しにあの旅人さんへのコメント一覧(54ページ)全587件
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はじめまして。
シニアの旅人さん
おはようございます。
パレルモをじっくり歩かれたんですね。旅行記は全部拝見できていませんが、自分が立ち寄ったエリアの旅行記を先に読ませていただきました。自分の知らない路地やいろんな街の情景を拝見し、僕たち夫婦は連れられるまま通り過ぎtだけだと感じています。
シニアの旅人さんのようにこれからはちゃんと歴史を見ながら旅ができるようになりたいと思いました。
どうぞこれからも良い旅を続けてくださいね。私もエベレストトレッキングで一息つきましたのでこれからはなるべくお金をかけず目的を持って旅ができるよう頑張ります。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
bara -
赤い薔薇
シニアの旅人さん、こんにちは。
毎日毎日暑いですが、お二人とも夏負けしないよう気をつけてお過ごしくださいね。
私が行きました時もフェデリーコ2世の棺に赤い花束が2つ供えられていました。
1つには白い薔薇が一本加わっていましたっけ。
私も持って来ればと思ったり、今もこうしてお花を供えてくれる方がいる事が嬉しかったりしました。
棺の調査で三人のご遺体が見つかったことは、Fiorenzaさんから教えていただいたものの、詳細は知らないままでしたから、シニアの旅人さんの翻訳をありがたく拝見しました。
王宮は前々回にモザイクを見に行ったきり、その当時は塩野本も読んでなくて。
この旅行記で懐かしく写真を見つつ、シニアの旅人さんの文章に往時のフェデリーコ2世の姿が浮かんできて、重なるというとても贅沢な体験ができました。
それでは、また。Re: 赤い薔薇
コメント有り難うございました。
なんとかこの暑さを生き残るべく、朝夕涼しいときに庭仕事などはすませ、昼間は寝ております。
cokemomoさんもご自愛下さい。
あのバラはだれがお供えするのでしょうか。カテドラーレのだれかでしょうか。
棺の遺体の写真は、墓所の説明板の近くに掲示されておりましたので、だれでも見ることはできたはずですが、話題にする人は少ないようです。ただそれがカテドラーレのホームページにあるとは、私も別の資料を探していて偶然見つけました。
3人目の白骨遺体は、ビアンカ・ランチャではないかという説もあるとあるブログに書いてありましたが、根拠が全然示されていないので取り上げませんでした。この件、なにかご存知ですか。
2人目のPietro D’Aragonaはれっきとしたシチリア・アラゴン王朝の王様ですから、3人目もいずれは名のある方なのでしょう。ただ衣装がとても貧弱です。そもそもカテドラーレ自身が「未知の女性」と言っているのが気になります。2人目がPietro D’Aragonaと分かっているのに、そんなはずはないと思うのですが。
仮に3人目がビアンカ・ランチャだとして、それを隠す理由はなんでしょう。ローマ法王から正式に皇后と認められなかったからでしょうか。
来年もう一度パレルモに行って調べてみようかと、今ちらっと思いつきましたが、どうしようかな。
もうそろそろイタリアを卒業しないと、こっちの寿命の範囲内でほかに行けなくなっちゃう。イタリアは深みにはまりますね。
2019年08月13日08時47分 返信する -
お世話になっておりますm(_ _)m
シニアの旅人さんのフェデリコ2世の生涯を辿る旅、毎回楽しみに拝見させて頂いております♪
さて、今回こちらにお邪魔したのは、どうしても腑に落ちない、なんか喉元に引っかかってる?みたいな感じを解消したくて、お尋ねしても?
元から薄識の上俄かにフェデリコ2世追っかけになって日も浅いのに、シニアの旅人さんが参考にされたという文献にやたらと脚を突っ込み、深みにはまっている(笑)ブログの処でコメントするのもおこがましく、やたらひけらかすウザいおばちゃんと炎上しかねない!?なので、こちらにお邪魔m(_ _)m
腑に落ちない場面、その1
カントーロヴィッチの著作の中で、フェデリコ2世がローマに凱旋しそうになって、直前にローマ入りを断念する場面が2度程あった様に記憶しています。特に2度目なんて、まさにローマ市民全体がフェデリコの凱旋を今か今かと歓迎して待ち受けるの図、の次の場面では、ローマ市民は右手に○○、左手に……を持つという、娼婦の様な性癖故(このような表現だったかどうか?記憶が曖昧ですが)、フェデリコ2世はローマを後にシチリアへの帰路についた。と、ローマ市民の手のひら返しを単にローマ市民の移り気、気の代わり易さ、に原因を見いだしているようですが、これっていくら何でも説明不足?
その直前まで、キリスト教の預言やダンテの神曲を引き合いに出し、その当時巷に蔓延していた末世観、終末観の末に現れいでた救世主、預言の具現化としてフェデリコ2世を描いておいて、ローマ凱旋なる事=神聖ローマ帝国皇帝としてヨーロッパ全土にあまねくその地位を認められる、的な象徴的行為として、今まさにローマに足を踏み入れんとす!とそこまで期待させておいて、ローマ凱旋せず、という事実については、これだけ?
その2
こっちは腑に落ちない、というより、知識不足で分からないだけなのですが…
フェデリコ2世の宮廷で盛んだったという詩作(著作では別の表現でしたが、手元にないので確認出来ず、詩作で代用)、についてですが、当時の官吏、高級官僚、宮廷付きの役人、の間で盛んに行われ、その実例として官吏同士の間で取り交わされた書簡や、皇帝自らの公開書簡などが挙げられていたように記憶しています。この詩作というのが、後々イタリア語の形成の元になった、というのはどういう事ですか?詩作=文筆能力、と理解して良いのでしょうか?元はフランス宮廷から持ち込まれたのを、フェデリコ2世の宮廷ではそれをフランス語ではなくて、庶民に使われていた言語(イタリア語)で行った、それが今のイタリア語のはじまりになった、みたいな
表現だったかな?
シニアの旅人さんおススメの「“シチリア歴史紀行」、フェデリコ2世登場前のシチリア、ノルマン王朝時代など新たに触れる事が出来ました♪こちらも図書館蔵です(笑)
長々と、すみませんm(._.)m
酷暑の中ではありますが、フェデリコ2世シリーズ、ますます楽しみにしております!
2019年08月07日14時04分返信するRE: お世話になっておりますm(_ _)m
コメント有り難うございます。
ローマの件は該当するところがメモにないので、これから探してみます。
詩については私のメモがあり、簡単にどこか分かりました。357ページ前後ですね。
おっしゃるとおりのことをカントーロヴィチが書いています。フランスのプロバンス俗語恋愛詩がフェデリーコ2世の宮廷に入ってきて、フェデリーコ2世自身が、アプーリアとシチリア方言で詩を書き始めた。目的は言語を通じて国民感情を育てるため。要するに伊達や酔狂でやったのではないということらしい。
皇帝が詩作を始めたら、「皇帝に倣って宮廷の官吏自身が突如として詩作を始めていた」
彼がマッチをすったら、それが燃え広がったということですね。
「日常言語を磨き上げ宮廷風のものにすることによって、フリードリッヒと彼の流派はこのように地方の普通の言語を「燦然たる俗語」へと高めた」と言っております。
イタリア語の創始者はダンテだが、「フリードリッヒはイタリア語の形成を準備した最も重要な人物だ」そうです。2019年08月07日16時14分 返信するはやっ♪
早速の回答、恐れ入ります!
ふむふむ、なるほど、そうなんですね♪
おばちゃんの酔狂な愚問に丁寧な説明、ありがとうございます(._.)
やはり手元に原本を備えられたシニアの旅人さんの先見の明♪
だからといって、更に調べものして頂いたら、申し訳なさ過ぎますよねぇ、と、余計厚かましい(笑)
ありがとうございました♪
2019年08月07日16時32分 返信するRE: はやっ♪
相変わらず暑いですが、そちらはいかがでしょう。
詩についてのわたしの回答をフェデリーコ2世紀行8フォッジアに組み込みました。さきほどアップしました。ご質問に答えるべくいろいろ考えたら、ちょうどよくよくまとまっていると思いましたので、ほぼそのまんま。13枚目あたりの写真のあとです。
ローマの件はまだ調べておりません。目下フェデ紀行の後半をまとめております。調べる文献が増えて四苦八苦です。ランチア・ビアンカのお墓などが分かって面白くて。
メドがついたらカントーロヴィチを漁ります。
しばらくお待ちを。2019年09月01日08時28分 返信するおそれいりますm(._.)m
お盆過ぎからの雨続きで、一気に涼しくなりました♪今年の夏は短く感じましたが、そんな折もシニアの旅人さんのブログ執筆はつつがない進捗の様で、楽しみに拝見させて頂きました♪
教皇庁は起民族組織ローマカトリック教会の中心機関であるから、独自の社会的政治的影響力を維持しようとすれば、世俗権力が分散している事が望ましく、ヨーロッパ各氏族が統一国家に組織され強大な力を持つ事は避けねばならぬ、イタリアの民族統一は何があっても避けねばならぬ、この方針は教皇庁の基本方針としてこの後数百年変わることなく、カトリック教会は常にイタリア民族統一の最大の障害であり続けた。
「物語イタリアの歴史」より抜粋
歴史にIfはない、とはいえ(;o;)フェデリコ2世の夢も、もう少しローマ教皇庁の力が衰えた時代だったら〜、そして世界史も大いに変わっていたでしょうね!
ランチア ビアンカって、フェデリコが晩年正妻に迎えた、彼女の最期を看取った方でしたっけ?
すみません、何しろ勢いで一気呵成に読んだもので、ほとんど忘却の彼方(-。-;
イタリア史、深みにハマりますね〜、私の場合、それもこれもほぼシニアの旅人さんの道案内、お導き、によるところ大ですが(笑)
フェデ紀行の後半への期待がますます高まっておりまする♪
2019年09月01日16時01分 返信する -
お疲れ様でした
あの本を読まれたのですね。ごくろうさまでした。重くて、寝っ転がって読むわけにもいかず、ちゃんと机に座って読むしかない本です。正しい姿勢で本を読んだのはなん十年ぶりか。
あの本は、おっしゃる通り理屈が多くて、哲学的考察というやつですね。どこまで行ってもキリスト教と離れられないのですね。うっとおしいことで。1920年代ですから、そんなものか。
これからも勝手にフェデリーコ2世の追っかけに使います。あの本の中で、使えそうなところをノートしております。
パレルモの少年時代はまだ続きます。塩野もカントーロヴィチも、彼はパレルモを勝手に放浪していたと言っているので、こっちも書きやすい。おおいに想像の羽を羽ばたかせております。 -
フェデリコ2世友の会?
ほんとうにフェデリコ2世の人生をなぞる旅を遂行されたのですね~
最近、4tr 内にかなりの数のフェデリコ2世愛好家がいらっしゃる様だと認識し始めました♪
そうなるとシニアの旅人さんには、さしずめ、愛好会の会長さんに就任して頂く(笑)
子供らしい遊びが好きな可愛げのある子供じゃなかったのでは?に一票~
おじいさんがはるばる十字軍遠征しといて、何もなさずに溺死した(-。-;のを知っていたから泳ぎは得意!にも一票♪
レモンもちぎって食い荒らしたかも(笑)
さて、私事ですが、おススメ頂いた、カントーロヴィッチ、読みました♪もちろん、図書館で借りました!
まさか図書館にあるかな~と半信半疑でリクエストしたところ、あった~^ ^
フェデリコ2世シンパの私でさえ、ここまで神格化する?と思う程の美辞麗句で礼賛されていて、ちょっとひきましたが…。最後の解説に、歴史学者からの賛否両論が併記されてていて、思わず頷いてしまいましたが、色んな視点から見たフェデリコ2世、興味深い面白い本を紹介して頂き、感謝m(._.)m -
すすすごいですねー
こんばんは シニア旅人さん
ちょっと すごすぎて 恐れ入りました。。
私のフレディ追いかけてるのとは ちゃいまする。。。
爆笑
残念なのは フレデリック2世の時のままの宮殿(入り口)に 復旧してほしいですよね。。
無理な話しだーー
まー 中は そのままだということで 安心ですが。。
やっぱり フレデリーコ 2世って 本当に 凄い人だったんですね。
それでは また ゆっくり遊びに(読ませて、いただきます。)きますね
もう 晩が遅いんで もう脳みそが シャットダウンなのです。。
では では 明日にでも。。。
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投票お礼
シニアの旅人さん
一連の「イタリア旅行記」に投票ありがとうございます。個人旅行で結構「シニア」には
しんどい旅行でした。実は昨年スペインの二度目の個人旅行を予定していたのですが、
妻が電動自転車で転倒、骨折してキャンセルとなりました。どうやら、イタリア旅行が最後の個人旅行になりそうです。
9月にはツアーで「西安・敦煌」に行きます。でも海外旅行そのものの終わりが近いと夫婦で実感しています。「シニアの旅人さん」も行ける間にたくさん楽しんでください。
ふくろうの旅人 より2019年07月23日23時18分返信するRE: 投票お礼
コメントありがとうございます。
奥様、災難でしたね。私たちよりお若いようですが(当方夫婦共73になります)、リハビリでなんとかなるのではないでしょうか。「リハビリは裏切らない」といいます。私は五十肩も腰痛もリハビリで治しました。薬も医者も信じませんが、リハビリは信じます。いい理学療法士と出会えるのが前提ですが。
イタリア旅行の最初の2編読みました。ヴェネティアのホテルは、私たちと同じでした。とにかく駅から近くて便利でしたね。18年3月でした。
私たちも体力の衰えは実感しておりますが、体が動くうちは国内、海外、旅行するつもりです。そのうち車の運転が怪しくなるそうなので、車なしではいけないところを優先で回る予定です。
シニア世代頑張ろうではありませんか、エールを送ります。2019年07月25日07時23分 返信する -
楽しんでいます。
シニアの旅人さん、こんばんは。
昨年の旅行で電車から見た景色を思い出しながら旅行記を興味深く拝見しました。
本当にジェンガのあたりは岩山が迫ってきて風景が一変しますよね。新生児のフェデリーコ2世とコンラッド夫人の一行にとっては難所だったろうという考察に「うんうん、そうだろうなぁ」と。
シニアの旅人さんが思い浮かべる情景がとても生き生きと感じられるのは、ご覧になる風景に厚い知識が重なって、時間旅行も楽しんでおられるからでしょうね。
そしてby妻さんの書かれる情景や気持ちもとても楽しんでます。車内で話し相手にされ「ふーん、あっそ」となってしまった女性はどこまで行ったやら。
今回通過されたフォッサート・ディ・ビーコから少し離れたグッビオはぜひ行ってみたいところ。(マッテオ神父の事件簿というイタリアの長寿ドラマの舞台だったので)
フォーリニョのドゥオーモのロマネスク様式のファサードも見たいです。
というか・・シニアの旅人さんの旅行記を全て拝見したら行きたい所だらけになるであろう困った予感がしています。
明日はアッシジ編を拝見します~。
コメントありがとうございます
楽しんでいただけたようで嬉しいです。
フォーリニョのカテドラーレ、あれがロマネスクなんですね。地味な教会だと思いました。建築様式はゴシック以外見分けがつきません。Cokemomoさんとはいかないまでも、もうちょっと建築も勉強しようかなと思いました。
グッビオ、大きくはない都市ですよね。いずれにしてもフォッサートあたりというと、田舎もいいところで、そんなところでどういうドラマになるのでしょうか。
妻のパートも愛読者ができて、本人も喜んでいます。がらりと文体も中身も変わって、能のなかの狂言という感じで、これからも増えます。
ジェンガのあたりって本当に何もありませんね。今がこうなら、12世紀はもっとひどかったでしょう。Cokemomoさんが訪問された修道院は、もしかするとコンラッド夫人たちが泊まったかもしれませんね。11世紀前のものらしいし、今の国道、多分当時の街道からそんなに離れていません。ほかになにもないので、選択の余地がありません。
来年もまたイタリアになりそうで、レンタカーをかりて、しらみつぶしにこのあたりの古い町を訪ねてみようかと思っています。
2019年07月10日08時50分 返信する -
ありがとうございます♪
素晴らしい♪
パレルモ大聖堂の写真に始まり、皇后かつシチリア王国王妃、フェデリーコ2世の妻コンスタンツアの棺(これが父王ハインリヒがどこぞから運ばせた、男性用の棺?)、フェデリーコ2世が臨終の際息子に「アレを」と指示した、生前から用意していた赤大理石の棺、更に、棺改装時の写真とシニアの旅人さん渾身の翻訳付き解説(°_°)
棺が改装されるとは、知りませんでしたし、その写真が公開されているとは、びっくりの2乗でした!
イタリアはカソリックの国なので、明らかにローマ法皇と対立しあからさまに対抗し続けたフェデリーコ2世の立ち位置が、現在不当に貶められている?とは、とっても悲しい情報です(;_;)
ノルマン宮殿で少年フェデリーコ2世の拉致を目指すドイツ派兵士に追い詰められ、自らの身体を掻きむしって抵抗したという、エピソード、幼くして既に有していた生まれながらの誇り高い精神が考えついた、最上の自己防御術でしょうか(笑)
触れるに値しない者が不当にも自分に触れる事への嫌悪感、聖別された王の威厳に危害を加えようとする者に対する激しい粗暴さ、計り知れぬ怒りの噴出… このくだりは塩野本でも印象的でした。
私も、忠犬パレ君に準じる!?フェデリーコ2世があと400年後の時代に生まれていたら!と思わずにはいられない、フェデリーコ2世信奉者の1人です^ ^
ますます、続編、心待ちにしておりまする~Re: ありがとうございます♪
コメント有り難うございます。
びっくりしていただいてうれしい。遺体の調査書の邦訳紹介は、もしかすると日本最初かな。
改葬時の写真も載せようかと思って、準備したのですが、希望者だけということで、リンクを張るだけにしました。初めて見たとき、私自身、切ない思いがしました。
コスタンツアの棺は、確かに男性用らしく、勇壮なレリーフです。一方間違えられた相手の棺は女性が横たわっているような優しい彫刻なのです。紹介すればよかったですね。それで聖堂の展示担当者も間違えたのではないかな。でも棺の覆いにはっきりと、ラテン語とはいえ、名前が彫ってあるのですが。
ノルマンニ宮殿でのフェデリーコ2世拉致未遂事件は、たしかに塩野の本前半クライマックスですね。私も何度も読みました。カントーロヴィチの本は塩野も読んでおりまして、それと重複しないようにこの場面を書いています。カントーロヴィチも読まれると、この場面がもっとイキイキとイメージできます。とにかく高い本ですから、図書館で借りることをお勧めします。私はフェデリーコ2世ワールドへの入場料だと思って買いました。
次回以降は塩野がちょこっと触れているクーバ、ジッザです。2019年07月10日17時07分 返信する -
はじめまして^ ^
シニアの旅人様、初めてコメント投稿させて頂きます♪
かねてから、シニアの旅人さんのイタリアを巡るマニアック!?な旅に、心惹かれおりました。
私、俄か塩野ファンでして、昨年末から、ローマ人の物語、にはじまり、ベネチア関連の3冊、ローマ亡き後の地中海世界、十字軍物語、ギリシア人物語、そしてつい最近、皇帝フリードリッヒ2世の生涯、を読み終えたばかり。今後も当分は、地中海を巡る歴史、キリスト教とイスラム教を巡る歴史、など興味が尽きる事はなさそうです。
シニアの旅人さんがブログ内でご紹介されている文献にも、手に入るなら挑戦してみたいです♪
ブログ訪問して途中で、フェデリーコ、がイタリア読みで、フリードリッヒはドイツ語読み、という事を思い出し、今後も続編を見逃したくないので、遅ればせながら、フォローさせて頂きます♪
歴史上興味ある人物やその所縁の地を実際に訪れられる旅、羨ましい限り、次回作、楽しみにお待ちしておりまする~^ ^ありがとうございます
コメントとフォロー有り難うございます。長い文章をメインとする4Traでは異端の旅行記です。読んでくれる人いるのかな、と妻と二人でいつも思っております。「マニアック」と言っていただけるのは、本当に嬉しい。自分でもそう思っております。
塩野七生の作品をいっぱい読んでおられますね。私より多そうです。私たちのイタリア旅行のガイドブック兼教科書です。来年の旅行先もまたイタリアになりそうで、これからも読み進めていきます。
私の参照文献はカントーロヴィチとドイツ史1以外は簡単に入手可能です。この2冊はとにかく値段が高いので図書館をお勧めします。ドイツ史は町の図書館にはなかったので、大きな図書館から取り寄せてもらいました。
カントーロヴィチはフェデリーコ2世をかじる場合の基礎資料ですから、入場料だと思って買いました。法哲学の研究者です。フェデリ−コ2世の神学的、法体系的背景がどうのこうのというのが、全体のほとんどを占めます。
私はフェデリーコ2世がどこで何をした、何を食ったというような些細な事実関係を知りたかったのですが、ちょっと当てが外れました。
そのうちフェデリーコ2世の内面をえぐるようなブログを書くならば、参考になりそうですが、まあ、私の出る幕はなさそうです。
私たちのフェデリーコ2世紀行は、このあとアッシジ、パレルモ、プーリアと延々と続きます。長い文章としつこい文献紹介に飽きずに読んでいただけたら幸いです。
もしかしたら日本ではまだ珍しい写真と文献もご紹介できると思います。2019年07月03日19時49分 返信する



