2011/05/07 - 2011/05/07
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frau.himmelさん
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バッハラッハで待望のワインを飲むことができた私は、ほろ酔い気分で次の地を目指します。世界遺産に登録されているブリュールです。
ケルンやボンからの至近距離にあり、いつでも行けると思っていたのに、とうとう今まで訪れていなかった地でした。
そして…、電車の中で何気に「地球の歩き方」を見ていると、「ドイツ連邦共和国博物館」の最寄駅Bad Godesbergが、バッハラッハからブリュールに抜ける途中駅にあるではありませんか。
今回の旅のテーマは『歴史を巡る旅(一応?)』。ここは当然押さえておかねばなりません。
急遽、歴史博物館をも組み入れることにしました。
一人旅の気ままさです。
◆◇
ところでボンはドイツの東西分断時代は、西ドイツの首都でした。
ミュンヘンやフランクフルト、またはハンブルクなどの大都市ではなく、どうしてこんな小さな街が?と私は疑問に思っていました。
これには理由があるのですね。
いつの日か東西ドイツが再統一された暁には、再度首都をベルリンにと議会で決まっていたのだそうです。
もし、ミュンヘンやフランクフルトが暫定首都になれば、それが定着してしまうかも知れない…、との懸念からボンが選ばれたのですって。いやあ、知りませんでした。
もうひとつ、時の長老アデナウアーの鶴の一声、「ボンでよかろう…」で決まったんだとも。だってここは彼の選挙区でしたから…。
-
バッハラッハ発12:27、この電車で、ブリュールには14:43に着きます。
2時間以上、電車はライン川沿いの風光明媚な景観の中を抜けて走ります。
退屈なんか無縁です。 -
途中でこういうお城が見えたり…。
バッハラッハを出発して電車は途中駅、オーバーヴェーゼル、ザンクト・ゴアール、ボッパルトなどに停車して、コブレンツ駅に着きました。
私が日本から印刷してきたDBの時刻表では乗り換えなしでブリュールまでいけるはずでした。ところがここで全員降りてしまったのです。
??
想定外のことに頭の中は真っ白…。
やっと駅員さんをつかまえて、DBの時刻表を示して聞くと、当然のように前に停まっている電車に乗り換えなさいと…。
言葉の壁、老いの壁に阻まれて、とっさの判断ができないのは、辛いものがあります。 -
コブレンツで乗り換えて…。
レマゲンという駅を見つけました。
なつかしいー!
若い頃、「レマゲン鉄橋」という戦争映画があったことを思い出しました。
「史上最大の作戦」や「ノルマンディの戦い」などの戦争映画を、胸をワクワクさせて見ていた私、その頃からへんなオンナだったのですね。でも、それがあったから、今こうやってドイツの歴史に興味を持って旅行している私がいるのかもしれません…。
ピンボケ写真ですが必死に撮った写真なので、お許しを…。 -
ブリュールの駅に着きました。
世界遺産の駅とは思えないような小さな駅です。 -
アウグストゥス宮殿が見えてきました。
駅から程近い場所にあります。
1723年ケルン大司教の座に就いたクレメンス・アウグストが、大好きな鷹狩りのために造らせた宮殿です。この奥にある鷹狩りのための別荘、ファルケン・ルストと共に、1984年世界遺産に登録されました。
ファルケンってドイツ語で鷹って意味なんですね。 -
クレメンス・アウグストが大司教に就いた直後から40年かけて贅を尽くして建てられたこの宮殿は、ドイツで初めてのロココ様式の建物だそうです。
入口です。中に入りましょう。 -
中はガイドツアーによってのみ見学ができます。
入場料大人5ユーロ。
狩の別荘 ファルケンルストは別料金です。
ここから30分ほど歩くとのことなので、私はパスしました。 -
ツアーガイドが始まるまで、売店で待機します。
下調べなど何もしてこなかった私は、日本語の資料はないかと探しました。残念ながら…。
ただ、ドイツ語か英語のガイドツアーでしたが、日本語のガイディングレシーバーを貸してくれて助かりました。 -
さあ、ここからみんなで一緒に見学します。撮影は禁止です。
日本人は私一人。
他のレシーバーを持っている方たちはスペイン語圏の方のようです。
面白いのは、レシーバーとガイドさんの説明速度が違うので、レシーバーを持っている人は全然違う方向を見ているんですね(笑)。 -
内部は贅を尽くした宮殿だけあって目も覚めるような豪華さ。
その中でも特に宮殿ホールの階段室はすごかったー。
天才とうたわれたノイマンの設計です。
パンフレットより写真を拝借しました。 -
上の写真の階段を登ったところ。
目がくらくらするくらい豪華ですね。
ここは1994年まで、ドイツ大統領が国賓をもてなすレセプションホールとして使われていました。
イギリスのエリザベス女王や、日本の昭和天皇もここを訪問されたことがあるようです。 -
どの部屋も豪華でした。
この広間からは、シュロス庭園がすばらしく綺麗に見えました。
バロック様式の幾何学模様の庭園ですから、近くで見るより、このように遠くから見た方がより綺麗に見えるのでしょうね。 -
ガイドツアーが終わって外にでました。
庭園のずーっと先にあるのは狩の館であるファルケン城なのかしら?、と思ったのですが、どうも違うみたいです。 -
敷地内には教会もあります。
-
世界遺産にはこのシュロス庭園も含まれます。
さっきガイドツアーで見た大広間からのお庭は素晴らしかったけど、残念ながら撮影禁止でした。
さっきはどの部屋から見たのかしら? -
私のカメラでは庭園の全体像は写せませんが、この向こうにももう一面同じようなお庭があります。
さっきの左右対称の幾何学的なお庭は、部屋からだからあんなにきれいだったのですね。 -
並木道。
この向こうに鷹狩りの別荘、ファルケン・ルストはあるのでしょうね。 -
駅に戻ってきました。
これから先ほど急遽決めたドイツ連邦共和国歴史博物館に行こうと思います。
『地球の歩き方』をよく見ると、ボン中央駅から地下鉄かバスで、Godesberg行きに乗り、ホイスアレーで降りるとあります。
おー危ない、あぶない!
私は危うくさっきのコブレンンツ行きMRBに乗り、Godesberg駅で降りるところでした。その先がまだあるのね。 -
ボン駅から何人もの人に聞きやっと地下鉄に乗ったのはいいものの、乗り過ごしてしまったようです。
不安にかられ、もうドイツ語では埒があかないと思った私は、近くの日本人らしい人に声をかけました。
「すみません、日本の方ですか?」。
ところがその若い男性はベトナム人の学生さんでした。
その近くにいたドイツ人が、「もう通り過ぎちゃったよ。次の駅で反対側の電車に乗って、黄色いホームの駅で降りなさい。」と…。
そのベトナムの青年が私と同じくらいのレベルのドイツ語で話しかけてきました。
「ドイツ語上手だね、どこかで習ったの?」って。
上手だって言われた私は思わず笑ってしまいました。
彼も最近ドイツに来て、ドイツ語を勉強しているのだと…。
どうか頑張ってくださいね。
黄色いホイスアレー駅に着きました。 -
ここに名前がありますね。Haus der Geschichte(ドイツ連邦共和国歴史博物館)と…。
そのほか、官公庁がいくつかあるらしい。
ともかく、左の方に行けばいいのね。 -
地下鉄から地上に出たらそこは、ヴィリー・ブラント・アレーでした。
さて、ここからどっちに行くんだろう?
周りは官庁街みたいなところでみんなそれらしく見えます。
一人の男性が道路を渡って歩いていきます。
きっとあっちに違いない。私も付いて渡ります。 -
男性はそのまままっすぐ行ってしまいました。
取り残された私は、近くの立派な建物(これもお役所みたいなところ)の中に入っていきました。
そして、受付の守衛さんに『地球の歩き方』の歴史博物館が載っているページを見せて、「ここは何処でしょう?」(笑)と。
「それは、向かいの建物だよ。」 -
またこちら側に渡ってきたら、ガラス張りの近代的な建物がありました。
-
Haus der Geschichte、ここですね。
やっと入口を見つけました。 -
入場料は無料。ただし、ここも撮影禁止。
入口だけそっとカメラに収めて、このスロープを上がって中に入ります。
ボンは1949年から1991年までの42年間暫定首都として、政治の中心地でした。
この博物館の構想は、私達の記憶にまだ新しいコール首相の発案だそうです。 -
見終わって出てきたところです。
館内には、ドイツが4カ国に支配されるようになった直後から、東西ドイツに分割され、統一され、ベルリンに首都が移るまでの、様々なドイツに関する資料が展示場されています。
展示物、写真、記録、メディアなどを通して当時の政治、経済、社会、文化、日常生活の歴史などを紹介しています。
1994年に開館した博物館は、4,000平方メートルの広さに約6,000点の展示品があります。結構広くて見ごたえ満点です。ただし、説明文はドイツ語のみ。 -
ここは売店です。
私的には、ベルリンのDDR博物館に似ているようでもありますが、西ドイツはアメリカの影響を強く受けているので文化面・生活面など、進んでいると思いました。
それから、1972年、ミュンヘンオリンピック開催中に選手村で起きた襲撃事件が、まだ記憶に新しいだけに私の興味をひきました。
そのほか、風刺画がたくさんあり、知っている政治家の顔(ケネディー、ホーネッカー、アデナウアーなど)や知っている事件などがいろいろあり、ドイツ語の説明が読めなくてもとても面白かったです。
写真禁止は大変残念でしたが、私のことだから写真OKだったら、何枚撮ったことやら、そして今頃はその写真の解明に頭がパニくっているにちがいありません。写真禁止でよかったと思うことにします。 -
見終わって外に出ました。
東西ドイツ統一が決まって、ベルリンに首都を移転するにあたり、今まで首都だったボンに対しての適切な補償が、ベルリン・ボン法によって明記されました。
それには、政府機関を全てベルリンに移さないでいくつかをボンに残すこととされ、現在ボン市は国際都市として機能しています。 -
ここにもその頃の名残でしょうか、立派な建築様式の建物が残っています。
-
ホイスアレーの地下鉄駅に来ました。
駅には写真の展示がしてありました。 -
何の写真なのでしょうね。
歴史的なものだとは思いますが、この付近にはミュージアムがいろいろありますので、その中の展示物の一部かもしれません。 -
地下鉄に乗り、今度は迷うことなくボン中央駅に着きました。
ボンは3度目です。
2005年ドイツでワールドカップが開催された年には、この街は日本チームのキャンプ地でした。
街中、サムライブルーの青い旗であふれかえっていたことを思い出します。 -
夕暮れ時を散歩する人々。
一時期ドイツの首都だったといった雰囲気は今はもうありません。
しかし、街行く人々は豊かな人々が多いような気がします。 -
街一番のミュンスター広場。
オープンカフェでくつろいでいる人たちも優雅そうです。 -
ボンと言ったら何と言ってもこの人、楽聖ベートーヴェンです。
ベートーヴェン像の周りは人々の待ち合わせ場所なのでしょうか。 -
ミュンスター広場に聳え立つミュンスター寺院の周りにも人々が大勢。
この教会は、ゴシック・ロマネスク混合様式のボン最古の教会です。
ボンの守護聖人ともなっている殉教者、カシウスとフロレンティウスのお墓の上に11世紀に建てられました。 -
ボンは3度目なのに、まだ中に入ったことがないんです。
-
中に入ってみましょう。
正面のモザイク画(?)が素晴らしいです。
どういう謂れがあるんでしょうね。
天使とマリアが出てくると「受胎告知」しか思い浮かびませんが、そんなわけないですね(笑)。
本当に知識が乏しくて恥ずかしい…。 -
主祭壇側を臨みます。
夕方だからか人が少なくて静かでした。 -
後陣側
-
小祭壇
-
どなたが眠っていらっしゃるお棺なのでしょうか。
-
鮮やかなモザイク画。この二人は誰?
左の人物の横の文字、無理して読めばカシウスと読めないこともない、だったら右はフロレンティウス?
私の勝手な推測です。
でも、調べなければ気がすまない私は、こんな写真の前では時間ばかりが過ぎていくのです(泣)。 -
説教壇
-
外に出ました。
天に聳える教会の尖塔。
今日もお天気がよくてよかった。 -
教会の前では団体さんがガイドさんから説明を受けていました。
彼らが去った後には…。 -
二つの首が転がっていました。気持ち悪い転がり方ですね。
殉教者カシウスとフロレンティウスですって。
ミュンスター教会は彼らのお墓の上に建てられたのだそうです。 -
さすがにお腹もすきましたし、歩きづくめで足も痛くなってきました。
教会の前のレストランで食事をいただきます。
あの席が空いていますね。 -
疲れたー。
こういう時の私の好きな飲み物は…、ラードラーに限ります。
ビールのレモネード割りとでも言いましょうか。
さっぱりして、適度に甘くておいしいんです。 -
食事は、メニューの中からシュパーゲルという文字を見つけて適当に頼んだらこれが出てきました。
アスパラガスのパスタでした。
量が私には丁度いいです。 -
食事を終えてそろそろ駅に行きましょう。
フランクフルトまで2時間かかりますので、そんなにゆっくりしていられません。
私が食事をしたレストラン。 -
駅に向かう途中でであった噴水。
真ん中には鷹か鷲を支配している人物と…。 -
その下は、ガチョウかアヒルを捕まえている子供達。
ヨーロッパの噴水って存在感がありますね。
でも、これってどんな意味が…、と考えると…。 -
ポスト通りはさっきより人通りが多くなっていました。
駅に7時過ぎについた私は、1時間待って8時過ぎのICでフランクフルトに帰りました。
結局到着したのは10時を過ぎていました。
今日は疲れたー。
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この旅行記へのコメント (4)
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- 哈桑湖さん 2011/09/12 22:00:01
- ボンが首都
- frau.himmel様
ボンが西ドイツの首都だった理由を、初めて知りました。
アデナウアーさんは、ケルン市長時代、ヒトラーとの握手を拒絶して、強制収容所送りになった、反ナチです。
ナチス時代にアメリカに亡命して、戦後ドイツに戻ってきた、「民主主義者」たちは、旧ドイツ軍人からは、よく言われていません。
また、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関係した人も、旧ドイツ軍人から、よく言われていません。
アデナウアーさんは、自らの危険にさらしても、反ナチを貫きました。また、戦後シベリアに抑留されているドイツ人捕虜を返せと、フルシチョフに強硬に詰め寄りました。それゆえ、アデナウアーさんは、立派な人とされています。
日本の元シベリア抑留者たちは、アデナウアーさんと比べて、日本の政治家の不甲斐なさを、憤慨したものです。
ボンは興味深い町です。
綺麗なお写真、有り難うございました。
小さい頃は、ドイツが統一するなんて思いませんでした。
ホーネッカーさんの末路は、哀れ以外の何者でも、ありませんでしたが。
- frau.himmelさん からの返信 2011/09/13 20:16:47
- RE: ボンが首都
- 浦潮斯徳 さま こんばんは。
またまた興味深いお話ありがとうございます。
アデナウアーさんとホーネッカーさんの末路はどうだったのか?
浦潮斯徳さまから提起されるまであまり深く考えていませんでした。
アデナウアーさんは、ボンを調べている時になんとなく判りました。
晩年は政治家としては必要とされなくて(かなりのワンマン政治家だったようですね)、ボンの近くにあるアデナウアー・ハウスで終生素人発明に夢中になっていたのだとか。
ホーネッカーさんは、てっきり東西ドイツ統一の際に、責任を問われて何年かの獄中生活を強いられた後に亡くなったものとばかり思っていました。
調べてみたら、波乱万丈の末路を送っているんですね。
ロシア(その頃はソ連ですね)に亡命しようとしたり、ペレストロイカでドイツに送り返された後は、自らに癌細胞を移植して、裁判逃れをしたり、結局その癌細胞が元で肝臓がんで亡くなってしまうんですね。しかも癌細胞を移植したあと、チリに亡命して1年後に亡くなったのですね。
ホーネッカーさんの亡命先として北朝鮮やシリアが受け入れを申し出た、なんて面白いおまけも付いたりして…、ホントに歴史って面白い。
東西ドイツ分断当時、東ドイツ国民は無機質な集合住宅に住み、何年も待たなければ粗雑なトラバントだって手に入らなかった時代、ホーネッカーさんはベルリン郊外のプールつきの豪邸に住み、西側の高級車を何台も乗り回していたとか…。東ドイツ国民としたら、何とかしてホーネッカーを裁判の舞台に引っ張り出さなければ気がすまなかったでしょうね。
> アデナウアーさんは、ケルン市長時代、ヒトラーとの握手を拒絶して、強制収容所送りになった、反ナチです。
よくぞ、処刑されなかったものだと思います。しかもワルキューレ事件の時には事件関与者として投獄されているんですよね。
> アデナウアーさんは、自らの危険にさらしても、反ナチを貫きました。また、戦後シベリアに抑留されているドイツ人捕虜を返せと、フルシチョフに強硬に詰め寄りました。それゆえ、アデナウアーさんは、立派な人とされています。
その頃の日本は吉田首相の頃ですね。吉田首相もワンマン首相でしたけど、アデナウアーさんはその上に実行力が伴っていたわけですね。
> 綺麗なお写真、有り難うございました。
それを言われると恥ずかしいです。この旅はカメラの調子が悪くて、投稿するたびに泣きたくなります。
私の方こそ、大変興味のあるお話ありがとうございました。
himmel
-
- 近鉄バッファローズさん 2011/09/11 21:09:28
- Bruehlは見に行ってみたいところでした
- frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
ブリュールとボンの旅行記を拝見致しました。
列車はライン左岸線で移動されたんですね。
お乗りになった列車はそのまま乗ったままでも
ブリュールまで行ったと思います。DBのHPで検索してもそう書いてました。
ただ、Koblenz中央駅で20分ほど停まる上に、
お乗りになったREに乗り換えれば、急行なのでもっと早く着くから
皆さん乗り換えたのでしょう。
お乗りになった列車でKoblenz中央駅の次の次に止まった駅が
Andernachと言う駅で、私のお世話になった方の住む街へ
乗り換える駅なんですよ。
また、ケルン方面へ出掛けるときには、Remagenを通りました。
「レマゲン鉄橋」って有名な映画なんですね。
気になってRemagenを調べていたら、出て来ました。
この駅から内陸へ行く支線が出ていて、ワインと温泉で有名な
Bad Neuenahr-Ahrweilerと言うところへ行く事が出来ます。
私はお世話になった方に車で連れて行ってもらった事があります。
Bruehlも是非行ってみたいところだったので、行かれて羨ましいです。
中の豪華さはとんでもないんですね。ますます行きたくなりました。
あと、ボンのBRD歴史館へ行かれたんですね。
展示の内容を聞いて、ここも是非行ってみたいと思いました。
でも、写真撮影禁止なのはとても残念です。
ボンの街自体もほとんど観光した事がないので、行ってみたいです。
大変楽しませていただき、いいところも教えて頂き有り難う御座いました。
- frau.himmelさん からの返信 2011/09/12 08:48:49
- RE: Bruehlは見に行ってみたいところでした
- 近鉄バッファローズさん おはようございます。
メッセージありがとうございました。
ドイツの大きな地図を見ながらコメントを読ませていただきました。
> お乗りになった列車はそのまま乗ったままでも
> ブリュールまで行ったと思います。DBのHPで検索してもそう書いてました。
そうですよね。私も日本から印字して行ったDBの時刻表ではそうなっていたので安心していたのです。
> ただ、Koblenz中央駅で20分ほど停まる上に、
> お乗りになったREに乗り換えれば、急行なのでもっと早く着くから
> 皆さん乗り換えたのでしょう。
だったのでしょうか? ともかく全員降りてしまったので、心配になりました。そういうドキドキも含めて旅だと思っています。
> お乗りになった列車でKoblenz中央駅の次の次に止まった駅が
> Andernachと言う駅で、私のお世話になった方の住む街へ
> 乗り換える駅なんですよ。
アンデルナッハって地名聞いたことがあります。あそこにあったのですか?
> また、ケルン方面へ出掛けるときには、Remagenを通りました。
> 「レマゲン鉄橋」って有名な映画なんですね。
> 気になってRemagenを調べていたら、出て来ました。
私も以前からレマゲン駅が気になっていたのです。でもICかICEでしか通らないので、停車しない駅だったのです。今回普通列車に乗ったのでやっと撮ることが出来ました。
本当はレマゲン鉄橋を撮りたいのですが、走っている電車からでは難しいです。
> この駅から内陸へ行く支線が出ていて、ワインと温泉で有名な
> Bad Neuenahr-Ahrweilerと言うところへ行く事が出来ます。
> 私はお世話になった方に車で連れて行ってもらった事があります。
ワインには目がないので、ワインの産地と聞くといってみたくなります。
> あと、ボンのBRD歴史館へ行かれたんですね。
> 展示の内容を聞いて、ここも是非行ってみたいと思いました。
> でも、写真撮影禁止なのはとても残念です。
BRD歴史館、面白いですよー! 時間がたつのを忘れます。
近鉄バッファローズさまは歴史がお好きだからきっと気にいられると思います。ぜひ、ボンの街とともにいらっしてみてください。
見ていただいてありがとうございます。
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