.7L1本がサービスされていた。スリッパ無し、浴用ガウンはレセプションに申請する。
14時チェックイン、7時~10時半チェックアウト。夕食は19時予約済み。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:3階204号はバルコニー付き -
この時期の名物はHausenハウゼン産のシュパーゲル料理であると云う郷土料理を主体とするレストランは、テラスレストランを中心に、
Bilderstube絵画の間、
Bauernstubeお百姓の間、
Ofenstube暖炉の間、
Hochzeitsstube結婚式の間、
Muehlwinkel水車小屋
といった名前の様々なレストランがあり、展望の良いもの、小人数の集まりなどの其々の用途で使い勝手が良さそうだ。予想以上に規模も大きいホテルでした。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:3階204号の室内 -
ベルク・ガストホフ ヘルツェラインからはすばらしい眺望を得るとHPにあったが、通された204号室は文字通り、広いバルコニーからのパノラマの景観は見事だ。このような場所でのんびりと滞在するのが、ドイツ的には理想なのだろう。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:3階204号のバルコニー -
Kunreuthクンロイトの町(人口1,409人)は4集落からなり、Ermreusエルムロイス、クンロイト、Weingartsヴァインガルツ、Regensbergレーゲンスベルクである。
ホテルのあるレーゲンスベルクは人口約50人。この集落にはBurgruine Regensbergレーゲンスベルク城趾とその付属礼拝堂(ホテルの結婚式はここで)が遺る。
ホテルからWalberlaヴァルベルラの丘(伝統あるヴァルベルラ祭りは5月4日~6日)まで 8 km、ニュルンベルク空港には 21 kmの距離にある。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:3階204号はバルコニー付き -
イチオシ
<クンロイトとレーゲンスベルクの城の歴史>
クンロイトは1109年に、バンベルクの聖ヤーコプ神学校領の設立書で "Chuesru't"として初めて言及されている。レーゲンスベルクの城は1251年からバンベルク司教のレーエンであったことが解っている。
14世紀にエグロフシュタインの領主により建設されたクンロイトの水城も、1412年以降、やはりバンベルク司教のレーエンとなった。
1426年、クンロイトの教会が建設されたが、1553年の第二次辺境伯戦争ではブランデンブルク・クルムバッハ辺境伯アルブレヒト・アルキビアデスによって村も城も教会も破壊されてしまった。
1560年、エグロフシュタインの領主がプロテスタントの教区を設立したことをきっかけにクンロイトはプロテスタント化した。
1700年、クンロイトはバンベルクの支配から解放され、クンロイト城はフランケンの神聖ローマ帝国騎士領のカントン(地方行政区分)官房所在地となった。
1805年にクンロイトはバイエルン領となったが、1845年まではエグロフシュタイン男爵あるいは伯の世襲領主権が存続していた。
・・・・・
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:3階204号はバルコニーから見たヴァインガルツの集落 -
<夕食:ベルク・ガストホフ ヘルツェラインのテラスレストラン>
19:00~20:30 Euro30(3,984円)
予約済みの席は窓際に設けられていた。
郷土料理を主体とするレストランは様々なものがあるが、ここは丘の傾斜地を利用して駐車場(地下3階)の上に増築されたレストランで、前面は遮るものはなく、しかも全面ガラス戸で下界!が眺望できる。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインのテラスレストラン -
Kunreuthクンロイトの町に属するWeingartsヴァインガルツの集落が緑の風景の中に、礼拝堂や家々が印象的な茶色の屋根を並べている。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインのテラスレストランからヴァインガルツの集落が見える -
さて、まず私は地ビールBier Friedmannビアー・フリードマン0.5L(Euro3.2)を飲む。
家内は小さめの地ビールKleine Wocheクライネ・ヴォッヘ0.3L(Euro1.8)を頼んだ。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインのテラスレストラン:ビールとシュパーゲルのスープ -
家内はさっき食べた抹茶入りチーズケーキが少しお腹にもたれていると言って、Gulaschsuppeグラッシュスープ(ハンガリーの「グヤーシュ」が原型で、ドイツのシチュー料理:Euro5.4)のみを頼む。
私の方は普通にSpargerlcremsuppeシュパーゲルスープ(Euro4.3)を頂き、メインも今日のお勧めらしい*Gaensekeuleガチョウの足(Euro13.8)を食べた。やはり近くの席のお客もこれを注文していたから人気があるようだ。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインのテラスレストラン:グラッシュスープ -
パリパリした皮が美味い、しっかり味がしみ込んだガチョウの料理は付け合わせにRotkohlロートコール(赤キャベツ)、Knoedelクネーデル(じゃがいも団子)が付く。
クネーデルは食感がちょっと苦手だが、郷土料理を主とするレストランだけにこの料理は美味かった。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインのテラスレストラン:ガチョウの料理 -
*<ドイツのSt. Martin Festザンクト・マルティン祭11 月 11 日>
ドイツのラインランドではガチョウの丸焼きにじゃがいも団子と赤キャベツを添えたものをこの日に食べます。
クリスマスの前のMartinstag ザンクト・マルティンの日、つまち11月11日、子供たちが手作りのランタンにロウソクを灯しザンクト・マルティンの歌を歌いながら行進します。国や地域により違いがあるが、子供たちは紙製の黒いマントや兵士の衣装を着ています。
聖マルティンは西暦316年11月11日ハンガリーに生まれ、若くしてローマ軍の軍人になりました。
ある日、寒さに震えている乞食に出会い、剣でマントを二つに切って、半分を乞食にあたえたと云う伝説があり、この故事にならったものでしょう。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:ドイツのザンクト・マルティン祭・El_Grecoエル・グレコ作ザンクト・マルティン -
マルティンは軍隊を出てキリスト教の洗礼を受け、困っている人を助けようと思ったのでしょう。
後にマルティンはキリスト教の司教に任命されたのですが、控えめな性格だったので、自分は司教にはふさわしくないと思い、ガチョウ小屋に身を隠したそうです。
ところがガチョウが騒いだため、町の人が彼を見つけ、新しい司教になってもらったとか。
ザンクト・マルティン祭の時にガチョウ料理を食べる習慣は、ガチョウ小屋とマルティンとのエピソードが基になったようです。
・・・・・
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェライン:ドイツのSt.Maritn Festザンクト・マルティン祭(11月11日)子供たちの行進 -
おまけ:
Karikaturカリカチュアとは、人物の性格や特徴を際立たせるために(しばしばグロテスクな)誇張や歪曲を施した人物画のことと云う。
滑稽や風刺の効果を狙って描かれるため、現在ではしばしば戯画、漫画、風刺画などと訳されまた同一視される(Wiki)。
写真はベルク・ガストホフ ヘルツェラインに置かれていたものをいただいてきたもの:
Christa ・・・komm mal Die Waage ablesen・・・
Ich glaub , Die Katze hat schon wieder zugenommen・・・
クリスタ! ちょっと来て、体重計を見てくれない!・・・
この猫、きっとまた体重が増えたと思うよ!(拙訳)
・・・・
(2018.06.17.)
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この旅行記へのコメント (4)
-
- frau.himmelさん 2018/06/24 23:12:46
- ご無沙汰しています
- jijidarumaさん、こんばんは。
jjidarumaさんと入れ替わりでドイツ含むヨーロッパに行っておりまして、10日ほど前に帰ってまいりました。
今回は、フランケン地方にいらっしゃったのですね。と言っても私が行くメジャーなフランケン地方とは違って、やはり私には行けそうもないところばかり。
シュタウフェン大佐のゆかりの城、グライフェンシュタイン城は興味を魅かれました。城のHPに
「・・ついでの話だが・・・ この一門からヒトラー暗殺のシュタウフェンベルク伯爵が出ている・・・」とさりげなく紹介してあるところが面白いですね。
ドイツの正義、シュタウフェンベルク大佐が一門から出ているとなったら、もっと大々的に宣伝してもいいのにと、いたって平民の私はそう思いますけどね。
ここずっと4トラベルはご無沙汰していましたので、またゆっくり旅行記の方へお邪魔させていただきます。
himmel
- jijidarumaさん からの返信 2018/06/24 23:36:42
- Re: ご無沙汰しています
- himmelさん、
お帰りなさい。
またお仲間とお出かけと思っておりました。
きっと色々と楽しまれて、収穫も多かったことでしょう。
私の方は相変わらず、狭い町々、古城巡りが主体で変化なく、
9年前に行った場所の栄枯盛衰の姿も見てきました。
当時の写真を並べてみて、私共も老いたものだと思ったり
しながらの旅でした。
自分の旅行記(4Tra掲載分は未だ3日目)も漸く8日目に入りました。
帰って一月ですが、なかなか進みません。
それでは落ち着いた所で、また旅行記を楽しませてください。
jijidaruma
-
- Rolleiguyさん 2018/06/17 23:22:22
- フランケン地方の城
- jijidarumaさん
また美しいフランケン地方の城巡りを楽しく拝見しました。どの城も、周辺の景色も美しく、まだまだ訪れたい小さな町や村があるなと改めて思いました。中でも、特に驚いたのはヴァイセンシュタイン城のことです。ここがシェーンボルン侯の居城だったのですか。実は、私がウィーンで仕事をしていたときに、オフィスを移転する必要が生じ、探すうちにパレ・シェーンボルンというウィーン市の中心部にある物件を紹介されました。文字通り宮殿で、ここをオフィスにすればびっくりしない人はいないだろうと思いました。2階全体で手の届かない家賃ではなかったので、相当その気になったのですが、宮殿を支店にすることへの遠慮や躊躇もあって、残念ながら見送りました。この宮殿は、正にシェーンボルン家のフリードリッヒが、帝国の副首相に任じられてウィーンに来たときに、購入したものです。設計は、有名な建築家のフィッシャー・フォン・エアラッハで、1706年に完成しています。
思わぬところでフランケンとの接点がありおどろきました。下記に城の案内があります。
http://www.viennatouristguide.at/Palais/stadtpalais/schoenborn_batthyany.htm
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2018/06/18 17:41:13
- Re: フランケン地方の城
- Rolleiguyさん、
今日は、いつもありがとうございます。
シェーンボルン侯とヴァイセンシュタイン城がお目に留まった由、
シェーンボルン家という当時大変力のあった家系、この家系の末が
こうして先祖の残した宮殿を大事に残しているのもすごいですね。
さて、ご紹介のパレ・シェーンボルンHPも拝見し、あらためて
Fuerstbischof Friedrich Karl Reichsgraf von Schoenborn-Buchheim
のWikiを見てみました。ウィーンのような大都会では宮殿建築も
多く、同地を訪れた時に見ていたのか定かではありませんが、
これもすごく立派で、華麗な宮殿、正に文化財ですね。
Prunktreppe im Palais 階段を上り下りする気分はどんなものでしょう。
ここに会社の事務所を置かれるには、相当勇気がいった事でしょうね。
値段はOK、従業員も名誉と思ったでしょうし、お客の信用も間違いなく
あがったのでは・・・。
ただ、日本人的には「宮殿を支店にすることへの遠慮や躊躇」はよくわかり、
アメリカのロックフェラー・センターに事務所を持つ事とは違って、
見送られた事は、私も納得です。
フランケンの城巡りはまだ続きます。
それではまた。
jijidaruma
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