しにあの旅人さんへのコメント一覧(21ページ)全509件
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南山城
しにあさん&by妻さん、こんばんは。
南山城「海住山寺」と「笠置寺」、クネクネ山道を行きましたよ!
2014年9月末のことでした!
その後「柳生」に行ったら、これまた山道で、柳生は行っただけで終わってしまいました。
海住山寺の五重塔は、確かに見応えがありましたよ。
こんな所に国宝が!しかも超一級品。
行くのは大変でしたが、行った甲斐がありました。
笠置寺も、車で行けるところまでが狭い山道、ヘアピンカーブ、すれ違いは絶対無理!そして駐車場からキツイ上り坂!
でも磨崖仏が素晴らしかったです。
恭仁京跡は、実はとても気になっていて。
残念ながら未踏です。
今は石跡があるだけなのですか?
聖武天皇が、この後狂気のように遷都を繰り返すのは、何らかの強迫観念にでも駆られていたのでは?
まるでそれまでの、思い叶わず葬られた人々の怨念が、聖武に取りついているみたい。
彼は、ほとんど神経症にでも罹っていたのではないでしょうか?
一休寺って、ついつい愉快なとんち小僧のイメージが強くてスルーしそうですが、参道が素晴らしく美しいですね!
ここもメモですね!
「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」は、一茶の辞世と言われている「盥から 盥へうつる ちんぷんかん」
を思わせますね。
これは一茶の作ではないとのことですが、高校時代にこの句を知ったとき、なんと!人生とは「ちんぷんかん」なのかと、妙に納得してしまいました。
人生は「一休み」、人生は「ちんぷんかん」、どちらも言い得て妙ですねぇ。
私たちは、毎日何をあくせくと思い悩んだりしているのでしょう?
「一休み」したり「ちんぷんかん」なのかと達観すれば、怖いものはないのかも。
聖武天皇に聞かせてやりたい歌や句ですね!(^^)!
でも凡人なので、こんな悟りの境地には辿り着けませんが( ̄∇ ̄)
一休寺、また行きたい所が増えてしまいました。
前日光Re: 南山城
恭仁京を含む聖武天皇の遷都道楽は、多分、12月から例によって延々とやるつもりです。恭仁京は冒頭2本。ドローン大活躍です。
聖武天皇強迫観念説は全く同感です。
「盥から 盥へうつる ちんぷんかん」
一茶じゃなくても一茶らしい。一休さんや一茶みたいな境地は、私には無理じゃないかな。自分が死んだ後の遺族年金をBy妻に移す手続きとか、色々考えると、なかなか一休みという感じにはならない。
笠置寺、さっそく調べました。海住山寺の近くですね。私たちはこの後和束経由で信楽でした。道は幹線ですからいいけれど、途中すごい山でした。笠置も山の中ぽい。奈良、三重あたりの山道の酷さには、ゾッとします。「古代人は歩いたんだぞ、車が通れるくらいに広げてやったんだ、文句言うな」ということでしょうか。
前日光さんの好みは、海住山寺や一休寺なのですね。次の禅定寺も気に入っていただけそうです。
南山城の山寺って、素敵なところがいっぱいあるようです。全部行ってみたいけれど、山道怖いし・・・2021年11月10日06時07分 返信する -
さすがはしにあご夫妻!
平等院なのに、表紙が頼政公墓所というところが、いかにもです(^^;)
こんばんは。
やはり夜型です。
調子が悪くても夜の方が文章は書ける!(実際はほぼ快復しました)
私は2017年6月に、実に半世紀ぶりに平等院を訪れました。
中学校の修学旅行以来です。
半世紀前に、平等院をバックにした記念写真が残っております。
写真を撮っただけですぐに次の見学場所「桃山城」に行ったので、あの建物を池越しに眺めただけでした。
その後も毎日のように10円玉を眺めては、ここ、行ったなぁと。。。
久しぶりに見た平等院は、期待に違わず美しかった!
王朝の夢をたたえたあの建築物!
素直に素晴らしいと思います。
後ろの方に廻ってみたら。。。私も見ました!頼政公の墓所。写真も撮りました。
最勝院では御朱印もいただき、庭に咲いていたコンロンカの白い花(実は白いのはガクで、花は黄色い小さい星形のものだそうです)に感動し、旅行記にもアップしました。
源三位頼政は、ここで最期を迎えたのですよね。
栃木県塩原温泉には「源三窟」という洞窟があります。頼政の孫に当たる源有綱が、頼朝に追われる義経一族と共に塩原に逃げ込んできて、この洞窟内で落人生活に入りました。
再起を図ろうとしたのですが、頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたという伝説の地です。
平家物語は、確かに音読するとその良さが伝わってくる文章ですね。
和漢混淆文、合戦場面が力強い漢文調で、中世語や擬態語が効果的に使われています。
琵琶法師がこれを語ったのも頷けます。
蟹満寺は、その名前の異様さに興味を引かれていましたが、未踏の寺です。
国宝釈迦如来像は、見てみたいです。
蟹がウジャウジャというのは、ちょっと薄気味悪いですねぇ。
蟹の姿って、なかなかグロテスクじゃないですか。
伝説を読みましたが、私もカエルはどうした!って思いました。
恩知らずのカエルめ!
恩返しは、蟹じゃなくてカエルがするべきです。
私は修学旅行でどこに行ったかというのを、けっこう覚えているんですよ。
泊まった旅館の名前まで覚えていて、40年くらい前にそこに泊まったことがあって、女将に「中学校の修学旅行でここに泊まった」と言ったら「それは先代の頃ですね」と呆れられました。
苔寺がまだ一般に公開されていたので、6月の苔寺を見ることができました。
同級生の男の子が「水無月の旅」というタイトルで作文を書いて(文章はイマイチでしたが)、なかなか良いタイトルを付けるヤツと感心しました。
あ、また果てしなくなってきました。
今回はこの辺で(^^;)
前日光Re: さすがはしにあご夫妻!
ご快復されたようで、何よりです。
8日の栃木のコロナ新患者は2人だそうですね。千葉は4人。これから行く九州は、福岡2人以外ゼロ。ワクチンとマスクと手の消毒の成果でしょうか。
ヨーロッパではマスクを嫌がる人が多いのですが、反ワクチンは理解できても、反マスクはわからない。マスクで済むものならすればいいのに。
女性は化粧しなくて済むし、男は髭剃らなくて済む。目元をしっかりお化粧した目元美人が町を歩いております。マスクとるとどうなるのか。
前日光さんの平等院と頼政のブログ読みました。ところがその後ブログがどこだかわからなくなってしまいました。
平等院の旅ブログは数あれど、頼政墓所まで来る人はいない、さすが前日光さん、と思いました。
頼政の最期は、表門入って左の「扇乃芝」という伝承があるようです。それほど古い伝承ではないようです。私は後で知りました、後の祭り。
いずれにしてもお墓はここでいいと思います。
平等院バックに修学旅行の記念写真、撮っていました。ただ、写真屋さん同行というのはなかった。最近はほぼ全員カメラかスマホもちなので、必要ないのでしょう。
昔って、修学旅行専門の旅館がありませんでしたか。大部屋で、1クラス分くらいまとめて寝られる。今はどうなんでしょう。普通のビジネスホテルみたいだと、枕投げの楽しみがない。あれぞ修学旅行の醍醐味でした。
蟹満寺、国宝の仏様は別にして、建物が新しすぎました。修復じゃなくて、完全な建て直しだったようです。あと何十年かすると落ち着くかもしれません。かといって古いままじゃもたないし。難しいところです。
今回、南山城6古寺のうち三つ回りました。蟹満寺は古寺という感じは無くなっていました。2021年11月09日07時40分 返信する -
鉄壁の!?
鉄壁のコンビ、by夫by妻さんの間にも記憶のズレがある事が?!
記憶って、何かのきっかけで溢れ出て来る、同感です。4trの皆さまのブログやカキコのやり取りでも、よく昔の思い出がスルスルと蘇る事がございます。今回も、然り!ですが私事なのでか~っと^ ^
雨上がりの海住山寺も、酬恩庵への参道も、俗世の垢にまみれたこの身を置くだけで浄化されそうな、風情ある清らかな雰囲気♪
4trのおかげで、ホテル部屋(使用前、即ち、入室直後の)や食事(手をつける前)の写真を撮る、という習慣がつきました(-。-; よく忘れますが…。
風景、建物、芸術品の類いは、「はて、私はコレを実際に見たのであるや否や?」他の方のブログや美術誌、旅行案内で見たのかも、と記憶があやふやになった時の為、写真は必須アイテムです。
ヤマザキ薄皮パンシリーズ、うち辺りでも季節限定商品が日々新作発売されているかも?主食にはならないので、食後の甘いモノとして、手にします♪
一休さん、と聞くと、とんち話で解決する小坊主、というイメージでした。虎の屏風、この橋(端)を渡るべからず。
ココからネットネタですが、破天荒な方で戒律を顧みぬ「破壊僧」という一面と、時の足利幕府や金銭で動く仏教界を批判するような面を併せ持つ方で、所謂後世の「とんちの一休さん像」が定着したのは江戸時代、それは即ち一休禅師が民衆に人気があった。時の権力を批判する→民衆の味方、臆する事なく権力者を批判出来た←後小松天皇のご落胤、というお話。あってます?
人生とは~一休みの間、中々に達観された方だったのですね。そ~しゃるでいすたんすのイラストもいけてます♪
by妻さんのリクエストは必ず行きましょ~(?)無しで願いますm(_ _)mRe: 鉄壁の!?
「か~っと^ ^」された思い出を知りたい、などということでは、一休さんの境地にはほど遠い。
ベッドの上に荷物を放り出す前に部屋の写真を撮る、これぞ4トラベラーの悟りの境地です。並べちゃって、慌てて片付ける、よくやります。
風景、建物の類は、By妻の記録があるので、写真の時間と照合すると後でなんとか判別できます。移動中のスナップ写真が困りませんか。何を撮ったかわからない。
山崎パンシリーズは、次回九州一周の旅では各地で克明に写真を撮るつもり。九州各地でいかほど地域差があるか。これだけでブログが1本書けるかも。
山崎パンさん、スポンサーになってくれませんかね。
太宰府では梅枝もち食べ比べ、などという、胃にもたれそうなテーマも考えています。
一休さんという方は、とんでもないお坊さんだったみたい。どこまでホントでどこから伝説かわかりませんが、kummingさんのブログ調べはあっていると、思います。庶民の味方、水戸黄門と同じですかね。
一休寺に行こうと思ったきっかけは、By妻が、「大徳寺に通ったんだって」という話を聞き込んできた時。「どうやって通ったんだ」という素朴な疑問でした。
輿を見た時、これかあと思いました。素朴な好奇心は、ブログの原動力。
By妻の直感力に逆らわないと、心に決めました。多分。2021年11月09日05時54分 返信する -
この世からあの世へと向かうほんの一休み!?
しにあの旅人さん
by妻さん
フィールドワークと称される寺社、博物館諸々、巡りをされているだけでなく
こう言った寺社にもお立ち寄りになっておられる事にホッと安堵し、
ご夫妻が身近にも感じられてきます。
鉄壁のコンビ!まさに仰せのとおりです。
シチリアドライブ旅行記の頃から、いやそれ以前からもずっと?、鉄壁具合は
すでにご健在でした。
しにあさんがハンドルを握れば、by妻さんは工程をこまめにメモされていました。
その辺は我が家とは大違い。
鉄壁とはいえ、記憶にはバラつきがあるみたいで、そこは女性は過去の詳細な
記憶の保持力には優れておりますので仕方ありません。
酬恩庵、by妻さんのご希望されたお寺とか、
素敵です。
秋篠寺、私も大好きなお寺ですが、苔むした様子など似ていますね。
一休さんが天皇のご落胤とは知りませんでした。
クリクリ頭で箒を持つお掃除姿、というイメージが私の中で定着してしまっています。
人生とは、この世からあの世に帰るまでのほんのひと休みの間、
そんなつかの間のことだったら、何が起きてもなんて事はないさあ、と
軽やかに生きてみたいと思いますが、
難しいことこの上ないですね。
mistralRe: この世からあの世へと向かうほんの一休み!?
観光旅行とはいえ、半分調査旅行みたいなもので、記録係をBy妻に依存しています。それで1000枚を超える写真もなんとか後で整理できます。
記憶力は明らかに向こうの方がいいみたいです。
一休寺は予想外によかった。一休さんを売りものにした観光寺だと思っていました。行ってみると静かないいお寺でした。コロナ騒ぎで人がいないからかもしれませんが、キリっとしたところがよかった。
コロナは本当に困りものですが、静かなお寺が静かなままでいるという、プラスの面もあります。
ワクチンして、マスクその他こちらも十分警戒して、このチャンスを活かしたい。「コロナちゃんと一緒」でやらないと、世の中持ちません。
コロナ下でも、一休さんのように軽やかに生きたいものです。2021年11月09日05時18分 返信する -
博物館が参考になってなによりです!
こんばんは、しにあさん&by妻さん
実は本日茨城県古河市の「古河歴史博物館」「篆刻美術館」「古河文学館」に行ってきたのですが、立派な建物や整備された庭には感心しました。
また博物館周辺の雰囲気はとても素晴らしく、今日のように天気がいいと歩いて廻るにはよかったです。
参考になったことと言えば、古河市が生んだ鷹見泉石の子孫などが、以前訪れた津山市の洋学者箕作阮甫と関わりがあったということが分かったぐらいですね。
古代の埴輪などの展示はありましたが、どこの地方にもありそうなもので新しい発見はありませんでした。
博物館は、私などはじっくり見て廻ることは少なくて、なんだか落ち着かなくなってソワソワしちゃうんです。
せっかく見にいくわけですから、これからはもう少し落ち着いて見た方がいいですね。
ところで「百舌鳥古墳群ビジターセンター」のスタッフさんは美女ばかりだそうで、興味が湧いてきました。
たいていは堅苦しい髪の毛真ん中分けの化粧っ気のない人が多いですが、そうでないところもあるのですねぇ(@_@)
まぁ、そういう方の案内や説明などがあるのでしたら、それはまたしっかり見ようとなるかも。
古墳の葺石の大きさについての説明には納得しました!
そうですよね。
大きすぎたら動かすのが大変です。
今度こそ行田を再訪して「埼玉古墳群」をじっくり眺めてこよう!なんて思いました。
古墳の中に自宅を造ってしまった!
それが歴史上いかなる意味を持つかよく分かっていなかった時代には「あるある」の話ですよね。
奈良で、有名遺跡の傍で畑を耕していたオジサンに「毎日遺跡の中で暮らせるなんて羨ましい」と言ったら、「なに、お墓の隣に住んどるだけや」と宣っておられました。
まぁ、そんなところなのでしょうね。
まとまりないですね。
今回は体調が悪いということでご容赦を(>_<)
前日光Re: 博物館が参考になってなによりです!
さっそく「鷹見泉石」「箕作阮甫」を調べてみました。
鷹見泉石、すごい人物ですね。崋山作の肖像画は見覚えありました。これが彼だとは知らず。私はなんとなく崋山の自画像だと思っていました。大名が描いた雪の結晶の図鑑も有名ですが、それにも関わったのですね。すご~い!
19世紀前半に泉石のような人物を、古河のような地方都市が輩出したのは、当時の日本文化の厚みが感じられます。
「鷹見泉石日記」は漢文でしょうね。現代語訳、どこかで出してくれませんかね。
「古河歴史博物館」に行ってみたくなりました。
百舌鳥古墳群ビジターセンタの女性スタッフは、「髪の毛真ん中分け」では全くなかった。すごく親切で、愛想良く、一生懸命仕事をしていました。堺市歴史博物館の説明員のおじさんも、感じよかったなあ。展示物のポイントをしっかり教えてくれました。
あれは堺市の文化政策の訓練結果なのか、この地方の関西人気質なのか。そういえば、関西人て、初対面からさっとこちらに寄り添ってくるような、飾り気のなさを感じるのですが。
古墳が住宅とまぜまぜになっているのは驚きでした。
このあたりや飛鳥の住民は、地下の遺跡の上、古代天皇のお宮の上に住んでいる可能性もあるわけで、言ってみれば、マンションの下の階は天皇さんのお家だった、などというケースもありますね。2021年11月08日06時31分 返信する -
知るは楽しみなり
しにあの旅人さん、早速山陰山陽9を拝読しました。
いつもながら多方面に亘って研究されている姿勢に敬意を抱きながらも、とても真似はできないと嘆息しきりです。
記載された神社の中には私も行ったことのある所が何社かあるのですが、そこに「かまえ獅子」があることはまったく気づいていませんでした。 自分がただ何となくお詣りや見物をしていることを思い知ることになりました。
かまえのポーズにも、背中を丸めたものや背中を反らしたものがあるのですね。
しにあの旅人さんのように、それらをご自分の資料として蓄積されていったらさぞかし楽しいだろうと、羨ましい思いです。
それなのに、では自分も、とならないのが私のダメなところで、いつも帰ってから「ああ、そうだったのか。 ちゃんと見てくれば良かったな」と反省するばかりです。
まあ、残り少ない人生ですから、諦めるしかないですね。
ねんきん老人Re: 知るは楽しみなり
出雲の「狛犬」がお尻をあげているのは、確か1回めの出雲旅の時、須佐神社で気がつきました。「変な格好だね」と思いました。
狛犬、唐獅子も、調べてみると面白かったです。
わざわざ神主さんにどうしてこういう格好をしているのか聞いたこともあります。「特に意味はない」という無責任な、勉強不足の神主さんもいました。
どういう狛犬にするかは寄進される氏子さんが決めることなので、神社としては、どうこう要求することはない、という返事もありました。その氏子さんの好みとか、出身地の風習で決まるらしい。
千葉県南房総市白浜町・下立松原神社の一角獣みたいな狛犬は、他であまり見たことがありません。南房総でほぼ地元ですが、灯台下暗しでした。
はっきりした角は山口県の玉祖神社にもう一対ありました。こちらは角があって、立髪もあるので、すでにかなり混じっていました。
「諸国神社参り 山陰山陽13」に写真があります。
たかが狛犬、唐獅子ですが、作った石工、寄進した氏子さんの思いがこもっていて、面白いと思いました。2021年11月08日07時24分 返信する -
源平合戦&蛇蟹合戦?
いきなり飛鳥→平等院、記紀→平家物語、大移動に戸惑いつつ、拝見♪
メジャー中のメジャーと、いつものマニアックな地をご案内頂き、しにあさんby妻さんの、古代に留まらない日本史広範な造詣についていけません(;_;)しかも只今図書館補修の為3ヵ月絶賛休館中、なので俄か勉強もできません。(←言い訳こわけ)
高校の修学旅行が奈良京都でしたが、何処に行ったか?は記憶になく、あるのは友達とのやり取りや自由行動のあれこれ…、帰りのフェリーが沈没する!というフェイクに惑わされ、皆で電話の列に並んだ、ノストラダムス事件、とか…。携帯もスマフォもない長閑な時代でした。金閣銀閣哲学の道は訪れたようです、写真が残っている。
ゴキブリは一発で仕留められるのに、爬虫類は苦手、散歩道に蛇がとぐろっていようものなら、2度とそこは通らないコース変更、中学の理科“蛙の解剖”の日は、前日から腹痛が始まり、初めてのズル休み(笑)いわゆる、仮病?
それにしても、命の恩人の危機に際して、蛙は何をしていたんだ?
mistral さん同様に、このブログで訪れられた処は、今後の展開の伏線なのか?平家物語が必須アイテム?などと怪しんでおります。
さて、話題変わって、平城宮跡歴史公園周辺で、遠隔型自動運転の観光ロボットタクシーを運行する社会実験が実施されるそうです。平たく言えば、公園サービスとして、観光マイクロロボットタクシーの実用化を目指す、のだとか。
ブログの感想というより、勝手自分の昔話m(_ _)m 加齢により、ますますこの傾向が顕になっています(-。-;
Re: 源平合戦&蛇蟹合戦?
古代史探索シリーズはちょっとお休み。目下頑張っているやつはあるのですが、一応ざっと全部書き上げてからup始めるので、最後の1編がまとまりません。その間素直な旅行記で参ります。
一気に平家物語までワープするなど、大それたことは致しません。
古代もの、まだまだ在庫豊富です。
修学旅行というのは、どうして大事なことを覚えていないんですかね。kummingさんも、記憶にないようで。
当時まだカメラは、中高生などというガキが持ち歩くものではなかったので、写真といえば、「はい、みなさん、こっち見て」というプロの写真屋さんがとる集団写真だけ。それがすでに散逸していると証拠はゼロです。
帰りのフェリー? 京都から九州に帰るのにフェリー乗りましたっけ?
「蛇蟹合戦」に座布団1枚!
蟹満寺のカエルの件は、By妻が気付きました。どうしてお寺としてもカエルを糾弾しないんだろう。今昔物語はカエルの忘恩を取り上げるべきと思うのですが。
「観光ロボットタクシー」というのは初耳。無人のトロッコみたいなのに乗って、ぐるぐる回るというのかな。「長屋王邸跡にある長屋王を祀る神社に連れて行け」とかいう細かい希望をきいて、行き先変更してくれるなら乗ってもいい。前回見つけられなかったのです。それで今書いているブログが難航しています。
図書館って、あの豪華図書館ですよね。大きな図書館があるといいなあ。
我が町の図書館が、なんとか千葉県立図書館から「奈良六大寺大観 薬師寺」を取り寄せてくれました。面白いことが書いてありました。大津皇子フィールドノートを1本追加する予定です。2021年11月05日05時43分 返信する -
次なる目的は。
しにあの旅人さん
こんばんは。
一度この旅行記にお邪魔しましたが、途中で時間がなくなり
出直して参りました。
平等院鳳凰堂へいらっしゃったんですね。
単なる観光目的で、とは思えず、次なるターゲットはどなたでしょうか。
平家物語の世界にいきなりダイヴ?
護国神社詣り?
きっとかなり先のターゲットにねらい定めての事でしょうね。
楽しみにしております。
平等院鳳凰堂、昔ながらの端正な姿。
いつか訪問した折は、季節はいつだったか忘れてしまいましたが
前面の池の水がかなり少なめで、がっかりした記憶があります。
やはり、今回しにあさんが撮影されたような雨にけむるような
瑞々しい佇まいがピッタリきますね。
私でしたらそんな鳳凰堂に出会えただけで大喜びしそう。
鳳凰堂より、源三位頼政公の墓所に出逢われたことのお喜びが
しにあさんには勝ったご様子でしたね。
mistral
Re: 次なる目的は。
しばらく古代史追っかけの旅をお休みして、4トラっぽい旅行記をやっております。厩戸皇子や草壁さんのときも、軽るーく現地ルポをやるつもりで始めたら、深みにハマりました。今回もそのうち何かアイデアが出てくるかもしれません。
平等院、よかったです。修学旅行はいましたが、それ以外の団体客はほぼなし。お隣2ヶ国は皆無でした。定番の観光地も、今がチャンスみたいです。人が少ないときにゆっくりと訪れると、しみじみよさがわかりました。
源三位頼政のお墓も、誰もいないからよかった。
これからしばらく山城、大和の寺社参りですが、しみじみモードで行きたいと思っています。2021年11月04日08時56分 返信する -
青春真っ只中
しにあの旅人さま
こんにちは。
「むか-しムカシ、青春があったとさ-4 1975年スイスイミフの旅」に
お邪魔しています。
「インターラーケンまで行って、湖が見える小さなホテルに泊まって、
手紙を書いてみたい。」
「汽車に乗って、スイスに入って雪がある最初の町で降りて、
二人でクリスマスを過ごそう。」
もう、青春真っ只中ですね~。
それにかなりのロマンチスト♪
最初は単身で旅立ち、いつの間にかモロッコをお二人で旅する旅行記に・・
だんだんとその謎が解き明かされていきますね。
BY妻さまも、かなり積極的で、行動派。
46年前、海外に個人で行くケースもかなり少なかったのでは?
もう青春映画そのものですね。
復元された写真の数々は、貴重な宝物ですね。
私の写真はあまり整理されないまま、ネガは袋にまとめて入っているだけ・・・
もうネガから写真を現像なんて無理!
帰りの汽車に置き忘れてしまったバッグ、終着駅に届いていたとは、
まさに「クリスマスの奇跡」ですね。
hot chocoRe: 青春真っ只中
1970年代初めというと、海外旅行に出かけて、旅行記を書くと、そのまま本に出版できる時代でした。
若い連中が、すごく元気でした。今は仕事でも旅行でも海外に出たがらない若者が多いそうですが。信じられな~い。
「若者たち」という歌がありました。あれが私たちの共通テーマソングみたいなもので、なんとなく口ずさみながら旅をしたのを覚えています。
青春真っ只中で、ロマンティストでありました。でもあの当時海外一人旅、2人旅でも、みんなロマンティストだったのです。私たちはその中の一人、2人か、でしかありませんでした。
みなさん、青春映画の主人公みたいなのばかりでした。
若い時って、どうしてああいうことを思いつくのですかね。
列車に忘れた荷物が戻ってくるのは、フランスでは奇跡でした。
その奇跡を、実は私は忘れていたのです。By妻がこのエピソードを書き加えた時、「え~~、そんなことあったっけ!」2021年11月04日09時25分 返信する -
ブラタモリでやっていたような?
こんばんは、しにあさん&by妻さん
いつもそんなに早くない訪問者の私ですが、今回の遅れは特に訳があります。
今週初めから不調だったのです。
朝昼の温度差がありすぎて、おそらく体の調節機能が付いていけなくなったようでして。
普段あまり調子を崩すことはないのですが、やはり歳のせいもあるのかも(>_<)
やっと昨日辺りからなんとか復帰しつつあります。
活字を見るとバス酔い状態になるものですから(活字大好きなのに)。
さてこの仁徳天皇陵(と、私は小学校で学習したのであります。どうしても仁徳天皇陵と言いたい!)ですが、実は古代にはすぐ近くに海が迫っていて、海路ここにやって来ると、この壮大な墳墓を目にした中国や朝鮮の人々は、その規模の大きさに脱帽するのだというようなことを、どこぞの学者先生が宣っていたやうに思います。
上空からということに触れるにはもう少し時間が必要だったみたいです。
タモリさんがこの墳墓の周囲をブラブラ歩いて、如何に住宅地が古墳にはいりこんでいるかというようなことを如実に説明してくれました。
それにしても、あまりに大きいと、確かに近くでは全体像が見えませんよね。
ナスカの地上絵が上空から見て初めて、何が描いてあるのか分かるように、近くで全体を把握するのは難しいようです。
この広大な墳墓で何が行われていたのかということについては、私は「酒折宮」の所でもby妻さんに全面的に賛成していたと思います。
でBy妻が前方後円墳は葬礼の舞台だと言い出して、びっくらこいたことがありました。By妻おとくいのトンデモ古代情報と思いましたが、あってたんだ!!!
あの人は脳の一部が古代から進化していないので、そういうことが分かるらしい。
という、しにあさんのびっくらこいた実感に共感しました。
今もその気持ちに変わりはありません。
それどころか鋭い指摘だと思います!(^^)!
そして引き続いて次の旅行記に行きたいところですが、実は私、明日一泊ですが、「湯西川温泉」という所に行く予定です。
そのためには早く寝なさいと命令されましたので、また戻りましたら訪問いたします。
しかし、古墳の堀の水って、どうしてこう汚らしくなってしまうのでしょうね?
前日光Re: ブラタモリでやっていたような?
おやまあ、体調が良くないとか、ご自愛ください。でも温泉に行かれるまでに回復したようで、何よりです。
湯西川温泉というのは、こちらから見ると日光の向こう側で、奥日光というところですか。行ったことのない所です。ざっとググったら、平家の落武者伝説があるそうで。
旅行記、期待しています。
古代は今の大阪城近くまで海だったそうで、仁徳天皇陵も海沿いだったのかもしれません。ただ、瀬戸内海を東進してきた船は、明石海峡を通ってそのまま難波の堀江に入ったんじゃないかな。わざわざ南に下がって、「これが、仁徳天皇陵でございまーす」ってやるかな、などど得意の意地悪。
明治のイギリス人が撮った写真だと、ずいぶん低いですよ。ちょっと離れたら見えるかな。葺石でピカピカしていなかったら、低い丘が二つ並んでいるだけかも。
葬礼の舞台説は、なるほど、ですね。舞台と観客席が500m離れているので、相当でかい銅鐸でごあ~~~んとやらないと聞こえないでしょう。でかい銅鐸は飾りじゃなかった、かもしれない。
お堀の水が汚いのはプランクトンのせいではないかと、mistralさん説。さもありなん。
あの水はどうやって補給するのですかね。流入がなければ、そんなに日もたたず干上がるはず。雨だけ?2021年10月31日09時48分 返信する