Lily-junjunさんのクチコミ(11ページ)全318件
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明神池は明神岳の湧水が溜まってできた池で、常に伏流水が湧き出ていので、冬でも全面凍結しないそうです。
投稿日 2023年11月25日
総合評価:5.0
「明神橋」を渡れば、「明神池」へと道は続きます。「穂高神社奥宮」のチケット売り場を入った所に「龍頭」と「鷁首」が置かれています。参拝を済ませ、チケット売場で500円の拝観料を支払い、その脇を進むと「明神池」になります。「明神池」は、「一之池」と「二之池」の大小2つからなる池で、遊歩道脇には「三之池」もあったそうですが、現在は土砂の堆積によりなくなってしまったそうです。「明神池」は、「梓川」の古い流路の低地に「明神岳」からの湧水がたまってできた池で、常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しないそうです。
「明神池」は、「明神岳」の岩壁直下にあり、それさらに神秘的な静けさを漂わせています。「明神池」は、「穂神社」の神域で古くは「鏡池」とも称され、早朝は晴れの日も雨の日も靄が出やすいところで、幻想的な雰囲気を醸し出すそうです。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒390-1520 長野県松本市安曇
⑵ 拝観料…大人500円・小学生200円(ただし、例大祭式典中は無料)
02_【アクセス】
上高地バスターミナルから
①梓川左岸から明神まで徒歩約54分3900m ②梓川右岸から明神まで徒歩約58分4000m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 2.5
- 高地バスターミナルから左岸ルートで徒歩約54分3900m、右岸ルートで徒歩約58分4000m
- 景観:
- 5.0
- 「一之池」と「二之池」から眺望はまさに歴史をはぐくんだ大自然そのものです。
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 観光旅行者の最終地点なので途中は人があまりいませんでしたが、ここにくると結構混んでいました。
-
明神橋の手前から明神岳を望む眺望はまさに絶景ですが、橋の上は山からの強風に晒されます。
投稿日 2023年11月25日
総合評価:4.0
「明神橋」は、上高地のシンボル「河童橋」から梓川を上流に向かって遊歩道を歩き、左手にある「穂奥宮・参道」の標柱を「明神岳」の方向にまっすぐ進んでいくと「明神橋」があります。「明神橋」は、梓川に架けられている全長50mほどの橋です。「明神橋」の手前から明神岳を望む眺望はまさに絶景で、写真撮影の絶好のポイントです。下を見ると川原で腰を下ろして風景を眺めたりする人も見られました。さすがに寒い時期だったので、水遊びしている人はいませんでした。「河童橋」からは遠くに見える何の変哲もない山でしたが、「明神橋」まで来ての眺めは圧倒されるものがありました。また、「河童橋」からは遠いので、人の割合も少なく、ゆっくり気を休めるポイントでもありました。それと帽子を被っている人は要注意です。「明神橋」を渡っていると、山からの強風が吹きつけ飛ばされてしまいます。歩いていてもかなり風圧を感じ真っ直ぐ歩くのがやっとでした。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒390-1520 長野県松本市安曇
02_【アクセス】
上高地バスターミナルから
①梓川左岸から明神まで徒歩約50分3600m ②梓川右岸から明神まで徒歩約57分4100m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 2.5
- 上高地バスターミナルから梓川左岸ルートで徒歩約50分3600m、徒歩約57分4100mかかります。右岸ルートはアップダウンも右岸ルートで
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 思ったほど混んでいませんでしたがシーズンはかなりの人出があるそうです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 「明神橋」の手前から明神岳を望む眺望はまさに絶景で、写真撮影の絶好のポイントです。
-
登山家として日本各地の名峰を制覇した日本近代登山の父といわれています。
投稿日 2023年11月25日
総合評価:3.5
「河童橋」から歩くこと15分ほどで、「ウェストン碑」へ着きました。「ウェストン」は、イギリス人の宣教師かつ登山家で、正式には「ウォルター・ウェストン」です。「ウェストン」は、登山家として日本各地の名峰を制覇し、明治24年(1891年)上高地にも訪れて山案内人「上條嘉門次」とともに北アルプスに挑みました。そして、明治29年(1896年)に著書「日本アルプスの登山と探検」のなかで上高地の魅力を世界に知らしめました功労者です。日本山岳会は、上高地を愛した異邦人は日本近代登山の父として、その栄誉を称えるとともに「ウェストン」の喜寿を祝って、昭和12年(1937年)梓川沿いの広場に額面型のレリーフを設置しました。ところが第二次世界大戦が勃発し、敵国となった英国人のレリーフはわずか5年余りで取り外されてしまいました。日本山岳会に保管されていたレリーフは空襲により一部が焼損してしまいましたが、修復され昭和22年(1947年)6月14日に現地に戻されました。現在の円型レリーフは昭和40年(1965)に新たに制作されたものです。毎年6月第一日曜日は「ウェストン祭」が開催され、日曜日の式典では、ウェストンレリーフ前にて献花や詩の朗読、合唱、記念講演などが行われています。前日に行われる徳本峠越えの記念山行は、ウェストン生誕100年の第15回(1961年)から続けられています。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒390-1520 長野県松本市安曇上高地4469
02_【アクセス】
上高地バスターミナルから
①梓川左岸から明神まで徒歩約22分1700m ②梓川右岸から明神まで徒歩約20分1500m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 上高地バスターミナルから梓川左岸ルートで明神まで徒歩約22分1700m、右岸ルートで徒歩約20分1500m
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 2人連れの一組の女性のみしかいませんでした。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 登山家なので岩肌に設置されているので迫力があります。
-
上高地ビジターセンターの入口には、架け替えで取り外された2代前の「河童橋」の欄干が設置してありました。
投稿日 2023年11月25日
総合評価:3.0
「河童橋」から「梓川左岸」を進んで「清水橋」を渡ると右前方に「上高地ビジターセンター」がありました。「上高地ビジターセンター」に立ち寄れば、上高地の花や昆虫・鳥の資料、歴史などを学べます。残念ながら「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」のガイドの案内の立ち寄るコースになっていないために、外観を眺めるだけでした。しかし、「上高地ビジターセンター」の入口付近には、架け替えで取り外された2代前の「河童橋」の欄干が設置・保存してありました。説明板によると「河童橋」は現在のものが、6代目か7代目かで意見が分かれているそうです。ここにある欄干は、その2代前の橋のごく一部だそうです。橋の長さは、現在のものとほとんど同じですが、使われた材料は若干小ぶりだったようです。木材はカラマツが使われていたそうで、風雪に磨かれて年輪が浮き出ているそうです。まさに、上高地の自然の厳しさを具現化しているということですね。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒390-1516 長野県松本市安曇4468 電話…0263-95-2606
⑵ 開館期間…4月下旬~11月15日(期間中無休・冬期閉館)
⑶ 開館時間…8:00~17:00
⑷ 入館料…無料
02_【アクセス】
「上高地バスターミナル」から「上高地ビジターセンター」まで徒歩10分750m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 「上高地バスターミナル」から「上高地ビジターセンター」まで徒歩10分750m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時期が閉鎖まじかなのでさほど混んでいないようでした。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 「上高地ビジターセンター」に立ち寄れば、上高地の花や昆虫・鳥の資料、歴史などを学べます。
-
投稿日 2023年11月25日
総合評価:3.5
「河童橋」から「五千尺ホテル上高地」の脇を通るとすぐのところに上高地の「清水川」があります。何の変哲もない清らかな川に見えましたが、ネイチャーガイドがここで急に足を止め、川をよく見るように言われました。水は澄んでいてきれいだと思った次の瞬間、川の中に水草が、ゆらゆらゆらめいていていました。ネイチャーガイドの説明によると梅花藻といって、きれいな水にだけ育つ植物で、夏にはウメに似た白い花を咲かせるそうです。水の中に咲く花、まさに水中花ですね。残念ながら私は、今までに一度も見たことがありません。「清水川」は、雨が降った後でも濁ることがなく日照りにも枯れることがないため、上高地の貴重な飲料水源となっているそうです。また、ネイチャーガイドが「みなさんの宿泊している上高地帝国ホテルの飲料水はここから引き込んでいます。」という説明がありました。すぐ近くにある「小梨平」にはキャンプ場がありますが、キャンプをしている人達が夏にはこの川の水でスイカやビール、飲料水を冷やしている光景をよく見かけるそうです。
- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.5
- 上高地バスターミナルから徒歩10分くらいのところにあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 明神地区への途中なので、さほどこんでいませんでした。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 梅花藻が水中でゆらめくさまを見ると感激しますよ。
-
河童橋から眺める穂高連峰、岳沢や明神岳そして、陽光に煌めいている梓川の流れは必見です!"
投稿日 2023年11月25日
総合評価:4.0
河童橋の両岸には、宿泊設備や素敵なレストラン、美味しいアップルパイのお店などが沢山ありました。ただし、観光客で溢れかえっていました。近くには、バスやタクシーが入って来ることのできる最終地点の「上高地バスターミナル」もあり、そこにも結構レストランやお土産物のお店もありました。「河童橋」は、上高地のランドマークであり、橋の上からは雄大にそびえ立つ「穂高連峰」、「岳沢」や「明神岳」そして、「梓川」の流れが陽光に煌めいている景観を楽しめ、まさに、絶好の撮影スポットです。4月27日の開山祭から5月の連休にかけて、あるいは7月中旬からの夏休み期間、そして10月上旬あたりからの紅葉の時期など、最盛期ともなれば「河童橋」周辺は「上高地銀座」と呼ばれるほど多くの観光客で賑わうそうです。「ネイチャーガイド」の話によると、今日の30倍くらいの観光客が押し寄せてくるそうです。今日でも「河童橋」付近は観光客で混雑しているのに、その30倍とは想像がつきません。ちなみに、「河童橋」の建設年月日は不詳で、最初の橋はいつ頃架けられたのか定かではありません。当初は、現在の橋と違って、「梓川」の両岸から木材をせり出すように架けられた「跳ね橋」でしたが、明治43年(1910年)に「吊り橋」となったそうです。現在の橋は平成9年(1997年)に架け替えられた5代目の吊り橋です。そして、小梨平にある「上高地ビジターセンター」の入り口付近には、架け替えで取り外された2代前の「河童橋」の欄干が設置されています。また、「河童橋」の名前の由来は、「その昔、ここに河童が住んでいそうな深い淵があった。」とか、「橋のなかった時代、衣類を頭にのせて川を渡った人々の姿が、河童に似ていた。」など諸説があるそうです。「河童橋」がここまで有名になったのは、「芥川龍之介」が昭和2年(1927年)に発表した小説「河童」のなかで、「上高地」や「河童橋」が描写されていることで、その名が広く知られるようになったそうです。「河童橋」のところで一旦トイレ休憩です。一つ知っておいてほしいのですが、11月を過ぎると宿泊施設、食堂、トイレなどが閉鎖になるところが多いということです。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒390-1520 長野県松本市安曇上高地 県道24号線
02_【アクセス】
⑴ 上高地バスターミナルから河童橋まで徒歩6分450m
⑵ 電車を利用する場合…JR松本駅から新島々駅へ、新島々駅からバスで上高地行きに乗り所要時間約90分
⑶ バスを利用する場合…松本バスターミナルから上高地行きに乗り所要時間約90分- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 日本人や外国人の観光客で溢れかえっていました。この時期は、閉鎖した施設も多く昼食を食べる場所をさがすのが一苦労でした。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 橋の上からあるいは橋の袂から眺める穂高連峰とすみきった川の流れが感動的です。
-
中町通りの路地にあり分かりにくい場所にありますが、蔵造りのお店なので直ぐ分ります。
投稿日 2023年11月25日
総合評価:4.0
長野県松本市の風情溢れる蔵の街である中町商店街にある信州手打ちそば専門店「蔵の花」についての情報を発信していきます。「蔵の花」を訪れたのは2023年11月13日です。
昼食は、風情溢れる蔵の街である中町商店街にある信州手打ちそば専門店「蔵の花」で食べました。「蔵の花」は、中町通りと裏小路通りに挟まれた新小路通りにある信州手打ちそばの専門店です。「松本城」が混雑していいたので、閉店時間ぎりぎりにお店に到着しました。蔵造りのお店で、ドアを開けると店の入口にある石臼が目を引きます。この石臼を目にしただけで美味しいのは間違いないと思いました。また、「蔵の花」では、挽きたての八ヶ岳産そば粉を使い、打ちたてのそばを食べてもらうことをモットーとしているそうです。私は「ザル蕎麦」と「舞茸の天ぷら」を家内と娘は「天ざる」を注文しました。注文すること10分くらいで三人の蕎麦がテーブルに運ばれてきました。お蕎麦は昨日、一昨日と食べたものとは違い色が若干濃かった気がしました。蕎麦の食感は少々固めで、太めですが、味も喉越しもよく、美味しかったというのが感想です。また、出汁は少々甘口で、蕎麦湯を注ぐと良い香りが漂いました。そして、蕎麦茶も美味しかったと思います。
昼食を済ませ、ツアーのバスに戻り、上田駅に向かいました。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒390-0811 長野県松本市中央3丁目3-2 電話…0263-34-5250
⑵ 営業時間…11:00~15:00
※ 1日分の蕎麦が終了次第閉店になります。
⑴ 徒歩…JR篠ノ井線「松本駅」お城口から徒歩13分900m
⑵ バスを利用して
★ [松本駅お城口] ⇒[蔵シック館前]≪松本周遊バス・タウンスニーカー:東コース≫
・バス乗り場:JR篠ノ井線「松本駅」お城口(21番のりば)
・3停留所目(「松本市立博物館」の次の停留所) 所要時間約5分
・9時から15時の間に1時間平均3便
・「蔵シック館前」で下車し「蔵の花」まで徒歩1分65m
・「蔵シック館前バス停」で降車後、バスの進行方向と同じ方向に30mほど進むと左手に新小路通りがあります。そこを左折し35mほど進むと右手に、蔵造りのお店「蔵の花」があります。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 手作り蕎麦にこだわったお店なので、妥当な値段だと思う。
- サービス:
- 3.5
- 女将さん一人で大変そうでしたが、てきぱきとこなしていました。
- 雰囲気:
- 4.5
- 店構えは蔵そのもので、店の中に入ると右手に石臼があり、食をそそってくれます。
- 料理・味:
- 4.0
- 蕎麦の食感は少々固めで、太めですが、味も喉越しもよく、つゆも若干甘口で美味しかった。
- 観光客向け度:
- 4.0
- 私が行った当日は、観光客ばかりでした。信州のお蕎麦を味わうには最適なお店です。
-
投稿日 2023年11月25日
総合評価:4.0
旅行第一目は、上野駅を9時10分発の長野新幹線「あさま605号」に乗車し、上田駅へ向かいました。残念ながら上田駅に到着した時、小雨がパラついていました。上田駅からツアーのバスに乗り、昼食をとるために松本市内へ向かいました。昼食会場は、長野県松本市本庄にある「ホテルブエナビスタ」の五階の料亭「深志楼」の大広間「月見」です。お弁当なので料理は事前に用意するため冷めていましたが、お蕎麦は茹でたてを食べさせてくれました。食感としては、麺は柔らかめで、風味豊かな出汁もコクがあり、さすが信州蕎麦だと感じました。そして、大広間から眺めることのできるホテルの空中庭園は、きれいに手入れされ、料理の味を一層引き立ててくれました。「ホテルブエナビスタ」はJR中央線「松本駅」お城口から徒歩9分700mの所に位置しています。JR中央線「松本駅」から「ホテルブエナビスタ」へは、無料のシャトルバスがあります。正面エントランスを入ると左手にあるホテルショップ「パセオ」に大きなマントルピースがでんと構えていたのが印象的でした。ツアーコンダクターから上高地に行くと飲み物やお菓子類など高いので、ホテル周辺にあるセブンイレブンで買った方がよいとアドバイスがありました。ホテルショップ「パセオ」で驚いたことが一つありました。こ「パセオ」では、お土産ばかりでなくケーキ、パンなども販売していました。実は、このパンが美味しく、しかもリーズナブルな値段でした。なんと立派なパオンショコラが230円という値段でした。他のパンも同様にリーズナブルな値段で、私は大きなアンパン、家内と娘はパオンショコラを購入しました。ここのパンは美味しくお薦めですね。
昼食を済ませいよいよ上高地へ向かいます。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒390-0814 長野県松本市本庄1丁目2-1 電話…0263-37-0111
02_【アクセス】
JR中央線「松本駅」お城口から徒歩9分700m
※JR中央線「松本駅」から「ホテルブエナビスタ」へは、無料のシャトルバスがあります。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- JR中央線「松本駅」から「ホテルブエナビスタ」へは、無料のシャトルバスがあります。
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- ツアーで立ち寄ったので、詳しい値段は分かりませんが、ホテルショップのパンは良心的な値段でした。それに本格的なホテルブレッドでした。
- 接客対応:
- 3.5
- 仲居さんが地元の方だと思いますが、とても親切な対応でした。
- 食事・ドリンク:
- 4.0
- 昼食のお弁当は冷めていましたが、お蕎麦は茹でたてで美味しかった。
-
上高地の「梓川」に架かる橋で唯一の鉄筋コンクリート造りです。
投稿日 2023年11月26日
総合評価:3.0
「穂高橋・田代橋」は、「大正池」と「河童橋」のほぼ中間に位置しています。この自然の地形を利用した「穂高橋」と「田代橋」が架かっている地点は、「梓川」が、すぐ先でまた合流しますが、二又に分かれている場所です。橋の上に立つと「梓川」のせせらぎが心地く耳に入ってきます。そして「梓川」の清流に架かる橋の上からは、上流に「穂高連峰」、下流に「焼岳」が望め、インスタ映えのする場所でもあります。ちなみに、ネイチャーガイドの説明によると「穂高橋・田代橋」は、上高地の「梓川」に架かる橋で唯一の鉄筋コンクリート造りです。また、「穂高橋・田代橋」は、橋脚がそれぞれの橋の中間あたりにはありません。これは、台風や雪解けで「梓川」の流れが激しくなり、倒木などがひっかかり破損してしまうからだそうです。また、川が合流する地点は、水面がコバルトブルーになっていて深くなっているそうです。橋の欄干には、猿の糞があるので注意するようにとのアドバイスもありました。たしかに、緑色の糞らしきものがありました。上高地の猿は、笹を食べるので糞が緑色になるそうです。それと上高地の猿は、NHKの番組でも取り上げられたそうですが、川に入って魚を取り、食べるそうです。ネイチャーガイドの話を聞くといろいろ勉強になります。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒390-1520 長野県松本市安曇
02_【アクセス】
⑴ 上高地バスターミナルから梓川左岸の田代橋・穂高橋まで徒歩約17分1300m
⑵ 河童橋より梓川右岸の田代橋・穂高橋まで徒歩約20分1500m
⑶ 大正池より梓川左岸の田代橋・穂高橋まで徒歩約28分2100m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 上高地バスターミナルから梓川左岸の田代橋・穂高橋まで徒歩約17分1300m
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 梓川の右岸ルートを歩く人は通るかもしれませんが、橋の上で撮影する人は余り見かけられませんでした。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 穂高橋と田代橋がつながっていて、川の流れが急です。そして、川を見ると深いところはモスグリーンの色をしています。上流の穂高連峰は必見の価値あり
-
赤穂義士は休息のため入るのを拒絶されましたが、誰でも分け隔てなく埋葬してくれる無縁寺です。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:4.0
「両国回向院」は、墨田区両国2丁目にあります。「両国回向院」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進むと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡るとすぐ目の前に「両国回向院」の朱色の「山門」があります。その「山門」の両脇には、「回向院」を守るように二体の仁王像が安置されています。
「回向院」は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院で、「諸総山無縁寺回向院」と呼ばれています。そして、「回向院」の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」で、江戸時代から変わることなく引き継がれています。なぜ、それは何故かと言うと、「回向院」が開かれた明暦3年(1657年)に、江戸では、「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。そのようなことから無縁寺とも呼ばれている訳です。江戸は火事が多い街で、人口の増加による家屋の密集、冬場に吹く「からっ風」がその要因に挙げられます。その中でも明暦の大火は「振袖火事」でその名が知られています。そして、当時の将軍「徳川家綱」は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸にある現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが「回向院」の歴史の始まりです。
では、「回向院」の「山門」を潜ります。「回向院」の「正門」は、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです。「正門」の「扁額」と「寺号碑」に注目してください。扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。
次が、「力塚の碑」が参道を進むと右手にあります。「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。
更に進むと「塩地蔵」があります。「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。
次に、「鳥居清長顕彰碑」です平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。「鳥居清長」は、江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。
更に進むと「鼠小僧次郎吉の墓」です。「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。その他の見どころである、「水子塚」、「千体地蔵尊」、「馬頭観世音菩薩像」、「オットセイ供養塔」、「猫塚」など多数ありますので、下記に取りまとめてありますから、ご覧いただければ幸いです。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8-10 電話:03-3634-7776
⑵ 回向院の概要
①山号…諸宗山 ②院号…回向院 ③寺号…無縁寺 ④宗派…浄土宗
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩4分290m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩10分700m
03_【「両国回向院」の見どころ】
⑴ 「本尊阿弥陀如来」
「回向院」の御ご本尊は、宝永2年(1705年)に安置された銅の「阿弥陀如来座像」です。かつては、野外に置かれ、濡仏さまと呼ばれていました。「阿弥陀如来座像」は、「釜屋六右衛門」の作によるもので、現在は、東京都の有形文化財にも指定されています。「阿弥陀如来座像」は、身の丈六尺五寸五部、蓮座三尺四寸五分もある大きな銅作りの坐像で、数多くの無縁仏を見守ってきたその眼差しは慈愛に満ち溢れています。
⑵ 「水子塚」
「回向院」の「水子塚」は、寛政5年(1793年)に老中「松平定信」の命によって造立されたもので、「水子供養の発祥」とされています。ちなみに、「水子塚」とは、陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するためものです。「水子塚」の板石には、地蔵菩薩坐像と他では見られないような「水子塚」という大きな文字が刻まれていました。
⑶ 「塩地蔵」
劣化が激しく「塩地蔵」の建立年は不詳ですが、「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。「東都歳時記」所載の江戸東方48ヶ所地蔵尊参りには、その42番目として数えられています。現在、私の知る限りでは、「西新井大師」、「浄土宗常光山源覚寺(こんにゃく閻魔)」など都内10社寺で確認していますが、かつては48ヶ所にあったのですね。
⑷ 「千体地蔵尊」
「千体地蔵尊」は、ご本尊の背面にあり、ご先祖の供養や家運や社運の隆昌・繁栄を祈願する人々によって奉安されたものです。関東大震災により焼失してしまった尊像で「増上寺」の「黒本尊」と同木といわれ、「恵心僧都」の作と伝えられた「備中千体阿弥陀如来像」をその由縁としております。後光のようにご本尊を守護するさまは必見です。
⑸ 「力塚の碑と回向院相撲」
「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。ちなみに、日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集め(寺社建立の資金となる浄財を集めるなど)のための「勧進相撲」興行の形態をとっていました。貞享元年(1684年)、江戸での「勧進相撲」が許可されると相撲はさらに盛んになりました。その後、「勧進相撲」が「回向院」境内で初めて行われたのは明和5年(1768年)で、天保4年(1833年)以降は春秋2回の興行の定場所として江戸での「勧進相撲」を独占しました。そして、明治42年(1909年)の旧両国国技館が完成するまでの76年の間、「回向院相撲の時代」が続きました。「回向院」が定場所となり、回向院で行うことが定例となり、この「回向院」の定場所が今に続く、両国国技館の前身ということですね。そして、「力塚」の敷地内には、「角力記」、「東京相撲記者碑」という相撲の発展に寄与した相撲記者の慰霊碑も建てられています。
⑹ 「馬頭観世音菩薩像」
「馬頭観音堂」は第4代将軍「徳川家綱」の愛馬の供養として創祀されました。また、「回向院」は動物供養でも知られ、犬、猫、オットセイ、小鳥などの塚や碑もあります。供養のために建てられた「馬頭観音堂」は、回向院二世信誉貞存上人が建立し、自らが鑿をとって彫刻した「馬頭観世音菩薩像」を安置しました。「馬頭観世音菩薩像」は、享保年間頃から「江戸三十三観音」でした。「回向院」の「馬頭観世音菩薩」に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音様として、人々の厚い信仰を集めたそうです。現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所となっています。
⑺ 「一言観音像」
「一言観音」は、奈良の「唐招提寺」の像と同じ木で彫られたもので「恵心僧都源信」作と伝えられています。
元禄16年(1703年)10月に回向院四世「観誉上人」の夢枕にこの観音様が現れ、他所へ遷すように告げられたため、「観誉上人」はこの聖観音像を墓所へ遷したところ、ちょうどその年11月に大地震及び火災により、寺院は倒壊・類焼してしまいました。この移転により聖観音像が倒壊を免れたことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が叶うと慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。
⑻ 「鼠小僧次郎吉の墓」
「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。計90回の盗みの後、ようやく御用になり処刑されてしまいましたが、長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。
⑼ 「関東大震災供養塔」
東京が一朝にして焼土と化した大正12年(1923年)の関東大震災において、当時の住職であった第21世「浄厳師」は、役僧を引き連れ焼野原を歩き、亡骸を見つけては巡回回向し、また被服廠跡や隅田堤で日夜読経念仏したと伝えられます。大正14年(1925年)に東京市は遺族に対して遺骨の引き取り方を公告しました。各区にわたる死者は分骨して「回向院」にも納骨されました。
⑽ 「正門」
「回向院」は一般的な表記ですが、「正門」の扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。令和元年(2019年)に、「正門」に「仁王像」が安置されました。「回向院」の「正門」は、かつては、現在の「両国2-8-10」あたりの位置にありました。残念ながら「回向院」の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです
⑾ 「鳥居清長顕彰碑」
「鳥居清長」は、鳥居派四代目として八頭身の美人画を確立したことで知られる浮世絵師です。江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。「鳥居清長」の墓碑は以前から「回向院」にあったとされていましたが、「関東大震災」や「東京大空襲」により所在不明となっていましたが、近年の調査で過去帳に名が記されていることが発見され、平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。
⑿ 「オットセイ供養塔」
「オットセイ供養塔」は、大正15年(1938年)に建てられたオットセイのための供養塔です。漢字で書くと非常に難しく、「膃肭臍」と書いてオットセイと読みます。大正時代に「回向院」のなかにあった見世物小屋にいたオットセイを供養するために建てられたものです。これだけでも「回向院」の栄華が分かりますね。
⒀ 「猫塚」
「歌川国芳」は、大の猫好きで知られる江戸後期の浮世絵師です。常に数匹、多い時には十数匹の猫を飼い、猫の戒名の書かれた位牌で飾られた猫用の仏壇を自宅に設けていたそうです。「歌川国芳」が生きていた時代にはすでに「回向院」の猫塚は存在し、「歌川国芳」は何匹もの愛猫の供養をお願いしていたそうです。「猫塚」が回向院に築かれることになったきっかけは、次の様な逸話からです。猫を大変かわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。このようなことにより「回向院」の猫塚が築かれたそうです。- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡ですが、観光客はいませんでした。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。見るべきものは沢山ありました。
-
隅田川に架橋された2番目の橋であり、三大ゲルバー橋の一つだったそうです。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国にある「両国橋」についての情報を発信していきます。「両国橋」へのアクセスは、R総武本線「両国駅」の西口を出て左方向へ150mほど進み、「国道14号」(京葉道路)まで行きます。「国道14号」(京葉道路)の横断歩道を渡り、右折し170mほど直進すると「両国橋」があります。
東京都墨田区(東側)と東京都中央区(西側)の間を流れる「隅田川」(旧「大川」)に架る橋が「両国橋」で、「隅田川」では「千住大橋」に次いで、2番目に架橋された橋です。貞享3年(1686年)に「利根川」東遷で「武蔵国と下総国境」が変更されるまでは、現在の墨田区側が「下総国」という地名で、二つの国をつなぐ橋だったので「両国橋」という名前が生まれました。当時の江戸幕府は、防御的な意味合いで「隅田川」の橋は「千住大橋」を除いて架橋が許されませんでしたが、明暦3年(1657年)の明暦の大火で、橋がないことで多くの人が逃げ場を失い多数の死者が出たということから両国橋が架けられたそうです。当初は「大橋」が正式名で、「両国橋」は俗称でしたが、元禄6年(1693年)に、「隅田川」の3番目の橋として「新大橋」が架橋されたため、「両国橋」が正式名になったそうです。現在の橋は、昭和5年(1930年)に関東大震災からの帝都復興で東京市が架橋した橋です。長支間の鈑桁橋で架設当時は、言問橋や大阪市の天満橋とともに「三大ゲルバー橋」の一つと言われ威容を誇りました。構造形式は、3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋で「橋長」は164.5m、「幅員」は24.0mです。
「赤穂義士」は討ち入り後、この当時の隅田川には、「両国橋」、「新大橋」、「永代橋」の橋があり、「泉岳寺」へはいずれかの橋を渡らなければなりませんでした。前方から上杉家、後方から津軽家の追手を警戒して、「両国橋」を渡らず、「永代橋」へ向かって南下した。また、「両国橋」が近道でしたが、毎月1日と15日は、御禮日で江戸在府の大名、旗本は総登城するのが慣例であり遠回りの「永代橋」へ向かいました。
【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分350m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩11分800m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分350m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 通行の人と車は多いが、赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡ですが、観光客はいませんでした。
-
大高源吾は、吉良上野介義央の在宅の日の情報を突き止めた赤穂浪士です。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国橋のたもとにある「両国橋児童公園」の「大高源吾句碑」についての情報を発信していきます。「大高源吾句碑」へのアクセスは、R総武本線「両国駅」の西口を出て左方向へ150mほど進み、「国道14号」(京葉道路)まで行きます。「国道14号」(京葉道路)の横断歩道を渡り、右折し170mほど直進すると「両国橋」があり、その袂に「両国橋児童公園」があり、「大高源吾句碑」はその中にあります。
「大高源吾句碑」は、昭和3年(1928年)に建立されました。「吉良邸」への討入り当日に、赤穂義士の1人である「大高源五」の知人が近所で年忘れ句会を開いていました。その中の1人に、「松尾芭蕉」の弟子である「宝井其角」がいました。「宝井其角」が句を詠むと、目的を遂げた「大高源五」がその場で返句したといわれています。「大高源吾句碑」には、「大高源五」と「宝井其角」が詠んだ句が刻まれています。「宝井其角」が「我が物と 思えば軽し 笠の雪」と句を詠むと「大高源五」は、「日の恩や、忽ち砕く、厚氷」と返したそうです。「宝井其角」が詠んだ句意は「自分のためと思えば、苦労も負担に感じない。」で、「大高源五」が詠んだ句意は、「太陽のお蔭で、積年の厚く張った氷が、たちまち融けました。」で要は、赤穂の浪士一同は、お蔭さまで本懐をとげて、積年の恨みを、すっかり晴らすことができたということです。「大高源五」は俳人でお茶も嗜むことから、「吉良上野介義央」の在宅の日の情報を、「吉良上野介義央」のお茶の師匠でもある「山田宗偏」から入手しました。同志の「前原伊助」のように、「大高源五」も情報取集にあたっていたのですね。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国1丁目11 両国橋児童公園内
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分350m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩11分800m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分350m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の討ち入りの状況や様子を想像するしかありませんでした。
-
藤代町という町名は、毛利藤左衛門という人の名前に由来しています。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国の「両国児童遊園」に隣接する「藤代町跡」についての情報を発信していきます。「表忠碑」へのアクセスは、R総武本線「両国駅」の西口を出て左方向へ150mほど進み、「国道14号」(京葉道路)まで行きます。「国道14号」(京葉道路)の横断歩道を渡り、右折し170mほど直進すると「両国橋」があり、その袂に「両国橋児童公園」があります。その手前を左折し50mほど進むと右手の駐車場のフェンスに「藤代町跡」があります。
「藤代町跡」は説明板によると、かつてこの辺りにあった町名です。その由来は、享保年間に麹町に住んでいた「毛利藤左衛門」は、自分の支配地である西葛西領猿江村の入り堀25000坪を自費で開墾し、「毛利新田」と呼ばれていました。しかし、これが幕府の貯木場として、残らず召し上げられ、その代わりにこの土地を賜ったのです。藤左衛門が代りに賜ったことから藤代町と呼ばれているそうです。「回向院」や「向島」に通じる要衝だったため、商家が軒を並べるかなり賑やかな場所だったようです。残念ながら「藤代町跡」の説明板付近には面影を残すものは何一つありませんでした。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国1丁目11-5
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分400m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩11分850m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分400m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 2.5
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の状況や様子を想像するしかありませんでしたが、いろいろ歴史の勉強になり、知識を蓄積できます。
-
本所七不思議の一つである片葉の葦で有名な橋がかつてはありました。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国1丁目の「両国児童遊園」に隣接する「駒留橋跡」についての情報を発信していきます。「駒留橋跡」へのアクセスは、R総武本線「両国駅」の西口を出て左方向へ150mほど進み、「国道14号」(京葉道路)まで行きます。「国道14号」(京葉道路)の横断歩道を渡り、右折し170mほど直進すると「両国橋」があり、その袂に「両国橋児童公園」があります。その手前を左折し50mほど進むと右手の駐車場のフェンスに「駒留橋跡」があります。
「駒留橋跡」は説明板によると、「駒留橋」は、この辺りにあった旧両国橋北側の入り堀に架かっていた長さ2間半(約4,5m)、幅2間(約5,4m)の小さな石の橋で、「藤代町」と「東両国広小路」を結んでいました。その堀の幅はもっとも広いところが4間(約7,2m)で、奥に行くほどだんだんと狭くなっていました。「本所七不思議」の一つである「片葉の葦」が生えていたので、別名、「片葉堀」といわれ、盛り場の近くにありながら、夜になると寂しい場所だったそうです。ちなみに、「本所七不思議」の一つである「片葉の葦」には、悲しく、恐ろしい物語があります。本所横網町の長屋にならずものの留蔵という者が住んでいました。亀沢町に住む「お駒」という美しい娘に惚れ、しつこく付け回すが、相手にされませんでした。ある日、「留蔵」は、「駒止橋」でお駒を待ち伏せし、懐にした合口で、背後から、袈裟懸けに切りつけて殺してしまいました。恐ろしいことに、「お駒」の死骸の手足を切断し、堀に蹴りこみ沈めたという。それ以降、その堀に生える葦の葉は片方にしか生えなかったというものです。今でいう「バラバラ殺人事件」ですね。- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分400m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の状況や様子を想像するしかありませんでしたが、いろいろ歴史の勉強になり、知識を蓄積できます。
-
ここに生える葦は、入り組んだ地形の風の吹きこみ方が影響し、すべて片葉になったそうです。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国の「両国児童遊園」に隣接する「片葉の葦」についての情報を発信していきます。「片葉の葦」へのアクセスは、R総武本線「両国駅」の西口を出て左方向へ150mほど進み、「国道14号」(京葉道路)まで行きます。「国道14号」(京葉道路)の横断歩道を渡り、右折し170mほど直進すると「両国橋」があり、その袂に「両国橋児童公園」があります。その手前を左折し50mほど進むと右手の駐車場のフェンスに「片葉の葦」があります。
「片葉の葦」は説明板によると、「駒留橋」が架かる入り堀に生える葦は、同じ方向にしか葉を出さなかったことから、「片葉の葦」と呼ばれていました。入り組んだ地形の風の吹きこみ方が影響していたと考えられますが、当時はそれが、本所七不思議のひとつとされていました。しかし、この葦には悲しくも恐ろしい物語が語り継がれています。本所横網町に住んでいた留蔵という男が、三笠町のお駒という娘に惚れました。留蔵はお駒を自分のものにしようと、あの手この手で近づきますが、お駒は一向になびきません。腹を立てた留蔵は、お駒を殺害し、片手片足を切り落として堀に投げ込みました。それ以来、ここに生える葦は、すべて片葉になったというものです。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国1丁目11-5
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分400m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩11分850m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分400m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の状況や様子を想像するしかありませんでしたが、いろいろ歴史の勉強になり、知識を蓄積できます。
-
ここで「大山詣」の前に身を清めます。その賑わいは、まるで真夏の海水浴場のようだったとされています。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国1丁目にある「石尊垢離場跡」についての情報を発信していきます。「石尊垢離場跡」へのアクセスは、R総武本線「両国駅」の西口を出て左方向へ150mほど進み、「国道14号」(京葉道路)まで行きます。「国道14号」(京葉道路)の横断歩道を渡り、右折し170mほど直進すると「両国橋」があり、その袂に「両国橋児童公園」があります。その手前を左折し100mほど進むと右手に「石尊垢離場跡」の説明板があります。
「石尊」とは、神奈川県伊勢原市にある「大山」のことで、標高1,252mの山で、気軽に登れるので江戸中期に「大山詣」は大変人気がありました。「大山」の山頂の「阿夫利神社」は、商売繁盛と勝負事に御利益があるので江戸っ子が講を組み、白衣に振り鈴、木太刀を背負った姿でお参りに出かけました。「大山詣」に出かける前に、両国橋東詰の袂の「石尊垢離場」で水垢離を行い、「奉納大山石尊大権現」と書かれた納太刀を持って出かけたそうです。「石尊垢離場」では、参詣に出かける者が胸のあたりまで水につかり「さんげさんげ、六根罪障、おしめにはったい、金剛童子…」などと唱えながら、屈伸を行い、そのたびにワラで作ったサシというものを流したそうです。その賑わいは、真夏の海水浴場のようだったとされています。ちなみに、水垢離とは、神仏に祈願する時、冷水を浴びて汚れを除き心身を清浄にすることです。やはり、、神仏に祈願する時は、このような神聖な儀式が大切なのですね。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国1丁目8-3
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩7分450m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩12分850m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩7分450m
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の状況や様子を想像するしかありませんでしたが、いろいろ歴史の勉強になり、知識を蓄積できます。
-
旧両国橋の両岸には広小路と呼ばれる火除け地があり繁華街として栄えたそうです。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国にある「旧両国橋・広小路跡」についての情報を発信していきます。「旧両国橋・広小路跡」へのアクセスは、R総武本線「両国駅」の西口を出て左方向へ150mほど進み、「国道14号」(京葉道路)まで行きます。「国道14号」(京葉道路)の横断歩道を渡り、右折し170mほど直進すると「両国橋」があり、その袂に「両国橋児童公園」があります。その手前を左折し150mほど進むと右手のフェンス沿いに「旧両国橋・広小路跡」の説明板があります。
「両国橋」の両側には、「火除け地」としての「広小路」が設けられ、江戸随一の繁華街となりました。「旧両国橋」は現在の「両国橋」の下流約50mの所に架かっていました。完成は万治2年(1659年)12月です。明暦3年(1657年)の大火が大災害となったため、幕府が防災上の理由から架けました。「両国橋」は、「武蔵」と「下総の国」を結ぶ橋なので、「両国橋」と呼ばれました。「両国橋」の上は、四方が眺望できる絶景の場所で、近くは浅草の観音堂、何と遠くは常陸の筑波山まで見えたそうです。橋が架かったことで交通の要衝となるとともに、橋の袂には「火除け地」としての「広小路」が設けられました。西側(日本橋側)は「両国広小路」といわれ、芝居小屋や寄席、腰掛茶屋が立ち並び、東側は「向こう両国」(両国側)と呼ばれ、見世物小屋、食べ物屋の屋台が軒を連ねる繁華街となりました。そいて寛保2年(1742年)の調査では1日に2万人以上が「両国橋」を往来したとされています。また、東側の広小路には、赤穂浪士休息の場所があり、広小路と赤穂浪士の説明板があります。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国1丁目11
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩7分500m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩12分900m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩7分500m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の状況や様子を想像するしかありませんでしたが、いろいろ歴史の勉強になり、知識を蓄積できます。
-
赤穂浪士が吉良邸に討ち入り後に、最初に休息を取った場所です。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国にある「赤穂浪士休息の地」についての情報を発信していきます「赤穂浪士休息の地」へのアクセスは、R総武本線「両国駅」の西口を出て左方向へ150mほど進み、「国道14号」(京葉道路)まで行きます。「国道14号」(京葉道路)の横断歩道を渡り、右折し170mほど直進すると「両国橋」があり、その袂に「両国橋児童公園」があります。その手前を左折し150mほど進むと右手のフェンス沿いに「赤穂浪士休息の地」の説明板があります。
元禄15年(1702年)12月14日に「本所松坂町」(現墨田区両国3丁目) の「吉良邸」に討ち入って本懐を遂げた赤穂浪士の一行が、主君である「浅野内匠頭」の仇討ちを成し遂げました。これが世に言う「赤穂事件」で、芝居などで「忠臣蔵」と呼ばれるようになりました。「赤穂浪士」が討ち入り後、泉岳寺への引き揚げ前に休息をした場所がここにあった「広小路」です。この辺りには忠臣蔵関連の跡地等がいろいろあります。案内板がなければここが「赤穂浪士休息の地」と分かりませんが、忠臣蔵のファンにとっては、聖地の内の一つであり、たまらないのではと思いました。その後、一ツ目通りを引き上げる途中で「乳熊屋味噌店」に立ち寄りました。ここでは、甘酒の接待を受けて休息したのちに、永代橋を渡って高輪泉岳寺へ向かったといわれています。ちなみに、「ちくま味噌店」の初代「竹口作兵衛」が赤穂義士の「大高源吾」と同じ俳人「室井其角」の門人であったことから、討入り本懐を果たした義士たちに甘酒粥を振舞ってその労をねぎらったと伝えられています。勝利の美酒ならぬ勝利の甘酒ですね。当日は、雪も降っていましたし、甘酒粥で赤穂浪士たちの心も体もさぞかし暖まったことでしょうね。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国1丁目11
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩7分500m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩12分900m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩7分500m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の討ち入りの状況や様子を想像するしかありませんでした。
-
新鮮なネタをその場で握る鮨の原点は岡持ちに入れて売り歩いたのが始まりです。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
墨田区両国1丁目にある「与兵衛鮨発祥の地」についての情報を発信していきます。「与兵衛鮨発祥の地」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進むと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡り右折し、左手に見える「回向院」を通り過ぎ、最初の角を左折し40mほど進むと「両国幼稚園」の反対側にある「ベベ」というビルの前に「与兵衛鮨発祥の地」の説明板があります。
「与兵衛鮨発祥の地」には、握り鮨を発明したともいわれる「与兵衛鮨」という店の発祥と「にぎり鮨」の発祥にかんしての説明板が設置されていました。かつて「すし」と言えば 上方風の「押しずし」が主流でした。蔵前の札差「板倉屋」の手代だった「華屋与兵衛」は、道楽中に覚えた味から握りの「こはだ鮨」を考案し、それを岡持ちに入れて夜の繁華街を売り歩くと、新鮮なネタをその場で握る鮨の味が江戸っ子に受けて飛ぶように売れました。やがて屋台を出し、ついには「与兵衛鮨」という店を構えるようになりました。残念ながら「与兵衛鮨」は昭和5年(1930年)に廃業しました。ちなみに、江戸前でとれるネタが使われた江戸前の握りずしのシャリは現在のものより2倍ほど大きく、粕酢の影響で赤みがかかっていたそうです。そして、現在は人気のネタであるマグロは、江戸時代においては、価値の安い魚である下魚とされていました。江戸湾近海でよく獲れており、保存方法が発達しておらず傷みやすいことから値段の安い魚だったようです。マグロを鮨で食べるようになったのも江戸時代です。安く仕入れたマグロを醤油につけておき、鮨にしたところ大ヒットしたそうです。こうしてマグロの鮨が誕生したそうです。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国1丁目8-7
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分350m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩11分800m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分350m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の討ち入りの状況や様子を想像するしかありませんでした。
-
"両国橋の東詰めにあったこの一帯で最初に拓かれた最初の町屋です。
投稿日 2024年01月19日
総合評価:3.0
「元町跡」は墨田区両国1丁目にあります。「元町跡」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進むと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡り右折し、左手に見える「回向院」を通り過ぎ、最初の角を左折し100mほど進むと右手に「元町跡」の説明板があります。
「元町跡」は、現在の 両国一丁目あたりで、この一帯で最初に拓かれた町屋なので「元町」といいます。町內は四つに分かれ、総坪数は3263坪でした。寛文11年(1671年)の寛文図には「回向院門前」に「ちゃや」、竪川沿いに「ざいもく」とあり、門前町として賑わっていたことがうかがわれます。また、10万人を超える死者が眠る「回向院」には、墓参のため、身分や年齢を問わず、多くの人々が訪れ、「両国橋」から「回向院」に向かう通りは、「回向院利参道」としておおいに賑わっていたそうです。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国1丁目8
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分400m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩11分800m- 旅行時期
- 2023年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」西口から徒歩6分400m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。




















































































































