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wiz さんのクチコミ(11ページ)全448件

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  • 童心♪に戻れるような楽しい人形飾りにも歴史あり 世界最古伝統のクリスマスマーケット

    投稿日 2013年08月26日

    アルトマルクト広場 ドレスデン

    総合評価:5.0

    ドイツ・ドレスデンのアルトマルクト広場で毎年アドヴェント期間に開催される世界最古伝統のクリスマスマーケット(シュトリーツェルマルクト Striezelmarkt)は、マーケットの屋台の屋根飾りがとても凝っていて楽しいマーケットでした。

    ドレスデンで開催される他のクリスマスマーケットでも感じましたが、大人も童心に戻れるようなあたたかい雰囲気がありました。 

    でも、この楽しい人形飾りにもなかなか深い歴史があるみたいです。

    帰国後、クリスマスの文化史」という本を読んで詳細を知ったのですが勉強になりました。 下記に参考になりそうな部分を記しておいたので、興味があれば読んでみてください。

    私は、フラウエン教会周辺のクリスマスマーケット(Traditioneller Weihnachtsmarkt an der Frauenkirche)が気に入りました。

    *************************************

    ★Striezelmarkt
    http://www.dresdenchristmas.de/htmln/striezelmarkt-dresden.html
    ★Traditioneller Weihnachtsmarkt an der Frauenkirche
    http://www.dresdenchristmas.de/htmln/weihnachtsmarkt-frauenkirche.html
    ★Romantischer Weihnachtsmarkt am Dresdner Schloss
    http://www.dresdenchristmas.de/htmln/weihnachtsmarkt-schloss.html
    ★Weihnachtsmarkt auf der Prager Strasse
    http://www.dresdenchristmas.de/htmln/weihnachtsmarkt-pragerstr.html

    *************************************

    † クリスマス−Weihnachten−豆知識 †

    ≪旧東独のクリスマス≫
    ソ連や旧社会主義諸国では、宗教を麻薬と同列に扱い、否定していた。 しかし、政府から冷たくあしらわれてはいたが、教会や信者は数こそ少ないものの存在し、牧師は刑務所で受刑者の告白を聞くなどの役目を負っていた。 またドレスデンの聖十字架教会合唱団や、ライプチヒの聖トーマス教会合唱団は、西側諸国も訪れるコンサートツアーを行っていた。 1989年、民主化を求める市民の支えとなったのも教会と牧師であった。 しかし一般国民にとって、信者であることを周囲に表明し、教会に通うことは好奇のまなざしの対象となり、かなりつらいことであったという。 旧東独時代、政府は、宗教色を極力排除するためにクリスマスを「光の祭典」、天使は「モーターで動く羽のついた人形」といった具合に言葉の置き換えを行った。 また、クリスマス市で中央に設置される生誕シーンも、ホレおばさんや白雪姫などグリム童話のシーンに置き換えられ、聖歌隊の合唱の代わりに、子供向けのショーを行った。 ドレスデンやライプチヒなどの旧東独地域のクリスマス市で、今もグリム童話の人形が飾られているのは、このような背景からである。 P144

    ★クリスマス市を標準ドイツ語ではヴァイナハツマルクトというが、南ドイツやオーストリアではクリストキントレ(ス)マルクト(幼児キリスト市)という。 クリスマス市で有名なニュルンベルクでも、またミュンヘンでも、「クリストキントレ(ス)マルクト」あるいは「クリッペルマルクト」(生誕シーン市)と呼ばれている。 なおドレスデンのクリスマス市はシュトリーツェルマルクトと呼ばれる。(シュトリーツェル=シュトレン=ドレスデン地方のクリスマス菓子のこと。) P130

    ★クリスマスピラミッドはツリーが一般化するまでは重要なクリスマスの装飾品であった。 P142

    ★エルツ山地地方のならわし・・・男の子のいる家は鉱夫の人形を、女の子のいる家は天使の人形を窓辺に飾る。 P142

    ★シュトレン・・・古くはシュトリーツェルと呼ばれていた。 パンの形は、おくるみに包まれた赤ん坊、すなわち幼児キリストを意味し、クリスマスのごちそうを並べたテーブルの下にワラを敷き、その上にこのパンを置いた。食事がすむと、生まれたばかりの幼児キリストがワラの上で寝ていたことをしのんで、この晩は一家でこのワラの上で寝た。 ドレスデンのシュトリーツェルはこれを模して作られ、形はゆりかごを意味しているという。 ドレスデンのクリスマス市がシュトリーツェルマルクトと呼ばれているのは、シュトレンが古くはシュトリーツェルと呼ばれていた名残である。 15世紀にはドレスデンのシュトリーツェルマルクトですでにシュトリーツェルが売られていた。 P181

    ★なお「ドレスデナー・シュトレン」の名称は、小麦粉100キロに対し、少なくとも70キロのドライフルーツ、少なくとも10キロのアーモンドあるいはすりつぶしたアーモンドを入れるなど、一定の基準を満たし、検査に合格した店で作られたものだけに許される。 P182

    ※「クリスマスの文化史」若林ひとみ著/白水社より

    *************************************

    旅行時期
    2007年12月

  • 常設3EURでゆったり鑑賞・・・ルーアン美術館 MUSEE DES BEAUX-ARTS ROUEN

    投稿日 2009年03月19日

    ルーアン美術館 ルーアン

    総合評価:5.0

    某ガイドブックに書いてあるとおり、
    作品数も豊富で、見ごたえがあります。

    15~16世紀西洋絵画、 
    17~18世紀伊仏西絵画、
    19世紀とルーアン派
    肖像画、近現代美術 等々・・・
    館内は、時代別に作品が展示されていて
    思ったよりも美術館の広さもありました。
    また、家具や調度品、工芸品、ステンドグラス、
    デッサン、フランドルのタピスリー等の展示もありました。

    アングル、ドラクロワ、カラヴァッジョ、ベラスケス他
    ルーアン大聖堂を描いたクロード・モネや
    シスレーなどの印象派絵画の部屋もゆったり鑑賞でき、
    ルーアンから生まれたルーアン派の部屋など
    地元ならではの展示部屋もありました。

    入館料は3EURで、パリなどに比べかなりゆったり見学できるので、
    時間に余裕があれば寄ってみるのも良いと思います♪

    ★MUSEE DES BEAUX-ARTS ROUEN
    住所:Esplanade Marcel-Duchamp 76000 Rouen
    開館時間:10:00~18:00
    休館日:火曜、祝日
    入館料:3EUR、18歳以下無料
    http://www.rouen-musees.com
    http://www.museesdefrance.org/museum/serialize/backnumber/0705/museum.html(Musees de France)

    写真左上:美術館正面
       左下:彫刻の間
       右上:印象派の部屋(正面奥がモネ/ルーアン大聖堂)
       右下:モネ/1878年6月30日祝日のサン・ドニ通り


    ※またフランス政府観光局情報によりますと、
     2010年には、大々的な印象派展が開催されるそうです。
     開催期間:2010年6月4日~9月26日
     会場:ルーアン美術館

    旅行時期
    2008年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • 印象派画家シスレーが四季折々に描いた教会 Eglise de Moret-sur-Loing

    投稿日 2013年08月08日

    ノートルダム教会 (モレ シュル ロワン) モレ=シュル=ロワン

    総合評価:5.0

    モレ・シュル・ロワン Moret-sur-Loing は、  
    パリの南方角フォンテーヌブローの森のはずれ、
    セーヌ川に流れ込むロワン川のほとりにあります。

    中世に遡る街を取り囲む橋と城塞の建造物等が残り、
    また、印象派の画家シスレーが暮らし描いた土地。

    彼の ” 終の住処 ” となった邸宅は、
    今もモレのモンマルトル通りにあります。   

    このシスレー邸のすぐ近くに彼が四季折々に何度も描いた
    ” モレの教会 ”=ノートルダム教会 があります。

    パリ・リヨン駅 Paris Gare de Lyon から  
    モレ・ヴニュ・レ・サブロン駅 Gare de Moret Veneux-les Sablons
    までは、SNCF近郊線で約50分。 (ZONE5)
    http://www.transilien.com/
    http://www.ratp.fr/plan-interactif/

    モレ・シュル・ロワンは、パリから気軽にアクセスでき
    アルフレッド・シスレーの絵の世界を堪能できる場所です!

    セーヌ・エ・マルヌの観光オフィシャル・サイト(日本語)
    http://www.jp.tourisme77.com/heritage-culture-france/sites-of-interest/moret/moret-sur-loing.htm

    Office de Tourisme de Moret Seine et Loing
    http://www.msl-tourisme.fr/

    旅行時期
    2008年12月

  • Mデュラスも常連だったブラッスリー ” Brasserie Le Central ”

    投稿日 2013年08月07日

    ホテル ル サントラル トルヴィル=シュル=メール

    総合評価:4.0

    赤い庇のテラス席が印象的な
    『ブラッスリー・ル・サントラル Brasserie Le Central』

    ホテル・ル・サントラルに併設のブラッスリーです。

    トゥルーヴィル・ドーヴィル駅から浜辺に向かって歩いて行く際、
    フェルナン・ムロー河岸大通りを歩いていれば必ず目につく明るいお店。

    トゥルーヴィルの有名な魚市場 Marche aux poissons の向かいにあります。

    トゥルーヴィルに滞在していたマルグリット・デュラスも
    このブラッスリーの常連客だったとか(店内のソファ席)!

    私が訪問した時期、フランスでは牡蠣のシーズン真っ最中
    だったけれど、ムール貝にしておきました^ ^; 

    冬の時期でしたが、ストーブのあるテラス席が大人気で
    私もテラス席で頂きましたが、とても心地良かったです。

    でも、オンシーズンの夏は混んでいるのかも・・?

    Brasserie Le Central
    158, boulevard Fernand-Moureaux, 14360 Trouville-sur-Mer, France
    http://www.le-central-trouville.com/

    旅行時期
    2008年12月

  • ブーダンの描いた風景を見たくて・・ トゥルーヴィル・シュル・メール!

    投稿日 2013年08月06日

    観光局 (トルヴィル シュル メール) トルヴィル=シュル=メール

    総合評価:5.0

    パリから最も行きやすい浜辺としても有名な        
    ノルマンディー地方のドーヴィルとトゥルーヴィル。

    ” SNCFドーヴィル・トゥルーヴィル駅 ”を背にして
    右がドーヴィル、左のトゥケ川を渡るとトゥルーヴィル。

    ドーヴィルは映画『男と女』でも有名な浜辺。(ダバダバダ♪)

    ちょっとハイソな雰囲気漂うドーヴィルに対し、
    もっと親しみやすさを感じるのがトゥルーヴィル。

    ポスター画家レイモン・サヴィニャックのかわいらしい絵が
    町のあちこちに発見できるのも楽しいのがトゥルーヴィル。

    私は(上野の西美にもある)画家ウジェーヌ・ブーダン 
    が描いた トゥルーヴィルの浜辺 を一度見たくて訪問しました!

    (パリのオルセー美術館でもブーダンのトゥルーヴィル、
     クロード・モネが描いたトゥルーヴィルが見られます。)

    駅からトゥルーヴィルの浜辺へ向かう際に必ず通る
    フェルナン・ムロー河岸通り Quai Fernand-Moureaux に、
    ” 観光局 Office de Tourisme de Trouville-sur-Mer ”
    がありますので、ここに寄ると詳しい町の地図が貰えて便利です。

    サヴィニャックの青が印象的な『夜の綱渡り』の絵が見えたら、
    その手前が ” 観光局 ” なので、この絵が目印です!

    Office de Tourisme de Trouville-sur-Mer
    32, Quai Fernand-Moureaux, Trouville-sur-Mer
    http://www.trouvillesurmer.org/


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    1825年、風景画家のシャルル・モザンが
    トゥルーヴィルに魅了されました。

    彼はその絵をパリのサロンに展示し、

    モネ、コロー、ブーダンなどの画家たちや、
    プルースト、デュマ、フロベールなどの
    作家たちの好奇心を呼び起こし、

    今度は彼らがインスピレーションを
    求めてここにやって来ました。

    (Office de Tourisme de Trouville-sur-Mer)

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    旅行時期
    2008年12月

  • ヴェルサイユ宮殿に セーヌ川の水 を送った ”水道橋” Aqueduc de Louveciennes

    投稿日 2013年07月30日

    ルーヴシエンヌ水道橋 ルーブシエンヌ

    総合評価:4.0

    印象派の画家アルフレッド・シスレーが描いた
    セーヌ川沿いの汲水ポンプ場(マルリのマシン跡)から、
    この ”ルーヴシエンヌ水道橋 ”を伝って、 
    ルーヴシエンヌの貯水池に水を送っていたそうです。 

    そして、この水は、ヴェルサイユ宮殿や 
    マルリの宮殿の水をも 一切 まかなっていたそうです。

    車であれば、ヴェルサイユ ~ サン・ジェルマン・アンレーを繋ぐ
    ヴェルサイユ通り Route de Versailles (N186) からも見えます。

    私は、マルリー公園の方から
    「水道橋の道 Chemin de l’Aqueduc」を歩いていたら
    通りの向こうに水道橋の雄姿が見え、
    けっこう しっかり と残っていたので驚きました!

    Chemin de l’Aqueduc , Louveciennes の辺りを
    Google Maps の航空写真で見ても ”水道橋 ” が確認できます。

    位置的には・・
    ヴェルサイユ宮殿 の北側に マルリー公園 があり、
    その北東側辺りに ルーヴシエンヌ があり、
    ルーヴシエンヌ の谷の下に セーヌ川 があります。

    ◆ マルリー宮殿やマルリー公園について
     (ヴェルサイユ宮殿HP:日本語)
    http://jp.chateauversailles.fr/jp/prepare-my-visit-/le-domaine-de-marly-en/visiter-le-domaine-de-marly-en

    ◆ ルーヴシエンヌ水道橋について
     (Aqueduc de Louveciennes @ wikipedia)
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Aqueduc_de_Louveciennes

    ◆マルリーの機械について
     (Machine de Marly @ wikipedia)
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Machine_de_Marly
     セーヌ川左岸、パリから少し下流の地点に、
     直径11.69mの水車14輪と200のポンプ群からなる装置で
     水を汲み上げ(=マルリーの機械 Machine de Marly)
     高さ154mのマルリーの丘まで運び、そこから8kmの
     ”水道橋 ” によってマルリー城やヴェルサイユ宮殿
     まで水を引いていた。(wikipedia )

    ◆ 印象派絵画の案内板が豊富な散策ルートについて
     (マルリー・ル・ロワ観光局HP)
    http://www.pays-des-impressionnistes.fr/

    ◆ 私の場合、シスレーやピサロの印象派絵画の風景を体感したく
       マルリー・ル・ロワ ~ ルーヴシエンヌ ~ 
        ブージヴァル ~ ポール・マルリー と歩いたのですが
      そのルートを Google Maps にて纏めたので良かったらコチラで。
    http://goo.gl/maps/QG1oF

    * 最後に3枚掲載した写真はオルセー美術館にありますが、
      これらの絵の舞台は全てこの周辺にあります。
      絵が描かれた場所に絵の案内板があります。

    旅行時期
    2008年12月

  • 現ルーヴル美術館にある 《マルリーの馬 Cheval de Marly》 は

    投稿日 2013年07月31日

    マルリー公園 イルドフランス地方

    総合評価:4.0

    ルーヴル美術館のリシュリュー翼 には 
    ”マルリーの中庭 la cour Marly ”
    というたくさんの彫刻がある明るい展示室がありますが・・

    この彫刻展示の中でも有名なのが《マルリーの馬 Cheval de Marly》
    Cheval de Marly, Guillaume Coustou, 1745 ですが、

    この《マルリーの馬》はマルリー城の庭園のために制作されたもの。

    この マルリー城の庭園 とは、
    (現マルリー・ル・ロワにある)”マルリー公園” にあたります。

    広大な ”マルリー公園 Parc de Marly ”は、
    パリ・サン・ラザール駅から近郊線で約30分の
    マルリー・ル・ロワ駅から徒歩約15分。

    マルリー公園の南東7kmにヴェルサイユ宮殿があり、
    (マルリー公園にあった)マルリー離宮(マルリー城 Le chateau de Marly)
    は、ルイ14世が作らせたヴェルサイユに次ぐ傑作だったそうです。

    この周辺は、印象派画家が住んだ地でもあり、
    観光局などでもおすすめコースを紹介していたり、
    絵画が描かれた場所に絵の案内板があったりするので、
    現在の風景と見比べてながら散策するのも楽しかったです。

    ---------------------------

    ◆ルーヴル美術館HP ”マルリーの中庭” より

    この中庭には、マルリー城の庭園のために制作された大型彫刻が収められている。作品の大半は、国王ルイ14世が治世の末期に注文したものである。しかし、ここで観る者を圧倒するのは、ルイ15世の時代に制作された《マルリーの馬》である。

    http://www.louvre.fr/jp/rooms/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%80%80%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%BA%AD

    ◆ヴェルサイユ宮殿HP ”マルリー離宮の見学” より

    マルリー城は、ルイ14世が家族とともに楽しいひとときを過ごす場所として、1679年からジュール・アルドゥアン=マンサールの設計によって建造されました。当時この離宮は、中心となる城と、それを取り囲む12棟の館で構成されていました。国王はマルリーの庭園に情熱を注ぎ、実際、起伏のある地形によって景観に様々な遠近効果が生み出され、また「マルリーの機械」によって、泉水にはヴェルサイユでは不可能なほどの大量の水が供給されていました。マルリー城とその庭園は当時の傑作とされていましたが、18世紀になると徐々に取り壊されてゆき、今日見ることができるのはパークのごく一部と館の土台部分のみです。

    http://jp.chateauversailles.fr/jp/prepare-my-visit-/le-domaine-de-marly-en/visiter-le-domaine-de-marly-en/visiter-le-domaine-de-mar/acces-et-horaires-1-en

    ◆ウィキペディア ”マルリー=ル=ロワ” より

    ジュール・アルドゥアン=マンサールがマルリー城を建てた1676年にルイ14世がマルリーを買い上げるまで、モンモランシー家が代々マルリーの領主だった。ヴェルサイユ宮殿よりも親しみが感じられ、個人的な楽しみを追求できる場所がマルリー城であった。城はクール=ヴォラン高原に位置しており、水はマルリーの機械やルーヴシエンヌ水道橋、北の池から供給されていた。池には、ルイ15世によって、ギヨーム・クストゥーの彫刻作品である『マルリーの馬』が対で飾られていた。

    1789年、城は革命家によって略奪され、荒らされた。1794年、王制を否定する革命政府はまちの名をマルリー=ラ=マシーヌ(Marly-la-Machine)に改名させた(実際のマルリーの機械はブージヴァルにあった)。『マルリーの馬』は盗まれてパリのコンコルド広場に設置された。その後1795年にシャンゼリゼ通りの入口に置かれた。今日の『マルリーの馬』は、ルーヴル美術館のリシュリュー翼に置かれ、風雨から守られている。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%83%AF

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    (注)4travelさんの施設登録依頼をしたところ、
       この公園は、マルリー・ル・ロワにあるのですが、
       4travelのエリア分類ではブージバルに入るとの回答でした。

    旅行時期
    2008年12月

  • ルイ15世の公妾 デュ・バリー夫人の館 Le chateau de Madame du Barry

    投稿日 2013年07月31日

    マダム デュ バリー城 ルーブシエンヌ

    総合評価:3.5

    貴族達のサロンあり、文学サロンあり、印象派画家が住んだ
    パリ近郊の町、 ルーヴシエンヌ Louveciennes。

    ルイ15世の公妾デュ・バリー夫人の館は、
    ルーヴシエンヌのマシーン通り(Rue de la Machine)にあります。

    シスレーが描いた絵画もこの館の建物の一部。 

    音楽の館は、限られた日のみは入れるみたいです。


    ところで、デュ・バリー夫人の館のすぐ近くに、

    ” 34人の子供等が1944年7月2ゲシュタポによって強制送還された ”
    というような意味の記念碑(説明版)がありました。

    1880年、この地にジュール・ビール(Jules Beer)が
    農業孤児院を設立し、第二次世界大戦中には、
    ユダヤ人の子供たちのための避難所も務めたそうです。

    ドランシー収容所(Camp de Drancy)の頭部
    アロイス・ブルンナー(Alois Brunner)の下、
    ゲシュタポはパリや近郊のルーヴシエンヌも含めた地域の
    全ての難民の子供たちを逮捕。

    34人の子供と彼らの指導員5人(moniteurs)も、
    1944年7月22日、ドランシー収容所に運ばれた後、
    1944年7月31日にアウシュビッツに強制送還、3人だけ生存者があった・・。

    仏ルーアンにサン・マクルー教会という教会があって
    そこにサン・マクルー中庭というところがありますが、そこは、
    疫病による死者を埋葬した中世の共同墓地だったそうなのですが、
    この中庭に入った時、物凄い冷気のようなものを感じました。

    ルーヴシエンヌの、この悲しい歴史の記念碑(説明版)
    のある場所でも、ひっそりととても物悲しい感覚になりました。

    悲しい歴史のある場所というのは、
    悲しみの魂が生きているのでしょうね。


    デュ・バリー夫人の館は外からしか見ることができなかったので、
    こちらの悲しみの碑の方が心に残ってしまいました。


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    ルイ15世の公妾 デュ・バリー夫人
    (Madame du Barry 1743-1793 : 本名 マリ=ジャンヌ・ベキュー)

    ポンパドゥール夫人を亡くしていたルイ15世は、ジャンヌの虜になって彼女を公妾にすることに決める。デュ・バリー子爵の弟と結婚してデュ・バリー夫人と名を変えたマリ・ジャンヌは、型どおりの手続きを終えて、正式にルイ15世の公妾になり、社交界にデビューした。

    フランス宮廷に入ったデュ・バリー夫人は、その頃オーストリアからフランス王太子ルイ=オーギュスト(後のルイ16世)に嫁いでいたマリー・アントワネットと対立した。マリー・アントワネットは、娼婦や愛妾が嫌いな母マリア・テレジアの影響を受け、デュ・バリー夫人の出自の悪さや存在を徹底的に憎んでいたのである。

    1774年の4月27日、ルイ15世が天然痘に倒れると、デュ・バリー夫人はその看病に努めていたが、5月9日にポン・トー・ダム修道院に入るよう命令が出され、危篤に陥ったルイ15世から遠ざけられた。彼女は追放同然に宮廷から出され、不遇な一時期を過ごしたが、宰相ド・モールパ伯爵やモープー大法官などの人脈を使って、パリ郊外のルーヴシエンヌに起居し、優雅に過ごすようになった。その後、デュ・バリー夫人はド・ブリサック元帥・シャボ伯爵、イギリス貴族のシーマー伯爵達の愛人になった。

    1789年にフランス革命が勃発し、愛人だったパリ軍の司令官ド・ブリサック元帥が虐殺された後、1791年の1月にイギリスに逃れ、亡命貴族たちの援助をおこなった。1793年3月に帰国したところを革命派に捕らえられ、12月7日にギロチン台に送られた。

    (wikipediaより)

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    旅行時期
    2008年12月

  • ” 印象派の道 Chemin des Impressionnistes ” を歩くのは楽しい!

    投稿日 2013年08月05日

    印象派の道 ル・ポール=マルリー

    総合評価:5.0

    イル・ド・フランス西部地域に位置する           
     ■ル・ポール・マルリー Le Port-Marly
     ■マルリー・ル・ロワ Marly-le-Roi
     ■ルーヴシエンヌ Louveciennes
     ■ブージヴァル Bougival
     ■クロワジ―・シュル・セーヌ Croissy-sur-Seine
     ■シャトゥー Chatou  
    は、印象派の画家達が住み描いたことで有名なエリア。

    そんなわけで、地元の観光局でも
    ” 印象派の道 Chemin des Impressionnistes ”
    ” 印象派の故郷 Le Pays des Impressionnistes ”
    などと題してアピールされています。

    シスレー/ピサロ/モネ/ルノワール等が描いた場所に
    それぞれ 《絵画の案内板》 が立てられており、
    これをみつけながら歩くのがなかなか楽しい!のです。
    当時の雰囲気を今も感じられる地点ではさらに嬉しかったり・・

    私は、シスレーやピサロの描いた風景に逢いたくて
    マルリー・ル・ロワ駅~ルーヴシエンヌ~ブージヴァル
     ~ポール・マルリー ☆ という順で巡ってみました。
    (参考: 地図1・地図2)

    (ポール・マルリーからは、RATPバス258に乗り、
     サン・ジェルマン・アン・レーへ、散策後、RERでパリへ。)

    私が歩いた当時、この区間 ☆ には
    15個の印象派絵画の案内板が紹介されていました。

    特に、オルセー美術館所蔵の
    ピサロ 1872 「ヴォワザン村の入口」
    シスレー 1873 「マシンの道、ルーヴシエンヌ」
    シスレー 1876 「ポール・マルリーの洪水」
    などの地点では、
    絵が描かれた当時の雰囲気がよく残っている感じがしました!

    行ってみると分かるのですが、
    特にシスレーが住んだマルリー・ル・ロワやルーヴシエンヌは
    地形に特徴があり、セーヌ川からグイッと谷を登った上に
    ルーヴシエンヌの町が広がり、さらに少しづつ坂を上り、
    マルリー・ル・ロワのマルリー公園やマルリーの森に繋がる感じ。

    かつてのマルリー宮殿がこの地にあったのが理解できる気がします。
    ルイ14世が、ヴェルサイユ宮殿よりも親しみが感じられ、
    個人的な楽しみを追求できる場所が、マルリー城だったそうです。
    (現在、ヴェルサイユ宮殿のすぐ北にマルリー公園が位置します。)

    かつては、ブージヴァルのセーヌ川沿いの「マルリーの機械」
    から「ルーヴシエンヌ水道橋」でマルリー宮やヴェルサイユ宮
    に水を送っていたくらいですから、起伏のある土地なのです。

    というわけで、もしこの辺りを歩く際の ◎注意◎ をするならば・・
    ルーヴシエンヌからセーヌに下るルートはまだ良い?ですが
    (それでも雨の後など濡れる急坂道を下るのは滑りやすい!)
    ここの急坂道を逆に上るルートはかなりキツイかと思います。

    ともかく、印象派絵画、宮廷文化、文学などなど・・
    様々な意味で、興味ある方には面白いエリアだと思います!


    ◆添付写真 地図1: イル・ド・フランス西部界隈

     A サン・ジェルマン・アン・レー(城)
     B ル・ポール・マルリー(印象派、モンテクリスト城)
     C マルリー・ル・ロワ(印象派)
     D ルーヴシエンヌ(印象派)
     E ブージヴァル(印象派)
     F クロワジ―・シュル・セーヌ(印象派)
     G シャトゥー(印象派)
     H リュエイユ・マルメゾン(マルメゾン城)
     I ヴェルサイユ(宮殿)

    ◆添付写真 地図2: お散歩MAP @Google Maps!
     http://goo.gl/maps/Y1iEs

    ◆4travel関連クチコミ 
     ルーヴシエンヌ水道橋 http://bit.ly/14khBs8
     マダム・デュ・バリー城 http://bit.ly/1c20Wwd
     マルリー公園 http://bit.ly/184x8cM


    * Le Port-Marly の Rue Jean Jaures と Rue de Paris の
      角の建物が、シスレー「ポール・マルリーの洪水」の場所です。

    旅行時期
    2008年12月
    アクセス:
    4.0
    公共交通機関: エリア内に SNCF/BUS/RER あり

  • たゆたえど沈まず・・ パリ発祥の地、シテ島 Ile de la Cite, Paris

    投稿日 2011年04月05日

    シテ島 パリ

    総合評価:5.0

    ●【 た ゆ た え ど 沈 ま ず Fluctuat nec mergitur
      (Il tangue mais ne coule pas) フルクトゥアト・ネク・メルギトゥル】 
     という、パリの紋章(写真上) に添えられた銘句は、
     パリ発祥の地であるシテ島を船になぞらえたものなのだそう。

     たしかに。 古地図(写真下) で見ても、シテ島は    
     ほんとうに、セーヌの流れに浮かぶ船のようにも見えます!

     (事実・・ 5世紀には島のまわりに最初の城壁がめぐらされ、
      シテ島はセーヌに浮かぶ巨大な軍艦のようになった歴史もある。)

    ●そして、このシテ島にかかる(”新しい橋” という名ながら)
      パリ現存の最古の石橋は、映画や絵画でも有名な ポン・ヌフ。

      完成から400年以上経っているが健在なのだが・・ 

      フランス語で
      【 ポン・ヌフのように Se porter comme le Pont-Neuf 】と言えば、
       ” 老いてますます盛ん (長持ちで頑丈) ” という意味だそう!!

    ●さらに、このポン・ヌフの中央に立つのが、アンリ4世の騎馬像。
      (ポン・ヌフはこの王の英断で1604年にかけられた。)

      ブルボン王朝の創始者アンリ4世は、
      女好きのプレーボーイとして有名・・ 、なので、この騎馬像の下、
      ヴェール・ギャラン(女たらし)公園という名の公園があるのだとか!!!

         ・
         ・
         ・

      シテ島歴史散歩、まだまだ話が尽きないよう・・^^

    -------------------------------------------------------
    ●シテ島(wikipedia) http://bit.ly/dTWVr4
    ●空から見たシテ島(Google Maps) http://bit.ly/dGeGaw
    ●ポン・ヌフ(wikipedia) http://bit.ly/gYUVbv
    ●アンリ4世(wikipedia) http://bit.ly/h8Z9mH
    -------------------------------------------------------

    旅行時期
    2008年12月

  • ラマルク・コーランクール駅からのアクセスも良し◎ La Butte Montmartre, Paris

    投稿日 2011年04月03日

    サクレクール寺院 パリ

    総合評価:4.5

    モンマルトル再訪なら、モンマルトルの丘の北側、
    地下鉄(メトロ)12号線アベス駅の1つ北側、
    ラマルク・コーランクール駅から 
    サクレ・クール寺院/テルトル広場方面へアクセスするのも良し♪

    モンマルトルやパリで撮影されたことで有名な
    映画 『 アメリ 』 でも、ラマルク・コーランクール駅が出ています。

    右上の写真の階段の中がラマルク・コーランクール駅で、
    この階段を上がると、モンマルトルの丘方面となります。

    ソール通り(写真右下)を上れば、
    すぐ左手に 『 ラパン・アジル 』 が見えてきます。

    ※また、ラマルク・コーランクール駅の1つ北側
      ジュール・ジョフラン駅前には18区役所や、
      ユトリロが描いた教会があり下町の雰囲気が漂う界隈。
      丘の上のサクレ・クール寺院を 反対側 から
      (エルメル通り辺りから)見上げる感じも
      また違った(地元民的な)気分でおもしろいですよ♪

    旅行時期
    2008年12月

  • 長い信仰の歴史をもつサン・ピエール教会(モンマルトル) Eglise Saint-Pierre de Montmartre

    投稿日 2011年02月14日

    サン ピエール教会 パリ

    総合評価:4.0

    パリ・モンマルトル。

    今では、サクレ・クール寺院の隣で静かに建つ サン・ピエール教会 は、
    左岸のサン=ジェルマン=デ=プレ教会に継ぐ
    パリ地域でも最も古い教会のひとつとして威厳を保っていた教会。

    付近のテルトル広場やサクレ・クール寺院前の喧騒とはうってかわって
    びっくりするくらい、とても落ち着いた空間が広がる教会です。

    この空気感は、長い信仰の歴史をもつからこそなのでしょうね。


    モンマルトル散歩の参考に・・。 


    ------------------------------------------------------------

    【 聖ドニの殉教の地とされる丘の斜面には、長い間殉教者記念堂(マルティリウム)が建てられていたのであったが、1133年、この丘の所有者であったフランス王ルイ6世は、殉教者記念堂の上に教区教会を建立しサン=ピエール・ド・モンマルトルとした。 丘の中心テルトル広場の奥に現在では肩身のせまいといったたたずまいで姿を見せているこの教会は実は、フランスで最も古く重要な教会だったのである。 パリのノートル=ダム大聖堂が建立され始めるのがようやく1160年になってからであったのだから。 】

    【 ところで、古くからの信仰の中心であったサン=ピエール教会が、次第に歓楽の巷と化してゆくテルトル広場の片隅に埋れるがごとくになりつつあった1910年頃、この古い教会の真裏に、巨大な白亜の建物が完成した。 サクレ.クール教会である。 これはもちろんキリスト教会には違いないが、普仏戦争で起こった数々の悲劇を償うために発願されたものであり、信仰からというよりも社会的な主張にそって建立された記念物だったのである。 人々は歓楽の地モンマルトルのシンボルとしてここを目指して丘にやって来るか、エッフェル塔を登るがごとく、ここから見おろすパリの景観を求めて、ここを訪れるのである。 サン=ピエール教会のごとく長い信仰の歴史に繋がり、敬虔な教区の信者を抱いている教会ではなかったのである。 】

    【 モンマルトルは、3世紀という古い時代に聖ドニが殉教した聖地というにとどまらず、中世紀にはパリから離れたひとつの僻地としてモンマルトル大修道院が築かれ、その広大な敷地内には左岸のサン=ジェルマン=デ=プレ教会に継ぐパリ地域でも最も古い教会のひとつとしてサン=ピエール教会が威厳を保っていた。 この教会は今でも、モンマルトルの中心ともいうべきテルトル広場の奥にある。 】

    ユトリロ UTRILLO 展 (1985年) 図録 より

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    写真右下は、ユトリロが描いた
    サン・ピエール教会(背後にサクレ・クール寺院) @オランジュリー美術館

    旅行時期
    2006年12月
    アクセス:
    4.0

  • 神秘的に浮かび上がる麗しき中世のタピスリー《貴婦人と一角獣》!15世紀ゴシックの邸宅!ガリア・ローマ時代の浴場! Musee National du Moyen Age, Paris

    投稿日 2011年04月03日

    クリュニー美術館 パリ

    総合評価:5.0

    ローマ支配下に入っていた3世紀に、
    パリはルテチアと呼ばれていた。    

    シテ島には古くからの住人ガリア人が、
    左岸の丘と斜面には、ローマ人たちが住んでおり
    共同浴場や劇場などローマ風の施設が造られた。・・ 

    一番セーヌ寄りの場所にあった 共同浴場 は、
    パリの船乗りの同業組合が建設したものだと推定されているそうで、
    (『 船頭たちの柱 』=パリ最古の彫刻が美術館内第12室に展示。)
    その浴場の遺構が見られるのが、クリュニー中世美術館。

    クリュニー中世美術館を囲むサンミッシェル通り(微温浴場)と
    ソムラール通り(温浴場)からは、ローマ時代の浴場の石組を
    眺めることができるので、美術館をぐるっと一回りするのがおすすめ♪
    (美術館入口は、ポール・パンルヴェ広場側。) 

    また、下記のようなサイトなどで
     (ここクリュニーを含む)ローマ時代のパリ 
    を探して(シテ島に次いで古い歴史をもつ)
    カルチェ・ラタン地区 を歩くのも楽しいかも。

    ◆Paris Roman City
     http://www.culture.gouv.fr/culture/arcnat/paris/en/
    ◆De Lutece a Paris, sur les traces de la cite gallo-romaine(video)
     http://dai.ly/eTOUrM


    そして・・・・・!!

    このカルチェ・ラタンに建つ中世美術の殿堂クリュニー中世美術館の至宝!が、
    聖獣と貴婦人 を描いた中世の麗しき6帳のタペスリー♪

    15世紀後半にリヨンのル・ヴィスト家の注文により、
    6帳からなる連作として織られたと伝えられていて、
    制作地は不明ですがブリュッセルともいわれているようです。

    はじめの5帳のタピスリー は、それぞれ、
    【視覚】【聴覚】【味覚】【嗅覚】【触覚】
    という ”人間の五感 ”を示す寓意が描かれていて・・
    そして、宝石箱を抱える乙女が立つ 6帳目 は、
    【 我が唯一の望みに 】 との言葉が記され、
    ”欲 望 ” を意味する とされています。

    現在、【 我が唯一の望みに(A mon seul desir) 】と題された
    この6帳目のタピスリーは、それが実際どんな意味を
    指しているのかは 解釈 が分かれるところなんだそうです。

    「我(私)」とは、描かれた女性のことであり、

    ●desirを「望み」と理解するなら、
     →女性は差し出された 宝石箱から 首飾り を取り上げている のであり、
      これから 五感 に身を任せていく という 展開の序 にあたる。
      [ ※ ”五感 ”のタピスリーに登場する女性たちは、みな、首飾りをつけている。
          http://www.musee-moyenage.fr/ang/pages/page_id18368_u1l2.htm ]

    ところが、現在主流の解釈では、
    ●desirを「自由意思」ととらえているのだそうで、
     →意志の力でコントロールするという意味で、女性は
      それまで着けていた 首飾り を外して、宝石箱 にしまっていると見る。
      もしそうならこのタピスリーは全体の 終結部 にあたる。

    のだそうです。

    6点の中でも最も美しいとされる 【 我が唯一の望みに 】 の解釈、
    実際、 美術館で目の前で見てみて、6帳目 の捉え方を
    自分なりに感じてみるのもおもしろいと思います♪

    私は、宝石箱にしまっている・・ の方と考えたいかなぁ^^

    -------------------------------------------------------

    ◆クリュニー中世美術館
      Musee national du Moyen Age - Thermes et hotel de Cluny
      住 所: 6, place Paul Painleve 75005 Paris
      休 館: 火曜休、1/1、5/1、12/25
      開 館: 上記を除く毎日 9:15~17:45 (Desk closes at 17:15)
      入館料: 7.5EUR
           (18~25歳 5.5EUR / 18歳未満 無料 / 毎月第一日曜日無料)
      URL: http://www.musee-moyenage.fr/
      館内図: http://www.musee-moyenage.fr/ang/pages/page_id17989_u1l2.htm

    美術館の至宝、6枚のタピスリー『一角獣と貴婦人』(第13室)
    ノートル・ダム・ド・パリ・ギャラリー『諸王のギャラリー』(第8室) の他、
    中世の装飾美術品の展示は・・
    ノートル・ダム寺院やサン・シャペルのものであった貴重な彫像類(第10・11室)、
    西ゴート族諸王の珍しい奉納王冠(第14室)、
    バーゼル大聖堂の金の祭壇前面装飾(第19室)、
    オーセール聖堂から集められた聖エティエンヌの一生を描いたタピスリー
    (第20室/フランボワイヤンゴシックのチャペル/礼拝堂) 等々。

    旅行時期
    2008年12月
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    5.0

  • 瞑 想 空 間♪ 自然光に輝くモネの睡蓮 Les Nympheas -Musee de l’Orangerie, Paris

    投稿日 2011年04月04日

    オランジュリー美術館 パリ

    総合評価:5.0

    モネの大作、8枚の睡蓮と、J.ヴァルテル/P.ギョームコレクション
    を楽しめる、パリ・オランジュリー美術館は、等身大の人間が
    鑑賞するのに、最も心地良いサイズの美術館かもしれません。

    そんなオランジュリー美術館の 『 睡蓮の間 』 は、
    モネの想いが感じられる・・ 瞑 想 空 間 ♪           

    地上階では モネによる 『 睡蓮の間 』、   
    地下階の 印象派、後期印象派、エコール・ド・パリ
    等々、馴染み深い芸術家の作品が楽しめます。  

    ・ ・ ・ 参考まで!! 

    モネの8枚の『 睡蓮の間 』(第1室/第2室)の
    簡単な配置図(見取図) plan を作ってみました♪

    ↓↓↓ 大きな見取図はコチラ(以下)からもどうぞ^^ ↓↓↓
         ◆◆◆ http://bit.ly/gEtoS5 ◆◆◆
    (Les Nympheas de Claude Monet - Musee de l’Orangerie - plan)

    -------------------------------------------------------

    第1室
    (1) 睡蓮−朝 Matin
    (2) 睡蓮−緑の反映 Reflets verts
    (3) 睡蓮−雲 Les Nuages
    (4) 睡蓮−日没 Soleil couchant
    第2室
    (5) 睡蓮−明るい朝、柳 Le Matin clair aux saules
    (6) 睡蓮−二本の柳 Les Deux saules
    (7) 睡蓮−朝、柳 Le Matin aux saules
    (8) 睡蓮−樹々の反映 Reflets d’ arbres

    -------------------------------------------------------

    オランジュリー美術館は、もともとはチュイルリー宮殿の
    オレンジ温室(オランジュリー)だった建物で、
    2001年1月に大改装がはじまり、2006年5月17日に再オープン。
    クロード・モネの最後の大連作、
    『 睡 蓮 』 を飾る陽光に満ちた空間を取り戻した。

    美術館としては20世紀初頭から開館し、
    現在はポール.ギョームのコレクションを中心に展示。
    ポール.ギョームは、画商・収集家で、印象派のパトロンでもあった。
    コレクションは、建築家・実業家のジャン・ヴァルテールによって引き継がれた。

    ※美術館内には、モディリアーニによる『ポール・ギョームの肖像』があり、
     作品の左下に 【ノーヴォ・ピロータ (新しい水先案内人) 】
     右上に 【ステラ・マリス (船人を導く星) 】 と書きこまれている。

    -------------------------------------------------------

    旅行時期
    2008年12月

  • 見学無料の第一日曜日は40分待ちで入館 - Musee d’Orsay [1848-1914]

    投稿日 2011年08月20日

    オルセー美術館 パリ

    総合評価:5.0

    パリの美術館は第一日曜日は見学無料の所が多いので、
    パリ滞在を第一日曜日に重なるように旅程を組みました。  

    結局、第一日曜日に見学したのは・・
     ◆ クリュニー中世美術館 [9:15-17:45] (朝一/待ち時間なし)
     ◆ オルセー美術館 [9:30-18:00] (正午前/約40分待ち)
     ◆ オランジュリー美術館 [9:00-18:00] (15時頃/約10分待ち)
     ◆ ルーヴル美術館 [9:00-18:00] (メトロ駅口から/待ち時間なし)
     ◆ 建築文化財博物館 [11:00-19:00] (待ち時間なし) 

     * この年のパリ訪問では1週間滞在していたので、
        ルーヴル、建築~ は、滞在中2度目の入館だったので後半のスケジュールに。
     * [ ] 内は、日曜日の開館時間。 各々夜間開館曜日もあり。

    クリュニー中世美術館見学後バスでオルセー美術館裏に到着したら、
    オルセー美術館の建物(セーヌ川沿い)の横まで列が並んでいたのですが、
    それでも!! 40分待ち位で 入れる もんなんだなぁーと思いました^^;

    初めての訪問でこの美術館を楽しみにしている場合は、
    第一日曜日であっても朝一に行くとか、他の曜日に
    ミュージアムパスを持って入るとかした方が良いと思います。
    (逆にパスを持っている場合は、第一日曜は避けた方が良いかも。)

    有名な印象派の絵画の他にも家具や工芸品等もあるので
    興味があれば、なかなか楽しいエリアですよ!
    (アレクサンドル・シャルパンティエ&アレクサンドル・ビゴによる
     「ベナール邸の食堂 1900-01年」辺りはとても優雅な空間です!) 

    ------------------------------------------------------------

    ~1847 → ルーヴル美術館
    1848~1914 → オルセー美術館
    1915~ → ポンピドゥーセンター

    ------------------------------------------------------------

     Musee d’Orsay (オルセー美術館:公式HP)
     http://www.musee-orsay.fr/

     Musee d’Orsay Interactive floor plan (同:フロアプラン)
     * ここで画家名などで検索すると、どの展示室で何が見れるのかが分かります。
      [ Millet、Moreau、Manet 、Courbet、Monet、Pissarro、Sisley、Renoir、
       Gogh、Gauguin、Cezanne、Degas、Hector Guimard、Emile Galle 等々 ]
     http://www.musee-orsay.fr/en/tools/plan-salle.html

    ------------------------------------------------------------

    ※2010年7月号の芸術新潮は「生まれ変わるオルセー美術館へ」
     でしたが、このリニューアル頃から写真撮影はできなくなったようですね。

    ※関連旅行記 は、ミュージアムパス(カルト・ミュゼ)を持って入った
      2006年のオルセー美術館訪問記にリンクしています。

    旅行時期
    2008年12月

  • モネファンなら「ラヴァクールの日没」(プチ・パレ美)と 「印象・日の出」(マルモッタン美)を比べてみては?

    投稿日 2011年02月13日

    プティ パレ (パリ市立美術館) パリ

    総合評価:4.5

    無料で入館できるのも嬉しいパリ市立プチ・ パレ美術館
    Petit Palais, Musee des Beaux-Arts de la Ville de Paris。

    1900年のパリ万博万国博覧会のために、向かいに建つ
    グラン・パレやアレクサンドル3世橋と同時期に建てられた建築物。

    建物の優美さ(外観、内部含め)も見どころで、
    玄関ホールの床のモザイクや内部にある螺旋階段なども美しいです。
    12月のノエル(クリスマス)のシーズンに訪問しましたが、
    ライトアップされたシャンゼリゼ通りのイルミネーションも見降ろせました。

    モネファンなら、パリ滞在中に、
    プチ・パレ所蔵の 【 ラヴァクールの 日没 】 と、
    マルモッタン美術館所蔵の 【 印象・ 日の出 】 を
    比べてみるのもおもしろいかなぁと思います! 


    写真右下が・・
    プチ・パレ所蔵
    クロード・モネ【 ラヴァクールの日没 】 ◆http://bit.ly/ee9nwF 
    Claude Monet, Soleil couchant sur la Seine a Lavacourt, effet d'hiver, 1880

    マルモッタン美術館所蔵
    クロード・モネ【 印象・日の出 】 ◆http://bit.ly/ifNnbV
    Claude Monet, Impression, soleil levant, 1872, Musee Marmottan a Paris


    ★Petit Palais, Musee des Beaux-Arts de la Ville de Paris
      Avenue Winston Churchill
      75008 Paris
      01 53 43 40 00
      開館: 火曜~日曜10:00~18:00 (木曜展覧会のみ~20:00)
      休館: 毎週月曜、祝日( http://bit.ly/dQlyBU )
      URL: http://www.petitpalais.paris.fr/

    旅行時期
    2008年12月
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ルッカ城壁上の遊歩道は気持ちいい~! La passeggiata delle mura, Lucca

    投稿日 2013年08月22日

    城壁 ルッカ

    総合評価:4.0

    ルッカ Luccaは、トスカ等で知られる
    19世紀の作曲家ジャコモ・プッチーニの生誕地。

    周囲4キロメートルあまりを”城壁”で囲まれた城塞都市。

    そして、この ”城壁”の上は
    遊歩道になっていてとても気持ちいい場所でした!

    ルッカへ行かれたら必ず通る場所だと思いますが、
    緑多き時期、黄葉の季節なんかは特に良いでしょうね。

    私は、テルメの町モンテカティーニから列車でルッカへ、
    ルッカ散策の後、ピサへ、その後フィレンツェに行きました。

    ホテルに置いてあったルッカの地図が
    城壁に囲まれている町 だということが良く分かるので
    (少々書きこみがありますが)写真で貼っておきます。


    ----------- ルッカの城壁 (以下、wikipediaより) -----------

    ルッカの周囲を楕円状に囲む城壁は幾度かの改修、拡張を経て現在の姿になったが、その起源はローマの植民都市となった紀元前2世紀まで遡る。 第二市壁と呼ばれる最初の拡張工事は12世紀末からはじまり1265年に終わり、14世紀末から15世紀初頭にさらに拡張された。 第二市壁の段階で後述のアンフィテアトロ広場やサン・フレディアーノ聖堂などの区画は壁内に取り込まれた。 第三市壁は1504-1645年、現在の城壁は第4世代で、19世紀に上面を緑化し遊歩道が整備された。 現在も一部が残る稜堡と砲郭は第三市壁の頃に整備されたという。

    城壁は高さは約12メートル、土台の幅は約30メートルで、東西南北にいくつか門があるが、中でも北、南および西にあるうち以下に挙げるの3つ門は彫像やフリーズで装飾されており、「記念碑的意味」を持つという。 3つの門の建設時期と方面を以下に挙げる。
    北面:サンタ・マリア門(Porta S.Maria) - 1593年
    南面:サン・ピエトロ門(Porta S.Pietro) - 1566年
    西面:サン・ドナート門(Porta S.Donato) - 1629年

    他には東面のエリザ門(Porta Elisa)、西面の別の箇所にヴィットーリオ・エマヌエーレ門(Porta Vittorio Emanuele)などがある。

    旅行時期
    2006年04月

  • ラ・ロシェル訪問の際は「塔」 に登ってみよう! Tour Saint-Nicolas, La Rochelle

    投稿日 2013年08月22日

    旧港/サン ニコラ塔、シェーヌ塔、ランテルヌ塔 ラ・ロシェル

    総合評価:5.0

    ラ・ロシェルには町の象徴ともいうべき
    3つの「 塔 les tours 」

    サン・ニコラ塔 Tour St-Nicolas
    シエヌ(鎖)塔 Tour de la Chaine
    ランテルヌ塔 Tour de la Lanterne

    があります。

    私は、その中でサン・ニコラ塔に登ってみました。

    ラ・ロシェルの町や港や大西洋なども見下ろせるので
    ご訪問の際、是非どれかひとつにでも登ってみて下さい!

    私が訪問した日は、ジェズフェスもあったのですが、
    その他に、この「塔」でもイベントが開催されていて

    サン・ニコラ塔とシエヌ塔が、
    ロープ?で繋がれていて、
    そのロープを子供たちがターザンのように渡る!?
    というイベントが開催されていて驚きました。
    (昔は大鎖でつなぎ・・
     港湾を封鎖したといわれていますが・・)

    その名も
    ”Tyrolienne entre les tours de La Rochelle ”
    (ラ・ロシェル 塔の間の 綱=ロープ渡り!?!)

    見ている分にはおもしろかったですが、
    中々スリリングなイベントだと思いました^ ^;

    以下、参考まで動画を撮ってきました。

    ◆塔からの眺めをグルリ撮影(動画)
     la Tour St Nicolas, La Rochelle
     http://youtu.be/kbDCPgXVEes
    ◆スリリングなイベント模様(動画)
     Tyrolienne entre les tours de La Rochelle
     http://youtu.be/rkZXFcPRsag

    旅行時期
    2012年10月

  • サン=マルタン=ド=レ(レ島)にお出掛けの際は是非登ってみて♪

    投稿日 2012年10月24日

    Le Clocher Observatoire/The bell tower ポアトゥーシャラント地方

    総合評価:5.0

    イル・ド・レ(レ島)で一番賑やかな町、   
    サン=マルタン=ド=レの「 町並み 」「 港 」「 海 」を一望できます♪ 

    カメラのレンズをズームアップすると、
    世界遺産に登録されている「 ヴォーバンの星型要塞 」や
    要塞近くには世界的にも珍しい「 ポワトゥーロバ 」も見られます(*^^*)

    サン=マルタン=ド=レ(レ島)にお出掛けの際は
    是非 ”鐘楼 Le Clocher Observatoire ”に登ってみて下さい〜!!!

    ※サン=マルタン=ド=レの港からは徒歩10分前後、 
      鐘楼の上まで登るのも10分あれば楽に登れると思います。

    1, rue du Palais, Saint-Martin-de-Re
    Tel. 05 46 09 58 25.
    http://www.saint-martin-de-re.net/office-de-tourisme/decouvrir.php?trouver=le-clocher,42

    上記リンクは、サン=マルタン=ド=レ観光局のHP内ですが、
    ( http://www.saint-martin-de-re.net/  オススメ♪ )
    HPのトップページで見られる星型要塞の航空写真もとても美しいです。

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    (以下、wikipediaより)

    ”ヴォーバンの防衛施設群 ”

    ”ヴォーバンの防衛施設群 ”は、2008年の第32回世界遺産委員会で登録が決定されたフランスの世界遺産の一つである。 築城の名手ヴォーバンが築いた稜堡式要塞など、要塞や都市の城壁を対象とするものであり、ブザンソンをはじめとするフランスの12箇所に残る物件がまとめて登録された。

    城塞群は保存状態の真正性の基準に関しても選別が行われた。 申請対象として選別されたものは、全てヴォーバンが生前に手がけたものか、彼の計画に基づいたものであり、後の時代に大きな改変が加えられておらず、ヴォーバンの思い描いた姿を偲ぶことができる物件である。 さらには、選ばれた物件の総体としての景観の質も重視された。選ばれた物件は、海岸線、平原、山地などめいめいの立地を通じて、ひときわ優れた多彩な景観美を見せてくれるのである。

    登録対象は以下の通りである。

    ◆アラス(パ=ド=カレー県)−シタデル(城塞)
    ◆ブザンソン(ドゥー県)−シタデル、市壁、グリフォン砦(fort Griffon)
    ◆ブライとキュサック=フォール=メドック(Cussac-Fort-Medoc)(ジロンド県)−ブライ城塞(Citadelle de Blaye)、市壁、パテ砦(fort Pate)、メドック砦(fort Medoc)
    ◆ブリアンソン(オート=アルプ県)−市壁、レ・サレット砦(fort des Salettes)、トロワ・テート砦(fort des Trois tetes)、ランドゥイエ砦(fort du Randouillet)、ouvrage de la communication Y1、アスフェルド橋(le pont d'Asfeld)
    ◆カマレ=シュル=メール(Camaret-sur-Mer, フィニステール県)−黄金の塔(tour doree)
    ◆ロンウィ(Longwy, ムルト=エ=モゼル県)−新市街(ville neuve)
    ◆モン=ドーファン(Mont-Dauphin, オート=アルプ県)−要塞(place forte)
    ◆モン=ルイ(Mont-Louis, ピレネー=オリアンタル県)−シタデル
    ◆ヌフ=ブリサック(Neuf-Brisach, オー=ラン県)−新市街
    ◇サン=マルタン=ド=レ(Saint-Martin-de-Re, シャラント=マリティーム県)−シタデルと城壁
    ◆サン=ヴァースト=ラ=ウーグ(Saint-Vaast-la-Hougue)/タチウ(Tatihou)(マンシュ県)−見張りの塔群(tours observatoires)
    ◆ヴィルフランシュ=ド=コンフラン(ピレネー=オリアンタル県)−城壁、リベリア砦(fort Liberia)、Cova Bastera

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    旅行時期
    2012年10月

  • イタリア文化週間中のウフィツィ美術館へ Galleria degli Uffizi @Settimana della Cultura

    投稿日 2013年08月16日

    ウフィツィ美術館 フィレンツェ

    総合評価:5.0

    春を呼ぶゼフェロスの西風に吹かれ
    ヘルメスが押さえてくれる雲の合間、
    女神 プリマヴェーラ に誘われ・・

    パスクア前 文化週間 只中の
    フィレンツェの町へ♪


    春とともに
    ヴィーナスとキューピッドが姿を現し、
    ゼピュロスは春を呼ぶ強風を吹き立て、
    フローラは色とりどりの花々と芳香を
    周囲にみちあふれさせる
    ~ 「事物の本性について」 ルクレティウス ~


    ウフィッツィ美術館の予約は、
    当時便利そうだったのでここでしました。
    http://www.weekendafirenze.com/

    滞在中ウフィツィ美術館に訪問するのが
    イタリア文化週間 Culture Week だったので
    並んで入れれば 無料 だったみたいです。
    (ただしかなり待ったらしいけれど・・)

    イースター(イタリアではパスクア)前で
    欧州からの旅行者もいるだろうし
    Culture Week と知っていたので、
    私は、予約しておきました^^

    ※(当時のメモより)
     4/3 ウフィツィ美術館予約
     4/4 1回目の返事が来る
     4/4 FAXで時間変更願いをする
     4/5 時間変更の最終確認コードが取れる
     4/7 日本出発
     現地に着いたら美術館の3番入口で
     プリントアウトした確認コードの紙をチケットと交換。
     1番入口に15分前までに行けばOK→入館鑑賞
     (※2番入口が当日券で並ぶところ)


    その他、
    イタリア文化週間 Settimana della Cultura について
    http://4travel.jp/overseas/area/europe/italy/firenze/tips/10028891/

    旅行時期
    2006年04月

wiz さん

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