2017/05/02 - 2017/05/08
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ウェンディさん
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2017年のゴールデンウィークに御年73歳になる母と共にウズベキスタンの碧い都市を歩いてきました。
ウズベク語もロシア語も全く分からない母娘の二人旅。
私たちの旅は、ウズベキスタンに到着2時間後の寝台夜行列車への乗車に始まり、オアシス都市ブハラの散策、キジムクル砂漠で遊牧民の移動式住居にキャンプ…と、とても73歳のばあちゃんを連れているとは思えないアクティブなスケジュール。
母も私も、毎晩宿に帰着すると2時間と起きてはいられないくらいに全力で旅を楽しみました。
そして今回の旅行記で紹介するのは、旅の5・6日目に滞在した青タイルの建築装飾が有名な町;サマルカンドで、町の代名詞でもある青色はサマルカンド・ブルーと呼ばれています。
母と二人、1日半をかけてサマルカンド・ブルーの青い街並みの中を歩きました。
種々の青が織りなす荘厳な廟・モスク・メドレセは感動的なほど美しく心を打つ光景でしたが、私の心を真に動かしたのは、モスクを訪れる方たちの真摯な祈りの場でした。
壁に沿って座り、低く落ち着いた声でイスラムの聖句を唱え、顔を覆う所作をする方々。
そこには他のイスラム教を信仰する国々に存在する男女差別(区別)は無く、老若男女が祈りを捧げる姿は今まで訪れたムスリムの国の中で一番の、心からの祈りの姿勢を感じました。
かつてウズベキスタンはソビエト連邦共和国に統合され、その支配下にあった時にはイスラムの祈りを捧げることもその習慣を取り入れることも、ウズベキスタン語を話すことも禁じられていたと聞きました。
ソ連の兵役についた若者は兵舎で出される豚肉(イスラムでは豚は禁忌)入りの食事を食べるしかなく、学校での授業は全てロシア語となり、子供たちはウズベク語を話すことができなくなり、約70年に渡ったソ連支配はウズベキスタン文化の継承を途切れさせてしまったそうです。
しかし、1991年の独立宣言以降に自身の文化を取り戻し、今では宗教の自由、言語の自由が憲法で保障されています。
そんな彼らが、モスクで捧げる真摯な祈り…
だからこそ、その祈りの光景は母と私の心に響いたのではないでしょうか。
☆★2017G.W. スタンの国へ行ってみよう♪母と娘で歩くシルクロード 旅程☆★
□5/2 成田09:25-11:50インチョン15:45-19:20タシュケント(大韓航空)
タシュケント駅22:05-寝台列車-05:55(+1)ブハラ駅
□5/3 ブハラ観光
□5/4 アイダクル湖・キジルクム砂漠への一泊二日ツアーへ
□5/5 キジルクム砂漠-サマルカンド
■5/6 サマルカンド観光
□5/7 サマルカンド観光
タシュケント21:20-
□5/8 07:35インチョン10:10-12:30成田(大韓航空)
☆★旅行記☆★
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺★甘い話には裏がある https://4travel.jp/travelogue/11351077
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ウズベキスタン旅の5日目はサマルカンドを味わう日。
宿で朝食を頂いた後は、サマルカンドで一番見てみたかった処;青の霊廟へと向かう。
初めて歩く街であるサマルカンド。
昨晩に少しだけ歩いてみたのだが、初めての土地は感覚をつかむまでが大変。
ブハラ同様に、やはり朝一番から道に迷ってしまった。
地図上の距離感と実際の距離が噛みあわずに、目指す場所だと思って入り込んだのはハズラティ・ヒルズ・モスク。
建物前の階段道では大勢の方が列を作っていたので、ついつい興味本位でその列に並んでしまったら、辿り着いた先は礼拝室。
イスラムでもないただの観光客がイスラムの正式礼拝へと紛れ込んでは失礼かと思い列から抜けようとしたら、司祭と思われる方が「ヤポーニャの人も一緒に祈っていきなさい」とおっしゃられ、信者の方と一緒に神への感謝を捧げることに。
ウズベキスタン式イスラムの正式礼拝に紛れ込んだのは、この時が初めて。
信者の方の所作を見よう見まねで真似て、お祈りを捧げてきた。ハズラティ ヒズル モスク 寺院・教会
-
そして、ハズラティ・ヒルズ・モスクから歩くこと15分で、本当の目的地である青の廟;シャーヒズィンダ廟群へと到着した。
現在のシャーヒズィンダ廟群はティムール一族の墓の集合体だが、この場所の歴史は古く、7世紀頃から巡礼の地としてウズベキスタンの国内だけではなく中央アジアの各国からの巡礼者が集まる場所だった。
この地が巡礼の地となったのは、1400年前の【生ける王 伝説】がその発端だ。 -
7世紀に中央アジア初となるイスラム教のモスクを建築したクサム・イブン・アッパースという人物がいたのだが、その彼が不幸にも敵対するゾグド人に襲われたのがシャーヒズィンダ廟群のあるこの場所。
賊は礼拝中のクサムを襲いその首を切り落としたのだが、クサムは首を切られてもその命を失うことなく自分の首を自身の胸に抱えたまま礼拝を続け、その後に静かに深い井戸の底へ降りて行った…と伝説は伝えている。
この話だけでも摩訶不思議な内容なのだが中央アジアにはこの伝説の続きが口承として残されていて、口承によれば、井戸の底へと下ったクサムは井戸の底で永遠に生き続け、イスラムの世界に危機が迫った時には再び救世主としてこの世に再び現れるという。 -
その伝説の場所に目を付けたのが、現在のウズベキスタンの祖であるアミール・ティムールで、ティムールは伝説の【生ける王】に肖り、クサムの廟の隣にティムール一族の廟(墓群):シャーヒズィンダ廟群を建設した。
その建設に使われたのがサマルカンド・ブルーと呼ばれる青い色素を用いたタイルで、何十種類もの青のグラデーションが荘厳なシャーヒズィンダ廟群ができあがった。
青が美しいサマルカンド・ブルー。
この青色は天然の産物では無く、その生みの親はアジアの東と西を結ぶ交流路であったシルクロードだ。 -
西から東へと伝えられたアラブのトルコ石。
東から西へ陶磁器としてやって来た中国のコバルト顔料。
この二つの色素が出会ったのが文明の交差点;サマルカンドで、その出会いが「東方の真珠」とも称されるサマルカンドの青色を作り上げた。 -
シャーヒズィンダ廟群にはティムールに縁のある人物の廟があるのだが、その中で青色が一番美しかったのが1372年に建てられたティムールの姪のシャーディムルク・アカ廟。
墓の内部が全て青のタイルで覆われ、墓所内へ足を一歩踏み入れるとそこはもう、サマルカンド・ブルーが制する世界。シャーヒズィンダ廟群 建造物
-
天井を見上げると二重の八芒星を中心とした美しい装飾。
星形の角の数である八という数字は旧約聖書では再生を意味する数字だが、イスラムでもは特別な意味を持つのだろうか。
イスラム教もキリスト教もそのルーツは旧約聖書なので、もしかしたらシンボル的には同じ意味を示すことも有るのかもしれない。 -
シャーディムルク・アカ廟で美しいのはタイルの色合いだけではなく、風通し窓の透かし模様も。
ソ連からの独立後に修復がなされているとはいえ、それは最低限の部分だけ。
600年前の職人の美へのこだわりが随所に現れていた。 -
シャーディムルク・アカ廟は女性を祀る場所なので、そのファザード装飾は幾何学模様よりも草花などが多く用いられていた。
-
シャーヒズィンダ廟群の奥へと進むと、そこにあるのは【死者の道】と呼ばれる回廊。
-
私が訪れた時間帯に【死者の道】を歩いていたのは巡礼の方たちだが、夜、生者が寝静まった頃にここを浮遊するのは、死者たちだ。
-
シャーヒズィンダ廟群の最奥にある場所。
そこは、この地を詣でる方々にとって最も重要な場所;【生ける王】伝説の主人公であるクサム・イブン・アッパースの墓所があり、この廟に3回詣でるとメッカ詣でと同じ効果があるという事だ。
写真右の建物がクサム・イブン・アッパース廟で、その入口のドアは【楽園の扉】と呼ばれ、巡礼者たちが長い列を作っていた。 -
廟の中には小部屋がいくつかありその中の一つにはクサムの墓石も有ったのだが、此処で目を引いたのは、やはり種々のサマルカンド・ブルーの天井装飾。
二重の八芒星の頂点からはアラビア紋様のタイルが降り注ぐように埋め込まれ、シャンデリアの光がその青を鈍く照らし出していた。 -
シャーヒズィンダ廟群には祀られた方が未だに判明していない廟も有り、写真の八角形の廟もその一つだ。
八芒星、八角廟…。
八という数字には、やはり何か特別な意味があるのかもしれない。 -
廟の複合体であるシャーヒズィンダ廟群。
どの廟を見ても絶妙な青の組み合わせが美しかったのだが、中にはティムールの妹を祀ったシリンベク・アカ廟のように黄色や赤のタイルが少しだけ用いられている廟もあった。 -
シリンベク・アカ廟の内部の天井装飾は、星が瞬く空に複雑に絡み合うラインのデザインで、他の廟では見ることの無かったデザインだ。
この天井装飾を見て浮かびあがってきたのは、血脈という単語。
血のつながりが重要であった当時の時代背景から、この模様が生まれてきた気がした。 -
コチラの廟では外壁のタイルに赤や黄色が多く使われ、他の廟とは雰囲気がかなり異なっていたのだが、その内部はがらんどう。
建築途中で放棄されてしまった建物なのかもしれない。 -
母と二人で、シャーヒズィンダ廟群の死者の道を往ったり来たり。
色々な角度から、サマルカンド・ブルーの色合いを愉しんだ。
もうそろそろ、出ようか…と言う頃に、巡礼に来ていたおばさま方に声をかけられた。
ウズベキスタンの方は写真を撮るのも撮られるのも大好きで、何故か日本人は大人気。 -
叔母様方のスマホで何枚か撮り、最後に私のカメラでも。
みんな、良い笑顔でしょ。 -
死者の道を歩き、現世の生者の世界へと戻る。
-
青の世界を堪能した後は死者の世界を離れて、歴史の舞台であった【アフラシャブの丘】へと向かう。
ガイドブックにはシャーヒズィンダ廟群からアフラシャブの丘までは徒歩15分との記載だったので歩いて向かう事したのだが、実際にかかった時間は約30分で、感覚的にはかなり遠く感じられた。
5月は日中の気温は30℃近く、空気は乾燥しているものの暑さはそれなりにあり、道は緩い登り坂。
暑い時期に母のような年代の方をアフラシャブの丘へと連れていくならば、タクシー利用が妥当なのかもしれない。
写真は、シャーヒズィンダ廟群の近くで参拝用の花を売る女性。
写真を撮って良い?と聞いたら、薔薇の花を一輪手に持ち、ポーズをとってくれた。 -
炎天下を30分歩いて辿り着いたアフラシャブの丘。
此処は現在のサマルカンドの市街地を眺める高台に当たる場所だ。
丘の上にあるのは、ボコボコとした土の塊と野原だけ。
こんな景色を見て何が面白いの?全然面白みがない!!!と思われるかもしれないが、この荒涼とした景色こそが母と私が見たかったもの。
アフラシャブの丘がある場所は、昔のサマルカンドの町であった場所。
紀元前3世紀頃から13世紀頃までの間、マラカンダ(サマルカンドの旧名)という町がこの丘の上にあった。 -
交易上の重要ポイントであったマラカンダの都市の名が歴史に登場するのはアレクサンダー大王(マケドニア王国)が東方遠征をした時が最初で、アレクサンダー大王はゾグド人が支配をしていたマラカンダを制圧し、マラカンダは一時的にはマケドニアの支配下に入った。
しかしアレクサンダー大王の崩御でマケドニア王国の力は弱体化し、マラカンダの実権は再びゾグド人へと戻り、ゾグド人はこの地にゾロアスター教の神殿を建築し、水道設備が一般家庭にまで整った当時としては画期的な都市を作り上げた。
今はただの土の塊にしか見えないこの場所には、7世紀には背の高い城壁に囲まれた貿易都市であるシルクロードのオアシスが存在していた。 -
だが、商才に長けたゾグド人の都市マラカンダにも運命の日がやって来た。
運命の日をもたらしたのは、東方の強力な騎馬民族;チンギス・ハーン。
宣戦布告も無く突然攻め入ってきたチンギス・ハーンは美しく整えられた町を踏みにじり、水道施設を破壊し、焼き払い、蹂躙されたマラカンダの町は誰も住む者のない死の町へと変わってしまった。
母と私が目にしたこの光景は、13世紀に焼け野原となり死の町へと変わってしまったマラカンダの姿。
この土の塊の中にゾロアスター教の神殿があり、水路がある街並みがあり、人々が生活していた家があったのだ。アフラシャブの丘 自然・景勝地
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そんな死の町であったマラカンダを不死鳥の如く復活させたのが、アミール・ティムール(写真)。
彼はこの旅行記の最初に紹介したサマルカンド・ブルーに輝く死者の町:シャーヒズィンダ廟群を作り上げた漢だ。
アミール・ティムールは建国の祖として現在でもウズベキスタンの英雄として子供たちの憧れの存在だが、実は彼はマラカンダの町を破壊しつくしたチンギス・ハーンの血脈の一人。
しかし、チンギス・ハーンとアミール・ティムールが決定的に異なったのは、ティムールがイスラム教に帰依していたことで、芸術にも造詣の深かったティムールはイスラムの理念を掲げた理想郷として、不死鳥の如く蘇る青のオアシス;サマルカンドを作り上げた。
それが、現在のサマルカンドだ。
(写真は、アミール・ティムールの肖像画/グリ・アミール廟にて撮影)アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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アフラシャブの丘の麓にはアフラシャブ博物館があり、マラカンダの遺跡から出土した壁画などが展示されていた。
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博物館の展示品の中でも必見なのが、ゾグド人の宮殿の壁を飾っていたフレスコ壁画で、王の行進の様子が描かれている。
描かれている人物には欧州系の顔をした人もいて、当時のマラカンダの町が多種の人種が集まる国際的な交易都市だったことが推測できる。アフラシャブ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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また宮殿の別の壁には中国風の絵も有り、シルクロードを伝ってやって来た文化の多様さを物語っていた。
-
博物館の外には、当時のゾグド人の隊商(キャラバン)が砂漠を渡る様子現したモニュメントも有った。
此処で、アフラシャブの丘への行き方についての情報を残しておきたい。
ガイドブックによると丘へ行くのに入場料は必要ない…と読める記述があるが、その表現は正確ではなく、アフラシャブ博物館の脇にある入場口から丘へと入る場合には、博物館の入場券を購入しなければならない。
しかし、無料でアフラシャブの丘へと行く方法もある。
それは、博物館が管理する敷地の外から大回りにアクセスする方法。
アフラシャブの丘自体はサマルカンドの丘陵地帯のごく一部だけなので、博物館の監視の方の目の届かない場所の茂みから丘へと上がってしまえば、多分入場料は払う必要はないのだろう。
入場料が必要ないアクセスポイントの一つの目安が、このキャラバンのモニュメント。
このモニュメントの後ろからならば、多少大回りとはなるが、アフラシャブの丘へと行くことができる。
ただ、丘陵地帯には案内板などは何もないので、どこにマラカンダの遺跡があるのかを知らない旅人が、その方向へと正確に歩くのはかなり難しいと思う。
アフラシャブ博物館とアフラシャブの丘の入場料は併せて29000スム;日本円で約450円。
私ならば、素直に入場券を買う方を選ぶ。 -
アフラシャブ博物館から歩いて更に15分。
私たちが次にやって来たのは、チュパン・アタの丘。
此処には、ある尊敬すべき人物に縁の物があり、ソレがあるのが、このイスラムの門の中。 -
門の中へと入り奥を覗くと見えてくるのが、この不思議な構造物。
この不思議な階段状の物がなんであるか分かるだろうか。
コレは六分儀の地下部分で、15世紀にアミール・ティムールの孫であるウルグベク王が作ったものだ。ウルグベク天文台跡 史跡・遺跡
-
ウルグベクは学者気質の王で中でも数字に非常に強く、彼は王としての職務の傍ら、この六分儀を使い天文を研究していたそうだ。
-
そして、何年もの観察結果からウルグベクは星図を作り、その結果をまとめた。
-
当時の技術力で星図を作ったという事だけでも大したものだと思うが、ウルグベクの真に凄いところは、天体観測の結果から1年の長さを正確に計算したところ。
現代に至るまで大勢の学者が1年の長さを綿密に計算してきたが、15世紀の段階でウルグベクほど正確に計算できた人はいなかったそうだ。
ウルグベクの計算した1年の長さは、365日6時間10分8秒。
この数字は現在の天文物理学者がコンピューターを利用してたたき出す数値と1分2秒しか違わない。
ウルグベクは数学・天文学者としてだけではなく芸術的な才能も高かったそうだ。
さらに国民思いの王で国民からの信頼も厚かったのだが、ウルグベクの人気を好ましく思わなかったのが、当時のイスラム指導部。
ウルグベクが力を持ちすぎるのを恐れた彼らは、ウルグベクの息子をそそのかし、父親殺しの犯人に仕立て上げた。
ウルグベクが亡くなったのは56歳。
多くの国民が悲しんだそうだ。 -
ウルグベク天文台の前の駐車場は、観光客相手の即席の市場(マーケット)になっていて、各家庭で作られたナン(ウズベキスタンのパン)が売られていた。
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私がマーケットの商品に見とれている間に母は旅行者の叔母様方にナンパされて、アイドル状態となっていた。
-
ウルグベク天文台を見た後は、サマルカンドの中心部へ戻り、ちょっと遅めのランチタイム。
この日は朝からずっと歩き通しだったので久々の休憩。
タシケント通りにあるレストランで昼食とした。
サラダ、野菜スープ、トマトスープ味の饂飩のラグマン、中央アジアの餃子のマンティと緑茶が、ランチの内容。
お茶以外は1人前をシェアしたのだが、思ったよりも量が多くて、完食するのに苦労した。
お代は二人で45000スム。
450000っていうと凄い支払額に思えるが、円に換算すれば700円位だ。 -
お腹が満ちたら、主婦の味方でもあるサマルカンド最大規模の市場;シヨブ・バザールへと向かう。
シヨブ・バザールへと来た理由は、ナッツと香辛料を購入するため。
中央アジアは木の実の産地なので、様々なナッツ、ドライフルーツがかなり格安で入手できる。
デザート代わりにあちこちのお店で味見をさせてもらい、塩味や甘さなどが好みのお店でグラム買いする。
何種類かを纏め買いをしたら、10種類ぐらいのナッツを適当に袋に入れたおまけをつけてくれた。
市場なのでディスカウント交渉できるが、グラム当たりの単価が下げる交渉よりも、アレも、コレも買うから、オマケをたくさんつけてね…と交渉する方が、最終的には美味しいものが沢山手に入るかも。シヨブ バザール 市場
-
市場は商品の種類によって販売エリアが分かれていて、パン売り場にはサマルカンド名物のサマルカンド・ナンが沢山。
-
ナンはウズベキスタンの人にとってはご飯みたいな存在で各地方ごとに形状や味つけが異なるナンが存在し、その中でもサマルカンド・ナンは全国のナンの中でもNo.1と言われている。
普通のプレーンのサマルカンド・ナンはこんな風なシンプルなデザインなのだが…。 -
市場に出ているサマルカンド・ナンにはこんな風にオシャレに模様が付けられているものが多い。
模様を付けると可愛いく、インスタ映えするからみんなが買ってくれる?
そんな理由からナンに模様が付けられている…なんて訳ではない。
店舗ごとにナンに個性的な模様を付けている理由は、ナンの差別化。 -
自分たちの自信作であるサマルカンド・ナン。
そのナンを味わってもらい、できればリピートしてほしい。
売り手の方たちはそんな風に思っている。
一方、消費者の立場から考えてみると、市場で購入したナンが予想外に美味しくて後日にもう一度購入したいと思っても、次に市場に行った時に同じお店が以前と同じ場所で営業している可能性は限りなく低く、100軒以上あるナン屋さんの中から自分が買ったお店を見つけ出すのは至難の業で、なかなか前と同じお店には辿り着けない。
そんな時に各店舗に独自のナンの模様があれば、それはお店を探す手掛かりにもなる。
だから、腕に自信があるナン屋さんほど、独創的なナンの模様で勝負をかけている。 -
コチラはドライフルーツの種類が多く、特に杏子が美味しかった屋台。
買い物をした後に、写真を撮って良い?と聞いたら、お兄さんはわざわざ屋台の前まで出てきてくれてくれた。
本当は、沢山のドライフルーツの写真が撮りたかったのだが、なぜかお兄さんがメインに。
まぁ、これもよい想い出だよね。 -
市場には日用品を扱うお店も有り、こちらは男性用の衣装を扱う店。
彼方此方で出会うおじいちゃんたちが被っていた素敵な帽子。
民族色豊かで可愛らしかったのだけど、私が購入しても使い道は無いので、ここでは見てるだけ。
でも、やっぱり記念に買えばよかったかな。 -
この日の夕食の食材も、市場で調達。
ウズベキスタンの食事は比較的日本人の味覚には馴染みがあるのだが、三食ともなるとやはり脂が多く、胃がお疲れ気味。
だから、ウズベキスタンでの最後2日間の夜は、胃を休めるために野菜をメインに。
ウズベキスタンのトマトは太陽の下で完熟してから収穫するので、とっても甘かった。 -
お惣菜やさんではキャベツやニンジンの酢漬けを入手して、夕食の野菜の調達は終了。
-
今回の旅は女子旅というスタンスなので、夕食後のデザートは欠かせない。
この日のデザートは、お爺ちゃんが市場の片隅で売っていたザクロ。
お爺ちゃんとの会話に英語は当然のように通じなかったが、身振り手振りで、今晩に食べれる熟したザクロを選んでねと伝える。 -
おじいさんは山盛りのザクロの中から、一番旬なものを一つ選んでくれて、ナイフ1つで食べやすいようにカッティングしてくれた。
-
この日はこのままサマルカンド市内の宿へと戻り、一回休憩とするつもりだったのだが、通り道沿いにあるサマルカンド・ペーパーのアンテナショップに立ち寄りたいという母の希望で、小さなパティオのある建物の中へ。
この建物は一部屋ごとに各分野のアーティストに部屋貸しをしていて、芸術的な作品を扱う店が多く入っていた。 -
母が立ち寄ったのは、コニギル・メロスという名前の紙すき工房が出すアンテナショップ。
ウズベキスタンまで行って、どうして紙すき屋さんへ…と疑問に思うかと思うが、サマルカンドはサマルカンド・ペーパーと呼ばれる上質な紙の生産地で、8世紀頃は中東での紙の生産地はサマルカンドのみだけだったそうだ。
現在でもサマルカンド・ペーパーの紙質の良さは世界が認めている。
この工房のショップで、ウズベキスタンの伝統的な模様がデザインされた手すきの紙を購入できた母は、ご機嫌。 -
宿に戻り、市場で購入したナッツや夕食の材料を置き一休みした後は、今晩のお楽しみ;
サマルカンドの観光と言えばマストであるレギスタン広場へと向かった。レギスタン広場 広場・公園
-
レギスタン広場には煌びやかな3つのメドレセ(神学校)があり、その中の1つにはイスラムでタブーとされる偶像タイルでデザインされている。
その有名な広場へ入るべく、チケット売り場に並んだ母と私。
チケット売り場は夕方のかき入れ時らしく大勢の観光客が並んでいて、更になにやらトラブルが発生している様子だった。シェルドル メドレセ 史跡・遺跡
-
これは暫く時間がかかりそう…だと待つ覚悟で列並んだのだが、そんな私たち二人に話しかかけてきたのが、制服を着た広場の警備員さん。
警備員さんは英語で親しげに話してきて、彼が言うには「今、トラぶっているので暫く列は動かない。こんなところで並んでいても時間の無駄。入場チケットは此処のチケットブースで買わなくても広場の中でも買えるから、入場後に買えばいい」と言って、正規の入口ではないロープがかかっている場所から、私たちを入場させてくれた。
素直な母娘である私達。
警備員さんの言葉に従って入場券は後で買う事にして、入場券を持たずに広場の中へと入ったのだが…、実は入場券をチケットブースで買わなくても良いといった彼は悪徳警備員で、私たちは奇妙なトラブルに巻き込まれることになってしまった。
そのお話は始めると長くなるので次回の旅行記で紹介したいが、ロシア支配の名残と思える様な汚職の話だ。
旅行者は【甘い話の背後には必ず裏がある】と言う事を忘れてはいけない…のだよね。
前の旅行記:砂漠のユルタでキャンプ
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続きの旅行記:Win-Win詐欺事件★悪徳警備員に気を付けろ!
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