2021/07/14 - 2021/07/14
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しにあの旅人さん
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おひさしぶり、ほぼ1年ぶりの自転車シリーズです。
ぎっくり腰で自転車などとっくにやめた、と思った方が多いはず。老兵は死なず、しつこく生き延びております。
性懲りもなく折りたたみ自転車を車に積んで、やって来ました大阪は堺市の仁徳・履中天皇陵。7月の炎天下、冷水サイクリングを決行しました。
修学旅行の定番ですが、私もBy妻も初めてでした。
写真は履中天皇陵拝所、連理の枝のごとく、仲むつまじく寄り添う2人の自転車であります。
連理の枝?
なるほど、比翼の鳥と言わないところが、私たちらしいところです。
比翼の鳥なら、気持ちを合わせないと墜落してしまいますからね。
隣に居さえすればいいなら、連理の枝できます!
By妻
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ビジターセンターでもらったパンフレット表紙。ここは正式には「百舌鳥(もず)・古市古墳群」というのです。仁徳、履中の大古墳と中小古墳、その中間に大仙(だいせん)公園があります。仁徳天皇陵、履中天皇をまわり、公園内の堺市博物館に寄ろうというスケジュールです。
この古墳が本当に仁徳、履中の真墓かどうか、ワクワクする私好みのお話ですが、今回はパス。観光ガイドに徹します。 -
まずビジターセンター近くの駐車場に車を止めて、自転車組み立て。コロナの影響か、もともとこんなものか、ほぼ無人です。無車。
赤丸目指して、出発。
右回りのここまでのコースは一部自転車道。車道も通りますが、交通量少なくて楽ちん。 -
赤丸付近からの仁徳天皇陵。三重のお堀の一番外側です。
なんだい、こりゃ。淀んだ池のほとり。一部住宅がお堀端まで迫っております。お堀は狭い。もうちょっと清々しいものかと思っていた。
最初、皇居のお堀端みたい!
と思ったわたしは、浅はかでした。
やっぱり現役と退役とでは、こうも違ってしまいました。
ここだって、当時は、華やかな所だったでしょうに。
今や、堀をつぶしたら、何軒家が建つのに。とか言われてそうな。
引退したのは、かなり前ですからね。
松坂世代といわれた、あの松坂大輔でさえ、今の若い人は、自分を知らない。と言ったそうですから。ましてや、、、。
ついでに後期高齢者となった我が身を思い、やや感傷的になりつつ、大阪人のエネルギーの押し寄せる堀端を自転車は走ります。リンリン~
結構、私たちみたいな旅行者もちらほら。中には、ヘルメットも勇ましくリュックもずっしりって感じで、日本縦断自転車旅行みたいな感じの若者も。
仕事も大学の授業も、ネットですものね。大学に行かなくてよいならと、旅行する学生もいたのでしょう。
By妻 -
青丸あたりにやってきました。
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青矢印の方向。ここいらは車の交通量が多く、とても車道を自転車で走れません。自転車は押して歩きました。
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柵の中にカメラを入れて撮影してみた。相変わらず狭い淀んだお堀。方向は矢印の反対。
車は多いし、汚いし、このあたりはおすすめしません。
仁徳天皇陵は古墳のなかに三つ古墳があります。この林はそのうちの一つ茶山古墳。 -
黄色丸まで来ました。
それにしてもでかい陵です。
でかすぎて、現代だと周囲はびっしり住宅に囲まれていて、近すぎてどんな格好だか全景が分かりません。 -
これは堺市博物館に展示されていた写真です。1887年~1888年ごろ、イギリス人の写真家ゴーランドが撮影した仁徳天皇陵。東側から撮影したもので、左が後円部分です。現在のような木はまったくありません。
私たちは、後円部分の裾野にいることになります。
ずいぶん細長いものです。
後円部分の高さ35.8m-39.8m、前方部分は33.9m-37.9m、高さはたいしたことない。
さすが世界に名高い仁徳天皇陵です。大きいです。でかいです。巨大です。
ところで、一体何のために、こんな大きなお墓を造らなくてはならなかったのでしょう。誰に見せるつもりでしょう?
ピラミッドは、大きいですが、そびえ立っていますから、人民は見上げて、おおっーと、その偉大さにひれ伏したのは、わかります。
つまり人民をひれ伏させるために、敵をもひれ伏させるために造った。
が、ここ仁徳天皇陵は、そんなに高くはないのです。ただ、ずーっと続くばっかりで、まだ仁徳陵、まだ仁徳陵、、、というだけみたいな感じです。
やっぱり人類は宇宙からやってきたのですよ。そのふるさとの星に連絡をとるために造った地球の扉を開く鍵穴。
とは、さすがのby妻でも思いません。でも、たぶん天文学的な宗教的な意味合いで、天に向かって造ったのではないでしょうか。これは本気。
最高神が太陽神のアマテラスだもの。
By妻古墳見学の前後に必見 by しにあの旅人さん堺市博物館 美術館・博物館
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堺市博物館の展示パネルによると、この後円部分は古代の葬礼儀礼の舞台だったそうです。
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「古墳の埋葬施設は、憤頂からから掘り込まれた墓穴のなかにしつらえられました。葺石でおおわれ、埴輪が並べられた墳丘では、祭祀が行われたと考えられています。墳丘を飾り立て、葬礼儀礼の舞台とするのは世界の墳墓でも例のない、日本の古墳の大きな特徴です。」
私たちの旅行記
「ヤマトタケルの家路6 甲斐に超え出て、酒折宮」
https://4travel.jp/travelogue/11623841
でBy妻が前方後円墳は葬礼の舞台だと言い出して、びっくらこいたことがありました。By妻おとくいのトンデモ古代情報と思いましたが、あってたんだ!!!
あの人は脳の一部が古代から進化していないので、そういうことが分かるらしい。
後円部分は舞台で、もう片方は身分の高い人のための特等席、だそうです。案外あっているかも。
お暇なら上のブログの、酒折宮の写真の前ですから、寄っていって下さい。 -
黄色矢印方向。ここからはまともな歩行者、自転車道になりました。歩行者が来たら自転車を降りましたが、ほんの数組。
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ピンク丸。ゴールです。仁徳天皇陵拝所。黄色丸からは公園内の自転車専用道路で、ありがたかった。
一周2.8km。あちこち寄り道していたので45分くらいでした。真っ平らです。100%人力自転車でもなんとかなりました。 -
拝所。鳥居の向こうが一番内側の広いお堀です。石の柵の向こうへは行けません。
大きいことは分かりますが、一周はあまりお勧めしません。 by しにあの旅人さん仁徳天皇陵古墳 名所・史跡
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悪名高い3禁立て看。
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真ん中のお堀、向かって左。
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右。このお堀はきれいです。やっと古墳のお堀らしい。
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鳥居の向こうの林が前方部分です。高さ33.9m-37.9mだそうですが、そんなに高く見えない。
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「百舌鳥(もず)・古市古墳群」パンフより。
こんなふうにして古墳全部を葺石で覆っていました。
新築のころは全体が葺石でピカピカだった。 -
葺石を敷いた状態はこんな感じ。
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葺石の一つ。
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磨いてある部分が表になる。
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1個は大体赤ん坊の頭くらい。
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こういうふうになっていて、両手で持ち上げていい。
1個10kgくらいかな。当然、オリジナルです。
古墳が葺石で覆われていたのは、ひとつに土止めですね。
積み上げた土が流れ去らないように。
それなら、なぜ磨いたのでしょうか。
輝かせるためですわね。誰が考えてもそうでしょう。
太陽の光を反射しやすくするために磨いたのです。
夏至のギラギラ輝く陽光の中に、himikoがすっくと立つのです。
人々に、彼女が姿を現すのは、この日のみ。
彼女は、日の巫女ですから。
えーっと、どっちに立つかな。前方の部分かな、後円の部分かな?
やっぱり、後円の部分に立って、前方の部分は、オーケストラ。
笛、太鼓、銅鐸とかね。
暑くて眩しくて、音楽とで、見ている人間は、完全に普通ではいられませんよ。朦朧~。人々の目には、彼女の姿は、日の巫女から神そのものへと変わってゆくのです。
あー。アマテラス大御神さま~
いかがでしょう。
By妻
履中天皇陵へ続きます。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- 前日光さん 2021/10/30 23:04:34
- ブラタモリでやっていたような?
- こんばんは、しにあさん&by妻さん
いつもそんなに早くない訪問者の私ですが、今回の遅れは特に訳があります。
今週初めから不調だったのです。
朝昼の温度差がありすぎて、おそらく体の調節機能が付いていけなくなったようでして。
普段あまり調子を崩すことはないのですが、やはり歳のせいもあるのかも(>_<)
やっと昨日辺りからなんとか復帰しつつあります。
活字を見るとバス酔い状態になるものですから(活字大好きなのに)。
さてこの仁徳天皇陵(と、私は小学校で学習したのであります。どうしても仁徳天皇陵と言いたい!)ですが、実は古代にはすぐ近くに海が迫っていて、海路ここにやって来ると、この壮大な墳墓を目にした中国や朝鮮の人々は、その規模の大きさに脱帽するのだというようなことを、どこぞの学者先生が宣っていたやうに思います。
上空からということに触れるにはもう少し時間が必要だったみたいです。
タモリさんがこの墳墓の周囲をブラブラ歩いて、如何に住宅地が古墳にはいりこんでいるかというようなことを如実に説明してくれました。
それにしても、あまりに大きいと、確かに近くでは全体像が見えませんよね。
ナスカの地上絵が上空から見て初めて、何が描いてあるのか分かるように、近くで全体を把握するのは難しいようです。
この広大な墳墓で何が行われていたのかということについては、私は「酒折宮」の所でもby妻さんに全面的に賛成していたと思います。
でBy妻が前方後円墳は葬礼の舞台だと言い出して、びっくらこいたことがありました。By妻おとくいのトンデモ古代情報と思いましたが、あってたんだ!!!
あの人は脳の一部が古代から進化していないので、そういうことが分かるらしい。
という、しにあさんのびっくらこいた実感に共感しました。
今もその気持ちに変わりはありません。
それどころか鋭い指摘だと思います!(^^)!
そして引き続いて次の旅行記に行きたいところですが、実は私、明日一泊ですが、「湯西川温泉」という所に行く予定です。
そのためには早く寝なさいと命令されましたので、また戻りましたら訪問いたします。
しかし、古墳の堀の水って、どうしてこう汚らしくなってしまうのでしょうね?
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2021/10/31 09:48:43
- Re: ブラタモリでやっていたような?
- おやまあ、体調が良くないとか、ご自愛ください。でも温泉に行かれるまでに回復したようで、何よりです。
湯西川温泉というのは、こちらから見ると日光の向こう側で、奥日光というところですか。行ったことのない所です。ざっとググったら、平家の落武者伝説があるそうで。
旅行記、期待しています。
古代は今の大阪城近くまで海だったそうで、仁徳天皇陵も海沿いだったのかもしれません。ただ、瀬戸内海を東進してきた船は、明石海峡を通ってそのまま難波の堀江に入ったんじゃないかな。わざわざ南に下がって、「これが、仁徳天皇陵でございまーす」ってやるかな、などど得意の意地悪。
明治のイギリス人が撮った写真だと、ずいぶん低いですよ。ちょっと離れたら見えるかな。葺石でピカピカしていなかったら、低い丘が二つ並んでいるだけかも。
葬礼の舞台説は、なるほど、ですね。舞台と観客席が500m離れているので、相当でかい銅鐸でごあ~~~んとやらないと聞こえないでしょう。でかい銅鐸は飾りじゃなかった、かもしれない。
お堀の水が汚いのはプランクトンのせいではないかと、mistralさん説。さもありなん。
あの水はどうやって補給するのですかね。流入がなければ、そんなに日もたたず干上がるはず。雨だけ?
-
- kummingさん 2021/10/24 12:21:49
- 連理の枝と、鍵穴説♪
- 夏から一気に冬?すがすがしい秋を飛び越えて、朝夕めっきり冷える季節となりました。サイクリングには最適な気候ですが、しにあさんby妻さんは真夏の久々サイクリングだったのですね。
連理の枝、例によってgoogle りました。玄宗皇帝と楊貴妃が七夕の夕べに愛を誓い合った言葉だとか?『天にありては願わくば比翼の鳥(2羽で一体で飛ぶ)、地にありては連理の枝(2本の枝がくっついた)とならん』確かに「連理の枝」墜落の心配はありませんが、ぽきっと折れちゃう事も?←コレは我が家の場合です(-。-; 可能性、という意味で?!
古事記朗読に伴奏がついていた説♪ 朗読劇とコーラス付きの一大スペクタクルミュージカル、舞台は古墳の上、後円が舞台で前方が貴賓席、みたいなお話でした。
墳墓で祭祀がおこなわれ、墳丘を飾って葬礼葬儀の舞台としていたという事実が裏付けられ、by妻さん古代人直系説、さもありなん^ ^
一体何の為に、こんな大きなお墓を作った?ピラミッドの様にそびえたち人民、敵への威信誇示しているワケではなく「ただず~っと続くだけ、まだ仁徳陵、まだ仁徳陵…」
人類宇宙発生説、はともかく、地球の扉を開く鍵穴説、そうかもしれません^o^
地球外知的生命体への招待、目印的な、鍵穴♪
きっと、天文学的宗教的意味で天に向かって作られた!
(卑弥呼さまについては無知なのでコメント控えさせて頂きますm(_ _)m)
古墳を覆う石が磨かれているのも、太陽の光を反射して輝かせる効果を狙った。
卑弥呼さま登場と共に、出ました、オーケストラ♪
その光景が脳内でBGM付き映像化しています。
- しにあの旅人さん からの返信 2021/10/24 20:17:58
- Re: 連理の枝と、鍵穴説♪
- By妻の脳の一部が古代から進化していない説は、本人が「失礼しちゃうわね」とは言いましたが、否定しないので、ありかと。
でもこういうヒラメキって、女性の方が男より優れていると思いませんか。
仁徳陵って、本当に延々と続くのです。象の体を這うアリンコとしては、見えるのは、あまりキレイではない細長い池の向こうの林だけですから、面白くもなんともない。
奈良、飛鳥よかったなあ、とつくづく思います。平城京跡みたいなのを期待していたので、かなりがっかり。せめてお堀に沿って一周できればいいのですが、高級住宅地がお堀端まで占拠しておりました。
高度成長期に潰されて、なんとかハイツとかにならなかっただけよかったか。
本当に宅地に変わり果てた古墳もあるようです。
仁徳、履中陵は、最初は1本だったのですが、写真が多すぎるので分割しました。連続してUPしましたので、続けて読んでください。
-
- mistralさん 2021/10/24 09:25:02
- 仁徳天皇陵
- しにあの旅人さん
おはようございます。
炎天下のもと、決行されました仁徳天皇陵を巡るサイクリング旅行記
拝見しました。
当日は、歩行者も少ない様子の好天でしたし、一周終わった頃には
私でしたら熱中症にでもなりかねないような。
現代にあっては夏草が茂り、周囲のお堀はプランクトンのせいか水も澱み
かつての姿、威容を誇った?綾を思い描くこと、難しくなっているんですね。
それにしましても、前方後円墳の墳丘上で行われた祭祀の様子にはびっくり!
改めまして、by妻さんがかねてから提唱されておられたという祭祀について書かれた
「酒折宮」の旅行記を復習してまいりました。
ずっと祭祀の様子、イメージを抱かれていたby妻さんのご発想、もしかしたら
古代ともダイレクトに無意識レベルで、いえいえ意識レベルでも繋がっておられるやも、
直観的に観るお力があるのかも、など想いました。
by夫さんには、沢山の事を見破られたご経験がおありではないでしょうか(笑)
ピカピカに磨かれた墳丘の上で執り行われる祭禮
銅鐸はやはり楽器として用いられ
そして雅な楽曲が流れてきたら
普通の人ならトランス状態になって、宇宙人ではなく、
アマテラス大御神が降臨される。。。
素晴らしい舞台設定となりそうですね。
天皇陵のイメージが一新された旅行記でした。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2021/10/24 11:11:06
- Re: 仁徳天皇陵
- 水は変な緑に染まっていました。プランクトンですか。古代はどうだったんでしょう。現代と同じプランクトンですかね。これ研究したら修論くらいになるかも。
同じなら、仁徳天皇は、「何これ、汚いねえ」くらい言ったかも。
古墳が葬祭場だったというのは、By妻が言い出した時は驚きましたね。前もって知っていた様子はない。そのとき思いついたらしい。古代からの潜在記憶、だったりして。でもこういう、前後脈絡のないユニークな発想というのは、女性の方が圧倒的に優れていると思うのですが、いかが。
日本の女は多かれ少なかれ卑弥呼の末裔なのです。
ピッカピカの古墳の上で執り行われる祭礼、みてみたいですね。
ゴーランドの写真、まだまだ博物館に何点も展示されています。
明治20年くらいまで木が植っていないということは、古代からそれまで誰かが古墳全体をメンテナしていたのです。日本だと、30年ほっておいたら林になってしまいます。
ところで葺石の間から出てくる雑草はどうしていたのか。涼しくなって、やっと庭の雑草の猛威から解放されつつある身としては、そういうつまらんことを考えております。
春秋のお彼岸あたり、作った時と同じくらいの人数で、横一線で雑草をむしったのかな。夏は葺石の照り返しで勘弁。我が家のお墓とは違うかな、などなど。
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