鶴岡八幡宮は寺として創建され、源頼朝の頃には別当坊と二十五坊の26坊の僧房があった
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- 旅行時期:2020/12(約3年前)
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by ドクターキムルさん(男性)
鎌倉 クチコミ:61件
鶴岡八幡宮は明治維新までは鶴岡山八幡宮寺であり、廃仏毀釈で神社に変わった。楼門に掲げられている「八幡宮」の扁額は「八幡宮寺」の「寺」を切断したものである。
源頼朝存命中には御谷を中心に二十五坊の僧房が整備された。別当坊もあり、この別当が八幡宮寺の最高権威者である。したがって、僧房は26坊あった。
明治維新までは神社を管理する神宮寺があるのが普通であったが、ここ八幡宮寺では神宮寺に相当するのが別当坊と二十五坊の26坊であった。ただし、承元2年12月12日(1209年1月19日)に神宮寺が竣工しているが、本尊薬師像を安置する薬師堂であった。明治初期の写真では大塔の左奥に写っている。
頼朝が創建した鎌倉の三大寺院は鶴岡八幡宮、勝長壽院、永福寺であり、鶴岡山八幡宮寺が「鶴」、亀淵山永福寺が「亀」の地とされ、鎌倉の鶴亀として中心になった。
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- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2020/12/30
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