読谷村掩体壕
名所・史跡
3.29
クチコミ・評判
1~6件(全6件中)
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読谷村の戦争遺跡(飛行機跡)
- 2.5
- 旅行時期:2024/06(約2年前)
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場所が分かりずらい掩体壕跡、義烈空挺隊玉砕之地
- 4.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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お椀を伏せたような形
- 3.5
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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最後のひとつとなりました。
- 5.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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沖縄での戦いの準備段階のひとつとして作られた読谷山飛行場(沖縄守備第32軍の呼称沖縄北飛行場)。その施設として軍用機を爆撃... 続きを読むから守るために作られました。
しかし昭和20(1945)年4月1日に上陸した米軍上陸部隊によってほぼ無抵抗で占領され、後に本土爆撃の拠点として利用されることとなりました。その飛行場機能を破壊すべく5月24日に義号作戦として奥山道郎隊長以下の義烈空挺隊が突入、玉砕という結果ではあるものの読谷山と嘉手納飛行場の機能が丸一日停止したとされています。
日本軍が作りながら米軍にそのまま利用されることになった読谷山飛行場。突貫工事で作られたものは十・十空襲で壊滅的な被害を被っており、なんのために作ったのかすらわからないものと説明されているようです。
しかし戦闘機が確かに駐機していたことはこの掩体壕の存在からもわかります。付近に後2つあった掩体壕も劣化を理由に取り壊しとなり、残ったひとつには壕内補強工事を施されて現在に至っています。
掩体壕隣の義烈空挺隊玉砕之地碑は以前読谷村役場隣の飛行場滑走路跡に建てられていたものがいつの頃からこの場所に移設されたものでした。義烈空挺隊の戦果には様々書かれているものの、間違いなく1機は飛行場に強行着陸を敢行しました。その破壊工作のために旧飛行場一帯が玉砕之地としても間違いではないでしょう。
また現存する掩体壕も劣化が目立つものとなっており、後世に残すにはあまり条件が良くないように見受けられました。戦跡を残すことに賛否はありますが、そこに意見や考え方を入れてしまうことは、史実を伝えることに対し〝誘導する要素〟が含まれてしまうように危惧します。
ありのままの姿を見せてどう思うか?どう考えるかを見たママの判断をすれば良い・・・。そう改めて感じた今回の掩体壕訪問でした。 閉じる投稿日:2019/07/09
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畑の中に
- 5.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
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軍用機を保護するために作った戦争史跡
- 4.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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「読谷村掩体壕」は、読谷村役場の北、読谷村運動場裏手の原野の中にひっそりとあります。日本軍が敵の攻撃から軍用機を保護するた... 続きを読むめに作ったもので、「掩体壕」の前には説明板があり、壕内に残された戦闘機の残骸の写真を見ることができます。工法は、地面におわんを伏せた形に積み上げた土の上半分にセメントを流し、乾いたら中の土を取り除くという方法で、鉄筋は入っていないそうです。この周辺には当時「掩体壕」がたくさん造られたが、そのほとんどが取り壊されてしまい、現在遺されているのはこの一つだけです。貴重な戦争史跡で、2009年に読谷村の史跡に指定されていますが、見る限り保存状態が良いとはいえない状況でした。
閉じる投稿日:2013/05/10
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