たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(27ページ)全1,843件
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- 基本情報
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投稿日 2019年07月23日
総合評価:5.0
サンライズホテルのレストラン部門で、宿泊者以外に食事だけの利用もできます。入口にも『1,000円でステーキが食べられる』と大々的に書いてあり、朝5時まで営業していることもあり、地元の方々も多く利用されているようです。
今回は宿泊時の朝・夕食をこちらで頂きました。夕食は書かれている通りの『ステーキ』で、サラダ・スープ・ライスはセルフサービスのお代わり自由。ショボいのが来るのか…思っていたら本格的過ぎるものが出てきてびっくりしました。元々草食系のためサラダ主体に考えていたらのボリュームだったので慌てて配分を変更し、写真のように落ちつけました。ひとつだけ残念だったのがサービスのソフトドリンク。ダイエットコークを頼んだところ味がしない代物でした…。
朝食はセットメニューではあるもののやはりサラダ・味噌汁・ご飯に加えソフトドリンクはお代わり自由でした。
煌びやかな店内というと少し違いますが、豪快なお食事はまさにアメリカンなのかも知れません。あまりグルメ過ぎる人向けではありませんが、お連れさんと食事の量が違い過ぎる方などは良いお店ではないでしょうか。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 那覇から1時間くらいで到着します。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サイコーです。
- サービス:
- 5.0
- セルフサービスの部分が多いですが悪くはありません。
- 雰囲気:
- 5.0
- 時間によっては騒がしいかも知れませんが訪れたときは静かでした。
- 料理・味:
- 5.0
- しっかりとしたお味でした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 入口にスロープは切ってありました。
- 観光客向け度:
- 5.0
- ネタ作りには良いかも。
-
投稿日 2019年07月23日
総合評価:5.0
沖縄での地上戦が始まる直前に大阪府内務部長から沖縄へと赴任した島田叡氏。在任は半年足らずのことではあるものの、自らを顧みずに行った戦時中の沖縄県民に対する処遇は今でも沖縄県民の心の中に生きています。
その島田知事を顕彰するために建立されたのは意外にも遅く平成27(2015)年6月26日のことでした。今では戦跡を含め戦時中の沖縄県庁所縁の地では必ず島田叡という名前は出てきますが、大きな功績に対し評価されることになったのはごく最近のことです。
それは島田知事が素晴らしく行動力に長けた方であったとしても、一文官である以上戦時中に物資を集めることに軍の賛同なしには出来ないという現実がありました。実は島田知事は第32軍参謀長の長勇中将や海軍沖縄根拠地隊司令官太田實少将とは仲が良く、そのため第32軍司令官牛島満中将を含めた軍部と良好な関係を築いていたことが知られています。このような背景があったからこそできた三千石もの高砂米が沖縄へと送られることに繋がりました。
勿論島田知事の人間性は滅私奉公そのものであり、彼に対する逸話には疑う余地のないものばかりだと思います。しかしそれを軍との密接な関係を保っていたことが戦争アレルギーを持つ者からは面白くないとして語ることもなかった歴史がありました。
島田知事に限らずどんなに素晴らしい人間であっても個人の力では出来ることは限られてしまいます。そのためにプラスになる要因を加えることにより不可能が可能になることもあるでしょう。戦中戦後に於いて島田知事のような功績の持ち主が顕彰されることもなく現在に至っているケースも少なからずあるようです。
偉人の功績は背景を認めた上で出来たことなのかを知ることは、簡単なようで難しい事なのかも知れない・・・そんな思いに駆られた島田叡氏顕彰碑の再訪でした。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 奥武山公園駅からすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 顕彰碑を訪れている方はいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.5
- 足元は芝生敷きです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 顕彰碑というモニュメントです。
-
投稿日 2019年07月23日
総合評価:5.0
昨年に引き続き沖縄へと向かう空の拠点として利用しました。キャリアはJALからANAへと変わったため、北ターミナルから南ターミナルに利用も変わります。
以前は豊中南郵便局大阪国際空港内分室として貯金も扱っていた郵便局も、今や豊中郵便局大阪国際空港内分室として郵便のみの取り扱いとなっていました。
南北旅客ターミナル中間に喫煙所としてあったものが建物内の喫煙室に変更になっていた他、リニューアル工事を行っている最中であちらこちらに足場が組まれていることから、それを避けながら歩かねばならない面倒臭さがありました。
半世紀ぶりのリニューアル工事の結果、さぞかし立派かつ利便性の高いものとなることは期待できるものの、関西空港開港以前の国内・国際線空港のシステムのまま最近まで放置されていたことが理解に苦しむところであったことには疑う余地はありません。
空港へとアクセスする交通機関のターミナルへの移動も利便性の高いものとは思えず、関西空港と比較するならば滋賀県からだと所要時間が短いだけで手間は変わらないというのが現実です。
とにもかくにも旧規格のままで放置されていたことが、旅客ターミナルの使い辛さになっていました。国際線が飛んでいた時代だから南北旅客ターミナルにそれぞれリムジンバスに乗車できることに需要があったまでで、国内線のみならばひとつのバス停に集約してしまった方が車内の混雑の度合いが把握でき、不用意に手荷物として車内に持ち込まなくても良いように思います。とにかく中途半端になっているものが多いため、それらの問題を一蹴する新ターミナルとなって欲しいように改めて思います。- 旅行時期
- 2019年06月
- アクセス:
- 5.0
- 京都駅からバスで55分。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 利用客数はやはり多いはずです。
- 施設の充実度:
- 5.0
- 工事中の部分を除けば悪くはありません。
-
ちょっと違う和風のローソン。
投稿日 2019年07月19日
総合評価:5.0
大阪城ホールへ向かう途中に立ち寄りました。景観に配慮してかいつものローソンとは違い〝和風色〟が前面に出ている建物でした。大阪城を訪れる観光客が使い易いようにとの考えでお土産物の外は飲食品や携帯電話用品など〝旅先で急遽必要となるもの〟に徹した品揃えがされており、中規模の店舗ながら珍しいものの陳列が目を惹きました。
今回ライブ前に立ち寄った訳ですが、ほとんどの利用客が飲食物しか購入しない状況下でも〝品切れ〟のものが無いように陳列されている上に、レジ待ちを効率よく捌くように考えてスタッフさんも動いていたように思います。
あまり印象に残らないのがコンビニかも知れませんが、こちらのお店には感心することが多かったように思います。- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大阪城公園駅から徒歩5分程。
- お買い得度:
- 3.0
- コンビニですから。
- サービス:
- 5.0
- 混雑していてもはけるようにスタッフさんが動いています。
- 品揃え:
- 5.0
- 購入したいものは品切れをしていないのが素晴らしい。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープは切ってありました。
-
投稿日 2019年07月06日
総合評価:5.0
クジ運がなく三次優先でやっとGETしたB'zのライブチケット。S席ではあれど期待はしていませんでした。
約10,000人の入場者数はドーム公演よりはるか少ない人数でした。今年はステージの後ろにも座席が設けられており、ステージサイドではあれど多分見辛いところだと思っていました。しか~し開演後予想は良い方に間違っていたことがわかりました。舞台袖に来るお二人がすぐそばに肉眼で見えるではありませんか!もう開演から最後まで年を忘れてうっとり♪
確かに施設の古さは否めないものの音響は最高のレベルなので、ステージと客席の一体感は久しく感じることが無かったレベルでした。
残り物には福があった!そんな気持ちに心底させた演出と大阪城ホールという会場でした。- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大阪城公園駅徒歩5分。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- B'zライブですから。
- バリアフリー:
- 5.0
- 車椅子専用入口がありました。
- 見ごたえ:
- 5.0
- ライブは勿論会場もなかなかでした!
-
投稿日 2019年07月19日
総合評価:5.0
東日本大震災の影響を受けた仙台空港。震災後半年で訪れた際には、どの様になるのか不安になった記憶があります。
それから約8年経ち奇遇なことから訪れる機会を得て今回の訪問となりました。滑走路の関係でB737-800だった機材はB767-300へ。内陸からの進入は以前と同じく海側からの進入はに変わっていました。
民営化を受けて活気が出たとの評判は正にその通り。空港建物も基幹空港の様な立派なものになっており、私の記憶に残る〝地方の国際空港〟の様子は過去のものになっていました。
今回はトランジットだけだったためにターミナルからは出てはいないので代わり映えはわからないものの、搭乗ゲート付近では軽食やお土産購入もできるお店もあり、俄か来仙客でも〝萩の月〟や〝くるみゆべし〟等をお土産物として仕入れられる様になっており、行き先不明の旅の思い出にすることができました。
7年間住んだ仙台の街。次回は本当の目的地として空港を含めた変わり映えを確認したいと思います。- 旅行時期
- 2019年06月
- アクセス:
- 5.0
- 仙台駅から鉄道でアクセスできます。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 大阪行きの利用客は定員の半分くらい。
- 施設の充実度:
- 5.0
- 昔とは比べ物になりません。
-
投稿日 2019年07月16日
総合評価:5.0
首里近くにある臨済宗妙心寺派太平山安國寺、沖縄本土復帰後に宗教法人化した新しい寺院ではあるものの、歴史は第一尚王朝時代に遡る沖縄では歴史ある寺院のひとつです。この場所を訪れた理由は、境内に建立されている〝特設警備第223中隊永岡隊慰霊之碑〟に参拝するためです。
沖縄戦に於いて〝唯一の郷土隊〟とも言われる部隊を率いたのは安国寺住職兼沖縄一中教諭であった永岡敬淳大尉でした。部隊には在郷軍人や学徒から構成されており、32軍司令部の首里撤退時にはしんがりを務めたことでも知られています。南部撤退の最後部についていた部隊は、米軍の標的にされること多くしばし馬乗り攻撃を受けつつも沖縄島南部へと撤退を続けました。
しかし昭和20(1945)年6月22日に永岡隊長が壕を出て自決され、隊員の半数は戦死するといった結果で部隊は終わりを告げました。
撤退するにあたり斬り込み等を行ってきた部隊ではあれど、最後の一兵まで戦えとの訓示はなかったため、戦死したものも多いものの米軍に保護されて生き残った学徒や兵士の話も残っています。
大典寺の積徳女学校慰霊碑同様所縁ある寺院の境内に慰霊碑が建てられています。確かに地元民が戦争で犠牲になったことは間違いないものの、しばしば行動を共にしていたす篠原保司中尉率いる〝沖縄一中鉄血勤皇隊〟同様学徒隊員より〝前面〟に立つことによって犠牲者をむやみに増やした指導者ではないことが分かります。
人情味あふれる隊長(指導者)は軍人には違いありません。しかし軍が組織として行ったことを、構成員である個々の軍人も同じという考えには賛同できません。そのような誤解が原因でこの中隊慰霊碑があまり知られていないことが残念に思えて仕方がありません。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 首里城からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- お葬式があると多いようです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 一部埋め込んだ石によって凸凹があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 改装されてキレイにはなっていますがやはり重みは感じます。
-
投稿日 2019年07月12日
総合評価:5.0
読谷村運動広場の北角に建つ忠魂碑は昭和10(1935)年10月に読谷山尋常高等小学校の敷地内に建立されたものになります。揮毫は元陸軍大将の鈴木壮六氏によるものだとは今でも読み取ることはできるもの、肝心の〝忠魂碑〟の文字は削られており見ることはできません。
チビチリガマでの集団自決の扱い等で特に嫌軍意識の強い読谷村ではあれど、この忠魂碑自体を軍国・皇国主義の象徴と考えて〝忌まわしいもの〟と判断し破壊工作に至るにはあまりにも短絡過ぎるように思えてなりません。
思想的にどう取るかは人の自由ですが、軍という組織を憎むのはともかく軍を構成する軍人を十把一絡げにするのは如何なものかと思えてなりません。
沖縄戦に於いても徴兵されて内地から沖縄に連れて来られ、史上稀に見る地上戦にて戦没した兵士の他、現地徴集されて防衛隊員や学徒隊を結成し、鉄の暴風の下志半ばで斃れた者も大勢います。天皇陛下のために戦い戦没した者を祀る忠魂碑だから憎さのあまり破壊したで正当な理由にできるのでしょうか?大義名分はともかく戦死した者すべて家族や身内、そして国の未来のためにひとつしかない自らの命を投げ出して戦ったのではないでしょうか?
慰霊碑とは違うと書く者も大勢いますが、お国のために戦い斃れた者達を祀っていることは同じだと私は思います。
戦争によって一度は無に帰した沖縄だから故に、破壊するよって破壊を生み出す悪循環が多々起こっていることは十分理解されている筈です。私自身そんな思いが強いからこそ余計に御霊を祀る忠魂碑を破壊した者が許せないというのが本音です。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 読谷村役場から車で5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 雨の日だったので誰も訪れてはいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足下はあまり良くはありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 削り取られた部分にも感じるものがありました。
-
投稿日 2019年07月12日
総合評価:5.0
大阪からの帰り道に最終バスに連絡する電車の時間を間違えたため、地元駅まで戻ってきてから夕飯を食べに行きました。23:30頃に訪れたのは初めてだったのですが、近くの工場勤務の方らしきお客さんが数名おられました。
店が変わってからなので1年ぶりに訪れましたが、店内は変わっていなかったものの職権購入の自販機が変わっており、ちょっとてこずりました(汗)。
いつもと同じチキン南蛮定食は、値段・味とも変わらず本当に懐かしい味に感じられました。勿論ご飯はお代わりをして満腹。お腹が膨れたので歩いて帰ろうかとも思いましたが、この雨の中なのでヘタレはやはりタクシーで帰りました。
照明を消している様なので閉店時間が変わったのかと錯覚しますが、25:00までの営業は変わってはいませんでした。- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 5.0
- JR石山駅から歩いてすぐ。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 790円で満腹になれます。
- サービス:
- 5.0
- つかず離れずいい感じです。
- 雰囲気:
- 5.0
- 静かで落ち着けました。
- 料理・味:
- 5.0
- 飽きないお味です♪
- バリアフリー:
- 5.0
- 自動ドアは完備です。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 話のネタには良いのかも知れません。
-
投稿日 2019年07月09日
総合評価:5.0
沖縄での戦いの準備段階のひとつとして作られた読谷山飛行場(沖縄守備第32軍の呼称沖縄北飛行場)。その施設として軍用機を爆撃から守るために作られました。
しかし昭和20(1945)年4月1日に上陸した米軍上陸部隊によってほぼ無抵抗で占領され、後に本土爆撃の拠点として利用されることとなりました。その飛行場機能を破壊すべく5月24日に義号作戦として奥山道郎隊長以下の義烈空挺隊が突入、玉砕という結果ではあるものの読谷山と嘉手納飛行場の機能が丸一日停止したとされています。
日本軍が作りながら米軍にそのまま利用されることになった読谷山飛行場。突貫工事で作られたものは十・十空襲で壊滅的な被害を被っており、なんのために作ったのかすらわからないものと説明されているようです。
しかし戦闘機が確かに駐機していたことはこの掩体壕の存在からもわかります。付近に後2つあった掩体壕も劣化を理由に取り壊しとなり、残ったひとつには壕内補強工事を施されて現在に至っています。
掩体壕隣の義烈空挺隊玉砕之地碑は以前読谷村役場隣の飛行場滑走路跡に建てられていたものがいつの頃からこの場所に移設されたものでした。義烈空挺隊の戦果には様々書かれているものの、間違いなく1機は飛行場に強行着陸を敢行しました。その破壊工作のために旧飛行場一帯が玉砕之地としても間違いではないでしょう。
また現存する掩体壕も劣化が目立つものとなっており、後世に残すにはあまり条件が良くないように見受けられました。戦跡を残すことに賛否はありますが、そこに意見や考え方を入れてしまうことは、史実を伝えることに対し〝誘導する要素〟が含まれてしまうように危惧します。
ありのままの姿を見せてどう思うか?どう考えるかを見たママの判断をすれば良い・・・。そう改めて感じた今回の掩体壕訪問でした。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 読谷村役場から5分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 天気も悪かったので訪れる方もいないようです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場はかなり悪いです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 後世に残してもらいたい戦跡です。
-
投稿日 2019年07月08日
総合評価:5.0
沖縄市から読谷村への移動途中に立ち寄りました。内地とは感覚の違う道の駅ですが、4階にある展望台からは米軍嘉手納飛行場を離発着する軍用機を見ることができます。
訪れた際にちょうどB52がタキシングを始めたところ。軍用機の騒音被害とは言っても普段の生活では経験することはないためどんなものかと思いきややはりけたたましい金属音を残して離陸をしていきました。
一年に数える程しか航空機利用をしない私にとっては、旅客機の離陸音が聞こえることは旅の楽しみでもありますが、やはり生活の中であの音を聞き続けることは苦痛以外なにものでもないように感じます。
ただ私自身が1時間程度の滞在で知ったことだけで米軍基地についてどうこう言えるものでもありません。しかし日常生活に於いて騒音と無関係な生活を送っている方にとっては実際にその現実を目の当たりにしてどのように感じるかを考えることができる場所としては訪れる価値のある場所だとは改めて思いました。- 旅行時期
- 2019年06月
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーター完備です。
- トイレの快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いています。
- お土産の品数:
- 5.0
- 結構品数・量ともありました。
-
投稿日 2019年07月08日
総合評価:5.0
前回同様フル込みプランで利用しました。お借りした喫煙車のVitzクンが沖縄旅行の友となり夕暮れの那覇を出発します。
30年ぶりに梅雨明けしていない6月の沖縄だったので例年に比べると行動範囲も狭く、おまけに外気温も低かったこともありエアコンをつけっぱなしにすることもなかったことに加えて燃費の良さから、残燃料にはかなり余裕がありました。
他社でこの条件の車はかなりくたびれた車が多く、走行にも不安を覚えるものにも出くわしましたが、こちらでお借りした車にはそう言った懸念が今まで無かったことに変わりません。
4日間天候には恵まれなかったこともあり、ここまで車を汚したことはないと思う位でしたが、そんな悪路をものともせず250km走ってくれたVitzクンには感謝しかありません。
無事車を返却すれば翌年までなにもないはずですが、今年は雨の中車から降りて乗ってを繰り返した結果、返車時もしっかりと確認することをせずに忘れ物をしてしまいました。翌日電話でご連絡を頂き発覚したのですが、こちらから返信用封筒を送りますとの提案に対応して頂き無事に手元に戻って来ました。
多数の忘れ物があるために連絡なしに警察に届けられることが多い中、個別に対応して頂いた上に返送する手間までご承諾頂いたことにはホント感謝の気持ちしかありません。そんな細やかな気配りが旅の思い出を、帰宅後に増すなんて今までになかったことでした。
今までのサービス内容で十分だと思ってここ数年利用してきましたが、今回の忘れ物の一件で〝本島でのレンタカー利用会社〟は不動のものになりました。来年も必ずお世話になるでしょう!- 旅行時期
- 2019年06月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- クーポン使うと4日間で8,700円でフル込みです!
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時間や時期に大きく左右されるのは仕方がありません、
- バリアフリー:
- 5.0
- 自動ドアとスロープ完備です。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 那覇空港から送迎があります。
- 車窓:
- 5.0
- 国道沿いですから。
-
投稿日 2019年06月24日
総合評価:5.0
沖縄の旅最終日は常宿のひとつであるゲストハウスりゅうかくに泊まりました。相変わらず夜遅めの到着でしたが、オジィとオバァとの話は途切れずついつい長話をしてしまいます。
お部屋はいつものシングルルームですが、今年の変化はシャワーのアメニティでした。ボトルタイプから詰め替えボトルから直接搾り出すタイプになっていました。こう言った小さな変化を探すのが楽しいお宿でもあります♪
でも大きな変化は外観の変化。昨年の台風でテラスが壊れてしまい、付け変わったものが色が変わっていました。
見慣れた外観が変わるのは残念に思うところでもありますが、やはり毎年なにかが変わることに気づくことの楽しさは、泊まった者の特権でもあります♪- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 奥武島入口からすぐです。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- シャワー・トイレ付朝食付きで5,940は安いでしょう!
- 客室:
- 5.0
- 奥武島の景色が楽しめます。
- 接客対応:
- 5.0
- サイコーです。
- 風呂:
- 5.0
- キレイで快適です
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- このために泊まっています♪
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段があります。
-
投稿日 2019年07月06日
総合評価:5.0
沖縄戦初期に集団自決があったチビチリガマ。2年前のガマ内部の損壊事件の影響を確認する意味も含めて再訪しました。
自分達の商売のために時間を優先して2組のツアー客がバッティングした状況ではゆっくりと考える余裕もなく一度退散し時間をずらして再訪しました。
なぜ少年達は聖地を破壊するに至ったのか?と考える前によくこの場所でそんなことができたなと感心にも似た気持ちになりました。また多くの者が思想犯による仕業としていたのがウチナーの少年だったと言う事実に対し、保護観察処分となる課程に於いて作った多数の地蔵尊。その一体感のなさにこれで解決に至るのかと不思議な感覚に襲われました。
肝試しのレベルとは到底考えられないガマ内部の破壊行為。SNS受けを狙っただけとしか私には思えません。
反省だけならサルでもできる。取り返しのつかないことをした犯罪者にあまりにも甘過ぎる処分だと思えて仕方がありません。犠牲者は三度殺されました。四回目が絶対に起こらないようにするには何が必要か?真摯に受け止めて考えなければ命を絶った80余名の御霊の安住の地とする価値はないように思えてなりませんでした。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から1時間程。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時間の時期によりけりです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場は悪いです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 毎回違うことで考えさせられます。
-
投稿日 2019年07月05日
総合評価:5.0
チビチリガマから北上するとすぐ右側にあります。確かにあたりに広がるさとうきび畑とはマッチングしており、モニュメントとしては良いのかも知れません。
しかしなぜ読谷村なのか?米軍の上陸は4月1日のことであり、さすがに時期的なズレはあるように思います。また作詞作曲された寺島尚彦氏は摩文仁付近のさとうきび畑であの詩を書かれたと言われています。
沖縄島南部での熾烈な戦いは史実であり、その場所におられたからこそ書くことができた詩のように思えてなりません。
現在の景色にマッチングさせて観光地化するのも良いですが、相変わらず音楽は流れないままの状態でした。違和感を感じてしまう場所のひとつです。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- チビチリガマより車で3分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰にも会いませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープはあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 景色にはマッチングしている。
-
投稿日 2019年07月04日
総合評価:5.0
前の店舗の同僚達が集まってのお食事会。場所は見慣れた石山の街でということで訪れました。以前友人と2人で呑んで以来になりますが、座敷があることは初めて知りました。
焼き物を中心とするお料理はなかなかのもので老若男女問わず受ける物でした。飲み物は居酒屋レベルのものは揃っており、下戸の私でもそれなりに楽しめるものだと思います。
ただデザートは意見が分かれ、天ぷらアイスは・・・微妙というご意見が連なった。私も味見してみたがやはり微妙。やはり定番のラムネアイスが当たりでした!
デザートには要注意だがお料理はイケてるお店です。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 石山駅前。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- お腹いっぱい食べて3,000円程度。
- サービス:
- 5.0
- バイト君頑張れ~!
- 雰囲気:
- 5.0
- 座敷もなかなかでした。
- 料理・味:
- 4.5
- 天ぷらアイスはちょっと・・・。
- バリアフリー:
- 3.0
- 2階は階段しかありません。
- 観光客向け度:
- 4.0
- 見方によっては良いかも知れない。
-
投稿日 2016年07月12日
総合評価:5.0
沖縄県では毎年6月23日は条例により休日の扱いとなっており、公立学校や都道府県機関は休みとなっています。昭和20(1945)年6月23日(22日説あり)、沖縄守備第32軍司令官牛島満大将と参謀長長勇中将が摩文仁の丘の司令部壕で自決し、沖縄戦に於ける日本軍の組織的抵抗が終わったとされています。勿論この解釈はすべてというものではなく、8月15日正午の玉音放送、9月2日戦艦ミズリー艦上での降伏調印式、9月7日旧越来村森根(現米軍嘉手納基地)に於ける納見敏郎第28師団長他司令官代行によっての降伏調印を戦争の終結とする説もあります。事実6月23日以降も宮古や八重山列島の他本島に残っていた残存部隊は、その情報を知らずゲリラ戦を戦っていたとの記録も残っています。また米軍側が掃討作戦と称し壕やガマへの馬乗り攻撃をかけ続け、その終結を宣言したのは7月2日のことでした。
これらのことを考えると?慰霊の日?=6月23日という結論には疑わしいところもあるものの、異論を唱えても纏まらないとのことで昭和36(1961)年に当時の琉球政府により?住民の祝祭日に関する立法?に基づいて公休日と定められました。その際に6月22日が慰霊の日と定められたものの、その後昭和40(1965)年には6月23日に変更され現在に至っています。沖縄県が日本へと復帰した昭和47(1972)年5月15日には慰霊の日の休日となる根拠がなくなりますが、昭和49(1974)年に定められた?沖縄県慰霊の日を定める条例?により、慰霊の日そのものは再定義されるものの再び休日となったのは平成3(1991)年に沖縄県の地方自治体が休日条例によって定めてからのことになります。
実際にいつから追悼式が始まったのかは不明瞭なところもあり、現在の式典の表題は?戦後○○年沖縄戦全戦没者追悼式?と戦後の年数を付加してわかりやすいものになっています。
当日の混雑は想像を絶するものがありました。許可車両以外は会場となる平和祈念公園駐車場に原則入ることができずに付近の特設駐車場に車を停めて、シャトルバスで向かうことになります。また?式典参加者?とカウントされる数には、実際に現地で見た人の数と大きな開きを感じますが、この式典参加者とは?手続きを取って追悼式典会場に入った方?の数の総数であり、私も含めた?外野参加?は人数に入っていません。マスコミの発表では一日で30,000人位は来場者がいたとも言われていました。
今年は戦後70年の節目を迎えるにあたり報道発表では5,400人とは言われていますが、いつもよりはるか多くの人々の来訪があったようです。11:50から式典が始まり12:00から1分間の黙とうを捧げた後式典が進みます。翁長知事の平和宣言には?なぜこの場で??と思える拍手があったと思えば、その後の安倍総理の時には心ないヤジがぽつりぽつり…。誰が言ったかという問題ではなく、追悼式典という一年に一回のことを台無しにする?行為そのもの?に対して怒りを感じました。特に今年は戦後70年という節目の年だったこともあり、沖縄戦に徴兵された兵士のご家族の方々が、今回の慰霊の日の訪沖を最後にしようと考えておられたことも多いと聞いていました。その最後の式典を台無しにする行為…、これを支持する考えが理解できません。
反戦プロバガンダを批判するのではなく、なぜ多くの人々を慰霊する場でそのような言動をとる必要があるのか…。こんな本末転倒のやり方で満足しているならば、結果論ではなく過程論に意義がある…なんて今の時代に言えるのでしょうか?結局のところあの?作られたヤジ?によって、翁長さんがプロバガンダを最初に持ち込んだとされています。確かに私もそう思いました。一番まともなことを言っているのが安倍さんのようにもみえていましたから…。
慰霊の日は平和祈念公園の他、多くの慰霊塔前で独自の慰霊祭が行われています。午前からのもの午後からのもの等色々あるものの、開催に関しての問い合わせ窓口が書かれていないこともあり、多くに参列することは難しいと思います。また慰霊の日限定で入館料が無料となる施設もあります。確認できた場所では?平和祈念資料館??平和祈念堂??ひめゆり平和記念館?は対象になっていました。また沖縄全戦没者追悼式前夜祭(22日)や平和祈願慰霊大行進(23日)等色々なことが行われる慰霊の日なので一見の価値はおおいにあると思います。
受け身の情報ばかり集めてもさほど心を動かすようなものに出会うことはほとんどありません。しかし実際にこの目で見て聞いたことは必ず身になると信じています。来年も来ないとな…と改めて感じた沖縄の一番長い日でした。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 沖縄清明の丘公園からシャトルバス30分。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 仕方がありません。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 広大な平和祈念公園すべてが会場です。
- 雰囲気:
- 3.0
- ヤジとマスコミ…最低です。
- バリアフリー:
- 5.0
- 式典会場には別入口が設けられていました。
-
投稿日 2019年07月01日
総合評価:5.0
沖縄県の地元スーパーマーケットであるサンエー。中でも規模の大きなもののひとつが西原シティ店です。ニチリウグループなのでPVものは滋賀県でも見たことがある者も多いのですが、その中でも沖縄ならではの商品も多数取り扱いがあり、安価で購入できるものはバラマキのお土産としても結構喜ばれます。
通常のお土産品も取り扱いがあり、ワンストップショッピングで全てが事足りる便利さはポイント高いと思います。
スーパーマーケットなので飲料品等も安く購入することができるため、具材を購入して自炊するような旅でも利用価値のあるお店です。
フードコートもあるため、グループ旅行で食べたいものの意見がわかれてもお店を選ぶことができるので融通もききます。
お土産用の小袋もちゃんとよういされており、レジで小分けの袋を下さいと声をかければ貰えるので、利用価値としては観光地のお土産物屋並みには十分あるお店だと思います。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇から車で30分程です。
- お買い得度:
- 5.0
- スーパーマーケットですから。
- サービス:
- 5.0
- レジ対応もしっかりしています。
- 品揃え:
- 5.0
- 豊富です。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープや自動ドア完備です。
-
投稿日 2019年07月01日
総合評価:5.0
5年連続となる沖縄戦全戦没者追悼式に外野参加しました。30年ぶりに梅雨明けしていない慰霊の日でしたが、公式発表されているテント下に入っている参加者数は変わらないもの、私をはじめとする外野での参加者数は格段に少なかったはず。
玉城知事のウチナー言葉と英語での平和宣言は彼の考えを示しており、また平和の詩を朗読した小学6年生の山内さんの心のこもった読み方は、少なくとも私の心を惹きつけるには十分過ぎるものでした。
外野が少なかったために例年に比べると品のないヤジも少なく、5年間でもっとも追悼式に相応しいものであったと感じられました。
野外での式典に雨降りはマイナスでしかないと考えられている方も多いようですが、それでも訪れる参加者は場を弁えており式典を台無しにするような馬鹿げたことはされません。そういう点では実りの多い今年の追悼式だったと改めて思いました。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園で行われています。当日はシャトルバスで会場入りしなければなりません。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 雨のせいか5年間で1番少なかった。
- 催し物の規模:
- 5.0
- 非常にデカい。
- 雰囲気:
- 4.5
- 今年はくだらないヤジも少なかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足下は芝生敷です。
-
投稿日 2019年06月25日
総合評価:5.0
今回の沖縄の旅に於いて初日・2日目の行程の都合から選びました。夜のコザの賑わいに面食らったこともありましたが、その界隈からは少し離れており、少なくともうるさくて寝られないことはありませんでした。
4階403号室は喫煙シングルルームでしたが同じフロアに禁煙ルームもありました。部屋は古さは否めないものの寝るだけと割り切るならば十分です。また古くても清掃は行き届いており気持ち良く使うことができました。
なんと言ってもこちらの目玉は食事です。夕食のステーキは本格的なものでした!それに加えてご飯とスープはおかわり自由となっていれば食事だけを目当てに訪れる地元の方々が少なくないことも納得できます。朝食はセットメニューとしているものはおかずのみ。サラダやご飯、味噌汁やソフトドリンクはおかわり自由なのでボリュームは凄いです。
ただひとつだけ難を言うと夕食時に付いてくるドリンク1杯が味がしない。氷が溶けたのか水っぽいコーラゼロはちょっと・・・っと感じを受けました。
しかし1泊2食付きで7,480円、クーポン使えば6,780円だと言うことならばケチをつける理由もありません。おトク感満載のホテルでした。- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- コザ中心部からすぐです。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 言うことなしです。
- 客室:
- 5.0
- 清掃は行き届いていました。
- 接客対応:
- 5.0
- この場所でのウチナー言葉が凄く良い感じ。
- 風呂:
- 5.0
- 古いですが綺麗です。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- ライトコーラ以外は満点です。
- バリアフリー:
- 4.0
- 入口に段差があります。











































































































