しにあの旅人さんへのコメント一覧全592件
-
徹底的に遊ぶ駅
しにあの旅人さん おはようございます。
入れ歯の人間には硬い老舗のせんべいよりは、ぬれ煎餅は味方です。失敗を味方にする、まさに現代を生きる知恵なんですね。
こういうところに行くのは一人旅では怪しすぎます。笑いあってこそこの電鉄訪問が意味を持ちます。真面目腐ってその笑いの本質を検証している男、私ならにんまりしながらぬれせんべいをかじる滑稽な図になるでしょう。
ダジャレがpedaruの代名詞になりつつあります。この頃自粛しているつもりなんですが、氏より育ち、ばれるものですねぇ。(正確には使い方が間違っていますが)
このだじゃれは最高です、なぜならおもしろいからです。なぜ面白いかと言うと実にレベルが低いからです。下手なだじゃれほど面白いのはありません。
おっしゃるようにたいへん気に入りました。
こういう駅にわざわざ出かけるお二人は実に面白くて貴重です。ありがとうございました。
pedaruRe: 徹底的に遊ぶ駅
原稿をUPしてから、By妻が面白いことをいいました。
銚子電鉄はレジャーランドならぬ、駄洒落―ランド。
わが妻ながら、うまい!
銚子電鉄がノセようと努力しているので、ここは素直に電車と冗談に乗ってきました。おもしろかった~~~
ぬれ煎餅は、あの食感がなんともいえません。銚子電鉄以外のぬれ煎餅を食べたことないので、なんとも言えませんが、おせんべいともおまんじゅうともいえず、不思議な食い物でした。
たしかに歯にはいい。
銚子電鉄のダジャレが気に入っていただいて嬉しい。社長は喜んでいるでしょう。
社長ってどんな人ですかね。
企画会議で、大真面目に次のダジャレを喧々諤々議論しているのでしょうか。それを公開してくれたら、もっと面白いのに。
犬吠駅にぬれ煎餅を買いにいくだけの旅でした。
旅そのものが冗談でした。
2026年08月31日20時36分 返信する -
「箸墓」という名前だけで特別な古墳に感じます
しにあの旅人さん
こんばんわ。
箸墓古墳に行かれたのですね。
私は奈良旅を始めたばかりのころ、奈良市内から三輪駅までの山辺の道を10時間歩いた時に、山辺の道から外れて箸墓古墳に立ち寄りました。
しにあの旅人さんとは違って大通りから入ったので、あんな脇道があるとは知りませんでした。
「ととひ(鳥鳥飛)」とは「魂が抜けて鳥のように飛んで行く」⇒霊懸かりする巫女のことらしいです。
つまり百襲姫は巫女姫であった。
古事記に出てくる方達は名前でどういう役割があるか、どういう素性であるか、どんな容姿であるかが分かって面白いです。
百襲姫が巫女姫であったことが箸墓古墳が卑弥呼の墓と言われる1つの理由なのでしょうか。
箸墓古墳の築造時期が3世紀なので卑弥呼の時代になりますが、私は魏志倭人伝から考えるに「邪馬台国があったのは九州説」を押します。
百襲姫が三輪の神様の本当の姿(蛇)を見てしまって驚いて陰部を箸で突いて死んだことから「箸墓」と名付けられたんですよね・・・
私が行った時に蛇はいませんでしたが大きいトカゲがいましたよw
「祝園」という名前が縁起が悪いとは知りませんでした。
関東人からするとなんで「祝」が「ほう」と読むのか分からないだけでした。。
奈良京都大阪は難読地名が多くて面白い。
ところで荻原規子さんという児童作家さんの作品で「勾玉三部作」というのがあります。
読み手の対象はおそらく小学校高学年かと思われますが、古事記などをモチーフにして書かれているので大人が読んでも面白いです。
(私は図書館で読んでハマり、セットを大人買いしましたw)
記憶がおぼろげですが、第一部は確か天照大御神を元にした「空色勾玉」で第二部がヤマトタケルを元にした「白鳥異伝」、最後は平安時代を舞台にした「薄紅天女」です。
第二部の白鳥異伝にモモソ姫が出てきます。
結構衝撃的な内容でしたが・・・
お暇があれば是非読んでみてください♪Re: 「箸墓」という名前だけで特別な古墳に感じます
奈良市内から10時間あるいたのですか!
すごい健脚。
箸墓古墳が卑弥呼のお墓か、みなさん興味あるところです。
発掘してしまえば簡単です。天皇の古墳ではないし、かまわないとおもうのですがね。
日本書紀の壬申の乱では「箸陵」という名前で出てきます。書紀編纂の前ですから、この時代で「ととひ」さんの伝説はあったらしい。もとの伝承はどんなものだったか、残念ながら元資料は残っていないので、残念。
書紀は卑弥呼を見事にスルーします。どうしても卑弥呼を出したくない理由があったのか、実在しなかったのか。
書紀編集部は魏志倭人伝を読んでいたはずですから、謎です。
「祝」を「ほう」と読むのは、By妻の「はふり」からなんとなく見当つきます。「ほうり」とも読むそうです。諏訪大社の神主の一番偉いのは大祝(おおほうり)でした。
京都奈良の難読地名は説明されると、ああ、古い日本語なんだなと見当つきます。
私の地元千葉房総では、「南白亀川」などというのがあって、「なばきがわ」と読みます。これなど大昔は黒潮にのってやってきた海洋民族の言葉で、それに強引に「南白亀川」という漢字をあてたのではないかと思っています。
荻原規子の本、県立図書館で探してみます。面白そうですね。
2026年08月25日17時43分 返信するRe: 「箸墓」という名前だけで特別な古墳に感じます
奈良市内から10時間あるいたのですか!
すごい健脚。
箸墓古墳が卑弥呼のお墓か、みなさん興味あるところです。
発掘してしまえば簡単です。天皇の古墳ではないし、かまわないとおもうのですがね。
日本書紀の壬申の乱では「箸陵」という名前で出てきます。書紀編纂の前ですから、この時代で「ととひ」さんの伝説はあったらしい。もとの伝承はどんなものだったか、残念ながら元資料は残っていないので、残念。
書紀は卑弥呼を見事にスルーします。どうしても卑弥呼を出したくない理由があったのか、実在しなかったのか。
書紀編集部は魏志倭人伝を読んでいたはずですから、謎です。
「祝」を「ほう」と読むのは、By妻の「はふり」からなんとなく見当つきます。「ほうり」とも読むそうです。諏訪大社の神主の一番偉いのは大祝(おおほうり)でした。
京都奈良の難読地名は説明されると、ああ、古い日本語なんだなと見当つきます。
私の地元千葉房総では、「南白亀川」などというのがあって、「なばきがわ」と読みます。これなど大昔は黒潮にのってやってきた海洋民族の言葉で、それに強引に「南白亀川」という漢字をあてたのではないかと思っています。
荻原規子の本、県立図書館で探してみます。面白そうですね。
2026年08月25日17時43分 返信する -
画像の引用について
「近世国絵図総覧」という Webサイト (個人・非商用) を趣味で細々と運営している
一ノ宮ガユウと申します。この記事とは直接関係のない質問となり、申し訳ありません。連絡手段が限られるため、お許しいただきたく。
https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/14633488
上記の投稿のお写真 (記念碑) を以下のページで引用 (転載) させていただけないでしょうか?
https://www.gayou.org/boundaries/nagashima/nagashima.html
地理・歴史を解説するページで、長島について解説しています。形式は以下と同じです:
https://www.gayou.org/boundaries/fujimi/fujimi.html
見出し「要因と経過」のすぐ上に、この解説に関係する景観の紹介がございます。
ご検討たまわりたく、よろしくお願いいたします。Re: 画像の引用について
一ノ宮ガユウさん
https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/14633488
の写真引用了解しました。
ご自由にお使いください。
ただ、私自身が鑑真に関するブログでこの碑に言及することがあるかもしれません。同じ写真は使いませんが、この点ご留意ください。
2026年08月14日22時32分 返信するRe: 画像の引用について
お許しいただきありがとうございました。
さっそく以下で引用させていただきました。クレジットを含めて何か気にかかることがございましたら、ご指摘くださいますと幸いです (お手数をおかけいたします)。
https://www.gayou.org/boundaries/nagashima/nagashima.html#ngshmdata2026年08月15日13時05分 返信する -
大雨のようですが。。。
しにあさん&by妻さん、こんばんは
夜分に失礼いたします。
旅行記ではなくて、大雨特別警報レベル5とのこと、どんな様子ですか?
雷と大雨ですか?
崖崩れなどありませんように。
取り急ぎ連絡いたしました。
前日光2026年08月13日22時22分返信するRE: 大雨のようですが。。。
お見舞いありがとうございます。
我が家のあたりは無事です。テレビで大規模冠水の映像が流れていますが、
あれは駅の反対側です。
ただ外房線が止まっています。午後からは再開とのこと。
17日からの奈良旅を控えていて、ちょっと心配。性懲りもなくまた奈良です。
> しにあさん&by妻さん、こんばんは
> 夜分に失礼いたします。
> 旅行記ではなくて、大雨特別警報レベル5とのこと、どんな様子ですか?
> 雷と大雨ですか?
> 崖崩れなどありませんように。
>
> 取り急ぎ連絡いたしました。
>
>
> 前日光2026年08月14日09時17分 返信するRE: RE: 大雨のようですが。。。
こんばんは。
奈良に出かける前に、まだこの掲示板を見る機会があるでしょうか?
大網白里の水害はかなりひどかったようですねぇ(ニュースを見る限りでは)
> あれは駅の反対側です。
→そう言われましても、本当に?と思ってしまいますが。
被害がなかったということでしたら、それはけっこうなことです。
> 17日からの奈良旅を控えていて、ちょっと心配。性懲りもなくまた奈良です。
→明日からの奈良は、32℃とか34℃、36℃なんて言う日もあるようです。
比較的涼しかった関東からではコタエルと思いますが、どうかお気をつけて、無理せず、頑張り過ぎない旅になることを願っております。
前日光
2026年08月16日22時09分 返信する奈良より無事生還
昨日無事帰ってきました。
11歳孫姫に奈良を見せに行きました。たぶん最初で最後のじじばばとの旅行です。
11歳のエネルギーは無限、こちらは残り少なく。35,36度の観光は心底疲れました。11歳は平気のちゃらちゃら。
お肉が大好きな子で、私たちの倍食べました。By妻は最後の方は夏バテでほとんどのどを通らず。
平熱が37度ですから、いつも抱きつかれていたBy妻は大変。
一番興奮したのは奈良公園の鹿。合計10束100枚の鹿せんべいを配っていました。自分でも食べて、おいしいそうです。
近鉄奈良駅のガチャにも興奮していました。無制限にやらせたので、楽しかったでしょう。
親には内緒です。
奈良は、やはり少し早すぎたようです。
大仏、万葉文化館はまあまあかな。
飛鳥寺は庭の小石に気に入ったのがあったとか。
平城宮跡は猛暑でパス。
箸墓古墳、石舞台、ほぼ反応なし。
法隆寺は好きも嫌いもなく、とっつかまえて、こんこんと説明しました。
10年くらいたったら、なにかを思い出してくれるでしょう。
次は恋人とくればいい。古代史が好きな恋人であってほしい。
2026年08月21日10時17分 返信する浄瑠璃寺へのバス
はやくも次の奈良旅をもくろんでいます。
堀辰雄の恭仁京旅行のあとをたどろうと思って、JR加茂駅のバスを調べました。奈良交通209がJR奈良駅から出ています。
このバスは浄瑠璃寺行でした。1時間に1本。後年多恵子が乗ったバスというのは、これですね。
車を息子にやってしまったので、今後はバスと電車の旅です。
浄瑠璃寺もバスでいけるんだ、と思いました。2026年08月26日09時59分 返信するRE: 浄瑠璃寺へのバス
こんばんは。
> はやくも次の奈良旅をもくろんでいます。
> 堀辰雄の恭仁京旅行のあとをたどろうと思って、JR加茂駅のバスを調べました。奈良交通209がJR奈良駅から出ています。
→なんと!
では、私でもこのバスに乗れば浄瑠璃寺に行けますね?
いつになるか分かりませんが、またあの寺には行ってみたいです。
> 車を息子にやってしまったので、今後はバスと電車の旅です。
> 浄瑠璃寺もバスでいけるんだ、と思いました。
→バスや電車で行く奈良というのも、ありですね!
私もそうなるかもしれませんので、良い情報をありがとうございます<m(__)m>
各地で大雨被害がすごいです。
なんとか台風だけでも、早いとこ通過してほしいものです。
前日光2026年09月03日23時39分 返信する車なしのテストケース
どうやら車なしの旅を考えなければならないようです。
奈良交通209、加茂駅からJR奈良駅までの帰りに乗ってみます。乗り心地、ブログにするつもりです。
9月末、ウワナベ古墳、ヒシアゲ古墳、コナベ古墳に行ってみます。自衛隊奈良基地までバスで行けます。
磐之媛太后、八田皇女のお墓に治定されています。葛城縦の旅の続きです。なんでこの二人のお墓を隣り合わせにしたのか。だれだか知りませんが、意地悪な人物です。
二人でそのいけずな根性をこき下ろそうと思っています。
大極殿までバスで行って、そこから歌姫村、歌姫坂をあがって奈良山まで行ってみます。歌姫坂は前回車で下りただけですが、まことに鄙びた峠でありました。
車なしの旅のテストケースです。
3月からのジム通いの成果がでるといいな、と思っています。
2026年09月04日10時45分 返信する -
飯豊天皇
しにあの旅人さん
こんばんわ
飯豊青皇女!
この方を取り上げてくださるとは。
私も天皇陵巡りをしている時にたまたまこの古墳を見つけて、「飯豊天皇?って誰??」と思って調べたら、推古天皇に先駆けた女帝であった可能性のある方と知って驚いたものです。
日本書紀には「陵」と記されていて、あの時代に天皇扱いだったことが窺えるそう。
例の「交合」のお話し、私も知っています。
相手は清寧天皇の可能性が高いそうです。
清寧天皇は白髪皇子と名がついたようにアルピノだったらしく、雄略天皇はその姿に神威を感じて彼を後継者にしたとのこと。
ただ生殖能力はなかったようでその後の後継者問題に相当悩んでいた。
それもこれも父王である雄略天皇が親戚を殺しまくったからなのですが・・・
で、播磨で億計皇子と弘計皇子が見つかって清寧天皇は非常に喜んだということです。
その2人が皇位に即く前に中継ぎとして政務を行っていたとされるのが飯豊青皇女らしいです。
この辺は色々入り組んでいて面白いですよね。
皇位があっちこっちにいって。
億計皇子の娘達が今上天皇に血を繋いでいっている点も感慨深いです。
因みに弘計皇子(顕宗天皇)の宮が明日香にあったそうで、その跡とされる神社に6月の奈良旅で行って参りました!
奈良は古事記・日本書紀の記す場所がたくさん遺されていて本当に面白いです。
これからも一緒に歴史を感じる旅をしていきましょう!
Re: 飯豊天皇
飯豊天皇陵にいらしたのですか。
私たち以上の天皇陵オタクですね。
あのあたりはふつーの人は行かないところです。
例の「與夫初交」の相手の「夫」がだれか、ブログ第1稿のBy妻説では旅猫さんと同じ清寧天皇でした。1000文字くらいの大論文。
この件で喧々諤々、議論の末夫婦喧嘩になりましたが、落ち着いて、頭を冷やした結果、清寧天皇ではないという結論にしました。
漢文原文だと、これは「夫」を強烈に馬鹿にする文章です。
扶桑略記と読み比べると、8世紀初頭、日本書紀編纂の時代まで伝わっていた文書からの引用です。書紀編集部の上の方が、現場のライターを無視して、強引に押し込んだのではないかという感じ。
8世紀では、清寧天皇を馬鹿にする理由が見当たらないのです。
そのくらい不自然です。全文カットしても、書紀の記述の流れにまったく影響がありません。
当時の人は、ここまで書いておけば「ああ、あの人の先祖ね」と分かった。
今となってはその文書が失われてしまったので、だれだかわかりません。
失われた文書とともに、当時藤原京ではやっていた、猥雑な里謡のようなものがあったんじゃないか。
日本霊異記には、孝謙天皇の死後奈良の都ではやった、天皇と道鏡を揶揄する卑猥な流行り歌が採録されています。あんな感じのものを想像しました。
私は、乙巳の変で滅ぼされた蘇我氏の先祖のだれかではないかと想像しています。蘇我氏は葛城は先祖の土地だからよこせと、推古天皇に要求して断られています。このあたり調べ始めたらきりがないので、今回はやめました。
弘計皇子(顕宗天皇)の宮が明日香にあるのですか、ブログになっていたら教えてください。
飛鳥奈良は行くたびにこれで卒業と思うのですが、毎回単位を落として留年です。8月半ば、9月末にまた行きます。
2026年08月03日17時47分 返信するRe: 飯豊天皇追伸
飯豊皇女コメ返事追伸
弘計皇子神社のブログ見つけました。25回目の奈良旅ですね。
写真が多くて、読み落としたようです。
別途コメントお送りします。
2026年08月05日08時36分 返信する -
お久しぶりです
昨夜書き込んだコメントが、こちらの手違いで消滅(T_T)
再度コメントする体力と気力も失せる今日の暑さ(^_^;)
とうとう夏がやってきてしまいました!
苦手な夏、少なくても9月まではこの天候でしょうね。
浄瑠璃寺、三度ほど訪れています。
最初はまだ20代だった昭和55年(1980)の8月、岩船寺までの山道を歩きました。暑かったですが、今のような夏ではありませんでした。
宝池のほとりを、若き大和田伸也さんによく似た青年が逍遥しておりました。
阿弥陀堂内で御朱印を所望したら、お守りとか線香を売っていたかっぽう着姿の女性が「九体佛」と書いてくれました。これが文化なんだと、その時強い印象を受けました。
二度目はたぶん1990年頃の秋、修学旅行の引率で「クラス別行動」というのがあり、私はまんまと自分のクラスの40数名をだまくらかして、浄瑠璃寺に案内しました。他のクラスが清水寺とか嵐山とかの有名どころに行ったというのに、「浄瑠璃寺ってなんだ?」という悪ガキのお兄ちゃんなんかを、よくも連れて行ったものだと、自分をほめてあげたいです。
帰ってきてからのベテラン教師の授業で「おまえたちは、なかなかいい寺にいったものだな。そんなに簡単に行けるところじゃない」と言われた悪ガキたちは、悪い気はしなかったみたいで、私にこっそり「Y先生に誉められた」と教えてくれました。
京都のハズレにあるので、渋滞を心配した運転手が早朝出発しました。早く着きすぎて、例の山門はまだ開いておらず、新聞受けに新聞が入ったままでした。
「先生、このお寺、入れてくれるの?」と心配そうな生徒の顔を思いだします。
三度目は2014年の9月、浄瑠璃寺はさほど変わっていませんでしたが、岩船寺への山道は土が崩れて歩きにくくて、30年前とずいぶん違っていてちょっとショックでした。
山の辺の道も自転車で昔は行ったのですが、今はあの道を自転車走行するのは難しいと思いました。
やはり30年、40年と経つうちに地形も変わるし、住人の文化を守ろうとする意識も変化するようです。
奈良ホテルから浄瑠璃寺まで歩いた(しかも病身で)という堀夫妻には、ただただビックリしました。
腰痛持ちの私にはとてもできないことです。
浄瑠璃寺に関する自分の思い出ばかり書いてしまいました。
これが昨夜自分の不手際とはいえ消えてしまったのです。
今度こそ、無事送れることを祈って、クリックしますね。
前日光Re: お久しぶりです
房総も今日あたりから30度です。今のところ、昨年よりはまし。
いつまで続くことやら。
8月後半に3泊でまた奈良です。息子夫婦が11歳の孫姫を預かってくれと言ってきたので、思い切って奈良に連れて行きます。
法隆寺、飛鳥寺など、この際徹底的に古代教育と思ったのですが、どこへ行きたいと聞いたら「大仏、鹿」と即答でした。
まあ、11では斑鳩、飛鳥は早すぎますかね。
昨年の誕生日に角川の漫画日本史全巻を送りました。そのうち特にサルから聖武天皇までをよく読んでおくように言いました。
漫画でも読まないよりはいいでしょう。
なんとか古代史の沼にはまってくれないものか。
というわけで、炎天下の奈良歩きになりそうで、体を鍛えております。
昭和55年の浄瑠璃寺の、かっぽう着姿の女性ですが、おいくつくらいでしたか。
昭和18年の娘さんはこのころ53前後なのですが。
まさか、とは思いますが。
修学旅行で浄瑠璃寺とは、しぶいところに行きました。たぶん生徒さんたちも、生涯の思い出になったでしょう。40数名のうち、その後再訪したのは何人ですかね。
私たちは2012年ころに一度車で行っています。気に入った所には何回もいくたちですが、こんかいで2度目。
普通の観光ルートではありません。前日光さんでも3回。とにかく不便です。
馬酔木の満開のころ、3月後半ですかね。もう一度行ってみたい。
このトシになると時間との勝負です。体が動くうちに行きたいところに行っておこうと思っています。
2026年07月11日11時52分 返信するRe: お久しぶりです
こんにちは!(^^)!
返信、ありがとうございます<m(__)m>
御朱印を書いてくれた売店の割烹着姿の女性、言われてみればだんだん件の娘さんのような気がしてきました。
髪の毛を後ろで無造作に一つにまとめたオバサマ風でしたが、どうしてその手元から、あの流れるような文字が書けるのだろうと、当時軽いショックを受けたものでした。
残念ながら、彼女の写真はありませんが、気のせいか年齢的には「娘さん」と合致するような?
40代にしては若すぎると思いますから、すると50代の女性ということになります。
しにあさん、ひょっとしたら私は「娘さん」に御朱印を書いていただいたのかもしれません。
その時の御朱印は、次の旅行記に載せています。
↓
https://4travel.jp/travelogue/10938860
ご覧になってみてください。
8月末の孫姫さんとの奈良旅、本当に無理はしないで休みながらゆっくり奈良散策をされてくださいね!
前日光2026年07月12日16時20分 返信するRe: お久しぶりです
割烹着姿で御朱印を書くというのは、お寺の身内ということです。御朱印集めがブームになったのはそんなに古いことではないので、1980年では全部身内ですませていたのでしょう。
「娘さん」は大坂にお嫁にいったと聞きましたが、ちょうど里帰りしていた可能性もあるし。
堀辰雄の作品に出てくる「娘さん」に御朱印をかいてもらったと、前日光さんの思い出にしまっておいていいと思います。
46年前ですね。
つい最近というか、遠い昔というか。
御朱印、見ました。
達筆ですね。おしゃべりと、柿をもぐだけじゃなくて、お寺の娘としてちゃんと修行をしていたのでしょう。
アマゾンに新潮版室尾犀星全集14巻がなんと12000円で出ていました。買っちゃいました。ひどいだろうとは思ったけれど、箱なんかぼろぼろ。でも中身は問題なく読めるのでこれで十分です。
さっそく別巻の日記昭和28年5月28日を読みました。堀辰雄の死んだ日です。
「堀辰雄死す。朝子をやることにし出立。」
犀星は信濃追分には行きませんでした。「どうにも行きようがないのだ。」と書いています。
30日の信濃追分での葬式(たぶん軽井沢教会)の模様は録音され、その夜ラジオで放送されました。
朝日新聞に派手な死亡広告が出たそうです。
堀辰雄の死って、当時ではちょっとしたニュースだったみたい。
それから10日間くらいは増上寺での告別式もあり、大変な忙しさだったようです。
折口信夫の門人がきて、告別式での詩の朗読についての打ち合わせがありました。この門人って、名前は書いてないのですが、この4月になくなった岡野弘彦じゃないですかね。
告別式でのたえ子は俗気が抜けて美しかったと書いています。
たえ子が一人で信濃追分に帰るのが嫌だと言って、朝子が1週間付き合ったそうです。
こういう話、堀辰雄紀行のどっかに書きたいと思っています。
でも当然写真が1枚もないし、書きようがないですね。
浄瑠璃寺で堀辰雄の話をしていたので、これもなにかの縁かと思いました。
2026年07月13日15時24分 返信する -
大和路
しにあの旅人さん、おはようございます。
先日、『大和路・信濃路』を図書館で借りて来て読みました。
興味深かったです。
作家の書く紀行文は、結構好きです。
古本屋で見つけると、つい買ってしまいます。
古代の歴史は、発掘が進むにつれ、色々と分かってきて面白いですよね。
ただ、宮内庁所管の古墳群の発掘が出来ないのが残念です。
物凄い発見が出てくると思うので、歴史が大きく変わるのではないかと。
それが困るのでしょうけど(笑)
とりあえず、発掘できる場所を徹底的にやって欲しいものです。
古代の渡来人についても、色々ありそうですよね。
継体朝についても、さらなる解明をして欲しいものです。
旅猫Re: 大和路
「大和路・信濃路」は堀辰雄の作品でもひときわ味わい深いと思います。
筑摩の全集では「小品」という分類になっています。
「エッセイ」より長めだけれど創作ではない、ということのようです。
私は堀の妻、多恵子のファンです。「辛夷の花」や「浄瑠璃寺の春」には多恵子が直接出てくるので、特にお気に入りです。「十月」は多恵子宛の手紙がベースになっているので、登場人物のようなものです。
多恵子がモデルの小説は「巣立ち」という短編があるだけです。
モデルといえば、「風立ちぬ」の矢野綾子と混同されて、結婚後「堀節子様」という手紙をもらったこともあるし、「生きていたんですか!」と言われたこともあると本人が書いています。
宮内庁所管の古墳は、だいたい本物ではないようです。天智、天武持統陵は間違いなく本物ですから、そういうお墓も発掘しろとはいいませんが、6世紀くらいまでのほぼ真墓ではないと学者が言っている古墳は、ぜひ発掘してほしい。
とくに箸墓古墳の被葬者は本当に卑弥呼かどうか、はっきりさせてもらいたいものです。
葛城の渡来人については、ほじくっているところです。奈良の堀辰雄が終わったので、つぎは葛城シリーズを始める予定です。
2026年07月02日11時11分 返信する -
ああ、奈良ですね
お早うございます、しにあの旅人さん。二枚目のお写真の中に立っております。この道を歩きたい。8キロですか。まだ私は大丈夫です。歩けます。行きます。本日記を参考にさせていただいて、2月の終わり頃にします。馬酔木の咲き始め、”イナゴの大群”(一過性の集団旅行客)が押し寄せる前に。しにあの旅人さんは、堀辰雄氏が導きであるように私も私の導きで旅先を選びますから、お気持ちがわかる思いです。
昨今の世界遺産騒動には苦々しく思う派。もともとそれらの価値があるものを認定となって押し寄せ、なんだか下界に引きずり降ろされた気分にもなるのです。お気の毒と。
私の母も2015年彼岸に。5月でした。彼女がとりわけ好きだった百合の花だけを選んで送りました。このことをお話しできて嬉しいです。エールを感謝いたします。
mom K
-
バスがあるといいなあ
この浄瑠璃時のあと、堀夫妻は東大寺2月堂の裏手に直接出る道をかえっています。
1918年(大正7年)和辻哲郎は浄瑠璃寺を訪れていますが、午前中で往復できると思っていたようです。しかし人力車。道はひどくて途中で全員下りています。
近道があったたようです。
どうも戦前は現在の北の県道752から来る路とはちがって、南のほうから直接浄瑠璃寺に行ける道があったのではないかと思います。
こういうのを調べるのは大好きなのですが、きりがないのでやめました。
11年前と変わっていませんね。本堂の裏手にある柿の木は分かりませんでした。1967年まではあったはずなのですが。果樹の樹齢は短いので、こんなものかもしれません。
多恵子はほんとうにおしゃべりが好きだったようです。信濃追分の家を新築するとき、多恵子の部屋のおしゃべりが辰雄の病室には聞こえない間取りでした。彼女は自分はおしゃべりだと自認していました。
小さいけれど美しいお寺ですよね。
直通バスがあったのですか。今でもありますかね。
もうそろそろ自動車を息子にやってしまおうとおもっています。前進と後退を間違えそうなケースがときどきあります。
バスがあればもう一度行ってみたいお寺です。
★そのお堂を前にして、口数少なく、ただ黙ってじっと見つめていたことを思い出します。」★
私も同感です。
ただし昭和18年の辰雄さんはそうもゆかなかったみたい。
-
お二人の
かけあい旅行記。微笑ましく楽しく、古都の賑わいに、若者達と次元が違います。
奈良こそ私達のもの。そんなゴーマンな思いがよぎります。
晩秋に今年も歩きます。お二人もどこかで大事な記憶を楽しんでおられますね。 エールをありがとうございます。
mom KRe: お二人の
私たちのブログは、わたしのつまらない史実羅列、By妻の妄想旅ということになっております。史実羅列も怪しいもので、90%妄想です。
私の説にまるっきり反対の妄説が出てくることも多い。
夫唱婦不随ともうします。
日本書紀の「一書に曰く」にも反対説を唱えることもあり、伝統にしたがい、おもしろいからいいんじゃないのと、妄説焚きつけております。
ただし前方後円墳で、どっちかが舞台でもう一方は観客席というのを言い出しました。そんなばかな、と思いました。ところがあとで調べたらそれが正しいそうです。
彼女の脳の一部は古代から進化していないという説もあり、この根拠なしの直感が侮れないのです。
これからも夫唱婦不随で楽しいブログを書きたいと思います。
2026年06月18日20時49分 返信する



