taktak99さんのクチコミ(20ページ)全4,599件
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
長崎・五島列島間の移動はいくつかあるらしいが、自分は高速船ジェットフォイルを利用。
高速船の名の通り、本当に船なのか、と疑ってしまう爆速で海を移動し、あっという間に到着。
帰りも高速船を利用したので、あっという間長崎に戻られた。
よって、長崎から日帰り旅行も可能。
ただ、席は全席指定なので、特に朝は早めにチケットを購入する必要がある。- 旅行時期
- 2022年04月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 乗り場へのアクセス:
- 4.0
- 車窓:
- 4.0
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
五島列島へ向かう際に利用。
使い勝手は、この手の船のターミナルとしては普通で、生まれて初めて船に乗る、という場合でない限り何とか利用可能。
自分が利用した前日は時化により殆どの便が運休となってしまい、乗る予定だった者がその対応にあたふたしていた。
自分が利用した日は全便が通常運航で、問題無かったが、五島列島で宿泊する、日帰り旅行する、という場合は注意が必要かも。
ホテルの予約を取った日に島まで行けない、日帰りのつもりで島に立ち寄ったのに帰れない、なんて事も有り得そう。- 旅行時期
- 2022年04月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 乗り場へのアクセス:
- 4.0
- 車窓:
- 4.0
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
観光丸は、長崎港に停泊していた帆船。
幕末にオランダから入手した江戸幕府初の木造外車式蒸気式のコルベットとの事。
勝海舟らが練習船として使っていた船だったという。
現在のは当時のものではなく、元の設計図と模型をベースにして復元したもの。
よく復元したな、と思う。
船本来の機能美を感じさせる。- 旅行時期
- 2022年04月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 乗り場へのアクセス:
- 4.0
- 車窓:
- 4.0
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
諫早陣屋は、長年諫早氏の居城であった高城城の代わりとして築かれた陣屋。
諫早氏は、江戸時代前から高城城(諫早城)を居城としていたが、17世紀末期になると、老朽化が著しい城の維持が財政上困難となった。
その為城を廃し、その東麓に陣屋を新たに築き、移り住んだ。
諫早氏は陣屋を居としたまま明治を迎える。
廃藩置県後、諫早氏が陣屋を学校用地として寄付。陣屋内の建物は学校に転用されたが、後に校舎を新築する際、ほぼ解体された。
現在、陣屋跡は長崎県立諫早高等学校・附属中学校の構内になっており、遺構として御書院と庭園が残るのみとなっている。
陣屋跡を訪ねたい、という観光客の声が多く挙がったからか、御書院と庭園直通の出入り口が学校の裏側に設けられた。- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
高城城は、西郷尚善によって築かれた丘城。
後に龍造寺氏の居城となるが、江戸時代初期の当主が病により江戸への参勤交代が重荷だった為、大名の地位を捨てて佐賀・鍋島家の国家老となる。この時に龍造寺氏から諫早氏へと改姓。
諫早氏は高城城を居城とし続けたが、17世紀末期には財政難に陥り城を維持出来なくなり、東麓に諫早陣屋を構えて居を移す。これに伴い、城は廃された。
財政難により城を維持出来なくなった、との事だが、標高50メートルにも満たない丘に築かれた土塁の城なので、維持するのに莫大な費用が掛かるとは思えない。
新たに築いた陣屋では広大で維持費が掛かるであろう庭園を設けているのを見ると、城の維持費が重荷になったというより、元は大名だったとはいえ国家老の身分で城を持ち続けるのは内外的によろしくないと判断し、財政難を口実に城から陣屋に移った、というのが実際のところではないか。- 旅行時期
- 2022年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
越前市にあるギャラリーカフェ。
カフェでもあり、雑貨販売店でもある。
店舗スペースは結構広いが、カフェスペースはその半分程度。それでも充分以上に広く、席数もそれなりにあるが。
営業開始時間は10時からで、モーニングを提供する。
Wi-Fiも完備。
モーニングセット(焼きたてワッフル)は、モーニングセットの1種。
厚切りバタートーストと焼きたてワッフルから選べたので、後者にした。
ドリンクも選べるようになっていたので、当たり前の様にブレンドコーヒーにした。
メインのプレートにバターをトッピングし、キャラメルソースを掛けたワッフルが盛られていた。
他にミニサラダが提供される。
メインのプレートにココアパウダーでバラが描かれていたのがお洒落だなと思った。
コーヒーに添えられていたスプーンも、雑貨店ならではのものだった。- 旅行時期
- 2022年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- 朝食
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.0
- 観光客向け度:
- 4.0
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
一乗谷城は、戦国大名朝倉氏の本拠となった城。
一乗城山山頂の城、山麓の館と城下町、対する山に築かれた見張り台等から成る。
いつから築き始められたのかは不明だが、朝倉氏は南北朝時代には既に一乗谷を本拠としていたという。
山に城はあるが、領主の朝倉氏が居を構えていたのは麓の館だったらしい。
よって、石垣で固められた江戸時代の城郭の様なものを期待すると肩透かしを食らうかも。
城下町の遺構は良く残っていて、当時の街の規模が分かる。- 旅行時期
- 2022年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
福井駅から一乗谷城へ移動するのに利用。
一乗谷城まで行く往復切符を福井駅のバスセンターで販売していたので、それを購入して向かう事に。
その往復切符のバスだと間の停留所には寄らず、ほぼノンストップで一乗谷城エリアまで向かえたので、移動距離の割には時間は掛からなかった。
バスセンターのベンチにも恐竜の人形があった。- 旅行時期
- 2022年02月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 乗り場へのアクセス:
- 4.0
- 車窓:
- 4.0
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2016年03月30日
総合評価:3.0
福井城は、福井駅から200メートルも離れていない。駅前から東西に延びる大通りを真っ直ぐ行き、次の交差点で右に曲がって北上すれば辿り着く。
現在残っているのは本丸とそれを囲む濠だけ。その本丸跡も県庁庁舎の敷地となってしまい、城跡として整備されているとは言い難い。
石垣はほぼ完全に残っているのに、城地から近代的で、面白味の欠片も無い庁舎がそびえ立っているのは残念である(一部では難攻不落の県庁として話題になっているが)。
側に、柴田勝家の居城だった北庄城跡(柴田神社)がある。
福井城本丸は県庁の敷地でもあるので、本丸に入るのは無料。- 旅行時期
- 2015年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
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投稿日 2024年04月06日
総合評価:4.0
浜田城は、平将門を討った藤原秀郷の末裔である田原忠秀によって築かれた城。
田原氏は、元々上野国赤堀庄を居としていたが、15世紀初頭に田原景信が伊勢に移り、四日市の赤堀に城を構えた。
景信は、長男盛宗を羽津に、次男秀宗を赤堀に、そして三男忠秀を浜田に配して、これを赤堀三家と称した。
忠秀は、浜田城の西方にあった東海道を海に近い東に移して交通の便を図り、市場の整備も行った。四日市という地名は、忠秀の時代に生まれたという。
忠秀の二代後の元綱の時、織田信長の家臣滝川一益に攻められ落城。1575年の事。
これにより、浜田城は廃城となった。
現在、城門が復元されているが、公園は城跡として整備されている訳ではない。- 旅行時期
- 2022年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0





























