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frau.himmelさんへのコメント一覧(141ページ)全1,434件

frau.himmelさんの掲示板にコメントを書く

  • ニュルンベルクのイメージが、変わりました。

    frau.himmel様
    ご返信、ありがとうございます。すこし、えらそうに、コメントしすぎました。
    レーマー少佐は、パウル・フォン・ハーゼ中将に、利用されていたのです。ゲッベルス邸で、ヒトラーの声を、電話で直接聞いたことにより、レーマーは、ヒトラーの生存を確信します。
    このあと、フォン・ハーゼ中将は、大佐に昇進したレーマーに、「私は、この事件と関係ない」と、言いました。
    ヒトラーの暗殺失敗のあと、将軍たちは、態度を急変させていきます。

    フォン・シュタウフェンベルク伯爵に対しては、クーデター派は、自らの命を惜しんだから、暗殺に失敗したと、はき捨てるように言った将軍もいました。

    これにたいして、戦後、ドイツの良心と言われたフォン・ヴァイゼッカー大統領は、シュタウフェンベルクは、ヒトラーを暗殺した後のドイツ再建に、自分がいなければ無理だと、確信していたのだと述べています。

    戦後のドイツは、ナチスを嫌ってアメリカに亡命していたアメリカ帰りの人が、まるで民主主義者の権化のようにして帰国し、同胞をしかりつけたようです。
    旧ドイツ軍の将校は、この民主主義者に、戦後いじめられたようです。
    アデナウアー大統領は、ケルンの市長時代、ヒトラーとの握手を拒み、強制収容所にぶちこまれました。自ら危険を冒して、ナチスに反対したので、アデナウアーは、それなりに評価されています。

    ポーランド総督のハンス・フランク、アルフレート・ローゼンベルク、アイヒマンとも、ユダヤ人という噂がありますが。

    ニュルンベルクというと、戦後の裁判や、ナチス党大会と、あまりいいイメージがなかっただけに、古くて美しい町なので、驚きました。

    frau.himmel様は、ドイツ、オーストリアのあちこちに、かなり行かれているみたいですね。
    私は、ヒトラーの故郷ブラウナウ・アム・インや、リンツにも行ってみたいです。
    デンマーク人とドイツ人混住の町、フレンスブルクにも、いきたいです。

    私は、ロシアのカリーニングラード(旧ドイツ領ケーニヒスベルク)へは、行きました。ドイツ人は、茶褐色の建物を建てるなあと思いました。ロシア人は、赤がすきです。ドイツ人は、茶褐色がすきなのかなあと。あのナチスの突撃隊(SA)も、褐色のユニフォームでしたし。

    frau.himmel様のドイツ、オーストリアの旅行記を、順々に読ませていただきます。
    綺麗なお写真、有難うございました。
    2010年12月11日21時16分返信する 関連旅行記

    RE: ニュルンベルクのイメージが、変わりました。

    浦潮斯徳様 こんばんは!

    先程、といっても昼間ですが、ちょっと浦潮斯徳様の旅行記を拝見させていただきました。
    あいかわらず、下手な小説よりよっぽど面白いと思いました。
    面白いと言っては失礼ですね。ごめんなさい。

    さて、またまた大変興味のある事柄を教えていただき有難うございます。

    > このあと、フォン・ハーゼ中将は、大佐に昇進したレーマーに、「私は、この事件と関係ない」と、言いました。
    > ヒトラーの暗殺失敗のあと、将軍たちは、態度を急変させていきます。

    フォン・ハーゼ中将は往生際は良くなかったようですね。
    彼の執務室がベルリンのウンター・デン・リンデン通りに残っています。今回ベルリンに行った折、そのことは確認したのですが、中は見ませんでした。

    > フォン・シュタウフェンベルク伯爵に対しては、クーデター派は、自らの命を惜しんだから、暗殺に失敗したと、はき捨てるように言った将軍もいました。

    これは、フォン・シュタウフェンベルク伯爵がヒトラー暗殺の現場に残らないで、爆発する前に部屋から出てきたことを言っているのですね。
    将軍達は命と名誉が惜しくて、ヒトラー暗殺を実行するだけの勇気がなかったんですよね。それで、片手・片目がない フォン・シュタウフェンベルク伯爵が実行役になった…。
    そのくせ、ヒトラー暗殺が成功していれば、新体制側にはせ参じるはずだった将軍達ですね。

    > ポーランド総督のハンス・フランク、アルフレート・ローゼンベルク、アイヒマンとも、ユダヤ人という噂がありますが。

    ヒトラー自身もユダヤ人の血が流れているという噂があるんですね。
    ヒトラーの父は私生児で、祖母がクラクフのお屋敷にメイドとして働いている時にユダヤ人である雇い主のお手つきになったとか?
    ヒトラーは自分の生い立ちを知り、それを払拭するかのように、その後ユダヤ人に対する残酷さは増していったのだというような記述がありました。

    > ニュルンベルクというと、戦後の裁判や、ナチス党大会と、あまりいいイメージがなかっただけに、古くて美しい町なので、驚きました。

    ニュルンベルクには何度か行っていますが、かの裁判所はまだ一度も訪れていません。次回は是非行ってみたいと思っています。

    > 私は、ヒトラーの故郷ブラウナウ・アム・インや、リンツにも行ってみたいです。

    ヒトラーの故郷ブラウナウ・アム・インてどこにあるんだろう、故郷ではヒトラーはどういう扱いになっているんだろう、と調べていたら上記のヒトラーユダヤ人説に遭遇したのです。
    リンツは今回行きましたが、浦潮斯徳さまを惹き付ける要素が何かあるのでしょうか?もしかして私に興味があるものだったら、悔しいなと思います。
    次の次くらいにリンツ編を投稿しますので、良かったら見てください。

    > 私は、ロシアのカリーニングラード(旧ドイツ領ケーニヒスベルク)へは、行きました。ドイツ人は、茶褐色の建物を建てるなあと思いました。ロシア人は、赤がすきです。ドイツ人は、茶褐色がすきなのかなあと。あのナチスの突撃隊(SA)も、褐色のユニフォームでしたし。

    ナチスの突撃隊と言うのはあのドクロのマークの(笑)暴力軍のことですか?

    私の親戚にロシアのウラジオストックの女性と結婚したのがおります。
    いつもロシアを案内してくれると言われているのですが、お互いのスケジュールが合わず、まだ実現していません。
    浦潮斯徳さまの旅行記を読ませていただいて、そろそろロシア行きを考えようかなと思っています。

    > 綺麗なお写真、有難うございました。

    それ言わないでください(赤面)。
    下手な写真を堂々と載っけていると言われやしないかと、いつも恥ずかしい思いをしています。

    今後ともよろしくお願いします。
    2010年12月13日20時53分 返信する
  • 一度は、行きたいです。

    frau.himmel様
    お気に触ったら申しわけありません。アイヒマンの処刑は、1962年です。1961年に、ブエノスアイレスで、モサドに逮捕されました。

    ハイドリヒですが、彼の父はユダヤ人という説が郷里では、根強いです。ハイドリヒは、ドイツ人からも、恐れられていました。ハイドリヒが、テロで死亡したときに、カール・フランク(ハイドリヒの次に、チェコを支配したナチスの指導者)は、安堵しました。武装親衛隊のゼップ・ディートリヒ将軍は、「あの牡豚(ハイドリヒの女癖は、病的でした)も、ついにくたばったか」と、声を発しました。

    戦後、ユダヤ全滅作戦が、明らかになり、ナチスの全てが否定されました。大半のナチスの親衛隊員は、ユダヤ人のホロコーストは全く知りませんでした。しかし、ニュルンベルク裁判では、ナチスの親衛隊そのものが、犯罪者の集団とされました。かつてのゲシュタポ、SD隊員たちは、過去に口を閉ざしました。

    しかし最前線で、国防軍兵士と、肩を寄せて一緒に戦った、ナチスの武装親衛隊員たちは、戦後、ドイツ連邦政府に対して、陸、海、空軍の兵士たちと、同権を勝ち取ろうとしました。このときに、アイヒマンが、モサドに捕まりました。ドイツ連邦政府は、アイヒマン問題が、クローズアップされるのを恐れて、かつての武装親衛隊員たちの要求を、退けました。

    武装親衛隊のなかには、17歳18歳の少年たちで構成されたヒトラー・ユーゲント師団もあり、ノルマンディーの激戦場に、送られました。この師団長クルト・マイヤーが、戦後、武装親衛隊の復権につとめようとしました。彼は、「強制収容所など、内からも外からも、見たことがない。知らなかった以上、ユダヤ人の虐殺を、防ぎようがなかった」と。武装親衛隊員で、戦死した遺族は、国防軍兵士の遺族と違い、遺族年金も、支払われていません。

    ドイツ連邦政府は、ナチスの犯罪ゆえ、かつての旧ドイツ軍人に対して、侮辱とも思える行動を、とっています。最近では、ギリシャのクレタ侵攻作戦作戦や、スペインの内戦に参加した、旧ドイツ軍人の栄誉を、剥奪しています。

    一度は行きたいです。綺麗なお写真、ありがとうございました。

    2010年12月09日22時56分返信する 関連旅行記

    RE: 一度は、行きたいです。

    引き続きのコメント有難うございます。

    > お気に触ったら申しわけありません。アイヒマンの処刑は、1962年です。1961年に、ブエノスアイレスで、モサドに逮捕されました。

    気に触る、なんてとんでもありません。
    浦潮斯徳様のご指摘がなかったら、いつまでも間違ったまま放置するところでした。
    自分では1962年と書いたつもりでおりました。
    あの写真は1961年4月10日、エルサレムの防弾ガラスつきの裁判所で裁判を受けているアイヒマンですから、1952年と言うのはありえませんね(恥)。

    > ハイドリヒですが、彼の父はユダヤ人という説が郷里では、根強いです。ハイドリヒは、ドイツ人からも、恐れられていました。ハイドリヒが、テロで死亡したときに、カール・フランク(ハイドリヒの次に、チェコを支配したナチスの指導者)は、安堵しました。武装親衛隊のゼップ・ディートリヒ将軍は、「あの牡豚(ハイドリヒの女癖は、病的でした)も、ついにくたばったか」と、声を発しました。

    ハイドリヒの件も興味深かったです。
    彼がユダヤ人でないかという噂があるのは知っていました。同胞をあのような目にあわせて平気でいられるあの神経、どんな冷酷な人間なんだろうと思っていました。

    戦後のドイツ連邦政府の対応も興味深かったです。
    有難うございました。
    2010年12月11日09時39分 返信する
  • こんな記念館が、あったとは。

    frau.himmel様
    こんな記念館が、あったとは知りませんでした。あのフォン・シュタウフェンベルク伯爵大佐の、ヒトラー暗殺未遂事件は、旧ドイツ軍人には、不評です。この事件に関与した者たちは、ゲシュタポに捕らわれていきます。捕らわれた人たちは、あまりにも開けっぴろげな、自白をしていきます。ヒトラー打倒のグループを、同情心から、黙認していただけの人まで、逮捕され刑死していきます。このことに対して、ハインツ・グデーリアン将軍は、驚きを隠しませんでした。

    砂漠の狐とうたわれた、ドイツの英雄・ロンメル元帥は、フォン・シュタウフェンベルク伯爵の従兄弟の、ツェーザル・フォン・ホーフアッカー(パリでのヒトラー打倒グループの、リーダー)の証言により、ヒトラーから自決を強要されます。ロンメル夫人は、夫はこの事件には、関与していないと、戦後述べています。

    ヒトラーの後継者となったドイツ海軍総司令官のデーニッツは、この一派を軽蔑すると、自叙伝の中で述べています。1944年7月20日は、もうすでに、連合軍は、ノルマンディーに上陸していました。ヒトラーがたとえ死亡したとしても、連合軍は、ドイツの無条件降伏は、必ず求めたと。

    あと、ベルリンでの、ヒトラー暗殺事件を鎮圧した、ドイツ陸軍の、オットー・エルンスト・レーマー(鎮圧命令を、ヒトラーから直接受け、少佐から大佐にいきなり昇進)氏は、戦後ネオ・ナチ活動をしたので、スペインに亡命し、スペインで他界されました。

    150台の敵戦車破壊で有名な、戦車長オットー・カリウス大尉は、シュタウフェンベルク伯爵大佐以外は、評価しないと。そしてドイツ連邦政府の旧ドイツ軍人に対する侮辱にたいして、憤慨しておられます。

    綺麗なお写真、有難うございました。
    2010年12月09日22時19分返信する 関連旅行記

    RE: こんな記念館が、あったとは。

    浦潮斯徳様
    おはようございます。
    私の旅行記にお目を留めていただいて有難うございます。

    何分にも付け焼刃的に調べてコメントにつけたものなので、お詳しい方がお読みになったら、一笑に付されるのではないかと心配しておりました。
    でも、本当にお詳しいんですね。
    シュタウフェンベルク大佐に関しましても、私が知りえなかった歴史的事実を教えていただき、大変興味深かったです。

    > 砂漠の狐とうたわれた、ドイツの英雄・ロンメル元帥は、フォン・シュタウフェンベルク伯爵の従兄弟の、ツェーザル・フォン・ホーフアッカー(パリでのヒトラー打倒グループの、リーダー)の証言により、ヒトラーから自決を強要されます。ロンメル夫人は、夫はこの事件には、関与していないと、戦後述べています。

    有名なロンメル将軍も、その名声ゆえ、反ヒトラー派のリーダーに担ぎ出されたとか何かで読みました。ロンメル夫人の証言の通り、「黙認はしたけれど、積極的に関与しなかった」のでしょうか。

    またヒトラー暗殺を鎮圧したとされるオットー・レーマー大佐は、反ヒトラー派のハーゼ司令官の部下だったのですね。上官の命令に従わないで寝返ったため、暗殺は失敗に終わったと…。もしかして彼の裏切りがなかったら暗殺は成功していたのかもしれないと今まで思っていました。
    でも、浦潮斯徳様がコメントしてくださった、「たとえ、ヒトラーが死亡したとしても、連合軍はドイツの無条件降伏は必ず求めた」という事実、これを読んで、はっとしました。
    時期が遅かったのですね。もう少し早くヒトラー暗殺がなされていたら、こんなに大量のユダヤ人は殺されなかった、大量の軍人は戦死することがなかった、と…。

    浦潮斯徳様のお陰で、もう少し、この件について勉強したいと思い始めました。
    今後ともいろいろご教示願います。
    2010年12月11日09時25分 返信する
  • オーストリア素敵です

    himmelさん はじめまして

    訪問ありがとうございます。
    オーストリアのいくつもの旅行記を拝見しました。個人旅行でのザルツ・カンマーグート地方めぐり、羨ましい限りです。
    またベルリンからザルツブルグまでの列車の旅の色々な出来事も楽しく読ませていただきました。文章がとても素敵です。

    私も昨年ザルツブルグから同じ地域の半日観光をしましたが、見残しが多く再度訪れてみたいと思っています。
    私もシニアですが一人旅が多いので、写真撮影のための自由度が大きい半面、楽しみは半分です。今年は家族でロンドン・パリ旅行でした。
    オーストリアはドイツ語圏でドイツ語には文盲の私でもウィーン・ザルツブルグの旅は不自由なく楽しめました。安心・安全・親切な国という印象でした。
    これからもよろしくお願い致します。 yamada423
    2010年12月09日10時29分返信する
  • 素敵なホテル

    frau.himmelさま

    出来たてほやほやのバート・イシュル旅行記におじゃましています。

    このホテル、すてきですね。
    もろ好みです。
    街もさすが皇帝の保養地だっただけあり 優雅なのですね〜
    また行きたい所が増えてしまった。

    池内紀さんは好きで、新刊がでるとつい読んでしまいます。
    「歩き方」のエッセイ、「バート・イシュル物語」や「トルテ戦争」も
    本当に面白いですね。
    「歩き方」をひっぱりだして再読してしまいました。

                  パンジー
                 
    2010年11月27日12時54分返信する 関連旅行記

    RE: 素敵なホテル

    パンジーさま こんばんは!

    > 出来たてほやほやのバート・イシュル旅行記におじゃましています。

    すみません。中途半端なものをお目にかけてしまいまして。
    作成中、急遽出かける用事ができてしまい…
    帰宅して、開いてみると、パンジーさんのコメントが…。(恥ずかしい〜)
    あわてて続きを書き上げました。よかったら見てくださいね。

    > このホテル、すてきですね。
    > もろ好みです。

    豪華なホテルではありませんが、古い家具がとても似合っていました。
    写真ではベッドのところだけしか写っていなくて、
    どんなホテルだ!って突っ込まれそうですね。(笑)

    バートイシュル、オーストリアがお好きなパンジーさんのこと、
    きっとお気に召すと思います。
    私ね、こんなことを言うと笑われそうですが
    バートイシュルって、イングリッド・バークマン(若い頃の)に雰囲気がぴったりだと思うんですね。
    さっきから彼女のイメージが頭から離れないのです(笑)
    機会があればもう一度と行って見たい街です。

    ところでパンジーさん、新作発表なさいましたね。
    ほやほやの時に見せていただきました。
    足跡だけでコメント残さなかったのですが、
    浅草の酉の市、やっぱりパンジーさんの手にかかると風情がでますね。

    昔、子供達と新宿の花園神社の酉の市によく行きました。
    もう行かなくなって何年経つかしら。
    来年は、しばらくぶりに行ってみようかな〜。

    なんて懐かしく思いながら読ませていただきました。

    またお邪魔させていただきます。              
    2010年11月27日22時24分 返信する
  • 素晴らしい景色!

    himmmelさん
    さっそくお邪魔しました。

    表紙の写真、何て素晴らしいんでしょう!
    でも旅のベテランのhimmmelさまのブログに私の名前を出していただくなんて
    恥ずかしすぎですわ(照)

    美しい写真と丁寧なコメントに、あーそうだった、へーそうだったんだ〜と
    昨年の旅行を思い出しながら本当に楽しく読ませていただきました。

    それにしてもお天気はラッキーでしたね。
    私が行った時よりも ずっときれいな青空が見えます。
    やっぱりhimmmelさまは晴れ女ですよ!

    今回のオーストリアの拠点はリンツ?
    行ったことはないのですが、きれいな町らしいですね。
    今後も楽しみにしています。        パンジー
    2010年11月20日11時38分返信する 関連旅行記

    RE: 素晴らしい景色!

    パンジーさん
    私の恥ずかしいシャーフベルクをご覧くださって有難うございます。

    > 表紙の写真、何て素晴らしいんでしょう!
    お酒が前面でシャーフベルクはずっと後方に押しやられていますけど、
    私にしてはよく撮れたかなー(ってことは滅多にないですから…)

    > でも旅のベテランのhimmmelさまのブログに私の名前を出していただくなんて
    > 恥ずかしすぎですわ(照)
    そんなそんな、人気ブロガーのパンジーさん、何をおっしゃいます!
    パンジーさんの旅行記を見てシャーフベルクに行こうと思ったのですから
    私の方こそ感謝しています。
    お陰さまでお天気にも恵まれて、素晴らしい景色を堪能できました。

    > 昨年の旅行を思い出しながら本当に楽しく読ませていただきました。
    時期的にはパンジーさんの時と1ヶ月ほどしか違いませんものね。
    私もパンジーさんの旅行記を改めて見せていただいて
    同じような高山植物や、風景など、あらっ、と思いました。

    > 今回のオーストリアの拠点はリンツ?
    そうリンツなんです。
    余りの写真の多さに今から戦々恐々としています。
    きれいな町でした。

    > 今後も楽しみにしています。
    私もパンジーさんの旅行記楽しみにしていますよー。
    2010年11月20日22時43分 返信する
  • RE: 抵抗記念館

    Frau.himmelさん いつか訪れようと思っていたドイツ連邦国防省の写真と解説ありがとうございます。中庭で処刑された人(含むシュタウフェンベルグら4人)は、そのまま(軍服姿など)埋葬されましたが、その後火葬され、灰は下水処理場にばらまかれたようです(追悼者が訪れないように)。
    また、ヒトラー夫妻もブンカーそばの中庭で火葬・埋葬されましたが、ソ連軍が発見し、検査のため一部(頭蓋骨あるいは顎の部分)を持ち帰り、残りをゲッペルス夫妻と子供たちと共に埋葬された。その後、ネオナチの聖地となるのを恐れたソ連政府は遺体を掘り起こし、火葬した後、灰をマグデブルグにあるソ連軍基地近くの川に流したようです。顎の部分はモスクワのどこかにあるようです(未公表)。では
    2010年11月07日21時44分返信する 関連旅行記

    RE: RE: 抵抗記念館

    しょうちゃん様 
    いつもご覧頂き有難うございます。

    この度はまたすごい情報を教えていただき、感嘆いたしました。

    >中庭で処刑された人(含むシュタウフェンベルグら4人)は、そのまま(軍服姿など)埋葬されましたが、その後火葬され、灰は下水処理場にばらまかれたようです(追悼者が訪れないように)。<

    えっ!そうなんですか?
    シュタウフェンベルクらのヒットラー暗殺計画は、ナチスの暗黒時代にあって、まだドイツ人に良心が残っていたとして、敗戦後は英雄視されましたね。追悼者が訪れないようにと火葬され、下水処理場にばら撒かれたとのこと…。皮肉ですね。その後その国防省に追悼記念館が出来るとは…。

    > また、ヒトラー夫妻もブンカーそばの中庭で火葬・埋葬されましたが、ソ連軍が発見し、検査のため一部(頭蓋骨あるいは顎の部分)を持ち帰り、残りをゲッペルス夫妻と子供たちと共に埋葬された。その後、ネオナチの聖地となるのを恐れたソ連政府は遺体を掘り起こし、火葬した後、灰をマグデブルグにあるソ連軍基地近くの川に流したようです。顎の部分はモスクワのどこかにあるようです(未公表)。<

    後ほど続けさせていただきます。

    2010年11月08日12時15分 返信する

    RE: RE: 抵抗記念館

    中断してスミマセンでした。

    > また、ヒトラー夫妻もブンカーそばの中庭で火葬・埋葬されましたが、ソ連軍が発見し、検査のため一部(頭蓋骨あるいは顎の部分)を持ち帰り、残りをゲッペルス夫妻と子供たちと共に埋葬された。その後、ネオナチの聖地となるのを恐れたソ連政府は遺体を掘り起こし、火葬した後、灰をマグデブルグにあるソ連軍基地近くの川に流したようです。顎の部分はモスクワのどこかにあるようです(未公表)。<

    この情報も私にとっては すばらしい! の一言です。
    ヒトラーのブンカー跡に行ったとき、そこには立て札1枚しかなく不思議に思いました。
    ヒトラー政策の是非は別として、歴史上こんなに名を轟かせた人物の終焉の地ですから、記念碑の一つもあるはずだと思って行きましたから。
    ところが見事に何もなく、駐車場のコンクリートで覆われていました。
    立て札がなかったら、そんなに重要な地であることさえわからない…。
    なるほど、ネオナチの聖地ですね。まだ熱狂的なネオナチがいますからね。

    私は旅を楽しんだ後も、こういう歴史的な調べ物をして(高齢者には少々骨の折れることですが)二度楽しんでいます。
    しょうちゃん様には笑止に耐えないこともあるかと思いますが、
    私の解釈が間違っていましたら、是非教えてください。
    どうか今後もよろしくお願いいたします。
    2010年11月08日13時11分 返信する

    RE: RE: 抵抗記念館

    拝復 Frau.himmelさん 舌足らずの説明でごめんなさい。現ドイツ連邦国防省の中庭で処刑された人(シュタウフェンベルグら4人)は、そのまま(軍服姿など)埋葬されましたが、その後ヒムラーの命令で掘り起こされ、階級章などをはぎ取られ、火葬されたあと、その灰はベルリンの下水処理場にばらまかれました。それは謀反人を侮辱し、将来追悼者が訪れる場所を残さないためです。> また、ヒトラー夫妻(エバーは服毒自殺、ヒトラーはピストルによる自決)もブンカーそばの中庭で(ガソリンにより)火葬され、(ドイツ兵により)埋葬されましたが、ソ連軍が発見し、検査のため一部(本人かの確認のため頭蓋骨あるいは顎の部分)をモスクワに持ち帰り、残りをゲッペルス夫妻(ピストルによる自決)と子供たち(ブンカー内で服毒自殺)と一緒に(どこかの)森のなかに(秘密裏に)埋葬されました。その後、ネオナチの聖地となるのを恐れたソ連政府は(ヒットラー夫妻とゲッペルス家族の)遺体を掘り起こし、(再度)火葬した後、その灰をマグデブルグにあるソ連軍基地近くの川に流したようです。なお、下顎の部分(ヒトラー掛かりつけの歯医者に確認するため)はモスクワのどこかにあるようです(未公表)。また、ブンカーの立て札はつい最近できたものです(2003年にはなかった)。それは、ベルリンの歴史を一般市民に知らせるためにボランティアーが立てたと思います。たしか、熊谷 徹さんだったかの本に書いてあります。
    2010年11月08日16時18分 返信する

    RE: RE: RE: 抵抗記念館

    しょうちゃん様 こんばんは!

    ヒトラーの最後について、しょうちゃん様のご説明で猛烈に興味が湧いてまいりました。

    今しがた、ネットで
    エイダ・ペトロヴァ/ピーター・ワトソンの「ヒトラー最後の日:50年目の新事実」藤井留美訳 原書房
    を、読んできたばかりです。

    すごいです!
    私はヒトラーの遺体はエヴァ・ブラウンとともに完全に焼却されて、
    ほとんど何も残らなかった(2つの歯のブリッジだけ)と思っていました。

    ところが、しょうちゃん様の仰るように、モスクワでヒトラーの頭蓋骨が発見されているのですね。
    その他、ヒトラーの影武者説のこと、ゲッペルス一家の殉死のこと、
    ヒムラーの裏切り、など興味はつきません。

    でも、写真で見たゲッペルス家の6人の子供達のあどけない顔、切なくなりました。

    有難うございました。
    2010年11月08日23時02分 返信する
  • 私も行きました

    frau.himmelさん、こんばんは。
    近鉄バッファローズです。

    私もカンシュタット市民祭り(Cannstatter Volksfest)に行きました。
    おっしゃるようにミュンヘンのオクトーバーフェストと
    比較してしまうと雰囲気はかなり劣ると思います。
    民族衣装で来る人もほとんどいないですし、
    テントも小さかったと思います。
    でも、テントはいくつかありましたよ。
    で、オクトーバーフェストほど人が混まないので、
    実はビールが飲みやすくて、ビールを楽しむには
    こちらの方がいいのじゃないかと思っていました。
    写真を見返すと4つはテントがありました。
    私には、その他にあった出店の方が面白かったです。
    色々な食べ物の屋台が出ていましたし、
    いろんな移動遊園地の遊具も見ていて楽しかったです。

    恐らく想像と違った、と言うのが大きいのではないでしょうか?

    何かの御参考になれば幸甚です。
    2010年11月03日23時37分返信する 関連旅行記

    RE: 私も行きました

    近鉄バッファローズさま 書き込みありがとうございます。
    お名前は以前から拝見しておりまして、ドイツのことにお詳しい方だなーと…。
    そんな方に書き込みいただけるなんて光栄です。

    カンスタット祭り、実は楽しみにしてたのです。
    帰ってからネット情報で調べても、やはりビールのテントはあったようで…。
    やっぱり違った方向に行ってしまったようです。
    もう少し探し回ったらよかったんですね。簡単に諦めすぎました。
    雨も降っていたし…、フェダーヴァイサーが飲めたからもういいか!って(笑)。

    それからクーヘンのこと、確かにそうですね。
    甘くないし、どちらかと言えば、食事の代用にするようなもの。
    私も、昨年秋の旅行では、何度もツヴィーベルクーヘンをお昼ご飯がわににいただきました。
    ドイツではケーキのこと、トルテって言いますものね。

    また後ほど、別の旅行記でお会いさせてください。
    2010年11月04日11時58分 返信する
  • キッシュの語源

    frau.himmelさん、こんばんは。
    近鉄バッファローズです。

    先日、テレビで見たのですが、
    フランス語のキッシュの語源は
    ドイツ語のクーヘン(Kuchen)らしいですよ。
    だから、クーヘンを「ケーキ」と訳すのは
    あまり正しくないみたいですね。
    私もクーヘンと名が付くもので
    全然甘くないものもよく食べましたから。

    何かの御参考になれば幸甚です。
    2010年11月03日23時27分返信する 関連旅行記 関連写真
  • ベルリンの壁資料センターについて情報あります

    frau.himmelさん、こんばんは。
    近鉄バッファローズです。

    ポツダム広場のソニーセンターには
    ああいう話しがあったんですね。
    全然知りませんでした。為になりました。

    一方、私はチェックポイントチャーリーの
    壁博物館を見学しました。
    frau.himmelさんが中を御覧になれば、
    かなり興味を示されるであろうものがたくさんありましたよ。
    チェックポイントチャーリー周辺は、
    観光客目当ての土産物屋も多いですが、
    でも、歴史的なところであることは間違いないですし、
    分かりやすくてはじめていく人には良いと思いました。

    あと、「ベルリンの壁資料センター(Gedenkstaette berliner Mauer)」は
    是非行きたいと思いました。
    先日、4traの「教えてトラベラー」の質問で
    このセンターの質問がありちょっと調べたので、
    「こんなところがあるんだなぁ」と思っていました。
    センターのホームページには
    野外展示について今工事中である旨が書いてありました。
    次にまた行かれると、変わっていると思いますよ。

    何かの御参考になれば幸甚です。
    2010年11月03日23時05分返信する 関連旅行記

    RE: ベルリンの壁資料センターについて情報あります

    近鉄バッファローズさま こんにちは!
    いろいろと有意義な書き込み有難うございます。

    > ポツダム広場のソニーセンターには
    > ああいう話しがあったんですね。
    > 全然知りませんでした。為になりました。

    カイザーザール(皇帝の間)のことですね?
    突然場違いな建物に遭遇した…、って感じで私もビックリしました。
    帰ってからネットで調べたら上記のような記述があり、何か日本人として嬉しくなりました。

    > 一方、私はチェックポイントチャーリーの
    > 壁博物館を見学しました。
    > frau.himmelさんが中を御覧になれば、
    > かなり興味を示されるであろうものがたくさんありましたよ。

    壁博物館はまだ入っておりません。
    入場料も結構高いし、私の性格からして、じっくり時間をかけてモトをとらなければ…(笑)と思っていますので、次回にとってあります。
    (なんて、次回も行きたいところ満載なのです)

    > あと、「ベルリンの壁資料センター(Gedenkstaette berliner Mauer)」は
    > 是非行きたいと思いました。

    ここは昨年秋、野外展示場はちょうどベルリンの壁崩壊20周年パネル展をやっておりました。
    最近の情報で見ると工事中だそうですね。
    次回はどうなっているか楽しみです。

    ベルリンって日々変貌しており、その変わりようを見るのも楽しいです。
    また、いろいろ情報お願いいたします。
    2010年11月04日12時25分 返信する

frau.himmelさん

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frau.himmelさんにとって旅行とは

4トラベル会員になりいつの間にか15年以上経ちました。
私の拙い旅行記でも多くの方が読んでくださり、大変励みになっております。
齢をとりますとだんだん文章も書けなくなり、また投稿頻度も遅くなってまいりましたが、これからも老化防止・ボケ防止、そして自分自身の旅の備忘録として、この4トラベルを利用していきたいと思います。

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