frau.himmelさんへのコメント一覧(142ページ)全1,434件
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隣の芝生
frau.himmelさん、こんばんは。
何度も書き込みしている、近鉄バッファローズです。
東西ドイツが分裂している頃、
壁ができる前は一方的に人口が西へ流出していました。
アメリカからの経済援助で西は大きく発展していましたから。
ソ連もそうですが、計画経済では
利潤追求がないためか技術革新などが一向に進まず
また効率化も進まないため、特に重工業は
時代が経てば経つほど衰退していました。
第二次産業の物品は不足していたようですが、
第一次産業の産品にはそれほど困らなかったようですし、
また、医療や保育はタダだったりしました。
で、壁が崩壊して統一ドイツになってみると、
東ドイツの人はなかなか市場経済について行けず、
東側は未だ以て失業率が高かったりしています。
私には、結局「隣の芝生は青く見える」という
諺が当てはまるように見えます。
まさに「オスタルギー」が良い証拠だと思います。
西ドイツをパラダイスのように思っていた人々が
統一しても別の悩みで苦しんできた結果だと思います。
あくまで私の意見ですので、
間違っていると思えば聞き捨てて下さい。
RE: 隣の芝生
近鉄バッファローズさん、こんばんは!
私も難しいことは解からないのですが、
旅行記を書くにあたり、東西ドイツ統一のことを少しだけ勉強しました。
ですから、近鉄バッファローズさんが仰ること理解できます。
まさに、「隣の芝生は青い」、そうですね。
統一してみたはいいけれど、
西側の人は東側よりいい生活をしているじゃないか、
失業率も東側が高いじゃないか
昔は良かった、東側には失業がなかった、
などとグチばかりが聞こえてくるように思います。
最も旧西側の人も旧東側の人を格下にみているようなところも
あるようですから、どちらが悪いともいえないと思いますが…。
昨夜、深夜映画で「善き人のソナタ」を見ました。
シュタージに監視される生活、あれはいやだと思いましたね。
あれだけでも、私が東側の人間だったら、西に逃亡したいと思いますね。
2010年11月04日22時19分 返信する -
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私も見ました
frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
私もこちらのGoldener Saalを見に行きました。
黄金の間の横の小部屋で紹介されていた
姉妹都市の部屋にも行きました。
展示は当時と変わっていないようですね。
展示されていた写真が結構古くて、
みんな昔のファッションだなぁ、
と言うところに妙に感心してしまいました。
あと、天照大神の像がなかったですか?
私が行ったときは、甲冑と共に置いてありました。
Augsburgは今もいくらか城壁が残っており、
また城門や塔も残っているので、詳しく見ると良いですよ。
他に、大聖堂やモーツアルトハウス、
フッゲライに聖アンナ教会、聖ウルリヒ・アフラ教会など
見るところが多々あります。
何かの御参考になれば幸甚です。
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非常に興味深かったです
frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズと申します。
表紙には「ちっとも面白くない研究発表のような旅行記」と
お書きになっていましたが、私は大変興味深く拝見しました。
私もベルリンへは一度行ったことがあるのですが、
チェックポイントチャーリーの博物館や、
テロのトポグラフィーをとても興味深く見学をしました。
ヴァンゼー会議のことは知っていましたが、
時間的に見に行くことが出来ず、
今回交通手段まで確認することができてよかったです。
展示内容も充実しているようで、見に行きたくなりました。
私はドイツでダッハウの強制収容所を見学しました。
そこは強制収容所で行われた様々な出来事が展示されていました。
もし、機会があればお越し頂ければ興味深いと思います。
また、カイザーヴィルヘルム記念教会の中身も見れてよかったです。
当時は外から眺めただけで、中には行かなかったので。
一つ、「Haus der Wansee Konfrenz」の入り口にあった
プレートの文章についてですが、
私の勝手な考えなので気を悪くされたら申し訳ありませんが、
『悪名高い』と言うのは、ナチス政権が悪かったのであって、
一般のドイツ市民はそんなことはなかった、
自分たちは悪くなかったと言っているように私には聞こえます。
実際そういう風に思っているドイツ人は少なくないと思います。
今でもナチス系政党を禁止する憲法が厳然と存在することが
そのことを端的に著しているように私には思えます。
ですが、ナチ政権は暴力革命で発足したのではなく、
選挙によって政権を獲得し、独裁制を敷いたのです。
ソ連や中国の共産党政権とはここが違うのです。
ナチスも政権を獲得する中では暴力的なこともしました。
ですが、これは左派政党(社会民主党、共産党など)も
同じように政党の私兵など暴力組織を持っていて
お互いに盛んに応酬をしていました。
議席獲得数や得票率は過半数とは行きませんでしたが、
独裁が始まる前の最後の選挙では第一党となっています。
多くの民衆はナチスに期待したのは間違いありません。
そして、ナチスの悪い面と言われる反ユダヤ主義についても
建前とは別にドイツ人の心の底には今でも多かれ少なかれ
残っていると思います。だからこそ、ナチスに共感できたのだと思います。
独裁前のドイツは過大な第一次大戦の賠償金と
世界大恐慌の波を受けて、未曾有の大不況でした。
そう言う状況を打破してくれるものとして、
あるものは社会民主党に、あるものは共産党に、
あるものはナチスを支持したのだと思います。
一般民衆だけでなく、資産家層もナチスを支持しています。
積極的な支持と言うよりは、左派政権ができては
自分たちの資産を奪われてしまうとおそれていたのと、
ナチスなら自分たちの言う通りに支配できると
たかをくくっていたようです。
私は、人間というのはどこまで行っても
陰と陽を併せ持つ存在だと思います。
その陰の面を如何にして害のない形で処理するのか、
そのことを人類は問い続けていかないといけないように思います。
勝手なことばかり申し上げましたが、
お気に召さなければ、聞き捨てになさって下さい。
何かの御参考になれば幸甚です。
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ベルリン再統一20年
frau.himmmelさま、こんばんわ。
10月3日はベルリン再統一20年でしたね。
毎年この日は違った都市で式典があるそうですが
今年はブレーメンの当番(?)で、メルケル首相も来て演説をされたと
ドイツ語の先生が授業の冒頭で話されました。
タイムリーにベルリンのパネル展をアップしていただき
興味深く拝見しました。
現地でのパネル展、やはり迫力がありますね。
昔見て衝撃を受けた映画、「善き人のためのソナタ」を
思い出しました。
パンジーRE: ベルリン再統一20年
パンジーさん おはようございます。
お久しぶりです。
しばらくお見えにならなかったので、心配しておりました。
おおっ、ついにドイツ語を始められましたか?
いよいよ次回の旅に向けての始動ですね。
(かくいう私は、教室に行かなくなって早1年半…。トホホ)
> タイムリーにベルリンのパネル展をアップしていただき
> 興味深く拝見しました。
> 現地でのパネル展、やはり迫力がありますね。
まだ作成中なんです。パネルについての説明を調べるのに時間をとられて…。
近いうちに、時系列に並べて編集しなおしますので、また見てくださいね。
追伸
なかなかシャーフベルクには行き着きません。
忘れてしまいそうです(笑)。
2010年10月09日09時40分 返信するRE: RE: ベルリン再統一20年
さっそくのお返事ありがとうございます。
> しばらくお見えにならなかったので、心配しておりました。
>
ま!心配をおかけしてすみません<(_ _)>
この秋は行きたい展覧会が目白押しで
仕事の合間にせっせと通っておりました。
空いた時間にびゅっと一人で行って 気兼ねなく自分のペースで
見て回るのが何よりの楽しみでございます(^_^)v
> おおっ、ついにドイツ語を始められましたか?
> いよいよ次回の旅に向けての始動ですね。
> (かくいう私は、教室に行かなくなって早1年半…。トホホ)
>
ドイツ語クラスは個性豊かないろいろな方々がいて楽しいのですが
私の上達はカメの歩みのごとくであります。
> なかなかシャーフベルクには行き着きません。
> 忘れてしまいそうです(笑)。
ちょっと、ちょっとhimmelさん、
忘れないでくださいね〜
楽しみに待っていますね(^。^)y-.。o○ パンジー2010年10月09日23時17分 返信する -
懐かしのエッセン
天上人ご夫人さま はじめまして
もう40年になりますがエッセンと隣町ミュールハイムとの境界にトータルで数回で合計8ヶ月ほど滞在し買い物と食事によくエッセンに行きましたのでエッセンの最近の空気を懐かしく拝見しました。
そしてそんなに居ながら全然エッセンを知らないことにびっくりです。ツォルフェライン炭鉱跡博物館とヴォルフガング美術館だけは行きましたが。
いろいろ教えて頂き、次回には10年ぶりに行こうかとの気持ちが湧いてきました。来年5月のミュンヘン行きの切符があるんですがベルリンから旧東ドイツに回る予定だったのですが・・・。これから大いに迷います。
RE: 懐かしのエッセン
4nobuさま はじめまして…
ではないんです。お名前は随分前から存じ上げておりました。
別の旅行サイトで私が質問した際には、お答えしてくださったりしたので、よく覚えております。
エッセン、私も工業地帯というイメージしかなくて期待はしていなかったのですが、思いがけず素晴らしい体験が出来て、2泊では足りませんでした。
> いろいろ教えて頂き、次回には10年ぶりに行こうかとの気持ちが湧いてきました。来年5月のミュンヘン行きの切符があるんですがベルリンから旧東ドイツに回る予定だったのですが・・・。これから大いに迷います。
>
本当にそうですね。私も行きたい所ばかりで迷います。
でも、迷うのも旅の大きな楽しみだと思っていますので、お互いたくさん迷いましょう。
先日、4nobuさまのブリュッセル編を訪問して、私のブリュッセル編の参考にさせていただきました。有難うございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
2010年10月02日23時28分 返信する -
素晴らしい旅行記有り難うございます
計画性と実効性のある旅行を楽しまれた後、素晴らしい旅行記を残されていることに感激しました。
うらやましい限りです。
是非、これからも貴重な体験をフォートラで発表下さい。
RE: 素晴らしい旅行記有り難うございます
ドイツッチさま はじめまして♪
この度はご訪問有難うございます。
お名前から想像すると、ドイツッチさんもドイツ大好き人間でいらっしゃいますか?
私もドイツが大好きで、大体ドイツを中心に近辺の国を旅しています。
私の場合、フォートラは老化防止の訓練だと思っていますので、必要以上にコメントをつけすぎる感はあります。
それと、年寄り(自分ではそう思っていないのですが…)特有の回りくどさや、写真を捨てられないという悪い面があり、いつも長ったらしい旅行記になってしまうのが困ったところです。
そういう欠点だらけの旅行記ですが、どうかこれからもよろしくお願いします。
ドイツッチさんのお部屋にもお邪魔させていただきますね。2010年09月20日14時23分 返信する -
Wuppertal
実はこの町の名前は全く知りませんでした。大体が理工系に弱いので工業地帯には興味が向きませんでした。ところが10月8日に私の住んでいる市で
「ヴッパータール・シンフォニーオーケストラ」が上岡敏之指揮でワーグナー特集が上演されることになり、早速ティケットを購入しました。
そんなところに貴旅行記を発見、どんな町か覗いてみたわけです。中でも駅前の教会の塔がちょっと変わっているなと、気になったところです。
デュッセルドルフから北の方は行っていませんが、三十年戦争縁の地、ミュンスターとオスナブリュックは一度は立ち寄りたいと思っています。ご夫婦での旅行今後の旅日記が待たれます。RE: Wuppertal
この度は私の旅行記にお立ち寄りいただき大変光栄です。
上岡敏之氏の名前は、ネットでヴッパータールを調べている時に度々目にしました。あちらで大活躍していらっしゃる指揮者のようですね。
ヴッパータールはルール工業地方の例にもれず、先の大戦で大きな被害を受けた街ですので、ドイツらしいアルトシュタットや木組の家はありません。
ミュンスターやオスナブリュックをお訪ねになる際、お立ち寄りになるにはちょうどいい町かもしれませんね。
えー、でも驚きました。ドイツの中でBerg Heil様がまだ行ってらっしゃらない所もあるのですね。
また、旅行記の方に寄らせていただきます。2010年09月10日16時07分 返信する -
ここ!!渡る事が出来たのですねぇ〜☆
frau.himmelさんへ♪
お邪魔しますぅ☆
わぁ〜!!
ここ!!
渡る事が出来たのですねぇ〜。
知らなかったぁ。
(渡れたとしても、私は渡れないです)
また、ゆっくりお邪魔させて頂きます☆
RE: ここ!!渡る事が出来たのですねぇ〜☆
とんちゃん様 こんばんは♪
> ここ!!
> 渡る事が出来たのですねぇ〜。
えっ、他に通り道があったのですか?
知ってたらそっちの方に行くんだった…(泣)
あの恐い通路のために見学が中途半端で消化不良でした。
とんちゃんさんの旅行記をちゃっかり利用させていただいて、
ホントにごめんなさい。
後ほど、お邪魔させていただきます。
2010年09月07日23時14分 返信する -
RE: エッセン
Himmel さん 今日は。
この間のクラス会で、デュセルドルフから来ていたドイツ人(同級生の息子さん)に、いつかエッセンの世界遺産を見学に行こうと思っていると話した所ですので、エッセンの写真は参考になりました。
ただ、ナポレオンと書いていますが、1870年の普仏戦争で、フランス帝国のナポレオン{3世}が(略:セダンで捕虜になった)と書いた方が、ベターでしょう。たんにナポレオンと書くと、読者はナポレオン・ボナパルトと誤解してしまうかもしれません。
この勝利の後、明治新政府(注:岩倉具視ら一行はベルリンでビスマルクと会見)は陸軍士官教育のためドイツ参謀本部メッケル少佐を招いたり、ドイツ陸軍をモデルにした日本陸軍を創設します。
(注:徳川幕府は、当時世界最強であったフランス陸軍の様式を採用[なお、オー・タンチンは古いフランス語でアホという意味。例、指揮官が整列している兵士に”右向け右”とに命令したとき間違えた兵士に対して言う]。戊辰戦争のとき軍事奉行大鳥圭介らがフランス式装備した軍隊で新政府軍との戦闘で健闘、例、下野の動乱ー宇都宮城陥落ー。)2010年09月03日19時35分返信するRE: RE: エッセン
しょうちゃん様 今晩は。
いつも有難うございます。
> この間のクラス会で、デュセルドルフから来ていたドイツ人(同級生の息子さん)に、いつかエッセンの世界遺産を見学に行こうと思っていると話した所ですので、エッセンの写真は参考になりました。
次回の旅行記に世界遺産ツォルフェライン炭鉱跡を取り上げようと思っております。よかったら見てください。
> ただ、ナポレオンと書いていますが、1870年の普仏戦争で、フランス帝国のナポレオン{3世}が(略:セダンで捕虜になった)と書いた方が、ベターでしょう。たんにナポレオンと書くと、読者はナポレオン・ボナパルトと誤解してしまうかもしれません。
そうですね。ご指摘有難うございます。
早速ナポレオン3世と書き直しました。ナポレオンと言ったら普通ポナパルトのことですものね。
たしか、ヴィルヘルム1世がビスマルクを宰相に任命したのでしたね。
> この勝利の後、明治新政府(注:岩倉具視ら一行はベルリンでビスマルクと会見)は陸軍士官教育のためドイツ参謀本部メッケル少佐を招いたり、ドイツ陸軍をモデルにした日本陸軍を創設します。
岩倉具視を団長とするエリート特命使節団は、ベルギーのリエージュにも行っているようですね。リエージュ編に少しだけ書いています。
また、数年前マールブルクに行った時、案内してくれたドイツ人の知り合いが「岩倉具視ら一行はマールブルクの駅だけ立ち寄った」って話を聞かせてくれました。
歴史ってホントに面白いですね。点と点が結びついて線になってくるとワクワクいたします。
実は最近すっかりヨーロッパ(特にドイツ)の歴史に興味を持ち始めた私に、夫が分厚い「ドイツの歴史・現代史」なる本をプレゼントしてくれました。
ドイツの高校生が使う歴史の教科書の日本版らしいです。アマゾンの古本ですが。
毎日少しずつ、楽しみながら読んでいます。
今後とも、いろいろ教えてください。2010年09月03日21時27分 返信するRE: RE: RE: エッセン
拝復 himmel さん
> 実は最近すっかりヨーロッパ(特にドイツ)の歴史に興味を持ち始めた私に、夫が分厚い「ドイツの歴史・現代史」なる本をプレゼントしてくれました。
> ドイツの高校生が使う歴史の教科書の日本語訳です。
その本ばかりでなく、同じ出版社から「ポーランドの歴史」、「スイスの歴史」が出版されています。ポーランドの教科書の最初のページは、1939年9月1日から始まっています。また、スイスの救国の英雄「アンリ・ギザン将軍」に関する記事では、プラスの面だけでなく、マイナスの部分にも触れ、学生自身に自分なりの見解を求めてさせています。
いづれの本にせよ、学生自身に考えさせる、そして討論することを前提とにしています。日本のテキスト(昔、高校の教科書を5〜6冊読んだ経験より)では、学生は興味を持てませんし、思考する能力は養われません。海外の学生と接すると大人だな、と思います。しかしながら、日本の大学生は考える力が弱いと、感じています(教育力の差)。とくに文系の大学は教育力がありません。2010年09月03日21時58分 返信するアンリ・ギザン将軍
しょうちゃん様 今晩は。
ホントにすごいですね。
私がちょっと本の名前を出しただけで、どんな本かすぐお分かりになるんですね。
しかも、あれには同じシリーズでスイスもある、ポーランドもある。スイスにはこういうことがあって、ポーランドはこうだ、ってぱっと頭の中に浮かんでくる…。
しょうちゃん様の頭の中はどういう構造になっているんだろうって…、驚きました。
私も旅行が好きで、歴史も嫌いではなかったのですが、こんなに真剣に調べるようになったのは、ン十年ぶりのこと、最近旅行記を書き始めるようになってからです。
ボケ防止のための旅行記投稿ですから、そういう意味では大正解だったわけです。
1939年9月1日のナチスのポーランド侵攻、これは何となくわかりましたが、アンリ・ギザン将軍のことは名前は聞いたことがあるけど…、と言うことで調べました。
確かにプラス・マイナスの意見があるでしょうね。
スイスの隣国、イタリア、オーストリアはドイツ側だし、フランスもドイツに占領されている、スイス国にはドイツ出身者も多い、その中での武装中立。賛否両論が出るのは当然だったでしょうね。
ますます面白くなってきました。2010年09月04日22時47分 返信する



