横浜臨海公園さんのクチコミ(17ページ)全812件
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投稿日 2013年06月25日
総合評価:5.0
小國神社(おくに じんじゃ)は、静岡県周智郡森町に所在する遠江國一之宮神社である。
御祭祀は、
大己貴命(おおなむちのみこと)
御1柱である。
社伝に拠れば、第29代 舒明帝(じょめい てんのう)(継体3年(509年)〜舒明32年(571年)5月24日)在位中たる舒明16年(555年)2月18日に遷宮したとされる。
延長5年(927年)に編纂された 延喜式神名帳(えんぎしき しんめいちょう)に於いて、遠江國式内社指定社は合計62坐で、名神大社2坐、小社60坐が確認されており、名神大社では、榛原郡敬満神社、及び、濱名郡角避比古神社が記載されていた。
然るに、前者は、当時の東海道に於いて交通難所で急勾配で地形が嶮しく粗悪な日本坂経由道を忌避し現行ルートに改変が実施された事で衰退忘却され、後者は、貞観11年(869年)7月9日に発生した貞観大地震(じょうがん だいじしん)に拠り津波に見舞われ、更に、明應7年(1498年)9月11日に発生した明應大地震で浜名湖が遠州灘と接続した際に該社が大津波で再流失後は該存在すら所在不明社となった。
平安末期ともなると、中央集権体制の崩壊の兆しと共に律令制度衰退が原因で、朝廷は全国有力社寺から直接年貢徴収を実施せざるを得なくなり、遠江國では、名神大社たる、角避比古神社、及び、敬満神社が衰退し、此れら2社に代り該社が年貢朝貢社として躍進し頭角を伸ばす。
該社が一之宮を称する様になったのは、現存文書から、概ね、平安末期たる永萬元年(1165年)から鎌倉初期たる文暦2年(1235年)頃の間と推定される。
該社にとって、戦国時代末期は多難な時期を迎える事になる。
元亀2年(1571年)に、該社別当神宮寺たる蓮華寺僧侶が、該社別当として派遣助勤させられていたが、当初の予想をはるかに上回る長期間に亙った事から、蓮華寺側から反発を招来させた。
蓮華寺から該社に対し、再三に亙り該寺僧侶返還を要求したが、該社が該要求を黙殺し継続した事から、両社間が騒乱の場と化してしまった。
然も、該騒乱が互いに一歩も譲らず意見を主張し続けた為に、最終的に京都朝廷をも巻き込んだ泥縄状態に陥った。
当時の天台座主が仲介したが全く埒があかず、最終的には、第106代 正親町天皇(おうぎまち てんのう)(永正14年(1517年)6月18日〜文禄2年(1593年)2月6日)が、徳川家康(とくがわ いえやす)(天文11年(1543年)1月31日〜元和2年(1515年)6月1日)に対し、綸旨を以って返還依頼させる有様だった。
翌元亀3年(1572年)には、遠江國目代 武藤氏定(むとう うじさだ)( ? 〜天正9年(1581年)3月)は、武田信玄(たけだ しんげん)(大永元年(1521年)12月1日〜元亀4年(1573年)5月13日)に呼応すべく、主君たる 家康を裏切り、武田軍勢を招入し、該社を城郭にしようと目論んだ。
然るに、当時の該社神主 鈴木重勝(すずき しげかつ)は元来が三河國出身で家康とは旧知昵懇の仲であり、重勝は包囲状態化で窮地に陥った状況下すら武田方に組する事を潔しとせず、此の為に、長男 千松麻呂を人質として家康に差出し、改めて家康に忠誠を誓うと同時に、該社御神体を別場所に移設させた上で、家康は該社境内が敵陣地として使用不可能にすべく、同年9月22日に該社造営物に対し悉く焼捨させた。
此れら造営物が全部再建され遷宮が完了するのは、天正11年(1583年)12月7日である。
また、家康は焼失させた造営物の穴埋代替として590石の一宮神領朱印状を認知した。
遠江國に一之宮に就いては、該社以外に事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)が該当すると言う解釈も存在する。
然るに、江戸期に事任八幡宮は事任と称する事も途絶し、日坂八幡宮として忘却衰潮の一途を辿っており、元禄10年(1697年)12月には、該社境内に事任神社が遷宮される状態だった。
然るに、該社が一之宮とする古文書が30点以上現存するのに対し、事任八幡宮に関する文書は室町期の物を含め4点しか存在せず、然も、全部が京都吉田神道家関係のものばかりである。
室町中期以降、吉田神道家勃興に依り、該家は宗源宣旨と称し神道長上の名を以って私事神位指定を徳川末期に至るまで行った。
即ち、吉田神道家は京都の地に在り、当時の交通不便な時代に遠江國の如き遠隔地の実情に就いて直見では無く伝聞を主とした当時の状況下では疎くなるのも致し方無く、此の事をして、遠江國のみならず全国一之宮の存在の混乱を招来させた一因を否定出来ない。
因みに、吉田家に依る神位指定行為は、明治維新直後の神祇制度改定に拠り全面的に禁止された。
明治維新と共に、大政官布告として次々と社寺関係令が発せられた。
明治元年(1868年)4月20日 神仏分離令
明治4年(1871年)1月 5日 社寺領上地令
社寺領上地令と共に、遠江國では角避彦神社が國幣中社に指定された。
然るに、角避彦神社は、前述の如く、明應7年(1498年)9月11日に発生した明應大震災で浜名湖と遠州灘を遮る土地が陥没し、大津波で流出後は所在不明社である事から論社比定不能と判定され、翌明治5年(1872年)7月1日に指定解除され同時に該社が國幣小社に指定昇格した。
該社が國幣小社指定の経緯に就いては、
國幣小社小國神社ハ延喜式神名帳所載ニシテ、祭神大穴牟遅命ヲ鎭祭スト云フ。明治六年六月國幣小社列セラル。其達書左ノ如シ。
右國幣小社列自今
官祭被仰出候事
明治六年六月十三日
大政大臣 三條實美
なる当時の文書から、遠江國筆頭神社たる事が確認された。
明治15年(1882年)3月8日1時頃、境内作事小屋から出火し火は見る見る間に境内主要造営物に引火炎上した。
原因は、作事小屋に於いて屋根職労務者が禁止されていたにも拘らず、暖を摂る為に密に焚火をした後の残火の不始末が原因と断定された。
造営物以外で焼失した財宝類は、家康奉納の宗近作大刀、小刀、家康奉納の采配、尊朝親王発家康宛親書、舞楽装束楽器、面等々88品に及び、若し、愚にもつかぬ火災で烏有に帰せず今日現存していれば、悉く国重要文化財指定拝命は確実だった逸品ばかりであり遺憾である。
直ちに内務省主導で復興計画が練られ実行されたが、被災前後で一番相違したのは本殿構造であり、被災前は熊野系権現造だった物が、復旧後は御祭祀に因み、出雲系大社造様式に変化を見せた。
明治5年(1872年)7月 1日 縣社列格
明治6年(1873年)6月13日 國幣小社 昇格
小國神社(おぐに じんじゃ)
静岡県周智郡森町一宮3956−1
?: 0538−89−7302
9:00〜16:00
天竜浜名湖鉄道遠江一宮駅 徒歩40分
http://www.okunijinja.or.jp/- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2013年10月15日
-
投稿日 2013年10月15日
-
投稿日 2013年10月15日
総合評価:4.0
掛川駅からホテルまで距離が有り、天気が良い時は徒歩でも行けない事はありませんが、ホテルの周囲には飲食店は少なく、どちらかと言えば電車利用者には不便で車利用者がメイン。
PC接続環境は良の上。セルフ式洗濯機は1回200円、乾燥機は電気式で30分100円。
ホテル ルートイン掛川インター(ほてる るーといん かけがわ いんたー)
掛川市矢崎町3−24
?: 0537−62−6511
東海道本線掛川駅北口 しずてつジャストライン掛川浜岡大東線矢崎停留所降車 徒歩1分
http://www.route-inn.co.jp/search/hotel/index.php?hotel_id=70- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 1.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 客室:
- 4.5
- 接客対応:
- 5.0
- 風呂:
- 4.0
- 食事・ドリンク:
- 4.5
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2013年07月28日
総合評価:4.0
最寄駅とされる高崎線桶川駅から徒歩だと、少なからず近場に所在だとは言い難いと感じました。
施設としては全体的に古さを感じさせるざるを得ずにいられません。
先ず、部屋のコンセント数が明らかに少ないと、誰もが感じると思われます。
然し、フロントをはじめとする従業員の接客は秀逸。
該ホテル周囲は飲食店は少ないですが、至近距離に大型スーパーが午前1時まで営業し、コンビにも存在するので、贅沢を望まなければ困る事は僅少です。
PC接続環境は秀。セルフ式コインランドリー料金は洗濯機1回200円。乾燥機は電気式で30分100円。
ホテルルートイン上尾(ほてる るーといん あげお)
上尾市井戸木2−37−1
?: 048−787−6111
高崎線桶川駅西口 徒歩12分
http://www.route-inn.co.jp/search/hotel/index_hotel_id_59- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 1.5
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 客室:
- 4.5
- 接客対応:
- 5.0
- 風呂:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 4.5
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2013年07月06日
総合評価:3.5
井上 勝(いのうえ まさる)(天保14年(1843年)8月25日〜明治43年(1910年)8月2日)は、長州萩藩出身で、幼少の頃から秀才の誉れ高く、15才で長崎に留学しオランダ士官から兵学を学び、江戸に出て砲術を学んだが、そのまま明治維新後は新政府で海軍士官になってもおかしくない経歴であった。
文久3年(1863年)に脱藩し伊藤博文(いとう ひろぶみ)、井上馨(いのうえ かおる)、遠藤謹助(えんどう きんすけ)、山尾庸三(やまお ようぞう)の5人が英国に密航留学し後に 長州幕末5傑 と称される。
元治元年(1864年)に4国聨合艦隊馬関砲撃事件の発生を知るや、急遽、伊藤、井上馨が帰国したのに対し、残り3名は明治維新まで勉学に励み、井上は鐵道学と鑛山学を習得し、帰国後、新政府に招かれ、鑛山頭、及び、鐵道頭、工部大輔、鐵道庁長官、等々を歴任。
小岩井農場(こいわい のうじょう)、及び、汽車製造會社(きしゃせいぞうがいしゃ)設立にも尽力する。
伊藤博文とは同じ密航留学仲間だった事も手伝い終生仲が良く、東海道線や横須賀線建設では井上と伊藤の尽力なくば即時建設は困難だったと伝えられている。
反面、井上は、相当我が強く癇癪持ちの性格だった様で、鉄道創業当時は国内では長崎高島以外で採炭を行っている所は無く、海軍と共同で英ウェールズ炭を輸入使用していたが、時に石炭が払底し列車運転が数日に亘り運休する事態も珍しくなかった様であるが、自身が利用する為に新橋駅に出向いた処、欠炭で運転不可能を知ると、「石炭が無いなら薪を焚いて走れ」と命じたり、明治18年(1885年)7月14日には折からの暴風雨で神流川橋梁が濁流状態であるにも拘らず、自身が指揮官となり、「何だ、此れしきの事で渡れぬ事があるものか。やれやれ、全速力でやれ」と烈しい号令をかけ、機関士が仕方なく列車を進めた処、渡橋直後に橋桁が転落するなど、幾分自信過剰で上司として仕えるには問題無き性格とは言いかねる人物だったが、自身は長州出身で出世は望み通りだったにも拘らず、権力志向が低くく政府に媚びる事も無く、且つ、能力有能人物たりと知るや、当時は朝敵とされた會津、桑名、長岡、鶴岡諸藩出身者をも重用し欽慕された。
後に、ヨーロッパ視察中、英ロンドンで客死。
井上の遺言に依り当地に葬られた。
昭和39年(1964年)10月14日 第7回鉄道記念物指定。
因みに、平成12年(2010年)8月2日は井上没100回忌で、墓前に於いてJR東日本本社主催で法要が営まれた。
東海寺 大山墓所(とうかいじ おおやまぼしょ)
東京都品川区北品川4−11−8
?: 03−3471−6943
東海道本線(京浜東北線)大井町駅西口 東急バス第一三共前停留所降車 徒歩1分
http://sinagawasigen.jp/kanko/view.cgi?mode=find&no=141- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2013年03月28日
総合評価:4.0
該碑は、鉄道開業80周年を記念して品川駅高輪口前に昭和28年(1953年)5月に建立された記念碑です。
揮毫者 大野伴睦(おおの ばんぼく)(明治23年(1890年)9月20日〜昭和39年(1964年)5月29日)は、岐阜県出身の保守系政治家。
大野伴睦は衆議院議員で、大東亜戦争前は政友会に属し、本流たる久原房之助(くはら ふさのすけ)(明治2年(1869年)7月12日〜昭和40年(1965年)1月29日)に近い存在と見做されていたが、金品収受に穢い久原と異なり、大野は金銭に対しては極めて淡白で自己所有財産など無に均しい清貧人だった。
大東亜戦争前は、我田引鉄と称し政治家が利権絡みで自己選挙区内に鉄道敷設誘致したのに対し、東海道新幹線を、岐阜県滋賀県県境付近に於ける関ヶ原の急勾配区間を忌避し鈴鹿峠経由で計画中だったのを、国鉄に捩じ込み強引に岐阜県経由にさせたとの説が現在に至るも存在するが、国鉄は計画当初から遠距離となる三重県経由建設など計画すらしておらず、当初から岐阜県経由で計画進行させ、該説は短なる俗説曲解に過ぎず事実無根である。
品川駅創業記念碑(しながわえき そうぎょう きねんひ)
東京都港区高輪3−26
東海道本線品川駅高輪口前- 旅行時期
- 2013年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2013年06月28日
総合評価:5.0
ホテルルートイン グループでは珍しく市中繁華街の馬車道をはさみ、神奈川県歴史博物館前に所在します。
部屋は機能的にまとめられ、使い手は良好でした。
ホテル周囲は飲食店、及び、24時間営業のコンビニエンスストアが林立する地です。
PCの接続状況は秀。セルフ式コインランドリーは1回200円、乾燥機は電気式で30分100円。
ホテル ルートイン横浜馬車道(ほてる るーといん ばしゃみち)
横浜市中区弁天通4−53−1
?: 045−227−8911
根岸線関内駅北口 徒歩5分- 旅行時期
- 2013年06月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 客室:
- 5.0
- 接客対応:
- 4.5
- 風呂:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2012年07月06日
総合評価:4.5
神奈川県内でも相模原市は市域が広く、目的地が実は時に仰天させられるローカルな所だったなど、ごく当り前の如く存在します。
該ホテルはICタイプのカードキーなど、ホテルルートイングループでは最新設備が整ってており部屋は広めでした。
但し、周囲は大変辺鄙な所にあり、夜など周囲は真っ暗なので女性の1人歩きは薦められない。
PC接続環境は秀
セルフ式コインランドリーは洗濯機利用1回200円。乾燥機は電気式で30分100円。
ホテル ルートイン相模原(ほてる るーといん さがみはら)
相模原市中央区上溝3960−1
?: 042−764−3211
相模線上溝駅 徒歩23分
http://www.route-inn.co.jp/search/hotel/index_hotel_id_568- 旅行時期
- 2012年07月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 1.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 客室:
- 5.0
- 接客対応:
- 5.0
- 風呂:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2013年04月30日
とんかつ どーんとこい 六角橋本店 東神奈川・保土ヶ谷・弘明寺
総合評価:4.5
六角橋商店街の一角に所在するトンカツ屋です。
該店では、白宝豚を使っている事が特長で、脂身が少なく身が締まっている事から高級豚肉として取り扱われているそうです。
その為に、わざわざ横浜市外からも食べに来る客もいるそうで、店は何時も混雑しています。
平成23年(2011年)8月に付近の店舗から出火し該店も類焼し、一時は廃業も検討していたそうですが、今では見事に立ち直り、昔の味を再現しています。
定食類の御飯、キャベツ、及び、豚汁は、お代わり自由。
とんかつ ど〜んとこい(とんかつ ど〜んとこい)
横浜市神奈川区六角橋1−11−19
?: 045−439−3771
11:30〜23:30
年始定休
東急電鉄東横線白楽駅 徒歩5分- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 1.0
-
投稿日 2013年05月31日
総合評価:4.0
眞清田神社(ますみだ じんじゃ)は、愛知県一宮市に所在する尾張國一之宮神社である。
該社、御祭祀は、
天火明命(あめのほあかりのみこと)
の御1柱である。
然るに、時代背景として、大己貴命(おおなむちのみこと)、若しくは、國常立尊(くにのとこたちのみこと)との記述物も存在し、なかんずく、鎌倉期から江戸末期迄は、國常立尊の存在が最有力とされたが、紆余曲折の上、明治2年(1869年)に現祭祀に確定された。
現在、該社に於いて該日をして創建記念日に指定し、明治43年(1910年)からは新暦4月3日に桃花祭として神事執行される。
神階に就いては、
承和14年(847年)11月11日 従五位下(續日本後紀)
仁寿 元年(851年) 6月24日 従四位下(日本文徳天皇實録)
貞観 7年(865年) 8月21日 正四位上(日本文徳天皇實録)
文治 2年(1186年)3月 正一位 (尾張國神名帳)
康正元年(1455年)6月には、該社に盗賊一味が押入り、更に、放火の狼藉に及んだ為に、該社境内造営物、神寶、祭器一切が焼失した。
再興は、資金不足が原因で、長禄年間(1457〜60年)から寛正年間(1460〜66年)の長期間に亙った。
尾張の戦国新興大名 織田信長(おだ のぶなが)(天文3年(1534年)6月23日〜天正10年(1582年)6月21日)は、第106代 正親町天皇(おうぎまち てんのう)(永正14年(1517年)6月18日〜文禄2年(1593年)2月6日)警護を名目に永禄11年(1568年)に上洛したが、数度の天覧後、天正2年(1574年)3月28日に勅許に拠り、奈良正倉院に収納されている香木 蘭奢侍(らんじゃたい)の切片を入手し、信長自身が楽しむと共に家臣に分与したが、その分与を受けた1人たる 村井貞勝(むらい さだかつ)( ? 〜天正10年(1582年)6月21日)は、友人で一宮城主の人関長安(ひとせき ながやす)(天文31年(1552年)〜天正12年(1584年)に小片を再分与した。
長安は天下の名香を自家に置くのは忍びずとして該社に奉納した。
その後、該香は一時期所在不明とされたが、現在は該社宝物館に断片と称する物が現存する。
天正13年(1586年)1月18日に、天正大地震(てんしょう だいじしん)が発生し、当時の文書に、
該社本宮、楼門、廻廊、その他殿堂悉く転覆傾斜
と記載されるほどの被害が生じた。
更に、織田信長亡き後、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)(天文6年(1536年)3月17日〜慶長3年(1598年)9月18日)は、全国の石高確認の為に検地を実施したが、尾張國に対しては天正18〜19年(1590〜91年)に実施したが、該検地実施中たる天正19年(1591年)に、該社神人達が秀吉の些細な命令違反を理由に、一宮村以下計7村の該社所領地没収の暴挙に出た為に、神人達の職を廃し散逸させた事から、該社神職が各地に逸散した事から俄に荒廃状態を呈した事で神職不在社になり、故に、別当神宮寺般若院僧侶が神務管理する仏主社従の状態になった。
秀吉死後、慶長5年(1600年)10月21日に東西に別れ関ケ原に於いて雌雄を決する戦いが行われたが、東軍筆頭 徳川家康(とくがわ いえやす)(天文11年(1543年)11月3日〜元和2年(1616年)6月1日)は、前々日たる同月19日に該社に於いて小憩を兼ね、該社を参拝して戦勝祈願した。
幸いにして、関ヶ原ノ合戦は東軍側圧勝に終わったが、戦勝後、報寶として家康は該社に対し200石神領を安堵した。
荒廃を極めていた該社を再興させた功績者は、何と言っても、初代尾張藩藩主 徳川義直(とくがわ よしなお)公(慶長5年(1601年)1月2日〜慶安3年(1650年)6月5日)であろう。
義直は、尾張藩に入府した際に、該社参拝の折に見た状態に驚愕し、寛永8年(1630年)に該藩の全面的助力に依り本殿以下の造営が実施され、同年11月3日に正遷座が斎行され、その際に、義直は兄で徳川第2代将軍 徳川秀忠(とくがわ ひでただ)(天正7年(1579年)5月2日〜寛永9年(1632年)3月4日)の病気平癒を祈願している。
また、長らく神職不在であった該社に、義直は 佐分栄清(さわけ さけきよ)(元和9年(1623年)〜正徳元年(1716年)) を任命し明治維新まで佐分家が世襲宮司家となった。
尾張藩は該社を重視し、第2代尾張藩主 徳川光友(とくがわ みつとも)(寛永2年(1625年)8月31日〜元禄13年(1700年)11月26日)も先例に倣い、承應2年(1653年)に旧礎を活用して勅使殿を造営し、此れらに拠り、寛文3年(1663年)4月に本殿以下の造営が竣工した。
徳川家が朝廷に政権を返納し明治元年(1868年)に明治維新が成立したが、明治新政府は政教一致政策を採用し、神道を唯一の国教とし神仏分離政策を強行したが、該社は、南北朝期に南朝方に対し精勤していた事実も該社に幸運をもたらした。
該社境内別当寺は、享保18年(1733年)5月に廃絶した東西神宮寺、般若院以外、当時は、剣正寺、福寿院、光徳寺、及び、菩薩院が存在したが、福寿院以外は全寺廃寺に決し、堂宇は破壊され本尊は移転を余儀無くされた物も在ったが、一部は海外に流失した物も在ったが、多くの仏像類は現在も所在不明とされる。
然し、該社内に於ける困惑は少なからず発生していた様で、例えば、明治3年(1871年)6月には、聖徳太子父子三像をして仏像か神像かに就いて解釈が分れ、結局、同年9月に該像をして神像と解され判定された事から、該社に残存が決定し該像は神庫に収納された。
明治24年(1891年)10月28日6時38分に、岐阜県大野郡根羽村(現 本巣市)を震源とする濃尾大震災(のうび だいしんさい)が発生し、震源地至近の一宮町では、全家屋2750戸中、2200戸全壊、230戸余半壊し、即死153名、重軽傷者250名余を出す惨事となった。
該社被災では、拝殿、勅使殿、塀重門が倒壊し、井戸屋形が損壊被害が発生したが、何れも、明治26年(1893年)3月に旧材を活用して再建された。
大東亜戦争中、名古屋は三菱重工業を中心とした当時の我が国航空機製造企業が存在した事から、連合軍側の空襲攻撃重要都市の筆頭扱をされた為に度々攻撃を受けた。
然し、当時は米軍に拠る攻撃は大都市部を標的にしたものと考えられていた為に、寧ろ、一宮市は疎開受入側都市とされ、昭和19年(1944年)1月に受入開始後、一宮市転入者は431世帯1580名を数えていた。
然るに、同年12月ともなると一宮市は、警戒警報発令22回、空襲警報発令11回を記録し、最早、一宮の如き地方都市への攻撃すら最早避けられぬとの判断が主流となりつつあった。
昭和20年(1945年)3月12日の名古屋空襲では、熱田神宮宮庁舎、斎館に焼夷弾が着弾全焼し、更に、同年5月17日の名古屋大空襲では、本殿、土用殿が被災全焼した。
その為に、一宮市空襲実施時に於ける該社被災を懸念し、同年4月17日に防空様式の奉安殿設置が決定し、該地に駐屯していた陸軍一宮地方防衛隊の全面的協力を得て建設着手し、同年6月21日に竣工後に極秘裏に御霊代や寶物類を動座移動させていした為に、此れら所蔵宝物類は無事だった。
一宮市は同年7月23日に北部地域に焼夷弾が投下され初被災が生じたが、同月27日21時40分に、事前の警戒警報発令も無く、いきなり空襲警報発令と同時に市中心部に爆弾焼夷弾が投下され、同日22時30分頃から該社境内に焼夷弾約200弾が投下炎上し、該市上水道施設が爆撃が原因で停電の為に断水状態になった為に、消火の為に送水する事すら叶わず、該社は神輿庫、寶蔵、及び、手水舎を除き、殆どの造営物が被災焼失した。
全国の一宮神社で大東亜戦争中の空襲被害で、境内施設が壊滅に等しい甚大被害を受けたのは、該社以外では、大阪市中央区所在の摂津國坐摩神社(いかすり じんじゃ)が有る。
該社社殿造営物は、尾張造(おわり づくり)と称するもので、尾張地域に所在する神社に見られる。
平入切妻造の本舎正面に同幅庇を設置し、更に前方に延身した屋根が軒先まで曲線で覆い込む形態様式が特長とされ、同様例は、京都上賀茂神社、及び、下賀茂神社に類例を見る事が可能である。
因みに、一宮市内には、もう1ヶ所、尾張國一宮大神神社が所在する。
眞清田神社(ますみた じんじゃ)
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2013年05月29日
-
投稿日 2013年05月30日
-
投稿日 2013年05月04日
総合評価:5.0
主要幹線道に面して所在するホテル・ルートイン・グループの中で、駅前至近地に所在するのは秩父、深谷、足利、此の一宮ぐらいだったと記憶します。
建築して未だ日も浅い為に、部屋は広く快適に過ごせました。
ただ、他の会員の投稿で、温泉大浴場が併設されていたと言う記述をされていた方がおりますが、13階に大浴場こそ存在しますが、アルカリイオン水を使用しているのであって、決して温泉ではありません。
PC接続環境は秀逸。 セルフ式コインランドリーは1回200円 乾燥機は電気式で30分100円。
ホテル ルートイン一宮駅前(ほてる るーといん いちのみやえきまえ)
一宮市新生1−2−11
?: 0586−47−7601
東海道本線尾張一宮駅南口 徒歩1分
http://www.route-inn.co.jp/search/hotel/index_hotel_id_555- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 客室:
- 5.0
- 接客対応:
- 5.0
- 風呂:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2013年05月29日
総合評価:5.0
鰻や田楽を売りにしている和食割烹料理店です。
鰻の櫃まぶしや田楽料理などがあり、カウンターもあるので1人でも楽しめます。
個人的な印象では、ご飯の炊き方が、もう少し硬めだと良かったとも思いましたが、味の方は良かったでした。
ぎんなべ(ぎんなべ)
一宮市本町2−3−16
?: 0586−72−3045
11:30〜14:00 17:00〜22:00
月曜定休
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩2分
http://ginnabe.jimdo.com/- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 5.0
-
投稿日 2013年05月30日
総合評価:4.0
本来は蕎麦屋ですが、店外に漂う味噌を煮る匂いに釣られ入ってみました。
名古屋市内辺りで供される、盛りつけなどに奇を狙った味噌煮込うどんと異なり、至って素朴な感じで、味も思ったより濃くなく味わえました。
但し、時間帯の関係か客層は地元の常連客ばかりで観光客の姿は皆無。
喫煙禁煙分煙がされていなかったが残念と言えば残念。
大和屋(やまとや)
一宮市本町3−9−7
?: 0586−72−3815
11;00〜19:30
月曜、及び、年始定休
東海道本線尾張一宮駅 徒歩2分- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 1.5
-
投稿日 2013年05月31日
総合評価:4.5
焼肉屋と見紛うばかりの変わった店名ですが、眞清田神社境内の吐龍口から命名された由。
大東亜戦争後、空襲で焼野原だった一宮で露天商で和菓子を製造販売していたのが本店の嚆矢だそうです。
餡は薄口ながら、餅の方は歯がガタガタの方でも安心して味わえる程、歯応えを感じさせない柔らかな物でした。
御主人が1人で店内の菓子を製造している為に個数に限りがあり、売切れてしまえば、下午前中でも閉店してしまうので注意。
清龍園菓舗(せいりゅうえん かほ)
一宮市真清田1−2−23
?: 0586−72−7536
8:30〜18:30
年中無休
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.5
- 観光客向け度:
- 2.0
-
投稿日 2013年05月30日
総合評価:5.0
一宮市中心部に戦前から存在する老舗和菓子店の1つ。
地方独自の味が濃厚では無く控えめな甘さで、どちらかと言えば餅の食感が硬めで好みでした。
柏餅の餡は漉餡を使用。
駅前繁華街に在って静かな雰囲気。
さくら屋(さくらや)
一宮市本町3−1−9
?: 0586−72−4714
9:00〜19:00
月曜定休(除年末)
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩3分- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 3.0
-
投稿日 2013年04月30日
総合評価:5.0
大都会を離れると、和食でも、鰻、寿司、天麩羅は兼業店ばかりで専門店が少なくなる様ですが、それ専門だけでは経営が成り立たない現実だからでしょう。
甲府市には珍しく鰻専門店が存在します。
創業は、幕末の天保年間に創業した旅籠千歳屋が、明治36年(1903年)2月1日に中央本線が甲府まで延伸した際に駅前に開店したそうで、今年で110年を迎えます。
僭越ながら、鰻は東京風の蒸してから改めて焼く様式が好みですが、地方のソレはタレが甘すぎる嫌いがあり、余り美味だと思って味わう機会が少ないのですが、該店の焼き具合やタレなど、東京横浜の高級鰻料理店のものと比較しても遜色無き味で、美味しく味わえます。
うなぎ 川長(うなぎ かわちょう)
甲府市丸の内1−2−12
?: 055−23−2011
11:30〜14:30 17:00〜21:00
木曜、及び、年末年始定休
中央本線甲府駅南口 徒歩1分
http://www.unagikawachou.com/- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 4.5
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 4.5
-
投稿日 2013年04月29日
総合評価:4.0
甲府駅南口から徒歩2分の至近距離に存在するビジネスホテルです。
駅の傍でありながら、喧騒には程遠く静かな環境で落ち着けました。
少し部屋が狭いと感じられましたが、男性専用ながら大浴場も完備しており寛げます。
PCの接続環境は秀の上。セルフ式コインランドリーは電気式で30分100円。
サンパークホテル内藤(さんぱーく ほてる ないとう)
甲府市丸の内1−4−16
?: 055−233−7110
中央本線甲府駅南口 徒歩2分
http://www.hotel-naito.com/hotel/sunpark.html- 旅行時期
- 2013年04月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 客室:
- 3.5
- 接客対応:
- 5.0
- 風呂:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0












































































