2020/06/04 - 2020/06/04
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しにあの旅人さん
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旅の題は短いほうがいい。グルメの旅、歴史の旅、〇〇神社を訪ねる旅、せいぜい10文字ちょっと。
ところが、今回の旅は短く書けません。
「スイスで湖の近くのホテルに泊まって手紙を書く旅」
「列車に乗ってスイスに入り雪のある最初の町で降りてクリスマスを過ごす旅」
これでも何のことか分からない。意味不明、イミフの旅です。
表紙の写真は、スイス、インターラーケン近くの村リンゲンベルグ。教会の塔の向こう、写真左端はアイガー、その稜線の彼方はユングフラウです。白い花は多分梨。1974年現像のネガからDVDに焼いたものです。経年変化したアナログ映像からデジタルへ、映像の熟成という感じで、どことなく油絵のように見える。気に入っております。
記憶もまた46年も経つと、甘美に熟成するようです。
コロナ騒ぎの影響で、過去の旅のブログが多くなっております。楽しい、面白い旅行ばかりです。ところが、4トラのシステムだと、昔の旅行をそのまま旅行日にすると、ブログの先頭に出てきません。ブログの数が多いと、自分でもどこにあるか分からなくなるとおっしゃっていたトラベラーもいました。かと言って更新日順に並べると、今度は単純な誤字訂正でも先頭になります。投稿日順にブログを表示できないのです。よって今回は表題に年を明記し、旅行日は最近のある日です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ブザンソンには駅が二つあります。一つはパリへの列車が発着する中央駅。もう一つは町の東、ドゥー川に近い小さな駅、ブザンソン・ムイェール。ジュラ山地を抜けてスイスに向かうローカル列車がここから出ます。
1974年5月スイスへ行ってきました。インターラーケンまで行って、湖が見える小さなホテルに泊まって、手紙を書いてみたい。
今、思うに、なんでこういうことを思いついたのか。自分でも不思議です。でもとにかくそういうことで、出発! -
5月、黄色いのはカラシの花。菜の花の仲間です。与謝野晶子の真っ赤なコクリコは、まだフランシュ・コンテでは咲いていません。レンヌより初夏は遅いらしい。
-
ブザンソンとインターラーケンの位置関係。フランシュ・コンテはブザンソンあたりの州名です。フランスのチーズ、デュ・コンテはこのあたりの名物。青〇は近くの大都市ディジョン、目印です。
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やって来ましたインターラーケン。
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インターラーケンとは、トゥーン湖、プリエンツ湖という二つの湖(ラーケン)の間という、適当な地名のようです。
ここからバスでまずグリンデルワルトに直行しました。バスの運転手が、時計の秒針に合わせて運転していました。さすがスイス! -
グリンデルワルトはアイガーやユングフラウ登山のベースになる町だそうです。これはアイガー。
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北壁だと思います。グリンデルワルトはアイガーとユングフラウの全景をとらえるには近すぎました。ガスっていますが、右の稜線の向こうにユングフラウが見えるはずです。
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インターラーケンに戻り、予約しておいたホテルに向かいます。プリエンツ湖のほとり、インターラーケンに近い小さな村リンゲンベルグでした。
-
この小路の先、
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アルピナ(ALPINA)という小さなホテル。リンゲンベルグには今はこの名前のホテルはないようです。
5月ですから、もう日は長く、夕方遅くまで辺りを歩きました。1泊だけです。写真の撮影は着いた日か翌日か、はっきり分かりません。 -
このような小路を降りた記憶があります。
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プリエンツ湖のほとり、じゃないかな。
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ホテル近くから北側、アイガーとは反対の方角。岩山の麓の斜面に緑の牧場らしきものが。
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牧場にやって来ました。プリエンツ湖の西の端が見えます。正面がアイガー、その右、ちょうど写真の傷のあたりがユングフラウです。
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花の咲く岡の向こうがインターラーケンです。なんともはや、スイスですね。ハイジが走ってきて、その後からトライさんが出てきたら、いいCMになります。
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見事な青空、のはずです。快晴、これだけ陽光があれば、どんな安カメラで撮っても、紺碧の空、残雪が映えて、山の稜線がくっきり浮かび上がったはず。やはりネガの46年間の経年劣化は覆うべくもありません。
私も、これくらい劣化しているということだなあ。 -
ホテルの周囲も、これぞスイス。白い花は梨。レンギョウ、ボケ、ユキヤナギが同時に咲いています。新緑はまだ、春の遅い国なのです。
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この方向がインターラーケン。
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どこからでもアイガーとユングフラウが見えました。それ以外の山の名を知りません。
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丘の上の教会、Kirchgemeindehaus Ringgenbergだそうです。
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廃墟も絵になります。グーグルの航空写真だと、この教会は今もこのままです。
ここに来た目的。4月にブザンソンに来て、これまでの記録をまとめてみたい。それを手紙にして送りたい。「手紙など、学食のテーブルで、パンくずを払いながらでも書けるぞ」という意見も承知していますが、そうはいかない。
青春とは畢竟カッコつけであります。自分自身に対しカッコをつける。今から思うと、メッチャ恥ずかしい。でもその時はそう思っていた。
で、その手紙を送る相手とは、その時はまだ妻となっていなかった、日本にいるBy妻です。
46年後、このブログを書いているこの時、現在のBy妻はすぐそばで、ぽつんと一軒家とかいうテレビを見ております。聞いてみました。
「インターラーケンから送った長い手紙、覚えている?」
「なにそれ?知らないなあ」
長山洋子風に「でもね♪」
46年前にもらった手紙を覚えている人、手をあげて!
フツー、覚えていないですよね。
この時代の私の記憶を探ると、所々妙に鮮明なところがあります。それをつなぎ合わせたのが、このシリーズの1、2です。どうもそれは、一度文章にまとめたことがあるからみたい。おそらくBy妻に送った手紙だと思います。
その中で唯一送ったとはっきり覚えているのが、インターラーケンの手紙。中身は忘却の彼方。多分、時系列的に事実を並べた、私らしい報告書みたいなやつ。
By妻が覚えていなくても不思議はない。
インターラーケンも何回も旅したところです。
2人で行ったし。 -
子供が生まれたとき、私の両親が手伝いに来てくれて、夫が2人を連れて行きました。1979年のことです。同じホテルでした。母はインターラーケンもグリンデルワルトも全部着物でした。「みんなが見ていたわ」と喜んでいました。そのときは私はパリで留守番。
後に妹と2人で行きました。またそのあとには、息子と親子3人でヴァカンスをすごしたりもしました。
もう一度行けるでしょうか。
By妻 -
スイスイミフの旅二つ目。
駅舎正面です。この建物はグーグルマップだと現在もこのままです。
ふたたび緑に褪色した1975年現像古いネガの出番です。
1975年春にBy妻がブザンソンに来て、二人で暮らし始めました。By妻は高校1年の同級生です。友達がそのまま結婚するトモダチ婚。
当時女の結婚適齢期は上限25、6才といわれていました。
「売れ残ったら、もらってやるよ」とは言っていました。そしたら「売れ残りました。私もフランスに行きます」という手紙が来ました。武士に二言はない。
最初の旅がモロッコ。秋になって、インターラーケンの写真を見ていたBy妻が、「私もスイスに行きたい」
「雪が降ったら行ってみよう」ということになりました。
「クリスマスをスイスで過ごすというのはどうだろう」私の提案。
ブザンソンから汽車に乗って、スイスに入って雪がある最初の町で降りて、二人でクリスマスを過ごそう。
どこを押したらこういうアイデアが出てくるのか、今となっては理解の問題外の外であります。でも二人で、グッドアイデアとはしゃぎました。
1975年12月25日、またもやローカル列車でスイスを目指しました。たしかポンタリエ経由、スイスのどこだかに行く列車でした。
スイスに入る前、ジュラの山中ですでに周囲は雪景色でした。国境を越えた最初の町、ヴァロルブ(Vallorbe)で汽車を降りました。 -
ところが、このブログのために調べると、現在はブザンソン-ヴァロルブ間に鉄道はありません。でも私は、ジュラの山中を走る列車の旅をはっきり覚えています。線路に並行してスキーの跡がありました。平地を滑るスキー、ノルディックを初めて見た鮮明な記憶があります。
45年の間に日本で消え去ったローカル鉄道は数多くあります。フランスのこの線路も同じ運命を辿ったのだと思います。 -
ヴァロルブの駅近くにホテルをとって、地図を見たら、近くにブルネ湖 ジュー湖という湖がある。何も調べていないし、二人だけのクリスマスパーティーまで時間もあるので、とにかく行ってみよう。
-
小さい方の湖、ブルネ湖だと思います。
-
湖の名前を知ったのはこのブログを書くため。
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湖は凍っていました。水切りで小石を投げたら、キュンキュンとかわいい音を立てて、とんでもない遠くまで滑っていきました。
-
何やら秘境の温泉宿のようです。
-
クリスマスの旅行にふさわしい。
ここまでは記憶にあります。とくにキュンキュンという音は、音そのものを覚えています。 -
まるっきり記憶にない風景が、しっかり記録されていました。
-
もっとも不思議なのがこの写真。ほかの旅の写真が混ざっていないか。
この写真のネガは、長い一本のロールです。最初と最後の映像をチェックすると、全部ヴァロルブ。
いくら物持ちのいいスイスでも、もうこのころは蒸気機関車は走っていないでしょう。
そういえば、この町には鉄道博物館があったという記憶はあります。そんなところ、行ったのかなあ。 -
ヴァロルブの町並。
クリスマスのご馳走は、By妻手作りで、持ってきました。
ワインは近くのお店で買ったと思います。
二人で、ホテルの一室で、クリスマスを楽しみました。
経済的理由で料理は作って行ったのですが、大正解でした。
というのも、駅からホテルまで店という店は6時過ぎには閉まり、ホテルだって下のサロンにもだーれもいなくなったのです。もしも町のレストランで食べようとか計画していたら、飢えてしまいましたね。
本場のクリスマスって、家族の行事なのです。こんなに家族の結束が強いとは、フランスに暮らし始めて日の浅い私たちはまだ知りませんでした。
後日の話ですが、イタリアの復活祭でも苦い思い出というか、空腹の思い出があります。8月15日のスペインでも、聖母マリアの昇天祭でレストランが閉まっていました。宗教的行事は、仕事はお休み、どんな家族でも集まります。
この日のクリスマスは偶然料理を持って行ったので、ささやかながら、晩餐をいたしました。
雪のクリスマスを堪能...堪能って、雪しかないし。堪能して大満足で帰路についたのですが、私、大失敗してしまいました。バックを汽車に置き忘れてしまったのです。身分証明書、これは外国暮らしの人間には命の保証書ですからね。お金もパスポートも入っていました。
あ~!であります。夫、友人、知人にののしられながら駅に出向きまして、ことの次第を話しますと、終着駅パリの拾得物係に届いておりました。さらにブザンソンに送ってもらうことになりました。
戻ったバックの中を改めると、すべて無事。お金も、もともと大金はもっていなかったし、紛失していませんでした。
友人知人は、絶対ウソ、出てくるはずがない。写真撮っている間隣にちょっと置いた物がなくなる国なのに!と叫んでおりました。
ですから、クリスマスの奇跡。貧しい若夫婦のクリスマスを神様が祝福して下さったのでしょう。
拾って届けてくださった方に感謝。神様の祝福あれ!
By妻
なにか締めくくりの名言を書かなければならないのですが、特に思いつくことなし。おもしろいことをやったとは思います。
私たちの青春とは、こういうおなかの足しにもならないことを、真面目に、しかし楽し〜くやっていたのであります♪
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この旅行記へのコメント (12)
-
- hot chocolateさん 2021/11/03 09:56:11
- 青春真っ只中
- しにあの旅人さま
こんにちは。
「むか-しムカシ、青春があったとさ-4 1975年スイスイミフの旅」に
お邪魔しています。
「インターラーケンまで行って、湖が見える小さなホテルに泊まって、
手紙を書いてみたい。」
「汽車に乗って、スイスに入って雪がある最初の町で降りて、
二人でクリスマスを過ごそう。」
もう、青春真っ只中ですね~。
それにかなりのロマンチスト♪
最初は単身で旅立ち、いつの間にかモロッコをお二人で旅する旅行記に・・
だんだんとその謎が解き明かされていきますね。
BY妻さまも、かなり積極的で、行動派。
46年前、海外に個人で行くケースもかなり少なかったのでは?
もう青春映画そのものですね。
復元された写真の数々は、貴重な宝物ですね。
私の写真はあまり整理されないまま、ネガは袋にまとめて入っているだけ・・・
もうネガから写真を現像なんて無理!
帰りの汽車に置き忘れてしまったバッグ、終着駅に届いていたとは、
まさに「クリスマスの奇跡」ですね。
hot choco
- しにあの旅人さん からの返信 2021/11/04 09:25:13
- Re: 青春真っ只中
- 1970年代初めというと、海外旅行に出かけて、旅行記を書くと、そのまま本に出版できる時代でした。
若い連中が、すごく元気でした。今は仕事でも旅行でも海外に出たがらない若者が多いそうですが。信じられな~い。
「若者たち」という歌がありました。あれが私たちの共通テーマソングみたいなもので、なんとなく口ずさみながら旅をしたのを覚えています。
青春真っ只中で、ロマンティストでありました。でもあの当時海外一人旅、2人旅でも、みんなロマンティストだったのです。私たちはその中の一人、2人か、でしかありませんでした。
みなさん、青春映画の主人公みたいなのばかりでした。
若い時って、どうしてああいうことを思いつくのですかね。
列車に忘れた荷物が戻ってくるのは、フランスでは奇跡でした。
その奇跡を、実は私は忘れていたのです。By妻がこのエピソードを書き加えた時、「え~~、そんなことあったっけ!」
-
- 2013tomoさん 2020/11/27 02:49:56
- 読み始めると止まらなくなりました!
- しにあの旅人さん
2013tomです。
夜中に目が覚めて(年のためかよく目が覚めてしまします)、
私たちのブログをチェックしていますと、しにあの旅人さん
から「いいね」を頂いていることに気が付きました。
しにあの旅人さんは今どのような旅をしているんだろうと
書かれたブログを訪ねてみると
「むか-しムカシ、青春があったとさ」シリーズに出逢い
ました。
1984年にイベリア半島をご家族と一緒にテントで周られた
ブログから読み始めたのですが、たちまち、しにあの旅人さん
の青春物語に引き込まれてしまい寝床(古い言葉ですね)に
戻るのを忘れて今の時間まで読みふけってしまいました。
あのころ若者たちが回遊魚の様に世界中を旅していた熱い
思いが感じられて私も始めて海外旅行を始めた青春時代を
懐かしく思い出してしまいました。
私の初めての海外旅行は1973年(第一次オイルショック前)
でしかもこれが”ヨーロッパ放浪一人旅”という代物でした。
若気の至りというのでしょうか、古希を迎える今となっては
無っ鉄砲なことをする若者だったと思います。
でもシニアの旅人さんがブログの中で言われる通り私も
「私たちの青春とは、こういうおなかの足しにもならないことを、真面目に、しかし楽し~くやっていたのであります♪」
という若者だったと記憶しています。
私の旅の記録は「旅の思い出を写真に残すのは邪道だ!
本当の思い出は決して消えない。」という若者特有の
間違った自己顕示欲のせいでまったくほとんど残っていません。
この反省のためか、今は旅行中はやたらと写真を撮っていて
目の前の現実を見ていないのではとまた反省してしまいます。
でもしにあの旅人さんの今回のブログを読んでいて
21歳で海外旅行を始めたころの気持ちを鮮明に思い出すことが
できました。
あの頃の旅の熱い余韻がいまでも旅を続ける私の原動力に
なっていることに気づかされました。
そして度々登場してくる奥様のストーリーがまた良いですね。
特に冬の鉄道旅で失くしものがパリで発見された体験を
「クリスマスの奇跡。
貧しい若夫婦のクリスマスを神様が祝福して下さった
のでしょう。」というところで
オー・ヘンリー短編集の中にある
「賢者の贈り物(The Gift of the Magi)」の若く美しい
夫婦の物語を見ているように思いました。
(私はDVDで見ただけです)
旅って本当に面白いですね。
これからもお互いに健康で旅を続けましょう。
それでは、また。
- しにあの旅人さん からの返信 2020/11/27 07:08:15
- Re: 読み始めると止まらなくなりました!
- 海外旅行デビューは、私たちとほぼ同じ頃なのですね。あの頃の旅は、農協さんスタイルの団体旅行か、若者の放浪か、極端に二極化していたみたいです。今は両方ともないみたいです。
パリで、エルメスでネクタイを「このあたり1坪くれ」と言った土地成金の農協さんの伝説がありました。真偽不明ですが、70年代末両手で抱えるほどのネクタイを買った人物を目撃したので、あり得なくもない。一流ホテルでの御乱行など、今の中国人観光客といい勝負でした。しかし、そうした団体さんは21世紀になってからは姿を消したようです。パリの、日本の団体さん相手のお土産物屋が何軒も潰れました。アメリカ人相手やドイツ人専門の店などないのと同様です。日本人はパリでは日常の風景の一部となりました。
皆さんパリなどは何度も来ていて、ずいぶんスマートになっていました。
若い連中も、最近は、観光でも、仕事でも、海外に出たがらないようです。
良くも悪くも、日本人のエネルギーが衰退しているような感じです。司馬遼太郎でしたか「現代日本は、室町時代以降の遺産を食い潰した」というようなことを言っていました。
今後どうなるか、まだしばらくは大丈夫でしょう。結果は私は見なくてすみそうです。
このシリーズは、映画のようだとおっしゃる方が何人もおられます。なるほど、しばらく経って客観的に読み返してみて、そんな雰囲気です。何にも映画的なドラマティックなことはないのですが、旅のいきさつ、その時の自分達の印象をそのまま書くとこうなるのです。畢竟青春そのものがドラマティックだということでしょうか。
今現在同じことをやれと言われたら、絶対に嫌です。若い人にも薦めません。トシを取るということは、劇的ではなくなるということですかね。
劇的な旅はできませんが、過去の劇的な歴史を訪ねる旅を続けたいと思っています。
-
- 前日光さん 2020/11/08 00:06:06
- フランス映画のようです!
- こんばんは、しにあの旅人さん。
私が北海道に行ってる間に、旅行記が続々とアップされておりまして。(@_@)
要するにby妻さんは高校の同級生、しにあの旅人さんを追ってフランスへ。
既にこの時点で映画ですよ。
だって40年以上前でしょ?
渡欧するにも、今みたいにお気楽には行けない時代、決意のうちに渡仏したのでしょうねぇ。
by妻さんに手紙を書くのに、スイスの宿でって!相当のロマンティストじゃないですか(^^;)
この辺りは青春映画ですよ。
♪会えない時間が愛育てるのさ~♪
なんていう昔の歌を連想しました。
クリスマスをスイスで過ごす!
スイスに入って初めての雪の降る町で、宿を取ろうなんて。。。
ああ、けっこう書いてて恥ずかしいものがありますが、それこそ若さというものでしょう。
最後にフランス(スイス?)の列車で、忘れたバッグが戻ってきたというクリスマスの奇跡には、ビックリしました!
よく戻って来ましたねぇ。
神は細部に宿っているのでしょうか?(ちょっと使い方が違うか?)
若さと雪とスイスの物語、ルノー・ベルレーとカトリーヌ・ドヌーブ(もちろん若い頃の)に演じてもらいたいです。
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/11/09 14:36:31
- Re: フランス映画のようです!
- コメントありがとうございます。
若い頃ってなんであんなに無謀なことができるのか今でも不可解です。渡仏だって、2人ともその後どうなるか分からないのに行っちゃったのです。もし今、若い方に同じことをしたいと相談されたら、「やめなさい」と言います。
前日光さんも、恥ずかしくなるでしょう。書いた私はもっと恥ずかしかった。でも記憶をそのまま書くとこうなるのです。
結論、青春そのものが恥ずかしいのです。
フランス映画おとくいのシチュエーションですね。たんたんと、「コーヒーに砂糖いくついれる?」とかいうセリフだけで出来ている、音楽と映像だけの映画ができそう。
最後にバッグをなくした件で2人の中が険悪になって、それが出てくることで仲直りする、それだけが出来事の映画なんてどうでしょう。
小津安二郎がフランス、スイスロケで撮ってもいいな。
あたらないでしょうね。
-
- olive kenjiさん 2020/11/03 07:03:38
- 大変よく理解出来ました
- お早うございます。シニアの旅人様 昨夜は早寝で失礼しました。
よーく分かりました。つまり、奥様とは高校からのトモダチで、売れ残ったのでフランス留学先へ押しかけ女房としてやって来たのですね。ご主人様の寛大な優しい救いの手に頭が下がる思いです。まさかBy妻さまは、これ読んでいないでしょうね。
クリスマスは、やはり雪降って暖炉のある所で過ごしたいですよね。誰がスコール降る熱帯の蒸し暑い中で過ごそうと希望しましょうか。スイス正解です。
それからは、ご両親や子供ともスイスに行かれること多く、私が時々山陰へスキー連れて行ってたのとえらい違いがあります。
また奥様のお召し物が毛皮のような素敵なコートでエレガンスです。私んとこは、ナイロンの防寒具で我慢しなさいと、これまた雲泥の差があります。
湖の名前は、このブログを書くために調べたのですね。ご苦労様です。誰も知らないんだから野尻湖みたいな湖で良かったのに。
蒸気機関車は、これ展示物です。私も同時期にユーレルパスで欧州を走り回っていましたけど、蒸気機関車は目にしたことはありません。
でも日本では小学校時代には、走っていましたよね。駅近辺の街並みが煤で汚れていて線路には便所紙が散りまかれていて、汚いったらありゃしなかったです。
サンタクロースが本当にいるのだと知った瞬間でした。
本当に心温まるお話です。拾って届けてくれた方にも幸多かれと願っております。
大変面白い旅行記でした。シニアさん、もう近況の旅行記書かなくてもいいから、古いの探してきてくれませんか。
かなり早いけど、メリークリスマス。奥様に謝っていて下さい。olive kenji
- しにあの旅人さん からの返信 2020/11/03 11:56:02
- Re: 大変よく理解出来ました
- コメントありがとうございます。
我が家は秘密がなく、携帯電話やタブレットの暗証番号も同じです。したがってそのうちBy妻も読むでしょうが、嫁に来てやったんだ、カッカッカと大笑するでしょう。
古い旅行記はあと二つでおしまい。もともと飛鳥古代旅行が間に合わなくて、苦し紛れにはじめたものです。苦し紛れの方が面白いと評判いいみたい。そのうち悪名高き文字ばっかり旅行記が始まります。
古いといえばこっちの方が古いですよ。1300年前ですから。この2、3日は本の中で天武持統夫婦に毎日会っています。お隣さんみたいな感じ。
期待しないでお待ちください。
-
- pedaruさん 2020/11/03 06:07:19
- スイスイミフの旅
- しにあの旅人さん おはようございます。
無学のpedaruにとって外国の土地の名前はほとんど知りません、それ故にスイスにイミフという土地があったのか、いったいどこに、どんな街なのだろう、とマジでおもいました。 まさか意味不明のことだとは・・・
写真は確かに深みのある、文章でいえば含蓄のあるものですね。
フランス暮らし、かっこいいですねー。私の場合は小岩暮らし、差が出るなーっ。
奥様のバッグが戻ってきた、これは奇跡にちがいない、地元警察ではいまでも語り草になっているとか?欧州には気まぐれな神様がいるのですね。
pedaru
- しにあの旅人さん からの返信 2020/11/03 06:30:28
- Re: スイスイミフの旅
- おはようございます。
pedaruさんも早起きのようですね。
写真は、昔ながらのアナログで、しかもネガに45年の自然の劣化がかかっておりますから、いかなるプロも再現できない熟成ということになります。何でもデジタル化すればいいというものではないようです。しかし結果が出るまで45年は長いですね。
By妻のバッグが戻ってきた件は、完全に忘れておりました。彼女が書き加えたのを読んで、ボワーっと記憶の底から浮かび上がってきました。
今回の一連の古い旅行のブログで、夫婦の物忘れのレベルが違うのがわかりました。でも二人の記憶を照らし合わせると、徐々に細部が鮮明になりました。認知症はまだ大丈夫のようです。
-
- kummingさん 2020/11/01 16:15:56
- 参りましたm(._.)m
- 劣化どころか、DVDに焼き直した写真同様に、イイ感じに熟成されたしにあの旅人様。
前作モロッコ編でのごり押しリクエストは、ムダではなかった^ ^
う~ん(-。-;
思わず唸ってしまいます。これって紛れもない“恋愛小説”じゃあ?
しかも舞台は、風光明媚でその名を馳せたスイス、というセッテイング…。
1通の手紙を書く為に、国境を越え、湖畔ホテルに一泊ですと~?(°_°)
列車でスイス入り、雪がある最初の街で降りて2人で祝うクリスマス…
どこを押したらこんな発想が?って、そんなヤボな!
単に、お二人が「白い恋人たち」、だったって事ですよね~!?
キュンキュンという可愛いい音は、小石が滑る音、ではなくて、お二人の愛のさざなみ?あ、言ってるそばから恥ずかしい~
なんだなんだ?おのろけ聞かされてる気分
ここまで、若かりししにあの旅人さんのイケ男ぶりや(◯kg軽量級の)、
モロッコ国境でby妻さんだけ留め置かれ、沸騰しそうな妻を心配そうに見守るの図(他でも似たような構図、あった様な?)、お二人のはじまり~現在に至るなれ初め的な物語を拝見してきて、なんだかとっても、うらめしや~、いえ、羨ましい♪
お子さまは、おフランス生まれで、着物姿のご両親も連れてのスイス旅、などあまたのエピソードを紛れこませながらも、要は
あの時代、海を隔てて成就された遠隔地恋愛のはしりだった、という結論でよろしいでしょうか(笑)
復元されたお写真の数々も、昨今の勝手に修正済みの美しく過ぎる写真より、ず~っと叙情的で素晴らしいです。
ご専門は歴史絵巻、かと思いきや、恋愛絵巻超大作もお得意ジャンル、という事で、好評につき、続編、への期待、高まります♪
さて、写真といえば…、私事で恐縮ですが、禁断の夫婦旅で慣れない為か、写真消失という災難に見舞われ、意気消沈の最中(;_;)
写真なしで大いなる記憶力にモノ言わせてブログ作成する方法、教えてくださ~い(-。-;
大変長ったらしくて、ごめんなさいm(__)m
- しにあの旅人さん からの返信 2020/11/01 19:08:54
- Re: 参りましたm(._.)m
- 過分のお褒めの言葉で恐縮です。
飛鳥旅の大来皇女と大津皇子の物語が間に合わなくて、苦し紛れの青春シリーズですが、評判良くて嬉しい。
古い写真もいいものです。ネガの劣化もあると思いますが、当時の安いカメラの性能が悪いのが逆によくて、ボワーっとおぼろげな雰囲気を醸し出せたのかもしれません。
写真のない旅行記など簡単ですよ。写真の解説を止めればいいだけです。モロッコがそうでしたが、思い出をそのまま文字にすればいいだけです。ただ4トラは太文字も字体の変化も使えないので、そのままだと段落の切り替えができなくて、単調になります。そこで地図を強引に挟み込んで、区切りをつけました。
禁断の夫婦旅、期待してまっています。
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