
2020/06/04 - 2020/06/04
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しにあの旅人さん
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旅の題は短いほうがいい。グルメの旅、歴史の旅、〇〇神社を訪ねる旅、せいぜい10文字ちょっと。
ところが、今回の旅は短く書けません。
「スイスで湖の近くのホテルに泊まって手紙を書く旅」
「列車に乗ってスイスに入り雪のある最初の町で降りてクリスマスを過ごす旅」
これでも何のことか分からない。意味不明、イミフの旅です。
表紙の写真は、スイス、インターラーケン近くの村リンゲンベルグ。教会の塔の向こう、写真左端はアイガー、その稜線の彼方はユングフラウです。白い花は多分梨。1974年現像のネガからDVDに焼いたものです。経年変化したアナログ映像からデジタルへ、映像の熟成という感じで、どことなく油絵のように見える。気に入っております。
記憶もまた46年も経つと、甘美に熟成するようです。
コロナ騒ぎの影響で、過去の旅のブログが多くなっております。楽しい、面白い旅行ばかりです。ところが、4トラのシステムだと、昔の旅行をそのまま旅行日にすると、ブログの先頭に出てきません。ブログの数が多いと、自分でもどこにあるか分からなくなるとおっしゃっていたトラベラーもいました。かと言って更新日順に並べると、今度は単純な誤字訂正でも先頭になります。投稿日順にブログを表示できないのです。よって今回は表題に年を明記し、旅行日は最近のある日です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ブザンソンには駅が二つあります。一つはパリへの列車が発着する中央駅。もう一つは町の東、ドゥー川に近い小さな駅、ブザンソン・ムイェール。ジュラ山地を抜けてスイスに向かうローカル列車がここから出ます。
1974年5月スイスへ行ってきました。インターラーケンまで行って、湖が見える小さなホテルに泊まって、手紙を書いてみたい。
今、思うに、なんでこういうことを思いついたのか。自分でも不思議です。でもとにかくそういうことで、出発! -
5月、黄色いのはカラシの花。菜の花の仲間です。与謝野晶子の真っ赤なコクリコは、まだフランシュ・コンテでは咲いていません。レンヌより初夏は遅いらしい。
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ブザンソンとインターラーケンの位置関係。フランシュ・コンテはブザンソンあたりの州名です。フランスのチーズ、デュ・コンテはこのあたりの名物。青〇は近くの大都市ディジョン、目印です。
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やって来ましたインターラーケン。
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インターラーケンとは、トゥーン湖、プリエンツ湖という二つの湖(ラーケン)の間という、適当な地名のようです。
ここからバスでまずグリンデルワルトに直行しました。バスの運転手が、時計の秒針に合わせて運転していました。さすがスイス! -
グリンデルワルトはアイガーやユングフラウ登山のベースになる町だそうです。これはアイガー。
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北壁だと思います。グリンデルワルトはアイガーとユングフラウの全景をとらえるには近すぎました。ガスっていますが、右の稜線の向こうにユングフラウが見えるはずです。
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インターラーケンに戻り、予約しておいたホテルに向かいます。プリエンツ湖のほとり、インターラーケンに近い小さな村リンゲンベルグでした。
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この小路の先、
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アルピナ(ALPINA)という小さなホテル。リンゲンベルグには今はこの名前のホテルはないようです。
5月ですから、もう日は長く、夕方遅くまで辺りを歩きました。1泊だけです。写真の撮影は着いた日か翌日か、はっきり分かりません。 -
このような小路を降りた記憶があります。
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プリエンツ湖のほとり、じゃないかな。
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ホテル近くから北側、アイガーとは反対の方角。岩山の麓の斜面に緑の牧場らしきものが。
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牧場にやって来ました。プリエンツ湖の西の端が見えます。正面がアイガー、その右、ちょうど写真の傷のあたりがユングフラウです。
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花の咲く岡の向こうがインターラーケンです。なんともはや、スイスですね。ハイジが走ってきて、その後からトライさんが出てきたら、いいCMになります。
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見事な青空、のはずです。快晴、これだけ陽光があれば、どんな安カメラで撮っても、紺碧の空、残雪が映えて、山の稜線がくっきり浮かび上がったはず。やはりネガの46年間の経年劣化は覆うべくもありません。
私も、これくらい劣化しているということだなあ。 -
ホテルの周囲も、これぞスイス。白い花は梨。レンギョウ、ボケ、ユキヤナギが同時に咲いています。新緑はまだ、春の遅い国なのです。
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この方向がインターラーケン。
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どこからでもアイガーとユングフラウが見えました。それ以外の山の名を知りません。
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丘の上の教会、Kirchgemeindehaus Ringgenbergだそうです。
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廃墟も絵になります。グーグルの航空写真だと、この教会は今もこのままです。
ここに来た目的。4月にブザンソンに来て、これまでの記録をまとめてみたい。それを手紙にして送りたい。「手紙など、学食のテーブルで、パンくずを払いながらでも書けるぞ」という意見も承知していますが、そうはいかない。
青春とは畢竟カッコつけであります。自分自身に対しカッコをつける。今から思うと、メッチャ恥ずかしい。でもその時はそう思っていた。
で、その手紙を送る相手とは、その時はまだ妻となっていなかった、日本にいるBy妻です。
46年後、このブログを書いているこの時、現在のBy妻はすぐそばで、ぽつんと一軒家とかいうテレビを見ております。聞いてみました。
「インターラーケンから送った長い手紙、覚えている?」
「なにそれ?知らないなあ」
長山洋子風に「でもね♪」
46年前にもらった手紙を覚えている人、手をあげて!
フツー、覚えていないですよね。
この時代の私の記憶を探ると、所々妙に鮮明なところがあります。それをつなぎ合わせたのが、このシリーズの1、2です。どうもそれは、一度文章にまとめたことがあるからみたい。おそらくBy妻に送った手紙だと思います。
その中で唯一送ったとはっきり覚えているのが、インターラーケンの手紙。中身は忘却の彼方。多分、時系列的に事実を並べた、私らしい報告書みたいなやつ。
By妻が覚えていなくても不思議はない。
インターラーケンも何回も旅したところです。
2人で行ったし。 -
子供が生まれたとき、私の両親が手伝いに来てくれて、夫が2人を連れて行きました。1979年のことです。同じホテルでした。母はインターラーケンもグリンデルワルトも全部着物でした。「みんなが見ていたわ」と喜んでいました。そのときは私はパリで留守番。
後に妹と2人で行きました。またそのあとには、息子と親子3人でヴァカンスをすごしたりもしました。
もう一度行けるでしょうか。
By妻 -
スイスイミフの旅二つ目。
駅舎正面です。この建物はグーグルマップだと現在もこのままです。
ふたたび緑に褪色した1975年現像古いネガの出番です。
1975年春にBy妻がブザンソンに来て、二人で暮らし始めました。By妻は高校1年の同級生です。友達がそのまま結婚するトモダチ婚。
当時女の結婚適齢期は上限25、6才といわれていました。
「売れ残ったら、もらってやるよ」とは言っていました。そしたら「売れ残りました。私もフランスに行きます」という手紙が来ました。武士に二言はない。
最初の旅がモロッコ。秋になって、インターラーケンの写真を見ていたBy妻が、「私もスイスに行きたい」
「雪が降ったら行ってみよう」ということになりました。
「クリスマスをスイスで過ごすというのはどうだろう」私の提案。
ブザンソンから汽車に乗って、スイスに入って雪がある最初の町で降りて、二人でクリスマスを過ごそう。
どこを押したらこういうアイデアが出てくるのか、今となっては理解の問題外の外であります。でも二人で、グッドアイデアとはしゃぎました。
1975年12月25日、またもやローカル列車でスイスを目指しました。たしかポンタリエ経由、スイスのどこだかに行く列車でした。
スイスに入る前、ジュラの山中ですでに周囲は雪景色でした。国境を越えた最初の町、ヴァロルブ(Vallorbe)で汽車を降りました。 -
ところが、このブログのために調べると、現在はブザンソン-ヴァロルブ間に鉄道はありません。でも私は、ジュラの山中を走る列車の旅をはっきり覚えています。線路に並行してスキーの跡がありました。平地を滑るスキー、ノルディックを初めて見た鮮明な記憶があります。
45年の間に日本で消え去ったローカル鉄道は数多くあります。フランスのこの線路も同じ運命を辿ったのだと思います。 -
ヴァロルブの駅近くにホテルをとって、地図を見たら、近くにブルネ湖 ジュー湖という湖がある。何も調べていないし、二人だけのクリスマスパーティーまで時間もあるので、とにかく行ってみよう。
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小さい方の湖、ブルネ湖だと思います。
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湖の名前を知ったのはこのブログを書くため。
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湖は凍っていました。水切りで小石を投げたら、キュンキュンとかわいい音を立てて、とんでもない遠くまで滑っていきました。
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何やら秘境の温泉宿のようです。
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クリスマスの旅行にふさわしい。
ここまでは記憶にあります。とくにキュンキュンという音は、音そのものを覚えています。 -
まるっきり記憶にない風景が、しっかり記録されていました。
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もっとも不思議なのがこの写真。ほかの旅の写真が混ざっていないか。
この写真のネガは、長い一本のロールです。最初と最後の映像をチェックすると、全部ヴァロルブ。
いくら物持ちのいいスイスでも、もうこのころは蒸気機関車は走っていないでしょう。
そういえば、この町には鉄道博物館があったという記憶はあります。そんなところ、行ったのかなあ。 -
ヴァロルブの町並。
クリスマスのご馳走は、By妻手作りで、持ってきました。
ワインは近くのお店で買ったと思います。
二人で、ホテルの一室で、クリスマスを楽しみました。
経済的理由で料理は作って行ったのですが、大正解でした。
というのも、駅からホテルまで店という店は6時過ぎには閉まり、ホテルだって下のサロンにもだーれもいなくなったのです。もしも町のレストランで食べようとか計画していたら、飢えてしまいましたね。
本場のクリスマスって、家族の行事なのです。こんなに家族の結束が強いとは、フランスに暮らし始めて日の浅い私たちはまだ知りませんでした。
後日の話ですが、イタリアの復活祭でも苦い思い出というか、空腹の思い出があります。8月15日のスペインでも、聖母マリアの昇天祭でレストランが閉まっていました。宗教的行事は、仕事はお休み、どんな家族でも集まります。
この日のクリスマスは偶然料理を持って行ったので、ささやかながら、晩餐をいたしました。
雪のクリスマスを堪能...堪能って、雪しかないし。堪能して大満足で帰路についたのですが、私、大失敗してしまいました。バックを汽車に置き忘れてしまったのです。身分証明書、これは外国暮らしの人間には命の保証書ですからね。お金もパスポートも入っていました。
あ~!であります。夫、友人、知人にののしられながら駅に出向きまして、ことの次第を話しますと、終着駅パリの拾得物係に届いておりました。さらにブザンソンに送ってもらうことになりました。
戻ったバックの中を改めると、すべて無事。お金も、もともと大金はもっていなかったし、紛失していませんでした。
友人知人は、絶対ウソ、出てくるはずがない。写真撮っている間隣にちょっと置いた物がなくなる国なのに!と叫んでおりました。
ですから、クリスマスの奇跡。貧しい若夫婦のクリスマスを神様が祝福して下さったのでしょう。
拾って届けてくださった方に感謝。神様の祝福あれ!
By妻
なにか締めくくりの名言を書かなければならないのですが、特に思いつくことなし。おもしろいことをやったとは思います。
私たちの青春とは、こういうおなかの足しにもならないことを、真面目に、しかし楽し〜くやっていたのであります♪
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