amaroさんのクチコミ(124ページ)全3,113件
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投稿日 2013年01月21日
総合評価:3.0
平戸といえば、フランシスコ・ザビエルの布教の地として有名ですが、小高い丘の上に聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂が建っていました。色鮮やかなペパーミント色で空に向かって突きだした尖塔がとても印象的でした。現在の建物は1931年建築ですから、戦前のものですね。同じ場所に1564年、日本で最初の天主堂が建てられていたそうです。
- 旅行時期
- 2009年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月21日
総合評価:3.0
オランダとの交易で歴史に残る長崎県平戸市ですが、英国との交易も行っていたんですね。平戸市役所横に立っていた英国商館遺跡の碑から、その歴史を知りました。英国商館ができたのはオランダより4年遅れの1613年。日本で初めて外洋の帆船をつくったウィリアム・アダムス(三浦按針)が開設に深く関わっていたようです。ただ、商館を置いていた時期は短く10年後の1623年には閉鎖されました。経営の問題なのか、当時の世界情勢、あるいは江戸幕府の鎖国の問題なのかよく分かりませんが、東インド会社をつくった英国、オランダが同じ町に進出していたなんて面白いですよね。それにしても、当時の先進2カ国とそのまま交易を続けていたら、日本の現在も大きく変わっていたでしょうね。
- 旅行時期
- 2009年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月21日
総合評価:3.0
岩国市出身の作家、宇野千代の生家を訪ねてきました。あまり便利な交通機関はないようで、錦帯橋から歩くこと約20分。静かな住宅街の中に木造平屋の生家がありました。決して大きな家ではなく、ごく一般的なこぢんまりした旧家でした。300年の入館料を払って庭側に回ると、やたらと広い庭。中央には仏像の頭がポツンと置いてありました。縁側から室内に入ることができ、東郷青児ら宇野千代と恋愛関係にあった人たちとの実際の手紙などが展示されていました。宇野千代と言えば、晩年の「生きて行く私」など作家としてのイメージしか持っていませんでしたけど、ファッション雑誌を創刊したり、着物のデザイナーになったり時代の先端を行ったキャリアウーマンだったんですね。
- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
錦帯橋観光を終えてお土産探しをしていたのですが、どうも旧来のお土産物屋ばかりでつまんないなあと思っていたら、錦帯橋バスセンター2階が「道の駅」風にリニューアルされ、その名も「橋の駅 錦帯橋」になってました。といっても、おみやげ屋とお茶屋さん風のちょっとレストランがあるだけでしたけどね。お茶屋さんのメインはやっぱりというか岩国寿司。錦川、錦帯橋が真正面に見えるなかなかいい位置にあり、ガラス越しに眺望を見ながらゆっくり食事ができそうでした。難点といえば、1階入り口かな。「橋の駅」と書かれていても想像がつかず、入るのがドキドキでした。
- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
山口サビエル記念聖堂の北側にあるぽっこりとした丘。現在は亀山公園として整備され、緑がうっそうと茂る市民の憩いの場となっていますが、元々は築城が中止となった城山でした。大阪城落城前ごろまでに、広島から移封された毛利秀元が城を建設していたそうです。明治33年になって公園として整備されました。頂上の「憩いの広場」には明治維新に尽力した毛利敬親の銅像があるほか、ふれあい広場、噴水広場などもありました。
- 旅行時期
- 2011年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
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投稿日 2013年01月20日
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
歌舞伎座の真向かいにある岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」は、銀座界隈にある各地のアンテナショップの中でもかなりの充実ぶりでした。広い店内には南部煎餅など定番の土産物や地酒、地ビール、冷凍食品のほか、タンスまで展示されてました。面白いのは岩手県から運ばれたお弁当。オープンスペースではお弁当を広げるお客さんの姿も目立ちました。インフォメーションコーナーもあり、世界遺産に指定された中尊寺、平泉関係の資料も充実してました。
- 旅行時期
- 2011年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
東京で働いていてもあまり出かけることがない皇居の周辺。じっくり散歩してみると、色んなものに出会います。その一つが外苑に立つ楠木正成像。台座を含め高さ8メートルもある堂々とした像が立ってました。明治33年、住友家が別子銅山の開山200年記念として、献納したそうです。楠木正成といえば神戸の湊川神社のイメージが強かったのですが、建武の中興で後醍醐天皇方について戦ったということが大きいんでしょうねえ。
- 旅行時期
- 2011年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
皇居近くの都心にありながら東京大空襲にも焼失を免れ、現在もシックで美しい姿を見せているのが、国の登録有形文化財の学士会館です。以前、入ったときは古ぼけた状態で貧乏学生ぐらいしか泊まらないだろうなあと思っていたら、きれいに改装されスイートルームもあるとか。時代に合わせて変わるものですね。旧帝大の同窓会組織の交流の場として発展してきましたが、場所が場所だけに色んな歴史も。2・26事件では警備隊の司令部が置かれ、戦後はGHQの将校クラブにも使われたました。入り口横には2013年のNHK大河ドラマに登場する新島襄の生誕の地の碑もありました。
- 旅行時期
- 2011年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
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投稿日 2013年01月20日
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
赤坂と六本木という夜の盛り場のちょうど境目に樹木が生い茂る静かな空間があります。それが乃木神社です。日露戦争でロシアの旅順要塞を陥落させ英雄となった乃木希典を祀った神社です。訪れたときには結婚式が終わった後のようで、パーティードレスに身を包んだ若い女性達が記念写真を撮ってました。英雄とはいえ、軍人を祀った神社で結婚式かあ、ふと思ってしまいました。ところで、なんでまた軍人の神社かといえば、乃木希典の場合は明治天皇崩御後の大葬が行われた大正元年9月13日、妻静子とともに殉死したことがきっかけで、神社ができたそうです。これもまた何だかなあと思ってしまいます。ところで、神社はとってもきれいで、拝殿と本殿が分かれた本格的な造りです。
- 旅行時期
- 2011年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
太く長いしっぽが特徴的なマダガスカル固有の原猿類キツネザルが沢山、飼育されている施設が東京・世田谷の閑静な住宅街の真ん中にありました。東京農業大学「食と農」の博物館・バイオリウムです。農大の施設らしくさまざまな種類のイネや日本酒などが展示されていますが、面白いのはキツネザルを集めたコーナーで5種80頭。動物園でもこれだけの数が見られるところはないそうです。キツネザル君達は突然、大コーラスをはじめることがあります。ものすごい音量で小さい子どもだとおびえちゃうかも。
- 旅行時期
- 2011年12月
- 利用した際の同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
青山通りに面したビルにブルックスブラザースができたことを憶えています。あの周辺には、確か日本のアイビールックの「VAN」があった記憶がありますが、VANがなくなり、本家本元のアイビーがやってきた、と強く印象に残っています。今も変わらぬ堂々とした店構え。店員さんもものすごく詳しい紳士服のプロみたいな人たちばかりでした。あれからもう30年もたつんですね。ところで、ちょっと不満をお一つ。最近、入ってみると、スーツもジャケットも何だか細身が目立ちます。あのゆったりしたブルックススタイルが好きだったのにと店員さんに聞いたら、ニューヨークのブルックスは伝統のスタイルを守っているそうです。日本風に変えちゃったら、何だか面白くなーい。
- 旅行時期
- 2011年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
東日本大震災が起きた2011年秋、やっぱレジャーも福島に行かなくちゃと思い、ドライブしたのが母成グリーンライン(高森熱海道路)でした。かつて有料道路だったようですが、この時は無料開放でした。ドライブしてみて思ったのですが、磐梯吾妻スカイラインなどと比べると、視界が開ける場所があまりなかったよーな。観光道路というより山間部の道路という雰囲気でした。このルートは会津に入るための要衝のようで、古くは八幡太郎義家が会津入りしたときのルートで、戊辰戦争のときも会津攻めの官軍はこのルートからも進攻し、迎え撃つ会津勢と激戦が繰り広げられたそうです。
- 旅行時期
- 2011年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
ひとくちに明治の文豪とか言いますけど、結構、つつましい生活をしていたんだなと思ったのが、大磯にある島崎藤村の旧宅を訪れたときのことです。藤村は1941年に移り住み、71歳で亡くなるまでの2年間を過ごしました。建物は公開されており、玄関を入ると、周囲から建物内部を見ることができました。とにかくひっそりという言葉がぴったりくる家で、庭から見ると、4畳半ほどの書斎に8畳ほどの和室ぐらいしか見えませんでした。夫婦2人で住んでいたといいますが、とにかく小さな家です。大磯といえば、海沿いには伊藤博文、西園寺公望、山県有朋などの邸宅が並んでいたそうですが、そちらはどこも小学校の敷地ほどの広さ。当時は文学者より政治家の方がはるかに儲かったということなんでしょうかねえ。今も同じかな。
- 旅行時期
- 2011年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2013年01月20日
総合評価:3.0
皇居の真正面に建つ美しい洋風建築が明治生命館です。東京ではこの種のビルを壊し、正面だけを残した高層ビルが目立ちますが、こちらは丸ごと残ってます。1934年、明治生命(現在は明治安田生命)が建築したビルで空襲からも焼け残り、戦後は1956年まで米極東空軍司令部がありました。上層階は分かりませんが、地下は現代風に整備され、ちょっとしたパブレストランになってました。昭和の建築物として初めて国の重要文化財に指定されました。
- 旅行時期
- 2011年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅























