最後のひとつとなりました。
- 5.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
恩納・読谷 クチコミ:14件
沖縄での戦いの準備段階のひとつとして作られた読谷山飛行場(沖縄守備第32軍の呼称沖縄北飛行場)。その施設として軍用機を爆撃から守るために作られました。
しかし昭和20(1945)年4月1日に上陸した米軍上陸部隊によってほぼ無抵抗で占領され、後に本土爆撃の拠点として利用されることとなりました。その飛行場機能を破壊すべく5月24日に義号作戦として奥山道郎隊長以下の義烈空挺隊が突入、玉砕という結果ではあるものの読谷山と嘉手納飛行場の機能が丸一日停止したとされています。
日本軍が作りながら米軍にそのまま利用されることになった読谷山飛行場。突貫工事で作られたものは十・十空襲で壊滅的な被害を被っており、なんのために作ったのかすらわからないものと説明されているようです。
しかし戦闘機が確かに駐機していたことはこの掩体壕の存在からもわかります。付近に後2つあった掩体壕も劣化を理由に取り壊しとなり、残ったひとつには壕内補強工事を施されて現在に至っています。
掩体壕隣の義烈空挺隊玉砕之地碑は以前読谷村役場隣の飛行場滑走路跡に建てられていたものがいつの頃からこの場所に移設されたものでした。義烈空挺隊の戦果には様々書かれているものの、間違いなく1機は飛行場に強行着陸を敢行しました。その破壊工作のために旧飛行場一帯が玉砕之地としても間違いではないでしょう。
また現存する掩体壕も劣化が目立つものとなっており、後世に残すにはあまり条件が良くないように見受けられました。戦跡を残すことに賛否はありますが、そこに意見や考え方を入れてしまうことは、史実を伝えることに対し〝誘導する要素〟が含まれてしまうように危惧します。
ありのままの姿を見せてどう思うか?どう考えるかを見たママの判断をすれば良い・・・。そう改めて感じた今回の掩体壕訪問でした。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 読谷村役場から5分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 天気も悪かったので訪れる方もいないようです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場はかなり悪いです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 後世に残してもらいたい戦跡です。
クチコミ投稿日:2019/07/09
いいね!:13票
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