2014/08/04 - 2014/08/04
124位(同エリア243件中)
ヤットコさん
ライン河とモーゼル河が交わる要衡の地コブレンツ。そのコブレンツの、さらに上流にあるブラウバッハまで、ケルンから列車で河沿いをさかのぼり、マルクスブルグ城を訪れました。
その後、コブレンツに戻り、ドイチェック・エック、エーレンブライトシュタイン城塞を駆け足で見学しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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8月4日(月)
今日からは、ケルンに別れを告げて、ライン・モーゼルの両川沿線の旅に出ます。
最後にもう一度、ケルン中心部を散策しました。DOMをぐるりと回り、ホーエンツォレルン橋の途中まで行きました。河に浮かぶ、ひっそりと出番を待つ観光船や河の流れを見て、まだ見ぬ上流のマインツやトーリアに想いを馳せる一方、ケルンを去る感傷に心を任せます。
橋の欄干は、鍵で埋め尽くされています。鍵をかけて残すのは、恋人たちだけの行為ではないのです。再訪を念じる気持ちが、ここに残された鍵に込められていると感じます。
ガイドブックには、そんなに多く見所はないと書いてあったケルンですが、そんなことはありません。じっくり三、四日滞在しないと、心ゆくまで街を味わうことはできませんね。
再訪する機会があればと思うことしきりです。
ホーエンツォレルン橋 建造物
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見納めのケルン中央駅。今回訪れることができなかったオーデコロンの老舗4711の宣伝がこんな所にもあります。妻が撮影した一枚です。私は妻の写真を見るまで気づきませんでした。
今日はゆっくりとした旅程です。9:53分にICEでケルン発、10:46にコブレンツ着。列車の乗り降りにも少し慣れてきました。その後、私鉄であるVIAS(DBで一括オンライン購入できる)の列車に乗り換え、右岸をブラウバッハ(Braubach)に向かいます。ブラウバッハ到着は11:06。それからマルクスブルグ城(Marksburg)を見学する予定です。ケルン中央駅 駅
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コブレンツでの乗り換えが8分しかありませんでした。それなのにICEが遅れて少し焦りましたが、何とか乗り換えることができブラウバッハに到着しました。今日はコブレンツ泊まりですが、荷物を全部持っての移動なので大変です。駅を降りてもコインロッカーがなく、重い荷物を引いてインフォメーションまで移動しました。
ここのインフォメーションは、無料で荷物は預かってくれます。自分たち以外の旅行者の荷物も置かれていました。日本語版の「ライン河ガイドブック」があったので購入し、いざ出発です。所要時間30分から40分の山道とのことなので、徒歩でマルクスブルグ城へ行くのには、軽装であることと、多少の気合いが必要です。
インフォメーションは14:00から1時間休憩すると注意されて、出発しました。マルクスブルク城 城・宮殿
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マルクスブルグ城へは、路地のような所を通っていくしかないようです。歩き始めて数分で、道を見失ってしまいました。
妻が、近くをのんびりと歩いている観光客らしい方に道を尋ね、そのアドバイスに従って山沿い向かいます。少し見晴らしの良いところから、振り返ると尖塔が見えました。
道沿いの家々も手入れが行き届いていて、美しい町並みを見せています。
観光客やハイキング客の姿はほとんどありません。ガイドブックによるとマルクスブルグ城は、13世紀前半に起源を持つ、中部ライン川流域で唯一破壊を免れた中世の姿を完全に残す城とあるのですが、なぜ、こんなに閑散としているのでしょうか。 -
ここから町筋を離れ、山道に入っていきます。
ヨーロッパの公園や歩道では、日本以上に糞に対する注意が必要ですね。いつも私に「下を見て、注意して歩いて!」と注意を繰り返す妻が撮った一枚です。 -
20分ほど山をハイキングし、マルクスブルグ城に近づいたと思ったら、広い駐車場がありました。日本の観光地の山城では、駐車場は山下にあって、そこから歩いたり、ロープーウウェイに乗ったりして、山上の城に登るのが多いのではないかと思うのですが、ここまで車でやってきて見学するのが一般的のようです。(便数も多くないですから)列車を利用する観光客は、あまり多くないのではないかと思いました。
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入場券は6ユーロ。見学客はそれなりに多いです。スタッフに日本語を話すおばあさんがいました。ライン川を見下ろす眺望は最高です。
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マルクスブルグ城は、領地の管理と通商路の保安を、主な任務にしています。この堡塁は1、30年戦争(1618〜1648、日本の江戸幕府初期)の前に作られたそうで、ライン川に向けられています。大砲の射程は1000?で、その範囲内に敵が侵入することを防いでいたそうです。
城に沿ったハーブ園を通り抜けて、城内に導かれます。
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調理をするための大きな壁付暖炉がある台所で、1974年に大々的に修復されたそうです。
文化財に対する感覚の違いだと思いますが、日本ではオリジナルそのままであることを重視し、できるかぎり手を加えてないことに価値を置いているのではないかと思います。だから修復の手が加わっていると、「残念ですが・・・修復を加えたのです。」という言い方をします。ですがこちらでは、「(昔のように使えるように、または、元の形が分かるように)こんなに修復を加えたんですよ。」というニュアンスで説明しているように感じます。が、どうでしょうか。
この部屋の壁の厚さは、3〜5?あり、また左側に備えられたグリルは、牛一頭がまるごと料理できる大きさだそうです。
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ここは、お城を見学する時には、必ず面白い説明をしてくれる場所です。どこだか、分かりますか?
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チャペルの天井には彩色が施されています。St. Mark (「マルコによる福音書」の筆者)に捧げられた絵なのでしょうか。
置かれた聖母像は15世紀のコピーだそうです。 -
識字率の低い時代では、描かれた絵画だけが情報源です。これらフラスコ画のストーリーを語り継ぐことが、一種の教育であったと思います。
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窓から望むライン川の上流。この少し先がボッパルトです。
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鉄格子で覆われた窓ごしに見るライン河。往時は、常に船の行き来に注意を払っていたのでしょうね。
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17世紀のワインセラーです。樽がたくさん並べてあります。この後、拷問の器具が置かれている部屋に案内されました。
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もとは兵器庫。マネキンに色々な時代の武装をさせた武具のコレクションは、非常にレアなものだそうです。(自慢らしい。)
紀元前600年から1500年代のものまでが歴史順に陳列されています。 -
城から出て、最後に門の一角の部屋に設けられた鍛冶場を案内されます。
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外にちょっとしたレストランがあったので、眺望を楽しみながら休憩しました。ビールのつまみはプレッツェル。
休憩していると、街角でこの城への行き方を教えてくれた御夫婦に再会しました。ご挨拶にと、日本から持参していた「柿の種」を一袋差し上げました。 -
街の食料品店。軒先のた果物の中にミラベル発見。日本ではお目にかかることのない果物です。8月中旬からのものらしいので、今回の旅程中に食べられるか心配していましたが、早速発見できて感激しました。
日本の果物で表現すると、「キンカン」のような感じです。そのまま食べてもよいのですが、ミラベルをいっぱい載せたタルトが最高においしい。ミラベル酒も造られます。 -
安い。少し買って数年ぶりの食感と味に感激しました。
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食料品店から少し来た所に、観光地には必ずあると言っても良い乗り物が、ひっそりと置かれています。月曜日はお休みのようです。週末は多くの観光客を乗せて走っていたのでしょうね。
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ここから向こうが、ブラウバッハの古い街になります。
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この町の広場です。昔ながらの風情が残っています。見上げると、そこにはマルクスブルグ城も望めます。こういう所でのんびりと過ごすのがヨーロッパの休日のスタイルなのでしょうね。
座っている人たちは、本当にくつろいでいる様子です。 -
日本のようなうっとうしい看板はありません。日本の観光地からも看板を追放してほしいものです。
15:00になり、インフォメーションが再開する時間なので、広場からインフォメーションに向かっていると、例の御夫婦に再会しました。何度もお会いする奇遇に驚き、再度再会を約束して別れました。
ところが、荷物を引いて駅に戻り、列車の時間を見ていると、車に乗ったその御夫婦が声をかけてくださって、コブレンツまで乗っていかないかと誘ってくださるではありませんか。空模様もおかしくなりかけていたので、お言葉に甘えてコブレンツまで乗せていただき(その途中に、大雨の時間帯がありました)、コブレンツ中心街のインフォメーションの傍で下ろしてもらいました。
すると、なんとそこは、本日の宿の前でした。びっくりして、「今日はここへ泊まるんだ。」と告げると、向こうのびっくりしていらっしゃいました。
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16:00なので、まだまだいろんな所を訪れることができます。マルクスブルグで時間をとってしまったので、コブレンツの市内観光は無理だと思っていましたが、本当に幸運です。荷物は宿に置き、軽装で早速ライン河沿いの道を歩き、ドイチェス・エックに向かいました。これは州政府が現在も使用しているとされる建物(Preußisches-Regierungsgebäude)です。外観しか見ることができません。外壁に趣があります。
選帝候の城 城・宮殿
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対岸に見えるエーレンブライトシュタイン城塞。ロープーウエイで行きます。
あの城壁の下あたりのどれかの家が、ベートーヴェンの母の家で、その血筋の方が記念館のようにした家の中を見学させてくださるという話を聞いてきたのですが、探す時間がないので、そこを訪れることは断念しました。
マザー・ベートーヴェン・ハウス
1975年にオープン。中部ライン博物館が管理し、入場は無料。
Mutter-Beethoven-Haus Wambachstr.
204 56077 Koblenz Telefon: 0261-129-2502エーレンブライトシュタイン城塞 史跡・遺跡
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ロープーウエイは、待ち時間もなく順次観光客を運びます。
ザイルバーン (ケーブルカー) その他の交通機関
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振り返るとドイチェス・エックが望めます。ライン河とモーゼル河の流れの色は、違う色です。水流が合流地点でぶつかり、徐々に一つの流れになっていくのが視覚的に捉えられます。
ザイルバーン (ケーブルカー) その他の交通機関
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塔があるのですが工事中です。最上階を作業の人が歩いているのが見えました。作業している人は、命綱をつけていない様子です。
エーレンブライトシュタイン城塞 史跡・遺跡
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エーレンブライトシュタイン城塞の案内図です。広大な敷地は州立博物館、ユースホステルとして利用されています。
日本にも広い敷地を誇っている城はありますが、比べものにならないほどの規模で、丘全体が要塞として築城されているようです。近代戦を想定した城塞・要塞を日本で見ることはないので、とても勉強になりました。日露戦争の時に日本が旅順要塞を攻めあぐねたということは聞き知っていましたが、ここではじめて要塞という建造物を実感できました。
予定した時間で全部を見学するのは無理なので、数カ所に限定して見学しました。私たちが見学したのはワイン造りに関する展示物のコーナーでしたが、それぞれの産地の土の展示や、香り成分の見本等、日本の博物館の展示方法と違いに、少しびっくりしました。 -
広い中庭があり、そこにはレストランや休憩施設があります。城塞内とはとうてい思えません。ライン河の展望台の方から、広場の向こうに州立博物館の建物を望む構図です。
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展望台からドイチェック・エックを見下ろしています。中央の河、上(西)から手前に流れ込んでいるのがモーゼル河です。この川をさかのぼっていくとトーリア、ルクセンブルグ、そしてフランスです。
ドイチェス エック 自然・景勝地
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1897年にヴィルヘルム二世によって、祖父ヴィルヘルム一世の像が建てられたのが、第二次世界大戦で破壊され、長くそのまま台座だけが残っていたところに1993年に再建されたものだすです。ところで、笑い話のようなことですが、今回現地で購入した日本語版「ライン河ガイドブック」の参考写真では、まだ台座が掲揚台として使われ旗が靡いている写真がまだ載っていた。
ドイチェス エック 自然・景勝地
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ロープーウエイでドイチェス・エックに戻り、その先端を散策しました。
ドイチェス エック 自然・景勝地
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その後、コブレンツの中心街に向かいました。旧イエズス会神学校(=市庁舎)の広場(Jesuitenplatz)には、立派な像がありますが、どんな人物なのかわかりませんでした。
日本に戻ってから調べてみると、彼は、J.P.ミュラーヨハネス・ペーター・ミュラー(Johannes Peter Müller)と言い、19世紀のドイツの生理学、解剖学者、医師。ベルリン大学教授。
医学、動物学の多方面にわたって、多くの業績を残す。高等動物の生殖器のミュラー管、扁形動物のミューラ幼生などに名前を残している。
また彼はプランクトン学の端緒を開き、ウニの発生の研究中、顕微鏡下に微細な生物(エルンスト・ヘッケルによりプランクトンと後に名づけられた)を見つけ、これを大量に採取するため、目の細かい絹の布き網を考案したひとであることのことです。 -
実は、探しているのはシェンゲル(Schangel brunnen)の像なのです。ミュラー像の奥手で発見しました。小さい像で拍子抜けです。
口から水を噴射する像だとガイドブックにありますが、写真を撮ろうとしてファインダーから覗いていたら、手ひどく水をかけられてしまいました。
この町の「ご当地ユルキャラ」というべきもので、お土産品、看板、ショーウインドウのマネキン、マンポールの絵柄など様々なバリエーションで描かれています。
シェンゲルの泉 建造物
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水を噴射している状態の時。なかなか水圧は強烈です。(体験談)
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市庁舎から東へ向かい、聖母教会リープ・フラウヘン(Lieb frauenkirche)などに隣接するブラン広場(Am Plan)へ向かいます。ワインを売っている店のショー・ウインドウです。この町ではラインとモーゼルのワインが飲み比べできるのです。
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中心部近くの路地。歴史的に由緒のあるところらしく解説のパネルとかがあるのですが理解不能でした。もう一度、行けと言われても行くこともできないと思います。奥に見えるのが教会の尖塔です。
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Münzplatz
(Münzplatz 56068 Koblenz)
シェンゲルだけの街ではありません。街の中心である広場には、こんなユーモラスな像も造られていました。
コイン・郵便に関係する像のようですが、詳細は不明です。
コブレンツには、他に船を漕ぐ人たちの像の噴水、鳥を追う少女の像などがあります。 -
旅行前に読んだブログの一つに「うきうきビール生活 in フランクフルト」というのがあり、ずいぶん参考にさせていただきました。なかでもコブレンツのイタリアンの写真がおいしそうで、機会があれば訪れたいと思い、地図で確認すると、ホテル近くにあることがわかったので夕食はそこで食べました。
19:00には、イタリア人とおぼしき人たちが大家族で、小さい娘の誕生日を祝っているような雰囲気の一団、数組の客だけの静かな店でした。
ワインを注文するとき、この店の料理には、もちろんイタリアワインが合うとは思うが、コブレンツなのでこの料理に合うワインがほしいと無理な注文をして出してもらったワイン、ボッパルトのものでした。
隣の年配のカップルが、炒めたムール貝の皿を注文して食べていて、おいしそうなのでそれをつまみに、一本あっという間に開けてしまいました。
妻は、食後のデザートのおいしさに感激していました。
おいしい店をご紹介くださった「うきうきビール生活 in フランクフルト」さんに感謝です。
ドイツのイタリアンは当たり外れが少ないと評価する人が多いようです。
店 Restaurant La Gondola
Rheinstrasse 6, 56068 Koblenz, Rhineland-Palatinate, Germany
Tel.0261 33136
ワイン ヴァイングート マティアス ミューラー(Weingut Matthias Müller)
リースリング トロッケン -
妻が感激したデザート。
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ヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、ナポレオン失脚後の1814年9月1日からウィーンで開催されたウィーン会議の議長であったオーストリア(ハプスブルグ)帝国の外相メッテルニヒ公爵クレメンス・ヴェンツェル・ロタールの生家です。
映画:『会議は踊る』(独:Der Kongreß tanzt)1931年オペレッタ映画。
ワイン談義の際のの豆知識を一つ。ウィーン会議を成功裏に終えた功績により、オーストリア皇帝が所有していた「ドメーヌ シュロス ヨハニスベルク」は、メッテルニヒ家に贈与されたのです。
コブレンツ出身の政治家として、フランス大統領のジスカールデスタン(Valéry Marie René Georges Giscard d'Estaing)がいらっしゃいます。フランス人がなぜコブレンツ生まれなのか、と疑問に思ったのですが、その説明には、必ずジスカール家とデスタン家が複合したことが説明されていて訳がわからなくなります。つまりは母の実家が中世以来のフランス名門貴族の家系で、家名と血筋が断絶しないようにジスカールデスタン家になったということらしいです。 -
朝の散歩。モーゼル河に架かるバルドゥイーン橋(Balduinbr?・cke)まで歩きました。1340年頃から造り始め1429年に完成した石橋を戦後再建したものです。
その橋の上からモーゼル河の観光船と、エーレンブライトシュタイン要塞に上る日の出を撮りました。 -
モーゼル川沿いにある「Alte Burg」。4世紀後半に造られたローマ城壁の遺構に、1185年に建築されたものが現在のこの建物のベースとなっているらしい。
中世の市議会場、1900年頃には銀行と様々な用途で使われ現在に至っている建物。外観しか見ることができないのが残念です。
見所がいっぱいの街なので、次の機会(?)には、街の雰囲気にどっぷりつかる滞在をしたいと思います。
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