永平寺・丸岡旅行記(ブログ) 一覧に戻る
丸岡城<br />織田信長の家臣・柴田勝豊が築城。その後、城主は豊臣家、徳川家の家臣へと移り、明治維新に廃城となりました。<br /><br />江戸時代以前に建設され、今なおその姿を残す天守は日本全国で12城のみ。丸岡城はその中のひとつで、北陸地方で唯一の現存天守でもあり、地震により完全に倒壊した状態から修復された天守は丸岡城のみです。<br />

丸岡城天守内の階段は、補助縄があるほどの急傾斜。

58いいね!

2025/08/29 - 2025/09/02

58位(同エリア497件中)

旅行記グループ 2025夏休み北陸の旅/福井県

4

82

chemire

chemireさん

丸岡城
織田信長の家臣・柴田勝豊が築城。その後、城主は豊臣家、徳川家の家臣へと移り、明治維新に廃城となりました。

江戸時代以前に建設され、今なおその姿を残す天守は日本全国で12城のみ。丸岡城はその中のひとつで、北陸地方で唯一の現存天守でもあり、地震により完全に倒壊した状態から修復された天守は丸岡城のみです。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
  • 8月30日(土)<br />7:39<br />朝食。美味しいけど、福井らしいメニューはなかったです。

    8月30日(土)
    7:39
    朝食。美味しいけど、福井らしいメニューはなかったです。

  • 9:47<br />芦原温泉駅前から京福バスに乗車し所要時間約20分、丸岡城へ。<br />お城の前の「丸岡城マチヨリマーケット 」内にあるリターン式のコインロッカーに荷物を入れ、身軽になって見学開始。ロッカーは機内持ち込みサイズのキャリーケースが入りました。<br /><br />マーケットの様子は、次の旅行記に。

    9:47
    芦原温泉駅前から京福バスに乗車し所要時間約20分、丸岡城へ。
    お城の前の「丸岡城マチヨリマーケット 」内にあるリターン式のコインロッカーに荷物を入れ、身軽になって見学開始。ロッカーは機内持ち込みサイズのキャリーケースが入りました。

    マーケットの様子は、次の旅行記に。

  • 10:36<br />マチヨリマーケットで、映像を見ながら予備学習をして霞ヶ城公園/丸岡城へ。<br /><br />※ 令和7年12月~令和9年11月まで、天守の耐震対策を含む大規模な修理が計画されたと発表がありました。足場がかかり幕に覆われて天守の姿が見られなくなったり、本丸の一部区域で立入が制限される期間があるそうです。

    10:36
    マチヨリマーケットで、映像を見ながら予備学習をして霞ヶ城公園/丸岡城へ。

    ※ 令和7年12月~令和9年11月まで、天守の耐震対策を含む大規模な修理が計画されたと発表がありました。足場がかかり幕に覆われて天守の姿が見られなくなったり、本丸の一部区域で立入が制限される期間があるそうです。

    丸岡城 名所・史跡

  • 天守には廻縁と高欄が設けられています。

    天守には廻縁と高欄が設けられています。

  • 入場券についている織ネーム。<br />丸岡町は織ネームの一大産地で、なんと国内の7割を製造していると券の裏面に書かれていました。<br />現在、織りネームのデザインは野面積みの石垣・一筆啓上・家紋・石瓦・お城と五角形のお堀・桜の6種類。<br /><br />野面積みのデザインが当たって嬉しい。

    入場券についている織ネーム。
    丸岡町は織ネームの一大産地で、なんと国内の7割を製造していると券の裏面に書かれていました。
    現在、織りネームのデザインは野面積みの石垣・一筆啓上・家紋・石瓦・お城と五角形のお堀・桜の6種類。

    野面積みのデザインが当たって嬉しい。

  • 丸岡城は、天正4年(1576年)一向一揆への備えとして織田信長の命により、柴田勝家の甥の柴田勝豊によって築城。<br />以前は、丸岡城が現存最古の天守閣と言われていましたが、近年の学術調査により、天守の築造年代が寛永元年~正保元年(1624~1645)の可能性が高いことが判明。それにより、現存最古の天守は犬山城となりました。<br /><br />そう言えば、犬山城を登ったときに現存最古の天守だって学んだっけ。<br />2023年11月 犬山城を訪ねた旅<br />https://4travel.jp/travelogue/11870772<br />

    丸岡城は、天正4年(1576年)一向一揆への備えとして織田信長の命により、柴田勝家の甥の柴田勝豊によって築城。
    以前は、丸岡城が現存最古の天守閣と言われていましたが、近年の学術調査により、天守の築造年代が寛永元年~正保元年(1624~1645)の可能性が高いことが判明。それにより、現存最古の天守は犬山城となりました。

    そう言えば、犬山城を登ったときに現存最古の天守だって学んだっけ。
    2023年11月 犬山城を訪ねた旅
    https://4travel.jp/travelogue/11870772

  • 天守閣記念碑と一筆啓上碑。

    天守閣記念碑と一筆啓上碑。

  • お静慰霊碑<br />お城あるあるの伝説。築城時、二人の子がいて苦しい生活を送っていたお静が人柱に選ばれ、彼女は一人の子を侍に取り立ててもらうことを約束に天守中柱の下に埋められます。けれど、柴田勝豊が移封。約束が反故となったため、毎年堀の藻刈りの時に、お静の霊が春雨で堀をあふれさせたとか。

    お静慰霊碑
    お城あるあるの伝説。築城時、二人の子がいて苦しい生活を送っていたお静が人柱に選ばれ、彼女は一人の子を侍に取り立ててもらうことを約束に天守中柱の下に埋められます。けれど、柴田勝豊が移封。約束が反故となったため、毎年堀の藻刈りの時に、お静の霊が春雨で堀をあふれさせたとか。

  • 登城する前に天守の周りを巡ってみました。

    登城する前に天守の周りを巡ってみました。

  • 天守台は高さ約6.2mの野面積み。供養塔の一部と思われる転用石が見られた箇所もありました。

    天守台は高さ約6.2mの野面積み。供養塔の一部と思われる転用石が見られた箇所もありました。

  • 格子窓の外の戸は、棒で突き上げて開く古風な造り。

    格子窓の外の戸は、棒で突き上げて開く古風な造り。

  • 床を外すと石落としになる出格子。<br />

    床を外すと石落としになる出格子。

  • 左端にある約29度もの傾斜(この角度は序の口でした)の石階段を上り、いよいよ天守内へ。<br />写真ではわかりにくいですが、天守と天守台の間には雨の侵入を防ぐ腰屋根が付いていました。

    左端にある約29度もの傾斜(この角度は序の口でした)の石階段を上り、いよいよ天守内へ。
    写真ではわかりにくいですが、天守と天守台の間には雨の侵入を防ぐ腰屋根が付いていました。

  • 天守1階。<br />外観は二階建てのようですが、内部は三階建て。<br />1階と2・3階の間に通し柱がないため、1階が2・3階を支える構造になっています。

    天守1階。
    外観は二階建てのようですが、内部は三階建て。
    1階と2・3階の間に通し柱がないため、1階が2・3階を支える構造になっています。

  • 狭間

    狭間

  • 天守内の模型によると、標高約17mの小高い丘に本丸を配し周りに二の丸が設けられていました。外周には内堀が巡らされ、不等辺五角形を形成した縄張りは藤堂高虎によるものだそうです。

    天守内の模型によると、標高約17mの小高い丘に本丸を配し周りに二の丸が設けられていました。外周には内堀が巡らされ、不等辺五角形を形成した縄張りは藤堂高虎によるものだそうです。

  • 古写真。まだ内堀が見られますが、この後、明治時代から昭和時代に埋め立てられ、現在では学校や民家が建ち並んでいます。

    古写真。まだ内堀が見られますが、この後、明治時代から昭和時代に埋め立てられ、現在では学校や民家が建ち並んでいます。

  • 1948年(昭和23)に起きたマグニチュード7.1の福井地震により、丸岡城天守は石垣もろとも完全に倒壊しましたが、地元の人々の支援や全国からの修復費用の寄付により柱や梁など主要部分の70%以上を再利用して1955年(昭和30)に修復を成し遂げています。

    1948年(昭和23)に起きたマグニチュード7.1の福井地震により、丸岡城天守は石垣もろとも完全に倒壊しましたが、地元の人々の支援や全国からの修復費用の寄付により柱や梁など主要部分の70%以上を再利用して1955年(昭和30)に修復を成し遂げています。

  • 1階から2階に上る階段の傾斜は65度。全国でも珍しい急階段で、これは敵兵の侵入を防ぐためだったとの説あり(って、自分たちも上り下りが大変だろうに)。<br /><br />現在は、観光客用に昇降のための補助ロープが設置されています。

    1階から2階に上る階段の傾斜は65度。全国でも珍しい急階段で、これは敵兵の侵入を防ぐためだったとの説あり(って、自分たちも上り下りが大変だろうに)。

    現在は、観光客用に昇降のための補助ロープが設置されています。

  • 2階から1階を見たところ。<br />左側一方通行の表示があって、係員はいないため誘導はなかったけれど、皆さん譲り合いながら昇降を交互に行っていました。狭いし急勾配だし、昇降ですれ違うなんて絶対に無理です。危険すぎ。

    2階から1階を見たところ。
    左側一方通行の表示があって、係員はいないため誘導はなかったけれど、皆さん譲り合いながら昇降を交互に行っていました。狭いし急勾配だし、昇降ですれ違うなんて絶対に無理です。危険すぎ。

  • 天守2階

    天守2階

  • 太い梁に補助ロープがかかっています。このロープがなかったら、昇降はもっと大変だったはず。

    太い梁に補助ロープがかかっています。このロープがなかったら、昇降はもっと大変だったはず。

  • 天井の様子を見上げていたら、明かりとりの小窓だとグループを案内していたガイドさんの声が聞こえました。

    天井の様子を見上げていたら、明かりとりの小窓だとグループを案内していたガイドさんの声が聞こえました。

  • 学術調査では天守の築造年代だけでなく、屋根に取り付けられている懸魚や破風板に漆が塗られ、鯱には金箔が貼られていたことや、石瓦になる前はこけら葺きであったことも分かったそうです。

    学術調査では天守の築造年代だけでなく、屋根に取り付けられている懸魚や破風板に漆が塗られ、鯱には金箔が貼られていたことや、石瓦になる前はこけら葺きであったことも分かったそうです。

  • 十二天守では唯一となる石瓦で葺かれた屋根が、丸岡城の特徴。

    十二天守では唯一となる石瓦で葺かれた屋根が、丸岡城の特徴。

  • 豪雪地帯に建てられているため、普通の瓦では寒さにより割れてしまうので寒さに強い笏谷石が用いられました。

    豪雪地帯に建てられているため、普通の瓦では寒さにより割れてしまうので寒さに強い笏谷石が用いられました。

  • 天守内にあるのは小さな説明板や古写真くらいだった中で、目立っていたパネル。<br /><br />「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」<br />徳川家康の家臣 本多重次が、陣中から家族あてに書き送ったもの。お仙とは幼名 仙千代と呼ばれ、後に城主となった本多成重のことで、寛永元年(1624年)に丸岡藩を成立させ初代藩主となり、本多家は4代にわたって丸岡藩を統治しました。

    天守内にあるのは小さな説明板や古写真くらいだった中で、目立っていたパネル。

    「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
    徳川家康の家臣 本多重次が、陣中から家族あてに書き送ったもの。お仙とは幼名 仙千代と呼ばれ、後に城主となった本多成重のことで、寛永元年(1624年)に丸岡藩を成立させ初代藩主となり、本多家は4代にわたって丸岡藩を統治しました。

  • 2階から3階へは、さらに急傾斜の67度。もちろん補助ロープが設置されています。

    2階から3階へは、さらに急傾斜の67度。もちろん補助ロープが設置されています。

  • 階段の裏側。まるで壁。

    階段の裏側。まるで壁。

  • 国宝や重要文化財指定を受けている建物を見学する際にスリッパに履き替えなきゃいけないけど、これが脱げそうになったりして歩くときに気を使います。このスリッパはわりと安定して履けたけど、危険を招きそうなスリッパ問題どうにかならないものでしょうか(施設によってはスリッパ使用は任意の所もあるけれど、ここでは必ず履くよう声をかけられました)。

    国宝や重要文化財指定を受けている建物を見学する際にスリッパに履き替えなきゃいけないけど、これが脱げそうになったりして歩くときに気を使います。このスリッパはわりと安定して履けたけど、危険を招きそうなスリッパ問題どうにかならないものでしょうか(施設によってはスリッパ使用は任意の所もあるけれど、ここでは必ず履くよう声をかけられました)。

  • 天守の最高階となる3階天井の間。本丸から約18m、城山の麓からだと約35mの高さ。

    天守の最高階となる3階天井の間。本丸から約18m、城山の麓からだと約35mの高さ。

  • 天井の間には四方に窓があり、本来は引き戸でしたが、福井地震による倒壊後の修復時に突き上げ窓(蔀戸/しとみど)へと改変されています。

    天井の間には四方に窓があり、本来は引き戸でしたが、福井地震による倒壊後の修復時に突き上げ窓(蔀戸/しとみど)へと改変されています。

  • 見晴らし良好。<br />でも、この夏は暑かったせいか風が抜けて気持ちいいとまではいきませんでした。もちろん、地上よりは涼を感じたけど。

    見晴らし良好。
    でも、この夏は暑かったせいか風が抜けて気持ちいいとまではいきませんでした。もちろん、地上よりは涼を感じたけど。

  • 後付けの廻縁は屋内の床面より高く、装飾のためのもののようで実際に歩くことはできませんでした。

    後付けの廻縁は屋内の床面より高く、装飾のためのもののようで実際に歩くことはできませんでした。

  • <br />


  • 現在葺かれている約6000枚の瓦のうち2割ほどが、笏谷石で、1枚20~60kgあり屋根全体で120tにもなるそうです。<br />笏谷石は、福井県の足羽山のみで採掘される凝灰岩で、現在は採掘されていない貴重な岩石。水に濡れると青色に変化するため、丸岡城は雨が降ると表情が変わる城だと知られています(私は勉強不足で初めて知りました)。

    現在葺かれている約6000枚の瓦のうち2割ほどが、笏谷石で、1枚20~60kgあり屋根全体で120tにもなるそうです。
    笏谷石は、福井県の足羽山のみで採掘される凝灰岩で、現在は採掘されていない貴重な岩石。水に濡れると青色に変化するため、丸岡城は雨が降ると表情が変わる城だと知られています(私は勉強不足で初めて知りました)。

  • 最後にゆっくりと景色を眺めて、地上へ。<br />天守内の急階段は、大半の方がロープにつかまり後ろ向きに下りていました。

    最後にゆっくりと景色を眺めて、地上へ。
    天守内の急階段は、大半の方がロープにつかまり後ろ向きに下りていました。

  • 天守を出て、再び石積みの様子をチェック。

    天守を出て、再び石積みの様子をチェック。

  • 雲の井。<br />城が敵襲にあった際、この井戸から大蛇が現れて霞を吹き出して城を守ったという伝説から「霞ヶ城」とも呼ばれるそうです。

    雲の井。
    城が敵襲にあった際、この井戸から大蛇が現れて霞を吹き出して城を守ったという伝説から「霞ヶ城」とも呼ばれるそうです。

  • 初しぐれ猿も小蓑をほしけ也  <br /> 芭蕉<br /><br />『奥の細道』の旅を終え伊勢へ足をのばした後、故郷へ帰る途中に伊賀街道の長野峠で詠んだものとされています。なぜここに、その句碑があるのか分かりませんでした。

    初しぐれ猿も小蓑をほしけ也  
     芭蕉

    『奥の細道』の旅を終え伊勢へ足をのばした後、故郷へ帰る途中に伊賀街道の長野峠で詠んだものとされています。なぜここに、その句碑があるのか分かりませんでした。

  • 天守台を支える石垣もじっくりと見学。

    天守台を支える石垣もじっくりと見学。

  • 雲の井龍神の祠。

    雲の井龍神の祠。

  • 名残惜しくて、何度も行ったり来たり。

    名残惜しくて、何度も行ったり来たり。

  • 突き上げ窓(蔀戸)の様子がよくわかります。

    突き上げ窓(蔀戸)の様子がよくわかります。

  • 松ノ丸に祀られた丸岡城八幡神社。

    松ノ丸に祀られた丸岡城八幡神社。

  • この参道(石段)の途中あたりから、天守屋根に上がる一対の鯱がよく見えました。

    この参道(石段)の途中あたりから、天守屋根に上がる一対の鯱がよく見えました。

  • 現在、木芯銅張りの鯱。戦時中の銅の入手が困難な際に石製に改められ、1948年(昭和23)の福井大震災で落下。その後の修理によりもとの銅張りに復元されましたが、石製のものは丸岡城観光情報センター「マチヨリ」内に展示されています。

    現在、木芯銅張りの鯱。戦時中の銅の入手が困難な際に石製に改められ、1948年(昭和23)の福井大震災で落下。その後の修理によりもとの銅張りに復元されましたが、石製のものは丸岡城観光情報センター「マチヨリ」内に展示されています。

  • 11:47<br />神社をお参りして、城の麓に向かおうと坂を進むと、

    11:47
    神社をお参りして、城の麓に向かおうと坂を進むと、

  • 松ノ丸に牛ヶ島石棺が置かれていました。<br /><br />

    松ノ丸に牛ヶ島石棺が置かれていました。

  • 丸岡町牛ヶ島地区の白山神社近くの御野山古墳から出土した4世紀頃の石棺。なんと昭和45年(1970)まで、橋として転用されていたそうです。<br /><br />ここまでの丸岡城見学所要時間は70分。<br />丸岡城観光情報センター「マチヨリマーケット」の様子につづく。

    丸岡町牛ヶ島地区の白山神社近くの御野山古墳から出土した4世紀頃の石棺。なんと昭和45年(1970)まで、橋として転用されていたそうです。

    ここまでの丸岡城見学所要時間は70分。
    丸岡城観光情報センター「マチヨリマーケット」の様子につづく。

58いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (4)

開く

閉じる

  • 164-165さん 2025/10/27 06:39:08
    丸岡城
    chemireさん おはようございます。
    大変詳しく丸岡城を見学され、行ったことのある私も改めて勉強になりました。
    急階段は多いですね。スリッパの使用はどうだったかは既に忘れてしまっている私です。
    格子窓の外の戸は、棒で突き上げて開く古風な造りは全く知りませんでした。
    スタンプ収集が目的の旅ですので、じっくりと城を見ることが少ないので参考になりました。

               【164-165】

    chemire

    chemireさん からの返信 2025/10/28 10:31:10
    Re: 丸岡城
    164-165さま
    コメントありがとうございます。
    スリッパのこだわりへの、些細なことまで気付いてくださって嬉しいです。

    以前は、お城ってカッコいいなぁくらいにしか思ってなかったのですが、石の積み方とか古風なつくりなど、そのお城ならではと感じることや歴史背景を学んで楽しむようになりました。

    よろしければ、これからもお立ち寄りください。
    chemire
  • Tripにこちゃんさん 2025/10/18 03:49:13
    おはようございます。
    chemireさま

    丸岡城は、小さいながらも見どころが沢山あり、好きなお城の一つです。

    国内旅行で近くにお城があると、必ず見学に行きます。

    私も、丸岡城の瓦の事は知りませんでした。勉強になりました。

    詳しい内容の旅行記、楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。

    chemire

    chemireさん からの返信 2025/10/18 09:37:37
    Re: おはようございます。
    Tripにこちゃんさま

    コメントありがとうございます。
    丸岡城は初めて訪ねましたが、現存12天守のひとつだけあって魅力的でした。学んだことも多かったので、再訪してじっくり観たいなと思っています。

    Tripにこちゃんさまは、海外旅行をされているんですね。コロナ以降、仕事以外で海外に行けていないので、旅を計画したいなと思いながら、楽しく拝見させていただきました。

    これからもどうぞよろしくお願いいたします。
    chemire

chemireさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP