frau.himmelさんへのコメント一覧(140ページ)全1,449件
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なつかしいです、ヴュルツブルク
こんばんは、ハッピーねこです。
ワインを目的にヴュルツブルクに立ち寄られたなんて
素敵ですね。
私も去年の5月末に2泊しました。
去年も同じ頃に同じ街を訪れていた偶然。うれしいです。
ビュルガーシュピタールは私が訪ねた時は工事中で
中へは入れませんでしたので(ひょっとしたら外側が工事中な
だけだったのかもしれませんが)中の様子が拝見できて
よかったです。
私が行った頃もヴュルツブルクの街全体がワイン祭りでしたが、
まだそれの開催期間だったのですかね?
ビュルガーシュピタールのワインは帰りに空港で購入しました。
美味しかったので今年も買いました。
実はさっきも飲んだところです。(笑)
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RE:ダッハウ収容所
Frau.himmelさん 今日は
いつも興味深いレポートありがとうございます。ところで、ダッハウ収容所を解放したのは日系アメリカ人の部隊です。(たしかテキサス編成の)第34師団(第442連隊第552大隊)がイタリア(サレルノ・モンテカシーノ・ピサ)、フランス・アルザス東部の山岳地帯(ブリュイロールの街)での戦闘(テキサス第1大隊救出のため)の後、ドイツ本土に侵攻し、ドイツ軍との戦闘の末、ダッハウ収容所を解放しました。ただ、この事実は、1992年まで公表されませんでした。なお、日系部隊の活躍に関する本がいくつか出版されています。2011年06月11日16時00分返信するRE: RE:ダッハウ収容所
しょうちゃんさま こんばんは。
お出でくださるのをお待ちしておりました。
しょうちゃんさまに教えていただきたいことがあったのです。
ところで、ビックリしました。私の聞きたかったことは将にコメントくださったことについてでした。
> ダッハウ収容所を解放したのは日系アメリカ人の部隊です。
>ただ、この事実は、1992年まで公表されませんでした。
この件でした。ダッハウのことを調べていくうちにこの問題にぶつかりました。
どうして1992年まで、日系アメリカ人の部隊がダッハウを解放したことをアメリカ軍は隠さなければならなかったのか?
ダッハウに向かえと言うのは連合軍の指示だったわけでしょう?しかも、ドイツ軍はその時はもう負けるのは解かりきっていた状況ですよね。
勝算は100%あったことなので、日系人に手柄を持っていかれたというほどのことでもないと思ったのです。
いくら敵国(当時)日本の血が混じっているからといっても、米軍所属には間違いないわけだし…。
それに、ダッハウを解放した連合軍(日系アメリカ人の)はその後、収容所に残っていたドイツ人看守を銃殺したり、囚人と一緒にリンチしたりしているわけですし、それがダッハウの虐殺として問題になったと聞きました。敵国日本の血が混じっていることを米軍が嫌っていたのなら、それらの責任を押し付けるいい機会ではなかったかと思うのですが…。
私にはそこのところがどうしても理解できなくて、しょうちゃんさまにお聞きしたいと思っていたところでした。
あっ、しょうちゃんさまのコメントにその答えは出ていますね。
今、もう一度コメントを読み返してみて少しわかりました。
> ・・・・・(テキサス第1大隊救出のため)の後、ドイツ本土に侵攻し、ドイツ軍との戦闘の末、ダッハウ収容所を解放しました。・・・
ここでしょうか?
日系アメリカ軍はダッハウに向かったのではなく、テキサス第1大隊救出に向かって、棚ボタでダッハウを解放した…、と。
そうなると大手柄ですね。こう考えて良いんでしょうか?
すみません。ここのところ毎日ダッハウのことばかり考えていましたので、頭が少しぼーっとしています。
himmel
> Frau.himmelさん 今日は
> いつも興味深いレポートありがとうございます。ところで、ダッハウ収容所を解放したのは日系アメリカ人の部隊です。(たしかテキサス編成の)第34師団(第442連隊第552大隊)がイタリア(サレルノ・モンテカシーノ・ピサ)、フランス・アルザス東部の山岳地帯(ブリュイロールの街)での戦闘(テキサス第1大隊救出のため)の後、ドイツ本土に侵攻し、ドイツ軍との戦闘の末、ダッハウ収容所を解放しました。ただ、この事実は、1992年まで公表されませんでした。なお、日系部隊の活躍に関する本がいくつか出版されています。2011年06月11日22時23分 返信するRE: RE: RE:ダッハウ収容所
>Himmel さん こんばんは。
> > ダッハウ収容所を解放したのは日系アメリカ人の部隊です。ただ、この事実は、1992年まで公表されませんでした。
推察ですが、ダッハウ収容所にいた生き残ったユダヤ人たちが1992年にこの部隊の生き残りを(たしか)イエルサレムだったかに(お礼の意味をかねて)招待したからでしょう。時間が経ち、情報公開がすすんだのでしょう。
> どうして1992年まで、日系アメリカ人の部隊がダッハウを解放したことをアメリカ軍は隠さなければならなかったのか?ダッハウに向かえと言うのは連合軍の指示だったわけでしょう?
(違います。部隊は威力偵察に行って偶然発見したということです)。つまり指示(敵の動向を探るための偵察)ではなかったということです。ダッハウに収容所(米軍は収容所の意味さえ理解していなかった)があるとは思っていなかった(初めての経験と思われる)。
ドイツ軍の兵士は戦意をなくしていました(西部戦線は総崩れ・ただし東部戦線は頑強に抵抗、ゲッペルスの記録により)が、筋金入りのSS部隊が守っていました。
戦後、帰国しても日系米兵はジャップとして蔑まれていました。米政府は、戦時中日系米人を捕虜収容所(ゲットー)に入れていましたことを思いおこしてください(イタリア系・ドイツ系米人にはない。つまり人種差別です)。なお、ヒトラーがユダヤ人をゲットーに押し込めたのは、米政府がインディアンを隔離したことをヒント(参考)にしています。
> それに、ダッハウを解放した連合軍(日系アメリカ人の)はその後、収容所に残っていたドイツ人看守を銃殺したり、囚人と一緒にリンチしたりしているわけですし、それがダッハウの虐殺として問題になったと聞きました。
質問:この件については、一体どの文献からの引用でしょうか?なぜなら、ダッハウ収容所を開放したあと、日系部隊(442連隊)はベルヒテス・ガーデンの確保を命じられ、すぐ移動してしまったからです。さらに到着後、ベルヒテス・ガーデンの本や資料は米兵の略奪(記念品や転売目的)にあっています(たしか、ヒットラーの図書に関する本参照)>
なお、囚人にはリンチする体力がなかったし、近隣住民は収容所について知らなかったと否定した。そんなわけないだろうと、米軍が近隣住民を一時囚人の苦しみを味あわせるために、収容所に入れている。
> フランスのボージュ山脈の町ブリュイエール(テキサス第1大隊221名を救出のため、442連隊は800人近い死者を出した。そのうえ救出された部隊の指揮官(A中佐)は、救出した日系米兵に対して、”なんだジャップか”と言っています。日系中尉が抗議した)。その後、部隊はドイツ本土(ライン川東岸)に侵攻し、ドイツ軍との戦闘の末、ダッハウ収容所を解放しました。・・・
>> > Frau.himmelさん 今日は
2011年06月11日23時30分 返信するRE: RE: RE: RE:ダッハウ収容所
> >Himmel さん こんばんは。
追加。ダッハウ収容所が解放されたのは1945年5月2日です。まだ、日本とは戦闘中ですから、日系アメリカ人が欧州戦線に参加しているとは公表しにくい状況にあったことは確かです。なお、参考書として、リトアニア系ユダヤ人ソリー・ガノール「日本人に救われたユダヤ人の手記」講談社があります。なお、彼は杉原に脱出するようアドバイスされたそうですが、決断が遅れたとのこと。以上2011年06月12日00時38分 返信するRE: RE: RE: RE:ダッハウ収容所
しょうちゃんさま おはようございます。
早速お返事くださいましてありがとうございます。
> > > ダッハウ収容所を解放したのは日系アメリカ人の部隊です。ただ、この事実は、1992年まで公表されませんでした。
> (部隊は威力偵察に行って偶然発見したということです)。つまり指示(敵の動向を探るための偵察)ではなかったということです。ダッハウに収容所(米軍は収容所の意味さえ理解していなかった)があるとは思っていなかった(初めての経験と思われる)。
この件はしょうちゃんさまのご説明でよく理解できました。
そうですね。1945年5月というとまだ日本が連合軍と戦闘中でしたから、人種差別というより、敵国日本人の部隊が手柄を立てたと言うことを、公表したくなかったという意味合いが強いですね。
しょうちゃんさまのご説明にあるように、ダッハウ強制収容所を【偶然】発見した、日系米兵は本来なら大功労者なんですね。
しかもそれまで【米軍は収容所の意味さえ理解していなかった】というのは驚きました。
> 戦後、帰国しても日系米兵はジャップとして蔑まれていました。米政府は、戦時中日系米人を捕虜収容所(ゲットー)に入れていましたことを思いおこしてください(イタリア系・ドイツ系米人にはない。つまり人種差別です)。なお、ヒトラーがユダヤ人をゲットーに押し込めたのは、米政府がインディアンを隔離したことをヒント(参考)にしています。
それから、ゲットーの件、え、そうなんですか?
ゲットーと言うと、私の中ではどうしてもワルシャワ・ゲットーとの印象が強く、てっきりドイツ(ナチス・ドイツ)の特別のものだと思っていました。
ダッハウの虐殺の件
私はダッハウを訪問するに当たり、参考資料としてwikipediaだけを持参しました。そこにこのような説明がありました。
【収容所が連合軍に降伏すると、収容所守備部隊は米兵が行った即決裁判による銃殺刑(いわゆる「ダッハウの虐殺」)のために恐慌に陥った。殺された正確な人数は不明であるが、ある資料によるとこの方法で処刑されたのは35人に過ぎず、残りの515人は恐らく逮捕されたり逃亡したと考えられている。米兵に殺害された者の中には、ダッハウ収容所最後の所長となったヴィッカーSS少尉もおり、兵士らに私刑を受けた後に銃殺された。その遺体は収容者の遺体と共にしばらく放置された。】
その件について、今朝少し調べてみました。
どうもダッハウの虐殺は日系米兵の仕業ではないようです。
ここにありました。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-14.html
その他にも【パットン将軍の緘口令】でいくつか検索できました。
ほんとうにいろいろ興味深いことを教えていただいてありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
himmel2011年06月12日10時00分 返信する -
私も気をつけています。
frau.himmelさん
ベルリンの旅行記に投票いただき、ありがとうございます。
ところで・・・そうなんですよ〜あのルフトハンザの広告、惹かれますよね〜。「こんな時期に、こんなお値段で!」みたいな。ま、私もそのノリで、昨年ドイツへ行ってきたんですが。
いろいろなトラブル、大変でしたね。私もいつもターミナルやホテルの名前、場所、部屋番号(これがね〜移動ばかりしていると忘れるのよ)はドキドキで、ホテルにチェックインしたら、部屋番号の書いてあるホテルのカードは絶対に携帯します。逆に、何でみんな平気なんだろう、って思うぐらいです。
ま、でも失敗しても一人旅だと誰も見てないから。うまく誤魔化してます。道に迷っても、散策するふりしてたりとか・・・(内心はドキドキなんだけど)
この後の旅行記も楽しみにしています。
ペコリーノRE: 私も気をつけています。
ペコリーノさま こんばんは。
コメントありがとうございます。
ベルリンにゆっくり滞在されて隅々まで街歩きをなさっている…、何だかわが意を得たりのような気持ちで読ませていただきました。
みなさん、ベルリンは有名どころだけ観光なさって、さっと他の街に移動される方が多いですよね?
ベルリンは私も大好きな都市、同志を見つけたようにうれしくなりました。
ペコリーノさん、ドイツがお好きなんですね。
> ところで・・・そうなんですよ〜あのルフトハンザの広告、惹かれますよね〜。「こんな時期に、こんなお値段で!」みたいな。ま、私もそのノリで、昨年ドイツへ行ってきたんですが。
そうでしょ? やっぱりあの値段は気になりますよね。
でも時期が時期だけにどうしようかなと悩んだ挙句、私にはあの時期しか行けなかったので、えいやっと思い切って実行しました。
いろんなトラブルも調査時間が足りなかったから(齢のせいではなく・笑)。
ミュンヘンのホテルには参りましたね。朝まで帰れないかと思いました。
旅名人のペコリーノさまだって、ちゃんとホテルのカードは携帯してらっしゃるのに、一体私何を考えていたのやら…。
でも、この旅で失敗はこれで終わりではないんです。
スローペースなのでいつになるかわかりませんが、また笑ってやってくださいね。
ペコリーノさまのドイツ編、また寄らせていただきます。
himmel2011年06月10日20時29分 返信する -
エッセンってこういうところだったんですね。
frau.himmelさま、こんにちは。
先日はわたしの旅行記に訪問&書き込みありがとうございました。
himmelさまは本当にドイツのいろいろなところに
行っているんですね。
とはいえ、実はわたしもEssenには3度ほど行っているんですが、
毎度観劇に忙しく、またクリスマスマーケットの
シーズンだったりで、それで満足して、ほとんど街歩きも、
美術館にも行っていません。
ESSENなのに、ノルトゼーとサブウェイしか行ってないし(^^;;。
でも。himmelさまはいいときに美術館にも行けたようで、
うらやましい。
わたしも次回があればいろいろ歩きたいです。
でも、Essenのミュージカルを上演する劇場が常設でなくなったため、
また行くかどうかは微妙です・・。
ですので、この旅行記を見て行った気にさせていただきます。
また、追々他の旅行記も見させていただきますね。
では。
akanetsubo
RE: エッセンってこういうところだったんですね。
akanetsuboさま こんばんは。
エッセンに3度も行ってらっしゃるのですか!
すごいドイツ通なんですね。
エッセンってルール工業地帯というだけの、マイナーな街だと思っていました。
今回は、夫がボーフムとアーヘンに用事があったので宿泊したようなものの、そうでなかったら立ち寄ることはなかったと思います。
ところが、行ってみるとホントにステキな街でしたね。
もう一度機会があったら行きたいと思います。
> ESSENなのに、ノルトゼーとサブウェイしか行ってないし(^^;;。
実は私もそうなんです。エッセンなのに、駅中のアジアンテイストで済ませちゃったりして…(笑)。
あ、でもカウフホーフの量り売りのレストランでは食事をしました(あんまり変わらない…)
> でも。himmelさまはいいときに美術館にも行けたようで、
> うらやましい。
美術館はラッキーでした。すごく人も多かったけど…。
akanetsuboさまは観劇旅行が多いんですね。いいご趣味ですね。
また、旅行記に寄らせていただきます。
himmel2011年06月10日19時56分 返信する -
ミュンヘンの街角
Frau Himmelさんのミュンヘンへの旅、とても参考になり勉強させて頂き
一言お礼を申し上げたく初めてこのようなサイトに登録してコメントさせて
頂きます。私四捨五入せずに70台突入でこの6月に初めての一人旅をミュンヘンに決めて準備中です。失敗談がとても役にたちました。ラーツケラーのアスパラ是非賞味してきます。Geschwister Schollのこともくわしく教えて戴き感謝です。どのような失敗が待っているかわかりませんが、行ってきまーす。流行っているO-11?が心配ですが。Vielen Dank!RE: ミュンヘンの街角
Toyoさん おはようございます。
コメントありがとうございます。
私へのコメントのためにフォートラベルに登録してくださったとのこと、わぁー感激です。
同じシニア(しかもお互いにかなり?)同士、どうかこれからよろしくお願いいたします。
さて、6月にミュンヘンにご旅行なさるとのこと、もうすぐですね。
ドイツも一番いい時期ではないでしょうか。羨ましいです。
前回あんな失敗をして(まだ失敗談は続きます)、もう一人でのドイツ旅行は今回が最後かなと思ったばかりなのに、今となってはそれらも楽しい思い出で、また行きたーい、と思っている私です。
Toyoさんの年齢をお聞きして、私もまだまだひとり旅をするぞーって励まされました。
> ラーツケラーのアスパラ是非賞味してきます。
6月の時期によってはもうアスパラガスは置いていないかも知れませんが、ドイツ料理も充実していますので、ぜひいらしてみてください。
ただ、ドイツのレストランは量がとても多いのでビックリなさいますよ。
シニアの私には、ワインとアスパラガスなどの軽い1皿で十分でした。
ホーフブロイ・ハウスもお薦めです。
夜は混雑していますので、午前中の人が少ない時間帯に、中庭の木の下でゆっくり白ソーセージとプレッツェルをビールと共にいただきました。
ドイツはどちらを回られるのですか?
もし私が行ったところなら何らかのアドヴァイスが出来ると思いますので、心配なことがあれば質問してください。
では、グーテ・ライゼ!
himmel2011年06月04日09時28分 返信するRE: RE: ミュンヘンへ!
Frau Himmelさま
早速にお返事頂き感激です。このようなお話ができるなんてとっても
嬉しいです。新しい世界に踏み込んで一歩前進といった気分です。
ミュンヘンは10日程滞在してゆっくり美術館めぐりなどしようかなと
先ず市電やUバーンを乗りこなしてと、初歩の初歩です。スーツケースを引っぱっての都市めぐりはきついので今回はミュンヘンからバンベルク1泊、
レーゲンスブルク日帰りとささやかな楽しみです。
何かアドヴァイス、よろしくお願いします。これがうまくいけば毎年ドイツにささやか旅行しようかなと。
>
> 6月の時期によってはもうアスパラガスは置いていないかも知れません
>
アスパラガスなければ残念!
私の悩みは日本でも小食で一人でドイツのレストランに入るのは無理かなということ それとおそろしい方向音痴!ホテルに帰れなくなった件 身につまされました。
ダンケシェーン Toyo2011年06月04日22時39分 返信するRE: RE: RE: ミュンヘンへ!
おはようございます Toyo さま
ミュンヘンに10日滞在していろいろお回りになるんですね。
そうですね、私たちシニアの旅は大きな荷物を引っ張っての移動は大変ですから、私もいつも荷物をどうするかと考えてスケジュールを決めています。
今回はミュンヘンの美術館巡りなどとバンベルク、レーゲンスブルクにもいらっしゃるとのこと。
バイエルン城廻りチケットをご存知ですか?
バイエルン中のお城やレジデンツ、入場料が必要な教会などに使えて、確か一人用だったら20ユーロ弱(2人用で34ユーロでしたから)で14日間有効です。私の旅行記「2009秋 リンダーホーフ城編とヴュルツブルク編」でも紹介していると思います。よかったら読んでください。
バイエルン中のほとんど全てのお城が無料になりますので、Toyoさまのようにミュンヘンに滞在されて健康される方にはとてもお得だと思います。(ミュンヘンではニンフェンブルク城とレジデンツが使えます)
ミュンヘン市内の観光案内所でも購入できるかと思いますが、私は最初見学したお城で買いました。
このカードはクオカードみたいなもので、実際にお城やレジデンツをご覧になるときは、窓口で正式な入場券に取り替えてもらいます。
必要でしたら、後でしらべてサイトアドレスを貼り付けますね。
今回いらっしゃるバンベルク、レーゲンスブルク、両方ともバイエルンチケットが使えますね。ご存知だと思いますが、バイエルン中乗り放題の切符です。バスや路面電車にも使えます。
一人用19ユーロくらい。ただし、自販機で購入した場合ですから、窓口で購入すると2ユーロ余計に取られます。あちらの人は親切ですから教えていただいて自販機で購入されたほうがお得です。
バイエルンチケットがあると、ザルツブルクや、ヘレンキムゼー(ルートヴィッヒ2世が建てた有名なお城、湖に浮かんでいます)があるプリーン、ヴュルツブルク、ニュルンベルク、または大聖堂で有名なウルムとアウクスブルクの組み合わせなど、いろいろ候補地は広がりますね。
これもICやICEなどの新幹線・特急には乗れませんが、REやRBなどの使える車両は多いです。ただし、9時からしか使えないと言うところがネックなのですが…。
でも、6月は9時頃まで明るいですから心配ないと思います。
シュパーゲル(白アスパラガス)は6月25日(?)くらいまでしか出荷していけないと決まっているそうで、その後は忽然とレストランから姿を消してしまいます。まだ間に合うようでしたらお試しください。これも時期ものですからメニューには載っていませんので、「シュパーゲルはありますか?」と聞くと、特別のメニューを出してくれます。シュニッツエル(トンカツみたいなもの)やハムなどの一緒になったものなどいろいろありますが、私はいつもジャガイモだけが付いた「シュパーゲル・クラシカル」をいただきます。朝食にハムやチーズ、ソーセージなどのたんぱく質はたくさん摂りますので、私はこれで十分なのです。
そのほか、食が細いシニアにはスープだけ(こちらのスープは食べるスープですからしっかりしています)やサラダが中心の軽い食事もレストランにはあるようです。また駅ではいろんなサンドイッチ類が買えますし、ミュンヘンにはデパートもたくさんあり、デパ地下で購入されるなど、食事はそんなに心配は要らないと思います。
私はワインが好きなので、1日1回はレストランで食事をするようにしています。
なんだか取り留めのないことをダラダラと書きましたが、お役に立ちますでしょうか?
himmel2011年06月05日11時21分 返信するバイエルンチケット
Frau Himmelさま
いろいろ教えて戴きありがとうございました。
バイエルチケット知らずにDBでバンベルクとレーゲンスブルクの列車のチケット買ってしまいました。ずい分お安くいけるのですね。次の機会に是非
チャレンジいたします。16日出発ですのでアスパラガス間に合いそうですね。ミュヘンに着き次第ラーツケラーに直行いたします。帰ってまいりましたら又ご報告させて頂きます。本当に有難うございました。Toyo
2011年06月06日20時40分 返信する -
羨ましいです!!
frau.himmelさん こんにちは!!
きょうはfrau.himmelさんのベルリン旅行記にお邪魔しました。
ベルリンの壁の崩壊を中心に、ベルリンの歴史と今を丹念にご覧になっておられるご様子が思い浮かぶお話でしたね。
一つの国が分断されるというのは、本当に悲劇としか言いようがないですね。つらい時も苦しいときも皆と一緒なら頑張れるのに、親族までもが別れ別れにされてしまうなんてね〜。
> この回は写真だけの旅行記にしてしまおうかな…、と何度思ったことか!
そういうお気持ちを乗り越えてお話しなされたこと、私も深く学ばせていただきたいと思います。
「ペンは剣よりも強し」
frau.himmelさんのこのような旅行記こそ、本当に価値あるものと思います!! 私たちがもっとも知りたいことでもあるのです。
frau.himmelさんのベルリン旅行記に出会えたこと、私にとってとっても嬉しい出来事でした(^-^)
お話を伺っていますと、「今」というときがどれほど貴重な時かと教えていただいているような気がします。
話は変わりますが、
frau.himmelさんご夫妻には外国語がご堪能で自由な旅行のできますこと、とっても羨ましいです!!私たちは英語も全くダメなので、ツアーでしか外国に行くことができません(ツアーが不満なのではなくて、見たいところ調べたいところをゆっくり見て、聞いて回ることの出来ないのが残念なのです)。
ありがとうございました。
それでは、また・・
カメちゃん私も RE: 羨ましいです!!
カメちゃんさま こんばんは。
コメントありがとうございます。
またベルリン旅行記を読んでいただいて、多くの投票ありがとうございます。
何分にも、ベルリンの歴史を辿る旅行記なんて地味なテーマは、一般受けしないので、読んでいただけただけでもうれしいです。
> 「ペンは剣よりも強し」
> frau.himmelさんのこのような旅行記こそ、本当に価値あるものと思います!! 私たちがもっとも知りたいことでもあるのです。
> frau.himmelさんのベルリン旅行記に出会えたこと、私にとってとっても嬉しい出来事でした(^-^)
過分なお褒めの言葉をいただいて恥ずかしい限りです。
そのお言葉だけで、あの時苦悩しながら、やっとのことで書き上げた苦労が報われるような気がします。
> 話は変わりますが、
> frau.himmelさんご夫妻には外国語がご堪能で自由な旅行のできますこと、とっても羨ましいです!!私たちは英語も全くダメなので、ツアーでしか外国に行くことができません(ツアーが不満なのではなくて、見たいところ調べたいところをゆっくり見て、聞いて回ることの出来ないのが残念なのです)。
外国語がご堪能?
とんでもありません。還暦の数年前からはじめたドイツ語なので、ぜんぜん覚えられなくて、夫に「こんな上達の遅い生徒は珍しいんじゃないか」とあきれられています。ですから、いつも失敗ばかり。その失敗を楽しみながら旅をしている感じです。
私もツアーによく参加します。
ツアーも楽しいですね。
カメちゃんさまの旅行記を見せていただくと、愛妻さまといつもご一緒で、そのやり取りがまた微笑ましい。
またツアーの皆様といつも和気藹々で、旅行後もオフ会で盛り上がっていらっしゃるご様子、羨ましいと思います。
ツアーが終わった後まで、ああいうお付合いができると言うのはなかなか出来ることではありません。やはりカメちゃんさまのお人柄なんでしょうね。
カメちゃんさまの旅行記、コメントがとても面白いですね。それに文章もとても素晴らしい。
たぶん同じような年代だからか、共感する部分も多くて、そうそう!、なんて、頷きながらニヤニヤしています。
これから、カメちゃんさまの旅行記にお邪魔します。
これからもよろしくお願いいたします。
himmel2011年05月30日21時22分 返信する -
すばらしい旅!!
frau.himmelさん はじめましてm(_ _)m
ご訪問戴き有り難う御座いました。
ホロコースト会議のお話、心にジーンとくるお話でしたね。
ワールドカップで街中がお祭り騒ぎの中にもかかわらず、frau.himmelさんのお心は歴史を見つめようとされていた。私はそのことに、感動せずにはおれませんでした。
旅にもいろいろありますが、そうした想いをもって旅をなされたことは、本当にすばらしいと思います。心底より共感します。
> 「ユダヤ人問題の最終解決という議題で会議・・
こんな会議があったなんて、本当にひどい話ですね!!
会議時間は僅かに90分!!(>_<)(@_@)
全くもってひどい!!(>_<) 無茶苦茶!!としか言いようがありません(それでも足りないくらいです)
> 湖畔の瀟洒な別荘で、歴史上類を見ないおぞましい虐殺の話し合いがなされました。
> 似つかわしくない場所です。
本当にお話の通りですね!!
人々の目から隠された場所でそんな話をしていたのか!!と、怒りと失望を感じます。
彼らの非道な振る舞いがなぜ生じたのか??
その原因を打開する道はなにか??
それは、今の私たちにとって一日たりとも欠かせないテーマのような気がしますね。
frau.himmelさんのこの旅のお話に触れて、改めて心引き締まる想いがしました。
これからもよろしく御願いします。
カメちゃんRE: すばらしい旅!!
カメちゃんさま こんばんは。
メッセージありがとうございます。
出先で拝見したものですから返信が遅くなり申し訳ありません。
何だか過分にお褒めいただき恥ずかしい限りです。
ボケ防止のために、出来るだけコメントをつけた旅行記にしたいと思い、いろいろ調べて書いております。
歴史を調べていくうちにどんどん面白くなり、最近はそういうテーマばかりの旅行記になってしまいました。
実は、この5月にもドイツを旅行いたしまして、ミュンヘンではダッハウ強制収容所を訪れました。
余りにも重いテーマなので、どのように旅行記にしたらよいか、会員の皆様はどのようにまとめていらっしゃるのか、それを知りたくて探しておりました。
そうしたら、カメちゃんさまの素晴らしいダッハウ旅行記に出会いました。
読んでいくうちにカメちゃんさまの悲痛な叫び声が聞こえるようでした。
ダッハウには2度も訪問されて、とても詳細に調べられており、もう感嘆・感嘆…、です。
私など足許にも及びませんが、参考にさせてください。
ダッハウのほかにも今回は、白ばら記念館、ニュルンベルクのナチス党大会の会場跡、西ドイツの首都だったボンなどを訪ね、第三帝国時代のことやドイツの現代史を勉強してまいりました。
これらも旅行記にしたいと思っていますので、その節はぜひご助言ください。
私の方こそ、これからもよろしくお願いいたします。
himmel2011年05月16日21時51分 返信する -
RE: 空港運送スタッフの対応
frau.himmelさん こんばんは。
空港のスタッフはLHのスタッフか、あるいは空港グランド・サービス(外部委託)かわかりませんが、スタッフはあなたのチケットを見て、旅客システムの記録(PNR=Passenger Name Record)をリトリーブできなかったので(見つからなかった)ので、事務スタッフのところに行くよう指示したわけです。彼女の仕事(の範囲・職務)ではないからです。しかし、彼女の指示あるいは意味がわからなかったあなたが、まごまごしたということです。おそらく、団体扱いで記録が作成されていたので、グループのみんなが帰国した時にその記録はなくなってしまったのです(通常48時間ぐらいは記録を検索できる)。本来ならばPNRを分離しておけば、あなたが空港にショウ・アップしたとき記録(PNR)が残っていなかったので、トラブルになったのでしょう。通常、空港で別の飛行機に乗り継ぎする際、何らかの理由で旅客が指定された飛行機に乗り遅れた場合、その次の飛行機のボーディング・パスは事務室に行って理由を言えば再発行してもらえます。あなたにとって、初めての経験だったから驚いたということです。2011年05月14日21時02分返信するRE: RE: 空港運送スタッフの対応
しょうちゃんさま おはようございます。
コメントをいただきありがとうございます。
しょうちゃんさまのご説明でようやく納得できたような感じです。
あの時、バウチャーって言うんですか?明細書にはちゃんと間違いなく記入されているのに、どうして空港スタッフは解かってくれないんだろう、とそれが不思議でした。
団体扱いだったので、ツアーの皆が帰国した時点でリセットされてしまっていたと考えると、すごく納得がいきます。
そう考えると、あの時の係員の対応もしごく普通だったわけで、むしろ事務所まで連れて行ってくれたのは親切だったのですね。
でも、再発行してくれる事務所までは遠かったー。一人では絶対辿りつけなかったと思います。
これも今となってはいい思い出です。3年前の出来事です…。
さて、今回ミュンヘンやニュルンベルク、あるいはボンで第三帝国時代の施設にいろいろ行って参りました。ボンはちょっと違いますね。
それを旅行記にしたいと思っていますが、どういう風にまとめたら良いのか、頭を悩ませています。難しいです。
アップしましたら、ぜひご助言お願いいたします。
himmel2011年05月15日09時52分 返信する -
投票いただき有難うございます。
frau.himmelさん
ベームと申します。
「アイゼナハ」旅行記、早々と訪問いただきその上ご投票有難うございました。
「フルダ」の旅行記拝見しました。大聖堂とゲーテの宿ご覧になれなくて残念でしたね。私も2009年9月に行きました。事前に地図を用意していましたので幸い両方とも見ることが出来ました。
大聖堂の素晴しさには圧倒されました。写真が私のフルダの旅行記にありますのでよかったら見てください。
ゲーテの定宿金の鯉亭でゲーテが食べた料理を食べたかったのですがオープンしていませんでした。
インフォメーションは市庁舎ではなくボニファチウス広場に面した建物にありました。
では、次の旅行記アップ楽しみにしています。
敬具2011年04月04日11時47分返信するRE: 投票いただき有難うございます。
ベームさま こんばんは。
> 「アイゼナハ」旅行記、早々と訪問いただきその上ご投票有難うございました。
こちらこそ、何度もご訪問くださって投票してくださっているのに、お礼も申し上げませんで失礼しました。
フルダのインフォメーション、見つからなかったはずです。そこまで私は行っていなかったんですもの。
本当にあの時は何をしにフルダまで行ったんだろうと…(泣)
リベンジする楽しみが出来ましたので良しとします。
ところで、ベームさまは朝日サンツアーズで旅行をなさっていますね。どなたかのコメントで読みました。
私もあの会社のきめ細かなサービスが好きで4〜5回ほど(全部ヨーロッパ)旅行しています。少しお値段がいいのが難点ですが、現役だったから出来たのですね。
懐かしくてツアーでいらっしゃったウィーン編から読ませていただいていました。
ベームさま、旅行記少し編集しなおされましたか?
いえ、前のも素晴らしかったのですが、前より密度が濃くなっているような気がしました。
とても読み応えがある旅行記だと思います。
早速「フルダ」編読ませていただきます。
それから、ベーム様ってお若い方だとばかり思っていましたが、私と同じくらいの方なんですね?(違っていたらすみません)
himmel2011年04月04日21時31分 返信するRE: RE: 投票いただき有難うございます。
frau himmel様
お返事有難うございます。
> ところで、ベームさまは朝日サンツアーズで旅行をなさっていますね。どなたかのコメントで読みました。
> 私もあの会社のきめ細かなサービスが好きで4〜5回ほど(全部ヨーロッパ)旅行しています。少しお値段がいいのが難点ですが、現役だったから出来たのですね。
> 懐かしくてツアーでいらっしゃったウィーン編から読ませていただいていました。
himmelさんも朝日サンツアーズがお好みですか。あそこのツアーは人数を絞りテーマを持った企画をしており、他の旅行会社とは一味違っていますね。
私の「南ドイツの城と街道の旅」は同社のツアーに参加したものです。ヴァイカースハイム、シュヴェーヴィッシュハル、カルフ、チュービンゲン、リンダウなどはマイナーでまず大手の旅行会社のツアーには組み込まれませんから。
>
> ベームさま、旅行記少し編集しなおされましたか?
> いえ、前のも素晴らしかったのですが、前より密度が濃くなっているような気がしました。
> とても読み応えがある旅行記だと思います。
その通りです。最初はフランクフルトからアイゼナハまで一つでしたが、追加したい写真がありそれでは枚数が多くなり過ぎるのでアイゼナハを分離したのです。
>
> 早速「フルダ」編読ませていただきます。
投票までいただき有難うございます。
>
> それから、ベーム様ってお若い方だとばかり思っていましたが、私と同じくらいの方なんですね?(違っていたらすみません)
バレましたか、残念! アラウンド セヴンティです。でも気持ちはhimmelさんと同じです。まだまだドイツ詣でを続けます。
では。
2011年04月05日15時08分 返信する -



