しにあの旅人さんへのコメント一覧(53ページ)全581件
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歴史探訪の旅♪
こんにちは~
いやはや、シニアの旅人さん、最初の頃から歴史を巡っての旅、なさっていたのですね!
チェザーレボルジアの館?そんな処がローマのそれもサン・ピエトロの近くにあったなんて…。
私もイタリア史は塩野INのクチなので、チェザーレもFD11と同様、心惹かれる存在です。
シニアの旅人さんへの投稿、ちょっと眺めただけでもそうそうたるメンバー勢揃い(°_°)
という現実に気づいたその日から、ブログ下のコメント投稿の敷居の高い事ったらない(ーー;)
ここはちょっと時間経過してるので、あまり人目にもつかないかな~、とタカをくくっての投稿。
とにかく、短くまとめるのが苦手、きっと長文メールみたいになってしまいますけど、今後ともよろしく!です。
じゃ、シニアの旅人さんご夫妻と握手したら、マキャベリとも間接握手、した事に?(笑)
Re: 歴史探訪の旅♪
こんどは書く場所をまちがえない。
このHotel Columbusは今は閉業したようです。来年3月性懲りもなくまたイタリアです。ローマで1泊でも泊まってやれと調べたのですが、やっていません。改装中なのか、最終的に店を閉めたのか、不明。バチカンまで行くので見てきます。
バチカン美術館はあの地下鉄並の大混雑なら2度と行きませんが、開館前に朝7時から朝食つきで見学できるツアーがあるそうです。
ボルジア・ルームつうのがあるそうで、これを見たいと思っています。いらしたことありますか?2019年10月03日09時24分 返信する羨ましい!
私も返信する、を押したつもりで、よく新規コメント投稿?してしまいますよ(笑)あと、せっかく入力したのに、消えてしまったり(ーー;)同じものは2度と書けない。
そうなんですね、4つ星ホテルならお高くて、私は手が届かない>_< でも、知っていたら、ロビーくらいなら入れたのに~、ちょっと悔しいです。しかも、もう営業してないのなら、ますます一度は見ておきたかったですね!
ヴァチカンは私も朝2番目くらいの予約で入って、団体さんの多さにうんざり>_<絶対抑えておきたいところだけでも見逃すまい、と人波に流されながら必死!
結果、写真もブレブレ、見逃しもあり…午後の方が比較的空いている、という話もききますが、開館前の朝食付きもいいかもですね。
ボルジアルームは聞いた事ありますが、行っていません。一般公開されているんですか?
来年もイタリアとは羨ましい~^ ^私は、予定外のスイスが入った影響もあり、(次も決まっていて)イタリア再訪は2~3年先かな~(;_;)
悲願のシチリアへ行ける日が来たら、シニアの旅人さんにいっぱい教えてもらわなきゃ^ ^です!
レンタカーで廻れるなんて、凄いです\(^o^)/2019年10月03日17時34分 返信する -
潔き一票を♪
奥さまの深淵なる洞察力、ご意見に一票を^ ^
マンフレディもですけど、確かもう1人、すごいイケメンかつ才能、文才の持ち主で詩作の能力に秀でたフェデリコ2世のご子息が!同じく薄幸の人生で、捕虜となり、死ぬまで閉じ込められていた方が?お名前を思い出してから投稿しようかと思ってましたが(-。-;
確か、一度脱走を試みて、あわやのところで見つかってしまった(ToT)しかも、その美しい金髪が、ちょっとだけ飛び出してたから?!嘘みたいな、そんな事で一生を棒にふらないで~T_T -
残暑お見舞いm(._.)m
一度涼しくなった後、また暑さがぶり返す昨今、いかがお過ごしでしょうか?
今日は私の初心者ブログにいきなりの、たくさんの爆ポチ、ありがとうございます♪見て頂くのもお恥ずかしいです(-。-;
フェデリコ2世紀行、直近のルチェラ、メルフィ編では、まだ夜も明けきらぬ早朝、丘の上の城から駆け下りるフェデリコ2世の一団の馬の蹄の音が、今にも聞こえて来そうで、ドキドキ♪ここでメルフィ憲章が起草されたのですね!
フォッジアの城は廃墟さえ残っていないとは!残念過ぎますT_T
そういえば、フェデリコ2世の映画化って、聞いた事ないような?やはりカトリックが強いヨーロッパでは、フェデリコ2世は未だに公に讃えてはいけない天敵、的存在なのでしょうか?!
映画化されたら、絶対面白い!と思いますけど^ ^
本日のところはお礼までm(._.)2019年09月08日14時13分返信する -
残暑お見舞いm(._.)m
一度涼しくなった後、また暑さがぶり返す昨今、いかがお過ごしでしょうか?
今日は私の初心者ブログにいきなりの、たくさんの爆ポチ、ありがとうございます♪見て頂くのもお恥ずかしいです(-。-;
フェデリコ2世紀行、直近のルチェラ、メルフィ編では、まだ夜も明けきらぬ早朝、丘の上の城から駆け下りるフェデリコ2世の一団の馬の蹄の音が、今にも聞こえて来そうで、ドキドキ♪ここでメルフィ憲章が起草されたのですね!
フォッジアの城は廃墟さえ残っていないとは!残念過ぎますT_T
そういえば、フェデリコ2世の映画化って、聞いた事ないような?やはりカトリックが強いヨーロッパでは、フェデリコ2世は未だに公に讃えてはいけない天敵、的存在なのでしょうか?!
映画化されたら、絶対面白い!と思いますけど^ ^
本日のところはお礼までm(._.)2019年09月08日11時22分返信する -
はじめまして。
シニアの旅人さん
おはようございます。
パレルモをじっくり歩かれたんですね。旅行記は全部拝見できていませんが、自分が立ち寄ったエリアの旅行記を先に読ませていただきました。自分の知らない路地やいろんな街の情景を拝見し、僕たち夫婦は連れられるまま通り過ぎtだけだと感じています。
シニアの旅人さんのようにこれからはちゃんと歴史を見ながら旅ができるようになりたいと思いました。
どうぞこれからも良い旅を続けてくださいね。私もエベレストトレッキングで一息つきましたのでこれからはなるべくお金をかけず目的を持って旅ができるよう頑張ります。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
bara -
赤い薔薇
シニアの旅人さん、こんにちは。
毎日毎日暑いですが、お二人とも夏負けしないよう気をつけてお過ごしくださいね。
私が行きました時もフェデリーコ2世の棺に赤い花束が2つ供えられていました。
1つには白い薔薇が一本加わっていましたっけ。
私も持って来ればと思ったり、今もこうしてお花を供えてくれる方がいる事が嬉しかったりしました。
棺の調査で三人のご遺体が見つかったことは、Fiorenzaさんから教えていただいたものの、詳細は知らないままでしたから、シニアの旅人さんの翻訳をありがたく拝見しました。
王宮は前々回にモザイクを見に行ったきり、その当時は塩野本も読んでなくて。
この旅行記で懐かしく写真を見つつ、シニアの旅人さんの文章に往時のフェデリーコ2世の姿が浮かんできて、重なるというとても贅沢な体験ができました。
それでは、また。Re: 赤い薔薇
コメント有り難うございました。
なんとかこの暑さを生き残るべく、朝夕涼しいときに庭仕事などはすませ、昼間は寝ております。
cokemomoさんもご自愛下さい。
あのバラはだれがお供えするのでしょうか。カテドラーレのだれかでしょうか。
棺の遺体の写真は、墓所の説明板の近くに掲示されておりましたので、だれでも見ることはできたはずですが、話題にする人は少ないようです。ただそれがカテドラーレのホームページにあるとは、私も別の資料を探していて偶然見つけました。
3人目の白骨遺体は、ビアンカ・ランチャではないかという説もあるとあるブログに書いてありましたが、根拠が全然示されていないので取り上げませんでした。この件、なにかご存知ですか。
2人目のPietro D’Aragonaはれっきとしたシチリア・アラゴン王朝の王様ですから、3人目もいずれは名のある方なのでしょう。ただ衣装がとても貧弱です。そもそもカテドラーレ自身が「未知の女性」と言っているのが気になります。2人目がPietro D’Aragonaと分かっているのに、そんなはずはないと思うのですが。
仮に3人目がビアンカ・ランチャだとして、それを隠す理由はなんでしょう。ローマ法王から正式に皇后と認められなかったからでしょうか。
来年もう一度パレルモに行って調べてみようかと、今ちらっと思いつきましたが、どうしようかな。
もうそろそろイタリアを卒業しないと、こっちの寿命の範囲内でほかに行けなくなっちゃう。イタリアは深みにはまりますね。
2019年08月13日08時47分 返信する -
お世話になっておりますm(_ _)m
シニアの旅人さんのフェデリコ2世の生涯を辿る旅、毎回楽しみに拝見させて頂いております♪
さて、今回こちらにお邪魔したのは、どうしても腑に落ちない、なんか喉元に引っかかってる?みたいな感じを解消したくて、お尋ねしても?
元から薄識の上俄かにフェデリコ2世追っかけになって日も浅いのに、シニアの旅人さんが参考にされたという文献にやたらと脚を突っ込み、深みにはまっている(笑)ブログの処でコメントするのもおこがましく、やたらひけらかすウザいおばちゃんと炎上しかねない!?なので、こちらにお邪魔m(_ _)m
腑に落ちない場面、その1
カントーロヴィッチの著作の中で、フェデリコ2世がローマに凱旋しそうになって、直前にローマ入りを断念する場面が2度程あった様に記憶しています。特に2度目なんて、まさにローマ市民全体がフェデリコの凱旋を今か今かと歓迎して待ち受けるの図、の次の場面では、ローマ市民は右手に○○、左手に……を持つという、娼婦の様な性癖故(このような表現だったかどうか?記憶が曖昧ですが)、フェデリコ2世はローマを後にシチリアへの帰路についた。と、ローマ市民の手のひら返しを単にローマ市民の移り気、気の代わり易さ、に原因を見いだしているようですが、これっていくら何でも説明不足?
その直前まで、キリスト教の預言やダンテの神曲を引き合いに出し、その当時巷に蔓延していた末世観、終末観の末に現れいでた救世主、預言の具現化としてフェデリコ2世を描いておいて、ローマ凱旋なる事=神聖ローマ帝国皇帝としてヨーロッパ全土にあまねくその地位を認められる、的な象徴的行為として、今まさにローマに足を踏み入れんとす!とそこまで期待させておいて、ローマ凱旋せず、という事実については、これだけ?
その2
こっちは腑に落ちない、というより、知識不足で分からないだけなのですが…
フェデリコ2世の宮廷で盛んだったという詩作(著作では別の表現でしたが、手元にないので確認出来ず、詩作で代用)、についてですが、当時の官吏、高級官僚、宮廷付きの役人、の間で盛んに行われ、その実例として官吏同士の間で取り交わされた書簡や、皇帝自らの公開書簡などが挙げられていたように記憶しています。この詩作というのが、後々イタリア語の形成の元になった、というのはどういう事ですか?詩作=文筆能力、と理解して良いのでしょうか?元はフランス宮廷から持ち込まれたのを、フェデリコ2世の宮廷ではそれをフランス語ではなくて、庶民に使われていた言語(イタリア語)で行った、それが今のイタリア語のはじまりになった、みたいな
表現だったかな?
シニアの旅人さんおススメの「“シチリア歴史紀行」、フェデリコ2世登場前のシチリア、ノルマン王朝時代など新たに触れる事が出来ました♪こちらも図書館蔵です(笑)
長々と、すみませんm(._.)m
酷暑の中ではありますが、フェデリコ2世シリーズ、ますます楽しみにしております!
2019年08月07日14時04分返信するRE: お世話になっておりますm(_ _)m
コメント有り難うございます。
ローマの件は該当するところがメモにないので、これから探してみます。
詩については私のメモがあり、簡単にどこか分かりました。357ページ前後ですね。
おっしゃるとおりのことをカントーロヴィチが書いています。フランスのプロバンス俗語恋愛詩がフェデリーコ2世の宮廷に入ってきて、フェデリーコ2世自身が、アプーリアとシチリア方言で詩を書き始めた。目的は言語を通じて国民感情を育てるため。要するに伊達や酔狂でやったのではないということらしい。
皇帝が詩作を始めたら、「皇帝に倣って宮廷の官吏自身が突如として詩作を始めていた」
彼がマッチをすったら、それが燃え広がったということですね。
「日常言語を磨き上げ宮廷風のものにすることによって、フリードリッヒと彼の流派はこのように地方の普通の言語を「燦然たる俗語」へと高めた」と言っております。
イタリア語の創始者はダンテだが、「フリードリッヒはイタリア語の形成を準備した最も重要な人物だ」そうです。2019年08月07日16時14分 返信するはやっ♪
早速の回答、恐れ入ります!
ふむふむ、なるほど、そうなんですね♪
おばちゃんの酔狂な愚問に丁寧な説明、ありがとうございます(._.)
やはり手元に原本を備えられたシニアの旅人さんの先見の明♪
だからといって、更に調べものして頂いたら、申し訳なさ過ぎますよねぇ、と、余計厚かましい(笑)
ありがとうございました♪
2019年08月07日16時32分 返信するRE: はやっ♪
相変わらず暑いですが、そちらはいかがでしょう。
詩についてのわたしの回答をフェデリーコ2世紀行8フォッジアに組み込みました。さきほどアップしました。ご質問に答えるべくいろいろ考えたら、ちょうどよくよくまとまっていると思いましたので、ほぼそのまんま。13枚目あたりの写真のあとです。
ローマの件はまだ調べておりません。目下フェデ紀行の後半をまとめております。調べる文献が増えて四苦八苦です。ランチア・ビアンカのお墓などが分かって面白くて。
メドがついたらカントーロヴィチを漁ります。
しばらくお待ちを。2019年09月01日08時28分 返信するおそれいりますm(._.)m
お盆過ぎからの雨続きで、一気に涼しくなりました♪今年の夏は短く感じましたが、そんな折もシニアの旅人さんのブログ執筆はつつがない進捗の様で、楽しみに拝見させて頂きました♪
教皇庁は起民族組織ローマカトリック教会の中心機関であるから、独自の社会的政治的影響力を維持しようとすれば、世俗権力が分散している事が望ましく、ヨーロッパ各氏族が統一国家に組織され強大な力を持つ事は避けねばならぬ、イタリアの民族統一は何があっても避けねばならぬ、この方針は教皇庁の基本方針としてこの後数百年変わることなく、カトリック教会は常にイタリア民族統一の最大の障害であり続けた。
「物語イタリアの歴史」より抜粋
歴史にIfはない、とはいえ(;o;)フェデリコ2世の夢も、もう少しローマ教皇庁の力が衰えた時代だったら〜、そして世界史も大いに変わっていたでしょうね!
ランチア ビアンカって、フェデリコが晩年正妻に迎えた、彼女の最期を看取った方でしたっけ?
すみません、何しろ勢いで一気呵成に読んだもので、ほとんど忘却の彼方(-。-;
イタリア史、深みにハマりますね〜、私の場合、それもこれもほぼシニアの旅人さんの道案内、お導き、によるところ大ですが(笑)
フェデ紀行の後半への期待がますます高まっておりまする♪
2019年09月01日16時01分 返信する -
お疲れ様でした
あの本を読まれたのですね。ごくろうさまでした。重くて、寝っ転がって読むわけにもいかず、ちゃんと机に座って読むしかない本です。正しい姿勢で本を読んだのはなん十年ぶりか。
あの本は、おっしゃる通り理屈が多くて、哲学的考察というやつですね。どこまで行ってもキリスト教と離れられないのですね。うっとおしいことで。1920年代ですから、そんなものか。
これからも勝手にフェデリーコ2世の追っかけに使います。あの本の中で、使えそうなところをノートしております。
パレルモの少年時代はまだ続きます。塩野もカントーロヴィチも、彼はパレルモを勝手に放浪していたと言っているので、こっちも書きやすい。おおいに想像の羽を羽ばたかせております。 -
フェデリコ2世友の会?
ほんとうにフェデリコ2世の人生をなぞる旅を遂行されたのですね~
最近、4tr 内にかなりの数のフェデリコ2世愛好家がいらっしゃる様だと認識し始めました♪
そうなるとシニアの旅人さんには、さしずめ、愛好会の会長さんに就任して頂く(笑)
子供らしい遊びが好きな可愛げのある子供じゃなかったのでは?に一票~
おじいさんがはるばる十字軍遠征しといて、何もなさずに溺死した(-。-;のを知っていたから泳ぎは得意!にも一票♪
レモンもちぎって食い荒らしたかも(笑)
さて、私事ですが、おススメ頂いた、カントーロヴィッチ、読みました♪もちろん、図書館で借りました!
まさか図書館にあるかな~と半信半疑でリクエストしたところ、あった~^ ^
フェデリコ2世シンパの私でさえ、ここまで神格化する?と思う程の美辞麗句で礼賛されていて、ちょっとひきましたが…。最後の解説に、歴史学者からの賛否両論が併記されてていて、思わず頷いてしまいましたが、色んな視点から見たフェデリコ2世、興味深い面白い本を紹介して頂き、感謝m(._.)m -
すすすごいですねー
こんばんは シニア旅人さん
ちょっと すごすぎて 恐れ入りました。。
私のフレディ追いかけてるのとは ちゃいまする。。。
爆笑
残念なのは フレデリック2世の時のままの宮殿(入り口)に 復旧してほしいですよね。。
無理な話しだーー
まー 中は そのままだということで 安心ですが。。
やっぱり フレデリーコ 2世って 本当に 凄い人だったんですね。
それでは また ゆっくり遊びに(読ませて、いただきます。)きますね
もう 晩が遅いんで もう脳みそが シャットダウンなのです。。
では では 明日にでも。。。
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