2011/05/06 - 2011/05/06
5位(同エリア51件中)
frau.himmelさん
- frau.himmelさんTOP
- 旅行記598冊
- クチコミ0件
- Q&A回答19件
- 1,089,689アクセス
- フォロワー152人
5月6日
アクシデントさえなければ、今日は午前中のんびりとゲルマン博物館を見学して、昼過ぎの列車でフランクフルトに発つ予定でした。
でも、どうしても心残りで、昨日の予定だったバイロイトとバンベルクのうち、バイロイトだけは行ってまいりました。
バイロイトはリヒャルト・ワーグナーとバイロイト音楽祭で有名な町です。
ところで、このバイロイト音楽祭のチケットは、申し込んでから最低8年は待たなければ手に入らないという世界中の音楽ファンにとっては垂涎の的なのだそうです。私には一生縁がないでしょう。せめて、街並みだけでも楽しんでまいります。
◆◇
表題のように、ヴァーンフリート館(ワーグナーの家、博物館)は2013年までお休みだそうです。バイロイト旅行を予定している方、気をつけてくださいね。
-
二晩お世話になったニュルンベルクのホテル art & business hotel です。1泊朝食込みで94ユーロでした。
中央駅から5分くらいのとても便利なロケーションです。
朝食も大変豪華です。
私の大好きなモッツァレラとトマトのサラダも置いてありました。
私のいつものパターンの朝食をいただきます。 -
窓から気持ちのいい中庭を眺めながらいただいていると、中年の責任者らしい女性が客の一人ひとりに挨拶して回ります。
「如何でしたか? 何か足りないものはありませんか?」とか…。
朝食が終わり部屋に戻ろうとすると、
「どうか楽しい一日をお過ごしください」って。
朝からこんな挨拶をしていただくと気持ちがいいものですね。 -
それだけではありません。
チェックアウト会計時。
窓口の男性に、まず部屋のミネラルウォーターを飲んだことを申告しました。そしたら、あれは良いんです、って。
では、一昨日あなたの同僚女性にミュンヘンのホテルに何度も電話をかけていただいた。あの電話料を払わなければ…、と言うと、これも「カイネ・プロブレム(問題ない)」って。
えっ、あの時は本当に助かったのです、お陰でカメラが使えるようになったのですもの、そういう訳にはいきません。
どうしたらいいかと思案していると、バックの中に「柿の種」があることを思い出しました。
「本当にありがとう、私のささやかなプレゼントです。」って渡しました。
本当に気持ちばかりですが、気はこころです。
朝から清々しい思いでホテルを発ちました。
◇◆
なお、「柿の種」はドイツ旅行の際にはいつも常備しています。
こちらで、ドイツ製の「柿の種」を食べたことがあり、それがとてもまずかったのです(笑)。
それ以来、ちょっとしたプレゼント用に「本場日本の柿の種です」って渡しています。
今回は特に、ドイツでも人気の「ワサビ」入りを持ってきました(笑)。 -
ニュルンベルク駅に着きました。
これからバイロイトに向かいますので、駅地下のコインロッカーに荷物を預けます。
ニュルンベルク発8:42分のIRE、ドレスデン行きに乗りました。
6分後の8:48分発のREもありましたが、IREの方が18分も乗車時間は短いのです。当然早い方に乗りますよね。
ところが…
このIRE(インターレギオ・エキスプレス)、車体がちょっと違うと思ったら、何と「振り子式電車」だったのです。
揺れる、揺れる…、揺れ方が尋常ではありません。
ここ何十年と車酔いなど経験したことのない私が、たった48分の乗車時間に酔いそうになったほどです。 -
ほうほうのていでバイロイトの駅に着きました。
もう少し長く乗っていたら、確実にバイロイト観光どころではなかったでしょうね。
車に酔いやすい方、このIREには気をつけてくださいね。
本当に揺れますから…。 -
「地球の歩き方」の小さな地図を頼りに、駅を背にして左のバーンホフ通りを進みます。
-
近代的な高層ビルの前にこの円形のモニュメントがありました。地球儀の形でしょうか。
実はここはバイロイトの新市庁舎。
ドイツでは昔の伝統的な歴史的建造物を市庁舎にしているところが多いのに、珍しいですね。
◇◆
きっと、この中に観光案内所が入っているに違いないと中に入ります。
ビジネススーツに身を包んでいる人たちばかりの中に入り込んで、何か場違いな感じ…。やっぱりここではないそうです。 -
これは帰りに道路を隔てて撮った市庁舎の写真です。
そういえば、昨年(2010年)訪れたエッセンの市庁舎もこのように近代的な庁舎でした。 -
市庁舎をもうちょっと進むと、高台に歴史的な建物が建ち並んでいます。
その前で、何か催し物をやっているのでしょうか、グリーンの自由の女神のハリボテとグリーンのテント。
邪魔ですね、せっかっくの歴史地区が台無しじゃありませんか。
電話会社の宣伝?
自由にインターネットや電話をしてください、みたいな文字が見えます。 -
歴史的地区の下の、今いる道路はカナル通り。
綺麗に整備されていて、とても雰囲気のいいところです。 -
道路と道路の間には人工的に整備された小川が流れています。
ここは癒しスポットになっているのか、お年寄りが気持ち良さそうにくつろいでいます。 -
小川沿いのビルの端っこに観光案内所の(i)のマークが見えます。
早速ここでバイロイトの地図をゲットしました。 -
地図を見ながら、オペラ通りに入ります。
辺境伯オペラハウスの入口には、1810年からバイロイトを統治していたヴィッテルスバッハ家の威厳ある紋章が…。 -
そして1914年に建造されたヴィッテルスバッハの噴水。
バイロイト辺境伯の時代は18世紀の終わりごろまで続きましたが、その後後継者がいなかったか何かでプロイセンに統治されるようになります。
しかし、1806年のナポレオン戦争に敗れフランス軍の領地になり、1810年バイエルン王国ウィッテルスバッハ家に譲渡されることになりました。
それからオーバーフランケンにあるバイロイトはバイエルン地方に属するようになりました。
辺境伯オペラハウスについては後ほどご紹介します。 -
1753年創業の老舗、ホテル・アンカー。
リヒャルト・ヴァーグナーの60歳の誕生式典がここで行われました。
また、バイロイト音楽祭に招待された王族貴族、著名人などがここに滞在しました。かのカラヤンもここに宿泊したことがあるそうです。
そして、第三帝国時代は、ワーグナーの曲がお気に入りだったヒトラーや、そしてゲッペルス、ゲーリング夫妻もここにしばしば宿泊しました。
いい時も悪い時も、この老舗ホテルはバイロイトの歴史を見つめ続けてきたのです。 -
バイロイトの観光地図。
もう少し先にワーグナーの家があるようです。 -
やっと木立の先にワーグナーの家が見えてきました。
珍しく人影がありませんね。 -
こちら側には、ワーグナーの家を遠くから眺めているシニアの人たち。
どうして中に入らないのでしょう?
後でその訳が判明します。 -
この案内指示板には、ワーグナー博物館、リスト博物館、ジャン・パウロ博物館とあります。
とりあえず私はワーグナーは後の楽しみにして、リストの方に行くことにします。
だけど、案内板の一番手前はジャン・パウロ博物館とあります。 -
ここがそうですね。立派な建物です。
ところで皆さん、ジャン・パウロってご存知ですか?
恥ずかしながら私は全然知りませんでした。 -
ところが、バイロイトの街中を歩いていると、彼の名前をいたるところで目にすることになるんです。
ジャン・パウロ広場があったり、そこには彼の大きな銅像が立っていたり…、この街ではワーグナーよりも有名人ではないの?って思ったくらいです。 -
ジャン・パウロ博物館の綺麗に整備された中庭に回ると、東屋みたいな小さな家が…。
-
ここはジャン・パウロのパヴィリオンになっていて、彼に関するいろいろな資料が張り出してあります。
彼のことは、私が知らないだけかも…、ちょっと調べてみました。
ジャン・パウロ…。
ドイツを代表する小説家。だけど彼の著書名を見ても私が全く知らないものばかり。
ただ、「巨人」という本を書いているそうですが、内容的には私は全然知りませんが、マーラーの交響曲「巨人」は彼の同名作品からとられたものだとか…。
マーラーの「巨人」だったら知っています(笑)。 -
そして、写真が…。
ジャン・パウロが何者か知らない私は、彼は政治家か何かで、この人たちは一緒に活動した政治結社の仲間ではないかと…。
ところがよく見ると、この人物は全てジャン・パウロ自身なのですね。
笑ってしまいました。皆さんこれすべて同一人物に見えます? -
このように、いかにドイツを代表する作家とはいえ、バイロイト生まれでもない彼がどうしてここまで人気があるのか分かりません。
ともかく、バイロイトで超有名なジャン・パウロに敬意を表して…。
もう一度、パステルカラーのお花畑の間から博物館を眺めて、次に行きます。 -
ここがリスト博物館。
フランツ・リスト(1811-1886)とワーグナーはお互いの才能を認め合う友人でした。
ところがリストの娘コジマが、自分の弟子であり有名な指揮者だった夫・ハンス・フォン・ビューロを捨ててワーグナーに走ったことから、長い間絶好状態になってしまいます。 -
それでも、コジマの再三のバイロイトへのお誘いにリストの気持ちも少しずつ氷解していきます。
1886年7月、リストは、コジマと前夫ハンス・フォン・ビューローの娘、リストにとっては孫娘の結婚式に出席するためにバイロイトを訪れたました。
バイロイト祝祭劇場で「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞したあと、リストは風邪をこじらせて、滞在していたこのフレーリッヒ館でなくなってしまいます。74歳でした。 -
庭にリストの彫像が立てられています。光が入って見難い写真ですが…。
リストがなくなった後、娘コジマの強い希望により父リストのなきがらはバイロイトの墓地に埋葬されました。
そして最後に滞在したこのフレーリッヒ館がリスト博物館となり、リストの遺品などが展示されることとなりました。
ところで今年2011年はリストの生誕200年に当たるのですね。 -
リスト博物館の先はホーフガルテン(宮廷庭園)の入口です。
-
ホーフガルテン入口に立っていた案内板。
この4人の写真はバイロイトにゆかりの人物のようです。
右からリヒャルト・ヴァーグナー、ジャン・パウロ、E.T.Aホフマン、バイロイト辺境伯の妃ヴィルヘルミナ。
E.T.Aホフマン(1776-1822)はドイツの有名な作曲家、作家、画家などの多彩な才能を持った人物名ですが、彼がどうしてバイロイトと関係があったのかは探し出せませんでした。
ヴィルヘルミナはこれから何度も登場しますので、その時に。 -
ホーフガルテンの地図。
中は広くて気持ちのいい庭園です。
赤矢印が現在の位置、私は左に向かいます。 -
少し行くと、ワーグナー博物館の門が見えてきました。
ホーフガルテン側の入口です。 -
ワーグナー博物館の中庭と裏側です。
お庭で水撒きをしていた若い庭師さん(制服を着ていたので市の職員かな?)が「正面はあちらだよ」って。 -
そちらに回るとまず、ワーグナーに心酔していたバイエルン王ルートヴィッヒ2世の胸像が目に飛び込んできます。
彼はワーグナーのためにそれこそ湯水のようにお金を使いました。
ワーグナーの長年の夢であった自分の曲を演奏するためのバイロイト祝祭劇場の建設、そしてこの家ヴァーンフリート館もルートビッヒの援助で完成したものです。 -
若き日のバイエルン王ルートヴィッヒ2世像
-
先ほどこの前を通ったとき、どうしてシニアの方たちが遠巻きにしていたかわかりました。
入口にこのような張り紙が。
「ヴァンフリート館は2010年9月から少なくとも2013年初めごろまで改修工事のために閉館します」と書いてあります。
今は入れないのね。
でも、いいんです、私は。 -
私は数年前、夫とこのバイロイトは訪れたことがありました。
その時、ワーグナー博物館は見学していました。何たってバイロイトの目玉ですからね。
でもね、夫はせっかちですから一緒だとどうしてもゆっくり見学できないんですよね。だから殆ど内部のことは忘れてしまって、今回もう一度見れたら見たいと思っていました。
開いていないのなら仕方がないですね…。 -
その代わり、数年前は全然知らなかった裏庭にあるワーグナーのお墓を見に行きましょう。
さっきの庭師の職員さんがまだ水を撒いています。
「えーと、ワーグナー夫妻が眠っているところ(お墓の単語が思い出せない・笑)は何処ですか?」
そしたらこんもりと小さく盛り上がった片隅を指差して、「ここですよ。」って。 -
えっこれがワーグナーのお墓? だってお花ひとつ飾ってないじゃない…。
『地球の歩き方』には世界中のワグネリアンからの献花が絶えない…、とあったので、お花でいっぱいに飾られた大きなお墓を想像していました。
それに字もはっきり見えないし…。 -
次に庭師のお兄さん小さな石を指差して、「ここは彼らの犬のお墓だよ」と…。
ワーグナーとコジマの愛犬が眠っているお墓でした。 -
若い庭師さんにお礼を言って、ワーグナーとコジマがよく二人で散歩をしたというホーフガルテンに出ます。
-
ワーグナー家のお隣さんになるのでしょうか、ここにも立派な門構えの家が…。
門に貼り付けてある彫像やプレート、これも只者ではなさそう…。 -
彫像の下にはバイロイト辺境伯フリードリヒの名前と、その上にはなにやらドイツ語でフリーメイソンと読めます。
これはもしかして…。
やっぱり、1741年辺境伯フリードリヒによって設立されたドイツで最も古いフリーメーソン支部だそうです。
思わぬものを見つけて嬉しくなりました。
◇◆
昨年アーヘンで「プロヴィデンスの目」を見つけて以来、気にかけて旅していると、様々なところにフリーメイソンの痕跡を探すことが出来ます。 -
ホーフガルテン(宮廷庭園)に設けられた水路では水鳥が気持ちよさそうに泳いでいます。
写真がきれいだったら雰囲気をお伝えできたのに…、本当に残念です。
水路の先には大きな噴水があったり、東屋があったり、またつつじやいろんな花が咲いていてホントに綺麗だったんです。 -
ホーフガルテンはノイエスシュロス(新宮殿)の裏庭に繋がっています。
-
この道をワーグナーも歩いたのね…。
感慨深い思いで、今通ってきたホーフガルテンを振り返ります。 -
新宮殿の正面側に回りました。
1754年、ヴィルヘルミナ候妃によって建造された居城です。
バイロイト辺境伯に嫁いだヴィルヘルミナ(さっきホーフガルテンの入口に写真があった)候妃はプロイセンのフリードリヒ大王の実姉になります。
そう、ベルリンのウンター・デン・リンデンに大きな騎馬像があるあのフリードリッヒ大王です。
プロイセンをヨーロッパの大国に押し上げ、サンスーシー宮殿でフルートを吹いていたあの大王さまです。 -
見学はしませんがちょっとだけ中を覗いてみます。
新宮殿(ノイエス・シュロス)は、アルテス・シュロス(旧宮殿)が1753年に焼失したため候妃ヴィルヘルミナの命によって、1753-55年に建てられました。焼失の原因は彼女にあったとか?
弟プロイセンのフリードリヒ大王から節約して建てるようにとの忠告があったにもかかわらず、それを無視して豪華な宮殿が建てられました。
その建築費用はほとんどが借金で賄われたということですから、ヴィルヘルミナもちゃっかりしていますね。 -
内部はツアーで見学できるようです。
-
ノイエス・シュロスの正面にはバロック様式で造られた辺境伯の泉があります。
中央の騎馬像は、辺境伯クリスティアン・エルンスト(1644-1712)の像で、騎馬像の下には踏みつけられているトルコ兵が…。
これはオスマン・トルコ軍に勝利した記念に造られたものです。 -
新宮殿
-
辺境伯の噴水の後ろに見えたこの建物はオーバーフランケン地方政府です。
-
入口には、Regierung von Oberfrankenの文字が。
-
石畳の歩道が落ち着いた雰囲気を演出している街並み。
-
広場に建っているこの噴水、バイエルン軽騎兵の像だそうです。
-
再びホテル・アンカーに出てきました。
ここからバイロイト一の繁華街、マクシミリアン通りを歩きます。 -
マクシミリアン広場に建つ旧宮殿。
旧宮殿なのに、新宮殿より鮮やかな建物です。
1753年に焼失した宮殿を一度建て替えたものの、再び先の大戦で完全に壊滅してしまいました。
この鮮やかな建物は戦後復元されたものです。 -
バイエルン王マキシミリアン2世像(1811-1864年)。
ワーグナーのパトロン、ルートヴィヒ2世の父親です。
この頃、まだプロイセン色が強いバイロイトを何とかバイエルン色に染めるために、いろいろ工夫していました。
マクシミリアン広場、この像、ヴィッテルスバッハの噴水、紋章などを建造しました。 -
旧宮殿と城の塔
-
宮殿付属のシュロス・キルヒェ(宮廷教会)。
これもヴルヘルミナの命で建てられたものです。 -
教会に隣接する城の塔
-
マキシミリアン広場の噴水
-
路地から覘く三位一体教会は改修中でした。
-
マクシミリアン広場にはメイポールが飾られ、大勢の人が出ていました。
方向音痴の私は駅に戻る道がわかりません。近くにいた若い女性に道を聞き歩き出します。 -
シュロス教会の裏側(マキシミリアン広場ではないほう)に出ました。
ここシュロス教会は、1886年8月4日、フランツ・リストの葬儀が行われた場所です。その時、アントン・ブルックナーがオルガン奏者を務めました。 -
リンツ出身のアントン・ブルックナー。
彼はバイロイト音楽祭にゲストとして招かれ、たびたびバイロイトを訪れています。 -
教会を眺めるように、ヴィルヘルミナの像が立っています。
そして彼女の後ろには辺境伯オペラハウス。 -
辺境伯オペラハウスは1744-48年、候妃ヴィルヘルミネの命で建てられました。
概観は質素に見えますが内装はロココ調の絢爛豪華なたたずまいだそうです。
この時代、いくつもの宮廷建築を手がけたカール・フォン・ゴンタルトによって建てられたものです。
この辺境伯夫妻の統治時代にバイロイトの街は最も栄えました。 -
さて、先ほどの雰囲気のいい小川に沿って高台の上に歴史的建造物が並んでいました。
左の建物は宮廷建築家カール・フォン・ゴンタルトの家、現在はカトリック司教館。
右のアマデマール宮殿もフォン・ゴンタルトによって建てられたものです。 -
その高台の下は公園になっています。
そこに見覚えのある人物のシルエット。
それにしても、木立の傍にいる女性、かなーりふくよかです。 -
その横顔は、またもやジャン・パウロです。
最後までジャン・パウロに付き合わされたバイロイト街歩きでした。 -
駅に着きました。
駅前から緑の丘の上にバイロイト音楽祭の祝祭歌劇場が見えます。
ワーグナー好きだったヒトラーが、たびたびナチス礼賛者を音楽祭に招待して、バイロイトを「ナチスの聖地」として位置づけたため、連合軍はこの町を徹底的に破壊しました。
しかし、ワーグナーの芸術は破壊されることなく、毎年夏のバイロイト音楽祭シーズンには世界中から大勢のファンが訪れています。 -
さあ、ではニュルンベルクに戻りましょう。
駅で時間があったので、構内のカフェでアイスコーヒー(カフェラテ)とプレッツェルサンドの昼食にしました。
あ、そうだ! 帰りには振り子式電車には絶対乗らないようにしなければ…。
◆◇
またまた懲りずに見難い写真を大量に披露しちゃって…。
齢をとると、どんなに酷いものでもなかなか捨てれなくって…。本当に御目汚し、申し訳ありません。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (7)
-
- 近鉄バッファローズさん 2011/08/28 14:13:37
- 未踏の地
- frau.himmelさん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
Bayreuthへ行かれたんですね。
私はBayreuthへは行ったことがありません。
Bayreuthはワーグナーの街、と言うのが第一にあって、
芸術にはあまり興味のない私にとっては、魅力的ではありませんでした。
ですが、他にも見るべきところがあるんですね。
近くへ行ったときには見てみたいなぁ、と思いました。
新・旧の宮殿や色々な博物館は魅力的でした。
調べてみると、Bayrethはニュルンベルグ城泊の支配下に入って以降、
Hohenzollern家の支配下にあったんですね。
ナポレオン侵攻以降にバイエルン王国領になったそうですが、
この時にドイツ諸侯の領地はかなり整理されましたからね。
教会は一切の領地を没収され、諸侯の領地の飛び地も
多くが解消されたそうです(ゼロにはなっていませんが)。
この領地替えは、その一環だったのでしょうか。
親ナポレオンのライン同盟に加盟した御褒美なのかも知れませんね。
また次の旅行記も楽しみにしております。
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/28 14:47:26
- RE: 未踏の地
- 近鉄バッファローズさま こんにちは。
> Bayreuthはワーグナーの街、と言うのが第一にあって、
> 芸術にはあまり興味のない私にとっては、魅力的ではありませんでした。
私もそう思っていましたが、歴史的にも見るべきところは多々ありました。
> 調べてみると、Bayrethはニュルンベルグ城泊の支配下に入って以降、
> Hohenzollern家の支配下にあったんですね。
> ナポレオン侵攻以降にバイエルン王国領になったそうですが、
> この時にドイツ諸侯の領地はかなり整理されましたからね。
> 教会は一切の領地を没収され、諸侯の領地の飛び地も
> 多くが解消されたそうです(ゼロにはなっていませんが)。
> この領地替えは、その一環だったのでしょうか。
> 親ナポレオンのライン同盟に加盟した御褒美なのかも知れませんね。
バイロイトの発展に大きく貢献したヴィルヘルミナ(バイロイト辺境伯フリードリヒ3世の妃)がプロイセンのフリードリヒ大王の実姉だったこともあり、プロイセンとは大きく関わりあっていましたが、ナポレオン戦争で破れ、ホーエンツォレルン家の領有ではなくなったそうです。
しかし、フランス軍から譲渡を受けたバイエルン王のヴィッテルスバッハ家は、バイロイトが余りにもプロイセン色が強すぎて、バイエルン色を出すのに懸命だったようです。
その意味では、ルートヴィッヒ2世から手厚い支援を受けていたワーグナーはいい宣伝塔の役割を果たしたのではないかと思います。
それに歴史的に言えば、このバイロイトも、ヒトラー第三帝国時代はニュルンベルクと同様「ナチスの聖地」だったのですね。
調べてみると、ワーグナーを大好きだったヒトラーは、晩年のワーグナー夫人、フランツ・リストの娘であるコジマにも会っているそうです。
歴史って本当に面白いですね。
himmel
-
- 横浜臨海公園さん 2011/08/27 13:10:59
- バイロイト音楽祭
- frau.himmelさま、こんにちは。
バイロイトにお出でになられた由。
小生、バイロイト音楽祭を初めて鑑賞したのは今から昔々の昭和41年夏の事で、当時は在欧中の日本人以外に観光客の邦人を見かける事も稀な時代でした。
楽劇ジークフリートでしたが、ただ幕が開いても、ただやみ雲に暗いだけ舞台が見えず音楽もワンパターンとして聞け、途中で眠ってしまい気づいたら第1幕が終わってしまってました。
今から考えると残念です。
横浜臨海公園
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/27 14:11:10
- RE: バイロイト音楽祭
- 横浜臨海公園さま 書き込みありがとうございます。
> 小生、バイロイト音楽祭を初めて鑑賞したのは今から昔々の昭和41年夏の事で、当時は在欧中の日本人以外に観光客の邦人を見かける事も稀な時代でした。
うわーすごい! バイロイト音楽祭をご覧になったのですか? 昭和41年と言うと臨海公園様がかなりご幼少のころ?
でしょう、でしょう! その頃は日本人がバイロイト音楽祭を見に行くなんて、夢のまた夢だったでしょうから…。
> 楽劇ジークフリートでしたが、ただ幕が開いても、ただやみ雲に暗いだけ舞台が見えず音楽もワンパターンとして聞け、途中で眠ってしまい気づいたら第1幕が終わってしまってました。
もったいない! そしてなんと贅沢な!
かの世界の祝祭劇場で、一流オーケストラを子守唄にしておやすみになったとは…。
私にはたぶん一生縁のない音楽祭ですけど、バイロイトの街はしっかり楽しんでまいりました。
横浜臨海公園さま 別のお話のほうもお待ちしています。
himmel
- 横浜臨海公園さん からの返信 2011/08/28 02:43:49
- 拝復
- frau.himmelさま、こんばんは。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
ただ、今から考えると確かに豪華な子守唄でしたが、楽劇ローエングリーンだったら、第1幕前奏曲冒頭のトレモロと弱音器をたっぷり使った弦楽奏で、しっかり眠っていたでしょう!!
横浜臨海公園
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/28 13:33:16
- RE: 拝復
- 横浜臨海公園さま こんにちは。
うふふ、そうですね。
ローエングリーンの前奏曲、あれはちょっと辛いかも。
深ーい霧の山の中(南ドイツあたりの)を彷徨っている夢を見たりして…。
でも、「結婚行進曲」のところでは目が覚めますから、大丈夫ですよ。
横浜臨海公園さまも冗談をおっしゃるんですね。安心しました。
himmel
- 横浜臨海公園さん からの返信 2011/08/29 02:26:23
- 再拝復
- frau.himmelさま、こんばんは。
重ね重ねメッセージを賜りまして誠に有難うございました。
> うふふ、そうですね。
> ローエングリーンの前奏曲、あれはちょっと辛いかも。
> 深ーい霧の山の中(南ドイツあたりの)を彷徨っている夢を見たりして…。
>
> でも、「結婚行進曲」のところでは目が覚めますから、大丈夫ですよ。
→然し、第3幕前奏曲から結婚行進曲に続くテノールのソロは、やはり眠くなるMUSIKです。
横浜臨海公園
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
7
73