しにあの旅人さんへのコメント一覧全586件
-
大和路
しにあの旅人さん、おはようございます。
先日、『大和路・信濃路』を図書館で借りて来て読みました。
興味深かったです。
作家の書く紀行文は、結構好きです。
古本屋で見つけると、つい買ってしまいます。
古代の歴史は、発掘が進むにつれ、色々と分かってきて面白いですよね。
ただ、宮内庁所管の古墳群の発掘が出来ないのが残念です。
物凄い発見が出てくると思うので、歴史が大きく変わるのではないかと。
それが困るのでしょうけど(笑)
とりあえず、発掘できる場所を徹底的にやって欲しいものです。
古代の渡来人についても、色々ありそうですよね。
継体朝についても、さらなる解明をして欲しいものです。
旅猫Re: 大和路
「大和路・信濃路」は堀辰雄の作品でもひときわ味わい深いと思います。
筑摩の全集では「小品」という分類になっています。
「エッセイ」より長めだけれど創作ではない、ということのようです。
私は堀の妻、多恵子のファンです。「辛夷の花」や「浄瑠璃寺の春」には多恵子が直接出てくるので、特にお気に入りです。「十月」は多恵子宛の手紙がベースになっているので、登場人物のようなものです。
多恵子がモデルの小説は「巣立ち」という短編があるだけです。
モデルといえば、「風立ちぬ」の矢野綾子と混同されて、結婚後「堀節子様」という手紙をもらったこともあるし、「生きていたんですか!」と言われたこともあると本人が書いています。
宮内庁所管の古墳は、だいたい本物ではないようです。天智、天武持統陵は間違いなく本物ですから、そういうお墓も発掘しろとはいいませんが、6世紀くらいまでのほぼ真墓ではないと学者が言っている古墳は、ぜひ発掘してほしい。
とくに箸墓古墳の被葬者は本当に卑弥呼かどうか、はっきりさせてもらいたいものです。
葛城の渡来人については、ほじくっているところです。奈良の堀辰雄が終わったので、つぎは葛城シリーズを始める予定です。
2026年07月02日11時11分 返信する -
ああ、奈良ですね
お早うございます、しにあの旅人さん。二枚目のお写真の中に立っております。この道を歩きたい。8キロですか。まだ私は大丈夫です。歩けます。行きます。本日記を参考にさせていただいて、2月の終わり頃にします。馬酔木の咲き始め、”イナゴの大群”(一過性の集団旅行客)が押し寄せる前に。しにあの旅人さんは、堀辰雄氏が導きであるように私も私の導きで旅先を選びますから、お気持ちがわかる思いです。
昨今の世界遺産騒動には苦々しく思う派。もともとそれらの価値があるものを認定となって押し寄せ、なんだか下界に引きずり降ろされた気分にもなるのです。お気の毒と。
私の母も2015年彼岸に。5月でした。彼女がとりわけ好きだった百合の花だけを選んで送りました。このことをお話しできて嬉しいです。エールを感謝いたします。
mom K
-
バスがあるといいなあ
この浄瑠璃時のあと、堀夫妻は東大寺2月堂の裏手に直接出る道をかえっています。
1918年(大正7年)和辻哲郎は浄瑠璃寺を訪れていますが、午前中で往復できると思っていたようです。しかし人力車。道はひどくて途中で全員下りています。
近道があったたようです。
どうも戦前は現在の北の県道752から来る路とはちがって、南のほうから直接浄瑠璃寺に行ける道があったのではないかと思います。
こういうのを調べるのは大好きなのですが、きりがないのでやめました。
11年前と変わっていませんね。本堂の裏手にある柿の木は分かりませんでした。1967年まではあったはずなのですが。果樹の樹齢は短いので、こんなものかもしれません。
多恵子はほんとうにおしゃべりが好きだったようです。信濃追分の家を新築するとき、多恵子の部屋のおしゃべりが辰雄の病室には聞こえない間取りでした。彼女は自分はおしゃべりだと自認していました。
小さいけれど美しいお寺ですよね。
直通バスがあったのですか。今でもありますかね。
もうそろそろ自動車を息子にやってしまおうとおもっています。前進と後退を間違えそうなケースがときどきあります。
バスがあればもう一度行ってみたいお寺です。
★そのお堂を前にして、口数少なく、ただ黙ってじっと見つめていたことを思い出します。」★
私も同感です。
ただし昭和18年の辰雄さんはそうもゆかなかったみたい。
-
お二人の
かけあい旅行記。微笑ましく楽しく、古都の賑わいに、若者達と次元が違います。
奈良こそ私達のもの。そんなゴーマンな思いがよぎります。
晩秋に今年も歩きます。お二人もどこかで大事な記憶を楽しんでおられますね。 エールをありがとうございます。
mom KRe: お二人の
私たちのブログは、わたしのつまらない史実羅列、By妻の妄想旅ということになっております。史実羅列も怪しいもので、90%妄想です。
私の説にまるっきり反対の妄説が出てくることも多い。
夫唱婦不随ともうします。
日本書紀の「一書に曰く」にも反対説を唱えることもあり、伝統にしたがい、おもしろいからいいんじゃないのと、妄説焚きつけております。
ただし前方後円墳で、どっちかが舞台でもう一方は観客席というのを言い出しました。そんなばかな、と思いました。ところがあとで調べたらそれが正しいそうです。
彼女の脳の一部は古代から進化していないという説もあり、この根拠なしの直感が侮れないのです。
これからも夫唱婦不随で楽しいブログを書きたいと思います。
2026年06月18日20時49分 返信する -
浄瑠璃寺
しにあの旅人さん
こんにちは。
浄瑠璃寺の旅行記を拝見しました。
参道には馬酔木の古木がずらりと植えられていたことを記憶しています。
まさに馬酔木がちらほら咲き始めた時候のしにあさんの旅行記で
その様子を楽しませていただきました。
浄瑠璃寺には一度バスで行ったことがあります。
堀辰雄夫妻は徒歩で奈良から歩いて向かったとのこと。
かなりの距離があったと記憶していますが、病身の彼がその当時には
それだけの体力・気力ともに充実していた時だったんでしょうね。
随分昔となってしまいましたが、その旅行記があるはずと辿ってみました。
下記urlがその折の旅行記です。
https://4travel.jp/travelogue/11098333
浄瑠璃寺はずっと行ってみたいと思っていたお寺でした。
そのお堂を前にして、口数少なく、ただ黙ってじっと見つめていたことを
思い出します。(旅行記でもそんなかんじでした。)
その後、岩船寺までの石仏を辿りながら山道を歩きました。
「東尾の石仏を巡って山道を歩いた。」というのが旅行記のタイトルです。
とても懐かしかった浄瑠璃寺と、それにまつわる堀辰雄ご夫妻のエピソード、
山里に今もひっそりと佇むお寺の様子がそのままに伝わってきます旅行記でした。
mistral
-
私も、奈良に「ぬま」っている一人です( ̄▽ ̄)
しにあさん&by妻さん、こんにちはヽ(^o^)丿
「歌姫」なんていう響きの良い所があったのですねぇ。
気づきませんでした!
佐保とか法蓮町とか佐紀などという地名はお馴染みだったのですが。
最近名づけられたんじゃないか?なんて疑ってみましたが、ずぅーーと昔からある地名なんですねぇ。
自分の住所を書く時「奈良市歌姫。。。」なんて書けたら、素敵ですねぇ。
もうすぐなのですが、飛鳥に行く前に「歌姫」に寄り道できないかな?と考え中。
でもたぶんレンタカーではなく、例のトラベラーさんの車に同乗させていただくので、わがままは言えません。
さて堀辰雄は「こどもが苦手」、そうでしょうねぇ。
こどもと仲よく遊ぶのは良寛さんタイプで、普通に文学なんてヤクザなことを家業とする人間にはできないことです。
「添御縣坐神社」、うーーん、ここにも行ってみたい。
古代のニオイがプンプンします。
こういうところ、大好物なんですよねぇ。
でも一人旅じゃないし。次回になるかもしれません(T_T)
それにしても多恵子夫人は器の大きな人だったんですね。
彼女でなければ、辰雄の操縦はできませんよ。
ちょっと離れた位置から夫を眺め、仕方ないわね、と鷹揚に構えることができたのでしょうね。
私が多恵子だったら、辰雄に後ろからケリ入れたくなりますが。
でも辰雄が病身だったから、手荒なことはできませんね。
やはり多恵子と辰雄は、神に選ばれし「つがい」だったということなのでしょう。
戦争中でも旅行していたという話。
この間ロシア人の青年?がクマに襲われたいうニュースを聞いたような?
ん?クマじゃなかったかな?
何か最近のニュースでロシア人が出てきたように思います。
ま、人生は一度きりですから、旅行はするのでしょう。
奈良ホテルにお米持参じゃなくて、ホッとしました!(^^)!
前日光Re: 私も、奈良に「ぬま」っている一人です( ̄▽ ̄)
「歌姫」にいらっしゃるなら、どこかに車をとめて歩いてください。街道をはずれて古い邑内に車で入るのはやめたほうがいい。
「村」より「邑」という感じ。
「添御縣坐神社」の参道前に、駐車場ではありませんが、車を置ける場所がありました。神社参拝はOKとしても、長い時間は無理でしょう
奈良の古い村はとにかく道が狭くて、なぜか側溝が深くて、車はダメです。
私たちは神社前から邑の小道の入り口だけ見て「こりゃだめだ」とギブアップしました。
このあと、予定が詰まっていたのが残念。この旅の失敗の一つです。
とにかくこの村は4世紀くらいまでさかのぼれるらしいのです。奈良時代以前古代はこの峠を越えて、ヤマトとヤマシロを往復していたようです。
多恵子の手記を読んでいたら、やはり子供はほしかったらしい。でも辰雄が赤ん坊は結核に感染しやすいのでやめようと言ったそうです。
それ以降多恵子は、夫の文学を支えることに全力を注ぐことになります。
ある種の使命感を持っていたような印象です。
日本的な良妻とはちょっと違って、なにかこう、抽象的なものに価値を見出す。出身家庭がキリスト教徒であったことに、関係するかもしれません。
明るくて、陽気で、福永武彦(神西清だったかな?)に言わせると「勇敢な」人物だったみたい。
おしゃべりで声が大きかったそうです。
奈良ホテルは工事中で6月一部開館、秋には全面再開館するそうです。なんとしてでも泊まってみたいと思っています。
奈良ホテルに泊まって、奈良博と深夜の東大寺に行くのが夢です。中に入れなくてもOK。夜空の大仏殿屋根だけでもいい。
たぶん、観光客のいない、別の東大寺に会えるのではないかと期待しています。
2026年05月24日13時26分 返信する -
奈良の旅
しにあの旅人さん、こんにちは。
堀辰雄が歩いた奈良を旅されたのですね。
旅先から恋文とはなかなかやりますねぇ
しかも、それを出版するとは大したものです(笑)
奈良ホテルは泊まってみたいのですが、あまりにも高くて。。。
大伴家持、先日、かれが赴任した越中国府跡を訪れました。
万葉集の世界でした。
歌姫なんて言う地名があるのですね。
奈良らしいというか。
添御縣坐神社と言う名称も、古い土地らしいですね。
『大和路・信濃路』、読んでみたくなったので、即、図書館に予約を入れました。
旅猫Re: 奈良の旅
堀辰雄は気に入ったひとに手紙を全力で書く癖があります。
神西清や福永武彦、中村真一郎、立原道造などの友人はもちろん、堀多恵子。
多恵子宛の手紙はとくにしっかり書かれていて、「七つの手紙」や今回の「奈良からの手紙」などは、もともとの私的な手紙の方が、のちに作品化されたものより優れていたりします。
結婚前の加藤多恵は、「風立ちぬ」の作家からそのまま先品になるような手紙を9通もらったわけで、これで結婚を決意したのは、まあ当然かな。ただそういう作家の妻に自分がふさわしいか、悩んだようです。
結果的には多恵子のサポートなしには、結核の堀辰雄は半分も生きていられなかったでしょう。
奈良ホテルは現在改修工事中で、秋には再オープンするようです。
秋には全財産はたいてでも、泊まってみようと思っています。もうすぐ80歳になります。あの世に行くには三途の川のフェリー代しか必要ないそうです。
「ねんきん老人」さんというトラベラーさんがいます。かれによると「どんな豪邸もマッチ1本で灰になる。旅の思い出は一生きえない」
旅猫さんはじつにいろんなところに旅して、いろんな思い出をいっぱい持っていらっしゃる。大変な財産ですね。
家持も計画の一つです。越中国府趾も行ってみたい。
31日から葛城に行ってきます。万葉集というか、それ以前の世界です。
行ってみたいところだらけですが、どこまで寿命がもつか。
今のところ大丈夫だとお医者は言っています。時間との競争ですね。
2026年05月24日12時23分 返信する -
佐保路を思い出しました。
しにあさん
続きましての最新旅行記を拝見しました。
今回の旅先は法隆寺近くにホテルをとられたとのことでしたね。
そして佐保路を歩いてこられたご様子。
こだわりの奈良ホテルは私も好きなホテルです。
その奈良ホテルから東大寺、海龍王時、法華寺と佐保路沿いにたどり
歌姫という素敵な名前の所まで行き、ホテルまで帰ってくるには、かなりの工程だったと想像しました。
私たちは、その折には東大寺界隈、佐保路巡り、奈良監獄へと別々に歩きましたが、それでもくたくただった記憶。
堀辰雄さん、アスペルガーだったかも?との説、なるほとなぁと納得でした。
一つのことに秀でるためには、また一人の人を愛しつづけるには、そんな性向があることが最大の条件となることでしょう。
大人にも、子供にも正面きっての向き合い方が不得手だったようですね。
by妻さんが最後に書かれていますが、「多恵子夫人、お疲れ様でした。」でしょうね、きっと。
佐保路を歩いたのは2022年のコロナ禍の折。丁度その時期、通常は非公開のご本尊が公開されていることを知ったからでした。
海龍王寺、素敵なお寺でしたので一言。
もともとは不比等さんの邸宅を受け継いだ光明皇后がそこにお寺を建てられた。そこは平城宮の鬼門を守る位置にある。しかも、そのお寺を避けるようにして通りが通っている。玄昉さんは、そのお寺を天皇家の私寺とされた、などなどから当時もお寺が大切にされていたことが伺えるようでした。光明皇后が刻まれた十一面観音像を元にして鎌倉時代の仏師によって造られた秘仏を、その折には公開していました。良いお顔をされていました。
法華寺も光明皇后ゆかりのお寺でした。私としては海龍王寺ぐらいの規模のお寺がしっとりとしていておおいに気にいったのでした。
そんなで堀辰雄さんよりお寺の思い出になってしまいました。
mistral
Re: 佐保路を思い出しました。
この旅行記は2026年2月の飛鳥奈良10日間の記録です。
法隆寺は5月11日-15日で、いましゃかりきになって書いているところです。ちょっと書き方が紛らわしかったですね。
堀辰雄は非常に人見知り、内気な人だったらしく、「菜穂子」で第1回中央公論社賞を受賞したときも、受賞の言葉は「ありがとうございます、堀辰雄です」だけだったと多恵子が言っています。多恵子さん、困ったでしょうね。
でも、川端康成、室生犀星、芥川龍之介、折口信夫などの師に恵まれ、中村真一郎、福永武彦などの「若い友人」に囲まれていました。福永武彦は筑摩書房版堀辰雄全集の編集に病身をおして没頭し、命を縮めたと、中村真一郎が言っています。自分は福永に万が一があった時の跡継ぎで編集委員になったにすぎないと、中村が自分で書いています。その通りになりました。
堀はなんとも魅力的な人物だったようです。
多恵子も当時としてはめずらしく英語が読めて、書けて、話せるという才女でした。
堀辰雄が結核であることを知って結婚したのですから、堀の才能を見抜いていたのでしょうね。この人に文学をやらせるというのが自分の使命だと思っていたみたい。多恵子はキリスト教徒でした。
堀は不思議な人物です。
堀辰雄紀行はまだ本編「風立ちぬ」「菜穂子」が始まっていません。こっちの寿命がもつかなと心配です。両作品の舞台、信州富士見の取材は終わっているのですが、まだ手つかずです。私の手に負えないかもしれません。
5月31日から葛城に行ってきます。沼りそうです。吾田媛、磐之媛、飯豊皇女など、魅力あふれる人物がいっぱいいます。全部女なのが、私らしい。
法華寺の十一面観音、見たかったなあ。
法華寺も海龍王寺も、堀は書かれなかった万葉小説の舞台として考えていた気配があります。いまでもそれにふさわしいいいお寺ですよね。
歌姫も、おそらく、かれの万葉小説の舞台になったはず。
4世紀、武埴安彦(たけ・はにやすひこ)と吾田媛夫婦を引き離したのが、歌姫越えでした。そんなエピソードも織り込まれたのではないかと、妄想をたくましくしました。記紀の飛鳥以前の話しです。
2026年05月21日15時32分 返信する



