wiz さんのクチコミ(14ページ)全446件
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投稿日 2012年12月18日
総合評価:4.0
東京タワー、レインボーブリッジ、フジテレビ、
パレットタウンの大観覧車、東京ゲートブリッジ、
(少しだけ東京スカイツリー)等が望めます。
天気が良ければ、展望台の窓から
”西方向を覗き込むと”富士山も望めます。
平日 15:00~21:00 土日祝 11:00~21:00 入場料 500円
http://www.tokyo-teleport.co.jp/- 旅行時期
- 2012年12月
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投稿日 2012年12月17日
総合評価:4.0
2012年12月14日、朝一で東京スカイツリーに登り、
さて、この後、どこに行こうかと考え・・
都営浅草線押上駅(スカイツリー最寄駅)から乗換なしでアクセスの良い泉岳寺へ。
今日は、12月14日。 そうです。 泉岳寺 義士祭の日。
11時の墓前供養にも間に合いました。 討入りそばも頂きました。 合掌。
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泉岳寺(せんがくじ)は、東京都港区高輪二丁目にある曹洞宗の寺院。 青松寺・総泉寺とともに江戸三箇寺の1つに数えられる。
慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田に門庵宗関を招いて創建。 寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名により、現在の高輪の地で再建された。
元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ、現在も多くの参拝客が訪れる。 また、毎年4月初旬と12月14日には義士祭が催される。 また境内に、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」がある。
史跡(国指定)
○浅野長矩墓および赤穂義士墓
元禄14年(1701年)3月14日、江戸城中で吉良義央(上野介)に対し刃傷沙汰に及び、即日切腹した赤穂藩主浅野長矩(内匠頭)の墓、及び、元禄15年(1702年)12月14日、江戸本所の吉良邸に押し入って義央を討ち、元禄16年(1703年)2月4日に切腹したいわゆる赤穂浪士(赤穂義士)の墓である。 赤穂浪士は一般に「四十七士」と称されるが、泉岳寺の赤穂義士墓地には討入り以前に自害した萱野三平重実の供養墓を含め48基の墓塔がある。
http://www.sengakuji.or.jp/- 旅行時期
- 2012年12月
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眺望案内版がほしいな・・東京スカイツリー (2012年12月)
投稿日 2012年12月17日
総合評価:4.0
2012年12月、朝一で(8:00)東京スカイツリーに登ってみました。
” 今立っている位置 ” の眺望の案内版、って展望台にはよくありますよね・・
東京スカイツリーにはそれがないんですね~。
となりで眺めていたおばさまがスタッフに
案内版のことを聞いたところ、今、検討中なんだそうです。
(おばさま曰く)「はじめから付ければいいのにね」 まったく同感^^;
フロア340のスカイツリーカフェの窓際でカプチーノ、気持ちよかった!
展望回廊(フロア340、345、350)当日2000円/予約2500円
展望回廊(フロア445、450)当日購入のみ展望デッキ+1000円
ここまで来ると高さの感覚がイマイチ・・分からないくらい。
一度は登ってみたけれど次にいつ来るかは分からないな・・
(もっと)都心の展望台の方が眺望は ”ダイナミック” な感じがする。
東京ソラマチで開催中のクリスマスマーケットは11時から。
http://www.tokyo-solamachi.jp/new/topics/284/
◆東京スカイツリー順路
行き:[4F入口フロア]→[東京スカイツリー天望デッキ]フロア350
※[東京スカイツリー天望デッキ]当日フロア350のチケットカウンターで入場券購入
※[東京スカイツリー天望回廊]から[東京スカイツリー天望デッキ]への帰還はフロア345
(スカイツリーのショップがあるフロア)
帰り:[東京スカイツリー天望デッキ]フロア340→[5F出口フロア]
◆東京スカイツリー
営 業 時 間 8:00~22:00
当日券販売時間 8:00~21:00
http://www.tokyo-skytree.jp/- 旅行時期
- 2012年12月
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東京タワー クリスマスマーケット イルミネーション 2012
投稿日 2012年12月17日
総合評価:4.0
グリューワインはドレスデンやウィーンで頂いたものより大分飲みやすい。
スパイスの効き方がもっと強い方が本場に近い感じがするなぁ。
クリスマスマーケットの規模は小さいけれど、やっぱり東京タワーイルミネーションは◎
クリスマスイルミネーションの時期は全体的に楽しい雰囲気。
http://www.tokyotower.co.jp/- 旅行時期
- 2012年12月
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絵画の遠近法を生かし 樹高順に植樹された 約300mの いちょう並木
投稿日 2012年12月17日
総合評価:4.5
明治神宮外苑の入り口でもある青山通りから聖徳記念絵画館を見ると、
”イチョウ(銀杏)の並木” が絵画館が中心になるように沿って植えられていて、
遠近法を用いて実際の距離より絵画館が遠方にあるように表現されているそうです。
樹高順に青山口より下り勾配にしたがって植えられ、
地盤も青山口から絵画館寄りでは約1m下がっているのだそう。
これらのイチョウは、1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、
1923年(大正12年)に植栽され、並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本なんだとか。
設計者は、関東大震災後の復興事業で隅田公園や錦糸公園、山下公園などの
建設も指揮した建築家、折下吉延(おりしもよしのぶ)。
http://www.meijijingugaien.jp/walk/sight/season.html- 旅行時期
- 2012年12月
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並木と木漏れ日とストーブのぬくもりが気持ちいいテラス
投稿日 2012年12月19日
総合評価:4.0
JR千駄ヶ谷駅下車すぐ。
御宿御苑の紅葉を見に千駄ヶ谷門からアクセスする前に小休憩。
晩秋、並木と木漏れ日とストーブのぬくもりが
けっこう気持ちいいテラス。 カプチーノを1杯。
http://www.doutor.co.jp/shopsearch/detail/05000188.html- 旅行時期
- 2012年12月
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投稿日 2012年12月17日
総合評価:4.5
紅葉の美しい朱塗りの通天橋あたりなど、
園内はけっこう起伏もあるので風景に変化があり楽しいです。
紅葉も終盤の時期、オレンジ色に色づいた葉がとてもきれいでした。
小石川後楽園は、昭和27年3月、文化財保護法によって
特別史跡及び特別名勝に指定されていて、
「特別史跡」と「特別名勝」の二重指定を受けているのは、
都立庭園では浜離宮とここの2つだけなんだそうです。
全国でも京都市の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、
醍醐寺三宝院、奈良県の平城京左京三条ニ坊宮跡、
広島県の厳島、岩手県の毛越寺庭園、
福井県の一乗谷朝倉氏庭園を合わせ9ヶ所だけなんだそうです。
開園時間 午前9時~午後5時 (入園は午後4時30分まで)
休 園 日 年末・年始 (12月29日~翌年1月1日まで)
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index030.html- 旅行時期
- 2012年12月
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投稿日 2012年12月17日
総合評価:4.5
入場無料の展望台なのでお得感大◎
東京スカイツリー、上野公園、小石川植物園、新宿副都心高層ビル群、
(天気が良ければ)富士山、小石川後楽園などが望めます。
今回はお天気も良かったので、新宿ビル群の向こうに富士山が見えました♪
開館時間 9:00~20:30 (無料)
休 館 日 年末年始(12月29日~1月3日)・5月第3日曜日
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_shisetsukanri_shisetsu_tenbo.html- 旅行時期
- 2012年12月
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投稿日 2012年12月17日
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投稿日 2012年12月27日
総合評価:5.0
(天気が良ければ)大宮前後でけっこう大きく『富士山』が、
赤羽~日暮里間くらいでは『東京スカイツリー』が見られます。
今回乗車した日は、初冬の快晴の日の16時代でしたので、
夕陽に染まるくっきりとしたシルエットの富士山が見られました。
夕陽に染まる富士山は美しかった。
快晴のすっきりした空の日であれば、
富士山の方は(距離的に)けっこう長い時間見られるのですが、
スカイツリーの方は肉眼でははっきりと見えますが、
たびたび高層ビルに隠れたりするので車窓から写真撮影するのは難しかったです。
http://www.jreast.co.jp/- 旅行時期
- 2012年12月
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投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
六義園(りくぎえん)は、東京都文京区本駒込六丁目にある都立庭園。
六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。 元禄8年 (1695) に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。 六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。
元禄15年 (1702) に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。 その回数は記録されているものだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺える。
柳沢家は次の吉里の代に甲府から大和郡山に転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。 時代が下るにつれ徐々に荒れはしたものの、江戸を襲った度々の火災で類焼することもなく明治を迎えた。
明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。 その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、昭和13年 (1938) には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。 東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、昭和28年 (1953) に特別名勝に指定されている。
六義園は躑躅(つつじ)の花が特に有名で、地元では「駒込と言えばツツジの花の咲く街」と謳われるような象徴的な存在となっている。
○内庭大門(ないてい おおもん)
○出汐之湊(でしおの みなと)
○妹山、背山(いもやま、せやま)
○臥龍石(がりょうせき)
○蓬莱島(ほうらいじま)
○石柱(せきちゅう)
○滝見之茶屋(たきみの ちゃや)
○躑躅茶屋(つつじ ちゃや)
○藤代峠(ふじしろ とうげ)
○蛛道(ささかにの みち)
○渡月橋(とげつきょう)
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index031.html- 旅行時期
- 2012年05月
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投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)は、東京都北区にある都立庭園である。 1917年(大正6年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形に整えられた。 現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。 国の名勝に指定されている。
明治期の当地は陸奥宗光の邸宅であったが、宗光の次男・潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となったため、古河家に所有が移った。
その後、1917年(大正6年)に古河財閥3代目当主の虎之助(市兵衛の実子)によって西洋館と庭園が造られ現在の形となった。 洋館と洋風庭園は、戦前に亘り多くの洋風建築を手掛けたジョサイア・コンドルにより設計された。 また、日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛(植治)により作庭された。
1926年(大正15年)に虎之助夫妻が牛込市谷船河原町に転居した後は、古河家の迎賓館として使用された。 第二次世界大戦中は陸軍に接収され、南京国民政府成立前には、汪兆銘が匿われていた事もあったという。 終戦後は連合軍に接収され、イギリス大使館付駐日武官の宿舎などに利用された。
武蔵野台地の斜面を巧みに利用した造りとなっており、台地上に洋館を、斜面上に洋風庭園、台地下の低地部に日本庭園が配置されている。
○洋風庭園(バラ園)
洋館南側の洋風庭園は、テラスが階段状に連なるイタリア式庭園と、平面的で幾何学的に構成されるフランス式庭園の技法があわせて用いられている。
○日本庭園
心字池を中心に、大滝、枯山水、茶室等を配する本格的な回遊式庭園である。 台地斜面上の大滝付近の植え込みが深山の趣を醸し出しており、庭園の構成に深みを与えている。
○洋館
1917年(大正6年)5月竣工。 外観はルネサンス調。 煉瓦造の躯体を、新小松石の野面石積みで覆っている。 1階は食堂、ビリヤード室、喫煙室などの接客空間である。 2階は家族の居室など私的空間で、和室も設けられている。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index034.html- 旅行時期
- 2012年05月
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投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
總持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目にある曹洞宗の大本山で寺紋は五七桐紋である。 山号は諸嶽山(しょがくさん)。 本尊は釈迦如来。
敷地面積は約50万?あり、横浜市鶴見区の広域避難場所の1つに指定されている。境内には仏殿、大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、鶴見大学などの学校施設もある。本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きいのが特色である。
總持寺は、1911年に石川県から神奈川県に移転してきた寺院であるため、堂宇の大部分は近代の建立であるが、他所から總持寺へ移築された建物のうちには、近世末期のものも若干ある。 大祖堂、三門などは太平洋戦争後に建立された鉄筋コンクリート造であるが、仏殿をはじめとする主要建物の多くは20世紀前半(大正時代〜昭和時代前期)の本格的な木造建築である。 2005年に仏殿など16件の建造物が登録有形文化財に登録されている。
○「三門」 - 1969年建立の鉄筋コンクリート造建築。
○「三松閣」 - 三門近くにある研修道場。1990年竣工。
○「仏殿」 - 1915年(大正4年)に竣工。本尊釈迦如来像を安置する。
○「大祖堂」 - 1965年竣工。仏殿の向かって右に位置する。 高さ36メートル、内部は千畳敷きの大建築。 本山開祖・太祖瑩山禅師と高祖道元禅師、二祖・峨山禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する霊場。 大祖堂地下は客殿となっており、瑞応殿と呼ばれている。
石原裕次郎さん他 の墓所がある。
http://www.sojiji.jp/- 旅行時期
- 2012年05月
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東京タワーを見るなら 世界貿易センタービル 展望台シーサイドトップ
投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
東京タワーを見るなら!
<夜景100選認定>
世界貿易センタービル 展望台シーサイドトップは、
夜景紹介サイト「夜景倶楽部」が主宰する
「新日本三大夜景・夜景100選」に認定されました。
見学料金 500円
通常営業時間 10:00~20:30 (受付時間 20:00まで)
http://www.wtcbldg.co.jp/wtcb/facility/seaside/index.html- 旅行時期
- 2012年05月
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投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
東京都立旧芝離宮恩賜庭園(とうきょうとりつきゅうしばりきゅうおんしていえん)は、東京都港区海岸にある都立庭園。 大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、宮内庁管理の離宮を経て、大正13年(1924年)東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開された。
旧芝離宮恩賜庭園は江戸幕府の老中・大久保忠朝の上屋敷内に作庭した大名庭園楽寿園を起源とする回遊式庭園である。 作庭当時は海岸に面しており、浜離宮恩賜庭園同様汐入の庭であった。 現在では周囲の埋め立てとビル群により海の眺望は失われた。 一部が鉄道の増設用地に提供され面積が狭くなった。
○藤棚 - 開花は4月末頃
○雪見灯籠 - 比較的大ぶりの雪見灯籠
○州浜 - 砂浜を模す
○枯滝 - 石組みにより滝を模す
○石柱 - 忠朝が小田原藩主の頃、後北条氏に仕えた戦国武将・松田憲秀旧邸の門柱を運び入れたもの。茶室の柱として使われたと推定されている。
○西湖堤 - 中国杭州の西湖を模した堤
○大島 - 池の中では最大の島
○中島 - 蓬莱山を模す
○浮島 - カモなど野鳥が集う
○大山 - 園内で最も標高の高い山
○根府川山 - 忠朝の藩地小田原から運び入れた火山石などからなる山
○唐津山 - 忠朝は以前唐津藩主でもあったためその名を冠してつくった山
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index029.html- 旅行時期
- 2012年05月
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薔薇と光の画家 アンリ・ル・シダネル展 @損保ジャパン東郷青児美術館
投稿日 2012年05月14日
総合評価:4.0
美術館のある西新宿の高層ビル42階展望回廊から、
東京タワーと東京スカイツリーを同時に楽しめる
損保ジャパン東郷青児美術館 で、
「薔薇と光の画家」と云われるフランス人の画家ル・シダネルの作品が
日本で初めて包括的に紹介されているというので行ってきました。
ル・シダネルの作品の所蔵美術館を調べてみると、パリなどの大都市に少なく、
地方の美術館に散らばっているので今回まとまって見られるのは貴重かも。
薔薇を描いた絵が印象的だと思っていましたが、今回包括的に見てみたら、
夕暮れの時間 や 月明かりの下 描かれた絵が印象に残りました。
年代によって、象徴主義/印象派/後期印象派/ナビ派等々・・
様々な要素を含んでいる感じ。
1階でル・シダネルの生涯を追った映像フィルムを見てから、
42階の展覧会(美術館)の絵を見ると良いです。
気に入った絵のポストカードがなかったのは、ちょっと残念でした。
同時代(1862年生)の芸術家は、ドビュッシー(音楽家)やクリムト(画家)等。
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薔薇と光の画家 アンリ・ル・シダネル展
〜フランス ジェルブロワの風〜
メルシャン軽井沢美術館
2011年7月23日(土)〜11月6日(日)
埼玉県立近代美術館
2011年11月12日(土)〜2012年2月5日(日)
美術館「えき」KYOTO
2012年3月1日(木)〜4月1日(日)
損保ジャパン東郷青児美術館
2012年4月14日(土)〜7月1日(日)
ひろしま美術館
2012年7月7日(土)〜9月2日(日)
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(以下、wikipedia より抜粋 : http://bit.ly/JzaEoZ )
アンリ・ル・シダネル (Henri Le Sidaner, 1862年−1939年)は、20世紀初頭に活躍したフランスの画家。月夜、庭のテーブル、薔薇、夕暮れなど身近な題材を独特なタッチで描いた。
1862年にインド洋のモーリシャス島ポートルイスで生まれる。1870年には家族でダンケルクに移る。その後パリに出て アレクサンドル・カバネルのアトリエで学ぶ。1882年にはエコール・デ・ボザールに入学。1年程従軍したのちに再びカバネルの下で学ぶが、方向性の違いからその元を離れる。印象派や新印象派、写実主義、象徴主義の影響を受けながらも独自の作風を確立してゆく。1894年にサロンに初出品し、その後1900年のパリ万国博覧会にも出品した。
シダネルは生涯を通して、フランス国内の様々な都市のみならず、ロンドンやニューヨーク、ヴェネツィア等へも旅をしたり移り住んだりした。特にパリ北方の小さな村ジェルブロワを愛し、1901 年には中世の面影が残るがジェルブロワ(Gerberoy)に移り住む。当時のジェルブロワは過去の宗教戦争の影響で荒れていたが、シダネルは自宅の庭を薔薇園にし、さらには村全体を薔薇で埋め尽くすことを村の人々に提案した。村の人々はシダネルに共感し、季節になると薔薇が咲き乱れるようになったジェルブロワは現在「フランスでもっとも美しい村」の1つに選ばれている。
シダネルはその後ヴェルサイユに移り住み、1939年に第2次世界大戦勃発の数週間前にその地で亡くなった。
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アンリ・ル・シダネル Henri-Eugene Le Sidaner(1862-1939)
◆http://www.lesidaner.com/ (仏語)
◆http://www.lesjardinshenrilesidaner.fr/ (仏語・英語・日本語)
◆http://www.lesjardinshenrilesidaner.fr/crbst_3.html (日本語)
*シダネルを特集したNHKの映像が見られます。
◆http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?article4903
(在日フランス大使館HP)
◆http://www.museesdefrance.org/special/201201/special02.html
(メゾン・デ・ミュゼ・ド・フランス MMF HP)
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損保ジャパン東郷青児美術館HP
◆http://www.sompo-japan.co.jp/museum/
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- 2012年05月
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投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
皇居外苑は厳密には1969年(昭和44年)に開園した北の丸地区(北の丸公園)と皇居前広場の皇居外苑地区、それに皇居の周り濠に沿った皇居外周地区を総括的に指すが、通常は皇居前広場を中心とした地区を指す(本項ではこれを扱う)。 広大な広場のほかに、桜田門と二重橋といった日本を代表する歴史的にも貴重な建築物を見ることが出来る。 入苑は無料。
http://www.fng.or.jp/koukyo/koukyo-index.html- 旅行時期
- 2012年03月
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投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
霞が関、有楽町などと隣接し都心部に位置する都立公園で、公園面積は161,636.66平方メートル。
江戸城日比谷御門のすぐ外に位置し、江戸時代には錚々たる大藩の上屋敷が置かれた。 当時は現在の霞門を直進する道路で南北に別れており、幕末の時点では、北側には御用屋敷・萩藩毛利家・佐賀藩鍋島家、南側には三草藩丹羽家・吹上藩有馬家・福知山藩朽木家・盛岡藩南部家・唐津藩小笠原家・狭山藩北条家の各上屋敷が存在した。
明治になると大名屋敷が廃されて更地となり、日比谷ヶ原と呼ばれた。 住所上では北側が西日比谷町の一部、南側が内山下町二丁目とされた。 明治4年(1871年)、日比谷・霞が関の旧武家地一帯に陸軍操練所が設置され、明治18年(1885年)日比谷練兵場と改称された。 その後、練兵場は明治21年(1888年)青山火薬庫跡、現在の明治神宮外苑に移された。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index037.html- 旅行時期
- 2012年03月
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投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。 江戸時代に庭園として造成された。 園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑、ボタン園などを有する。 もとは甲府藩の下屋敷の庭園であったが、将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として開園。
○鴨場 - 鴨の猟をおこなうために作られた池。
○潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満による眺めの変化を楽しむことが出来るようになっている。
○中島 - 潮入の池の中央に位置する小さい島。
○御茶屋 - 中島にある休憩所。
○三百年の松 - 江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる。 東京都内最大の黒松。
○ボタン園 - 60種800株が植えられている。
○お花畑 - 季節の花が咲きほこる。
○桜 - 種類が多いため見頃が比較的長い。春はライトアップされる。
○他の樹木 - 松、ケヤキなど多種。園内には多くの大木が残されている。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index028.html- 旅行時期
- 2012年03月
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投稿日 2012年12月01日
総合評価:4.0
築地本願寺(つきじほんがんじ)は、東京都中央区築地三丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院。 東京都内における代表的な寺院の一つで、京都市にある西本願寺の直轄寺院である。
築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。 「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。 しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。 その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。 そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。 「築地御坊」と呼ばれるようになった。 なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。 その後関東大震災による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。 又、58ヶ寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。
現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。 当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。 伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。 本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。
本尊は聖徳太子の手彫とされる阿弥陀如来立像。
http://tsukijihongwanji.jp/- 旅行時期
- 2012年03月











































































































