Lily-junjunさんのクチコミ(15ページ)全318件
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鹿児島の過去から現代までの歴史などを工夫を凝らした展示方法で楽しんで見ることができました。
投稿日 2023年09月18日
総合評価:4.0
「鹿児島県歴史資料センター黎明館」は、島津家の居城「鹿児島(鶴丸)城」の本丸跡に建てられた鹿児島県の歴史資料センターで、特に幕末及び維新期の資料が充実しています。「鹿児島県歴史資料センター黎明館」の建設は、明治100年(昭和43年)の記念事業として計画され昭和58(1983年)に開館しました。鹿児島の歴史民俗や文化遺産に関する展示・研究が行われており、貴重な文化遺産が15万5千点も収蔵されています。特に印象深かったのは、1Fの「鹿児島の歴史コーナー」の大型模型で、古代から現代までを4区分し、それぞれの時代の象徴的な施設や街並みなどを展示しています。ジオラマや映像、クイズなどがあり、家族連れでも歴史的な時代背景を楽しく学ぶことができ、他の博物館では見られない「鎧」など試着できるコーナーもあります。また、敷地内には、「鶴丸城跡(鹿児島城)」、「御楼門」、「鹿児島城本丸御殿麒麟の間跡」、「天璋院篤姫像」などがあり、すぐ隣には「薩摩義士碑」などもあり見どころ満載です。しかし、何処へ行っても面白い趣向が凝らしてあり見ていても飽きません。残念ながら恥ずかしくて鎧を着て戦国武将にはなれませんでした。
01_【「鹿児島県歴史・美術センター黎明館」の一口メモ】
⑴ 住所…〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7番2号 電話:099-222-5100
⑵ アクセス
① 鹿児島空港より鹿児島市内行き空港バス「金生町」下車徒歩10分
② JR九州「鹿児島駅」から徒歩15分
③ 市電・バス「市役所前」下車徒歩5分
④ カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車すぐ
⑶ 開館時間…9:00から18:00(入館は17:30まで)
⑷ 休館日…月曜日、(国民の祝日の時は翌日)、毎月25日(土曜日・日曜日のときは開館)
12月31日,1月1日,1月2日
⑸ 入館料…① 一般400円 ② 高校生・大学生250円 ③ 小学生・中学生150円
02_【「鹿児島県歴史・美術センター黎明館」の見どころ】
⑴ 「鹿児島(鶴丸)城跡」
「鹿児島城跡」は,初代薩摩藩主「島津家久」が,関ヶ原の合戦直後の慶長6年(1601年)頃に築城を始めた島津家代々の居城です。城の正式名称は「鹿児島城」で,「鶴丸城」の呼称は,背後の「城山」にちなんで呼ばれるようになりました。
⑵ 「御楼門と石橋」
「御楼門」は、城のシンボルとも言えるモニュメントで、「鹿児島(鶴丸)城」の正門です。「御楼門」は、「二重二階造」、「木造本瓦葺き」で、屋根に鯱を上げ、この鯱での高さが約 20mもある国内最大級の城門です。周囲には、当時の礎石(大きいもので約1.2m×約1m)が今も残されており、その表面には柱に巻き付けられた金物の錆色がその歴史を物語っています。また、主柱の「太さ」は約90cm×約70 cmでした。その前に架かる橋は当初は板橋でしたが、文化7年(1810年)に薩摩藩から幕府へ願い出て、「石橋」に架け替えられました。欄干の「擬宝珠」は唐からかね金(青銅、錫と銅の合金) で製造されました。
⑶ 「樋の間二つ家」
「樋の間二つ家」は、姶良郡横川町下ノ赤水(現霧島市横川町)の「海老ヶ迫家住宅」を移築したものです。建築の時期は天保年間(1830年~1840年)です。二つの棟が「樋の間」で連結されています。この種の民家は川内川流域から旧姶良郡一帯に見られるそうです。
⑷ 「田の神石像」
「田の神石像」は、川薩地方にみられる「神像型田の神」の典型的なものです。
⑸ 「石敢當」
T字型の路の突き当たりには,魔除けの石である「石敢當」を建てたそうです。このような習俗は中国から南島を経て伝播したといわれ,南九州や南島に多く見られる。この石敢當は出水市にあったものです。
⑹ 「天璋院像」
「天璋院像」は、幕末動乱の世に江戸城の大奥を取り仕切った徳川第13代の御台所の像です。NHKの大河ドラマでも有名なあの「篤姫」のことです。- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 鹿児島中央駅東口から薩摩義士碑前バス停までの所要時間は、29分です。バス停から徒歩1分60mのところにあります.。
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 入館料は一般が400円、高校生・大学生が250円、小学生・中学生が150円
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 平日は狙い目です。
- 展示内容:
- 4.0
- 貴重な文化遺産が15万5千点も収蔵され、古代から現代までを4区分で展示されています。「鎧」など試着できるコーナーもあります。
-
投稿日 2023年09月30日
総合評価:3.0
「西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)」へのアクセスは、「鹿児島中央駅東口」の「東4のりば」から「カゴシマシティビュー」バスに乗り、「薩摩義士碑前」で下車します。「鹿児島中央駅東口」から「薩摩義士碑前」バス停までの所要時間は、16分です。「西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)」は、バス停から徒歩5分350mのところにあります。
「西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)」は、少し分かりにくい場所にあります。バスの運転手さんが丁寧に説明してくれたので分かりましたが、石碑や案内板がなければただの小さな広場にしか思えません。「西郷隆盛」が最後の5日間を過ごした「西郷洞窟」から東へ坂を下ったところにあります。そして、薩軍の英霊を祀った「南洲神社」や「南洲墓地」はそこから東北東へ 400~500mのところにあります。
「西郷隆盛」の最期について振り返ってみると、明治10年(1877年)9月24日、西南戦争の最終末にあたり、城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始しました。「西郷隆盛」率いる薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示しました。「西郷隆盛」は腰と太ももに銃弾を受け、「別府晋介」の介錯によって最後を遂げたと言われています。「西郷隆盛」に従った幹部である「桐野利秋」、「村田新八」、「桂久武」、「池上貞固」、「別府景長」、「辺見十郎太」が自刃ないしは戦死したところとして記念碑が建てられています。「西郷隆盛」は「別府晋介」に対し、「晋どん、もうここらでよかろう」と言い、居住まいを正してはるか皇居の方角である東を向き一礼し、そして「別府晋介」の介錯によって切腹しました。皮肉にも明治維新を実現させた「西郷隆盛」がその新時代の政府軍によって命を絶たれたのでした。「西郷隆盛」は享年51(満49歳)でした。
01_【「西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地)」の一口メモ】
⑴ 住所…〒892-0854 鹿児島県鹿児島市城山町19-37-2
⑵ アクセス
カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車徒歩約5分- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 鹿児島中央駅東口から薩摩義士碑前バス停までの所要時間は16分。バス停から徒歩5分350mのところにあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- あまり目立ない場所にあるせいか1~2組いただけです。
- 見ごたえ:
- 3.0
- だいぶ古いので歴史的価値はあると思います。
-
島津家の繁栄と先端の技術を取り入れた歴史をここで知ることができます。
投稿日 2023年09月23日
総合評価:3.5
「尚古集成館」へのアクセスは、「鹿児島中央駅東口」の「東4のりば」から「カゴシマシティビュー」バスに乗り、「仙巌園(磯庭園)前」で下車します。「鹿児島中央駅東口」から「仙巌園(磯庭園)前」までの所要時間は、約50分です。「尚古集成館」は、「仙巌園」の反対側に隣接していますが、やはり、「仙巌園」を見学した後に、行くのがお薦めです。
仙巌園の隣には、島津家の歴史や南九州の文化を紹介する尚古集成館の本館と別館があります。仙巌園のチケットで入場できますが、尚古集成館本館は、耐震・リニューアル工事のため、2022年5月9日(月)から2024年10月末まで休館ということでした。また、本館と別館の内部は写真撮影禁止です。「尚古集成館」は慶応元年(1865年)に造られた日本最古の石造洋式機械工場である「旧集成館機械工場」です。こちらも「反射炉跡」と同じく、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産に登録されています。残念ながら本館に入館できませんでしたが、中に入ると薩摩切子の光で照らされた反射炉模型や海によってはぐくまれた島津家の歴史・文化をものがたり、近代化へのストーリー、そして大砲、琉球船模型、薩摩切子など、島津家の歴史を伝える多彩な展示物があるそうです。入館することのできた別館には、島津家伝来の人形、戦国大名時代の島津家、幕末の三君(斉彬・久光・忠義)、薩摩とイギリス関係の各資料が展示してありました。琉球との貿易で富を築いた薩摩藩の栄光の歴史といち早くイギリスなどから先端技術を取り入れた先見の明をうかがい知ることができます。- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 「鹿児島中央駅東口」から「仙巌園(磯庭園)前」までの所要時間は、約50分。仙巌園の反対側に隣接しています。歩いても至近距離です。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 入館料は仙巌園の入場料に含まれていますのでリーズナブルです。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 遅い時間に行ったのですが、人気のスポットであり、平日にもかかわらず観光客がいました。
- 展示内容:
- 3.0
- 薩摩藩と島津家の歴史を知る上では役に立ちました。
-
江戸城無血開城に多大な影響力を与え、薩摩の心を持ち続けた偉大な女性です。
投稿日 2023年09月23日
総合評価:3.5
NHKの大河ドラマでも知られている天璋院は、13代将軍徳川家定の御台所(正室)となり、幕末動乱の世にあって江戸城の大奥を取り仕切った篤姫の像です。天璋院(篤姫)は、今和泉島津家の島津忠剛の一子として、鹿児島城下に生まれました。1850年(嘉永3年)ごろ、川家定の夫人に関する打診が川家から島津家にあり、嘉永6 年(1853年)に11代藩主島津斉彬の養女となりました。3か月ほどをここで過ごしたのちに江戸の芝にあった薩摩藩邸に到着しました。政情不安や天災などの影響もあり、1856年(安政3年)ようやく将軍家定の御台所となりました。その後、世の流れは大きく討幕へと傾きました。討幕軍の先頭にたっているのは実家の薩摩藩でした。篤姫は、苦しい立場の中、最後まで江戸城に留まり、川家の存続を願う嘆願書を討幕軍の隊長宛に出すなど、江戸城無血開城に大きな役割を果たした。結果として江戸城無血開城に大きな役割を果たしました。天璋院像は、鹿児島市では、乃木静子、丹下梅子に続く三体目の女性単身の像です。もし、天璋院(篤姫)がいなかったら江戸の町は戦火に包まれ、現在の東京の発展があったでしょうか。素晴らしい尊敬に値する女性ですね。
01_【「天璋院像」の一口メモ】
⑴ 住所…〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7-2(鶴丸城跡)鹿児島県歴史・美術センター黎明館前庭
⑵ アクセス
① カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車徒歩約1分
② 市電「市役所前」から徒歩約10分- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 鹿児島中央駅東口から薩摩義士碑前バス停までの所要時間は29分。天璋院像はバス停から徒歩1分50mの鹿児島県歴史美術センター黎明館の一角です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 威風堂々とした天璋院像は柔和な表情と迫力があります。
-
日本の歴史上最後の国内における内戦の傷跡です。石垣には無数の鉄砲で射抜かれた穴が空いています。
投稿日 2023年09月23日
総合評価:3.5
鹿児島市内鶴丸城本丸の北側の御楼門付近には、西南戦争の痕跡があり、戦争の激しさを物語っています。この西南戦争の痕跡へのアクセスは、鹿児島中央駅東口の東4のりばからカゴシマシティビューバスに乗り、薩摩義士碑前で下車します。鹿児島中央駅東口から薩摩義士碑前バス停までの所要時間は、29分です。西南戦争の痕跡は、薩摩義士碑前バス停から徒歩3分260mのところにあります。
鶴丸城本丸の北側の御楼門部周辺の石垣には無数のボコボコとしたくぼみが見られますが、これらの多くは明治10年(1877年)の「西南戦争」のときの銃弾や砲弾などの痕跡です。これらは日本最後の内戦である「西南戦争」の歴史を伝える貴重な痕跡です。現在では「西南戦争の銃弾跡」として県の史跡に指定されている。また、ここから歩いて2分150mくらいの「国立病院機構鹿児島医療センター」と「私学校跡石塀」前の石垣にも「西南戦争の銃弾跡」があり、政府軍のすさまじい攻撃を受けた激しい戦いの様子が偲ばれます。近いところにあるので、訪れてみるべきですね。また、カゴシマシティビューバスの車窓から見ることもできます。
【「西南戦争の痕跡」の一口メモ】
⑴ 住所…〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7番2号
⑵ アクセス
① 鹿児島空港より鹿児島市内行き空港バス「金生町」下車徒歩10分
② JR九州「鹿児島駅」から徒歩15分
③ 市電・バス「市役所前」下車徒歩5分
④ カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車徒歩3分260m- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 鹿児島中央駅東口から薩摩義士碑前バス停までの所要時間は、29分です。西南戦争の痕跡は、薩摩義士碑前バス停から徒歩3分260mの距離です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 平日だったのであまり混んではいませんでしたが、鹿児島県歴史・美術センター黎明館の御楼門のところにあるのでそれなりに観光客はいました。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 戦いの激しがうかがわれます。硬い石垣に食い込んだ銃弾の跡がそれを物語っています。
-
西郷隆盛銅像と対峙して鹿児島県文化センターの前に建立されています。知る人ぞ知る幕末のキーマンです。
投稿日 2023年09月23日
総合評価:3.0
小松帯刀は、島津久光の藩政改革を助け藩政の中心として活躍した人物です。また、倒幕と明治維新の実現に活躍した薩長同盟時の家老であり、幕末に将軍徳川慶喜に大政奉還を勧告し、王政復古を実現させた人物でもあります。小松帯刀が明治維新の桧舞台に登場するのは文久3年(1863年)の薩英戦争や蛤御門の変など、世情が勤王穣夷から公武合体の巻き返し、その分裂、討幕論の台頭と激動したころです。土佐の浪士坂本龍馬などの面倒をみたり、長州藩の依頼を受けて小銃及び汽船を、薩摩藩の名前でイギリス商人グラバーから購入することを斡旋したりしました。長州再征の幕府の出兵命令を拒否するという藩論をまとめ、慶応2年(1866年)に、京都の小松邸で坂本龍馬の立ち合いのもとに、薩摩藩小松帯刀、西郷隆盛と長州藩木戸孝允(桂小五郎)の間に薩長同盟を成立させました。これを機に討幕、王政復古と明治維新が幕を開けていきました。明治維新と言うと西郷隆盛や勝海舟などが有名ですが、小松帯刀はその道筋をつけた優秀で、重要人物なのですね。それで西郷隆盛銅像と向かい合って設置されているのですかね。
【「西郷隆盛銅像」の一口メモ】
⑴ 住所…〒892-0816 鹿児島県鹿児島市山下町5-3
⑵ アクセス
① カゴシマシティビュー「西郷銅像前」下車 ② 市電「朝日通」から徒歩約8分- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 鹿児島中央駅東口から西郷隆盛銅像前バス停までの所要時間は、14分です。小松帯刀像は、バス停から徒歩1分90mのところにあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 西郷隆盛像のすぐ近くにあるので、西郷隆盛像のあとに見るという感じです。平日なのでさほど混んでいませんでした。
-
急な石段を上ったさきには、将棋の駒かと見間違ってしまうような石碑が整然と配置されていました。
投稿日 2023年09月23日
総合評価:3.0
薩摩義志碑へのアクセスは、鹿児島中央駅東口の東4のりばからカゴシマシティビューバスに乗り、薩摩義士碑前で下車します。鹿児島中央駅東口から薩摩義士碑前バス停までの所要時間は、16分です。薩摩義志碑は、バス停から徒歩1分30mのところにあります。
薩摩義志碑は、非常にインパクトのある形状で、まるで将棋の駒が積み重ねられたように見えます。しかし、そこには江戸幕府の策略と薩摩藩の悲しい物語が隠されています。薩摩義志碑は、宝暦3年(1753年)に、徳川幕府は琉球貿易で経済力をつけていた薩摩藩を警戒し、その財力を減殺することを目的に、木曽川・揖斐川・長良川の治水工事を命じました。木曽川・揖斐川・長良川(岐阜県)の改修工事は非常に困難であり、約1,000人を動員し、工費は40万両を費やし、1年3ヶ月かけて完成しました。もともと難工事のうえ、薩摩藩の負担を大きくするために幕府は専門職の雇用を許さず、伝染病による病死や幕府への抗議の切腹などで88名以上が命を落としました。「薩摩義志碑」は、尾張藩内での宝暦治水で命をかけ犠牲となった薩摩藩士を弔う史跡で、大正9年(1920年)に建てられました。薩摩藩家老「平田靭負」を頂点とした供養塔が山の形に並べられています。
01_【「薩摩義志碑」の一口メモ】
⑴ 住所…〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町
⑵ アクセス
① カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車
② 市電「市役所前」から徒歩約10分- 旅行時期
- 2023年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- カゴシマシティビューバスに乗り、鹿児島中央駅東口から薩摩義士碑前バス停までの所要時間は、16分です。バス停から徒歩1分30mの距離です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 数名のグループが2,3組見学をしていました。空いていたのでゆっくりと見学できました。
-
投稿日 2023年12月28日
総合評価:4.0
「寛永寺輪王殿」で、並ぶようにして「輪王寺両大師堂」があります。実は、これが「輪王寺両大師堂」かと思い、間違えて、「寛永寺輪王殿」に入ってしまいました。「寛永寺輪王殿」の山門もすごく立派で奥に大きな建物があったので、これが「輪王寺両大師堂」かと思い入ってみると「寛永寺輪王殿」でした。「寛永寺輪王殿」と「輪王寺両大師堂」の間に小さな門がありそこからどちらへも通行可能でした。実は、この門はだだの門でなく、「幸田露伴旧宅の門」で、谷中にあったものをここに移築したものです。さて、もう一度外へ出て「輪王寺両大師堂」の山門から入りました。「山門」の柱の右側には「両大師」、左側には「東叡山寛永寺 開山堂」の文字が刻まれていました。何故かと言うと、「輪王寺両大師堂」は、東叡山の開山である「慈眼大師天海大僧正」と「慈惠大師良源大僧正」の二人をお祀りしているからです。そのことから、一般に「両大師」と呼ばれています。入るとすぐ右手に「阿弥陀堂」があり、その中には三体の像が安置されていました。左から「地蔵菩薩立像」、真ん中が「阿弥陀如来坐像」そして左が「虚空蔵菩薩坐像」です。その隣には「鐘楼」、「手水舎」そして「本殿」があります。また、「本堂」に向かって左手には二千年以上の歴史ある古代「大賀蓮」の植え込みもありました。「輪王寺両大師堂」は、「上野公園」からほんの少し離れているので、静かで落ち着ける場所になっています。「輪王寺両大師堂」の見どころはまだまだ沢山あります。「輪王寺両大師堂」の見どころでまとめてありますのでご覧ください。
01_【「輪王寺両大師堂」の一口メモ】
所在地:〒110-0007 東京都台東区上野公園14-5 電話:03-3821-4050
02_【「輪王寺両大師堂」へのアクセス】
①JR「上野駅」公園口から徒歩3分280m
②JR「鶯谷駅」南口から徒歩7分550m
③京成電鉄「京成上野駅」正面口から徒歩10分750m
03_【「輪王寺両大師堂」の見どころ】
⑴ 「山門」
「山門」のがいつ建てられたのかの建立年は不明です。「山門」の建築様式は瓦葺の薬医門です。また、屋根の瓦には、「天海僧正」が使用していた「二引き両の紋」が施されています。そして、「山門」の右側には「両大師」、左側には「東叡山寛永寺 開山堂」の文字が刻まれていました。
⑵ 「銅燈籠」
参道を歩いていると立派な「銅燈籠」がありました。この「銅燈籠」は、江戸時代初期に建立されたもので、もともと「大猷院殿廟」にあったものです。「銅燈籠」には、「三つ葉葵」(徳川家紋)とニ引き両の紋(天海の紋)が刻まれていました。
⑶ 「手水舎」
「手水舎」は、江戸時代に建立され、建築様式は銅板葺の切妻造です。龍が勢いよく水を吐き出していました。「水盤」は青銅製で四隅を獅子が支えていました。
⑷ 「鐘楼」
「鐘楼」は、建立年は不明で、建築様式は瓦葺の八脚の切妻造になっています。もともとこの「鐘楼」には慶安4年(1651年)鋳造の「梵鐘」が吊るされていたそうですが、現在は「阿弥陀堂」内に置かれています。
⑸ 「本堂」
「本堂」は、戊辰戦争、関東大震災、東京大空襲等の苦難を乗り切ったにも関わらず、昭和64年(1989年)の火災で焼失してしまいました。現在の「本堂」は、平成5年(1993年)に再建されたものです。建築様式は、瓦葺の 入母屋造で、本尊の「阿弥陀如来像」、「慈眼大師坐像」と「元三大師画像」が安置されています。
⑹ 「阿弥陀堂」
「阿弥陀堂」は、入口の門の近く右側に建っています。建立年は不明で、建築様式は、瓦葺、漆喰壁の宝形造です。「阿弥陀堂」の中には三体の像が安置されていました。左から「地蔵菩薩立像」、真ん中が「阿弥陀如来坐像」そして左が「虚空蔵菩薩坐像」です。
⑺ 「幸田露伴旧宅の門」
「輪王寺両大師堂」の境内にあり「輪王寺両大師堂」と「輪王殿」を結ぶ門が「幸田露伴旧宅の門」です。谷中にあったものをここに移築しました。瓦葺の簡素な腕木門です。
その他に、山門を入ってすぐ左手の方に「法華塔」、「地蔵堂」もあります。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- JR「鶯谷駅」南口から徒歩7分550m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- そんなに多くの参拝者はいませんでした。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 見ごたえは十分です。特に「阿弥陀堂」が私には印象的でした。
-
寛永寺は36の子院からなり、その総本堂が「根本中堂」でした。
投稿日 2023年12月28日
総合評価:4.5
「寛永寺」は天台宗の「別格大本山」のお寺で、正式名称は「東叡山寛永寺」です。ちなみに、「東叡山」は「東の比叡山」の意味で、平安時代に桓武天皇の帰依を受けた天台宗の宗祖「伝教大師最澄上人」が開いた「比叡山延暦寺」が、京都御所の鬼門に建立されたことにならったものです。また、「寛永寺」は創建時の元号を使っています。かつては元号を冠するには朝廷の許可が必要でした。延暦7年(788年)創建の「延暦寺」を皮切りに、京都の「仁和寺」や鎌倉の「建仁寺」と「建長寺」など、勅許を得た「元号寺」は数えるほどしか残っていません。それでは、ここで「寛永寺」の歴史と概要を紐解いてみると、寛永2年(1625年)に、江戸城の鬼門(東北)にあたる「上野の山」に徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、「徳川家康」、「徳川秀忠」、「徳川家光」の3代にわたる将軍から深く信奉され、幕府の指南役として活躍した「慈眼大師天海大僧正」によって建立されました。その総本堂にあたる「根本中堂」は、元禄11年 (1698年)に現在の上野公園内「大噴水」(竹の台噴水)に建立されました。その後、第4代将軍「川家綱」の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。以後は5代将軍「徳川綱吉」、8代将軍「徳川吉宗」、10代将軍「徳川家治」、11代将軍「徳川家斉」、13代将軍「徳川家定」の豪華な霊廟が、次々と造営されました。幕末、最後の15代将軍「徳川慶喜」は、鳥羽・伏見の戦いで敗れた後、「寛永寺」で謹慎生活を送りました。江戸城の無血開城までの2カ月間を過ごした「葵の間」には、今でも愛用の品などが残されている。「徳川慶喜」は神道式の葬儀を望んだため、谷中霊園内の寛永寺墓地にある一橋家墓所の隣で永眠しています。そして、東叡山主を皇室(「輪王寺宮」)から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となりました。慶応4年年(1868)、「上野戦争」の際に焼失してしまいた。その後、明治12年 (1879年)に「川越喜多院」の本地堂を山内子院の「大慈院」(現在の「寛永寺」)の地に移築し、再建したのが現在の「根本中堂」になります。御本尊は、「伝教大師最澄上人」がみずから彫ったと言われる「薬師瑠璃光如来像」(国指定重要文化財)を秘仏としてお祀りしています。また、「東叡山寛永寺」は、かつては、「清水観音堂」、「不忍池辯天堂」、「 五重塔」、「開山堂」、「大仏殿」など36もの子院などを有する大寺院でした。「寛永寺」の境内は「上野公園」の土地を中心に30万5000坪に及び幕府から与えられた寺領は小藩の大名に匹敵する1万5000石を誇りました。
「本堂」内も見学することができます。しかし、秘仏のため「薬師瑠璃光如来像」は拝観することはできませんでしたが、その代わり、堂内には御本尊さんの他に、「日光・月光菩薩像」や「十二神将像や四天王像」など迫力ある仏像が安置され見ごたえ十分でした。パワーをもらったうえに、無料なので得した気分でした。
本堂から出て上を眺めると「瓦」には「寛永寺」の文字が施され、「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。また、門にも「三つ葉葵」が装飾されていました。上野公園から少し歩きますが、途中にも歴史的建造物やモニュメントもありますので、必見の場所です。「根本中堂」の見どころ等の情報は下に箇条書きにしてありますので、合わせてご覧ください。
01_【「寛永寺」の一口メモ】
⑴ 所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園14
⑵ 問い合わせ 寛永寺 電話:03-3821-1259
⑶ 開門時間 9:00〜17:00
⑷ 本堂の拝観時間 10:00〜16:00
02_【「寛永寺」へのアクセス】
⑴ 電車を利用した場合
① JR「上野駅」公園口から徒歩13分1km
② 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩18分1.4km
③ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」から徒歩18分1.4km
④ JR「鶯谷駅」北口から徒歩8分650m
⑵ 台東区循環バス「東西めぐりん」を利用した場合
① [台東区役所] ⇒[永寿総合病院行]≪東西めぐりん≫「寛永寺バス停」下車から徒歩すぐ
03_【「寛永寺根本中堂」の見どころ】
⑴ 「本堂」(根本中堂)
天台宗の寺院では、比叡山にならって「本堂」を「根本中堂」と呼ぶことがあります。「寛永寺」の「根本中堂」は、以前は上野公園の噴水広場にありましたが、幕末の上野戦争で焼失し、明治時代に現在の場所に再建されました。そして、国の登録有形文化財に指定されている「本堂」(根本中堂)には、国指定重要文化財の「薬師瑠璃光如来像」が安置されており、「寛永寺」の秘仏となっています。「本堂」(根本中堂)の「木鼻」には、「獏」と「獅子」そして「蟇股」には「鶴」が彫刻されていました。また、「瓦」には「寛永寺」の文字が刻まれていました。「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。それもそのはず、「寛永寺」は徳川家の菩提寺なので、徳川家の「家紋」を「寺紋」として使っているからです。
⑵ 「鐘楼」
「鐘楼」は天和元年(1681年)に建立され、「高さ」が177.2cm、鐘の「口径」は91.8cmの「銅鐘」です。この「鐘楼」は歴史があり、徳川幕府4代将軍「徳川家綱」の1周忌に奉献されたものだそうです。この「鐘」は、もともと「徳川家霊廟」の「鐘楼」に吊るされていましたが、明治時代に「寛永寺根本中堂」に移設されました。そして、「「寛永寺」の除夜の鐘は、境内にある「鐘楼」と、旧境内である上野公園内に残る「時鐘堂」の両方で撞かれます。ちなみに、上野公園にある「上野大仏」の近くある「時鐘堂」は、大晦日以外もいまでも毎日3回時を告げている時の鐘です。
⑶ 「了翁禅師堂」
「寛永寺根本中堂」の境内には「了翁禅師堂」という「お堂」があります。「了翁禅師」は、江戸時代前期の僧侶で秋田県出身です。貧しい農家に生まれ、11歳の若さで出家し、修行をしながらたくさんの書物を集めていたそうです。そして、諸国を巡るうちに霊薬の処方を夢に見たことから、不忍池付近の薬屋で「錦袋円(きんたいえん)」と命名した薬を売ります。その利益で「了翁禅師」は、難民救済や「不忍池」に経堂を建てて文庫を創設し、さらには「寛永寺」の境内に「勧学寮」と「文庫」を建立しました。何とこれが日本で最初に一般公開された「図書館」と言われています。
⑷ 二つの大きな「鬼瓦」
「寛永寺根本中堂」の境内には、大きな「鬼瓦」が二つありました。どうやらこの「鬼瓦」は、もともと「寛永寺」の「旧本坊表門」と「根本中堂」の鬼瓦据えられていたものらしいです。特に、向かって右側にある「鬼瓦」は、現在「黒門」と通称される国の指定重要文化財である「寛永寺旧本坊表門」に据えられていたものです。「旧本坊表門」は、寛永元年(1624年)に「天海大僧正」により建てられたもので、歴代の「輪王寺宮」が住んだ場所の門として知られていました。昭和12年(1937年)に、現在の「東京国立博物館」の地から「両大師堂」の隣に移築されています。
① 「旧本坊表門」の「鬼瓦」 ② 「根本中堂」の鬼瓦
⑸ 「銅燈籠」
大きな「銅燈籠」が2基ありますが、残念ながら。記銘が見当たりません。元はどこにあったのか所在は不明です。
⑹ 「石燈籠」
大きな「銅燈籠」ばかりでなく、「社務所」の前には大きな「石燈籠」が1基のみあります。この「石燈籠」は南部重直盛岡藩主が奉献したものです。「石燈籠」には、「奉献石燈籠両基 武州東叡山 大猷院殿尊前 慶安四年辛卯歳十二月廿日 従五位下南部山城守源重直」と刻まれていました。
⑺ 「水盤」
「水盤」は元禄11年銘がきされています。コケが薄らと外側を覆い歴史を感じます。
⑻ 「慈海僧正墓」(都旧跡)
「慈海僧正墓」は「寛永寺根本中堂」に向かって右側にあります。「了翁禅師堂」に比べると、「学頭」の割には小さく、質素なものです。「慈海僧正」は、「寛永寺一山」を統括する「東叡山凌雲院」の4代目の学頭でした。「慈海僧正」は、「法華経」「薬師経」の翻刻や「四教義算注」「標指鈔」三十巻などの著作があります。聖観世音菩薩像である墓石は、当初「凌雲院」境内墓地にありましたが、東京文化会館の建設のため「寛永寺」に移築されました。
⑼「尾形乾山墓碑・乾山深省蹟」
「慈海僧正墓」の隣には、「墓」と「尾形乾山」を讃える「顕彰碑の写し」があります。「尾形乾山」は江戸時代を代表する画家であった「尾形光琳」の弟で、絵師や陶芸家として活躍した人物です。入谷に開いた入谷窯の作品は「入谷乾山」として高く評価されています。光琳を敬慕する江戸時代後期の絵師の「酒井抱一」の手によって探り当てられ、この「乾山深省蹟」顕彰碑が建てられたといわれています。
⑽ 「上野戦争碑記」
ひときわ大きく、誰の眼にもとまるのが「上野戦争碑記」です。幕末の明治維新のとき、現在の上野公園の一帯では、幕臣たちが結成した「彰義隊」と「明治政府軍」との間で、いわゆる「上野戦争」が行われました。この石碑は、「彰義隊」という名前を発案した人物として知られる「阿部弘蔵」が、「上野戦争」の経緯を記したものです。寛永寺はこの上野戦争で被災し、明治時代初期に敷地の大部分は上野公園となりました。
⑾ 「虫塚」
「虫塚」は、伊勢長島藩主であった増山雪斎が写生に使った昆虫の慰霊のために建てた碑です。「増山雪斎」は、江戸の文人「大田南畝」や大坂の豪商「木村兼葭堂」など広く文人墨客と交流を持ち、写実的な画法で多くの花鳥画を描きました。中でも虫類写生図譜「虫豸帖(ちゅうちじょう)」は、指定有形文化財として指定されています。その昆虫も碑を建ててもらえるとは幸せですよね。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- JR「鶯谷駅」北口から徒歩8分650m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 日本人、外国人とも何組かいました。境内が広いのでゆっくり見れます。
- 見ごたえ:
- 4.5
- 広い境内の中には、色々なモニュメントもあり見どころ満載です。
-
へちま地蔵、八万四千体地蔵と見どころ満載です。外国人の観光客が後を絶ちません。
投稿日 2023年12月28日
総合評価:4.0
「寛永寺」の山門を出て、右方向に90mほど進むと突き当りに信号があります。その信号を渡れば「浄名院」の「山門」があります。「浄名院」の境内に入ると欧米の外国人の観光客が目立ちます。やはりへちま地蔵、八万四千体地蔵など欧米の外国人の観光客にとっては興味を引くものなのでしょうか。
《「浄名院での」六地蔵めぐりのポイント》
★「六地蔵巡り」と書かれた「白いのぼり旗」を順番に回ると、「浄名院」の「地蔵尊」を「第一番」から「第六番」まで全て見て回ることができます。まず、「山門」を潜り左方向に進むと「地蔵めぐり一番」があります。それから「地蔵堂」の石柱を左方向に進むと「地蔵めぐり二番・三番」があり、それからは、塀沿いに右回りで進むと「地蔵めぐり六番」まで行くことができます。
「浄名院」は、天台宗の寺院です。「浄名院」の歴史と概要を紐解いてみると、天台宗寺院の「浄名院」は、「寛永寺36坊」の一つとしてとして「圭海大僧都」が開基となり、寛文6年(1666年)に「浄円院」として創建されました。享保8年(1823年)に寺号を「浄円院」から「浄名院」へ改めました。「山門」は歴史あるもので、享保年間(1716年-1735年)に建立されたものです。「浄名院」は、四代将軍」徳川家綱」の母「宝樹院」の菩提所として栄えました。そして、「浄名院」は、ぜんそくや病気平癒を祈願する「へちま加持祈祷会」で全国的に知られており、別名「へちま寺」とも呼ばれています。なお、旧8月15日の「へちま供養」には、せき、ぜんそくに効験を願う人々で賑わうそうです。
また、1600坪を超える広い「境内」には、たくさんの「石地蔵尊」が所狭しと並べられています。これは、第38世「妙運大和尚」が、民衆の幸福と仏恩に報いるため、「八万四千体地蔵尊の建立」を発願されたもので、8万4千体地蔵尊の建立成就を目指し、現在も地蔵尊像の数は増え続けているそうです。
「境内」にある青銅製の大きな「地蔵菩薩坐像」は、かつて「江戸六地蔵第6番」の「地蔵菩薩像」があった「深川永代寺」が明治維新のとき廃寺になり、また、日露戦争の戦没者を弔うために、明治39年(1906年)に新たに建立されたものです。
見どころ等の情報については、下記に取りまとめてありますので、ご覧ください。
01_【「浄名院」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒110-0002 東京都台東区上野桜木2丁目6番4号 電話:03-5832-9511
⑵ 浄名院の概要 ①山号…東叡山 ②院号…浄名院 ③宗派…天台宗
⑶ 御本尊…阿弥陀如来・地蔵尊
02_【「浄名院」へのアクセス】
⑴ 電車を利用した場合
① JR「上野駅」公園口から徒歩15分1200m
② 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩19分1500m
③ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」7番出口から徒歩19分1500m
④ JR「鶯谷駅」北口から徒歩7分500m
⑤ 東京メトロ千代田線「根津駅」1番出口から徒歩約13分1000m
⑵ 台東区循環バス「東西めぐりん」を利用した場合
① [台東区役所] ⇒[永寿総合病院行]≪東西めぐりん≫「寛永寺」バス停下車徒歩2分110m
② [亀戸駅前] ⇒[上野公園]≪都バス:上26系統≫「上野桜木」バス停下車徒歩約1分80m
03_【「浄名院」の見どころ】
⑴ 「山門」
「山門」は、「山門」は歴史あるもので、享保年間(1716年-1735年)に建立されました。残念ながら、令和4年(2022年)に袖塀などが撤去されました。※現在は、改修保存中です。
⑵ 「八万四千体地蔵」
1600坪を超える広い「境内」には、たくさんの「石地蔵尊」が所狭しと並べられています。これは、第38世「妙運大和尚」が、民衆の幸福と仏恩に報いるため、「八万四千体地蔵尊の建立」を発願されたもので、8万4千体地蔵尊の建立成就を目指し、現在も地蔵尊像の数は増え続けているそうです。ちなみに、第38世「妙運大和尚」は、明治12年(1879年)に、古代にインドのアショカ王が、八万四千の石塔を世界各地に建立したと伝えられることにならい、八万四千体の石地蔵建立を発願したそうです。
⑶ 「江戸六地蔵」
「江戸六地蔵」は、明治39年(1906年)に新たに建立されたものです。この地蔵像は「江戸六地蔵」の第6番です。ちなみに、「江戸六地蔵」とは、18世紀初期に「京都六地蔵」に倣って江戸の出入口6箇所に置かれた「地蔵菩薩坐像」のことを言います。もともとは、千葉街道の出入口に位置する江東区富岡八幡宮「永代寺」にありましたが、明治政府の神道に傾倒する政策である「廃仏毀釈」、「神仏分離」により第6番の地蔵が失われたため、そして、」日清日露戦争の戦役者慰霊のためとして明治39年(1906年)に「浄名院」に復活したものです。ちなみに、「江戸六地蔵」とは、江戸市中の「品川寺」、「東禅寺」、「太宗寺」、「真性寺」、「霊巌寺」、「永代寺」の6か所に建てられた「地蔵菩薩坐像」です。
⑷ 「へちま地蔵」
「へちま供養」は、旧暦8月15日の十五夜の日に執り行われます。この日に、「へちま地蔵」に祈願すれば喘息に効用があるというもので、へちま地蔵の前にはヘチマが供えられます。「へちま供養」は、明治初年に、痰、咳、喘息に苦しむ人々のためにへちま加持祈祷の法要をしたのが始まりとされる。ちなみに、「へちま」には、せき、たん、ぜんそく、心臓病、むくみ、小便不利、美容・美肌、腹痛などに対して薬効があることは、すでに科学的にも証明されています。
⑸ 「うかがい地蔵」
「うかがい地蔵」は、「檀家に伺う」という意味からその名がついたそうです。数体のお地蔵さまが檀家の間を代わる代わる巡っていたといわれている。自分の願いが叶うか、おうかがいをたてながらお地蔵さまを持ち上げ、軽く感じれば願いは叶い、重く感じれば成就は難しいとされているそうです。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- JR「鶯谷駅」北口から徒歩7分500m
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 外国人の旅行者の方が何組もいました。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 1600坪を超える広い「境内」には、たくさんの「石地蔵尊」が所狭しと並べられていて、その光景には圧倒されます。
-
投稿日 2023年12月28日
総合評価:3.0
「津梁院」へのアクセスは、JR「鴬谷」駅北口の改札口を出ると左手に「ローソン」があります。「ローソン」の角を右折し、直進し最初の横断歩道を左折します。そのまま道なりに高架沿いを直進すると、右手に階段があります。それを上るとJR跨線橋(寛永寺橋)がありますのでそれを渡り、170m直進すると「津梁院」の塀が見えてきます。塀沿いに進み左折すると、50m先に正面に「津梁院」の「正門」があります。残念ながら非公開のため「正門」からしか中を見ることができません。「津梁院」は、19か所ある「東叡山寛永寺」の一つです。しかし、「寛永寺輪王殿」の裏手(北側)の一角に14か所ある子院とは違い、「上野桜木から上野公園」にかけて4か所に点在しています。そして「寛永寺輪王殿」の裏手の子院に比べて、庭園一つをとっても見るべきものはたくさんあります。
「津梁院」は、外見から判断すると今までの子院と比べて、本堂や墓地も大きく、普通のお寺の様相を呈しています。墓地へはいる入口の門の所に、かわいらしいお地蔵さんが飾られていたのが印象的です。
【東叡山寛永寺の子院「津梁院」の概要】
⑴ 所在地…〒110-0002 東京都台東区上野桜木1-14-29
⑵ アクセス…JR「鴬谷駅」北口から徒歩6分500m
⑶ 「津梁院」の歴史
「津軽土佐守伸義」が寛永初期に創建しました。本尊は「阿弥陀如来木像」です。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- JR「鴬谷駅」北口から徒歩6分500m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 他の参拝客は誰もいませんでした。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 外見から判断すると今までの子院と比べて、本堂や墓地も大きく、普通のお寺の様相を呈しています。
-
投稿日 2023年12月28日
総合評価:3.5
「護國院」へのアクセスは、東京メトロ「根津」駅1番出口から出て、右手にある横断歩道を渡り、そのまま230m直進し、最初の信号を右折します。100m直進すると二つ目の角があるので、左折します。50m直進すると十字路があるのでそこを右折し、50m先にある横断歩道を渡り左折します。100m直進すると右手に「護國院」があります。「護國院」は、19か所ある「東叡山寛永寺」の一つです。しかし、「寛永寺輪王殿」の裏手(北側)の一角に14か所ある子院とは違い、「上野桜木から上野公園」にかけて4か所に点在しています。そして「寛永寺輪王殿」の裏手の子院に比べて、庭園一つをとっても見るべきものはたくさんあります。
「護國院」は、寛永2年(1625年)、天海僧正が東叡山寛永寺を開山したのと同時に、天海の命により東叡山寛永寺最初の子院として「生順」が創建したものです。宝永6年(1709年)に現在地に移転し、谷中七福神の大黒天となっています。19か所の子院の中で、一番見るべきものがたくさんあるお寺です。「本堂」も大きく、能の舞台のような「楽堂」、「手水舎」、「大黒天像」、「お御籤とお御籤掛け」など盛りだくさんです。
【東叡山寛永寺の子院「護國院」の概要】
⑴ 所在地…〒110-0007 東京都台東区上野公園10-18
⑵ アクセス…東京メトロ「根津駅」1番出口から徒歩8分600m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 東京メトロ「根津駅」1番出口から徒歩8分600m
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- さほど混んでいません。ゆっくりと見学できます。
-
木製の塀と白い漆喰がマッチしています。境内にはお稲荷さんもあります。
投稿日 2023年12月28日
総合評価:3.5
「養壽院」へのアクセスは、JR「鴬谷」駅北口の改札口を出ると左手に「ローソン」があります。「ローソン」の角を右折し、直進し最初の横断歩道を左折します。そのまま道なりに高架沿いを直進すると、右手に階段があります。それを上るとJR跨線橋(寛永寺橋)がありますのでそれを渡り、170m直進すると「養壽院」の塀が見えてきます。塀沿いに進み左折すると、左手に「養壽院」の「正門」があります。残念ながら非公開のため「正門」からしか中を見ることができません。「養壽院」は、19か所ある「東叡山寛永寺」の一つです。そして、これらの子院は「寛永寺輪王殿」の裏手(北側)の一角に14か所あります。しかし、「寛永寺輪王殿」の裏手(北側)の一角に14か所ある子院とは違い、「上野桜木から上野公園」にかけて4か所に点在しています。そして「寛永寺輪王殿」の裏手の子院に比べて、庭園一つをとっても見るべきものはたくさんあります。
「養壽院」の第一印象は、木製の塀に白い漆喰の壁があり、きれいな外観と言う感じでした。中に入るとよく手入れされた石庭と池には沢山の錦鯉がおよいでいました。なかなかこぎれいで整備されています。それと境内社と言っていいのか分かりませんが、「笠森稲荷」もありました。「寛永寺輪王殿」の裏手(北側)の子院と比べて、見るべきもがあります。
【東叡山寛永寺の子院「養壽院」の概要】
⑴ 所在地…〒110-0002 東京都台東区上野桜木1-15-3
⑵ アクセス…JR「鴬谷駅」北口から徒歩6分450m
⑶ 「養壽院」の歴史
開祖は「第一世権大僧都廣海和尚」で、寛永年間に創建しました。本尊は「阿弥陀如来」です。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- JR「鴬谷駅」北口から徒歩6分450m
- 見ごたえ:
- 3.0
- よく手入れされた石庭と池には沢山の錦鯉がおよいでいました。なかなかこぎれいで整備されています。「笠森稲荷」もありました。
-
投稿日 2023年12月28日
総合評価:3.5
「圓珠院」へのアクセスは、JR「鴬谷」駅北口の改札口を出ると左手に「ローソン」があります。「ローソン」の角を右折し、直進し最初の横断歩道を左折します。そのまま道なりに高架沿いを直進すると、右手に階段があります。それを上るとJR跨線橋(寛永寺橋)がありますのでそれを渡り、590m直進すると右手に「藤屋豆腐店」があります。その角を左折し、40m直進すると「春日会館」があります。その手前の細い道を直進すると正面に「圓珠院」の「正門」があります。残念ながら非公開のため「正門」からしか中を見ることができません。「圓珠院」は、19か所ある「東叡山寛永寺」の一つです。しかし、「寛永寺輪王殿」の裏手(北側)の一角に14か所ある子院とは違い、「上野桜木から上野公園」にかけて4か所に点在しています。そして「寛永寺輪王殿」の裏手の子院に比べて、庭園一つをとっても見るべきものはたくさんあります。
「圓珠院」は、庭園の素晴らしさに目を奪われます。庭園はよく整備されていて、「石燈籠」も4基あり、その他に「宝塔」、「洗心台」もありました。何よりも庭園の美しさと庭園の中にある大きな枝振りの松が印象的でした。
【東叡山寛永寺の子院「圓珠院」の概要】
⑴ 所在地…〒110-0002 東京都台東区上野桜木1-5-3
⑵ アクセス…JR「鴬谷駅」北口から徒歩11分850m
⑶ 「圓珠院」の歴史
開基檀家は長州(萩)藩第二代藩主毛利綱廣公であり、1652年(承応元年)に創建しました。本尊は「薬師如来」です。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
ラッキーなことに早朝からテレビ取材があり、やわらかくて、こしのある美味しい蓬餅を食べられました。
投稿日 2023年12月12日
総合評価:4.0
「中谷堂」へのアクセスは、近鉄「奈良駅」が便利です。近鉄「奈良駅」の2番出口を出て20mほど進むと、正面に「ローソン近鉄奈良駅前店」、そして右手に「東向商店街」アケードがあります。「東向商店街」アケードを250mほど直進します。すると突き当りになり、右手に「南都銀行」があります。そこを左折して、「三条通り」を120mほど直進すると右手に「中谷堂」があります。
「中谷堂」は、「高速餅つき」によるできたての「蓬餅」や手焼き煎餅なども販売しているお店です。前日に家内と散策途中に「三条通り」に約50人くらの長蛇の列ができていたのを目にしました。お土産を買いにいったので、この列は何だろうねというような感じで気にも留めませんでした。しかし、お土産を買いにいった帰りにも列は同じくらい続いていました。ふと目をあげると大きな看板に「餅中谷堂」と書いてありました。これがよくテレビに出る「高速餅つき」のお店かと家内と話しました。名物のつきたての「蓬餅」を食べたかったのですが、宿泊先の夕食の時間が近づいていたので、この列に並んだら間に合わないということで、泣く泣くあきらめました。ところが奇跡は翌日に起こりました。宿を9時頃に出発し、「中谷堂」の近くまで行くと、人が集まっていました。店の前まで行くとテレビ局が来ていて、取材と撮影をしていました。丁度、「高速餅つき」も見ることができました。そして、営業時間は10時からですが、つきたての「蓬餅」の販売も始めました。何と並ばずにすぐに買うことができました。つきたての「蓬餅」の食感は、ホクホクで柔らかく、甘さも丁度良く、餅が納豆のように糸を引く感じで伸びました。まぶしてある「きな粉」も格別に美味しく、「蓬餅」の味を一層引き立てました。あと2~3個は食べられそうです。ちなみに、「中谷堂」の餅つきは決してパフォーマンスでなく、店主の生まれ故郷の奈良県南部の冬はとても寒い上北山村で生まれ育ちました。その寒い上北山村の中でも小橡地区では、搗つき始めてからどんどんテンポを上げていく早い餅つきが行われているそうです。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8217 奈良県奈良市橋本町29 電話:0742-23-0141
⑵ 営業時間…10:00~19:00
02_【アクセス】
⑴ JR「奈良駅」西口から徒歩15分1000m
⑵ 近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩5分350m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩5分350m
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 「蓬餅」は一個180円です。こんなに安いのかと思いました。2個くらいは平気で食べられますよ。
- サービス:
- 3.5
- 店の方は元気のいい人ばかりで旅の疲れをとってくれました。
- 雰囲気:
- 4.0
- 「高速餅つき」の時の緊張感が見ている人にまで伝わってきます。店舗自体は昔ながらの和菓子屋です。
- 料理・味:
- 4.0
- 「蓬餅」の食感は、ホクホクで柔らかく、甘さも丁度良く、餅が納豆のように糸を引く感じで伸びました。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 「高速餅つき」は必見の価値ありです。
-
東京発祥の猿田彦珈琲に奈良で初めて入りました。値段の割には本格的な味わいでした。
投稿日 2023年12月12日
総合評価:3.0
「猿田彦珈琲 奈良鹿猿狐ビルヂング店」へのアクセスは、近鉄「奈良駅」が便利です。近鉄「奈良駅」の2番出口を出て20mほど進むと、正面に「ローソン近鉄奈良駅前店」、そして右手に「東向商店街」アケードがあります。「東向商店街」アケードを250mほど直進します。すると突き当りになり、右手に「南都銀行」があります。そこを左折して、あの高速餅つきで有名な和菓子屋「中谷堂」の前を通り120mほど進むと二つ目の角がありますので、そこを右折し、50mほど直進すると右手に「猿狐ビルヂング」がありその1階にあります。
宿泊先の「さるさわ池よしだや」に着いたのが午後4時30分頃で食事の時間が午後7時で、結構時間があったので、お土産探しと付近を散策することにしました。家内が、雑誌で元林院町の鹿猿狐ビルにある「中川政七商店奈良本店」に可愛らしいお土産があるということで行ってみることにしました。ショッピングを終え、同じビルに「猿田彦珈琲奈良鹿猿狐ビルディング店」があったのでお茶をしました。
「猿田彦珈琲」と言えば、東京・恵比寿で2011年6月にオープンしたスペシャルティコーヒーの専門店です。まさか奈良で「猿田彦珈琲」に入るとは思っていませんでしたが、東京でよく見かける「猿田彦珈琲」に入ったことがなかったので、どんなものか、そして喉も昼間かなり歩き乾いていたので、お茶をすることにしました。私は赤ぶどう風味の「アイス生キャラメルラテ」、そして家内は「水出しアイスコーヒー」を注文しました。喉が渇いていたので、あっという間に飲み干してしまいました。赤ぶどう風味の「アイス生キャラメルラテ」は、一見すると赤ぶとうの雰囲気はありませんが、確かに赤ぶどうの味が隠し味となっていて、濃厚で、若干甘めでしたが満足できる味わいでした。家内に「水出しアイスコーヒー」の感想を尋ねると、本格的なコーヒーの味がして、飲み口はあっさりしているということでした。美味しかったので、東京に帰ったらまた「猿田彦珈琲」を利用したいと思います。ちなみに、「猿田彦珈琲奈良鹿猿狐ビルヂング店」は、平成3年(2021年)4月に奈良初出店し「、猿田彦コーヒー」のアイスクリームブランド「ティキタカ アイスクリーム」やオリジナルカレーなども提供し、奈良の老舗工芸品商「中川政七商店」が手掛ける話題の複合施設として話題をなっているそうです。「ビルディング」でなく、昔よく見かけた「ビルヂング」という表現も気になりました。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8221 奈良県奈良市元林院町22 電話…0742-25-2585
⑵ 営業時間…9:00-19:00
02_【アクセス】
JR「奈良駅」出口から徒歩17分1100m
近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩6分500m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩6分500m
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- このぐらいの値段かなあという感じです。
- サービス:
- 3.0
- 丁寧な接客をしてくれました。
- 雰囲気:
- 3.0
- 「中川政七商店奈良本店」に併設されたお店なので、家具や店のレイアウトもなかなかのものでした。
- 料理・味:
- 3.0
- 赤ぶどう風味の「アイス生キャラメルラテ」は、一見すると赤ぶとうの雰囲気はありませんが、赤ぶどうの味が隠し味となっていて、濃厚でした。
- 観光客向け度:
- 3.0
- 散策をしたついでに立ち寄るのがお薦めです。中川政七商店には、可愛らしいお土産も沢山あります。
-
JR奈良駅旧駅舎を改築した観光案内所内はまるで大寺院のような佇まいです。
投稿日 2023年12月12日
総合評価:4.0
奈良観光の第一歩として、JR奈良駅東口の駅前にある「奈良市総合観光案内所」で、奈良のお寺や観光名所のお得な巡り方や交通機関等の情報をゲットするために立ち寄りました。「奈良市総合観光案内所」を見てびっくりしました。まるでお寺そのものの造りになっていて、今まで旅行してその土地の観光案内所に立ち寄りましたが、こんな立派でモダンな建築物はみたことありません。中に入るとパンフレットも沢山あり、観光客が手に取ってみている姿が目に入りました。インフォメーションカウンターも4箇所くらいあったと思います。並んでいるのは日本人より外国の観光客の方が多かった印象です。まず、最初のポイントとして各お寺を巡る拝観料について質問してみました。京都もそうですが、お寺をたくさん回ると拝観料が馬鹿になりません。京都から奈良に向かう電車の中で、5000円で販売している「六社寺共通拝観券」というものがありました。それを買った方が得かということと、バスの一日乗車券を買った方が得かということを聞いてみました。返ってきた答えが、「六社寺共通拝観券」より個別に拝観料を払った方が安いということでした。ただし、各お寺で散華を貰える、期間限定の特別御朱印がいただけるなどの特典があると丁寧に説明してくれました。また、バスの一日乗車券についても、回るお寺や宿泊するホテルなどを聞き、一日目の訪問先である、「東大寺」、「春日大社」、「興福寺」なら、最初の「東大寺」までバスに乗り、「春日大社」や「興福寺」は隣接しているので、歩いて回れるので買わなくても大丈夫ということでした。二日目は、「薬師寺」、「唐招提寺」に行くと話したところ、こちらの場合は、バスで片道270円かかるので一日乗車券を買った方が得という答えが返ってきました。各お寺付近のバス乗り場の地図などもこちらから欲しいと言う前に親切にくれました。それと「東大寺」までの奈良駅のバス停の乗場も説明してくれました。こんな親切丁寧な観光案内所も初めてです。そして、余談ですが旧JR奈良駅旧駅舎を改築した観光案内所内には、スターバックコーヒーもありました。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8122 奈良県奈良市三条本町1082 電話:0742-27-2223
02_【アクセス】
JR「奈良駅」東口の駅前すぐ- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.5
- JR「奈良駅」東口の駅前すぐ
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 観光説明のカウンターや情報をゲットしようとする観光客がいました。外国人の旅行者も結構いました。
- 見ごたえ:
- 4.5
- 今までこんな立派な観光案内所は見たことありません。
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南門の狛犬の足元に注目!お参りに来た人々によって赤い紐が結ばれています。さてその意味は?
投稿日 2023年12月12日
総合評価:3.5
「御霊神社」へのアクセスは、近鉄「奈良駅」が便利です。近鉄「奈良駅」の2番出口を出て20mほど進むと、正面に「ローソン近鉄奈良駅前店」、そして右手に「東向商店街」アケードがあります。「東向商店街」アケードを250mほど直進します。すると突き当りになり、右手に「南都銀行」があります。そこを左折して、あの高速餅つきで有名な和菓子屋「中谷堂」の前を通り120mほど進むと道が三つ又に分かれます。右折して「スターバック」のある「猿沢池」沿いの道を550mほど直進します。突き当りを左折し、次の角を右折すると約130m先の右手に「御霊神社」があります。
お昼ご飯を食べ世界遺産の「元興寺」へ行く途中にたまたま「御霊神社」を発見しました。せっかく奈良に来てので一応参拝しました。
「御霊神社」の歴史と概要を紐解いてみると、「御霊神社」は、平安時代初期の延暦19年(800年)に第50代「桓武天皇」の勅命により創祀された勅願社です。奈良時代の宝亀3年(772年)に天皇を呪詛したという無実の罪をかけられ幽閉された後に亡くなった「井上内親王」と皇太子の「他戸親王」を慰霊し、奈良町74町の広範囲の氏子領域を持つ氏神様として「本殿」でおまつりしています。「南門」をくぐると左手には、縁結びのご利益でも知られる末社「出世稲荷神社」や学問の神様「若宮社」もあります。また、私も初めてみましたが、「南門」の両脇に立つ「狛犬」の足元には「狛犬の足止め祈願」とし、子供が家に落ち着きますようにとのおまじないや縁結び、商売繁盛などを願って参拝に来た人々によって赤い紐が結ばれています。
では、参拝したいと思います。まず、「鳥居」をくぐると左右に、獅子があります。なんか変だなあとよく見ると、両方の狛犬の足に赤い紐が絡まっています。これは、「狛犬の足止め祈願」というそうです。「狛犬の足止め祈願」は、家出人、縁結び、商売繁盛などを祈願するものです。これは、江戸時代から伝えられる願掛けの方法で、家出人や悪所通いの足が止まりますようにとの願いや、「ならまち」では子どもたちが神隠しにあわないようにと狛犬の足に紐を結んでいました。最近では「恋人とこれからも一緒にいられますように」、「客足が遠のきませんように」などの願いが込められるようにもなり、多くの人々がお参りの際に紐を結んでおられます。また、「足止めの願掛けひも」は神社で用意してあり、結び方は「叶結び」というもので、結び目の表が「口」、裏が「十」の形になり合わせると「叶」という文字になることから願いが叶うようにという思いを込めて用いられています。
次に、「南門」をくぐると、驚いたことに参拝客が女性かカップルばかりしかいませんでした。右手に「手水舎」と「社務所」があり、左手には末社の「祓戸社」と「出世稲荷社」があります。末社の「祓戸社」は、お祓いを司る神様で、心身を清めるお社です。先ずここにお参りしてから「本殿」にお参するのがお薦めだそうです。御祭神は、「市杵島比賣神」、「瀬織津比賣神」、「速秋津比賣神」、「伊吹戸主神」、「速佐須良比賣神」です。
末社の「出世稲荷社」は、農民の子から天下人になった「豊臣秀吉」が篤く信仰した神様で、願掛けすると恋が実ると言われています。その歴史を紐解いてみると、末社の「出世稲荷社」は、「豊臣秀吉」が天正15年(1587年)に、聚楽第の造営のときに、邸内に「稲荷神社」を勧請しました。その翌年に「後陽成天皇」が聚楽第に行幸し、「稲荷神社」に参拝した時に立身出世を遂げた「豊臣秀吉」にちなんで「出世」の称号を授けたといわれています。そして、末社の「出世稲荷社」は、昭和27年(1952年)に京都の「出世稲荷神社」より御分霊をいただきお祀りしたものです。「御祭神」は、「大己貴命」、「稲倉魂命」、「猿田彦命」、「天鈿女命」、「保食命」で、御神徳は、開運出世・縁結び・五穀豊穣・商売繁盛・諸芸上達・夫婦円満・交通安全・武運長久・ 病気平癒です。
次が、「拝殿」で参拝を済ませます。「御霊神社」の「本殿」は、天皇鎮守のため8柱の神を祀っていることから「八神殿」とも呼ばれています。
そして、「拝殿」の右手奥には、「水蛭子社」と「若宮社」があります。末社の「水蛭子社」は、御祭神は「蛭子命」で、伊邪那岐命と伊邪那美命との間に最初に生まれた神。御神徳として海上安全 豊漁守護 商売繁盛です。
末社の「若宮社」は、御祭神は「菅原道真」です。御神徳は、学業成就・病気平癒・諸道上達などです。一般的に「天神」とは「菅原道真」を御祭神として祀る神社のことです。本来は、無実の罪に問われ亡くなった「菅原道真」の怒りを鎮め、混乱を回復しようとする御霊信仰が始まりでした。天変の神、農耕の神、無実の罪を晴らす神とさまざまな神として信仰され、江戸時代に入ると学問の神として寺子屋や藩校などで祀られたそうです。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8321 奈良市薬師堂町24番地 電話…0742-23-5609
⑵ 開門・閉門時間…午前8時〜午後4時30分
※ 毎月1日は月次祭斎行の為、午前7時に開門します。
02_【アクセス】
⑴ JR「奈良駅」西口から徒歩24分1600m
⑵ JR「京終駅」出口から徒歩12分850m
⑶ 近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩15分1100m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 一番近いのはJR「京終駅」出口から徒歩12分850mですが、私は近鉄「奈良駅」からいきました。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- かなり混雑するほどではありませんが、カップルや女性の観光客が後を絶ちませんでした。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 小さい神社ながら、狛犬の足止め祈願など他の神社にはないようなものもあります。女性が多いのでカップルで参拝するのをお薦めします。
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登録有形⽂化財に指定された趣のある築180年の町屋で食べた豆腐料理は格別の味でした。
投稿日 2023年12月12日
総合評価:4.0
「奈良町豆腐庵こんどう」へのアクセスは、近鉄「奈良駅」が便利です。近鉄「奈良駅」の4番出口を出て左折すると「桜通り」になり、そこを750mほど道なりに直進します。左手に「松本薬局」があるので、そこを左折し150mほど進みます。二つ目の角を右折し、最初の角を左折します。さらに100mほど先の角を右折し、100mほど進むと右手に「奈良町豆腐庵こんどう」があります。結構歩きますが、面白いお店が沢山あるので、歩くのも苦になりませんでした。
「奈良町豆腐庵こんどう」は、地元の「近藤⾖腐店」が営む⾖腐料理店です。料理もさることながら、何と言っても素晴らしいのは、登録有形⽂化財に指定された趣のある築180年の町屋を保存しながら店舗として利用している点でしょう。ランチメニューには、「⽥楽ランチ」、「湯豆腐ランチ」そして「奈良町ランチ」の三種類がありました。その他、今の季節にはありませんが、夏季限定「おぼろまぜ黒そば(おから入りそば)」もあるそうです。
私と家内は「⽥楽ランチ」、娘は「湯豆腐ランチ」を注文しました。最初に出てきたのは「豆乳」です。「豆乳」はあまり美味しいというイメージはありませんでしたが、甘みがありすっきりしていました。次が、「厚揚げ」で、表面はカラッとしていて中は茶碗蒸しのような食感でした。そして、次が国産⼤⾖100%の「おぼろ⾖腐」です。⼤⾖本来の⾊、⾹、味を生かし、⼝どけが良く、また⾷べたくなるお⾖腐でした。次が「田楽」で、味噌も苦みや辛みもなくペロリと食べてしまいました。次が、お膳ものです。野菜の煮物、おからなど彩り豊かでした。そして、最後がデザートの「豆乳付きアイス」でした。どれもこれも美味しく、100点満点のランチでした。ちなみに、この町家は「河瀬直美」監督作品の「沙羅双樹」(2003年)の映画ロケ地に使⽤されたそうです。また、洗面所へ行く途中になる中庭も風情のあるものでした。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8334 奈良県奈良市西新屋町44 電話…0742-26-4694
02_【アクセス】
⑴ JR「奈良駅」出口から徒歩23分1500m
⑵ 近鉄「奈良駅」4番出口から徒歩15分1100m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 2.5
- 近鉄「奈良駅」4番出口から徒歩15分1100m
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 値段がもう少し高いのかと思ったら2100円で美味しいランチたべられました。品数も豊富でした。
- サービス:
- 4.0
- 一品一品キチンと料理の良さを説明してくれました。接客も申し分ありません。
- 雰囲気:
- 4.5
- 築180年の町屋で、中庭や調度品も趣があり、今はやりのオシャレな店で食べるより落ち着いて過ごすことができました。
- 料理・味:
- 4.5
- さすがにお豆腐店だけあっておぼろ豆腐は、⼤⾖本来の⾊、⾹、味を生かし、⼝どけが良く、お代りをしたいくらいでした。
- 観光客向け度:
- 4.0
- 少し分かりにくい所にありますが、古都奈良の街並みが周囲には散在し、是非訪れてみるべきだと思います。
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あいにく門が閉まっていて中に入れませんでしたが、興福寺の五重塔よりも高い塔が建っていたそうです。
投稿日 2023年12月11日
総合評価:3.0
「元興寺塔跡」へのアクセスは、近鉄「奈良駅」が便利です。近鉄「奈良駅」の2番出口を出て20mほど進むと、正面に「ローソン近鉄奈良駅前店」、そして右手に「東向商店街」アケードがあります。「東向商店街」アケードを250mほど直進します。すると突き当りになり、右手に「南都銀行」があります。そこを左折して、あの高速餅つきで有名な和菓子屋「中谷堂」の前を通り120mほど進むと道が三つ又に分かれます。右折して「スターバック」のある「猿沢池」沿いの道を550mほど直進します。突き当りを左折し、次の角を右折すると約100m先の右手に「元興寺塔跡」があります。
「元興寺塔跡」は、門前に「史跡元興寺塔跡」の石碑があり、周囲は民家に囲まれています。拝観に訪れた日は、前年ながら山門が閉まっていて中に入ることができませんでした。境内には仮堂と塔跡があるそうです。「元興寺塔」は、江戸時代の末期の安政6年(1859年)に焼失し、現在は基壇と礎石を残すのみですが、その規模の大きさから、約51mある「興福寺」の「五重塔」をしのぐ高い塔が立っていわれています。今は見る影もなく寂しいですが、実際は57mの高さがあったそうです。「塔跡」から出土した「元興寺塔跡土壇出土品」と「薬師如来立像」(国宝)は、「奈良国立博物館」に寄託されているそうです。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒630-8384 奈良市芝新屋町12
02_【アクセス】
⑴ JR「奈良駅」西口から徒歩24分1600m
⑵ 近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩15分1100m- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 2.5
- 近鉄「奈良駅」2番出口から徒歩15分1100mです。途中の町屋の風景が素晴らしいので、歩いても苦にはなりません。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 私以外誰もいませんでした。まさに穴場ですね。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 山門が閉まっていましたので中に入り見学することができませんでした。












































































































































