2014/08/05 - 2014/08/05
194位(同エリア257件中)
ヤットコさん
紀元前にローマ人が入植していたトレヴェリ族の土地に、初代皇帝アウグストスの命令で建設されたのがトリアーの始原です。
その後、ローマ帝国の西方三大都市(ヨーク・ミラノ・トリア−)の一つとして発展し、四世紀には人口八万人規模の都市でした。後のコンスタンティヌス大帝が、ガリアを治める西方担当の王として、長くトリアーに駐屯(306〜316)し、街を繁栄させたのがその時代です。現在でも、あちこちにローマの旧跡が見られるトリアーは、当時はまさに「第二のローマ」だったのです。
その後のトリアーは、国境の街として数奇な運命を辿ることになりました。フランス・ドイツを戦乱に陥れた30年戦争以後、何度か軍隊によって町が包囲や占領、さらに破壊され、一時は人口が3000人規模まで減少したこともあるそうです。
第二次世界大戦の被害も甚大で、街の40?は破壊されました。戦後「歴史的建造物保護の思想」によって、ゆっくりではありますが、建造物は再建されつつあり、今では、観光地としてだけではなく、欧州圏内の貿易の拠点として活気を取り戻しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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コブレンツからの二人分の運賃は、DBの一日乗車券の料金と同じでした。ひょっとしたらルクセンブルグの方まで行くかもしれない(知り合いがいる関係)と思い、一日乗車券を購入してトリアーに来ました。トリアー駅からホテルまでタクシーで移動して、荷物を預け市街へ向かいました。歩いて10分程度の距離です。
街のインフォメーションの所での写真です。バスに描かれた人物はマルクスなのですが、おわかりになったでしょうか?彼はこの町出身です。
インフォメーションで、コンビ・チケット(アンティーケンカード)を購入して、ポルタニグラに入りました。(カードはそれぞれで、検札され、施設ごとの解説書が手渡されます。)観光案内所(トリアー) 散歩・街歩き
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バスが通り過ぎると、そこに現れるのは一番の名所であるポルタニグラ(Porta Nigra)、ローマ時代の石造りの城門です。門は西暦180年頃、砂岩の巨石を切り出して、積み重ねて造られました。石は、水車の力を使い、青銅製ののこぎりで長方形に切り出されており、のこぎりの跡が残っている箇所があるそうです。
石と石は、前もって穴を空けておいた部分に、鉄の留め金をつけ、鉛を流し込んで留め付けられています。門の外側では、鉄製の留め金の失われた箇所が多くあるそうで、それらはリサイクルされて使われたとのことでした。ポルタ ニグラ(黒い門) 建造物
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間近に見ると大きな建物です。地階のアーチの所を車が通っています。階上から覗いている人は、豆粒のようです。
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1028年、東側の塔のあたりの壁などを塗り込めて住めるようにして、修道僧のシメオンという人が、隠棲しはじめたそうです。その死後、遺体は地階に埋葬されましたが、彼を崇める人々によって、ポルタニグラは二層の教会に改装されました。
東側の塔の上層部は、教会にとって複数の塔は不要なので、その時解体され、現在の姿になったのです。教会として用いられたために内部には教会のような装飾があります。 -
さらに上に上がったところの装飾です。窓の向こうに教会の塔が見えます。方向から言って、大聖堂(Cathedral)だと思います。
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広場(Hauptmarkt)に出ると、由緒のありそうな建造物が数点あります、ほぼ中央にあるのがクロス。少し端にあるのが噴水。こちらは噴水で、ペテロの噴水(1595年)と呼ばれているものです。
聖ペテロは、町と大聖堂の守護聖人で、中央上部に立っています。下段に公平・強靱・節度・知性を体現する四人の彫像が囲んでいる構図です。噴水に重ねた塔は、ザンクト ガンゴルフ(St Gangolf、マルクト教会)」の塔です。観光案内所(トリアー) 散歩・街歩き
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活気ある中央広場の様子です。ここの市場は、にモーゼル河畔にあったものが882年に移されたそうです。
中央広場 広場・公園
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広場の市場で、果物を撮しました。ここでもミラベルが売られています。
中央広場 広場・公園
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手前が大聖堂( Cathedral)。奥に見えるのが聖母教会(Liebfrauenkirch)。外から見ただけで壮観です。これから見学です。
聖母教会 (トリアー) 寺院・教会
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東にある祭壇に向かった一枚。
トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会 史跡・遺跡
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中央の柱のところの装飾の美しい祭壇。
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カテドラルのオルガン、パイプ部分です。パイプが装飾されて荘厳な感じです。
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古い柱が残っている部分。戦火を何度もくぐり抜け今に至っています。
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必ず写真にアップされる西端クワイヤの漆喰装飾のボールド。教会施設の役割や構造に詳しくないので、説明が間違っていたらごめんなさい。
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大聖堂( Cathedral)に長居しすぎて、聖母教会(Liebfrauenkirch)に入る時間が無くなってしまいました。大聖堂から南に進むと、建物と一体化していますが、アーチのようなものがありました。この内側への自動車の乗り入れが禁止されています。現在でも門の役割を果たしています。
門から南一帯が、ケッセルシュタット宮殿の敷地ということになるのでしょう。有名なコンスタンティヌスのバジリカが見えてきました。 -
Konstantinbasilika(Aula Palatina)福音ルーテル教会
長方形の平面を持ち、内部にクリアストーリ(採光用の高窓)と列柱のアーケードを持つのが特徴とされる典型的バジリカ形式の建物です。コンスタンティヌス大帝が、西方の王であったときバジリカ(謁見等の公共施設)として使用したところです。
トリアー選帝侯の宮殿の一部として用いられた後、プロテスタント教会として使用されているそうです。
この南に博物館があります。ローマ時代からの町の歴史が説明された展示になっていて、大変参考になりました。見学時間はおよそ一時間です。
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皇帝の浴場(Kaiserthermen)ローマ風呂の遺跡です。トリアーのローマ風呂遺跡は、ここも含めて三つあります。驚くべきは、町の東の山(ペテロの山)の水源から、直線的にカイザーテルメン、次にフォールムステルメン(Viehmarktthermen)、バーバラ大浴場(Barbarathermen)と、計画的に地下に水路を整備して、水を供給したということでしょう。
カイザーテルメンでは山からの冷水は、遺跡の地上部分の建造物内のボイラー室(全6カ所内、4カ所が残存)で約40度に温められ、3カ所の半円形の浴槽に送られ、さらに床下暖房としても配管されていたそうです。カイザーテルメン 史跡・遺跡
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ローマ風呂の地下の部分です。野球場一個分ぐらい、地下に通路が張り巡らされています。奴隷用の通路だったそうです。
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サウナです。
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20分ぐらい(道に迷いました)南東に歩いて、やっと円形劇場(Amphitheater)に着きました。このあたりには売店が一軒も無く、のどが乾き熱中症気味だった妻には厳しい行程だったようです。
アンフィーテアターは、剣闘士(剣奴)同士の戦いや、剣闘士と野獣の戦いが行われたところです。古代円形劇場 史跡・遺跡
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控え室?、地下への通路?
説明が少なく、詳しいことは分かりません。 -
地下部分。剣闘士たちは、試合のないときはここに閉じ込められていたそうです。また、動物たちの檻もあったそうです。
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外から続く通路ですが、現在も修復中です。
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昔の観客席の最上部から見える、現在の闘技場跡はのどかなものです。観客席の土の下地がむき出しなのは、13世紀に客席の石材が建築用に転用されたからだそうです。
東側は丘で一面のブドウ畑です。その中に幹線道路があるようで、車の往来も多く、路線バスも運行しています。
なお、この近くには戦車競技場もあったそうです。
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再び宮殿の前に戻ってきてしまいました。道に迷ってしまったのです。迷ったときは元に戻れという格言に従い、ここで方向の確認です。
妻は相当疲れているようで、心配なのですが、無理をしてマルクスハウスに向かいます。随分歩いてから、八百屋と言うには小さいお店で、やっと水を手に入れ、そこの店の人にマルクスハウスの位置を確認しました。妻も水分を補給して、人心地のようです。宮殿公園 広場・公園
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マルクスハウスの入り口、街並みに面しています。目立つ垂れ幕が無かったら見過ごしてしまいそうです。時間的にも、閉館間際なので見学客もまばらです。
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マルクスハウスです。マルクスの、生涯が年代ごとに辿れるように構成された展示です。どこに行っても感心するのですが、展示構成が、小・中学生から高校生が学習できるようによく工夫されています。
マルクス(Karl Heinrich Marx)の生きた時代には、トリアーは人口が一万人に満たなかったそうです。そんなドイツの片田舎からベルリンに出て学び、パリ・ロンドンで活躍するマルクスと、その時代状況が映像を交えて丁寧に説明されています。
きれいに整備された庭には彼の胸像があり、ずっと生宅を見守っています。閉館の館内放送が流れています、本当にぎりぎり。最後に売店でグッズを購入しました。カール マルクスの生家 博物館・美術館・ギャラリー
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さらに少し、南西に下るとローマ橋に出ます。この橋の歴史は古く橋脚は144年から152年に建造されたものだそうです。(橋の上部構造は18世紀)、第2次世界大戦では、アメリカ軍が、モーゼル河に架かる橋として唯一確保した橋だそうです。
トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会 史跡・遺跡
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大聖堂に面したワインバー。前日、コブレンツのホテルの人が、美味しいよと言って紹介してくれたお店です。
Weinstube Kesselstatt
Liebfrauenstraße 1054290 Trier, Deutschland
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中のカウンターで料理を注文すると、外の席に運んでくれます。注文は妻がしてくれました。僕が選んだのはワインだけです。トリアーのここのワイン、つまりモーゼルワインです。瓶の向こうに見えているのは聖母教会(Liebfrauenkirch)。です。
今日も一日ご苦労様でした。
ワイン Reichsgraf von Kesselstatt 2013 Riesling Trocken聖母教会 (トリアー) 寺院・教会
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食事をしている席から聖母教会(Liebfrauenkirch)の正面入り口が見えます。聖人でしょうか。入り口は像が守っています。
聖母教会 (トリアー) 寺院・教会
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夕食を終えて、レストランからホテルに戻るとき、名残惜しくて夕日に照らされた大聖堂と、聖母教会を一枚撮りました。
ポルタ・ニグラのある広場を通りましたが、昼間の雑踏はすでにありません。観光客がいないときには、静かな佇まいを見せる街です。聖母教会 (トリアー) 寺院・教会
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恒例の朝の散歩。ここはカイザーテルメンから西側500?あたりの通りです。発掘されているようです。
掘れば、次々に遺跡に出会う町なのですね。住んでいる人にとっては、不自由なことも多いのでしょうが、大切に保存してほしいものです。
今日はこれから、列車でコッへムに移動して、お城巡り。たくさん歩くことになるので、ガッツリ朝食を食べて出発です。
ちなみにホテルのオーナーはインド人らしき人で、ロビーには少し怪しい置物が置かれたりしていました。ロビーの奥に、自転車置き場が設けてあり、自転車で巡っているグループ(老若男女)もいらっしゃいます。
昨日ポルタ・ニグラで知り合い、同宿だったカッセルから来たご夫婦と再会を約して別れました。
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