2021/07/14 - 2021/07/14
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しにあの旅人さん
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仁徳天皇陵からの続きです。
大仙公園をぐるぐる回って、履中天皇陵にやってきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ビュースポットというのができていて、さあ、ここで写真を撮りなさい。
はーい。 -
後円部分がよくわかります。なるほど、丸いお山だ。
履中天皇陵のほうが、われら人民といたしましては、分かりやすかったです。ああ、古墳ね。って感じ。
ヒミコがどうとか、銅鐸がご~わん、と鳴ってとかの余計なことは考えられない明るさです。明朗闊達。この健康さはいい。
しかし、この写真を撮りなさいの広場、大して広くないのです。その隣に垣根はあれど、一般家庭のお庭です。
これって、明治神宮の森の中に家を建てたってことですよね。
なんというか、「いいのか?!」という気持ちと、「日本の歴史と共生しているのねえ。」とが入り交じります。
なにやら恐ろしい。
履中天皇という、倭の五王の一人といわれる天皇のお墓を、朝に晩に見ながら育つって、どういう人物になるのでしょうね。
履中天皇は、仁徳天皇と、あの磐之媛の息子です。
磐之媛は、焼き餅焼きで有名で、仁徳天皇をずいぶん困らせたと古事記にある女性ですが、そのいろいろなエピソードは、本当に人間味に溢れ、イキイキと魅力的です。
今回彼女を祀る古墳に行けなかったのは、残念なことでした。お参りしたかったのに。
By妻 -
ビュースポットから右回り、青丸まで移動。
-
ここから拝礼所までは、歩道。本当は車道を通らなければいけないのでしょうが、車が怖くて。歩行者とすれ違うときは自転車を押しました。
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拝所までやってきました。拝所は前方部分につくることになっているみたいです。
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道路からかなり引っ込んでいます。
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こうしてみるとかなり高さがありますね。前方部分は仁徳陵より高いみたい。
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ここで仲良しツーショット。
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ピンク丸まで来ましたが、黄色丸から左折した後、お堀に沿う道路がありません。歩道もなし。なぜかというと、
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お堀まで住宅がびっしり。
このあと街中に出てしまい、迷子になりました。
自転車だと頼みのグーグルさんが使えません。たびたび自転車を止めて確認しましたが、そのうち何が何だか分からなくなりました。ハンドルにiPhoneを固定するアクセサリーもあるみたいですが、もってないし。万が一自転車ごと倒れたらどうなるんだろう。
グーグルさんは「右です」とか音声でも教えてくれます。音声だけでやればよかったのかな。
奈良の平城京跡、法隆寺周辺、飛鳥宮あたりのサイクリングを期待していました。大仙公園は別にして、あてが外れました。ほとんど街中のサイクリングでした。近所のスーパーへの買い物と同じ。 -
なんとか大仙公園にもどり、元来た道をたどり、
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ビジターセンターを見つけて一安心。
ビジターセンターは、ご案内の係の人が、女性ばかりみたいでしたが、これが、美女ばっかり。
揃えたのかしらん。みなさんおきれいでしたよ。必見!
By妻 -
ここは大仙公園と百舌鳥古墳群の案内所です。パンフレットが充実していました。今回使った資料は、ほとんどここで手に入れました。
古墳群の魅力を紹介する8K映像を投影するシアターがあります。それほど大きくはありませんが、すごい迫力。壁面だけではなく、床面にも映像が投影されました。足もとまで映像が迫ってくると、思わず足を引っ込めるくらい。
「百舌鳥・古市古墳群」を歩いてみようという方は、是非いらして下さい。
ここにたどりついたのはちょうど12時頃、猛烈な暑さでした。館内の冷房がありがたかった! -
ここから堺市博物館に行くのですが、
「自転車をとめさせてください」とお願いしたら、
「どうぞ、その辺においてください。皆さんそうしています」
ありがたくここからは歩いて堺市立博物館へ向かいます。 -
堺市博物館はビジターセンターからはほんの数分。
-
堺市の歴史と古墳の専門博物館です。
素晴らしかった!
古墳が葬礼の舞台だというのはここで仕入れました。堺市博物館 美術館・博物館
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フラッシュを使わなければ写真撮影OKです。館内の案内係の方もめちゃくちゃ親切で、「これは珍しい資料だから、是非写真を撮りなさい」とすすめてくれました。
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古墳時代というのは、日本と朝鮮半島、中国との交流は想像以上に活発だったと分かりました。その展示が充実していました。
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一番おもしろかったのは古墳の作り方。
1造成して位置を決める。
このとき設計図があったということです。あたりまえですが、ということはこの陵が造られた5世紀前期-中期にすでに文字と数字が使われていたということが分かります。
設計図より大事なのは、行程を書いたスケジュール表。
これをもとにあの細長い陵を一斉に横並びで作りあげるのです、じゃないと端からくずれちゃう。
この時代、設計図と行程表を読める人材が、仁徳陵だけで数百人のオーダーでいないとこれはできません。
厩戸皇子(聖徳太子)の時代が7世紀初頭ですから、150年-200年前。設計図は中国語か、後年の日本語化された漢文、あるいは万葉仮名のようなもの、ですね。
継体天皇は在位507年-531年で、これ以降の日本書紀の記述は信じるに足るといわれております。もっと早く、5世紀はじめ、400年くらいからは、文字で記録を残していてもおかしくないと思うのですが。
経典のような、はっきりいって、どうでもいいようなものではなくて、現場の技術者や行政担当者は、早くから切実に文字の必要を感じていたはずです。
経典って、もしかして教科書だったんじゃないですかね?
字を習うために、お経を読んだ。
だから、ずっと後の世ですが、国分寺国分尼寺を、全国的に造ったのは、国民に字を教えるためだった。のでは?
by夫が、法隆寺は大学だ!というなら、お経は教科書でしょうね。
と考えますと、学校は?うーん。家庭教育一本だったのでしょうか。読み書きが出来るというのも、一つの技術だった。家業として字を覚えたってところでしょうか。
By妻 -
2周濠を掘る。
彫り上げた土で墳丘をもりあげ、石は葺石に使う。 -
3土盛り。
伊達や酔狂で周濠を掘ったわけではない。 -
4葺石をすえる。
私は古墳の葺石というのはもっと大きいものだと思っていました。側溝の蓋にするような長方形。でもあまり大きいと運んでくるのと、現場での取り扱いが大変。
ご自分のおうちの庭にこういうのを敷いたことがある方ならお分かりでしょう。大きい石を地面に置いてしまうと、動かすのが大変なんです。 -
ところがこういうのだと大きさも重さも手頃で扱いやすい。
-
こういうのが出来るわけです。
-
できあがればあとは仕上げ。ご苦労様。
古墳を造るのは、農民を奴隷の如くこきつかい、ムチでビシバシやりながら造ったということになっています。
わたしは、これはあり得ないと思います。
エジプトのピラミッドも、最近の研究では、熟練労働者に高給(たぶん食料などの現物)を奮発して造らせたということになりました。
古墳もおなじでしょう。十分な食料と衣服などを支給すれば、農民をかり出さなくても向こうから応募してきます。かり出す手間も経費もかかりません。奴隷なら逃亡を警戒して監視の兵士が必要、その費用もかかりますが、募集に応じた労働者ならそれもなし。
遠くからの出稼ぎなら宿舎は用意したでしょう。近くの住民だったら通勤してきたのではないかな。男は現場作業、女は給食係で採用する。かかる経費は現物支給の給料だけです。
出来高制にしたら、労働者のほうでやる気を出して予定より早く工事は進むはず。
絶対こっちのほうが、奴隷をこき使うより、早くて安くていいものができます。
合理主義者のby夫らしい意見です。
でも!世の中の権力者は、大抵不合理なんだよ!!
現実主義者わたくしとしましては、ウイグルはどうなる?アフガンは?とか一応反対声明を出しておきますよ。
それにしても、by夫よ。よくぞ、七十五歳まで無事に何ごともなく生きて来れたねえ。
By妻
最近、私たちは、旅行をすると、なにはさておき博物館を訪ねるようにしています。はずれなし。いつも予想をしていなかった掘り出し物に出会います。
この日も堺市博物館でドップリ古代に浸ったのでした。
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この旅行記へのコメント (6)
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- 前日光さん 2021/11/06 23:22:13
- 博物館が参考になってなによりです!
- こんばんは、しにあさん&by妻さん
実は本日茨城県古河市の「古河歴史博物館」「篆刻美術館」「古河文学館」に行ってきたのですが、立派な建物や整備された庭には感心しました。
また博物館周辺の雰囲気はとても素晴らしく、今日のように天気がいいと歩いて廻るにはよかったです。
参考になったことと言えば、古河市が生んだ鷹見泉石の子孫などが、以前訪れた津山市の洋学者箕作阮甫と関わりがあったということが分かったぐらいですね。
古代の埴輪などの展示はありましたが、どこの地方にもありそうなもので新しい発見はありませんでした。
博物館は、私などはじっくり見て廻ることは少なくて、なんだか落ち着かなくなってソワソワしちゃうんです。
せっかく見にいくわけですから、これからはもう少し落ち着いて見た方がいいですね。
ところで「百舌鳥古墳群ビジターセンター」のスタッフさんは美女ばかりだそうで、興味が湧いてきました。
たいていは堅苦しい髪の毛真ん中分けの化粧っ気のない人が多いですが、そうでないところもあるのですねぇ(@_@)
まぁ、そういう方の案内や説明などがあるのでしたら、それはまたしっかり見ようとなるかも。
古墳の葺石の大きさについての説明には納得しました!
そうですよね。
大きすぎたら動かすのが大変です。
今度こそ行田を再訪して「埼玉古墳群」をじっくり眺めてこよう!なんて思いました。
古墳の中に自宅を造ってしまった!
それが歴史上いかなる意味を持つかよく分かっていなかった時代には「あるある」の話ですよね。
奈良で、有名遺跡の傍で畑を耕していたオジサンに「毎日遺跡の中で暮らせるなんて羨ましい」と言ったら、「なに、お墓の隣に住んどるだけや」と宣っておられました。
まぁ、そんなところなのでしょうね。
まとまりないですね。
今回は体調が悪いということでご容赦を(>_<)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2021/11/08 06:31:23
- Re: 博物館が参考になってなによりです!
- さっそく「鷹見泉石」「箕作阮甫」を調べてみました。
鷹見泉石、すごい人物ですね。崋山作の肖像画は見覚えありました。これが彼だとは知らず。私はなんとなく崋山の自画像だと思っていました。大名が描いた雪の結晶の図鑑も有名ですが、それにも関わったのですね。すご~い!
19世紀前半に泉石のような人物を、古河のような地方都市が輩出したのは、当時の日本文化の厚みが感じられます。
「鷹見泉石日記」は漢文でしょうね。現代語訳、どこかで出してくれませんかね。
「古河歴史博物館」に行ってみたくなりました。
百舌鳥古墳群ビジターセンタの女性スタッフは、「髪の毛真ん中分け」では全くなかった。すごく親切で、愛想良く、一生懸命仕事をしていました。堺市歴史博物館の説明員のおじさんも、感じよかったなあ。展示物のポイントをしっかり教えてくれました。
あれは堺市の文化政策の訓練結果なのか、この地方の関西人気質なのか。そういえば、関西人て、初対面からさっとこちらに寄り添ってくるような、飾り気のなさを感じるのですが。
古墳が住宅とまぜまぜになっているのは驚きでした。
このあたりや飛鳥の住民は、地下の遺跡の上、古代天皇のお宮の上に住んでいる可能性もあるわけで、言ってみれば、マンションの下の階は天皇さんのお家だった、などというケースもありますね。
-
- kummingさん 2021/10/25 18:12:54
- 連理の枝→仲良しチャリ Two Shot♪
- 仁徳天皇陵→履中天皇陵を廻る、Wサイクリングツァー、猛暑の中、お疲れさま~m(_ _)m
途中、車道に出られたり、歩道を歩かれたり、お堀まで民家がびっしり?! とは、これいかに?周りを一周出来ない程、住宅街にしなくても良さげですが、地価が高くて買い占められない宮内庁、なわけないか!
チャリTwo Shot、仲良く寄り添うしにあさんby妻さん、お二人の姿に重なるイメージ♪
ビジターセンターの足元まで迫る映像って、今万博やってるサウジアラビアのパビリオンも3D映像技術が駆使されているみたいで、将来的にもこういう展示方法が導入されて行くのでしょうね。
堺市博物館は古墳専門の博物館なのですね。古墳の作り方なんて、どうやって解明したんでしょ(*_*)平城京跡地の"How tomake"当時の建築技術も、画像も展示も凄かった! 今みたいな機械もなく、釘一本使わない建築方法に目が点になり、おかげで他の観るべき処をいっぱい見逃すというオチだった事を思い出しました。
設計図と工程表に文字が用いられ、そういう人材がいた、という事は、行政担当者も、経典読めるお坊さま並の高等教育を受けていた、又は、必要は発明の母、的な自学自習で身につけたのでしょうか?
ピラミッドに携わった労働者たちには、毎日浴びるほど?のビールと、豊富なパンが支給されていたらしい、という話、どこかでみました。金銭的支給については不明ですが…。
そうそう、平城京跡に孝謙天皇のお住まいだった遺跡が見つかって、絶賛発掘調査中らしいですね♪
2分割策、しにあさんのプログは内容が濃い! ので、読者にとっては朗報でした(^^)
- しにあの旅人さん からの返信 2021/10/26 07:15:48
- Re: 連理の枝→仲良しチャリ Two Shot♪
- 連続UPです。
こねくり回す必要がないので、素直にサラッと書けました。できる時にやっておかないと、いつまでも在庫が減りません。
仁徳・履中陵は、航空写真では分かっていましたが、ぽんとうに住宅地の中でした。驚いた。お堀まで家が迫っていて、お庭の池がお堀という感じ。
よくもまあ、これだけですんでよかったという感じです。
古墳全部が開発されて、斜面を利用したジェットコースターがないだけ、よかったかも。
宮内庁がアンタッチャブルにしたのも、わからないわけでもありません。
でも仁徳天皇陵のイギリス人の写真を見ても、この頃まで丁寧にメンテナされていたのがわかります。天皇が実際に君臨していた古代はともかく、天皇、何それ?という中世でもずっと誰かが整備していたのです。昔から大事なものだとはみんなわかっていた。
むかーしパリで、ビジターセンター方式の映像のでかいのを見ました。映像は左右の壁、天井、床まで広がって、ナイアガラの滝の上を飛ぶシーンでは、思わず椅子にしがみついた覚えがあります。
あれでホラー映画などみされられたら、やばいかも。
3D映像のお化け屋敷など、いかがでしょう。観客の周りは全部おばけ。私は見に行きません。
法隆寺だって、設計図を読める技術者がいっぱいいないとできないとおもませんか。そいう技術者は、多分渡来人1世、2世、3世くらいかな。家伝のナントカ、子供は小さい時から、ビシバシ親が鍛える。歌舞伎の家みたいなもんじゃあないかと。
日本人がなんとか流ということで、技術を囲い込みたがるのは、この頃の遺伝かも、なんちゃって。
それじゃあ人数が足らんということで、厩戸皇子が四天王寺やら法隆寺を作ったと。タブン当たらずといえども遠からず。
ピラミッドを作った連中の話、テレビでやっていました。数千人暮らせる町があって、トイレのウンチの化石から、すごく高カロリーの、いい飯を食べていたのが分かったとか。
ビール飲み放題は見逃しました。でもエジプトの古代のビールって、冷えていなくて、醸造ゴミが浮いているから、ストローでチュウチュウ吸うらしい。
ヨーロッパのビールが冷えていないのは、ここがルーツかも。
次は山城国寺社参り、軽ーくいきます。番宣です。
- しにあの旅人さん からの返信 2022/01/05 10:15:28
- Re: 連理の枝→仲良しチャリ Two Shot♪
- 平城京跡の孝謙天皇さんのお住まい発見のお知らせ、ここでした。この時はこんな大事なものとはつゆ知らず。
- kummingさん からの返信 2022/01/05 11:02:08
- 新年のご挨拶は新作ブログnカキコにてm(._.)m
- すごい!
見つけてくださったのですね♪
あっ(°_°)なんと、新春新作upされているじゃ~ありませぬか!
新年のご挨拶もまだ、という失礼をばm(._.)m
今出先(←今日3か月ぶりに図書館が開きまして)なので、追ってブログ楽しませて頂きます^ ^
新年早々、1日に2つのしやわせ^o^
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