2011/05/05 - 2011/05/05
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frau.himmelさん
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前回のナチスの党大会跡のドク・ツェントルム編は、老骨に鞭打って、私としては渾身の思いで作成した旅行記でしたが、内容がヘビー過ぎて一般受けしないんだろうと思っていました。
写真も悪かったし…。
ところが、あの旅行記を投稿してから3,4日は、会員ではない一般の方々のアクセス数が非常に増えたのです。普段のアクセス数の2倍3倍、多い日は5倍くらいありました。
驚きましたー、こんなことってあるんですね。
まあ、最近は元に戻りましたが…。
さて、ドク・ツェントルムから旧市街に出て…。
今回はさらっと街歩きを楽しみます。
-
路面電車でドク・ツェントルムから中央広場に出たいと思います。
停留所にいたオジサマに何番の電車に乗ればいいか聞きました。
今停まっている電車に乗って、どことかで乗り換えて、聖ローレンツ広場で降りればいいと…。
このオジサマ、私が心配なのか降りるまでずーっと見守っていてくれました。
ほんとにみんな優しい。うれしくて涙が出そうでした。ひとり旅の失敗続きで気が弱くなっているのでしょうか。
せっかく聖ローレンツ教会まで来たのですからちょっと中に入りましょう。高さ81mの2本の塔が聳えています。 -
地下鉄(Uバーン)で降りたので、こちらの入口から入ります。ゴシック様式の大きな教会です。相変わらず見難い写真でごめんなさい。
-
教会の内部です。
シャンデリアの影に隠れてますが、天蓋から吊ってあるレリーフがチラッと見えます。
これはファイト・シュトス作のこの教会で一番有名な「受胎告知」のレリーフだそうです。
でもこの写真では判りませんねー。 -
これがそうです。
上の写真は、そんなこととは露知らず、立派なシャンデリアだわぁ〜って撮ったら、怪我の功名でこのレリーフも写っていたもの。
無知ってこわいですね。
これはパンフレットから拝借しました。 -
ステンドグラス
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内部にある小祭壇
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聖ローレンツ教会の正面。
こちらの入口は有名ですね。
200年かけて建てられたゴシック建築のプロテスタント教会です。
ニュルンベルクで2番目に大きい教会だそうです。 -
さてこちらは…。
聖ローレンツ教会と同じく二本の尖塔が聳えていますが…。
この教会は聖セバルドゥス教会です。
聖ローレンツ教会は何度も訪れているのに、この教会は余り知りませんでした。 -
この教会は13世紀ごろ造られたニュルンベルクで一番古い教会なのだそうです。
入口はあちら→とありますね。 -
天使のドアノブ。
◇◆
出発前BSのテレビを見ていたら、この教会はパッフェルベルが晩年オルガン奏者をつとめ、かのデューラーもここで結婚式を挙げた由緒ある教会だと説明していました。
それを知ってここは絶対訪れようと心に決めて来ました。 -
ここに、私がドイツに来てからも一時も忘れたことがない張り紙がありました。
「日本の人々のためにお祈りしましょう」。
東日本大震災で甚大な被害を受けた、日本の被災者を応援する温かいメッセージです。これを見て私の鼻の奥がツーンとなるのがわかりました。
それだけではありません、後日この教会のホームページを見ていたら
「Ergebnis des Spendenaufrufs für den Wiederaufbau des Waisenhauses "Fujinosono" im Nordosten Japans」と…。
Fujinosonoとは岩手県一関市にある児童養護施設「藤の園」のこと。被災した施設の再建のために、教会の募金で集まった18700ユーロを援助してくれたとのこと。
ホントに世界中の温かい支援には、日本人として非常に嬉しいです。
-
教会の内部です。
◇◆
パッフェルベルって、そうあの有名な「パッフェルベルのカノン」を作曲した人です。
彼は1653年ニュルンベルクで生まれました。
ライプティヒのバッハゆかりのトーマス教会のように、教会のどこかにパッフェルベルの痕跡が残っているのかと思っていました。 -
パッフェルベルの足跡を探します。
これは違いますね。
後ろにパイプオルガンが少しだけ見えます。
パッフェルベルは晩年、この教会のオルガン奏者として活躍したそうです。
◆◇
写真:1945年4月20日ニュルンベルクは連合軍の爆撃により焼け野原になります。
この教会も破壊されました。 -
なおも探します。
こんな不鮮明な写真なんかアップしなくても、と御思いでしょうね。
実はこれは、聖セバルドゥス教会の守護聖人であるセバルドゥスの墓碑なんです。
ペーター・フィシャー作で、この教会で一番有名なものなのですって。
ピンボケ写真ばかり撮っていても、ちゃんとツボは抑えているんです(笑)。 -
教会内部でパッフェルベルの足跡を探せなかったので、もしかしたら外にはあるんじゃないかと…?
外にも荘厳な彫像はいくつもありますが、彼とは関係なさそう…。
後日、聖セバルドゥスのホームページでも探しましたが、何しろドイツ語なので見つけられませんでした。
上記の一関・藤の園への災害支援の記述は見つけたのに…。 -
聖セバルドゥス教会の道路を隔てたところにニュルンベルク旧市庁舎があります。
市庁舎の建物に聖セバルドゥス教会の影がくっきり写っています。 -
ニュルンベルクの紋章を掲げた旧市庁舎入口。
-
ラートハウスを横目に見ながら坂を下りていると、なにやら聞いたことのある名前のレストランが…。
-
「ブラートヴルスト・ホイスレ」…。
評判のニュルンベルガーソーセージの専門店じゃこざいませんか!
何だこんなところにあったのね。
そうと知ったら入らないわけにはいきません。 -
道路に面したオープンテラスは一杯なので、上のテラスに座りました。
-
まずフランケンワインのハルプ・トロッケンを注文して…。
えーっ、こんなにたくさん!
飲めるかしら…。
お店の店員さんに「ここは有名なお店なんですよね〜」ってゴマをすりました。
その太った中年女性の店員さん、当然でしょ!って言わんばかりに「ヤー!」ですって。
もう少し愛想よくしてくれても良いのに…。 -
でも、さすがにブナの炭で焼いた本格的なソーセージは美味しかったー。
付け合せはザウアークラウト(酢キャベツ)かポテトサラダの中から選びます。
私はポテトサラダをチョイスしました。
このサラダもジャガイモの形が残っていてなかなかでした。
ソーセージの数は6,8,10,12本の中から選べます。 -
私は一番少ない6本にして、別にこの旅2度目のシュパーゲル(白アスパラガス)をいただきました。
シュパーゲルはミュンヘンのラーツケラーの方が美味しかった。 -
上の階のテラスはこんな感じ。
お花に囲まれたステキな雰囲気の中で、飲めるかしらと心配したワインはいつの間にか空っぽに(笑)。
それからテーブルの上のパンは無料ではないですから気をつけて。
食べたら後で料金を請求されます。 -
夕闇もせまって来ました。
レストランを後にして後ろを振り返ります。
暗くて見難いですが、右が旧市庁舎、左が聖セバルドゥス教会のシルエットです。 -
おっ、ずいぶん威厳のある門構えの建物。
ニュルンベルクの商工会議所と表札が…。 -
上を見上げるとこの建物でした。
中央広場の隅にあるこの商工会議所の壁絵が鮮やかな建物、皆さんご存知と思います。 -
そこから中央広場を眺めると…、逆光の中に浮かび上がる美しの泉のシルエット…(なんてロマンチックなものではありません、単にカメラとカメラマンの腕が悪いだけ)。
-
美しの泉のほうに歩を進めましょう。
中央広場の東側には聖母教会 Frauenkircheが見えます。
ここはもともとユダヤ人の居住区でした。
ニュルンベルクでは中世の頃よりユダヤ人への襲撃などは行われていたようです。
ローマ皇帝カール4世の時に、暴徒によって取り壊されたユダヤ教会の跡に建てられた宮廷礼拝堂でした。
広場では市もまだやっていました。" -
お店仕舞いをはじめた八百屋さんの店先。
色とりどりの野菜や果物は見るだけでも楽しいです。
ニュルンベルク北部の広い耕作地帯では多くの農作物が収穫されます。
特にアスパラガスの産地として有名だそうです。 -
フラウエン教会の入口では、若いカップルがいつまでも別れがたい思いで語り合っていました。
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バルコニーの上の、カール4世の時代に作られた仕掛け時計。
1日にたった1回だけ、正午に動きます。
1日に1回しか動きませんのでその時間に遭遇するのは稀です。
私はクリスマスの時期に1回見たことがあります。
ローマ皇帝カール4世の前を通り過ぎる7人の選帝侯の人形の行列が現れます。 -
そろそろホテルのほうに向かいましょうか。
-
ニュルンベルクに来る度に、いつも気になっている訳の判らないモニュメント。
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台座にはこのような文字が…。
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ペグニッツ川に架かるムゼウム橋の上からハインリッヒ・ガイスト・シュピタール(聖霊養老院)の建物が見えます。
今は下はレストランとして営業しています。 -
歩行者通りのケーニッヒ通りを駅のほうに向かっています。
-
ケーテヴォールファールトが…。
ローテンブルクの本店は有名ですが、支店もドイツのあちこちにあります。 -
ここのショーウィンドーはいつも夢の国です。
見ているだけでは我慢できなくてついつい買ってしまいます。
木彫りの人形やテディベア、ビールのジョッキなど…。 -
欲しいけど、結構なお値段なんですよね(悲)。
木こりの人形は118ユーロ(14,000円くらい)。
手前の小さな木彫りの人形だって65ユーロ(7,000円くらい)。 -
ここにはフンメル人形(ゲーベル人形)が。
わー可愛い〜!高級陶磁器人形です。
あどけない子供のしぐさが可愛くて前は何度か買って帰りましたが、今は手が出ません。
あんな小さな人形でも2万円以上しますから…。 -
女神のシルエット…。
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聖ローレンツ教会に出ました。
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教会建物壁にひっそりと噴水が…。
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ローレンツ広場ではピアノを操るパフォーマーの傍に人だかりが出来ていました。
何をやっているのだろう?
もぐりこもうと試みましたが、あえなく沈没…、諦めました。 -
広場の教会の反対側にはナッサウアー・ケラーが建っています。
何でも13世紀ごろ建てられたニュルンベルクで一番古い建築様式の建物だとか…。 -
私は最初、いろんな方の旅行記を見て、ここで食事をするつもりでした。
でも、先にブラートヴルスト・ホイスレを見つけちゃったもんね。
次に機会があれば…。 -
なおも駅に向かって歩いていると、窓の形がとっても面白い建物を見つけました。
ホテルかしら、レストランかしら?
拡大してみると、入口には通信社の名前があります。
4トラベル仲間のベームさんの旅行記で、ここが昔の穀物倉庫だったと判明。
ベームさんありがとうございました。 -
今でも中世の面影を色濃く残している街並みは、第二次大戦で、連合軍に徹底的に破壊された街とは思えないくらい見事に復元されました。
-
ここにも中世の街並みが色濃く残る職人広場、ここには明日ゆっくり訪ねることにします。
-
いつまでも日が暮れない夏のドイツにも、夕暮れ時がやってきました。
太陽が今にも沈みかけている見張りの門も、頭だけを残して建物の影に隠れてしまいそうです。
駅近くにあるホテルに帰って、早くカメラの充電をいたしましょう。
古いカメラで写した今日の写真は散々でしたが、明日はきれいな写真がとれる(はず)です。
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この旅行記へのコメント (9)
-
- 哈桑湖さん 2011/08/28 11:44:15
- パンのお金を請求されるんですね
- frau.himmel様
アラル海から戻って参りました。まだ旅行記は一部しか、掲載していません。
アラリスクのような田舎町でも、「フクシマ」を知っていたのには、驚きました。
ニュルンベルクの教会で、このようなことが行なわれていたとは、感動です。
あと、パンのお金の請求は、笑ってしまいました。
カザフスタンやロシアの田舎のカフェーでは、料理を注文すると、バスケットに入ったパンを運んできます。
食べても食べなくても、料金は同じです。
お客が食べた分だけ、継ぎ足して次のお客に出します。
ロシア人、カザフ人とも、細かいことには、こだわらないです。
ドイツには、露系ドイツ人が沢山いると、本で読んだことがあります。
ドイツ系女帝エカテリーナ2世が、ドイツの農民を、ヴォルガ河流域に入植させたのを皮切りに、大勢のドイツ人がロシアにやってきました。
スターリンは、このヴォルガ・ドイツ人が、ナチスに協力するのを恐れて、根こそぎ中央アジアやシベリアに、強制移住させました。
1989年のは、ドイツ系ソ連人は、100万人もいたようです。カザフスタンには、ドイツ系の人が沢山いました。
ペレストロイカの時代に、ソ連がきしみ、また出国が容易になったので、ドイツ系のかなりの数の方たちが、ドイツ連邦に行ってしまったようです。
このときに、ドイツ系の方と結婚されている、他民族の方も、その間に出来た子どもも、ドイツ連邦政府は、入国を認めたようです。
この中に、サハリンで機関士をしていた日本人と、カザフに住んでいたドイツ系の女性との間に生まれたお子さんも、ドイツに行ったようです。この話は、カザフスタンでは、知られています。「少し前には、カラガンダには、日本人がいたよ。子どもは、ドイツに行ってしまったよ」と。
カザフスタンから来たドイツ人は、ドイツ語が出来ないので、社会で浮き上がっていて、そのストレスから、ドラッグに走ったりすると、聞いたことがあります。親たちは子どもたちに、少しでもいい生活をさせようと、ドイツ行きを決心したようです。ところが、子どもたちは、2級市民と扱われるくらいなら、カザフに残ったほうが良かったと。
現在カザフスタンには、25万人のドイツ系の人がいます。カザフスタンでは、ドイツ系は朝鮮系の人と同じく、経済的に裕福な人が多いようです。
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/28 14:22:31
- RE: パンのお金を請求されるんですね
- 浦潮斯徳さま こんにちは。
ご無沙汰しています。
時々旅行記へはお邪魔しておりました。新着の面白い旅行記まだかなーと…。
> アラリスクのような田舎町でも、「フクシマ」を知っていたのには、驚きました。
ホントにそうですね。悲しいですが、いまや「フクシマ」は世界の流行語ですね。
ドイツのテレビではお笑い番組で「フクシマ」を揶揄していました。悔しかったーですね。
> あと、パンのお金の請求は、笑ってしまいました。
普通、テーブルに乗っているパンは「ご自由にどうぞ!」ですよね。
ところが会計の際に、「パンは食べたか?」って聞くんですよ。ビックリしました。
大体、プレッツェルの場合が多いですが。
ところで今回も興味深いお話ありがとうございます。
> ドイツには、露系ドイツ人が沢山いると、本で読んだことがあります。
確かにドイツ国内には移民が多いですね。特に東西ドイツが統一してから、東欧系の移民も多くなってますます増えたようです。
いまやドイツ人の雇用を脅かしているとか…。
私が短期留学をしていたドイツ語学校にも何人かのロシア人がいました。
でも、この方達はちょっと違いますか、きっとロシアに帰ったらエリートになる方だと思います。
> ドイツ系女帝エカテリーナ2世が、ドイツの農民を、ヴォルガ河流域に入植させたのを皮切りに、大勢のドイツ人がロシアにやってきました。
> スターリンは、このヴォルガ・ドイツ人が、ナチスに協力するのを恐れて、根こそぎ中央アジアやシベリアに、強制移住させました。
このお話に興味を魅かれてたった今、ヴォルガ・ドイツ人のことを調べてまいりました。
ここでもやはり、歴史の流れを変えたのは、ナチスドイツなのですね。
ところで、前に浦潮斯徳さまが旅行記で発表していらっやったドイツ人の町、「ケーニヒス・ベルク」はヴォルガ・ドイツとは関係ないんですか?
興味深いお話、ありがとうございました。
himmel
- 哈桑湖さん からの返信 2011/08/28 16:20:59
- ケーニヒスベルクは、関係ないです
- frau.himmel様
ケーニヒスベルクを中心とした東プロイセンは、ドイツ騎士団が、未開地のスラブ人居住地を征服した地です。
ドイツ出身のエカテリーナ2世の招きに応じて、主に貧しいドイツ南部の農民が、ヴォルガ河流域に入植したのです。
スターリンは、1937年に極東ロシアにいた朝鮮人(カレイスキー)を、中央アジアの地に流しました。
かつてのオリンピックの金メダリストのネリー・キムさんは、お父様がカレイスキー、お母様がタタール人です。なおタタール人女性は、肌と髪の色はアジアで、顔のつくりはヨーロッパで、ロシア人からみるとエキゾチックな美人と映るようです。
スターリンは、朝鮮人、ヴォルガ・ドイツ人、チェチェン人を初めとしたカフカスの諸民族を、中央アジアに追放したのです。カザフスタンの南都アルマティの近くには、スターリンによって追放された、ギリシャ人の村落もあります。
中央アジアへの移送の際に、大勢の人が貨車の中で死亡しました。チェチェン人は、移送での死亡率が高かったようです。
ヴォルガ・ドイツ人は、農民としても職人としても優秀だったので、もう少しマシな移送をされたので、死亡率は他の民族よりは、低かったようです。
こうしてカザフスタンには、追放されてきた沢山の民族が住んでいました。
追放されてきた人々は、ソ連当局に気に入ってもらおうとしていました。
このなかでチェチェン人だけは、反抗心を隠そうともせず、胸を張って生きていたと、当時カザフにいたソルジェニーツィンは、述べています。
カザフスタンの地では、医師や大学教授という肩書きだった人が、ドイツでは職もなく、生活保護の手当てを受け、2級市民扱いのようです。
子どもたちは、ドイツ社会になじめず、非行に走るということを、聞いたことがありますが。
ドイツの民族主義の若者とやりあうこともあるとか。
ロシア連邦ユダヤ自治州ビロビジャンには、ペレストロイカの時期以降、生活苦から、ユダヤ人がイスラエルに多数渡りました。
しかし、このユダヤ人たちも、イスラエルでは二級市民扱いでした。彼らは、パレスチナ人の土地を取上げて、戦争をするという考えには反対でした。また豚肉を食べることに対して、厳格なユダヤ教徒との対立もありました。
こういったことや、プーチンさんになってロシアが安定したことで、ビロビジャンに出戻るユダヤ人も出てきました。
日本にも、日系のブラジル人が沢山居住している地域もありますが、必ずしも日本人と仲良くしてはいないようですが。
-
- カメちゃんさん 2011/08/22 18:25:37
- 東日本大震災への支援に感激
- frau.himmelさん こんにちは!!
「日本の人々のためにお祈りしましょう」
あの遠いニュルンベルクの聖ローレンツ教会でそのような訴えがなされていたなんて、
なんというありがたいお志でしょうか。
こうしたことを素早く市民に訴えられるキリスト教とヨーロッパ社会に関心を持たざるを得ませんね。
私たちはついつい目の前だけの狭い視野に陥りがちですが、改めて心を引き締めなければと思います。
お写真を拝見しますと、戦争の爆撃と市街戦で破壊された町並みも、元の姿に綺麗に再建されていますね(^-^)
日本などでは新しい街作りをしてしまうものですが、歴史的な姿を大切にする姿勢には、ため息の出るほどの強い意志を感じます。
それがなんなのか、ヨーロッパ社会への興味は尽きません。
ソーセージ(^-^)
美味しそうでしたね(^O^)!(^^)!
勝手な独り言を書いてしまいましたm(_ _)m
それでは、また・・
カメちゃん
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/23 21:52:11
- RE: 東日本大震災への支援に感激
- カメちゃんさま こんばんは。
メッセージありがとうございます。
> 「日本の人々のためにお祈りしましょう」
> あの遠いニュルンベルクの聖ローレンツ教会でそのような訴えがなされていたなんて、
私もあの言葉を見たときは胸が熱くなりました。こちらの方も日本のことを心配してくださっているのだと…。
なお、聖ローレンツ教会ではなくて、聖セバルドゥス教会でした。
でも、あの時期にドイツを旅行していて感じたことは、大震災よりも関心は「フクシマ」にあるようでした。各方面で「フクシマ」の名前を耳にしました。
一度だけとても腹立たしく思ったことがありました。
夜、ホテルのテレビを見ていたら、お笑いテレビで盛んに「フクシマ」を連発して笑いを取っていたことでした。早口のドイツ語なので何を言っているのかサッパリでしたが、悔しいというより、大好きなドイツの国で…、と思うと悲しくなりました。
善意の方達が殆どだと思いたいですが、ともかく一刻も早くこれ以上「フクシマ」が注目されないように、収束して欲しいと思います。
himmel
-
- パンジーさん 2011/08/07 18:35:52
- ニュルンベルク
- himmelさま
さっそくお邪魔しました。
ニュルンベルクの街歩きもhimmelさんがされると一味違いますね。
とても楽しませていただきました。
あの、訳のわからないモニュメント、私も 訳わからん、と思いつつ
通り過ぎましたよ。
ブラート・ブルスト・ホイスレは、もしかしたら同じ席だったかも。
フラワーボックス越しに通りがみえる気持ちの良い席でした。
うちは夏だったのでビールをいただきましたが、ワインもことのほか美味しそうですね。
別の機会にナッサウアーケラーにも行ったんですよ。
古い建物で、お店の雰囲気が素敵でした。
日本人の団体客がたくさんいました。人気のお店のようですね。
お忙しく過ごされているご様子、
盛夏の折、どうぞお体を御自愛くださいませ。
パンジー
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/17 10:55:47
- RE: ニュルンベルク
- パンジーさま おはよう(?)ございます。
返信が遅くなってごめんなさい。
法事とお盆で田舎に行っており、昨夜遅く帰ってまいりました。
ニュルンベルク街歩き編を見ていただいてありがとうございます。
写真がトホホ…でほんとに恥ずかしいんですが、何度行ってもステキな街ですね。
> あの、訳のわからないモニュメント、私も 訳わからん、と思いつつ
> 通り過ぎましたよ。
でしょ!? パンジーさまも同じことを考えていらっしたのね(笑)。
> ブラート・ブルスト・ホイスレは、もしかしたら同じ席だったかも。
> フラワーボックス越しに通りがみえる気持ちの良い席でした。
そうです、そうです。
パンジーさまの旅行記を見せていただいて、あらっ、同じ席かも…?って思ってました。
中年の店員さんに「このお店は有名なのよねー」ってゴマをすったのに、
「そうよ、それがどうしたの!」みたいな返答でちょっと凹みましたが、
ソーセージは美味しかったー。もちろんワインもね。
> 別の機会にナッサウアーケラーにも行ったんですよ。
> 古い建物で、お店の雰囲気が素敵でした。
> 日本人の団体客がたくさんいました。人気のお店のようですね。
ナッサウアーケラーにもいらっしたんですね。
日本人の団体客が多く来店するレストランだったのですか…。
よかったー、ブラートヴルスト・ホイスレにして。
なにしろ、ひとり旅では、レストランの食事は1日1回くらいしかいただけませんので、せっかくなら印象に残るレストランに行きたいものです。
次の旅行記も忘れないうちに仕上げなければと思うものの、お盆休みボケがまだ抜け切れていないようで…。
パンジーさまも、いつまでも続くこの残暑、どうかご自愛くださいませ。
himmel
-
- ハッピーねこさん 2011/08/06 21:08:02
- ブラートヴルストホイスレ!
- himmelさん、こんばんは。
ニュルンベルクの旅行記にお邪魔しました。
私も昨年訪ねました。素敵な街ですよね〜。
立派な教会がたくさんあって、街並みもきれいでかわいくて。
私が訪ねた日は祝日だったのでお休みのお店が多くて、
楽しみにしていた「ブラートヴルストホイスレ」もクローズしていました。
お入りになれたhimmelさんがうらやましいです。
でも、別のお店で食べたものも美味しかったので満足しましたが。
ニュルンベルクソーセージはすごくテイスティーで美味ですよね。
私もまた食べたくなりました。
続きの街歩きも楽しみにしております。
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/06 21:42:54
- こんばんは!
- ハッピーねこさん こんばんは。
いつもご訪問と投票ありがとうございます。
すごく画像の悪い旅行記ですみません。
プラグの影響がまだ続いており、新しいカメラは充電できていなかったのです(泣)。
ハッピーねこさんは「ブラートヴルストホイスレ」にお出でになれなくて残念でしたね。
私もあそこにたどり着いたのは偶然なのです。ラッキーでした。
確かに香ばしくて美味しいニュルンベルクソーセージでしたね。
それよりも歩き疲れてフランケンワインがとても美味しかったー。
結局あのボトルとうとう飲んでしまいました(笑)。
次の旅行記、忘れないうちに早く書き上げなければ…、と思うのですが、
身辺がいろいろ慌しくてなかなか進みません。
それと齢には抗えませんね。
明後日から10日間ほど九州に参りますので、ますます遅くなります(泣)。
これから暑さがぶり返すそうですから、どうか御身ご自愛くださいませ。
himmel
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