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frau.himmelさんへのコメント一覧(140ページ)全1,434件

frau.himmelさんの掲示板にコメントを書く

  • 一番美しい街は、インスブルックかも知れませんね。

    ご返信有難うございます。ウクライナの首都キエフは、とても美しい街と聞いていました。実際、自分の目で見て美しいと思いました。次に、西ウクライナ中心の町リヴォフに行ったら、あまりの美しさに、キエフの印象が、吹っ飛びました。西ウクライナは、ハプスブルク家の支配だったので、町はオーストリアとよく似ています。第二次大戦終了まで、リヴォフの町は、ポーランド人が多く住む町でした。
    西ウクライナは、支配層がポーランド人で、ウクライナ人は、大半が農奴でした。ポーランド貴族は、ユダヤ人に自分の荘園を管理させていました。それゆえ、西ウクライナでは、反ユダヤ感情が強かったのです。
    1939年9月にドイツとソ連が、ポーランドに攻め込み、西ウクライナは、ソ連領になります。ソ連の秘密警察(ゲーペーウー)は、西ウクライナの民族主義者を、片っ端から捕らえ殺害しました。私の写真にある、カミャネツ・ポデリスキー城が、監獄として使われ、ここでゲーペーウーに殺害されました。
    1941年にドイツ軍は、西ウクライナにやって来ます。監獄や古いお城から、ゲーペーウーによって殺害されたウクライナ人の死体が、運び出されます。西ウクライナの中には、ナチスに協力する者も、沢山でてきます。
    ゲーペーウーのウクライナ人狩りに、ユダヤ人が協力したと信じられ、ウクライナ人たちは、ナチスのユダヤ人狩りに協力します。
    西ウクライナでは、ポーランド人に長い間、虐げられてきたので、ポーランド人に対しても、反感を持っていました。
    1944年、ワルシャワ反乱が発生したのですが、ナチスのヒムラーは、西ウクライナ人の反ポーランド感情を利用しようとして、ナチスに協力するウクライナ人を、送りこみました。ウクライナの兵隊たちは、ワルシャワ市民に対して、暴虐の限りを尽くし、反乱はますます激烈を極めました。「鷲の指輪」というポーランド映画では、ポーランドの女性を、かっさらっていくウクライナ兵が、描かれています。
    第二次大戦終了後、ポーランドは独立しますが、国境が西へ移動します。西ウクライナはソ連領となり、ドイツから取上げた地域が、ポーランド領となります。
    このときに、ソ連とポーランドの共産党政府との間で、民族の交換が決められます。西ウクライナに住むポーランド人は、新生ポーランド領へ移動させられます。一方、ポーランドに住むウクライナ人は、ソ連領に戻されることになります。ポーランドに住むウクライナ人たちは、スターリン支配下のソ連行きに抵抗します。
    このとき、ポーランドの官憲に対して、ウクライナ人たちは、テロでのぞみ、多くの流血をみました。
    ポーランドの共産党政府は、ソ連へ強制移住できなかったウクライナ人を、ウクライナから離れた、ドイツから奪った東部地域に移住させました。
    西ウクライナは、ただの一度も、帝政ロシアに組み込まれなかったのに、ソ連領となりました。
    こういった歴史的背景から、西ウクライナでは、今でも反ポーランド、反ロシア感情が強いです。
    ただ、オレンジ革命で、反ロシアのユーシチェンコが大統領になって、ポーランドとの和解に取り組もうとして、サッカーのヨーロッパ大会のウクライナ・ポーランドの共催が、決められました。
    ところで、現在ロシアには、もう言論の自由は、ありません。テロを警戒して入国手続きに時間がかかります。町のは、警官がところどころに立っています。日本人は、危険とは思われませんが、悪徳警官に呼び止められ、賄賂を要求されます。
    ウクライナ入国は、日本人は、ビザがいりません。入国の審査も早いです。町には、警官も少ないです。大統領の悪口も言えます。言論の自由もあり、テロも戦争もないというのは、こんなに素晴らしいことかと思いました。
    実際、ロシアからウクライナに行かれた方は、口をそろえて、明るい気分になるといいます。
    キエフのガイドさんは、チェチェン戦争について「ロシアは間違っています。勿論、ロシア人も気づいてはいます。でもロシアには、言論の自由がないのです」と、ばっさりでした。
    ウクライナの伸び伸びとした空気に触れると、ロシアから遠のいてしまいます。
    なお、日本人とウクライナ人のお互いバツ1の熟年同士のお見合いが盛んです。キエフでもリヴォフでも、少し恥じらいだ感じで、デートしている日本人男性とウクライナ女性を、目にしました。ウクライナより、日本の方が、一人当たりの国民総所得は、ずっと上(日本の半分が韓国。韓国の半分がポーランド。ポーランドの7分の1がウクライナ)ですが、ウクライナ女性は、高嶺の花で、私には、無理です。
    ガイドさんから、「お見合いのツアーを企画もしています。ただ結婚を前提とした、真面目なお付き合いですよ」と、クギを刺されました。
    このインスブルックの写真を見て、リヴォフより美しいのではと、思いました。
    なぜなら、背景がアルプス山脈だからです。素晴らしいお写真ですね。町はリヴォフと似ています。両方とも、ハプスブルク帝国だったからでしょう。
    あと、ブレンナー峠(ドイツ側の呼び方)を、超えると南チロルですが、ここは第一次世界大戦終了前までは、オーストリア領でした。イタリアが、ドイツとの同盟を裏切り、連合国側にたったため、この地はイタリア領になりました。
    2011年01月30日21時42分返信する 関連旅行記

    RE: 一番美しい街は、インスブルックかも知れませんね。

    浦潮斯徳さま またまた興味深いお話ありがとうございます。
    返信が遅くなり申し訳ありません。

    浦潮斯徳さまが時間をかけて、私のためにコメント下さったもの、私なりに勉強してお返事しないと申し訳ないと思い少し調べておりました。
    結局難しすぎて、あんまり理解できなかった…(スミマセン・汗)

    ウクライナの首都はキエフでしたね。前回間違っておりました。
    リヴォフは西ウクライナなんですか。
    ロシア、ポーランド、ドイツそれにオーストリア・ハプスブルク家といろいろ入り組んでいて本当に分かりにくい相関図ですが、それだけウクライナの人々は歴史に翻弄され続けてきたのですね。
    にも関わらず、とても美しい街なのだとか…、いつか行ってみたいです。

    それにしても、日本人男性とウクライナ女性とのお見合いのお話、とても面白かったです。
    日本とウクライナの国民総所得がそんなに差があると、日本人の男性はさぞやモテモテなのでは…。
    それで、お見合いが成立すると、日本に連れて帰るのですか?

    インスブルックは、ハプスブルクの影響が強く残るきれいな街です。
    残念ながら、少しの時間しか滞在しませんでしたので、博物館などには行かなかったんですが、次回はもう少し歴史など勉強して来ようと思います。
    2011年02月02日15時38分 返信する
  • ウクライナのリヴォフと似ています。

    ご訪問、有難うございます。ヴィースバーデン、聞いたことはありましたが、バーデンバーデンに勝るとも劣らない町だと、初めてしりました。
    あと、リンツの町ですが、西ウクライナのリヴォフと、そっくりです。かつて西ウクライナは、ポーランド分割で、ハプスブルク家の支配するオーストリア帝国になりました。それゆえ、町並みは、ウクライナのキエフとは、まるで違います。ただ、ウクライナは、経済がイマイチなので、町の建物は、窓枠が壊れていたり、レンガが欠けていたりしますが、またそれが素晴らしいのですが。磨かれざる珠が、リヴォフでしょうか。
    リンツが、こんなに綺麗な町だとは、びっくりです。
    あのサウンド・オブ・ミュージックというオーストリアを舞台にした映画ですが、オーストリアでは、評判はイマイチです。オーストリアが、ナチスに染まっていく場面が、不人気です。
    オーストリア東部は、スラブ系の姓が多いと聞いたことがあります。ムッソリーニを救出して有名になったオットー・スコルツェニーも、オーストリア人ですが、姓はスラブ系です。アドルフ・アイヒマンの奥さんは、チェコ人です。あと、メッサーシュミットのエース・パイロットのヴァルター・ノヴォトニーの姓は、チェコ人の姓です。スラブ民族を蔑視するヒトラーを、オーストリア人が、支持したのが不思議です。
    でも、ベルサイユ条約が、過酷過ぎたかも知れませんが。
    ロシアの中の、民族名をいただいた共和国を旅して分かったのは、異民族どうしでも、一緒に生活していると、必ず民族間の通婚があるなと思いました。
    ナチスの台頭も、国民の失業と、貧困が原因でした。
    モスクワのガイドも、チェチェンのテロも、一番の原因は、若者の失業と貧困だと。
    民族間の憎悪を煽るのは、いつも政治家ですね。自分たちにとくするように。石垣沖の無人島の事で、日本人は悪者にされていますが。


    2011年01月28日00時29分返信する 関連旅行記

    RE: ウクライナのリヴォフと似ています。

    浦潮斯徳様 こんにちは!

    リンツに似ているとおっしゃった「リヴォフ」と言う所をネットで探してみました。
    まずは浦潮斯徳様の旅行記の中にそこの記述があるかな…と思って…、探し出せませんでしたのでネットで。
    ウクライナの首都なんですね。そして歴史に翻弄された街で、いろんな国の領地になり、歴史地区は世界遺産にも指定されているとか。
    その中でもオーストリア領時代の影響を最も受けているのでしょうか、教会が多くて、中世の建物が残る街並みは、本当に浦潮斯徳様がおっしゃるようにリンツに似ていますね。
    リンツは本当にきれいな街でした。もう一度訪れる機会があれば、ヒトラーの生まれ故郷にも足を伸ばしてみようかなと思います。

    サウンド・オブ・ミュージックの舞台となったオーストリアなのに、あまり地元では歓迎されていないとは…、分かるような気がします。
    あの物語は、ナチに抵抗して命からがらスイスに亡命した話でしたね。
    あのころ、国を挙げてナチズムに染まっていたはずなんでしょうけど、今となってはそういう負の遺産を公にしたくないでしょうから。

    またいろいろと教えてください。

    浦潮斯徳様の旅行記、楽しいです。
    himmel
    2011年01月30日12時47分 返信する
  • Monopteros auf dem Nerobergの意味

    frau.himmelさん、こんばんは。
    近鉄バッファローズです。

    「Monopteros auf dem Neroberg」ですが、
    和訳すると「ネロベルグの上の円形周柱神殿」となるでしょうか。
    「円形周柱神殿」はギリシャやローマのものらしいです。

    何かの御参考になれば幸甚です。
    2011年01月27日23時52分返信する 関連旅行記 関連写真

    RE: Monopteros auf dem Nerobergの意味

    近鉄バッファローズさま こんばんは!

    「Monopteros auf dem Neroberg」の訳をしてくださってありがとうございました。
    何か教会に関係のあるものだとは思っていたのですが、私の辞書には出てこなかったのです。
    (昔の電子辞書なものですから…泣)

    早速その旨を旅行記に追記しました。
    今後ともよろしくお願いいたします。
    2011年01月28日20時27分 返信する
  • 上から♪

    frau.himmelさんへ♪

    お邪魔しますぅ♪
    ワイン!!
    上から全部トライしてみたいですぅ☆

    9月にヴュルツブルクへ足を運んだ時、雨でした。
    ラーツケーラーに入ってフランケンワインを呑んで、
    寒さをしのぎました(笑)!!

    今年もドイツに行けるよう、日々精進です♪

    また、お邪魔させて頂きます!!


    2011年01月21日14時00分返信する 関連旅行記 関連写真

    RE: 上から♪

    とんちゃんさま こんばんは♪

    コメントありがとうございます。
    あらぁ〜、とんちゃんさまもワインお好きですか?
    私も目がないほうで…。

    > 上から全部トライしてみたいですぅ☆

    思うだけにしておきましょうね。
    日本と違って250ml入りですから、上から3段目でボトル1本ですよ…。
    でもほんと、メニューを見ていると、あれもこれも飲みたくなるんですね。

    フランケンワイン大好きで、ドイツに行く度に日本に送っています。
    プレゼント用にしたり、自宅用にしたりと大変重宝しています。

    あとで、女三人旅にお邪魔させていただきます。

    himmel
    2011年01月21日21時09分 返信する
  • ワインのお土産。

    frau himmelさま
     ビュルガーシュピタールでのお土産用のワインの購入の話、とても参考になりました。
     実はこの6月にあるサークル仲間とドイツに行きヴュルツブルクに一泊します。ホテルは駅前のレギーナというところです。旅行に参加しない仲間にフランケンワインをお土産にしたいが持ち帰るのも大変だしと思っていたところに丁度このブログに出会いました。
    12本、送料込みで180ユーロはnicht teuerですね。どうなるか分かりませんが参考にさせていただきます。何年か前にマリーエンベルク要塞のケラーで2本買って持ち帰った事がありましたが、1本12ユーロでした。
    時期も同じ頃なのでシュピタールのワイン祭りをやっていたら潜り込みたいです。
                              ベーム
    2011年01月20日22時20分返信する

    RE: ワインのお土産。

    ベームさま こんばんは♪

    6月にドイツにいらっしゃるんですか? うらやましー!
    一番ステキな季節ですね。

    >  ビュルガーシュピタールでのお土産用のワインの購入の話、とても参考になりました。

    有難うございます。
    ワインの代金はそんなに高くないんです。今回私は5.5ユーロ〜15ユーロくらいのワインを選んで送りました。それを免税扱いにしてくれますので、実際はもっと安いです。
    ただ、高くつくのはパッケージ込みの郵送料。たしか12本で80ユーロくらいだったかと…。
    でも、3本セットでパッケージしてあり、そこにかわいいグラスが2個ついています。(2009秋の旅行記、ヴュルツブルク編でもフランケンワインのことを書いていますので、そこに写真を入れています)

    今は円高ですから1本当たり1700円弱位ですか。ネットなどで日本で同じ品質のものを求めようと思うと、3000円〜5000円くらいしますので郵送してもかなりお得ですよ。

    だいたい2週間くらいで日本に届きます。
    ただ、帰国の際には別送便の手続きをしてください。大した金額ではありませんが少し税金が取られます。

    そして、ビュルガーシュピタールでの食事もお奨めです。
    ちょうど時期的にはシュパーゲルの終わりごろですね。
    ぜひ、ビュルガーのお店でシュパーゲルを味わってください。

    シュタイン・アム・ラインのお返事有難うございました。
    スイスにも行きたいですね。
    2011年01月21日20時56分 返信する
  • はじめまして

    こんにちは、よっしーと申します。リンツの「おとなり旅行記」から飛んできました。
    私もおととし、6月のリンツに1泊しました。本当に泊っただけだったので、巡礼教会も行けず、この街の歴史も知らず、お得な情報も知らず(…)frau.himmelさんの旅行記を拝見してリンツ再訪したくなりました。ヒトラーが理想郷を作りたくもなる、いい街でしたよね?
    クリスマスマーケットの時期に行ってもよさそうかなと思いました。
    そういえば、私も大学生の頃の春休み(かなーり昔ですが)、Prien am ChiemseeのGoethe Instituteに1カ月いたことがあります!(成果は…)
    そんなで、ドイツ(&ドイツ語圏)は今でも親しみを感じています。またこれからも旅行記を楽しみにしています。
    2011年01月19日12時00分返信する 関連旅行記

    RE: はじめまして

    よっしーさん こんばんは。

    よっしーさんの旅行記は何度か訪問させていただいてると思います。
    やっぱりドイツがお好きな方だったのですね。

    > そういえば、私も大学生の頃の春休み(かなーり昔ですが)、Prien am ChiemseeのGoethe Instituteに1カ月いたことがあります!(成果は…)

    えっ! いつごろですか? 驚きです。

    あそこももう撤退してしまいましたね。
    2009年秋、プリーンを訪れた時行ってみました。
    懐かしかったです。
    建物がそのまま残っているだけに、あそこはこうだったとか、あそこで皆集まってお喋りしてた とか 考えると寂しくなってしまいました。
    その時のことを、**2009秋 プリーン街歩き**で書いています。
    お時間ありましたら読んでください。
    私のドイツ語も、若い方と違い、覚えるより忘れるほうが多くて、とうとう教室から撤退してしまいました。
    時々ドイツ語圏に旅行して、なんとかカタコトで通じるくらいです。

    これからもよっしーさんの旅行記、お邪魔させていただきます。
    よろしくお願いいたします。

    frau.himmel
    2011年01月20日00時22分 返信する
  • RE: 年賀

     年賀状有り難うございます。ところで、リンツの実科学校はどこにあるかわかりましたか?たしか、両親のお墓はリンツ周辺のカトリック教会にあります。ヒトラーの系統はユダヤ人ではないか?と言う説(「アドルフ・ヒトラーの一族ー独裁者の隠された血筋ー」)があるようです。この本を読んでいませんが、ユダヤ人とはユダヤ教を信ずる人を言います。また、当時のドイツにおける人種の分類では、8分の1以上ユダヤ人の血が入っている人をユダヤ人と分類しています。例、カール・マルクス、ハルUS国務長官、アンネ・フランク(13歳)は100%、アレクサンダー・レーニンは50%なのでユダヤ人、オードリー・ヘップバーン(13歳)は12分の1で非ユダヤ人と分類されます。リンツ時代のアドルフについては、「アドルフ・ヒトラーの青春ー親友クビツエック{家具職人の息子}の回想と証言ー」に記されています。彼の初恋(あなたが写したリンツの橋をときどき渡る際に見かけた中産階級の17〜8歳)女性のことや、ウイーン西駅近くのアパートでの生活が書かれています。なお、ヘッセン・デンクマールは、とくにオーストリアの場合第一次世界大戦で戦死した兵士の霊を祀る戦没者慰霊塔、日本では忠霊塔、を良く見かけます。このほか、リンツは工業都市のみならず交通の要衝(シュコダ製の戦車・トラックを搬送)だったので、バーリ付近の飛行場発のB24による爆撃を受けています(マクガバーン元上院議員もパイロットとしてウイーン停車場・プラハ近郊の化学工場・クラコフ近郊の石油精製工場を爆撃している)。
    2011年01月07日22時24分返信する

    RE: RE: 年賀

    しょうちゃん様

    またまた大変面白いお話を有難うございます。
    一つ一つに、なるほど!とか、そうなんだ!とか一人で相槌を打ちながら読ませていただきました。

    >ところで、リンツの実科学校はどこにあるかわかりましたか?

    いえ、残念ながら…。でも、ヒトラーがリンツの実科学校で同級生と写っている写真は見つけました(まだ14,5歳くらいのあどけない写真でした)。同級生の中には哲学者(?)ウィトゲンシュタインも写っていました。

    >ヒトラーの系統はユダヤ人ではないか?と言う説(「アドルフ・ヒトラーの一族ー独裁者の隠された血筋ー」)があるようです。

    私も今回ヒトラーのことを調べている段階でヒトラーユダヤ人説を知りました。ヒトラーもある段階で自分の血筋を知り、それが故にユダヤ人に対する残虐行為にもますます拍車がかかったとか…? 
    その他、ユダヤ人の定義、ヒトラーの初恋、親友クビツェックのことなど本当に興味深かったです。

    リンツってそんなに期待して行った街ではなかったのですが、またもや何か消化不良の要素を残してきたような気がします。再訪予備軍です。

    またいろいろ教えてくださいませ。

    frau.himmel
    2011年01月08日21時27分 返信する

    RE: RE: RE: 年賀

    拝復 frau.himmelさん ユダヤ人に対する残虐行為にもますます拍車がかかったとか…?に関しては、?彼が影響を受けた一人に小学校の教師がいます。オーストリアはカトリック信者が多くいます。ローマン・カトリックは昔よりユダがキリストをローマ軍に売り渡した、という説で古来よりユダヤ人を排撃してきました。「サウンド・オブ・ミュージック」の映画で最後のシーンで山を超えるシーンがありますが、その館の執事はどうなったかという疑問があります。その執事はナチス信奉者だったわけで、多くのオーストリア人はナチスを支持していました(当時)。従って、従軍した人は年金もでていますし、戦後ナチスの裁判もなされていません。なぜなら、ほとんどのオーストリア人はナチスを支持していましたので処分しようがなかったのです。なお、ドイツのSS突撃隊所属の人は年金をもらえません。?ウイーン時代に図書館で沢山の本を読み、「ポグロム」に影響されています。帝政ロシア政府は政府に不満を持つ人に対し、ユダヤ人にその矛先を向けるよう仕向けています(ちょうど日帝がすべて悪い)。また、帝政ロシアを打倒したポルシェビーキ政権のリーダー5〜6人(レーニン・トロッキー)がユダヤ人で、ユダヤ人による革命と認識した農民らは反政府活動を起します。特に昔から反ロシアのウクライナ人は20万近いユダヤ人を虐殺しています。さらに、討伐に向かった新政府軍もユダヤ人を1万近く殺しています。このほか戦後ポーランド(実家)に生きて帰ったユダヤ人もポーランド人(カトリック)に殺されています。別件ですが、彼は母親(クララ)の主治医(ユダヤ)には手を出さないようゲシュタポに指示していますし、WW1の上官(大尉)は彼を評価し、鉄十字勲章授与に推薦しています。最後に、ローマ・カトリックが長年の間信徒をけしかけてきたことで、教会には責任はなく、やったのは信徒という立場をとっていることです。
    2011年01月08日22時33分 返信する

    RE: RE: RE: RE: 年賀

    しょうちゃん様

    続編もまた興味深く読ませていただきました。

    それにしても、こんなに集中して歴史のことを勉強したのは、何十年ぶりでしょう。
    特にドイツの現代史は面白いですね。調べれば調べるほど奥が深い。

    > その執事はナチス信奉者だったわけで、多くのオーストリア人はナチスを支持していました(当時)。従って、従軍した人は年金もでていますし、戦後ナチスの裁判もなされていません。なぜなら、ほとんどのオーストリア人はナチスを支持していましたので処分しようがなかったのです。
    > なお、ドイツのSS突撃隊所属の人は年金をもらえません。

    そうなんですってね。
    戦争責任はドイツが全て引き受けた と聞いています。

    またSS突撃隊とは、ヒトラー親衛隊のことですか?
    髑髏マークの暴力部隊とは違うのですね。
    何れにしても、ヒトラーの下で戦争に赴いたと言うのは、SSにしろドイツ国防軍にしろ同じだと思うのですが、一方には年金がでて、片方には出ないのですね。

    > 別件ですが、彼は母親(クララ)の主治医(ユダヤ)には手を出さないようゲシュタポに指示していますし

    今回の旅行でも同じことを聞きました。
    オーストリアの音楽家フランツ・レハールの妻はユダヤ人だったが、彼の音楽がヒトラーの好みだったので、強制収容所行きを免れたとか…。
    もっとも彼自身もユダヤ人という説があるくらいですから、かなりのザル法だったのですね。

    またロシアのユダヤ人問題に関しては、4トラ会員の「浦潮斯徳さん」もいろいろ投稿していらっしゃいまして、なかなか面白いです。

    ヒトラーがウィーン時代影響された「ポグロム」についてはこれから調べてみようと思います。俄か歴女にとっては調べれば調べるほど、??が出てくるのが困ったものです。

    今後ともよろしくお願いいたします。
    2011年01月10日12時03分 返信する

    RE: RE: RE: RE: RE: 年賀

    > またSS突撃隊とは、ヒトラー親衛隊のことですか?ごめんなさい。書くスペースが限られているので。突撃隊はSAでナチ党の党員で褐色のシャツを着ています。そのなかから独立してヒトラー直属の組織(身辺警護を目的)がSS(褐色のシャツに黒色の上着・ネクタイ・ズボン・靴)です。なお、色彩心理学では黒は暴力、褐色はお金が欲しいという消費者の心理を表しています。不況になると褐色の服がはやる傾向がある。
    > 何れにしても、ヒトラーの下で戦争に赴いたと言うのは、SSにしろドイツ国防軍にしろ同じだと思うのですが、一方には年金がでて、片方には出ないのですね。国防軍の一般兵士はいわゆる赤紙で召集された人たちですので、年金がでます(旧西ドイツ政府の判断)。この件については「ヨーロッパ現代史?」芦書房に各国の戦後処理に書かれています。
    > > またロシアのユダヤ人問題に関しては、原 翔「リトアニア」彩流社の最後の方に「ユダヤ人」について触れています。杉原 さんが救ったというユダヤ人の多くはリトアニアに住むユダヤ人です。クラスメートのアレクサンダー・ガリンチーン(英国国籍オックスフォード)に聞いたら、1920年までリトアニアに住んでいたそうです。戦後独立したばかりのリトアニアは、ポーランドが占領し、独ソ秘密協定によりソ連が軍事侵攻してきたので、激動の時代だったと言ってました。。
    > ヒトラーがウィーン時代影響された「ポグロム」について。彼は成績が悪かったのは事実ですが、自分に関心がある本を朝から夜までアパートで読みふけっていたようです。
    2011年01月10日16時41分 返信する
  • 花より団子

    明けましておめでとうございます。

    バラも美しいですが、シュパーゲルがとってもおいしそうですね。

    今年もよろしくお願いします。 *JY*
    2011年01月06日01時48分返信する 関連旅行記

    謹賀新年

    明けましておめでとうございます。
    今年もどうぞよろしくお願いいたします。

    *JY*さんはお正月はロンドンだったのですね。
    やはりスケールが違います。

    母の病気のため、しばらくヨーロッパに行けそうもありませんので、
    せめて、*JY*さんの美しい現地風景で旅をした気分を味わいます。

    ロンドン冬の風景続編をお待ちしてます♪
    2011年01月07日16時07分 返信する
  • シュプレー河畔を、散歩したいです。

    フリードリヒ大王のモニュメント、近くで見ると、すごいですね。
    この通りは、一度は歩いてみたいです
    あと、シュプレー河畔を、ゆっくり散歩したいです。
    http://www.youtube.com/watch?v=FQgESliKQUA
    ですが、ベルリンを鎮圧した、オットー・エルンスト・レーマー大佐が、ナチス式の敬礼をして、閲兵しています。
    1944年7月には、レーマーは、ドイツの英雄で、フォン・シュタウフェンベルク伯爵は、極悪人でした。
    しかし、一年後には、立場が逆転します。
    あと、アーヘンの飾り窓、びっくりですね。合法にすることで、エイズの蔓延を防ぐようです。
    2010年12月14日22時26分返信する 関連旅行記

    RE: シュプレー河畔を、散歩したいです。

    浦潮斯徳さま コメントありがとうございます。

    youtubeの動画見せていただきました。
    面白いですね。
    オットー・エルンスト・レーマー大佐(大昇進したのですね)の閲兵の際の行進、すごいですね…。
    あそこにヒトラーがいてもおかしくないような大英雄扱いですね。

    もう一つ、1945年3月22日ヒトラーがヒトラーユーゲントと謁見しているフィルムも見ました。彼が自殺したのは4月30日ですから1ヶ月ほど前のものですね。
    ヒトラーの顔が浮腫んでいるように見えましたが、私の気のせいかな?
    彼にはドイツ敗戦は時間の問題だとその頃は解かっていたでしょうに、あの年端も行かない子供達を激励している様子にちょっと腹がたちました。

    > あと、アーヘンの飾り窓、びっくりですね。合法にすることで、エイズの蔓延を防ぐようです。

    昨年秋のアーヘン編も見ていただいたのですか、有難うございます。
    飾り窓、私はその後どうなるのか興味津々でもう少し観察していたかったのですが(笑)、
    夫が危ないから写真を撮るのをやめろと、残念でした。

    後ほど浦潮斯徳さまの旅行記にお邪魔させていただきます。
    2010年12月16日11時38分 返信する
  • 仕掛け時計 一度は、見たいです。

    frau.himmel様
    ミュンヘンの、仕掛け時計、等身大なんですね。びっくりです。一度は、見てみたいです。
    リンツの学校に、ヒトラーは通いました。
    1938年、ドイツとオーストリアは、合邦します。ヒトラーも、オーストリア入りしますが、到着が遅れ、リンツには夜中になります。リンツ市民は、真夜中まで待ちました。ヒトラーが、リンツのバルコニーに出ると、市民は、右手を高くあげ、「アイン・フォルク アイン・ライヒ アイン・フューラー(一つの民族 一つの国家 一人の総統)」と、熱狂的に叫びました。ヒトラーも感涙しました。
    第二次大戦末期、連合軍は、ドイツ軍の中で、オーストリア出身の兵士の戦意を落とすため、ナチスの最初の犠牲国は、オーストリアだと発表しました。ユダヤ人迫害のナチス親衛隊の大半は、オーストリア人でした。ヒトラー、アイヒマン、カルテンブルナーも、オーストリア人です。戦後、ナチスの犯罪は、全てドイツが引き受けます。
    突撃隊(SA)は、褐色の帽子に、褐色の制服です。帽子に髑髏が入っているのが、親衛隊(SS)です。突撃隊は、町のゴロツキ上がりです。ヒトラーは政権をとると、貴族階級が上層部を占めるドイツ陸軍に融和するようになります。これに対して、エルンスト・レームを頂点とする、労働者上がりの突撃隊は、ヒトラーに反発します。ヒトラーは近代戦には、ドイツ陸軍と、手をつなぐしかないと考え、ハイドリヒに命じて、レーム一派を粛清します。
    ところで、映画・戦場のピアニストのドイツ将校でしたが、陸軍の軍帽に、親衛隊の制服を、まとっていました。びっくりです。親衛隊の襟章は、稲妻のマークです。ドイツ陸軍の戦車兵の襟章は、髑髏が入っています。ドイツ軍の軍服は、階級、兵科が、とても分かりやすいです。
    2010年12月14日22時11分返信する 関連旅行記

    RE: 仕掛け時計 一度は、見たいです。

    そうですか、リンツとヒトラーはそういう因縁があったのですか。
    リンツはオーストリアにおけるナチスの総本山みたいなところだったのですね。
    たった今、リンツの写真や資料を出して調べてみましたが、見事にヒトラーの形跡を探し出すことは出来ませんでした。
    歴史博物館にも行きましたがそこでも彼に関する記述はなし…。
    国や市が、ヒトラーとの係わり合いを恐れている様子が、反対によく理解できたような気がします。
    何でもネオナチ対策だとか?

    > 突撃隊(SA)は、褐色の帽子に、褐色の制服です。帽子に髑髏が入っているのが、親衛隊(SS)です。突撃隊は、町のゴロツキ上がりです。
    ヒトラーは政権をとると、貴族階級が上層部を占めるドイツ陸軍に融和するようになります。これに対して、エルンスト・レームを頂点とする、労働者上がりの突撃隊は、ヒトラーに反発します。ヒトラーは近代戦には、ドイツ陸軍と、手をつなぐしかないと考え、ハイドリヒに命じて、レーム一派を粛清します。

    ホントにお詳しいですね。
    突撃隊=町のゴロツキ上がりの私兵なんですね。
    ヒトラーは、彼らをユダヤ人に対する迫害や労働組合のストを阻止したりする実力行使(暴力)の部隊としてうまく利用していたようですね。
    髑髏のマークの帽章が余りにも大きくて、すごく印象に残っていました。

    > ヒトラーは政権をとると、貴族階級が上層部を占めるドイツ陸軍に融和するようになります。これに対して、エルンスト・レームを頂点とする、労働者上がりの突撃隊は、ヒトラーに反発します。ヒトラーは近代戦には、ドイツ陸軍と、手をつなぐしかないと考え、ハイドリヒに命じて、レーム一派を粛清します。

    いわゆる「長いナイフの夜」と言われる粛清のことですね。

    浦潮斯徳さまのお陰で、いろいろ勉強することが出てきて忙しくなりました。
    ボケ防止なんて言っていられません。
    ありがとうございます。
    2010年12月16日12時05分 返信する

frau.himmelさん

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4トラベル会員になりいつの間にか15年以上経ちました。
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齢をとりますとだんだん文章も書けなくなり、また投稿頻度も遅くなってまいりましたが、これからも老化防止・ボケ防止、そして自分自身の旅の備忘録として、この4トラベルを利用していきたいと思います。

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