特設警備第223中隊永岡隊慰霊之碑に参拝しました。
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- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
那覇 クチコミ:66件
首里近くにある臨済宗妙心寺派太平山安國寺、沖縄本土復帰後に宗教法人化した新しい寺院ではあるものの、歴史は第一尚王朝時代に遡る沖縄では歴史ある寺院のひとつです。この場所を訪れた理由は、境内に建立されている〝特設警備第223中隊永岡隊慰霊之碑〟に参拝するためです。
沖縄戦に於いて〝唯一の郷土隊〟とも言われる部隊を率いたのは安国寺住職兼沖縄一中教諭であった永岡敬淳大尉でした。部隊には在郷軍人や学徒から構成されており、32軍司令部の首里撤退時にはしんがりを務めたことでも知られています。南部撤退の最後部についていた部隊は、米軍の標的にされること多くしばし馬乗り攻撃を受けつつも沖縄島南部へと撤退を続けました。
しかし昭和20(1945)年6月22日に永岡隊長が壕を出て自決され、隊員の半数は戦死するといった結果で部隊は終わりを告げました。
撤退するにあたり斬り込み等を行ってきた部隊ではあれど、最後の一兵まで戦えとの訓示はなかったため、戦死したものも多いものの米軍に保護されて生き残った学徒や兵士の話も残っています。
大典寺の積徳女学校慰霊碑同様所縁ある寺院の境内に慰霊碑が建てられています。確かに地元民が戦争で犠牲になったことは間違いないものの、しばしば行動を共にしていたす篠原保司中尉率いる〝沖縄一中鉄血勤皇隊〟同様学徒隊員より〝前面〟に立つことによって犠牲者をむやみに増やした指導者ではないことが分かります。
人情味あふれる隊長(指導者)は軍人には違いありません。しかし軍が組織として行ったことを、構成員である個々の軍人も同じという考えには賛同できません。そのような誤解が原因でこの中隊慰霊碑があまり知られていないことが残念に思えて仕方がありません。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 首里城からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- お葬式があると多いようです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 一部埋め込んだ石によって凸凹があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 改装されてキレイにはなっていますがやはり重みは感じます。
クチコミ投稿日:2019/07/16
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