frau.himmelさんへのコメント一覧(141ページ)全1,449件
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バドワイザーブドヴァルの醸造所見学しました
frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
2005年ですが、私もチェスキーブジョヴィツェに行きました。
で、frau.himmelさんが行き損ねたBudweiser Budvalの醸造所へ
工場見学に行きました。
私は、工場見学の方が主目的でしたので。
私が行ったときは、私とドイツ人のオヤジ観光客三名ほどだけでした。
ツアーは、チェコ語、ドイツ語、英語の三カ国語が大丈夫で、
制服を着た女性が案内してくれました。
私もいささかドイツ語が出来るので、ドイツ語で御願いしました。
麦芽を作るところやそれを蒸し、ホップを加え、醗酵させる。
そして、タンクで貯蔵中のビールを味見させてくれます。
私も一口飲みましたが、ドイツ人達はバンバン飲んでいました。
最後に瓶詰め行程を見て、見学終了です。
プルゼニュのピルスナー ウアクヴェレの工場も見に行きましたが、
私個人的には、プルゼニュの方が面白かったです。
ですが、バドワイザーブドヴァルも面白かったですよ。
何かの御参考になれば幸甚です。
RE: バドワイザーブドヴァルの醸造所見学しました
近鉄バッファローズさま こんばんは!
> 2005年ですが、私もチェスキーブジョヴィツェに行きました。
> で、frau.himmelさんが行き損ねたBudweiser Budvalの醸造所へ
> 工場見学に行きました。
ええ、バファローズ様のチェスキーブジョヴィツェ編、読ませていただきました。
とても詳しく工場見学の様子を書いていらっして、羨ましい〜と思いました。
私は、リンツから日帰りで、しかもフルボカー城にも行きましたので、工場見学までは手が回らなかったかも…。
確か、旧市街から少し離れていたんですね?。
地元でヴァドワイザーが飲めただけでも良しとしなければ…。
チェスキーブジョヴィツェ、とてもきれいな街でしたね。
ちょっとだけ足を踏み入れたチェコの街、それがチェスキーブジョヴィツェで
ほんとに良かったと思います。
近鉄バファローズ様のドイツの小さな街にもまたお邪魔させていただきます。2011年02月03日21時23分 返信する -
エッセンは、近代的な町ですね。
お返事有難うございます。エッセンを和訳すると「食べる」という意味なので、何か関係があるのかと、思っていましたが、お写真からすると、関係なさそうですね。ウクライナの花嫁を、日本に連れて来るのです。あのチェルノブイリの歌姫のナターシャ・グジーさんも、日本人男性と結婚です。ただウクライナ女性と日本人男性とのお見合いには、危ない会社もあります。私の知人は、ドネツクでお見合いをして知り合ったのですが、結婚詐欺に会いました。キエフからドネツク行きのオンボロのツポレフには、このとき5人の日本人男性がいたようです。
向こうでパーティーをやり、気に入った女性を選んで、翌日、町の観光を一緒にやるみたいです。
まじめなお見合いツアーは、女性が高学歴なのに驚きます。ガイドさんは、「お見合いツアーにも、色々あります。お金が目当てだけの女の人もいます。そういう女性を、腐った女、といいます。」とのことです。
ウラジオストクでしたが、日本人旅行客のオジサンたちが、厚化粧をし強い香水をかけた、その筋の女性を連れて、ホテルのレストランに入りました。
露語の通訳を、このオジサンに頼まれ、食事を一緒にさせられました。もちろん、おごってもらっています。日頃、この歳で独身なので、近所で肩身が狭いのですが、「すごいねえ。ロシア語ができるんだあ」と言われると、調子にのってしまうのです。
前日には、ここのウェイトレスのロシア国籍のグルズィンカと、私は親しく話していたのに、この日は私に笑顔一つみせませんでした。
そのとき、私には理解できませんでしたが、キエフのガイドさんの言葉を聞いて、「腐った女」と食事をするような不潔な男性ととられたんだなと思いました。
RE: エッセンは、近代的な町ですね。
浦潮斯徳さま こんばんは!
コメント、ニヤニヤしながら読ませていただきました。
でも、かわいそうに、浦潮斯徳さま!
日本のふまじめな(?)オジサン方の通訳をしてあげたばかりに、それまで好意的だったかわいいウェイトレス嬢にすげない態度をされるなんて…。
こういうオジサマ方対象の「腐った女」との婚活はさすがにお見合いとは言わないんでしょう?
それに、あんまり鼻の下を長くして「お見合い」しているから、結婚詐欺にも合うんですね。
でも、本当の真面目なお見合いで、高学歴なウクライナの女性を花嫁として連れ帰った日本男性、幸せですね。美人なんでしょう?
この楽しいお話、ぜひ旅行記でほかの皆様にも披露してください。
ここだけの話では勿体ない!
>エッセンを和訳すると「食べる」という意味なので、何か関係があるのかと、思っていましたが、お写真からすると、関係なさそうですね。
そうなんです。エッセンの近くには「Werden」という街もあり、これもドイツ語の動詞なのですが、とても雰囲気のいい街でした。2011年02月03日21時10分 返信する -
Alexanderplatzのパネル展について
frau.himmelさん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
今、旅行記を拝見中です。
「Wir sind miteinander, nicht gegeneinander」ですが、
「我々は、対峙せず、共にある。」という感じで訳してはどうでしょうか?
もっと意訳すれば、「対峙でなく、共存しよう」という感じでしょうか。
あと、ポツダム会談は、1945年です。
写真の説明が「1946.」となっていましたので。
何かの御参考になれば幸甚です。
RE: Alexanderplatzのパネル展について
近鉄バッファローズ様 いつもありがとうございます。
> 「Wir sind miteinander, nicht gegeneinander」ですが、
> 「我々は、対峙せず、共にある。」という感じで訳してはどうでしょうか?
> もっと意訳すれば、「対峙でなく、共存しよう」という感じでしょうか。
素晴らしい!
旅行記にも追加いたしました。
「対峙ではなく、共存を!」と。
まさに東西ドイツ統一にふさわしい言葉だと思います。
> あと、ポツダム会談は、1945年です。
> 写真の説明が「1946.」となっていましたので。
これもお恥ずかしいー!
パネル写真の説明にもちゃんと1945.って書いてありましたのに…。
タイプミスですね。指摘してくださってありがとうございます。
これからもいろいろご教示ください。2011年02月02日14時21分 返信する -
「Geselschaftshaus」の意味について
frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズと申します。
「Geselschaftshaus」はうまく訳せませんが、
会議室とかレストランもあるみたいです。
Geselschaftsには色々な意味がありますが、
ここでは「社交」と言うのがぴったり来そうです。
なので、「社交に使う建物」とでも訳せばいいでしょうか。
何かの御参考になれば幸甚です。
RE: 「Geselschaftshaus」の意味について
近鉄バッファローズ様こんにちは!
>「Geselschaftshaus」はうまく訳せませんが、
> 会議室とかレストランもあるみたいです。
> Geselschaftsには色々な意味がありますが、
> ここでは「社交」と言うのがぴったり来そうです。
> なので、「社交に使う建物」とでも訳せばいいでしょうか。
そうですね。そんな風な会館だとは思ったのですが、
「迎賓館」では仰々しいし、単に「会館」では軽すぎるし…。
ドイツ語の訳って難しいですね。
いつも写真と一緒にドイツ語の説明文の写真も撮るようにしているのですが、それを訳する時にいつも悩んでいます。
またいろいろとよろしくお願いいたします。
himmel
、
2011年02月01日12時53分 返信する -
参考にさせて頂きたいと思います。
frau.himmelさんへ♪
ベルリンの旅行記にお邪魔させて頂きます。
未踏の街!ベルリン!!
今年こそ!足を運んでみようと思っています。
ただ、滞在時間、4時間という強行なスケジュールを立てみようかと
思っていたのですが・・・
やはり、滞在した方が良いのかもっと・・・
っと思いはじめました。
続きをゆっくり拝見させて頂きます♪
RE: 参考にさせて頂きたいと思います。
とんちゃん健康一番さん こんにちは♪
コメント書き込み有難うございます。
驚きましたー!
ドイツの小さな街々をあんなに歩いていらっしゃるとんちゃんさんが
首都ベルリンまだだったなんて!
歴史が好きな私は、ベルリンは何度行っても行き足りない街です。
古いもの新しいもの何でも満足させてくれる魔法の街です。
是非是非、滞在して観光して下さい。
ベルリンはアパートが充実していますので、アパート滞在も楽しいです。
それにしても、もうドイツ旅行の計画ですか?
うらやましー!
himmel2011年02月01日12時45分 返信する -
一番美しい街は、インスブルックかも知れませんね。
ご返信有難うございます。ウクライナの首都キエフは、とても美しい街と聞いていました。実際、自分の目で見て美しいと思いました。次に、西ウクライナ中心の町リヴォフに行ったら、あまりの美しさに、キエフの印象が、吹っ飛びました。西ウクライナは、ハプスブルク家の支配だったので、町はオーストリアとよく似ています。第二次大戦終了まで、リヴォフの町は、ポーランド人が多く住む町でした。
西ウクライナは、支配層がポーランド人で、ウクライナ人は、大半が農奴でした。ポーランド貴族は、ユダヤ人に自分の荘園を管理させていました。それゆえ、西ウクライナでは、反ユダヤ感情が強かったのです。
1939年9月にドイツとソ連が、ポーランドに攻め込み、西ウクライナは、ソ連領になります。ソ連の秘密警察(ゲーペーウー)は、西ウクライナの民族主義者を、片っ端から捕らえ殺害しました。私の写真にある、カミャネツ・ポデリスキー城が、監獄として使われ、ここでゲーペーウーに殺害されました。
1941年にドイツ軍は、西ウクライナにやって来ます。監獄や古いお城から、ゲーペーウーによって殺害されたウクライナ人の死体が、運び出されます。西ウクライナの中には、ナチスに協力する者も、沢山でてきます。
ゲーペーウーのウクライナ人狩りに、ユダヤ人が協力したと信じられ、ウクライナ人たちは、ナチスのユダヤ人狩りに協力します。
西ウクライナでは、ポーランド人に長い間、虐げられてきたので、ポーランド人に対しても、反感を持っていました。
1944年、ワルシャワ反乱が発生したのですが、ナチスのヒムラーは、西ウクライナ人の反ポーランド感情を利用しようとして、ナチスに協力するウクライナ人を、送りこみました。ウクライナの兵隊たちは、ワルシャワ市民に対して、暴虐の限りを尽くし、反乱はますます激烈を極めました。「鷲の指輪」というポーランド映画では、ポーランドの女性を、かっさらっていくウクライナ兵が、描かれています。
第二次大戦終了後、ポーランドは独立しますが、国境が西へ移動します。西ウクライナはソ連領となり、ドイツから取上げた地域が、ポーランド領となります。
このときに、ソ連とポーランドの共産党政府との間で、民族の交換が決められます。西ウクライナに住むポーランド人は、新生ポーランド領へ移動させられます。一方、ポーランドに住むウクライナ人は、ソ連領に戻されることになります。ポーランドに住むウクライナ人たちは、スターリン支配下のソ連行きに抵抗します。
このとき、ポーランドの官憲に対して、ウクライナ人たちは、テロでのぞみ、多くの流血をみました。
ポーランドの共産党政府は、ソ連へ強制移住できなかったウクライナ人を、ウクライナから離れた、ドイツから奪った東部地域に移住させました。
西ウクライナは、ただの一度も、帝政ロシアに組み込まれなかったのに、ソ連領となりました。
こういった歴史的背景から、西ウクライナでは、今でも反ポーランド、反ロシア感情が強いです。
ただ、オレンジ革命で、反ロシアのユーシチェンコが大統領になって、ポーランドとの和解に取り組もうとして、サッカーのヨーロッパ大会のウクライナ・ポーランドの共催が、決められました。
ところで、現在ロシアには、もう言論の自由は、ありません。テロを警戒して入国手続きに時間がかかります。町のは、警官がところどころに立っています。日本人は、危険とは思われませんが、悪徳警官に呼び止められ、賄賂を要求されます。
ウクライナ入国は、日本人は、ビザがいりません。入国の審査も早いです。町には、警官も少ないです。大統領の悪口も言えます。言論の自由もあり、テロも戦争もないというのは、こんなに素晴らしいことかと思いました。
実際、ロシアからウクライナに行かれた方は、口をそろえて、明るい気分になるといいます。
キエフのガイドさんは、チェチェン戦争について「ロシアは間違っています。勿論、ロシア人も気づいてはいます。でもロシアには、言論の自由がないのです」と、ばっさりでした。
ウクライナの伸び伸びとした空気に触れると、ロシアから遠のいてしまいます。
なお、日本人とウクライナ人のお互いバツ1の熟年同士のお見合いが盛んです。キエフでもリヴォフでも、少し恥じらいだ感じで、デートしている日本人男性とウクライナ女性を、目にしました。ウクライナより、日本の方が、一人当たりの国民総所得は、ずっと上(日本の半分が韓国。韓国の半分がポーランド。ポーランドの7分の1がウクライナ)ですが、ウクライナ女性は、高嶺の花で、私には、無理です。
ガイドさんから、「お見合いのツアーを企画もしています。ただ結婚を前提とした、真面目なお付き合いですよ」と、クギを刺されました。
このインスブルックの写真を見て、リヴォフより美しいのではと、思いました。
なぜなら、背景がアルプス山脈だからです。素晴らしいお写真ですね。町はリヴォフと似ています。両方とも、ハプスブルク帝国だったからでしょう。
あと、ブレンナー峠(ドイツ側の呼び方)を、超えると南チロルですが、ここは第一次世界大戦終了前までは、オーストリア領でした。イタリアが、ドイツとの同盟を裏切り、連合国側にたったため、この地はイタリア領になりました。RE: 一番美しい街は、インスブルックかも知れませんね。
浦潮斯徳さま またまた興味深いお話ありがとうございます。
返信が遅くなり申し訳ありません。
浦潮斯徳さまが時間をかけて、私のためにコメント下さったもの、私なりに勉強してお返事しないと申し訳ないと思い少し調べておりました。
結局難しすぎて、あんまり理解できなかった…(スミマセン・汗)
ウクライナの首都はキエフでしたね。前回間違っておりました。
リヴォフは西ウクライナなんですか。
ロシア、ポーランド、ドイツそれにオーストリア・ハプスブルク家といろいろ入り組んでいて本当に分かりにくい相関図ですが、それだけウクライナの人々は歴史に翻弄され続けてきたのですね。
にも関わらず、とても美しい街なのだとか…、いつか行ってみたいです。
それにしても、日本人男性とウクライナ女性とのお見合いのお話、とても面白かったです。
日本とウクライナの国民総所得がそんなに差があると、日本人の男性はさぞやモテモテなのでは…。
それで、お見合いが成立すると、日本に連れて帰るのですか?
インスブルックは、ハプスブルクの影響が強く残るきれいな街です。
残念ながら、少しの時間しか滞在しませんでしたので、博物館などには行かなかったんですが、次回はもう少し歴史など勉強して来ようと思います。2011年02月02日15時38分 返信する -
ウクライナのリヴォフと似ています。
ご訪問、有難うございます。ヴィースバーデン、聞いたことはありましたが、バーデンバーデンに勝るとも劣らない町だと、初めてしりました。
あと、リンツの町ですが、西ウクライナのリヴォフと、そっくりです。かつて西ウクライナは、ポーランド分割で、ハプスブルク家の支配するオーストリア帝国になりました。それゆえ、町並みは、ウクライナのキエフとは、まるで違います。ただ、ウクライナは、経済がイマイチなので、町の建物は、窓枠が壊れていたり、レンガが欠けていたりしますが、またそれが素晴らしいのですが。磨かれざる珠が、リヴォフでしょうか。
リンツが、こんなに綺麗な町だとは、びっくりです。
あのサウンド・オブ・ミュージックというオーストリアを舞台にした映画ですが、オーストリアでは、評判はイマイチです。オーストリアが、ナチスに染まっていく場面が、不人気です。
オーストリア東部は、スラブ系の姓が多いと聞いたことがあります。ムッソリーニを救出して有名になったオットー・スコルツェニーも、オーストリア人ですが、姓はスラブ系です。アドルフ・アイヒマンの奥さんは、チェコ人です。あと、メッサーシュミットのエース・パイロットのヴァルター・ノヴォトニーの姓は、チェコ人の姓です。スラブ民族を蔑視するヒトラーを、オーストリア人が、支持したのが不思議です。
でも、ベルサイユ条約が、過酷過ぎたかも知れませんが。
ロシアの中の、民族名をいただいた共和国を旅して分かったのは、異民族どうしでも、一緒に生活していると、必ず民族間の通婚があるなと思いました。
ナチスの台頭も、国民の失業と、貧困が原因でした。
モスクワのガイドも、チェチェンのテロも、一番の原因は、若者の失業と貧困だと。
民族間の憎悪を煽るのは、いつも政治家ですね。自分たちにとくするように。石垣沖の無人島の事で、日本人は悪者にされていますが。
RE: ウクライナのリヴォフと似ています。
浦潮斯徳様 こんにちは!
リンツに似ているとおっしゃった「リヴォフ」と言う所をネットで探してみました。
まずは浦潮斯徳様の旅行記の中にそこの記述があるかな…と思って…、探し出せませんでしたのでネットで。
ウクライナの首都なんですね。そして歴史に翻弄された街で、いろんな国の領地になり、歴史地区は世界遺産にも指定されているとか。
その中でもオーストリア領時代の影響を最も受けているのでしょうか、教会が多くて、中世の建物が残る街並みは、本当に浦潮斯徳様がおっしゃるようにリンツに似ていますね。
リンツは本当にきれいな街でした。もう一度訪れる機会があれば、ヒトラーの生まれ故郷にも足を伸ばしてみようかなと思います。
サウンド・オブ・ミュージックの舞台となったオーストリアなのに、あまり地元では歓迎されていないとは…、分かるような気がします。
あの物語は、ナチに抵抗して命からがらスイスに亡命した話でしたね。
あのころ、国を挙げてナチズムに染まっていたはずなんでしょうけど、今となってはそういう負の遺産を公にしたくないでしょうから。
またいろいろと教えてください。
浦潮斯徳様の旅行記、楽しいです。
himmel2011年01月30日12時47分 返信する -
Monopteros auf dem Nerobergの意味
frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
「Monopteros auf dem Neroberg」ですが、
和訳すると「ネロベルグの上の円形周柱神殿」となるでしょうか。
「円形周柱神殿」はギリシャやローマのものらしいです。
何かの御参考になれば幸甚です。
RE: Monopteros auf dem Nerobergの意味
近鉄バッファローズさま こんばんは!
「Monopteros auf dem Neroberg」の訳をしてくださってありがとうございました。
何か教会に関係のあるものだとは思っていたのですが、私の辞書には出てこなかったのです。
(昔の電子辞書なものですから…泣)
早速その旨を旅行記に追記しました。
今後ともよろしくお願いいたします。2011年01月28日20時27分 返信する -
上から♪
frau.himmelさんへ♪
お邪魔しますぅ♪
ワイン!!
上から全部トライしてみたいですぅ☆
9月にヴュルツブルクへ足を運んだ時、雨でした。
ラーツケーラーに入ってフランケンワインを呑んで、
寒さをしのぎました(笑)!!
今年もドイツに行けるよう、日々精進です♪
また、お邪魔させて頂きます!!
RE: 上から♪
とんちゃんさま こんばんは♪
コメントありがとうございます。
あらぁ〜、とんちゃんさまもワインお好きですか?
私も目がないほうで…。
> 上から全部トライしてみたいですぅ☆
思うだけにしておきましょうね。
日本と違って250ml入りですから、上から3段目でボトル1本ですよ…。
でもほんと、メニューを見ていると、あれもこれも飲みたくなるんですね。
フランケンワイン大好きで、ドイツに行く度に日本に送っています。
プレゼント用にしたり、自宅用にしたりと大変重宝しています。
あとで、女三人旅にお邪魔させていただきます。
himmel2011年01月21日21時09分 返信する -
ワインのお土産。
frau himmelさま
ビュルガーシュピタールでのお土産用のワインの購入の話、とても参考になりました。
実はこの6月にあるサークル仲間とドイツに行きヴュルツブルクに一泊します。ホテルは駅前のレギーナというところです。旅行に参加しない仲間にフランケンワインをお土産にしたいが持ち帰るのも大変だしと思っていたところに丁度このブログに出会いました。
12本、送料込みで180ユーロはnicht teuerですね。どうなるか分かりませんが参考にさせていただきます。何年か前にマリーエンベルク要塞のケラーで2本買って持ち帰った事がありましたが、1本12ユーロでした。
時期も同じ頃なのでシュピタールのワイン祭りをやっていたら潜り込みたいです。
ベーム2011年01月20日22時20分返信するRE: ワインのお土産。
ベームさま こんばんは♪
6月にドイツにいらっしゃるんですか? うらやましー!
一番ステキな季節ですね。
> ビュルガーシュピタールでのお土産用のワインの購入の話、とても参考になりました。
有難うございます。
ワインの代金はそんなに高くないんです。今回私は5.5ユーロ〜15ユーロくらいのワインを選んで送りました。それを免税扱いにしてくれますので、実際はもっと安いです。
ただ、高くつくのはパッケージ込みの郵送料。たしか12本で80ユーロくらいだったかと…。
でも、3本セットでパッケージしてあり、そこにかわいいグラスが2個ついています。(2009秋の旅行記、ヴュルツブルク編でもフランケンワインのことを書いていますので、そこに写真を入れています)
今は円高ですから1本当たり1700円弱位ですか。ネットなどで日本で同じ品質のものを求めようと思うと、3000円〜5000円くらいしますので郵送してもかなりお得ですよ。
だいたい2週間くらいで日本に届きます。
ただ、帰国の際には別送便の手続きをしてください。大した金額ではありませんが少し税金が取られます。
そして、ビュルガーシュピタールでの食事もお奨めです。
ちょうど時期的にはシュパーゲルの終わりごろですね。
ぜひ、ビュルガーのお店でシュパーゲルを味わってください。
シュタイン・アム・ラインのお返事有難うございました。
スイスにも行きたいですね。2011年01月21日20時56分 返信する



