frau.himmelさんへのコメント一覧(135ページ)全1,434件
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ラインの旅情
frau.himmelさん こんばんは(^^)
今夜はバッハラッハのお話を聞きに来ました・
frau.himmelさんは、電車でバッハラッハにお越しになったんですね。
私たちは、ほぼ一年前にあのライン河からバッハラッハの街と城を見ましたけど、なんと言っても通り過ぎる船から見たのみです。
船から見るだけでなく、やっぱり実際にその街を見てみたいものですね。
おしゃしんをはいけんしていますと、本当にドイツ!!ってかんじのする美しい街です。
ホントにため息が出ます(^O^)
frau.himmelさんのお話の中で、二つの教会の名が詳しく分かりました(^^)
実は、お城とヴェルネールカペレと聖ペーター教会は建物だけは特定できたのですが、建物名の正確さについては自信がなかったのです(私は「ヴェルナー礼拝堂」と「聖ピート教会」とまで分かったつもりでした)。
さっそく、ヴェルネールカペレと聖ペーター教会の名を拝借して、私の方の旅行記を修正したいと思います。
それにしても、ヨーロッパ特にドイツはどこへ行っても綺麗ですね〜。
現在中国の長江クルーズの旅行記を書いているんですが、ヨーロッパとの余りの違いに戸惑っています。もちろん、中国独自の文化を尊重しなければいけないのですが、その余りの懸隔に一言言いたくなってしまうんですね(-_-;)
余計なことまでお話ししてしまいましたが、美しく楽しい旅のお話で心弾みました(^-^)
それでは、また・・
カメちゃんRE: ラインの旅情
カメちゃんさま こんばんは。
バッハラッハを見てくださってありがとうございます。
カメちゃんさまのライン河クルーズ編、実はずーっと楽しみながら読ませていただいていました。
奥様との漫才みたいな掛け合いあり、ツアー仲間との和気藹々とした交流あり、それに豪華なツアー内容で、いいないいなと思って見せていただいていました。
それに何より旅行記のあの充実した内容、あれだけお書きになるのには相当時間を要したんだろうなーと感服しておりました。
今回コメントをいただいて、ヤッパリ!!と…。
> frau.himmelさんのお話の中で、二つの教会の名が詳しく分かりました(^^)
> 実は、お城とヴェルネールカペレと聖ペーター教会は建物だけは特定できたのですが、建物名の正確さについては自信がなかったのです(私は「ヴェルナー礼拝堂」と「聖ピート教会」とまで分かったつもりでした)。
> さっそく、ヴェルネールカペレと聖ペーター教会の名を拝借して、私の方の旅行記を修正したいと思います。
ライン河の船上からバッハラッハをご覧になっただけで、ヴェルネールカペレと聖ペーター教会の建物を特定なさっていたのですね。
私など、観光案内所からもらった地図を見ても特定できなくて、ネットで検索してやっとカペレの方は判ったありさまです。
カメちゃんさまの旅行記を見ると、かなり下調べをして旅行をされて、帰った後も綿密に調査して投稿なさっているのがよく判ります。
単に写真の羅列だけの旅行記ではない、人の何倍も時間をかけた旅行記を作っていらっしゃるんですね。
それもヨーロッパだけでなく、中国のほうも…。
私は中国は全くの門外漢です(笑)。
これから修正なさったというバッハラッハ編(たぶん前に見せていただいていると思いますが)お邪魔させていただきます。
ありがとうございました。
himmel2011年09月13日20時44分 返信する -
ボンが首都
frau.himmel様
ボンが西ドイツの首都だった理由を、初めて知りました。
アデナウアーさんは、ケルン市長時代、ヒトラーとの握手を拒絶して、強制収容所送りになった、反ナチです。
ナチス時代にアメリカに亡命して、戦後ドイツに戻ってきた、「民主主義者」たちは、旧ドイツ軍人からは、よく言われていません。
また、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関係した人も、旧ドイツ軍人から、よく言われていません。
アデナウアーさんは、自らの危険にさらしても、反ナチを貫きました。また、戦後シベリアに抑留されているドイツ人捕虜を返せと、フルシチョフに強硬に詰め寄りました。それゆえ、アデナウアーさんは、立派な人とされています。
日本の元シベリア抑留者たちは、アデナウアーさんと比べて、日本の政治家の不甲斐なさを、憤慨したものです。
ボンは興味深い町です。
綺麗なお写真、有り難うございました。
小さい頃は、ドイツが統一するなんて思いませんでした。
ホーネッカーさんの末路は、哀れ以外の何者でも、ありませんでしたが。RE: ボンが首都
浦潮斯徳 さま こんばんは。
またまた興味深いお話ありがとうございます。
アデナウアーさんとホーネッカーさんの末路はどうだったのか?
浦潮斯徳さまから提起されるまであまり深く考えていませんでした。
アデナウアーさんは、ボンを調べている時になんとなく判りました。
晩年は政治家としては必要とされなくて(かなりのワンマン政治家だったようですね)、ボンの近くにあるアデナウアー・ハウスで終生素人発明に夢中になっていたのだとか。
ホーネッカーさんは、てっきり東西ドイツ統一の際に、責任を問われて何年かの獄中生活を強いられた後に亡くなったものとばかり思っていました。
調べてみたら、波乱万丈の末路を送っているんですね。
ロシア(その頃はソ連ですね)に亡命しようとしたり、ペレストロイカでドイツに送り返された後は、自らに癌細胞を移植して、裁判逃れをしたり、結局その癌細胞が元で肝臓がんで亡くなってしまうんですね。しかも癌細胞を移植したあと、チリに亡命して1年後に亡くなったのですね。
ホーネッカーさんの亡命先として北朝鮮やシリアが受け入れを申し出た、なんて面白いおまけも付いたりして…、ホントに歴史って面白い。
東西ドイツ分断当時、東ドイツ国民は無機質な集合住宅に住み、何年も待たなければ粗雑なトラバントだって手に入らなかった時代、ホーネッカーさんはベルリン郊外のプールつきの豪邸に住み、西側の高級車を何台も乗り回していたとか…。東ドイツ国民としたら、何とかしてホーネッカーを裁判の舞台に引っ張り出さなければ気がすまなかったでしょうね。
> アデナウアーさんは、ケルン市長時代、ヒトラーとの握手を拒絶して、強制収容所送りになった、反ナチです。
よくぞ、処刑されなかったものだと思います。しかもワルキューレ事件の時には事件関与者として投獄されているんですよね。
> アデナウアーさんは、自らの危険にさらしても、反ナチを貫きました。また、戦後シベリアに抑留されているドイツ人捕虜を返せと、フルシチョフに強硬に詰め寄りました。それゆえ、アデナウアーさんは、立派な人とされています。
その頃の日本は吉田首相の頃ですね。吉田首相もワンマン首相でしたけど、アデナウアーさんはその上に実行力が伴っていたわけですね。
> 綺麗なお写真、有り難うございました。
それを言われると恥ずかしいです。この旅はカメラの調子が悪くて、投稿するたびに泣きたくなります。
私の方こそ、大変興味のあるお話ありがとうございました。
himmel2011年09月13日20時16分 返信する -
Bruehlは見に行ってみたいところでした
frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
ブリュールとボンの旅行記を拝見致しました。
列車はライン左岸線で移動されたんですね。
お乗りになった列車はそのまま乗ったままでも
ブリュールまで行ったと思います。DBのHPで検索してもそう書いてました。
ただ、Koblenz中央駅で20分ほど停まる上に、
お乗りになったREに乗り換えれば、急行なのでもっと早く着くから
皆さん乗り換えたのでしょう。
お乗りになった列車でKoblenz中央駅の次の次に止まった駅が
Andernachと言う駅で、私のお世話になった方の住む街へ
乗り換える駅なんですよ。
また、ケルン方面へ出掛けるときには、Remagenを通りました。
「レマゲン鉄橋」って有名な映画なんですね。
気になってRemagenを調べていたら、出て来ました。
この駅から内陸へ行く支線が出ていて、ワインと温泉で有名な
Bad Neuenahr-Ahrweilerと言うところへ行く事が出来ます。
私はお世話になった方に車で連れて行ってもらった事があります。
Bruehlも是非行ってみたいところだったので、行かれて羨ましいです。
中の豪華さはとんでもないんですね。ますます行きたくなりました。
あと、ボンのBRD歴史館へ行かれたんですね。
展示の内容を聞いて、ここも是非行ってみたいと思いました。
でも、写真撮影禁止なのはとても残念です。
ボンの街自体もほとんど観光した事がないので、行ってみたいです。
大変楽しませていただき、いいところも教えて頂き有り難う御座いました。
RE: Bruehlは見に行ってみたいところでした
近鉄バッファローズさん おはようございます。
メッセージありがとうございました。
ドイツの大きな地図を見ながらコメントを読ませていただきました。
> お乗りになった列車はそのまま乗ったままでも
> ブリュールまで行ったと思います。DBのHPで検索してもそう書いてました。
そうですよね。私も日本から印字して行ったDBの時刻表ではそうなっていたので安心していたのです。
> ただ、Koblenz中央駅で20分ほど停まる上に、
> お乗りになったREに乗り換えれば、急行なのでもっと早く着くから
> 皆さん乗り換えたのでしょう。
だったのでしょうか? ともかく全員降りてしまったので、心配になりました。そういうドキドキも含めて旅だと思っています。
> お乗りになった列車でKoblenz中央駅の次の次に止まった駅が
> Andernachと言う駅で、私のお世話になった方の住む街へ
> 乗り換える駅なんですよ。
アンデルナッハって地名聞いたことがあります。あそこにあったのですか?
> また、ケルン方面へ出掛けるときには、Remagenを通りました。
> 「レマゲン鉄橋」って有名な映画なんですね。
> 気になってRemagenを調べていたら、出て来ました。
私も以前からレマゲン駅が気になっていたのです。でもICかICEでしか通らないので、停車しない駅だったのです。今回普通列車に乗ったのでやっと撮ることが出来ました。
本当はレマゲン鉄橋を撮りたいのですが、走っている電車からでは難しいです。
> この駅から内陸へ行く支線が出ていて、ワインと温泉で有名な
> Bad Neuenahr-Ahrweilerと言うところへ行く事が出来ます。
> 私はお世話になった方に車で連れて行ってもらった事があります。
ワインには目がないので、ワインの産地と聞くといってみたくなります。
> あと、ボンのBRD歴史館へ行かれたんですね。
> 展示の内容を聞いて、ここも是非行ってみたいと思いました。
> でも、写真撮影禁止なのはとても残念です。
BRD歴史館、面白いですよー! 時間がたつのを忘れます。
近鉄バッファローズさまは歴史がお好きだからきっと気にいられると思います。ぜひ、ボンの街とともにいらっしてみてください。
見ていただいてありがとうございます。2011年09月12日08時48分 返信する -
ふ、ふ、日本を牽引きした色ですよね。
frau.himmelさんへ
ふ、ふ、いいですよね。
私は、幼稚園を九州の炭鉱町で過ごしたせいか、
(当時は、蒸気機関車)
無性に、郷愁を感じます。
なにもかもが、希望が持てた時代ですよね、
まっしぐらって感じですよね。
特に、東京オリンピックのあの新幹線が
出てからは、日の出の勢いですよね。
私は、バブル神話の恩恵をうけた世代なので、
特に、そう感じます。
ふ、ふ、年寄りの世相のはなしでごめんなさい。
失礼しま〜す。
はじめまして。
一歩人さま こんばんは。
昨日は私の旅行記をお訪ねくださり、投票までいただきありがとうございました。
列車の旅、私はあまりしないのですが、なかなかいいものですね。
特に今回は、レトロというより、今流行の「泥臭い」昔昔の駅舎まで見ることができて、本当に一歩人さまが仰るように郷愁を感じました。
一歩人さまの旅行記リストを見せていただきました。
東京散歩…、いろんなところを歩いていらっしゃいますね。
私も長いこと、東京及びその近辺に住んでいますので、私が行ったことがあるところもゾクゾク。もしかしたら、どこかですれ違っているかも知れませんね。
旅行記、時々楽しみに訪問させていただきます。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。
himmel2011年09月07日20時44分 返信する -
憧れのバッハラッハ!
himmelさん、こんばんは。ハッピーねこです。
バッハラッハにも行かれたのですね〜!すごくうらやましいです。
GWの渡独の時、初日に行く予定だったのですが、
飛行機の到着が遅れたために泣く泣くあきらめた街です。
himmelさんが書いていらっしゃるように、ガイドブック(私も
地球の歩き方派です。)にはバッハラッハの地図は載せられていないので
あれこれ情報を寄せ集めて、グーグルのマップをベースになんとか自前の
地図を作っていたのですが、今回のhimmelさんの旅行記で詳しく道順の
ご説明があるので、すごい味方ができました!
ありがとうございました。
絶対にいつか訪ねたいと思っておりますので、その時のバイブルに
させていただきます。
フランクフルトを拠点にいろいろな街に足を延ばすというのも
いい方法ですね。トランクの移動も少なくて済みますもんね。
いつも帰国前に短時間の立ち寄りで、宿泊したことがないので
いつか私も真似させていただきます。RE: 憧れのバッハラッハ!
ハッピーねこさん こんばんは♪
コメントありがとうございます。
お返事遅くなってごめんなさい。
一度午前中に返信したのですが、送られていなくて…。どうしたのでしょう。
バッハラッハ、可愛い街でした。
ハッピーねこさんもいらっしゃる予定だったのに、飛行機の都合でダメになったとのこと…。
それは悔しいですね。
でも、何かハッピーねこさんと、私の行きたい街って共通していません?
旅行記を拝見させていただくと、あ−ここ私も行きたかったのよねーとか、ここ行った行ったとか!、思うこともしばしば(笑)。
私グーグルマップの地図ってあまりよく見れないので、あんまり好きではないんです。
時刻表はしっかり調べていきますけど、地図は何とかなるわ(笑)なんて…ね。でもそのずぼらな性格のせいで失敗ばかり。
その失敗に懲りて、旅行記には駅からの道順をだいたい載せるようにしています。
> フランクフルトを拠点にいろいろな街に足を延ばすというのも
> いい方法ですね。トランクの移動も少なくて済みますもんね。
そうなんです!
私バックパッカーって好きではないんです。それに齢も齢なので、オバアチャンが大きな荷物を持ってふらふらするのもみっともないと思ってトランク移動を最小限にしています。
それと、フランクフルトが好きなのは、スーパーで買い込んだお土産を日本に送るのに都合がいいため。
駅前の郵便局はすっかり私のなじみのお店になりました。
himmel2011年09月02日19時44分 返信するこんばんは
himmelさん
午前中にもご返信いただいたとの由。システムのトラブルだったのでしょうか。
再度お送りいただきありがとうございました。
そうなんです、himmelさんの訪ねてらっしゃる街は、私と同じだったり
私の行きたいところであったり。うれしい共通です。
でもhimmelさんが断然ドイツにはお詳しいですし、私より多くの街に
行かれていますし、たくさん勉強させていただいております。
なんせ、お住まいだった時期もおありなんですよね?
うらやましい限りです。
グーグルの地図はそうですよね、特に小さい街はあまり詳細はわかりませんよね。
DBの線路と駅と、主だった道路くらいなので、ほぼ白地図のような状態の
ものにいろいろ書き込んでおりました。
私にはそれはそれで楽しい作業でしたが、正確な情報は非常にありがたいものですから
道順を載せていただいた今回のような旅行記はとても貴重です!
ありがとうございます。
私はまだ海外から荷物を送ったことがないのですが、フランクフルトから
スーパーの買い物の品を送るとどのくらいの日数と料金がかかるもの
なのですか?
もちろん大きさや重さにもよるでしょうが、よろしければ教えて下さい。
台風が近づいていますので、お気をつけ下さいませ。
2011年09月03日00時17分 返信するドイツからの荷物の送り方
ハッピーねこさん おはようございます。
再度コメントありがとうございます。
さて、お尋ねの荷物の発送の件ですが…。
10キログラムで50ユーロ(55だったかな?)。5キロだともう少し安いです。
ドイツ・ポストはDHL(日本でも車体にDHLと書かれた黄色い自動車が走っていますね、国際宅急便会社?)と共同経営ですので、ザール便で送ってくれます。
ザール便と言うのは航空便の一種で、飛行機が空いている時に送ってくれるも
ので、少し安くなっています。
到着は1週間から10日間くらいです。
長く旅行をしていると、ついつい資料とか、土産物が増えて荷物が重くなってしまいますね。このままでは、帰国時に超過料金必須だと思う時がありますね。こういう時に利用しています。
郵便局に大・中・小の荷物箱を売っています。
私はいつも(大)を買ってきて、あらかた荷物を詰め込み、予備の荷物と一緒に郵便局に持ち込みます。(スーツケースを空にしてそれに入れて持ち込みます)
そして、郵便局で重さを量りながら、微調整をするのです。ちょうど10キロになるようにね。最近うまくなりましたよ(笑)。
荷物を送ってしまうと、スーツケースが軽くなって、あーこれでまたお土産が買える…、とスーパーやデパートに走ってしまいます(笑)。
参考になりましたでしょうか?
さて、私はドイツ在住の期間はありません。
仕事を離れてから(齢をとってから・笑)1ヶ月とか2週間とかの、短期語学留学の経験がちょっとだけです。
ドイツ語圏は治安がよくて、ひとり旅には最適ですね。
また、早く行きたいです。
himmel2011年09月03日10時33分 返信するありがとうございます。
himmelさん、こんにちは。
早速ご丁寧なご回答をいただきありがとうございました。
5〜10キロの荷物が送れれば、帰りがぐっと楽になりますね。
あ、私も減った分また買い物してしまいそうですが。(笑)
郵便局で最後の重量調整をされるなんて、プロですね!さすが。
いろいろと大変勉強になりました。ありがとうございます。
ドイツへは留学でいらしていたのですね。
では言葉はご心配なしですよね。うらやましいです。
私もいつかちゃんと勉強したいと思いながらなかなか始めきれておらず、
テレビのドイツ語講座など見る程度です。
ドイツの人は親切なので、挨拶だけのドイツ語とか片言の英語で
応じていただけるのでついつい甘えちゃうんですよね。
いけませんね〜。^^;
2011年09月03日14時27分 返信する -
よく似た絵。
himmelさん、お早うございます。
バッハラッハの旅行記拝見しました。私の名を出していただき恐縮です。
ところでミュンツェの「壁にはこんな絵がかかっていました。昔の硬貨つくり・・・」の写真、どこかで見たようなと考えていましたらミュンヘンのアルテピナコテークで見た絵とそっくりなのです。
よければ私の「みんなでドイツ旅行?、ミュンヘンからレーゲンスブルク」の写真をご覧ください。レイメルスヴァレの「収税吏とその妻」の絵が人物といい構図といいミュンツェの絵とそっくりです。
衣服とかバックなどで職人と金持ちの役人の違いがありますがそれにしてもよく似ていると思います。どちらの原画が古いか判りませんがひょっとしたらどちらかがどちらかを参考にしたのかも。
もう一つ、trinkenとprobierenの違い、参考になります。今度機会があったらprobierenを使ってみます。Kellnerがびっくりするかも知れませんね。
では、引き続き旅行記楽しみにしています。
ベーム
2011年09月01日10時40分返信するRE: よく似た絵。
ベームさん コメントありがとうございます。
早速、ベームさんのミュンヘン、レーゲンスブルク編見せていただきました。
本当にそっくりな構図ですね。
私もあの壁に架かっていた絵を見たとき、どこかで見たことがある…、と思っていました。
アルテピナコテークでも見たかも知れませんが、その他にももっと目にしていて、記憶に残っていた絵でした。
もう少し調べてみました。
バッハラッハのミュンツェ絵は、アルテの絵より、カンタン・マサイアスの「収税吏とその妻」の方が近いようです。
そっくりですが、本物の絵は「量り?・秤」が描かれていないんですね。
ミュンツェでは、きっとその絵を真似して、造幣局らしく「量り」を描き入れたものだと思われます。
そんなことを考えながら、旅行後も楽しめるなんて面白いですね。
ありがとうございます。
himmel2011年09月01日11時53分 返信するRE: RE: よく似た絵。
himmelさん、こんにちは。
またまたバッハラッハのミュンツェの絵です。くどいようで申し訳ありませんがたまたま又その絵に出くわしたものですから。
先日出版されたルーヴルの絵の解説書をぱらぱらとめくっていたら何とマサイアスのその絵が載っていたのです。似たような絵に立て続けに3回も出くわすなんて。もっともhimmelさんの仰るようにバッハラッハの絵はマサイアスの絵を借用したもののようですが。ルーヴルには何回か行きましたがこの絵の記憶はありません。もっともこの絵のことは今回はじめて知ったので、見ていても記憶に残ることは無かったでしょうが。
それにしてもアルテとマサイアスの構図は似ていますね。男のほうはそっくりですし、女のほうも右手と左手の組み方は逆ですが読みかけの本のページをつまんでお金のほうに目を向けている仕草は同じです。
ルーヴルのマサイアスもアルテのレーメルスヴァレも15世紀から16世紀にかけて活躍した同じネーデルランドの画家のようですからどちらかがどちらかを真似といっては語弊があるか参考にしたのではないでしょうか。素人考えですが。
次は何処の旅行記を拝見できるか、お待ちしています。
ベーム
2011年09月05日13時51分 返信するRE: RE: RE: よく似た絵。
ベームさん こんばんは。
> またまたバッハラッハのミュンツェの絵です。くどいようで申し訳ありませんがたまたま又その絵に出くわしたものですから。
いえいえ、くどいのは私も一緒です(笑)。
実は私もマサイアス関連で、マサイアスは他にどんな絵を描いているのだろうとネットで検索していたのです。
「税収吏とその妻」はどんなに考えても、バッハラッハ以前に見たことがあった。私の印象に残っているくらいだから、有名な画家に違いないと…。
ところが「マサイアス 画家」などで検索しても私の望む結果は出てこないのです。
発音の仕方が違うのかも…?。
こんな時って悔しいですね。せめて原語で名前がわかったら何とかなるのに〜、と考えていたところにベームさんのこのコメント。
何と、タイミングのいいこと!
ルーブルの絵の解説書でこの絵をご覧になったそうですが、そこに原語で名前はありませんでしたか?
私の方の質問ですみません。
何だか似たもの同志のようですね(笑)。
> 次は何処の旅行記を拝見できるか、お待ちしています。
ちょっとヨーロッパはお休みして、国内編で鉄子さんのまねごとをやっています。まだ書きかけですが…。
その後は、ボン、エーベルバッハ、バート・ヴィンプフェンと続く予定です。
遅々として進まない旅行記です…(笑)。
himmel
2011年09月06日20時19分 返信するRE: RE: RE: RE: よく似た絵。
himmelさん、
タイトル、RE、RE、RE,REは面白いですね。
あの画家の名はクエンティン・マセイス、Quentin Massys
と言うようです。クエンティン マセイスで検索すると沢山出てきました。
あの絵の呼び名も収税吏とその妻、両替商とその妻、金貸しとその妻 など邦訳は色々あるようです。
またアルテの絵の原型がマセイスの絵のようです。
himmelさんのバッハラッハの1枚の写真から色々勉強できましたね。良かったです。これからも勉強の種を見付けられたらと思います。
ベーム2011年09月07日11時02分 返信するRE: RE: RE: RE: RE: よく似た絵。
> himmelさん、
>
> タイトル、RE、RE、RE,REは面白いですね。
> あの画家の名はクエンティン・マセイス、Quentin Massys
> と言うようです。クエンティン マセイスで検索すると沢山出てきました。
>
> あの絵の呼び名も収税吏とその妻、両替商とその妻、金貸しとその妻 など邦訳は色々あるようです。
>
> またアルテの絵の原型がマセイスの絵のようです。
>
> himmelさんのバッハラッハの1枚の写真から色々勉強できましたね。良かったです。これからも勉強の種を見付けられたらと思います。
>
> ベーム
追伸
アルテ・ピナコテークの画家は
マリヌス・ファン・レイメルスワーレ、Marinus van Reymerswaele
です。マセイスほど有名ではないようです。2011年09月07日11時18分 返信する -
旅行記に投票ありがとうございました
はじめまして、ねずみんです。
私の拙い旅行記に投票いただきありがとうございます。
ドイツ初心者ですが、温かい人たち豊かな自然かわいい街並み・・・
体験したものすべてに感動したドイツでした。
frau.himmelさんの旅行記楽しく読ませていただいています。
ドイツに行く前から、frau.himmelさんの旅行記を読んで
勉強させてもらっておりました。
そんな、あこがれのfrau.himmelさんから
私の旅行記に投票していただけるなんて、夢のよう。
ありがとうございます。
今回ドイツ旅行をして、地元の人と触れ合うには
ちょっとでもドイツ語が話せたら・・・と感じました。
frau.himmelさんはドイツ語も話されること、ご自身の努力の賜物でしょうが
地元の人と交流がまた旅を思い出深いものにしてくれるのでしょうね。
これからも旅行記読ませていただきます。
私の旅行記も少しづつ増やしていくつもりです。
お時間のあるとき読んでくださいね。
ねずみん
2011年08月31日20時49分返信するRE: 旅行記に投票ありがとうございました
ねずみんさん おはようございます。
コメントありがとうございます。
ドイツの新着旅行記を見ていたら、懐かしいミッテンヴァルトが出てきたので、寄らせていただきました。
丁寧に作っていらっしゃって読み応えがあるねずみんさんの旅行記、惹きこまれてしまいました。
私は、写真のコメントを読むのが大好きです。
読み進むうちに、気持ちよくミンテンヴァルトを散策なさっているご様子が伝わってまいりました。
さりげなく現地の方々の表情もレポなさっている…、こんなことが知りたかったのです。
旅に出たら現地の方々とのふれあいも楽しみですものね。
> frau.himmelさんの旅行記楽しく読ませていただいています。
> ドイツに行く前から、frau.himmelさんの旅行記を読んで
> 勉強させてもらっておりました。
> そんな、あこがれのfrau.himmelさんから
> 私の旅行記に投票していただけるなんて、夢のよう。
> ありがとうございます。
わー、そんなにお褒めにあずかって恥ずかしいです。
ボケ防止に出来るだけコメントをつける旅行記を心がけていますが、くどいだけの旅行記になっていないか心配です。
それに、私のドイツ語なんて、ほんの挨拶程度しかできませんが、それが通じたときの嬉しさを求めてドイツ語圏を旅しているのでしょうね。
ねずみんさんの旅行記、これからもお邪魔させていただきます。
himmel
2011年09月01日10時35分 返信する -
未踏の地
frau.himmelさん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
Bayreuthへ行かれたんですね。
私はBayreuthへは行ったことがありません。
Bayreuthはワーグナーの街、と言うのが第一にあって、
芸術にはあまり興味のない私にとっては、魅力的ではありませんでした。
ですが、他にも見るべきところがあるんですね。
近くへ行ったときには見てみたいなぁ、と思いました。
新・旧の宮殿や色々な博物館は魅力的でした。
調べてみると、Bayrethはニュルンベルグ城泊の支配下に入って以降、
Hohenzollern家の支配下にあったんですね。
ナポレオン侵攻以降にバイエルン王国領になったそうですが、
この時にドイツ諸侯の領地はかなり整理されましたからね。
教会は一切の領地を没収され、諸侯の領地の飛び地も
多くが解消されたそうです(ゼロにはなっていませんが)。
この領地替えは、その一環だったのでしょうか。
親ナポレオンのライン同盟に加盟した御褒美なのかも知れませんね。
また次の旅行記も楽しみにしております。
RE: 未踏の地
近鉄バッファローズさま こんにちは。
> Bayreuthはワーグナーの街、と言うのが第一にあって、
> 芸術にはあまり興味のない私にとっては、魅力的ではありませんでした。
私もそう思っていましたが、歴史的にも見るべきところは多々ありました。
> 調べてみると、Bayrethはニュルンベルグ城泊の支配下に入って以降、
> Hohenzollern家の支配下にあったんですね。
> ナポレオン侵攻以降にバイエルン王国領になったそうですが、
> この時にドイツ諸侯の領地はかなり整理されましたからね。
> 教会は一切の領地を没収され、諸侯の領地の飛び地も
> 多くが解消されたそうです(ゼロにはなっていませんが)。
> この領地替えは、その一環だったのでしょうか。
> 親ナポレオンのライン同盟に加盟した御褒美なのかも知れませんね。
バイロイトの発展に大きく貢献したヴィルヘルミナ(バイロイト辺境伯フリードリヒ3世の妃)がプロイセンのフリードリヒ大王の実姉だったこともあり、プロイセンとは大きく関わりあっていましたが、ナポレオン戦争で破れ、ホーエンツォレルン家の領有ではなくなったそうです。
しかし、フランス軍から譲渡を受けたバイエルン王のヴィッテルスバッハ家は、バイロイトが余りにもプロイセン色が強すぎて、バイエルン色を出すのに懸命だったようです。
その意味では、ルートヴィッヒ2世から手厚い支援を受けていたワーグナーはいい宣伝塔の役割を果たしたのではないかと思います。
それに歴史的に言えば、このバイロイトも、ヒトラー第三帝国時代はニュルンベルクと同様「ナチスの聖地」だったのですね。
調べてみると、ワーグナーを大好きだったヒトラーは、晩年のワーグナー夫人、フランツ・リストの娘であるコジマにも会っているそうです。
歴史って本当に面白いですね。
himmel2011年08月28日14時47分 返信する -
パンのお金を請求されるんですね
frau.himmel様
アラル海から戻って参りました。まだ旅行記は一部しか、掲載していません。
アラリスクのような田舎町でも、「フクシマ」を知っていたのには、驚きました。
ニュルンベルクの教会で、このようなことが行なわれていたとは、感動です。
あと、パンのお金の請求は、笑ってしまいました。
カザフスタンやロシアの田舎のカフェーでは、料理を注文すると、バスケットに入ったパンを運んできます。
食べても食べなくても、料金は同じです。
お客が食べた分だけ、継ぎ足して次のお客に出します。
ロシア人、カザフ人とも、細かいことには、こだわらないです。
ドイツには、露系ドイツ人が沢山いると、本で読んだことがあります。
ドイツ系女帝エカテリーナ2世が、ドイツの農民を、ヴォルガ河流域に入植させたのを皮切りに、大勢のドイツ人がロシアにやってきました。
スターリンは、このヴォルガ・ドイツ人が、ナチスに協力するのを恐れて、根こそぎ中央アジアやシベリアに、強制移住させました。
1989年のは、ドイツ系ソ連人は、100万人もいたようです。カザフスタンには、ドイツ系の人が沢山いました。
ペレストロイカの時代に、ソ連がきしみ、また出国が容易になったので、ドイツ系のかなりの数の方たちが、ドイツ連邦に行ってしまったようです。
このときに、ドイツ系の方と結婚されている、他民族の方も、その間に出来た子どもも、ドイツ連邦政府は、入国を認めたようです。
この中に、サハリンで機関士をしていた日本人と、カザフに住んでいたドイツ系の女性との間に生まれたお子さんも、ドイツに行ったようです。この話は、カザフスタンでは、知られています。「少し前には、カラガンダには、日本人がいたよ。子どもは、ドイツに行ってしまったよ」と。
カザフスタンから来たドイツ人は、ドイツ語が出来ないので、社会で浮き上がっていて、そのストレスから、ドラッグに走ったりすると、聞いたことがあります。親たちは子どもたちに、少しでもいい生活をさせようと、ドイツ行きを決心したようです。ところが、子どもたちは、2級市民と扱われるくらいなら、カザフに残ったほうが良かったと。
現在カザフスタンには、25万人のドイツ系の人がいます。カザフスタンでは、ドイツ系は朝鮮系の人と同じく、経済的に裕福な人が多いようです。RE: パンのお金を請求されるんですね
浦潮斯徳さま こんにちは。
ご無沙汰しています。
時々旅行記へはお邪魔しておりました。新着の面白い旅行記まだかなーと…。
> アラリスクのような田舎町でも、「フクシマ」を知っていたのには、驚きました。
ホントにそうですね。悲しいですが、いまや「フクシマ」は世界の流行語ですね。
ドイツのテレビではお笑い番組で「フクシマ」を揶揄していました。悔しかったーですね。
> あと、パンのお金の請求は、笑ってしまいました。
普通、テーブルに乗っているパンは「ご自由にどうぞ!」ですよね。
ところが会計の際に、「パンは食べたか?」って聞くんですよ。ビックリしました。
大体、プレッツェルの場合が多いですが。
ところで今回も興味深いお話ありがとうございます。
> ドイツには、露系ドイツ人が沢山いると、本で読んだことがあります。
確かにドイツ国内には移民が多いですね。特に東西ドイツが統一してから、東欧系の移民も多くなってますます増えたようです。
いまやドイツ人の雇用を脅かしているとか…。
私が短期留学をしていたドイツ語学校にも何人かのロシア人がいました。
でも、この方達はちょっと違いますか、きっとロシアに帰ったらエリートになる方だと思います。
> ドイツ系女帝エカテリーナ2世が、ドイツの農民を、ヴォルガ河流域に入植させたのを皮切りに、大勢のドイツ人がロシアにやってきました。
> スターリンは、このヴォルガ・ドイツ人が、ナチスに協力するのを恐れて、根こそぎ中央アジアやシベリアに、強制移住させました。
このお話に興味を魅かれてたった今、ヴォルガ・ドイツ人のことを調べてまいりました。
ここでもやはり、歴史の流れを変えたのは、ナチスドイツなのですね。
ところで、前に浦潮斯徳さまが旅行記で発表していらっやったドイツ人の町、「ケーニヒス・ベルク」はヴォルガ・ドイツとは関係ないんですか?
興味深いお話、ありがとうございました。
himmel2011年08月28日14時22分 返信するケーニヒスベルクは、関係ないです
frau.himmel様
ケーニヒスベルクを中心とした東プロイセンは、ドイツ騎士団が、未開地のスラブ人居住地を征服した地です。
ドイツ出身のエカテリーナ2世の招きに応じて、主に貧しいドイツ南部の農民が、ヴォルガ河流域に入植したのです。
スターリンは、1937年に極東ロシアにいた朝鮮人(カレイスキー)を、中央アジアの地に流しました。
かつてのオリンピックの金メダリストのネリー・キムさんは、お父様がカレイスキー、お母様がタタール人です。なおタタール人女性は、肌と髪の色はアジアで、顔のつくりはヨーロッパで、ロシア人からみるとエキゾチックな美人と映るようです。
スターリンは、朝鮮人、ヴォルガ・ドイツ人、チェチェン人を初めとしたカフカスの諸民族を、中央アジアに追放したのです。カザフスタンの南都アルマティの近くには、スターリンによって追放された、ギリシャ人の村落もあります。
中央アジアへの移送の際に、大勢の人が貨車の中で死亡しました。チェチェン人は、移送での死亡率が高かったようです。
ヴォルガ・ドイツ人は、農民としても職人としても優秀だったので、もう少しマシな移送をされたので、死亡率は他の民族よりは、低かったようです。
こうしてカザフスタンには、追放されてきた沢山の民族が住んでいました。
追放されてきた人々は、ソ連当局に気に入ってもらおうとしていました。
このなかでチェチェン人だけは、反抗心を隠そうともせず、胸を張って生きていたと、当時カザフにいたソルジェニーツィンは、述べています。
カザフスタンの地では、医師や大学教授という肩書きだった人が、ドイツでは職もなく、生活保護の手当てを受け、2級市民扱いのようです。
子どもたちは、ドイツ社会になじめず、非行に走るということを、聞いたことがありますが。
ドイツの民族主義の若者とやりあうこともあるとか。
ロシア連邦ユダヤ自治州ビロビジャンには、ペレストロイカの時期以降、生活苦から、ユダヤ人がイスラエルに多数渡りました。
しかし、このユダヤ人たちも、イスラエルでは二級市民扱いでした。彼らは、パレスチナ人の土地を取上げて、戦争をするという考えには反対でした。また豚肉を食べることに対して、厳格なユダヤ教徒との対立もありました。
こういったことや、プーチンさんになってロシアが安定したことで、ビロビジャンに出戻るユダヤ人も出てきました。
日本にも、日系のブラジル人が沢山居住している地域もありますが、必ずしも日本人と仲良くしてはいないようですが。2011年08月28日16時20分 返信する -
バイロイト音楽祭
frau.himmelさま、こんにちは。
バイロイトにお出でになられた由。
小生、バイロイト音楽祭を初めて鑑賞したのは今から昔々の昭和41年夏の事で、当時は在欧中の日本人以外に観光客の邦人を見かける事も稀な時代でした。
楽劇ジークフリートでしたが、ただ幕が開いても、ただやみ雲に暗いだけ舞台が見えず音楽もワンパターンとして聞け、途中で眠ってしまい気づいたら第1幕が終わってしまってました。
今から考えると残念です。
横浜臨海公園RE: バイロイト音楽祭
横浜臨海公園さま 書き込みありがとうございます。
> 小生、バイロイト音楽祭を初めて鑑賞したのは今から昔々の昭和41年夏の事で、当時は在欧中の日本人以外に観光客の邦人を見かける事も稀な時代でした。
うわーすごい! バイロイト音楽祭をご覧になったのですか? 昭和41年と言うと臨海公園様がかなりご幼少のころ?
でしょう、でしょう! その頃は日本人がバイロイト音楽祭を見に行くなんて、夢のまた夢だったでしょうから…。
> 楽劇ジークフリートでしたが、ただ幕が開いても、ただやみ雲に暗いだけ舞台が見えず音楽もワンパターンとして聞け、途中で眠ってしまい気づいたら第1幕が終わってしまってました。
もったいない! そしてなんと贅沢な!
かの世界の祝祭劇場で、一流オーケストラを子守唄にしておやすみになったとは…。
私にはたぶん一生縁のない音楽祭ですけど、バイロイトの街はしっかり楽しんでまいりました。
横浜臨海公園さま 別のお話のほうもお待ちしています。
himmel2011年08月27日14時11分 返信する拝復
frau.himmelさま、こんばんは。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
ただ、今から考えると確かに豪華な子守唄でしたが、楽劇ローエングリーンだったら、第1幕前奏曲冒頭のトレモロと弱音器をたっぷり使った弦楽奏で、しっかり眠っていたでしょう!!
横浜臨海公園2011年08月28日02時43分 返信するRE: 拝復
横浜臨海公園さま こんにちは。
うふふ、そうですね。
ローエングリーンの前奏曲、あれはちょっと辛いかも。
深ーい霧の山の中(南ドイツあたりの)を彷徨っている夢を見たりして…。
でも、「結婚行進曲」のところでは目が覚めますから、大丈夫ですよ。
横浜臨海公園さまも冗談をおっしゃるんですね。安心しました。
himmel2011年08月28日13時33分 返信する



