しにあの旅人さんへのコメント一覧全584件
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バスがあるといいなあ
この浄瑠璃時のあと、堀夫妻は東大寺2月堂の裏手に直接出る道をかえっています。
1918年(大正7年)和辻哲郎は浄瑠璃寺を訪れていますが、午前中で往復できると思っていたようです。しかし人力車。道はひどくて途中で全員下りています。
近道があったたようです。
どうも戦前は現在の北の県道752から来る路とはちがって、南のほうから直接浄瑠璃寺に行ける道があったのではないかと思います。
こういうのを調べるのは大好きなのですが、きりがないのでやめました。
11年前と変わっていませんね。本堂の裏手にある柿の木は分かりませんでした。1967年まではあったはずなのですが。果樹の樹齢は短いので、こんなものかもしれません。
多恵子はほんとうにおしゃべりが好きだったようです。信濃追分の家を新築するとき、多恵子の部屋のおしゃべりが辰雄の病室には聞こえない間取りでした。彼女は自分はおしゃべりだと自認していました。
小さいけれど美しいお寺ですよね。
直通バスがあったのですか。今でもありますかね。
もうそろそろ自動車を息子にやってしまおうとおもっています。前進と後退を間違えそうなケースがときどきあります。
バスがあればもう一度行ってみたいお寺です。
★そのお堂を前にして、口数少なく、ただ黙ってじっと見つめていたことを思い出します。」★
私も同感です。
ただし昭和18年の辰雄さんはそうもゆかなかったみたい。
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お二人の
かけあい旅行記。微笑ましく楽しく、古都の賑わいに、若者達と次元が違います。
奈良こそ私達のもの。そんなゴーマンな思いがよぎります。
晩秋に今年も歩きます。お二人もどこかで大事な記憶を楽しんでおられますね。 エールをありがとうございます。
mom KRe: お二人の
私たちのブログは、わたしのつまらない史実羅列、By妻の妄想旅ということになっております。史実羅列も怪しいもので、90%妄想です。
私の説にまるっきり反対の妄説が出てくることも多い。
夫唱婦不随ともうします。
日本書紀の「一書に曰く」にも反対説を唱えることもあり、伝統にしたがい、おもしろいからいいんじゃないのと、妄説焚きつけております。
ただし前方後円墳で、どっちかが舞台でもう一方は観客席というのを言い出しました。そんなばかな、と思いました。ところがあとで調べたらそれが正しいそうです。
彼女の脳の一部は古代から進化していないという説もあり、この根拠なしの直感が侮れないのです。
これからも夫唱婦不随で楽しいブログを書きたいと思います。
2026年06月18日20時49分 返信する -
浄瑠璃寺
しにあの旅人さん
こんにちは。
浄瑠璃寺の旅行記を拝見しました。
参道には馬酔木の古木がずらりと植えられていたことを記憶しています。
まさに馬酔木がちらほら咲き始めた時候のしにあさんの旅行記で
その様子を楽しませていただきました。
浄瑠璃寺には一度バスで行ったことがあります。
堀辰雄夫妻は徒歩で奈良から歩いて向かったとのこと。
かなりの距離があったと記憶していますが、病身の彼がその当時には
それだけの体力・気力ともに充実していた時だったんでしょうね。
随分昔となってしまいましたが、その旅行記があるはずと辿ってみました。
下記urlがその折の旅行記です。
https://4travel.jp/travelogue/11098333
浄瑠璃寺はずっと行ってみたいと思っていたお寺でした。
そのお堂を前にして、口数少なく、ただ黙ってじっと見つめていたことを
思い出します。(旅行記でもそんなかんじでした。)
その後、岩船寺までの石仏を辿りながら山道を歩きました。
「東尾の石仏を巡って山道を歩いた。」というのが旅行記のタイトルです。
とても懐かしかった浄瑠璃寺と、それにまつわる堀辰雄ご夫妻のエピソード、
山里に今もひっそりと佇むお寺の様子がそのままに伝わってきます旅行記でした。
mistral
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私も、奈良に「ぬま」っている一人です( ̄▽ ̄)
しにあさん&by妻さん、こんにちはヽ(^o^)丿
「歌姫」なんていう響きの良い所があったのですねぇ。
気づきませんでした!
佐保とか法蓮町とか佐紀などという地名はお馴染みだったのですが。
最近名づけられたんじゃないか?なんて疑ってみましたが、ずぅーーと昔からある地名なんですねぇ。
自分の住所を書く時「奈良市歌姫。。。」なんて書けたら、素敵ですねぇ。
もうすぐなのですが、飛鳥に行く前に「歌姫」に寄り道できないかな?と考え中。
でもたぶんレンタカーではなく、例のトラベラーさんの車に同乗させていただくので、わがままは言えません。
さて堀辰雄は「こどもが苦手」、そうでしょうねぇ。
こどもと仲よく遊ぶのは良寛さんタイプで、普通に文学なんてヤクザなことを家業とする人間にはできないことです。
「添御縣坐神社」、うーーん、ここにも行ってみたい。
古代のニオイがプンプンします。
こういうところ、大好物なんですよねぇ。
でも一人旅じゃないし。次回になるかもしれません(T_T)
それにしても多恵子夫人は器の大きな人だったんですね。
彼女でなければ、辰雄の操縦はできませんよ。
ちょっと離れた位置から夫を眺め、仕方ないわね、と鷹揚に構えることができたのでしょうね。
私が多恵子だったら、辰雄に後ろからケリ入れたくなりますが。
でも辰雄が病身だったから、手荒なことはできませんね。
やはり多恵子と辰雄は、神に選ばれし「つがい」だったということなのでしょう。
戦争中でも旅行していたという話。
この間ロシア人の青年?がクマに襲われたいうニュースを聞いたような?
ん?クマじゃなかったかな?
何か最近のニュースでロシア人が出てきたように思います。
ま、人生は一度きりですから、旅行はするのでしょう。
奈良ホテルにお米持参じゃなくて、ホッとしました!(^^)!
前日光Re: 私も、奈良に「ぬま」っている一人です( ̄▽ ̄)
「歌姫」にいらっしゃるなら、どこかに車をとめて歩いてください。街道をはずれて古い邑内に車で入るのはやめたほうがいい。
「村」より「邑」という感じ。
「添御縣坐神社」の参道前に、駐車場ではありませんが、車を置ける場所がありました。神社参拝はOKとしても、長い時間は無理でしょう
奈良の古い村はとにかく道が狭くて、なぜか側溝が深くて、車はダメです。
私たちは神社前から邑の小道の入り口だけ見て「こりゃだめだ」とギブアップしました。
このあと、予定が詰まっていたのが残念。この旅の失敗の一つです。
とにかくこの村は4世紀くらいまでさかのぼれるらしいのです。奈良時代以前古代はこの峠を越えて、ヤマトとヤマシロを往復していたようです。
多恵子の手記を読んでいたら、やはり子供はほしかったらしい。でも辰雄が赤ん坊は結核に感染しやすいのでやめようと言ったそうです。
それ以降多恵子は、夫の文学を支えることに全力を注ぐことになります。
ある種の使命感を持っていたような印象です。
日本的な良妻とはちょっと違って、なにかこう、抽象的なものに価値を見出す。出身家庭がキリスト教徒であったことに、関係するかもしれません。
明るくて、陽気で、福永武彦(神西清だったかな?)に言わせると「勇敢な」人物だったみたい。
おしゃべりで声が大きかったそうです。
奈良ホテルは工事中で6月一部開館、秋には全面再開館するそうです。なんとしてでも泊まってみたいと思っています。
奈良ホテルに泊まって、奈良博と深夜の東大寺に行くのが夢です。中に入れなくてもOK。夜空の大仏殿屋根だけでもいい。
たぶん、観光客のいない、別の東大寺に会えるのではないかと期待しています。
2026年05月24日13時26分 返信する -
奈良の旅
しにあの旅人さん、こんにちは。
堀辰雄が歩いた奈良を旅されたのですね。
旅先から恋文とはなかなかやりますねぇ
しかも、それを出版するとは大したものです(笑)
奈良ホテルは泊まってみたいのですが、あまりにも高くて。。。
大伴家持、先日、かれが赴任した越中国府跡を訪れました。
万葉集の世界でした。
歌姫なんて言う地名があるのですね。
奈良らしいというか。
添御縣坐神社と言う名称も、古い土地らしいですね。
『大和路・信濃路』、読んでみたくなったので、即、図書館に予約を入れました。
旅猫Re: 奈良の旅
堀辰雄は気に入ったひとに手紙を全力で書く癖があります。
神西清や福永武彦、中村真一郎、立原道造などの友人はもちろん、堀多恵子。
多恵子宛の手紙はとくにしっかり書かれていて、「七つの手紙」や今回の「奈良からの手紙」などは、もともとの私的な手紙の方が、のちに作品化されたものより優れていたりします。
結婚前の加藤多恵は、「風立ちぬ」の作家からそのまま先品になるような手紙を9通もらったわけで、これで結婚を決意したのは、まあ当然かな。ただそういう作家の妻に自分がふさわしいか、悩んだようです。
結果的には多恵子のサポートなしには、結核の堀辰雄は半分も生きていられなかったでしょう。
奈良ホテルは現在改修工事中で、秋には再オープンするようです。
秋には全財産はたいてでも、泊まってみようと思っています。もうすぐ80歳になります。あの世に行くには三途の川のフェリー代しか必要ないそうです。
「ねんきん老人」さんというトラベラーさんがいます。かれによると「どんな豪邸もマッチ1本で灰になる。旅の思い出は一生きえない」
旅猫さんはじつにいろんなところに旅して、いろんな思い出をいっぱい持っていらっしゃる。大変な財産ですね。
家持も計画の一つです。越中国府趾も行ってみたい。
31日から葛城に行ってきます。万葉集というか、それ以前の世界です。
行ってみたいところだらけですが、どこまで寿命がもつか。
今のところ大丈夫だとお医者は言っています。時間との競争ですね。
2026年05月24日12時23分 返信する -
佐保路を思い出しました。
しにあさん
続きましての最新旅行記を拝見しました。
今回の旅先は法隆寺近くにホテルをとられたとのことでしたね。
そして佐保路を歩いてこられたご様子。
こだわりの奈良ホテルは私も好きなホテルです。
その奈良ホテルから東大寺、海龍王時、法華寺と佐保路沿いにたどり
歌姫という素敵な名前の所まで行き、ホテルまで帰ってくるには、かなりの工程だったと想像しました。
私たちは、その折には東大寺界隈、佐保路巡り、奈良監獄へと別々に歩きましたが、それでもくたくただった記憶。
堀辰雄さん、アスペルガーだったかも?との説、なるほとなぁと納得でした。
一つのことに秀でるためには、また一人の人を愛しつづけるには、そんな性向があることが最大の条件となることでしょう。
大人にも、子供にも正面きっての向き合い方が不得手だったようですね。
by妻さんが最後に書かれていますが、「多恵子夫人、お疲れ様でした。」でしょうね、きっと。
佐保路を歩いたのは2022年のコロナ禍の折。丁度その時期、通常は非公開のご本尊が公開されていることを知ったからでした。
海龍王寺、素敵なお寺でしたので一言。
もともとは不比等さんの邸宅を受け継いだ光明皇后がそこにお寺を建てられた。そこは平城宮の鬼門を守る位置にある。しかも、そのお寺を避けるようにして通りが通っている。玄昉さんは、そのお寺を天皇家の私寺とされた、などなどから当時もお寺が大切にされていたことが伺えるようでした。光明皇后が刻まれた十一面観音像を元にして鎌倉時代の仏師によって造られた秘仏を、その折には公開していました。良いお顔をされていました。
法華寺も光明皇后ゆかりのお寺でした。私としては海龍王寺ぐらいの規模のお寺がしっとりとしていておおいに気にいったのでした。
そんなで堀辰雄さんよりお寺の思い出になってしまいました。
mistral
Re: 佐保路を思い出しました。
この旅行記は2026年2月の飛鳥奈良10日間の記録です。
法隆寺は5月11日-15日で、いましゃかりきになって書いているところです。ちょっと書き方が紛らわしかったですね。
堀辰雄は非常に人見知り、内気な人だったらしく、「菜穂子」で第1回中央公論社賞を受賞したときも、受賞の言葉は「ありがとうございます、堀辰雄です」だけだったと多恵子が言っています。多恵子さん、困ったでしょうね。
でも、川端康成、室生犀星、芥川龍之介、折口信夫などの師に恵まれ、中村真一郎、福永武彦などの「若い友人」に囲まれていました。福永武彦は筑摩書房版堀辰雄全集の編集に病身をおして没頭し、命を縮めたと、中村真一郎が言っています。自分は福永に万が一があった時の跡継ぎで編集委員になったにすぎないと、中村が自分で書いています。その通りになりました。
堀はなんとも魅力的な人物だったようです。
多恵子も当時としてはめずらしく英語が読めて、書けて、話せるという才女でした。
堀辰雄が結核であることを知って結婚したのですから、堀の才能を見抜いていたのでしょうね。この人に文学をやらせるというのが自分の使命だと思っていたみたい。多恵子はキリスト教徒でした。
堀は不思議な人物です。
堀辰雄紀行はまだ本編「風立ちぬ」「菜穂子」が始まっていません。こっちの寿命がもつかなと心配です。両作品の舞台、信州富士見の取材は終わっているのですが、まだ手つかずです。私の手に負えないかもしれません。
5月31日から葛城に行ってきます。沼りそうです。吾田媛、磐之媛、飯豊皇女など、魅力あふれる人物がいっぱいいます。全部女なのが、私らしい。
法華寺の十一面観音、見たかったなあ。
法華寺も海龍王寺も、堀は書かれなかった万葉小説の舞台として考えていた気配があります。いまでもそれにふさわしいいいお寺ですよね。
歌姫も、おそらく、かれの万葉小説の舞台になったはず。
4世紀、武埴安彦(たけ・はにやすひこ)と吾田媛夫婦を引き離したのが、歌姫越えでした。そんなエピソードも織り込まれたのではないかと、妄想をたくましくしました。記紀の飛鳥以前の話しです。
2026年05月21日15時32分 返信する -
雪のマジック
しにあさん
続きましてのコメントです。
雪のマジックに覆いつくされた明日香。
そうですね、私のイメージは田畑も優しい緑に覆われているイメージが明日香です。
こんな一面が真っ白になってしまうと、やはり足あとをつけるのは忍びなくなりますね。
見せていただけるのは嬉しいことですが、現場でお写真をとったりされるのは
寒さ故、大変だったことでしょう。
途中から、空が映し出される場面が多くなっていきますが。
そのお空が不思議なことに、モワモワと湯気がかかったように(なんと表現して
良いのやらわかりません)なっています。
特に、正面あたりが飛鳥浄御原宮跡あたり、とコメントされたお写真では
それが顕著にみられます。
雪空のせい?
それとも明日香マジックでしょうか?
私のPCだけ?
なにはともあれ、一層幻想的に見えました。
mistralRe: 雪のマジック
雪のマジック。
写真の雪空のもやもやですが、iPhoneで撮っています。iPhoneに残っている原画にはありません。
PCに移すときにおこる現象のようです。
たぶんiPhoneのカメラのセットの問題だと思いますが、買ったままでいじっていません。
こんどソフトバンクに聞いてみます。
iPhone16のカメラは、近、中距離のスナップ写真が目的で、遠距離の風景写真には向いていないのかなあ。
次回のマルコ山古墳の青空でも同じです。青空に縞ができます。
前のiPhone12や普通のデジカメではなかった現象です。
新しけりゃいいということではないみたい。
雪の飛鳥も葛城も、狙って撮れる写真ではないので、縞があってもありがたいことです。
雪の写真は手袋をしたりとったり、手間がかかります。
それでも軽井沢や信濃追分にくらべればましです。あそこでは零下5度とかいうことで、しばらく写真をとったら指の感覚がなくなります。
それでもいい記録写真をとりたいという根性でがんばっております。これからの季節はそういうことはなさそうで、らくちんです。
2026年04月14日10時12分 返信するRe: 雪のマジック
しにあさん
ご返信をありがとうございました。
送信する際に、送ったという反応がない?ように思い
何度もお送りしてしまいました。
申し訳ありませんでした。
そちらで削除できるようでしたら、どうぞ削除をしてくださいませ。
ところで私もiPhone16 Proを使っています。
最近ではこれだけで間に合わせています。
遠景を撮る際にも、今回のような現象は見られませんので
お伺いしました。
やはり明日香、特に冬空の、マジックでしょうか。
mistral2026年04月14日12時22分 返信するRe: 雪のマジック
もやもやの原因が分かりました。
写真の容量を減らすためにカメラの設定が高効率、HEIFというフォーマットになっていました。これを互換優先のJPEGにしたら、もやもやはPCに移しても問題ありませんでした。そんな操作した覚えはないのですが、初期設定がそうなっていたのかもしれません。
ご参考までに。
2026年04月14日17時57分 返信するRE: Re: 雪のマジック
しにあさん
そんな設定があるんですね。
でも、忘れてしまいそうです。
お知らせを有難うございました。
mistral
> もやもやの原因が分かりました。
> 写真の容量を減らすためにカメラの設定が高効率、HEIFというフォーマットになっていました。これを互換優先のJPEGにしたら、もやもやはPCに移しても問題ありませんでした。そんな操作した覚えはないのですが、初期設定がそうなっていたのかもしれません。
> ご参考までに。
>2026年04月14日20時21分 返信する -
もうこの森
しにあの旅人さん こんにちは
もうこの森とは何だろうと Google で調べましたところ、いの一番に出てきたのは フォートラベル、しにあさんのブログでした。
それにしても 博識ですね。
ゆきにけむる明日香村、動き回るには都合ですが こんな美しい景色が見られるなんて幸運です。都合→不都合
歴史好きな人たちが集る明日香村、道路だけが完璧に除雪されているのは、違和感がありました。
山の上憶良の歌がピッタリな寒さでした笑い。
pedaru
Re: もうこの森
大原神社から飛鳥座神社に降りる道は不思議でした。それ以外の道はおおかれすくなかれ雪があったのですが、ここだけは全然ないのです。除雪にしてはきれいすぎるし、塩かなんかの溶雪剤をまいていたのかもしれません。道路の色が違うので、なんか特殊な舗装ですかね。
翌日は葛城に行ったのですが、ここは二駆の車ではちょっとした坂でも上れないくらいの雪でした。
同じ奈良でも飛鳥と葛城では全然ちがいました。
雪の飛鳥はきれいでした。こんなこともあるんだと、日ごろの行いのよさ(?)をかみしめました。
まったく観光客がいないのですよ。
次回は明日香村と飛鳥座神社です。ゴースト村状態でした。
2026年04月05日20時04分 返信する



