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マダム デュ バリー城 Chateau de Madame du Barry (Louveciennes)

城・宮殿

ルーブシエンヌ

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施設情報

施設名
マダム デュ バリー城
英名
Chateau de Madame du Barry (Louveciennes)
住所
  • Chemin de la machine, 78430 Louveciennes
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
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  3. 城・宮殿
登録者
wiz さん

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クチコミ(1件)

1~1件(全1件中)

  • 貴族達のサロンあり、文学サロンあり、印象派画家が住んだ
    パリ近郊の町、 ルーヴシエンヌ Louveciennes。
    ...  続きを読む
    ルイ15世の公妾デュ・バリー夫人の館は、
    ルーヴシエンヌのマシーン通り(Rue de la Machine)にあります。

    シスレーが描いた絵画もこの館の建物の一部。 

    音楽の館は、限られた日のみは入れるみたいです。


    ところで、デュ・バリー夫人の館のすぐ近くに、

    ” 34人の子供等が1944年7月2ゲシュタポによって強制送還された ”
    というような意味の記念碑(説明版)がありました。

    1880年、この地にジュール・ビール(Jules Beer)が
    農業孤児院を設立し、第二次世界大戦中には、
    ユダヤ人の子供たちのための避難所も務めたそうです。

    ドランシー収容所(Camp de Drancy)の頭部
    アロイス・ブルンナー(Alois Brunner)の下、
    ゲシュタポはパリや近郊のルーヴシエンヌも含めた地域の
    全ての難民の子供たちを逮捕。

    34人の子供と彼らの指導員5人(moniteurs)も、
    1944年7月22日、ドランシー収容所に運ばれた後、
    1944年7月31日にアウシュビッツに強制送還、3人だけ生存者があった・・。

    仏ルーアンにサン・マクルー教会という教会があって
    そこにサン・マクルー中庭というところがありますが、そこは、
    疫病による死者を埋葬した中世の共同墓地だったそうなのですが、
    この中庭に入った時、物凄い冷気のようなものを感じました。

    ルーヴシエンヌの、この悲しい歴史の記念碑(説明版)
    のある場所でも、ひっそりととても物悲しい感覚になりました。

    悲しい歴史のある場所というのは、
    悲しみの魂が生きているのでしょうね。


    デュ・バリー夫人の館は外からしか見ることができなかったので、
    こちらの悲しみの碑の方が心に残ってしまいました。


    ------------------------

    ルイ15世の公妾 デュ・バリー夫人
    (Madame du Barry 1743-1793 : 本名 マリ=ジャンヌ・ベキュー)

    ポンパドゥール夫人を亡くしていたルイ15世は、ジャンヌの虜になって彼女を公妾にすることに決める。デュ・バリー子爵の弟と結婚してデュ・バリー夫人と名を変えたマリ・ジャンヌは、型どおりの手続きを終えて、正式にルイ15世の公妾になり、社交界にデビューした。

    フランス宮廷に入ったデュ・バリー夫人は、その頃オーストリアからフランス王太子ルイ=オーギュスト(後のルイ16世)に嫁いでいたマリー・アントワネットと対立した。マリー・アントワネットは、娼婦や愛妾が嫌いな母マリア・テレジアの影響を受け、デュ・バリー夫人の出自の悪さや存在を徹底的に憎んでいたのである。

    1774年の4月27日、ルイ15世が天然痘に倒れると、デュ・バリー夫人はその看病に努めていたが、5月9日にポン・トー・ダム修道院に入るよう命令が出され、危篤に陥ったルイ15世から遠ざけられた。彼女は追放同然に宮廷から出され、不遇な一時期を過ごしたが、宰相ド・モールパ伯爵やモープー大法官などの人脈を使って、パリ郊外のルーヴシエンヌに起居し、優雅に過ごすようになった。その後、デュ・バリー夫人はド・ブリサック元帥・シャボ伯爵、イギリス貴族のシーマー伯爵達の愛人になった。

    1789年にフランス革命が勃発し、愛人だったパリ軍の司令官ド・ブリサック元帥が虐殺された後、1791年の1月にイギリスに逃れ、亡命貴族たちの援助をおこなった。1793年3月に帰国したところを革命派に捕らえられ、12月7日にギロチン台に送られた。

    (wikipediaより)

    ------------------------  閉じる

    投稿日:2013/07/31

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