しにあの旅人さんへのコメント一覧(52ページ)全581件
-
レンタカーでの旅
シニアの旅人さん
プーリアドライブの旅行記、楽しく共感をしながら
拝見しました。
それにしましても記録がシッカリと残されていますのは
奥様のご協力があればこそなんですね。
レンタカーのドライブについてのエピソードは
我が家でも数限りないほど、ありますね~
なんと言っても、シニアの旅人さんも多くのレポートに
残されています駐車場についてのエピソードが多いですね。
そういえば今回もトレドでもありました。
駐車場で何かが起こるんだったら、いっそのこと
路上に停められればそれに越したことはないとも思います。
それでも路駐もなかなかハードル高し!
それから、カーナビも相性が悪いと役に立たず!
もうレンタカーはこりごり、と思っていても
次回の旅にはきっとまた予約をされているかもしれませんね。
mistral
-
む、難しい~
活字も屁理屈も嫌いじゃない方なんですけど…
龍王神社由緒「○○~○」の漢字が読めない、漢字が多い、なんだかよく分かりませんが、
ブサカワイイ猫ちゃんと貫禄ある鶏さんに2票^ ^
神社詣ではお正月の三社参りくらいしか縁がありません。
昔々、聖徳太子は推古天皇と蘇我馬子の隠し子だ、だの、天智、天武、皇極は三角関係だった、孝徳(斉明)女帝は道鏡と愛人関係で好色だった、だのと真顔で教える日本史教師の話に、素直に聞き入っていたうら若き乙女だった青春時代を思い出しました♪
しょ~もないコメントでm(_ _)mRe: む、難しい~
新シリーズ記念すべき初コメント有り難うございます。
この種の反4Tra的ブログに最初に反応してくれるのはだれかなと思っておりましたが、やはりkummingさんでした。ところで、いまさらですが、なんと読むんですが? カミングと勝手に読んでおりましたが。
漢字が多いのは覚悟して下さい。こんなの序の口、これから記紀、出雲風土記、原文書き下し引用が出てきます。でもなんたって日本語です。うら若き乙女、絶対昔のままです。思い出せ、若い血潮!!!
出雲風土記現代語訳、お勧めします。あんなすばらしいものが1300年前に書かれていたなんて、びっくり仰天です。私たちの先祖、すごかったんですよ。そのうち出てきます。常陸国風土記は少し落ちる。2019年11月20日19時38分 返信するむむむ…
そういえばまだ見ぬシニアの旅人さんの日本史探訪の旅行記がたくさん(°_°)
日本史は奈良天平止まり、記紀やら風土記なんて範疇外で、せっかくのおススメ、出雲風土記現代語訳も、手に負えませぬ~_~;
昔々、谷崎潤一郎訳の源氏物語を読んで、大事な処(所謂濡れ場?的な)がボカし表現で、何度も読み返して想像力を最大限に働かせていたうら若き乙女も、今や映倫も真っ青な直接話法にもへ~ぜん(笑)
怪僧道鏡と愛人関係だったのは、孝嫌女帝、だったかも?
このように若い血潮はどろどろの末期症状…。
カミングって素敵なお名前頂戴仕りありがたや~
呼び名はくもみんたんビアンコ、という事でお願いしても?
分からないなりにシニアの旅人さんの熱い血潮を感じます♪2019年11月20日23時24分 返信するくもみんたんビアンコさん、こんにちは
出雲国風土記、おもしろいんですけどね。行政レポートみたいなもので、なんとか郷には村がいくつあって、山はどうのこうの、川ではなんとかいう魚がとれるとか、細かい事実の羅列です。地名伝説以外は神話なんて出てこない。1400年前に客観的な行政レポートなんて、すばらしい。ただ、出雲について何かを調べる人以外、多分まったく面白くない。うらわかい女学生が興味をもつような話はなし。
最近は古代道路にはまっています。「古代甲斐国の交通と社会」というのを熟読しています。興味ありますか?出版社、著者おしえましょうか?
旅ブログ書くようにうなってから、変人度が一段と増したようです。昔、「ポリバケツができるまで」とかいう短編ドキュメンタリー映画があった記憶があります。どんな変人が見るんだろうと思ったものですが、そういうレベルにきつつあるかも。2019年11月27日10時31分 返信する -
初めまして
凄いなカステル・フィオレンティーノに行かれたのですか。私もフェデリーコ2世を尊敬しているので、この光景は感動ものですね。
5年ほど昔になりますかガルガノ半島に出かけたおりにここも行けたらいいのかなと調べたのですが、グーグルで見ると道が途中からオフロードになっていて普通の車だと最後まで行けないかもと思って断念しました。もっとも立ち寄るとスケジュール的にも厳しくなってしまうというのもありましたが。
乾燥していたから良かったのでしょうが、やはり車を選ばないと難しいようですね。
Re: 初めまして
コメント有り難うございます。お礼が遅れました。またもやヤマトタケルで信州、奈良に行っておりました。
カステル・フィオレンティーノは本当に行ってよかったと思います。無人の丘の上で、周囲360度、はるか地平線まで動くものがないのです。人も自動車も小さすぎて見えない。
風力発電の風車と、遠くの町のビルを無視すれば、FDIIが目にしたプーリアの景色と大して変わりはないだろうと思います。
私たちが訪れた日は快晴、しばらく雨は降っていなかったようで、なんとか前輪駆動車で上がれました。道はダートですが、平地はどうってことはありません。最後の登りは数百メートルです。頂上でのUターンは問題ありません。
天候と相談ですが、可能であれば行かれることをお勧めします。2019年11月18日11時09分 返信する -
お祝い申し上げます♪
終章脱稿、おめでとうございます♪
パレルモ、フォッジア、ルチェラ、メルフィ、バーリー、それから、イェージ博物館とカステルデルモンテ!
行きたい! けれど、レンタカーでの旅? 1人じゃムリ~
シチリア行きたい友だちはいても、一緒だとFDl lに特化した旅はムリ~(;_;)
ならば、
ひとまず?!
終章=最終章に非ず??
という事で、ますます(続編?)期待に胸膨らませつつ、いつか私もプーリアの風に吹かれ、その地に立つ日を夢見ながら。
ありがとうございました♪ -
脱稿、おめでとうございますm(._.)m
とうとう終章が投稿されました!
終章を拝見し、もう一度最初から再見、再読させて頂きました♪
FDIIの足跡を辿る旅、それ自体が壮大な試み、である事に加えて、一連の旅行記作成時の入念な調査研究、あらゆる言語の翻訳などなど、大変な熱量(どっかで聞いたセリフ?)、熱意、ご苦労を思い、今更ながらいたみいります。
フィオレンテイーノの石碑、確か塩野さんご自身も訪ねてられた折の感想をどこかで書いておられましたね。
ある本の後書きで、歴史に未だは証拠による裏ずけされていない部分(期間?)があり、そこを著者の想像力で補い、物語として成立させてしまう事もあるが、そのようなロマン派と、裏付けのないものを史実として認めない、という態度をとる厳格な歴史学者、がいる、という説がありました。歴史家の間では、塩野氏やカントーロヴィッチは、ロマン派、に位置付けられるのでしょうね。私など一般読者にとっては、証拠がなくても、著者の思い入れだろうが想像だろうが、血湧き肉躍る生きた歴史を登場人物と供に、背景となった舞台へと誘ってくれる、物語的歴史、に心惹かれます。史実として認められた事実だけを連綿と綴られてもねえ〜~_~;多分私は読み進めない!ロマン派万歳♪ (もちろん塩野氏もカントーロヴィッチも膨大な資料を読み込んでの執筆ですが)
思うんですが、FDIIって、キリスト教徒より、どっちかといえば、心境的にはイスラム系に近かったのでは?
歴史学習では、往々にして、文明と文明、宗教と宗教、の抗争、争いだけに着目しがち(事件ですから)、実際には、数百年というスパンで見てみると、同じ土地に小競り合いしながらも、お互いを必要とし合い共存共栄していた時間の方が、ずっと長い。平和な時代はトピックにはなりません。
ローマ教皇が自身の権力基盤を盤石にするために(あくまでも私見ですが)「神が望んでおられる」と宣言して始めた十字軍も、迎えたイスラム社会は“フランク人が聖地巡礼に来た”と思って、食糧を提供し、道案内をした。
その時代当地では、アラブ人もトルコ人もギリシア人も、共存共栄していたし、ビザンツ帝国に至っていは、十字軍がエルサレム奪還、なんて絵空事、夢物語を追っかけずに、その頃敵対していた勢力を叩いてくれないか?、と思っていたらしい。少なくとも、勢力争い的小競り合いがあっても、それはキリスト教対イスラム教、という構図ではなかったようで…。だいたい、イスラムは他宗教に寛大で、制覇して土地の住民をイスラム教化していない、ユダヤ教徒もキリスト教徒も住んでいた(税金や処遇面での差別化はありますが)。
イスラム教が他宗教に対して寛大でなかった場合もあり、イスラムの制覇を受け入れなかった場合はその街を徹底的に滅した、というのも事実ですが、カトリックの狭量さに比べると、レベルが違うのでは…。
ノルマン人が征服しルッジェロ○世たち先代が培ったアラブイスラムとの共存路線のもとで繁栄したシチリア、そこで育ったFDIIが、同じような他宗教への寛大な路線を踏襲したのも自然の流れだった様に思えます。
ローマ教皇と対立しない為にありとあらゆる策を講じ、それでもイタリア統一を最後まで阻んだローマ教皇と敵対するのは絶対避けられない過程だったのですね。
最後の方、ロンバルディアとの熾烈な闘いの最中、いつもの趣味の早朝の鷹狩りに出掛け、帰ってみたら敵に無残に襲撃されていた、という下りも、死に至る赤痢を患っていた事が鷹狩りの後で分かったり、何とも諦めきれない、転落への道?終世ありとあらゆる事象に通じ注意怠りない采配をしてきたフェデリコの一瞬の空き、心の緩み、又は、それ故に事ここに至って?とも思えます。
あ、
長々と独り言を書いてしまいました!自分でも何が言いたいのか?よくわかりませんが、ヨーロッパ中心主義的な世界史観は、数ある世界史観の一つに過ぎない、という視点で世の中を眺めてみたい、と思っています。
シニアの旅人さんの重厚濃厚な切り口の歴史解説には欠かせない、ロマン派必須の想像力溢れるユーモアby 妻コメントに、時に心和み、時に大笑いさせていただきました♪
ん???
ひとまず?
って事は\(^o^)/
来春もイタリアの小さな街巡りをご予定との情報もあり、これは続編ありとみた!
終章は、最終章じゃない、ですね?
お疲れさま、そしてありがとうございました^ ^
P.S. このコメントに、自分のブログ書くよりすごい熱意感じます(笑)
2019年11月01日16時40分返信するRE: 脱稿、おめでとうございますm(._.)m
私もフェデリーコ2世がイスラムに寛容であることには驚いています。そこでフェデリーコ2世紀行2で、乳母がサラセンの奴隷であったのではないかという仮説(妄説)をたててみました。
これをその後ひっこめてしまったのは、コンラッド夫人には1194年ごろ生まれた子供がいたことが分かったからです。1190年−1195年と幅はあるのですが、男の子を産んでいます。ということは自分の子と一緒に育てていた可能性がある。女性は、双子でもないのに赤ん坊を2人同時にお乳をやって育てることもあるのですか。妻によれば、乳母子(めのとご)で、ありえる。日本では木曽義仲と今井兼平です。この二人は終生強い絆で結ばれていました。平家物語「木曽殿最後」の今井兼平です。
このコンラッド夫人の子供、Reinald(フランス語表記でレナルドと発音します)がのちのFDIIの家臣としてトスカナ地方の代官を勤めます。ただしあんまり優秀ではなくて、罷免されています。
ところで、フランス語のウイキペディアでは、コンラッド夫人の末っ子は女の子で、アデライデ、塩野本にもでてきます。美貌の貴公子エンッツオの母です。びっくりしませんか、私は腰を抜かしました。
FDIIは乳母の息子を家来にし、娘を側室にして子供を産ませているのです。
これを追いかけようかと思ったのですが、根拠文献はイタリア語とドイツ語で、どうにもならないなあ。とんでもないロマンだとおもうのですが、我々みたいなFDIIファン以外は、「なに、それ」ですかね。
FDIIの国際性を論じていたはずですが、どうも女性週刊誌的な話題になりました。
来年はFDIIの周辺の人々を訪ねてみようと思っています。ボローニャでエンッツオにも会ってきます。ボローニャの現地妻との間に3人の女の子がいることは分かりました。伝説上男の子もいるみたい。どうも女性週刊誌のレベルを超えられません。2019年11月01日19時57分 返信するええ〜っ(°_°)
フェデリコ2世が自分の子供と同様に部下の子どもを一緒に教育したり、目をかけた才能には無限の信頼をおいていたらしいのは周知の事実ですが、あのエンツイオに現地妻がいて、しかも、隠し子が?!息子の中でもDDIIの覚えめでたく、寵愛されてフィレンツェ(?)あたりの統治を任されるほど信頼されて、詩作に秀で、なおかつ稀に見る美貌の持ち主、でしたっけ。囚われの身で一生を幽閉されたまま、その才能を生かす術もなく、散ってしまった命(;_;)
フェデリコ2世は実は生きていて雌伏の時を待っている、という伝説の山が(ドイツのどこか、だった?)あり、いつの時代かに、時の政治的事情かなんか(ナチス台頭の頃、だったかな?)でその伝説はバルバロッサに置き換えられて、今も語り継がれている、とどっかで読んだのですが…。
なので、もしエンツイオの末裔が今も何処かで生きている?としたら、それはFDIIの紛れも無い直系の血脈、という事ですよね!
それって、週刊誌ネタどころか、歴史的大事件じゃないですか?!
ぜひ、掘り下げて、探求の旅を続けて下さい!
って、けしかけてる(笑)
エンツイオのお母さんがFDIIの養育担当コンラッド夫人の娘ってのは、若干、週刊誌臭、しないでもないですね。とにかく、手が早かったらしい!
ファンならずとも、面白いネタ、だと思います♪
私もフェデリーコ2世がイスラムに寛容であることには驚いています。そこでフェデリーコ2世紀行2で、乳母がサラセンの奴隷であったのではないかという仮説(妄説)をたててみました。
> これをその後ひっこめてしまったのは、コンラッド夫人には1194年ごろ生まれた子供がいたことが分かったからです。1190年−1195年と幅はあるのですが、男の子を産んでいます。ということは自分の子と一緒に育てていた可能性がある。女性は、双子でもないのに赤ん坊を2人同時にお乳をやって育てることもあるのですか。妻によれば、乳母子(めのとご)で、ありえる。日本では木曽義仲と今井兼平です。この二人は終生強い絆で結ばれていました。平家物語「木曽殿最後」の今井兼平です。
> このコンラッド夫人の子供、Reinald(フランス語表記でレナルドと発音します)がのちのFDIIの家臣としてトスカナ地方の代官を勤めます。ただしあんまり優秀ではなくて、罷免されています。
> ところで、フランス語のウイキペディアでは、コンラッド夫人の末っ子は女の子で、アデライデ、塩野本にもでてきます。美貌の貴公子エンッツオの母です。びっくりしませんか、私は腰を抜かしました。
> FDIIは乳母の息子を家来にし、娘を側室にして子供を産ませているのです。
> これを追いかけようかと思ったのですが、根拠文献はイタリア語とドイツ語で、どうにもならないなあ。とんでもないロマンだとおもうのですが、我々みたいなFDIIファン以外は、「なに、それ」ですかね。
> FDIIの国際性を論じていたはずですが、どうも女性週刊誌的な話題になりました。
>
> 来年はFDIIの周辺の人々を訪ねてみようと思っています。ボローニャでエンッツオにも会ってきます。ボローニャの現地妻との間に3人の女の子がいることは分かりました。伝説上男の子もいるみたい。どうも女性週刊誌のレベルを超えられません。2019年11月02日00時03分 返信する -
大好きなボリジ(ルリジサ)
シニアの旅人さん
「世界の脅威」フェデリーコ二世を訪ねる旅
最終章の投稿、お疲れさまでした。
どの章も力作でしたね。
特に最終章はこころにしみました。
最後の頃、登場したお花、ボリジ だと思います。
ハーブです。
シチリアのセジェスタの神殿で
やはり風が吹き渡る草原の中、抜けるような青空の下で
蒼い花を咲かせていたボリジに出会った時
わ~、私の大好きだったボリジに、こんな地で出会うなんて、
と一人で感動した事を良く覚えています。
ここまではレンタカーで辿られたんですよね。
確かに、このような地に、最寄の交通機関を利用して
というのは無理そうですね。
カステル デル モンテのような碑は
地元の方々のフェデリーコ愛を感じさせられるものですね。
世界の脅威だったお方のお城も、時の流れに抗うことは出来ず
廃墟となって、かすかにその痕跡をとどめるにすぎなくても
こうしてはるばる日本からやってきて、終焉の地をご紹介
される方の存在に、フェデリーコさんもご満足な想いで
おられることと想いました。
mistralRe: 大好きなボリジ(ルリジサ)
ポリジ、ネットの花図鑑で確認しました。間違いありません。
フィオレンティーヌの丘は、今思うと、お花畑でした。ももであさんが教えてくれたレモングラス、ポリジ、もっとほかにも知らない花がありました。ここ700年ほど、人が住んだことはないのですから、人が植えた花ではなく、自然に育った花なのですね。
-こうしてはるばる日本からやってきて、終焉の地をご紹介
される方の存在に、フェデリーコさんもご満足な想いで
おられることと想いました。
FDII(フェデリーコ2世)もそう思ってくれたら嬉しい。原稿第1稿では土井晩翠の「星落秋風五丈原」を引用して、戦陣に倒れた諸葛孔明とFDIIを重ねて、もっと思いを直接ぶつけようと思ったのですが、押さえました。でもmistralさんには意図は伝わったようで、私たちも嬉しい。
祁山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く 鼓角の音も今しづか
で始まる長い叙事詩です。
カステル・フィオレンティーノは車以外、訪ねる方法はないでしょう。レンタカーが一番ですが、タクシーという手もあります。その場合、場所をちゃんと説明して了解を取っておかないと、丘の麓まできて登ってくれない可能性があると思います。雨だと確実にアウトです。
でもイタリアを旅するなら、いつか一度あの丘の上に立つことをお勧めします。雲と空と風とプーリアの平原、FDIIの記憶以外なにもありませんが。2019年11月01日20時40分 返信する -
プーリアの丘
レモングラスに似ていますね。
でも本当にそうだとすると、花はとても珍しい。
フェデリーコ2世からのささやかなプレゼントでしょうか。
千の風が吹いていそうです。 -
おはようございます
1回目のイタリアはもう1年半まえのことですが、まだ新鮮におぼえています。こうしてブログに残しているからですね。17年のイギリスから4TRAのブログを始めたのですが、このときから本当の旅行をしたと思っています。それ以前は、いつどこに行ったか、ごちゃごちゃ、めちゃくちゃ。写真も撮ってパソコンに入れたはずですが、なにがなんだかわかりません。もったいないことをした。
訪問先のその場の記録はどうなさっていますか。私は一時期ICレコーダーを使って、「えー、今ほにゃら教会にきています・・・」などとやったのですが、いつの間にか全然使いません。「これから〇●の旅に出ます」と最初の一言だけだったりする。
幸い必ずby妻がいますので、ポイントごとの到着時間と出発時間はメモしてもらっています。これがないと写真がどこだかわらなくなる。
帰国してから写真の判別に苦労することありませんか。なんかうまい方法はないものか。全面的にby妻に頼るか、ICレコーダーを使いこなすか。
先日山口のある神社で宮司さんからとても面白い話しを聞いたとき、レンタカーに戻ってすぐ2人で話しの内容を書き留めました。つい5分前のことなのにもう2人の記憶に食い違いがありました。新米なのでm(_ _)m
お尋ねの件は、私みたいな新米じゃない、熟練旅の達人さんにお聞きください~。
どこのいつの写真?分からなくなるのもしょっ中ですが、だいたい行った処順?かな~、とかなり大雑把な把握(笑)
私も、娘、旦那、友達などと出かけてた頃は、カメラ持参でしたが、一人旅始めてからは、IPAD、とスマフォ、充電器、WiFi ルーター、など持ち歩く物が多くて、カメラは持参していません。これ以上増えたら、ただでさえ狙われやすいおばちゃん一人旅、絶対どっかに置き忘れそう!
優秀なレコーダー兼ナビゲーター兼話し相手の奥様ご同伴で、羨ましい限りです^ ^
我が家は、旦那は一応まだ現役なので、長い休み取れるのはお盆正月連休と、お高い時期のみ、な事もあり、いまのところ、一人旅を楽しませてもらってます。夫婦とはいえ、せめてもの仁義を守って、費用は自分で稼いでいます(笑)
脳内記憶保存もだんだん怪しくなってきてます!なので、移動中や、帰りの飛行機で、思いつくままメモしたり。
答えにならない返事ですみませんm(._.)m2019年10月03日17時52分 返信する -
妄想癖♪
絶好調な時程、脳内妄想暴走状態になって、心ここにあらず、見ていても目にはいらず、聴こえていても耳いらず…私も旅行中、よくなります。で、それが移動中に起きるもので、失敗ばかり(ーー;)
私のばやい、旅の準備:旅:ブログ制作:後のお楽しみ、でみると、1:3:1:5、の割合で、旅行後の歴史探訪の時間が、1番長く、充実しています。ほんとのトラベラーではない(笑)
シニアの旅人さんのように、旅立つまえの予習、学習が充実していると、現実にその場を訪れた時の感慨もひとしおでしょうね。私は行く前は、実際の移動や予約などの下準備、How toだけで手一杯!ブログの為の調査研究もせず、勢いだけで作ってます。ぜ~んぶ終わった後、自分の興味の赴くままに、読み漁るのが1番の楽しみかな~
それも、記憶に残らないのが難点ですが~_~;
それにしても、シニアの旅人さんの妄想はウケる~(爆)Re: 妄想癖♪ また間違えて新しいコメントを起こしちゃった
1回目のイタリアはもう1年半まえのことですが、まだ新鮮におぼえています。こうしてブログに残しているからですね。17年のイギリスから4TRAのブログを始めたのですが、このときから本当の旅行をしたと思っています。それ以前は、いつどこに行ったか、ごちゃごちゃ、めちゃくちゃ。写真も撮ってパソコンに入れたはずですが、なにがなんだかわかりません。もったいないことをした。
訪問先のその場の記録はどうなさっていますか。私は一時期ICレコーダーを使って、「えー、今ほにゃら教会にきています・・・」などとやったのですが、いつの間にか全然使いません。「これから〇●の旅に出ます」と最初の一言だけだったりする。
幸い必ずby妻がいますので、ポイントごとの到着時間と出発時間はメモしてもらっています。これがないと写真がどこだかわらなくなる。
帰国してから写真の判別に苦労することありませんか。なんかうまい方法はないものか。全面的にby妻に頼るか、ICレコーダーを使いこなすか。
先日山口のある神社で宮司さんからとても面白い話しを聞いたとき、レンタカーに戻ってすぐ2人で話しの内容を書き留めました。つい5分前のことなのにもう2人の記憶に食い違いがありました。
2019年10月03日09時04分 返信する



