常連さんのクチコミ(33ページ)全3,467件
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投稿日 2019年12月09日
お龍 独身時代 寓居跡 / 京都府知事 中井弘 幕末期 寓居跡 二条・烏丸・河原町
総合評価:3.5
江戸時代ここ木屋町通りを流れる高瀬川の西側には全国から集まる諸藩邸が存在していて東側には藩士たちの邸宅がありました。今日は木屋町二条から南へ木屋町通りを散策してきましたが藩邸跡などの駒札や石碑が残されていてそれを知ることができます。
そしてここは土佐藩邸があった場所でその向かいにこの「お龍 独身時代 寓居跡 」があります。坂本龍馬は土佐藩出身なのでこれも納得です。きっと坂本龍馬はこの辺をうろちょろしたのでしょう。
ドキドキします。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年12月09日
総合評価:3.5
木屋町通りの北の起点である木屋町通二条から南へ木屋町通りを散策しています。
江戸時代ここ木屋町通りを流れる高瀬川の西側には全国から集まる諸藩邸が存在していて東側には藩士たちの邸宅がありました。そしてこの石碑「佐久間象山寓居跡」が建っています。
佐久間象山は松代藩の出身で蘭学を学び江戸で勝海舟や吉田松陰に砲学を教えた人物です。そして1864年に上京しこの地に移り住みましたが暗殺されました。
この石標は佐久間象山最後の住居となった場所です。
近くには同時代を生き抜いた「吉村寅太郎寓居跡」や「武市瑞山寓居跡」がありますので見学してください。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2019年11月13日
総合評価:1.5
関空発那覇行きに乗ろうと関空第二ターミナルへ来てスムーズに予定通り出発ロビーへ、搭乗時間は○○○とアナウンスがあり予定通り飛ぶ、と思い喜んでいるとその時、機体のメンテに時間がかかり予定遅れとのアナウンスがあり、現在1時間以上待っているけどまだ明確な時間の提示がない、いつまで待つのだろうか。
機内の音響に不備とこことだが、ここ空港内のアナウンスはデカく割れた音声でこちらも直した方が良いと思う。お詫びのアナウンスは必要だが4~5分毎にあり頻度が高すぎ、またアナウンスの言葉で、普段使わない、おくつろぎ、のことが言葉にならない。ちゃんと練習し人前に出せるようにして下さい。
格安のピーチらしさをここで見た。こんなもんかな???- 旅行時期
- 2019年11月
- コストパフォーマンス:
- 2.5
- 接客対応:
- 1.0
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投稿日 2019年11月07日
総合評価:3.5
木屋町通りの北の起点である木屋町通二条から南へ木屋町通りを散策しています。
江戸時代ここ木屋町通りを流れる高瀬川の西側には全国から集まる諸藩邸が存在していて東側には藩士たちの邸宅がありました。そして押小路通には石碑「武市瑞山寓居跡」が建っていますが横に並んでこの「ちりめん洋服発祥の地」も建っています。
1972年に田中佐起三氏が (株)さきぞう(SAKIZO)を創業しちりめん素材を使い婦人用のワンピースやスカートなどの洋服を創作し販売したのがちりめん洋服発祥のようです。
そうだったんですねそうやって史跡をひとつひとつ散策し考えて行くと勉強になります。
ちなみに材料も変化し「ポリエステルちりめん」が多く出回っているようですが京ちりめんは素晴らしいとの評判です。
「吉村寅太郎寓居跡」もありますので一緒に見学ください。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年11月07日
総合評価:3.5
木屋町通りの北の起点である木屋町通二条から南へ木屋町通りを散策しています。
ここはその御池通りですが御池大橋の西詰南に「夏目漱石の句碑」があるとの情報から行ってきました。
夏目漱石は数回京都を訪問していて、そのゆかり場所として2007年に京都漱石の會が建てています。句碑は「木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに春の川を隔てゝ男女哉漱石」とのことですがそれを十分に読むことはできませんでしたが京都を愛した漱石を見ることができます。
風流な散歩道である木屋町通りを続けて散歩します。さぁ行きましょう。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年11月07日
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投稿日 2019年11月07日
総合評価:3.5
京都三条通から白川沿いを散歩し祇園そして京阪の祇園四条付近へと歩こうと思います。
そのルートは様々ありますが着物を着た観光客がタムロしている辰巳大明神付近はひとつの観光スポットで京都らしさを見ることができます。
しかしこの新橋通りの北側一本隣のこの「新門前通」はありますが落ち着きのある通りです。骨董店や古美術商が集まる通りで興味のある方は是非通ってください気にいった商品が見つかるかも知れません。
この祇園付近には特徴のある通りが沢山ありますので大いに楽しんでください。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2019年11月07日
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投稿日 2019年11月07日
親鸞聖人旧御廟所 本願寺発祥の地 蓮如上人御誕生の地の碑 東山・祇園・北白川
総合評価:3.5
今日は平安神宮から知恩院そして円山公園へと東山を散歩しています。そして知恩院の黒門前に、ここからも知恩院へ入ることができますが多くの方がここを出口とされている方が多いようです。
そしてこの黒門の数m先にこの碑はあります。欲張った碑です(笑)、「親鸞聖人の廟所」であり「本願寺発祥の地」でもあり「蓮如上人御誕生の地の碑」でもあるようです。
京都の本願寺と言えば全国の総本山で世界遺産にも登録されている有名な寺です。
ここから日本仏教が生まれたといってもいいでしょう。
南へ円山公園へと散策は続きます。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年11月02日
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投稿日 2019年11月02日
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投稿日 2019年11月02日
総合評価:4.0
大阪・天神橋商店街を散歩してこの「大阪天満宮」へ行って来ました。もちろん参拝をしたのですが周辺含めて史跡などの見どころも多いです。
境内には「さざれ石」や「日豪親善記念碑」、門前には「大阪ガラス発祥の地碑」や「西山宗因向栄庵跡」そして足を運び「川端康成生誕之地」など、商店街を見て回りついでに楽しんでください。- 旅行時期
- 2019年11月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2019年11月02日
総合評価:3.5
皆さんご存知の1家庭で必ずある魔法瓶の象印さんです。近くまで来たので記念館があるとのことで行って見ましたが残念事前予約がいるとのことで受付には誰もいませんでした。後でHPをみると電話での予約で注意としては開館は平日のみ時間には限りがあります。詳しくはHPを。
日本の魔法瓶業界の技術の進化と歴史などを紹介しています。入場無料、是非予約していきましょう。- 旅行時期
- 2019年11月
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2019年10月24日
総合評価:3.5
この「ここはお国を何百里の歌碑」は知恩院黒門前にある良正院門前に建っています。
幼いころ何処かで聞いたことのある歌です。
軍歌と言った方が良いかもしれません。悲しい歌であることは間違いないでしょう。「ここはお国を何百里 離れて遠き満州の 赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下・・・」と続いています。
作詞者は福知山出身の真下飛泉ですが1926年にここ良正院の近くで亡くなりました。その教え子によってこの歌碑は建てられました。ちなみに故郷の福知山大江町にも歌碑があるとのことです。
知恩院訪問時に立ち寄ってください。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年10月24日
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投稿日 2019年10月24日
総合評価:3.5
三条通から白川沿いを歩き巽橋などがある祇園白川に到着ですがここは着物を来た外国人も多く楽しんでいます。べっぴんさんを横目に京阪四条の方へ行きましたが、ここは「祇園新橋伝統的建造物群保存地区」に指定され京都らしき町屋やその風景を今も残すところです。
その白川沿いに「かにかくに碑」は建っています。この歌碑は吉井勇の作で石碑は1955年に吉井勇や谷崎潤一郎らによって建立されました。歌碑は「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」です。この歌は祇園への思いを詠んだものですが難しくて・・・すばらしいです。
是非立ち寄ってみてください。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年10月24日
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投稿日 2019年10月24日
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投稿日 2019年10月18日
総合評価:3.5
木屋町通り沿いには江戸時代に存在した藩邸の跡やその志士の邸宅跡などの史跡が建っています。そしてこの「古高俊太郎邸跡」もそのひとつです。石碑の場所は西木屋町で木屋町通りから西側にあり目立たないところにあります。注意です。
四条通りの北側には小さな公園がありますが、その西北角から河原町へと繋がる道沿い南側にあります。ちょっとヤバイ路地にも見えますが問題ありません。
古高俊太郎は近江国出身の尊皇攘夷派の志士で湯浅喜右衛門として京都で薪炭商を営み志士らを援助しましたが1864年新選組に捕えられました。これが池田屋騒動の契機となったことも有名です。この石碑はその古高俊太郎邸跡です。
少々わかり難いところにありますが木屋町散策時にはよってください。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年10月18日
総合評価:3.5
木屋町通りの北の起点である木屋町通二条から南へ木屋町通りを散策しています。
当時ここ木屋町通りを流れる高瀬川の西側には全国から集まる諸藩邸が存在していて現在はその石碑として残されています。
この「彦根藩邸跡」もそのひとつで彦根藩と言えば「桜田門外の変」の井伊直弼が有名です。この藩邸は彦根藩との京都での連絡事務所であったようです。
石碑の場所は木屋町通大黒町にありますが注意が必要です。北の「加賀藩邸跡」や南の「土佐藩邸跡」の石碑は木屋町通りから見えるところにありますが、この「彦根藩邸跡」の石碑は見えません。西側を流れる高瀬川に架かる六角通の橋を渡り「居酒屋おかめ」の前に建っています。見逃さない様にしてください。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5



























