戦争末期の呉第6艦隊司令部
chemireさま、おはようございます。
何時も旅行記を興味深く拝見させて頂いております。
呉と言えば帝國海軍時代から潜水艦基地で有名ですね。
実は私事ながら今年100歳になる父は、昭和20年(1945年)に帝大入学と同時に海軍短期現役将校として呉に赴任し、軽巡洋艦矢矧の通信長として、戦艦大和に随伴し、鹿児島県沖に於いて乗艦が撃沈され東シナ海で約5時間泳いだ末に駆逐艦に救助されると云う体験を有しております。
呉に戻り動員中の旧制中学生に一般教養教育などしていた或る日、旧制中学校で父と首席を争い、海軍兵学校第72期2位入校第2位卒業で当時の井上成美校長から恩賜の短剣を授与された親友が、ウルシー環礁特別攻撃に向かうイ401航海長として赴任し、父は乗艦する伊401を特別に見せてもらい、その巨大さに驚ろかされたそうです。
イ401は目的地への航海中に終戦命令を受領し、親友も米海軍の捕虜になり生還を果たしましたが、乗艦中の司令は艦内で拳銃自殺を遂げ、鋼鉄故に弾丸が鉄板に刺さらず、部屋内部をガンガンと音を立て内部を回転しながら止まるのを待ったそうです。
当時の日本は物資欠乏状態ながら海軍は食事もよく、特に潜水艦乗組員への供食は水上艦艇乗組員から羨ましがられたそうです。
横浜臨海公園
Re: 戦争末期の呉第6艦隊司令部
横浜臨海公園様
コメントありがとうございます。
呉の旅では、大和ミュージアムを訪ね10分の1戦艦「大和」も見学し、艦艇や戦闘機は美術品・芸術品として綺麗だなぁ、かっこいいなぁと思いながら鑑賞してしまうのですが、時代の背景を知る方のお話を伺ったうえで訪ねたら、もっと見る視点が変わったのかなと思いながらコメントを拝読させていただきました。
広島や長崎など、戦跡を訪ねると気持ちが沈んでしまうのですが、平和ボケしないためにも時々は旅を計画したいなと思っています。
chemire