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東海寺大山墓地

名所・史跡

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東海寺大山墓地〔旧跡〕

  • 3.5
  • 旅行時期:2013/07(約12年前)
横浜臨海公園さん

by 横浜臨海公園さん(男性)

品川 クチコミ:3件

井上 勝(いのうえ まさる)(天保14年(1843年)8月25日〜明治43年(1910年)8月2日)は、長州萩藩出身で、幼少の頃から秀才の誉れ高く、15才で長崎に留学しオランダ士官から兵学を学び、江戸に出て砲術を学んだが、そのまま明治維新後は新政府で海軍士官になってもおかしくない経歴であった。
文久3年(1863年)に脱藩し伊藤博文(いとう ひろぶみ)、井上馨(いのうえ かおる)、遠藤謹助(えんどう きんすけ)、山尾庸三(やまお ようぞう)の5人が英国に密航留学し後に 長州幕末5傑 と称される。
元治元年(1864年)に4国聨合艦隊馬関砲撃事件の発生を知るや、急遽、伊藤、井上馨が帰国したのに対し、残り3名は明治維新まで勉学に励み、井上は鐵道学と鑛山学を習得し、帰国後、新政府に招かれ、鑛山頭、及び、鐵道頭、工部大輔、鐵道庁長官、等々を歴任。
小岩井農場(こいわい のうじょう)、及び、汽車製造會社(きしゃせいぞうがいしゃ)設立にも尽力する。
伊藤博文とは同じ密航留学仲間だった事も手伝い終生仲が良く、東海道線や横須賀線建設では井上と伊藤の尽力なくば即時建設は困難だったと伝えられている。
反面、井上は、相当我が強く癇癪持ちの性格だった様で、鉄道創業当時は国内では長崎高島以外で採炭を行っている所は無く、海軍と共同で英ウェールズ炭を輸入使用していたが、時に石炭が払底し列車運転が数日に亘り運休する事態も珍しくなかった様であるが、自身が利用する為に新橋駅に出向いた処、欠炭で運転不可能を知ると、「石炭が無いなら薪を焚いて走れ」と命じたり、明治18年(1885年)7月14日には折からの暴風雨で神流川橋梁が濁流状態であるにも拘らず、自身が指揮官となり、「何だ、此れしきの事で渡れぬ事があるものか。やれやれ、全速力でやれ」と烈しい号令をかけ、機関士が仕方なく列車を進めた処、渡橋直後に橋桁が転落するなど、幾分自信過剰で上司として仕えるには問題無き性格とは言いかねる人物だったが、自身は長州出身で出世は望み通りだったにも拘らず、権力志向が低くく政府に媚びる事も無く、且つ、能力有能人物たりと知るや、当時は朝敵とされた會津、桑名、長岡、鶴岡諸藩出身者をも重用し欽慕された。
後に、ヨーロッパ視察中、英ロンドンで客死。
井上の遺言に依り当地に葬られた。
昭和39年(1964年)10月14日 第7回鉄道記念物指定。
因みに、平成12年(2010年)8月2日は井上没100回忌で、墓前に於いてJR東日本本社主催で法要が営まれた。



東海寺 大山墓所(とうかいじ おおやまぼしょ)
東京都品川区北品川4−11−8
?: 03−3471−6943
東海道本線(京浜東北線)大井町駅西口 東急バス第一三共前停留所降車 徒歩1分
http://sinagawasigen.jp/kanko/view.cgi?mode=find&no=141

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
2.0
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
1.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2013/07/06

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